『四界の楔 ー北の勇者編 3ー』 彼方様作 |
森の中、川の水で腕を冷やしていたポップは、滝の方にマァムの姿を見つけた。 “キレイ、だよなぁ…” 以前、アバンに聞いた事がある。 卓越した武闘家の無駄のない動きは、洗練された舞に通じるものがある、と。きっと、あれがそうなのだろう。 ポップも護身術程度の基礎的な動きは学んだが、自分の身体能力ではどれ程努力してもあの域には行けないだろう。 そうやってじっと見ていると、マァムの方もポップに気付く。 「どうしたの?」 「んー?ちょっと見惚れてた」 「ええ?」 「先生が言ってた事って、本当だったんだなぁって」 武闘家の動きの話をすると、マァムは照れ臭そうに微笑った。 「私はまだ、そんな達人じゃ…って、ポップ!」 「な、何だよ?」 いきなり大声で名前を呼ばれて、ポップは首を竦めた。何か怒られるような事をした覚えはないのだが。 「その腕!どうしたの!?」 「あ、これ。俺も新しい呪文の特訓中でさ。魔法力の調整に失敗すると、こうなっちゃうんだ」 「……ちょっと見せて」 焦げているポップの腕を取る。 自分で決めた、自分の長所を生かす為に選んだ武闘家と言う職業だが、そのせいでしっかりと筋肉がついて「女の子」としては少しばかり残念な体付きになってしまった(他の人間が聞いたら、呆れて否定するに違いない)自分と違い、細っそりとしたしなやかな手は正に「少女」のものだ。 そっと手袋を取り、服の袖もめくる。 「表面だけみたいね」 「そこまでヘマしないよ。皆の力になる為の特訓で大火傷して戦えなくなるとか、アホだろ」 「それだけ凄い呪文なのね」 「ああ」 「でもね」 ポゥ…とマァムの手から光が溢れる。ベホイミだ。 「大袈裟だって」 「何言ってるのよ。折角綺麗な手なのに、痕が残ったらどうするの」 “―――マァムが言うかなぁ” 基本的には「後衛」の魔法使いより「前衛」の武闘家の方が怪我を負いやすいのだが、マァムの中でのポップは「放っとけば何処まで無茶をするのか解らない」少女だ。 だから釘を刺す意味も込めて、ホイミでも済む所をベホイミを使ったのだ。 「って言うか、何でマトリフおじさんは放っとくのよ」 「いや、練習ごとにやってられるかってとこだろ」 「信じられない!すぐにセクハラなんかするくせに、何でこんなに無頓着な訳?」 「……あの人、俺にセクハラした事ないけど」 何故か憤慨するマァムに、ポップがそう言えば、と呟く。もしかしたら女だと思われてないんじゃないかな、と。 「そんな訳ないでしょ。大体、おじさんにとってホイミの10回や20回位何でもない筈なのに、どうして弟子の治療の手間を惜しむのよ」 ―――あの人、俺にそう言う気遣いをした事もありません。とは、ちょっと口に出来なかった。そして実は過去の禁呪の影響で、ホイミと言えども回数を重ねるのは結構体に障る。とは、もっと言えなかった。 「つか、お前の中で師匠ってどんな人なんだよ」 「厳しいけど、実は優しくて、いざって時には頼りになって」 マトリフとの付き合いは、ポップよりマァムの方がずっと長い。 「でも、女性には見境ない人ね」 ―――身も蓋もない。上げて落とすとはこういう事か。 そんな事を話している間に、ポップの手は元の白さを取り戻していた。 「はい、いいわよ」 「ん、サンキュ」 ポップがユルリと微笑うと、マァムもまたニコリと微笑う。戦闘の為の特訓の合間とは思えない程、ほのぼのしい光景だった。 それは有り得ない筈の景色。 崖から地面にかけて、あった筈の物が丸く抉られて消滅していた。 マトリフが瞠目する。ポップの才能を認めてはいても、まさかこの短期間でここまで完璧にマスターしてくるとは思っていなかった。 「これで、どうだ?」 「―――大した奴だ」 感嘆と共に呟く。それを聞いて、ポップは喜ぶよりも先に表情を改めた。そしてそのままスッと頭を下げる。 「どうした?」 「ありがとう、ございます。―――俺は…後継者にもなれないのに、ここまで教えてくれて」 「ケッ。何もてめぇの為だけじゃねぇよ。それに礼を言うんだったら、乳や尻位、揉ませやがれ」 “―――うっわー…台無し” これがマトリフ流だと解ってはいるが、自分に対する初めてのセクハラが今、この瞬間と言うのに軽い眩暈を覚える。けれど、それはそれでまぁ良いかなどと思ってしまう自分は、やっぱり普通の女性とは感性が違うのかも知れない。 「別にいいけど」 「あん?」 「俺は…師匠に何も返せないから」 「―――別に見返りなんざ求めてねぇよ。