Chapter.2 インフェルノ・タウンにようこそ |
「エタナアルデリラアム、我に道を示さん!」 ぼくの呪文に応じて、ロッドの先がわずかに光った。 驚いたことに本は勝手に宙に浮き上がり、見えない誰かにページを繰られているみたいにパラパラと開き出した。 「そのページを見てごらんよ」 「そのぐらい、言われなくって分かるよっ」 開いたページを除き込むと、そこだけは読むことができる。他のページは相変わらず意味不明なのに、どの国の言葉とも分からないままなのに読めるなんて不思議だけど、この際些細な、問題を気にしちゃいられない! ぼくは書かれている文字を一つも見落とさないように、よーく頭にたたき込んだ。 ベルフェガーの炎 しかるのち 聖魔主のロッドをかかげ 呪文を唱えるべし 言葉の他に、地下室にあったのと同じ魔法陣の図形も描かれている。 「なーんだ、簡単、簡単」 ことさら明るく言って、ぼくは本を閉じた。 「で、この魔法アイテムはどこに売ってるんだい?」 ミュアがひげをこするのをやめて、呆れたようにぼくを見る。 「しっかりしろよ、そんなもの売ってるわけないじゃないか。ベルフェガーもベルゼブルも、みんな有名で邪悪な魔物なんだぜ。触覚をください、はいどうぞ、てな具合にいくと思ってんの?」 「冗談だよ。猫には冗談が通じないんだな」 まあ、半分ぐらいは本気で言ったんだけど。 「そんなことばっか言うなら、もう教えてやらないぞ。ぼくは、魔界商人の店を知ってるのに。何か役に立つものもあると思うけどなあ」 ……ホント、可愛げのない猫だ。 「あっちだよ」 ぼく達は――つっても、歩いてるのはぼく一人だけど――街の路地裏へと入っていった。迷子になりそうな込み入った道の奥に、三軒の店があった。 やっぱり初級の店は構えからして安っぽく、級が上がるにつれ立派になっている。 「……字が読めなかったのかね?」 さらに、ミュアが皮肉たっぷりに追い討ちをかける。 「これも冗談なんだろう?」 ふん、そうさっ。
うるさいぞ、ミュア! 「ようこそ? 当店では初級マジシャンに書かせない必携アイテムを取りそろえていましてよ。いかがかしら?」 その美貌には、思わずポーッと見惚れてしまう。 「あなた、新顔ね。珍しいわ、ここ数十年も新入りはいなかったんだもの」 そりゃあ、そうだろう。 「うんとサービスしちゃうわ? この孔雀の羽なんかどう? 恋愛成就によく効くのよ」 「……いや、もっと実戦的っていうか、役に立つものがいいんだけど」 なんせ、お金はなけなしの450Ψ(ゼニー)……いや、ミュアを買い戻すのに50かかったから、400Ψしかないんだ。慎重に、役に立つものだけを選ばなきゃ。 《はしばみの枝……悪魔退散・小鬼封じに効あり 50Ψ》 ほかにもいろいろとあるけど、役に立ちそうなのはこの3つぐらいだ。この先なにが起こるか分からない以上どれも欲しいけど、全部買うとお金がほとんど無くなってしまうなあ。 「いってえ〜、何すんだよ、ミュアっ」 「インディ、あれを見てよっ! ボクの首輪だ」 《青玉石………護身に効あり 700Ψ》 げっ、高い! 「あの男が売ったんだ。ねえ、インディ、これ買い戻してよ。先生から貰った、大切な首輪なんだ」 「高すぎるよ、ぜんぜん買えないって」 「でも、これ、ボクのだよ!」 耳元で騒ぐミュアがあんまりうるさいから、ぼくは無駄と思いつつ一応お姉さんに事情を話して交渉してみた。 「まあ……それはお気の毒な話ねえ」 おっ、脈があるかな? 「でも、これは正当な取引の元、あたくしの物となったのよ。悪いけれどこっちも商売ですものねえ、ただで返すわけにはいかなくてよ」 ……あきらめるしかなさそうだ。 これで曲がりなりにも支度はできた。……あんまり頼りになりそうもないけど、ないよりはましだろう。 「で、ぼくはこれからどーすればいいんだい、ミュア先生?」 いいかげん、ミュアの偉そうな態度が気に障っていたから、嫌味のつもりでそういってやった。でも、ミュアが真剣な目で見返したので、少しバツが悪くなり、しばらく黙って歩いた。 ――考えてみれば、ミュアだって何もかも知っているわけじゃないだろう。 さっきまでと違って、ミュアは自分の足で歩いていく。どうも、当てがあって歩いていると言うより、何か宛てを探して歩いているみたいだけど、まあいいや。 「魔界地図だ。もっと、近寄って」 ぼくが地図の前に立つと、ミュアは身軽にぼくの肩に飛び乗った。 魔法で造られた世界らしく、普通の地形と違って幾何学的にきっちりと分類されている。 「分かったよ、インディ。さっき魔術書にあっただろ、ベルフェガーとかベルゼブルとか……そいつはここにいるんだ。ほら、ちょうど6つあるじゃないか。