『四界の楔 ー楽土編 2ー』 彼方様作



地図を見ながらルートを考えているポップに、「そう言えば」とダイは尋いてみた。

「ポップって、天界の事は気にならないのか?」

ポップの本来の目的はバーン打倒ではなく、天界に挑戦状を叩きつける事だった。なのに、自分はまだしも、ヴェルザーにさえその事に関して尋いていない。

「…もう、私の手を離れたからな」

「どう言う意味?」

「私が関与できる事じゃない」

やろうと思っていた事は全てやった。これで天界がどう対応するかまでは手の出しようがない。

「何も変わってなくても?」

「その時はその時だ」

「それでいいのか?」

自分の全身全霊をかけてやった事に対して、余りにも淡白な反応にダイは首を傾げた。

「元々、私の意地みたいなものだったから」

それにヴェルザー達が100%応えてくれた。少なくとも魔界は様変わりし、地上と良好な関係を築いている。これだけでも、自分がやった事は無駄ではなかったと言える。

「それに時間はあるんだ。じっくり見極めるさ」

「ふーん」

「不満そうだな」

「オレだったら嫌だけどな」

自分がやった事に何の手応えもない、なんて。

多分、この不満は自分のポップへの想いの大きさも理由の一つだろう。加えてこの千年間、自分が「竜の騎士」として特に何をする事もなかっただけに、余計にポップのやった事が大きく思えるのだ。

「私が勝手にやった事だと言われたら、それまでだし」

「そりゃ、そうかもしれないけど」

どうにも納得がいかない風なダイに、ポップが小さく肩を竦めた。かつての自分の拘りを知っているせいだろう。

「その内、な」

この言葉の意味が解るのは、ずっと後の事。





ポップが目覚めて数年。

この頃になると、地上はともかく魔界では彼女の存在を知らない者はいない、と言ってよかった。
彼女が疑似太陽の理論を構築した者であり、とある事情で長い眠りについていたが、その当時からヴェルザーが正妃にと望んでいる事。

こういった事が、ポップが眠りについた直後からキルヒースとキュールによって少しずつ根回しされていたからだ。

だが、それだけではない。

ポップは二人のように魔界を巡回したり、地上の国家との会議などに出たりする事こそないものの、集められてくるデータや意見から最善、そうでなくとも次善の策を考える能力に秀でていて、官僚魔族からは既にヴェルザーの右腕と認められ、知恵袋と化していた。

「………ズルい」

「は?」

ベッドの上で転がっていたダイの呟きに、ポップは書類をめくる手を止めた。

拗ねたような目で見てくるダイの横に座ると、その頭を撫でる。

「私がこういう奴だって、解ってただろ?」

「解ってるさ。ポップが自分の幸せを後回しにするって事は」

それはつまり、現在『恋人』であるダイとの時間が減る、という事だ。それでも、ポップが出来る限りダイを優先してくれている事も知っている。

だが――――時間がない。

「ごめんな、ダイ」

ポップがダイと同じように寝転がり、目線を合わせる。

「結局、私はお前を幸せには出来ないんだな」

千年も待ち続けてくれた、その想いの何分の一も返せていない。ダイが許してくれるのをいい事に、自分のやりたい事ばかり優先させてきた。

「そんな事ない!オレ、幸せだよ」

「でも、十分じゃない」

「それは…」

ポップを第一とするダイ。

全ての命を平等に見つめるポップ。

ここにきて、考え方・価値観の違いが鮮明になった形だ。

“本当、解ってたんだ。ポップ相手に「好き」だけじゃダメな事は”

多分、そう言う意味ではヴェルザーの方が相応しいのだろう。ただポップは千年に及ぶ自分の想いを汲んでくれた。

“それでいい”

応えてくれた。

その事実だけで、いいと思える。それが慈愛でも博愛でも、自分を愛してくれている事に変わりはないし、少なくとも「弟扱い」はなくなった。

自分の命の先が見えてきたから、そう言う風に思えるようになったのかも知れない。

「ダイ?」

「いいんだ、別に。オレが欲深いだけだから」

ポップの全部が欲しい、なんて。

そんな事、叶う筈もないのに。


ヴェルザーのいる場所から、一番近い街の端に二人の住んでいる家がある。

ポップが役目を終えているからか、以前のように逐一行動を追う事はしていないようだが、時折人型に変化したヴェルザーが訪ねてくる。

それで二人のことをどうこう言う事はない。

ただポップの淹れたお茶を飲んで、ポップが作ったお菓子を食べて、他愛のない話をして帰って行く。その時に、ダイを除け者にする事もない。

“悔しいし、やっぱり嫌だけどさ”