つーか、冗談を真に受けるな。それから舌の根も乾かぬ内にって事になるが、てめぇはもうちっと自分を大切にしろ」 「……はぁ」 次々に言われて、ポップは思わず間の抜けた返事をしてしまった。 その、余りにも無自覚な様にマトリフは小さく溜息を吐いた。 「ポップ。自分が女だって自覚はあるんだろうな」 「そりゃ、まぁ。一応は」 「一応かよ。アバンに惚れてたくせに。いや、今でも、か?」 「な、何、なん…っ」 何時もはあれだけ口達者なくせに、絶句した上に一気に真っ赤になったポップに、マトリフは肩を竦めた。 ―――バレてないとでも思ってたのか、こいつは 本当は言うつもりなどなかった事だが、これだけ「女として」ポヤポヤとしていたら、戦闘とは全く別の危機感を覚えてしまう。 「周りから見れば、確実に女なんだ。ちったぁその辺の警戒心を持っとけ。アバンみてぇな男の方が少ないんだからな」 とくとくと言って聞かせるマトリフに、ポップは「んー?」と曖昧に頷くだけだ。どうやら自分が「女である自覚」はあっても、「女として見られる」経験が殆どなかったせいか感覚的に理解出来ないらしい。 “こりゃアカンわ” これもまた「経験」のなさの問題な為、幾ら言って聞かせた所ですぐにどうこうなるものでもないだろう。 「あー、とにかく一人っきりになるのは避けろ」 自分は何時からこんなに心配性になったのか。 そうは思うが、これ程危なっかしいとは予想外だった。 「出来りゃ、ダイかヒュンケルあたりにくっついとけ」 「まぁ、それは」 言われなくとも、自然とそう行動する事になるだろう。そう言いたげなポップだが、マトリフとしてはどうにも楽観できない。 確かにポップは魔法使いとしては、既に一流と言っていい実力を備えている。だが力尽くで来られた場合、人間相手に魔法を撃てるかと言うと無理だと断言出来る。 “何せ自分を守るって意識が薄い奴だからな” もし万が一が起こった場合、アバンに申し訳が立たない。と言う思いもある。 「けど、何でいきなりそんな事言うんだよ」 「王女様に今の事を言ってみろ。そりゃもう、懇切丁寧に説明してくれるだろうぜ」 自分だけではない、と言い切ったマトリフにポップは瞬きした。 「……とにかく、俺、行くから」 「おう。暴れてこい」 ルーラの光が見えなくなると、マトリフは洞窟へと戻った。 ダイとヒュンケルは、ジャンクとスティーヌに挨拶していた。 「お世話になりました」 「気にすんな。人生、持ちつ持たれつだ」 「ええ。ポップや皆さんの話も聞けて、楽しかったわ」 にこやかに言う大人二人に、ダイとヒュンケルはもう一度頭を下げた。 戦闘の特訓の為の滞在だったが、「家庭」と言うものを知らない二人にとってはひどく暖かい時間でもあった。 「こんな個人的な事をお願いするのも気が引けるけど、ポップのこと、お願いね」 「はい」 「任せて下さい」 静かに頷くヒュンケルと、元気に答えるダイ。 対称的な二人の様子にスティーヌは少し切なげに、けれどとても柔らかく微笑んだ。それは時折ポップが見せる、穏やかな笑みと驚く程よく似ていた。 少しばかり名残惜しいながらも、もう一度礼をして二人が踵を返すと、やや離れた場所にあの四人が伺うようにこちらを見ていた。 「あ」 「……」 ダイとヒュンケルも反応の仕様がないのか、思わず足を止めただけでその後が続かない。 「おい、またどうしたんだ」 ジャンクに話しかけられて、四人がこちらへとやってきた。 そうして、先日最も攻撃的だった年長の少女が、硬い表情のまま3つの布袋を差し出した。口を結んである紐の色がそれぞれ違っている。 「これは…?」 真っ直ぐに自分に向かって差し出されたそれらに、ヒュンケルが困惑気味に尋ねる。 「緑のが薬草で、青いのが毒消し草、黄色に満月草が入ってるわ」 「これがぼく達に出来る、精一杯の協力だから」 今更出て行った所で、戦闘は勿論、役に立てる事など何もない。ポップに会いたい気持ちは当然あるけれど、それだって『心配』を伝える位が精々だろう。 「ポップは子どもの頃からホント頭良くてさ、だからあいつが村を出てったのも見聞を広げる為だって思ってたんだ」 ついて行った人も学者っぽかったし。 一応剣は持っていたけれど、旅の護身用程度だと判断していた。 「だから魔王軍と戦ってるって聞いて、凄く驚いたの」 けれどそれがポップの意志だと言うのなら、自分達に止める手立てはない。そうして全員で考えた末に出した結論が、薬草類を渡す事だった。