『四界の楔 ー楽土編 3ー』 彼方様作



毎年その日、ポップは部屋から出てこない。

ダイの命日。

彼女の部屋の壁には、女性の部屋には不似合いな大きな剣が飾られている。かつてダイの剣と言われたそれは、名工ロン・ベルクの最高傑作と伝えられている。

剣を携えての旅が難しくなってきた頃に、ヴェルザーに預けていたのだ。






約千年前、眠りに着く直前にヴェルザーに持ち掛けた事。

ダイを普通の人間にする為に、彼の持つ紋章を自分に移し替えられないか。ほんの僅かにすぎないが、自分の中にも竜の血が存在している。そして竜の騎士と同じく、いや、それ以上に多種族の気を有している。

肉体的・遺伝的なものとは違うが、可能なのか、どうか。

そう告げた時、ヴェルザーは深く長い溜息を吐いた。

「不可能ではないが…覚悟はあるのか」

「覚悟?」

「竜の紋章をその身に移し替える。既に人ではなく、女であるお前がそれを行えばどうなるか」

「―――――俺が聖母竜になる?」

瞬時に答えを導き出したポップに、ヴェルザーは重々しく頷いた。

「成程。目覚めた後、千年どころじゃなくなるって事か」

「それでいいのか」

ダイの為に、そこまですると言うのか。

そう言えば、以前は命まで差し出していた。一体、あの子どもの何がポップをここまで引き付けるのか解らない。確かに戦闘力は目を瞠るものがあるが、それ以外ではポップに頼り切りにしか見えないのに。
ヴェルザーのそんな憤りなど、ポップには解らない。

刹那の沈黙の後、彼女はフ…と笑みを零した。

「ポップ?」

「だったら、その方がヴェルザーにも良くないか?」

「オレはお前に、これ以上の負担を強いる気はないんだが」

「負担じゃないさ。俺にとっても都合がいい」

当代の楔が生きている限り、次の楔は生まれない。そうなれば、自分の挑戦には反応しなかったとしても、天界も流石に動かざるをえまい。

「ダイは人として生きたい、お前は天界への影響を強化したい、そしてオレにとっては本当にパートナーが得られる」

これにポップは微笑みながら頷いた。

全員の希望を可能にする方法だった。

あの当時であれば。






ポップはそっと胸元に触れた。

そこには二つのアバンのしるし。

ヒュンケル、マァム、レオナのそれは、墓の中に納められている。ダイは死期を悟った時にポップに託した。自分の魂がポップと共に在る事を、彼自身も望んでいたから。

そしてポップが弱気になったり、ネガティブな考えに捕らわれたりすると、励ますかのように淡く光る。

“ほんと、凄いよ。お前”

レオナの推測ではあるが、ダイの魂の力だと言う純真。それを千年生きても尚、失わずにいたなんて。

“ああ、幸せだよ”

そのダイを筆頭に、多くの者に愛された。

今も愛されている。

ポップの視線の先には、壁にあるダイの剣・その宝玉。ダイの命が潰えれば輝きを失う筈のそれは、今も尚優しい光を灯している。

「ずっと一緒、だな」

ダイは自分がヴェルザーと共に在る事さえ、許容していた。永遠に近い時を、自分だけを想って生き続けるなんて寂しすぎると。そしてポップとヴェルザーが共に在れば、それだけでも世界の安定の一助になるからと。

“甘えっぱなしだったな”

それでも、いい関係だった、と思う。

幾らダイが大らかだったとしても、本当に不満に思った事は素直に訴えてきたのだし。

そうして、今になって思う。

自分は運命にも恵まれていた、と。

人との出会いを始め、あらゆる巡り合わせ、楔として生まれた事さえ、今では幸運だったのではないかと思える。

“だって、こんなにも自分の望みを叶えられる奴なんて、そうはいない”

最大の目的である天界を動かす事も、実力行使に出られる所まで来る事が出来た。
これで不幸なんて言える筈がない。

“ヴェルザーもなぁ…”

正妃云々と言っていたが、今の所の扱いは嫁というより娘に近い気がする。そもそもヴェルザーの恋愛観がどんなものなのか、未だにポップにはよく解らない。

“同じな筈はないけどさ”

