Chapter.7 ベルフェガーの豪火 |
「やあ。お待ちしていましたよ」 再生の川には、すでにあの男が待ち構えていた。ベルフェガーの炎を取ってきてくれと言って、ランプをくれた人だ。 「言っておくけど、まだベルフェガーの所には行ってないよ」 誤解させるのも気の毒なので真っ先にそういうと、男は少し唇をゆがめて笑った。 「いいですよ、いつでもお好きな時に行きなさい。それはそうと……暗闇の森での収穫は、ありましたか」 問われて、ぼくは百面樹の根を見せた。 「ほう、それだけ?」 それだけって……。人が死ぬほど苦労してきたものを、んな一言ですますなっ。バカにされたままでは悔しいので、ぼくはとっておきの黒い炎も取り出して見せてやった。 「ふうん……」 男の目が、かすかに光る。 「これは邪悪の炎ですよ。どうです? わたしに預ける気はありませんか? 高く買わせていただきますよ」 高く、と言われると、心が揺れるなあ。だけどミュアは毛を逆立てて、しきりにぼくの足首を噛んでいる。どうやら、ミュアは売るのには反対らしい。しかし、そんな猫の真似なんかしてないで口で言えばいいのに…。 「どういたしますか? もちろん、即金で払わせてもらいますよ」 男が手品のように、どこからかお金のたっぷり入った袋を取り出した。 「悪いけど、断るよ」 だいたい、なんか話がおかしいんだ。邪悪の炎って言っても、どこにそんな証拠があるんだ? それに、こいつは最初、ベルフェガーの炎が欲しいって言ったくせに……。 「ほう……」 男の目が、一瞬、不機嫌そうに歪んだ。 「ま、いいですよ、お好きなように。それでは、わたしはこれで…」 そう言い残して、さっさと言ってしまう。……ホント、分からない人だ。 「なんか、気にいらないよ、あいつ。側にいると毛が逆立つんだ」 同感! 「もう、あんな奴のことなんか、気にするなよ。それより一休みしたら、魔界商人の店に買い物に行こう」 もう、だいぶレベルアップしたから、もう上級マジシャン専門店にも堂々と入れる。ふっふっふ、一回入ってみたかったんだ? 「おー、あなた、よくきたネ。あなた、わたしのお友達! 品物、やすくするヨ」 最初に入った時はぼくを鼻にもひっかけなかった若い店員は、今は揉み手せんばかりだ。 「なにをおっしゃる、あなた、上級ネ! 上級者たる者、アイテムに頼る、よろしくないネ。やっぱり、自分の腕で勝負ヨ!」 そーゆーもんかなあ?
うむむ……、とてもじゃないけどこんなの買えっこないっ。が、武器は欲しいし……。 「おォー、お客さん、その弓矢が欲しいかネ? お目が高いネ、安くするヨ、買うかい?」
藁にもすがる思いで聞いてみると、店員は大きくうなずいた。 「もちろん、あなた、友達ネ! 思いきって、1455Ψでどう?」 ……どこが思いきってるんだ? 「もう少し、安くならない?」 「おー、あなた商売上手ネ、わたし、まいってしまうネ! でも、わたし友達に親切ネ、1300Ψにするヨ!」 「――もう一声!」 「あなた、わたしに首吊れ、いうノ? ……でも、あなた友達! 1200Ψでもってけ!」 持っていきたいのは山々だけど、そんなにお金はないんだよなー。 「悪いけど、もう少し……もっと、安くならない?」 「インディ、いいかげんにしたら?」 今まで黙っていたミュアが、ひょいと口を出す。そりゃ、ぼくも望み薄だと思っているけどね。 「オーケイ、友達! こーなったら、腹を割って交渉するネ! ズバリ、いくら持ってるノ?」 「………150Ψ」 「150?」 あ、あきれた目をしてる。 「そんなに、この弓矢が欲しいのかい?」 苦笑交じりで店員は笑う。 「うーん……どうしてもそれっていうより、なにか武器が欲しいんだ」 なんせ魔法はなんとか格好がついてきたとはいえ、魔物と戦うにはやっぱり肉体労働も必要だもんね。武器があるにこしたことはない。 