『四界の楔 ー死の大地編 4ー』 彼方様作

同時刻―――死の大地―――

ダイをこの場から弾き飛ばしたポップの前に、ハドラーが降り立った。
憤懣やるかたないと言う表情を見ても、ポップは笑みを崩さない。

「一騎打ちを望む、そしてそれを受けて立つ男の気持ちは、女には解らんものか」

「…なら尋くけど、あんたには今のダイの状態が解らなかったか?」

立ち上がる力さえないまま、それでもポップの声は凛然と響く。

「何だと」

「一騎打ちってのは、正々堂々とやるものじゃないのか?」

揺るぎない意志の力。
戦う力など一欠片すら残っていない少女から放たれる気迫に、ハドラーは内心舌を巻いた。これ程の精神力を持つ者はそういない。
尚もポップの言葉は止まらない。

「あんな状態のダイに勝って、それでも嬉しいって言うんなら、結局あんたは何も変わってないって事じゃないか」

「フ…このオレにそんな口を利く者など、そうはおらんぞ」

「そりゃどーも」

ポップはポップで、内心は一杯一杯だ。
何しろ今の「武器」は「言葉」しかないのだから。それに今ここでキルバーンの助勢を期待する程、ポップは楽天家ではない。

死ぬ訳にはいかないのだ。
どうせ何らかの方法でまた復活させられるのだろうけど、これ以上「変化」のスピードを速めたくはないし、恐らく生命力は削られる。それでは駄目なのだ。―――少しでも長く、自分が「役目」を果たす為には。

「…戻るぞ、キルバーン」

「え?殺っちゃわないノ?」

「そうだな。殺すのは簡単だが、ここでポップを殺せば、ダイは二度と『勇者』としてオレの前に立つ事はないだろう」

「うーん。それはそうかも知れないケド、それなら尚の事、魔王軍としては殺しておくべきじゃないカナ」

一見、助勢どころか完全に魔王軍側の言動をするキルバーンに、ポップは呆れに近い感嘆を覚える。

“俺以上に口八丁な奴…”

表向き、バーンの側近である者として、これは正しい。けれどダイとの一騎打ちを望むハドラーにとっては逆効果なものだ。

「キルバーン」

案の定、ハドラーはポップではなくキルバーンに不快の念を表す。
恐らくそれがキルバーンにとっても望んだ展開でありながら、彼はわざとらしく溜息を吐いた。

「ま、直接ではなくても、この場に放っとくだけで『人間』は死んじゃうだろうし、ここは司令官殿の顔を立てておくヨ」

「フン。あいつらが『仲間』を放っておく訳がないだろう」

遠からず救援が来る事を、ハドラーは疑ってないようだ。

「それまで、この弱り切った魔法使いちゃんが保てばいいケドネ」

「そこまでは知らん」

言って、ハドラーは踵を返した。
ハドラーの視線が完全に外れたのを見届けてから、キルバーンは小さくポップに手を振った。ああ言ってはいたが、実際の所この寒さがポップに深刻なダメージを与えない事を、彼は知っている。

「コーティング」はポップの聖魔の気配を封じるものであって、体質に影響を及ぼすものではないのだから。

「は…」

二人の気配が完全に消えると、ポップは漸く肩の力を抜いた。

“ガルーダの飛行速度って…どれ位だったっけ…”

仲間内でトベルーラを使えるのが自分とダイしかいない以上、ここまで来るとしたらクロコダインだろう。もしかしたら、もう一人位誰か来るかも知れないが。

”ああ…駄目だ…眠い…”

体力も魔法力も尽きた状態で、今まで意識を保っていられただけでも奇跡的だ。

“うん…普通の人間だったら…確実に…死ぬ…”