第一、魔族だって違う。

ヴェルザーが自分を正妃に望んでいる事は長きに渡って魔界全体に根回しされていたのに、自分がダイと共に暮らしていても、それをあれこれ言う者はいなかった。

ヴェルザー自身が許容していたとはいえ、地上ではこうはいかない。寿命の違いと、一口に魔族と言っても多種多様だから、その違いもあるのだろう。

ダイと住んでいた家も、ここもヴェルザーが用意したもの。

―――――それだけ嬉しいんダヨ

流石にそれはちょっと、と遠慮した自分にキルヒースはそう言った。

初めて自ら望んだ存在。

眷属や部下ではない、対等な相手。

“恋愛”とは多少違うが、ポップもまたヴェルザーへ愛と言える感情を持ってくれた事。

聖母竜としての力、性質は受け継いだとはいえ、ポップの体が竜形態に変化した訳ではない。

“慣れないけどな”

屋敷と言える広さのここには、複数の魔族が家事全般と、ポップの身の回りの世話の為に住み込みで働いている。ギリギリまで人数は減らして貰ったが、その全員から「様」付けで呼ばれるむず痒さと言ったら!

そうしてヴェルザーは数日に一度やってくる。

通い婚のようなものだ。

だがしかし。

愛の語らいとかはともかく、他愛のない日常会話よりも政治的な話の方が多いのが事実。

“ダイに遠慮してるって訳じゃないだろうに”

ポップの中に存在するダイの魂。

ある意味、永遠の三角関係とも言えるが、それを気にしていたら自分達の関係は永遠に疑似親子から抜け出せないと思うのに、どう言うつもりでいるのだろう。

“ほんっと、よく解らない”

確かに時間は「幾らでもある」のだけれど、自分がその永い「時間」に慣れたら、少しは理解できるようになるのだろうか。

もしかしてヴェルザーはそれを待っている?

“気が長いってレベルじゃないよな”

自分から完全に「人間」としての意識が抜ける日が来るとは、今の所は到底思えない、のだが。






ポップの指がそこに伸びて、けれど実際に手に取ったのは隣のブローチ。

“何にでも合うって訳じゃないからな”

それはアバンのしるしと共に、ダイが千年持ち続けた水晶。ペンダントにされていたそれを、更にブローチに加工し直した。尤も、それほど大きな物ではないから、デザインの一部に組み込まれているのが実情だ。

ヴェルザーの「パートナー」として公の場に出るようになってから、それなりの見栄えを要求されるようになった。

派手に飾り立てろという訳ではないが、他に見劣りしない、侮られない程度のものを。

バンダナもリボン代わりにしていられるのは、屋敷内だけだ。

外に出る時は、ダイの剣の柄に結んでいく。

ただポップ自身は昔も今も、それ程ファッションに興味はない。地上にいた頃も適当だった。そもそも服装の概念自体が大幅に変わっているのだ。だからこそ一番無難なワンピースを着続けていた。色は仲間達の魂の色。

故に。

いわゆるスタイリスト的な役割を担う者もいる。

“あ―…今日は特に凄そうだな”

それでも彼女の見立ては、何時も非の打ち所がない。恐らくポップ本人よりポップの魅力を理解していて、それを十分に引き出せるのだろう。

だからもう、どれだけ時間が取られても文句を言うつもりはない。

“やっと、ここまで来た”

漸く―――本当に漸く、天界が重い腰を上げた。

ポップが作った今の状況、次の楔が生まれようのない事実に、これ以上の問題の先延ばしは出来ないと認めたらしい。

自分達の生存にも関わってくるのだから、当然と言えば当然。

“さて、何と言ってくる?”

天界が会談を申し込んできたのが、約一ヶ月前。ダイの命日の10日後の事だった。

その打診を聞いた時の、ヴェルザーの含み笑いが忘れられない。

彼にしてみれば、複雑な思いがあるのは間違いない。例えその怠惰や傲慢に呆れていようとも、同族であり、故郷なのだ。完全な敵対状態になるのは、やはり避けたかったのだろう。

“でもまぁ、妥当な線か”

四界のバランスが保てなくなる直前では間に合わない。それを考えれば、遅い位だ。

そもそもプライド的に認めたくなかったのではないだろうか。

殆ど生贄のような存在である楔の行動に追い詰められた、などとは。

だが、これらはポップ一人で成し遂げた事ではない。彼女が結んだ様々な絆があってこそ。特に聖母竜になった事は。

「まーっ!ポップ様ったら、まだそんな恰好で!」

突然の大声にポップの肩が跳ねる。

「何度ノックをしてもお返事がなかったので、勝手に入らせていただきました」

「あー、うん…ごめん」

彼女の名前はリーシェ。

ポップの衣装の全てを一手に引き受けているコウモリ族の女性だ。個人的に言葉を交わす機会が多い為、特に打ち解けている相手でもある。

「緊張されるお気持ちも解りますが」

ただ、ポップが天界に抱いている思いまでは知らない。一般的な感覚として、そう言っているだけだ。

「今日は本当に全部任せようと思ってさ」

「それは光栄ですわ」

今日の為に新たなドレスを作るという提案は当然あったのだが、ポップは一蹴した。それは普段は冷静な彼女らしくない「特別扱いなどしてやるものか」という意地からだったのだが、ヴェルザーも肯定した。