これから先、ポップと共に在れるのは…。

「――――ポップはさ、もう解ってるんだろ?」

「え?」

「オレがもう、長くない事」

「!」

驚いて起き上がろうとしたポップを、きつく抱きしめる。

全く変わらない、ほっそりした体。

ダイも見た目は変わらないが、髪や爪は切るし、多少の体重の増減はあるが、ポップにはそれすらない。嫌でも彼女の時間が止まっている事を実感させられる。

「忘れないでくれよ、オレのこと」

「バァカ。誰に向かって言ってる」

私の記憶力を舐めるな。

そう言って穏やかに笑うポップを抱く腕に、更に力を込める。

「折れる折れる折れる!バカ!」

ポップがそれなりに切実な悲鳴を上げる。その声に涙が混じっているのは気のせいではないだろう。

待ち続けた時間に比べて、共にいられた時間は余りにも短い。それでも、悲願は達成できた。ポップはきっと本当に、ずっと自分を覚えていてくれるだろう。





そんな話をして、一年足らず。

ダイは死の床についていた。

見た目はやはり変わらない、20代半ばの青年のまま。けれど、体のありとあらゆる機能が低下していた。

“思ったより早かったな”

何処か冷静にそう思う。

この状態を、自分は良く知っている。年老いて、天寿を全うした仲間達が最後にはこんな感じだった。

「ダイ…」

ポップの手がダイの手に触れる。

目覚めた後、ポップが手袋をする事はなかった。あの頃は「特別」だった掌の感触が今では普通の事になっていて、そんな些細な事さえ嬉しい自分は本当に末期だと思う。

好きで好きで、どうしようもなく大好きで。

愛しくてたまらなくて。

そこまで想える存在に出会えた事こそ奇跡で、幸せだった。

「本当に…いいんだな?」

「言ったろ。オレは寧ろ、そっちの方が嬉しい」

――――ずっと共に
――――その内に

その言葉の本当の意味。

それは千年前、ヴェルザーが言った事と繋がっていた。ダイが「人の子」として生きて行く方法。

「ずっと一緒にいられる」

驚くのは、ポップの覚悟の大きさ、強さ。そして、とことんまでダイのことを考えていてくれた事。ポップの愛情は「恋愛」という一つの関係に括られるものではなかったのだ。

それが解れば、あの時のヴェルザーの憤りも理解できる。

「私の都合が大きいのに」

「ポップの役に立てるんなら本望だよ」

「……ありがとう」

「オレこそ、ありがとう」

ダイの息が少しずつ細くなる。握っている手の力が弱まって行く。

「ダ…イ…」

「愛してる、ポップ」

「ああ、私も…愛してる」

ダイは静かに満足げに微笑んで、瞳を閉じた。その瞳が開かれる事は二度とない。

「―――――っ」

親しい者、愛する者の死は、誰もが経験する事。だが、そんな理屈で痛みや悲しみが軽減される筈もない。

冷たくなっていく体に、暖かい涙が落ちる。

それから約一時間。

恐らく、ある程度ポップが落ち着くまで待っていてくれていたのだろう、何時ものように人型に変化したヴェルザーがやって来た。

「逝ったか」

ポップは無言で頷き、ヴェルザーもそれ以上は何も言わず、ダイの手を握ったままのポップの手に、自分の手を重ねた。すると、重ねられた手から光が零れ始めた。

金と緑と青。

三色の光が混じり合い、室内を照らす。

やがてダイの全身が光に包まれると、次第にポップの体も光に包まれ始め、暫くするとポップの額に竜の紋章が浮かび上がった。

「竜の騎士」の力を、ポップに移し替える。

これがダイを人にする方法で、ポップがバランの血を取り込んでいたからこそ可能な事だった。

それは同時に、第二の「聖母竜」の誕生を意味していた。

「後悔しないか?」

「終わってから言うかな」

これで事実上、ポップはヴェルザーに近い寿命を得た事になる。

「次の楔は生まれない」

ポップが…当代の楔が生きている限り、次代の楔は生まれない。そう言うシステムなのだ。このシステムを作った当時、ポップのような規格外の楔が生まれる事や、バーン戦が起き、それに参戦した挙句の様々な事態など、幾ら神々でも予想もしなかったに違いない。

「ありがとう、ダイ」

最後まで、自分の我儘を受け入れてくれた。

体の中に、暖かな光が灯ったような感覚がある。

「ずっと共に在る、か。お前が新たな竜の騎士を生まない限り、永遠の一心同体だな」

「竜の騎士が必要な状況なんて、この先にはない」

魔界は落ち着き、魔族も怪物も闘争本能は残っていても、戦争という程のものには発展しない。まして、四界全てを危険に曝すような事態など。

「それに、私達にケンカを売るようなバカもいないだろう?」

「確かにな」

ヴェルザーが苦笑と共に言う。

ヴェルザー自身は勿論の事、かつてバーンすら震撼させた最強の大魔導士のコンビを同時に相手にしようと考える者は、まずいない。その上、今の魔界の在り方を考えれば、ヴェルザーと敵対するという事は、魔界全土を敵に回すに等しいのだ。

「私の変化を知った天界がどう動くか、じっくり見させて貰うさ」

余り性質の良くない笑みを浮かべたポップに、ヴェルザーはまた苦笑した。

これ以上の怠惰は許さない、という事だ。

                    (続)











3に続く
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