少なくとも、これなら邪魔にも無駄にもならない筈だ、と。 「そうか」 だが、とヒュンケルは思う。 僅かな時間しかいなかったが、この森の中には薬草類の材料となるような植物は余りなかったように思うのだ。 ヒュンケルもまた、アバンに長く師事した人間だ。 反発心や敵対心が殆どだったとはいえ、その教えはヒュンケルの中に根付いている。 だからこその疑問だった。 そんなヒュンケルの疑問を察した訳でもないだろうが、太目の少年が説明を始める。 「それ、全部ポップのレシピなんだ」 「え?」 「手間はかかるけどさ、薬効の薄い草でも組み合わせの配合とか、煎じたり干したりの加工の仕方次第で、それなりの物に出来るって」 「面倒ではあるけど、街に買いに行くよりは楽だし、常備出来るし」 引き継いだのは、年長の少女。 「ポップのおかげで、怪我への備えは昔よりずっと万全になったって」 ――――これはつまり、ポップ自慢か。 そして二人が知らないポップを知っているのだと言う自負。 「しかし…何故オレに?」 ジャンクから、ダイの方が「勇者」だと聞いている筈だ。普通なら「勇者」に渡すのが筋ではないだろうか。なのに、何故。 「年長者だから」 簡単に言われて拍子抜けする。 確かにただの道具の扱いなら、職業など関係なく、子どものダイより大人のヒュンケルに渡してもおかしくはない。 「…それと、ポップのことよろしく」 物凄く不本意そうに言われて、今度は面食らう。 「何故、オレに」 思わず同じ問いを繰り返してしまうが、それに返された答えも今度は意外なものだった。 「ポップのプライド的に」 これに、今まで黙っていたダイが瞠目する。 「『勇者』って言う位だから、この子も強いんだっていうのは解るわ。でも、『年下に守られる』事自体が、根本的にダメな所があるから」 ダイもヒュンケルも、明らかにポップとは年齢差がある。 だから二人の実力は正確には解らなくても、年上であるヒュンケルに頼むのだ。 “…そんなの、って” ポップのことをよく知っているのだろう、少女の言葉はダイの心臓にグッサリと突き刺さった。 年齢差なんて、埋めようがないのに。 「それじゃ」 「君達の名前は」 その場を辞そうとした四人に、ヒュンケルが尋ねる。 「ポップに聞いて」 ――――解る筈だから。 何処か哀しげに、寂しげに言われて、ヒュンケルは口を噤み、そのまま、四人の背を見送った。 名乗りもしない事がどれ程礼を欠いているか位、四人にも解っている。 これはささやかな意地、いや、負け惜しみの方が正しいかも知れない。 ポップは自分達より、彼らと共に在る事を選んだ のだ、と。 彼女はもう、ここへ「帰って」は来ないのだ、と。 ジャンクの話で、何となく解ってしまった。 だから。 いや、本当はポップが村を出て行った時から、薄々感じてはいた。 彼女はこんな小さな村で、一生を終える器ではない。 自分達とは違う「何か」を見据えている人間なのだ、と。 それでもそんな事は認めたくなくて、けれどそれが彼らによって証明されてしまって―――子供染みていると解っていても、彼らに対して普通に接する事が出来なかった。 パプニカからの旅立ちの日。 目指すはカール王国。 そこに世界中の強者が集結し、死の大地を目指す事になっている。 ヒュンケルは仲間達の中にポップの姿を見付けると、四人に託された布袋を渡した。 「これ…?」 「お前の友人達からだ」 経緯を説明すると、ポップはその時の四人と同じ、哀しいような寂しいような顔をして、けれど小さく微笑った。 「そっか。リルト達が」 「解るのか」 「そりゃ解るだろ」 あんな小さな、人数が限られている村で、解らない方がおかしい。 「それで、何でダイは落ち込んでるんだ?」 やはり意識はそちらの方へ行くらしい。尤も何時もすぐにポップの元へやってくるダイが、今日は声をかけさえしていないのだから、これも「解らない方がおかしい」だろう。 「ああ…」 ヒュンケルが非常に言いにくそうに、先程省略した事を話す。 「……うわ…」 それを聞くと、ポップはヒュンケルの肩を軽く叩いて、ダイの方へ向かった。ヒュンケルも引き止める事はしない。 ポップは普段より殊更明るく、ダイへ話しかける。 その間、ヒュンケルの視線はポップから離れない。 そんな三人の様子を、周りにいるレオナやクロコダインと言った仲間達が見るとはなしにずっと見ていた。 《続く》
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