ここに行って触覚だとか鎌だとかを取ってくるんだよ」 「……けど、それって魔物を倒して、だろ」 自満じゃないけど、魔法なんか一度も習ったことのないぼくが、魔物を倒せるわけないや。 そんな前向きなのか後ろ向きなのか分からない思考に陥ったぼくに、ミュアが厳しい口調で言った。 「いいかい、インディ。キミにだって少しは力があるんだ。試してみたいとは思わないの? それとも、悪戯しかできないのかい? そういうのを、いくじなしっていうんだ」 「誰がいくじなしだって?」 反射的に怒鳴り返し、ぼくはミュアを振り落とした。けど、猫であるミュアはちっともこたえやしない。 「冗談じゃないぞ。もちろん、やるさ。なんだってやってやるとも!」 売り言葉に買い言葉。 「分かっているじゃないか、インディ。じゃあ行こうよ」 ……ミュアにうまく乗せられてしまった気が、なんだかすごくするけど、男がいったん口に出した宣言をひっこめるわけにもいかない。 「寒くないのかなあ」 「別に寒くはないよ、魔界では気温や水温は一定しているからね」 ぼくの何気ない質問にも、物知りなミュアは答えてくれる。これで、妙に説教口調でさえなきゃありがたいんだけど。 「この川は再生の川っていうんだ。魔界の住人はここで水浴びすれば、どんなに死にかけていても復活できるんだ。魂を取られちゃってるかわりにね」 「へー、魂……そう言えば忘れてたけど、ぼくも魂を売っちゃったんだっけ。それなら、ぼくもここで復活出来る?」 何気なく聞いただけなのに、ミュアは文字通り飛び上がって驚いた。 「なんだって?! それは……問題になるかもしれないぞ」 そんなのミュア以上にぼくだってそう思うけど、でも、ミュアが驚いたところなんて初めて見たぞ。 なんか、得した気分♪ 「しかたがなかったんだよ、なんだか分からない内にサインさせられちゃってさ。まあ、過ぎた話は忘れて、前向きに考えようよ」 「……キミって奴は、どーしてそう物事を深く考えようとしないんだか? ホント、呆れちゃうよ」 ミュアはしきりと前足をなめつつ、何度も首をかしげた。
「だろっ?」 「でも、もっと慎重に考えなきゃだめだよ! 魂を預けたってことは、キミが死んだら、もうお終いなんだ! 即座に魔界が完全復活してしまうんだぞ!!」 「な、なんで?!」 「ボクの話、ちゃんと聞いていたの? 言っただろう、先生はギリギリの弱い封印しか施さなかったって。悪魔がこの封印を打ち破るのには、新しい人間の魂が一つあればそれで事足りる。まあ、いくら契約をしたとしても、悪魔が自由に出来るのは死後の魂……」 し、死後って嫌な言い方だ。 「キミは、戦わなければならない。でも、戦いの中で決して死んではいけない。 全部を聞き、それを自分の頭の中でもう一度確認してから、頷いた。 そして、一歩間違えれば、世界の危機に繋がる大惨事を招きかねないことだって。 後悔していたって事態が良くなるわけじゃなし、自分の失敗は自分でなんとかしなきゃ。 魔風の谷、滅びの大地、永遠の淵、妖水の沼、暗闇の森……どこにどんな魔物がいるのか、まずは手探りで行ってみるしかない。 「行こう、ミュア」 姿勢を正して歩きだそうとしたぼくに、ミュアは話しかけてきた。 「ねえ、インディ。アザゼル先生は5つの精霊の力を操る技を身につけているんだ」 なぜか、ミュアが返事の代わりにそんな話を言い出す。 「知ってるよ、そんなの。なんでいきなり、そんな当たり前のこと言うわけ?」 ぼくの疑問をまるで無視して、ミュアは一方的に話し続ける。 「キミはまだまだ魔力が足りないけど、魔力の働きやすい魔界にいるし、先生のロッドを持っている。もしかしたら、うまくいくかもしれないね。いいかい、精霊の力を求める方法は……」 おっと、その先は言わせないぞ。いつもいつも先輩面されてばかりじゃたまらないや。 「エタナアルデリラアム、精霊の力を求める術を示さん!」 誰の手も触れていないのに、パラパラと自動的にページがめくれた。 第四章 良き精霊は次の5つなり 精霊の力を求めるには 次のごとく行うべし しかるのち自らの名に置いて その加護を願うべし しかし 力及ばざるもの呼びかけることなかれ ふむふむ、けっこう簡単なんだな。 「早く試してみたいな」 「みゃっ! どーだか。なんたって、キミは初級だからなあ」 冷やかしながらも、ミュアは先生に対してそうするように、ぼくの肩に飛びのってきた。子猫というには大きすぎるけど、大人の猫と言うほども大きくないミュアの体は、肩に乗せるにはちょうどいいぐらいの重さだ。 「これから上級になるんだよ! さ、行くぜ」 ぼくは街を出て、魔の領域に向けて足を踏み出した。この先に待ち受けているであろう戦いに大きな不安と、ちょっぴり、ほんの少しばかりの期待を抱いて――。
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