ポップの上体がユラリと傾く。
極限の疲労を抱えた「人間」の反応として、ポップは意識を手放した。






それから数刻後、ダイ達は死の大地に辿り着いた。

「え?あれって…」

「サタンパピーだ!」

10や20ではない、サタンパピーの大群がダイ達と同じく死の大地へ向かってきていた。

「ダイ、奴らはオレに任せて、お前は先に行け!」

「解った」

「チウ、お前はダイと行け。ポップが同じ場所にいるとは限らん」

「は、はいぃ」

ダイがチウの手を掴み、クロコダインから離脱する。クロコダインはそのままサタンパピーを迎え撃つ体勢を取る。
目的はあくまでポップの救出だ。
避けられる戦いなら、避けた方がいい。だがサタンパピーの一団は真っ直ぐクロコダインに向かってくる。

“ふむ…サタンパピーと言う事はザボエラか”

テランで返り討ちに遭った事でポップを逆恨みしていてもおかしくはないが、ハドラーとは真逆の反応に何とも言えない気持ちになる。

“情報網だけは大したものだ”

ただこれで、ポップがハドラーとキルバーンに殺されたり連れ去られたりはせず、生きてここにいる事が明確になった。後はダイとザボエラ、どちらが先にポップを見付けられるかが問題だ。


ダイはシンプルに、最初は先刻キルバーン達と対峙した場所へと向かった。普段はそうでもないが、戦闘時におけるダイの記憶力はポップに勝るとも劣らない。
同じような風景が続く死の大地の地形で、ダイは正確にその場所に辿り着いた。

「ポップ!」

氷だけの白い世界で、彼女の長い漆黒の髪と新緑の魔法衣は、とても目立っていた。けれど倒れ伏している体はピクリとも動かない。

「ポップ―――!!」

ダイはまるで氷に激突するかのような勢いで、ポップの傍に降りた。その乱暴な着地に、チウが滑り転がる。だが残念ながら、この時ダイの意識にチウのことはなかった。

「ポップ、ポップ」

抱き起して必死に呼びかけるが、先刻と違い全く反応がない。

「い…やだ…ポップ…目、開けてよ…」

胸が微かに動いているから、生きているのは解る。けれど体は氷のように冷たくて、まるで、今にも…。

「お、落ち着き給え、ダイ君。まずは体を温めるんだ」

何とか戻ってきたチウが、ブロキーナから学んだ応急処置の知識を披露する。だが。

「どうやってやるの!?」

「えーと、えーと。確か裸で抱き合うのが一番だった筈」

――――――出来るか!!
ダイが心の奥底から絶叫する。ポップが男に擬態していた頃ならいざ知らず、今のポップ相手にそんな事が出来る程ダイは「子ども」ではなかった。

そもそもチウが言った方法は、こんな吹きさらしの場所でやる事ではない。むしろ逆効果にしかならないだろう。
その時、ポップの睫が小さく震えた。

「ポップ!?」

うっすらと目が開かれる。だが瞳は茫洋として力がない。その上ダイの姿を映してはいなかった。

「ポップ、おれが解る?もう大丈夫だから」

それでもポップの瞳はダイを見ない。
この一瞬後、その瞳に急速に力が戻る。しかし視線はダイを通り越して空へ向けられている。ほんの少し前、ダイにこのまま逝ってしまうんじゃないかという恐怖を与えたポップの、余りにも鋭い視線に、つられるようにダイも後方の空を振り返る。

「――――ザボエラっ!?」

ポップが目覚めたのは、ザボエラの魔の気配の為だった。かなり距離はあるがキルバーンやハドラーとは違い、自分への強烈な悪意がふんだんに混じっているせいで、より敏感に感じ取っていた。

とんでもないタイミングでのザボエラの登場に、ダイはきつく唇を噛んだ。
チウは元々、戦力としては数えていない。
ポップもまた、今は戦力どころか逃げる力さえ残っていない。

そしてサタンパピーの群れを相手取っているクロコダインも当てには出来ない。
ダイ自身、状態が完全に戻っている訳でもない。

ないない尽くしの上、強大な魔法力を持ち、決して接近戦をやろうとはしないザボエラは、ダイとの相性は最悪だ。
そんな中、ダイはポップを抱く腕に力を込めた。
未だ冷え切った体を手放して、先刻のように後ろに庇う事すら怖かった。