故に今日はこれまでの手持ちの服やアクセサリーで、最高のコーディネイトをしようという事になっていた。

「さぁ、始めましょう」

リーシェはニッコリ笑った。それは何処かかつてのレオナを彷彿させるもので、ポップが心を許すきっかけでもあった。

勿論、髪やメイクに関しては、他にやる者がいる。






「ほう」

やってきたポップを見て、ヴェルザーは唸った。

「随分飾り立てられたな」

「重いんだけど」

「そう言うな。正式にオレの嫁として紹介する場でもあるからな」

元々はそんなつもりは全くなかったが、これもまた天界にとっては強烈な嫌味になるかもしれない。竜の神が楔を嫁にする、という事実は。

今回は天界からの招待である為、人界を経由する必要はなく、直通の道が開かれる。キルヒースやキュールが得意としている空間移動の巨大版と言った所か。

勿論、そう簡単な事ではない。

ヴェルザーの力もあって可能な事だ。

「ヴェルザーにとっては、里帰りでもあるだろ」

「もう魔界の方が馴染んでいるよ」

故郷ではある。自分と同じように、まだ生きている知己もいる。だが最早、懐かしさも感じない。恐らく自分には穏やかに過ぎる天界より、こちらの方が性にあっているのだろう。

「悲願の成就がそこまで来ている気分はどうだ?」

「――――何だろうな…余り感慨はないんだ」

やっと、と言う思いはある。だが、それ以上・以外には胸に来るものがない。感極まる、なんて事が全くないのだ。仲間達の墓を回っていた時の方が余程も感情は揺れた。

「現実感がない、というか」

「直接会った事がないからな」

つまり問題は、会った瞬間か。

「暴走なんかしないよ」

破邪の洞窟の時のような事にはならない。あれは突発的で心構えが出来ていなかったからだ。ついでに言えば、あの頃より自分の精神は安定している、と思う。

「もう暫くすれば、道も通る」

行くのは、二人だけ。

護衛などは必要ないし、そもそもヴェルザーが神である以上、天界への格式も気にする事はない。キュールは最初から行く気がなく、キルヒースもまた、今では天界を「あんな所」呼ばわりをしている為、ヴェルザーも供を強要する事はなかったのだ。

「―――――ヴェルザー」

「何だ?」

「ありがとう」

「…どうした?」

「何となく」

「おかしな奴だ」

そうして二人して、フ…と笑みを零した。






世界は優しくはないけれど。

辛い事、苦しい事、悲しい事の方がずっとずっと多いけれど。

それでも。

『誰か』と出会える奇跡をくれる。

この愛しい世界を繋げていこう。

                    (完)











 彼方様から頂いた、素敵SSです! まずは、完結おめでとうございます! 基本的にうちのサイトでは、作品には年月日を振らないようにしているのですが、長期連載歓声を祝しておまけを。実は、初めてこのお話を神棚に掲載したのが、2014年9月15日……現在が2020年1月7日なので、なんと6年近くもかけて書き切ってくださった大作です! 作品数は、全70話!(ただし、筆者が数え間違えていたらすみません)

 いやあ、これほどの作品が無事に完結して、感無量です♪ 最初はコメントでのネタとしてお聞きした話が、まさかこんなにも膨らんで一つの世界を描き、長いストーリーとなってくれるとは。

 最後の話は、最終編にしようかと思っていましたが、せっかくなので少しひねって「楽土編」と命名しました。『慣れし故郷を放たれて、夢に楽土を求めたり』某漫画のこの言葉をふっと思い出し、パク……いえいえ、参考にさせていただきました(笑) 本来の人としての人生を自ら捨て、最終的にポップが辿り着いた場所が楽園であったと信じたいです。いえ、楽園と言うよりも、夢を託せる地と思いたいですね。

 生まれながらに神によって特別な運命を余儀なくされ、それに抗う為に必死で生きようとした少女ポップのストーリーは壮大で、とてもハラハラさせられました。誰もが彼女が人として幸せに生きることを望んでいたのに、結局は神と抗するために自身も神に近い存在になることで己の意志を示す……通常の恋愛とは違う形で結ばれたダイとポップの絆と相まって、印象的なお話でした。

 ここ数年、毎回楽しませていただきました! 自主的にあちこちのサイトにお邪魔してダイ大話を読むのを楽しみにしている筆者には、毎度送っていただけてとても重宝させていただきました、本当にありがとうございます♪

2に続く
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