「ダ…イ…」

「大丈夫だよ。おれが守るから」

そう、自分達はポップを助ける為に来たのだ。

「ち…がう…い、け…」

なのに、当の本人がそれを拒む。自分に構わず戦えと言うポップに、ダイは泣きたくなった。どうして、彼女はこうまで自分を顧みないのだ。

「行け…。ここはまだ…奴の射程範囲外だ…」

少しずつ、ポップの言葉がしっかりとしてくる。
だからといって、ポップを放り出す選択がダイに出来る筈がなかった。

「おれ達はポップを助けに来たんだよ!それを…っ」

「だったら、尚更だ。お前なら…周りのサタンパピー数匹位、海波斬で一掃出来るだろ。上手くやれば、ザボエラにも多少はダメージを与えられる。それだけの時間を稼げれば…おっさんの手も空く筈だ。そこまで持ち込めば勝率が格段に上がるんだ。だから、行け…!」

腕の中で一気にそう言い切られて、ダイは瞠目した。
目覚めたばかりなのに、一瞬で状況を把握し、最善と言える策を練ってみせたポップに驚かずにいられない。

「―――解った。チウ、ポップを頼む」

本当は相手が誰であれ、ポップを任せたくはない。けれどそんな事を言っていられる状況ではないし、下手に渋ってポップに呆れられるのも嫌だからこその判断だった。

言われたチウはダイからの圧力に竦み上がったが、ポップの方はチウに自分を「託された」意識は欠片もなかった。

“…ったく、ハイエナみたいな奴だな”

テランといい、今回といい、こちらが弱っている時を狙ってやってくる。一体どんな情報網を持っているのか。空を見上げながら、そう思う。

「おいこら、魔女っ娘。お前、もう少し…」

「うるさい、黙れ」

ランカークスの時と似たような事を言おうとしたチウを、ポップは一蹴した。

「だ…っ誰のせいで、こんな事になったと」

「俺のせいだよ!」

当然それに文句を言おうとしたチウだったが、吐き捨てるように言われて思わず黙り込んだ。

「文句なら後で幾らでも聞くさ。今は静かにしてろ」

自分を一顧だにしないまま言い切られて、反射的に文句を言おうとしたチウだったが、ここで漸くポップの様子がおかしい事に気付いた。
口調こそ何時ものものに戻っているものの、体は細かく震えているし、顔色は蒼白なままだ。

それこそ万全の状態であればここまでの影響は出なかっただろうが、体力が底をついていたのがマズかったのだ。
そんな、恐らくは気力だけで保たせている状態なのを、今更ながらに思い至ったチウは仕方なく口を噤んだ。そしてポップと同じように空へ目を向ける。

ポップとザボエラのいる位置の中間あたりで、ダイは海波斬を放った。余り近付きすぎては効果範囲が狭くなる上、相手の警戒心も増すからだ。

ポップが言った策は、実の所かなり大雑把なものだ。
それも当然と言えば当然で、ポップ本人は策だとは思っていない。ただある程度の方向性を示す事で自分にばかり向いているダイの意識を、戦闘に移行させる事が出来ればよかったのだ。

そもそもダイがポップを庇うだけではジリ貧で、最終的には全滅を食らいかねない。けれど一度戦闘に集中すれば、後はダイなら自分の判断で動けるようになる。そう考えての事だった。

「な…!」

そのポップの考えが根底から覆される。
サタンパピーの数が最初に目視した時より、こちらに近づくにつれ増え続けているのだ。

「あの…妖怪ジジィ…っ」

こちらの油断を誘うつもりだったのか、特に目的などなかったのかは解らない。だが段階を置いて数を増やす事で、敵により恐怖や絶望を与える効果を思えば、ザボエラならやりかねないのは間違いない。
その上、全体の魔法力が高まりつつあるのを感じる。

「ダイ、マズい!逃げろ―――っ!!」

大声を出す事さえ苦しかったが、そんな事に構ってはいられなかった。

「ダイ、逃げろ!早く!!」

だがポップの声は、無情にも風に流されダイにまで届かない。ポップ程魔法や、魔力の流れに敏感でなくとも、これ程のものを感じ取れない筈がないのに。これ程の威力の魔法を受ければ、幾らダイでも無事では済まないと解らない筈がないのに、彼はその場から動こうとしない。

“ダイ…!”

ザボエラとダイ、そしてポップ達がいる場所はほぼ一直線上にある。ダイが動かないのは、何もポップの声が聞こえてないだけではないし、危険を察知出来ていない訳でもない。

「ダイ、避けろ!!こっちはこっちで何とかする!だから…っ」

ここで不自然にポップの言葉が途切れた。そのままゆっくりと華奢な体が後ろへ倒れ込む。

「お、おい…っ」

今まで気力で保たせていたものが、ついに限界を迎えたのだ。増え続ける敵の数と、ポップの剣幕に押されてオタついていただけのチウが、慌てて支える。

“え…?”

同じ“少女”というカテゴリーに入るのに、武闘家として鍛え上げているマァムとは余りにも違う、過ぎる程に細い体とその軽さにチウは目を丸くした。しかもその体には、まだ温かさが戻っていない。

「魔女っ娘。おい、しっかりしろ」

「大…丈夫、だ…」

何処が大丈夫なのかと怒鳴りつけたい気分になるが、基本的にはフェミニストなチウはそれを押しとどめた。幾らソリの合わない相手だろうと、こんな、今にも気絶しそうな「女の子」を怒鳴るなんて「男」のする事ではない。
その時、耳障りな嗄れ声がその場に響いた。

「キーッヒッヒッヒ。その小娘、もう死にかけとるではないか」

既にサタンパピーの数は、一掃など不可能なまでに増えている。

「ザボエラぁっ!」

事実と挑発の入り混じった言葉に、ダイはアバン・ストラッシュの構えに入った。ザボエラが何を企んでいるかは解らないが、これ程高まった魔法力をポップに向けて撃たせる訳にはいかない。

だがやはり、何時もの威力はない。
更にポップ程トベルーラを自在に操れないダイは、空中では踏ん張りが利かずに、それだけで威力が落ちてしまう。
結果、サタンパピーの数を僅かに減らしただけとなった。尤も、最初の数のままならそれで十分だったのだが…。

「無駄じゃ、無駄じゃ。その程度ではワシには届かんぞ」

ザボエラの嘲笑を受けて、ダイは方向転換した。普段ならサタンパピーなど敵ではないが、今はマズい。無理に倒そうとするより、ポップとチウを連れてこの場から離れる方が、まだ安全だ。

“間に合え…!”

飛んでくる魔法より早く移動は出来ない。

「無駄だと言うとるじゃろう。その小娘にはロモスやテランで煮え湯を飲まされたからのう。その礼にワシの最大の必殺技であの世に送ってやろう

「……そういうのを…逆恨みって…言うんだよ…」

「ヒッヒッヒ。まだそんな憎まれ口を叩けるとは、呆れた小娘じゃ」

「言葉だって…時には武器に、なる…」

実際、ポップの言葉はただの時間稼ぎだ。ダイの動きを見ての事で、自分達の所に戻ってくるまでの僅かな時間、ザボエラに魔法を使わせないでいられればそれで良かった。

「ポップ!」

「ナイス判断だ。ダイ…まだ、竜闘気…使える、か?」

「う、うん、少しなら」

その言葉を聞いて、ポップはダイの体に腕を回した。

「ポ、ポップ!?」

いきなりの事に、こんな時だと言うのにダイはドギマギしてしまう。だがポップはそんなダイの様子には一切構わず、右手に魔法力を集中させ始めた。

「ポップ、魔法…」

「休んでたって訳じゃ、ない…けどな」

かろうじてヒャダルコ一発分の魔法力がある。竜闘気と上手く融合させられれば、微弱だがフバーハに近い効果が得られる筈だ。ザボエラの魔法力が火炎系だと判断しての苦肉の策だった。
少しでも効果を上げる為、ポップは意識を集中させる。

「何をしても無駄じゃ。ワシのマホプラウスを敗れるものか」

地獄の業火もかくやと言う炎が、ポップ達へ向けて放たれた。

                                          《続く》

 

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