「なら、この弓矢とはいかないけど、こっちの弓矢を譲ってやるよ。これなら、150でいい」 そう言って取り出したのは、粗末な木製の弓矢だった。だが、何重にも塗料を重ね塗られているのか、なめらかなツヤがある。 「これには、ドラゴンスレイヤーのように魔力はこもっていない。だが、魔力を込めやすく、そして攻撃や外からの魔法には強く反発するように細工してあるのさ。あんたの魔力次第では、ドラゴンスレイヤー並の威力を発揮するよ」 いいながら、三本の矢とその弓をぼくの目の前に並べてくれる。もちろん、ぼくの返事は決まっていた。 「ありがとう! ……でも、これって、本当はもっと高いんじゃないの?」 「なーに、まけとくよ。だって、あんたはオレの友達だから」 そうウインクする店員は、よく見るとぼくよりほんの2、3歳上ほどの年齢だった。
炎熱の砂漠 とはよく言ったもんだ。 「あちっ……熱いよ、インディ…っ! こんなの、歩けやしない!」 ミュアが飛び上がり、ぼくの背中にしがみついた。 「それにしても、ひどい所だなあ……」 何もない砂漠だけど、行く手にはたった一つ、要塞みたいな岩山がそびえている。ほかに当てはないから、とりあえずそこに向かっているけど、ちっとも近づいた気がしないぞ。 ……にしては音がしない。紙吹雪のような細かいものが、漂うように降ってくる。 「うわっ、あちっ、あちいっ」 慌てて払いのけるけど、後から後へと降ってくるっ。地面に落ちると燃え尽きるのに、体にくっつくとなかなか消えない。 「これじゃあ、バーベキューになっちゃうよっ」 「分かってるなら、なんとかしろよ、インディっ! あちっ」 「あちっ、分かってるさ、だけどっ、いてっ」 ぼくはロッドをかかげたまま、じたばたと火の粉を降り払い、スキを見てようやく精霊に呼びかける呪文を口にした。 「カトゥラタンブーラ、善き火の精霊サラマンデルよ、……あちいっ、……聞け。 とぎれとぎれの呪文で心配だったけど、ロッドは輝いた。 これが、火の精霊の加護なんだ。 熱い、焼け焦げた岩肌がぼくを迎える。火の粉が吹き出す場所を目指して、ほとんどよじ登りながら進む。……しかし、まるで大鍋で炒られているみたいなこの熱さ、どーにかならないのか。 暑さも寒さも嫌いなミュアなんか、少しでも楽をしようと、ぼくの背中のマントの影に隠れているもんね。 「う……っ」 大きな岩をやっとのことで乗り越えた途端、強烈な熱気が襲ってきた。輝くオレンジ色が、目の前一杯に広がっている。 炎が渦巻き、波打っている。時々、長い炎が吹き出して、いろんな形のアーチを作る。なにか生き物みたいな形に燃え立つこともある。 口の中がからからになっているのは、多分、熱気のせいだけじゃない。 いくつもの小さな炎が、弾けるように舞い上がる。続いて大きな、太い炎の柱が立上ぼる。 それはいったん高く舞い上り、空中で一つの大きな炎の渦にまとまった。 血の気が引いていくのを感じながら、ぼくは魔術書を探り、読み解く呪文を唱えた。 「エタナアルデリラアム、 ――それは、炎をまとったドラゴンだったのだ。
第二十一章 ベルフェガー 炎を喰らい炎を呼吸す その炎汚されたり しかる後 ロッドにて封じの印を結び 呪文を唱えよ
額を穿てって――ぼくは三本の矢しかない弓矢を見た。 ベルフェガーの体から無数の火の粉がまき散らされるのを、ぼくは歯ぎしりしながら見上げた。 もらった時は三本でも多いと思った……でも、こんな時にはなんの頼りにもならない気がしてしまう。 とてもだめだ――そんな弱気が頭をもたげるのを無理やり押さえつけ、ぼくは弓をしっかり握った。 「待ちなよ、インディ! 火の精霊の守護を頼まなきゃ、本にはそう書いてある!」 熱心に本を覗き込んでいたミュアが、マントから飛び出てきた。 「カトゥラタンブーラ、善き火の精霊サラマンデルよ、聞け。 呪文は弓矢に輝きをもたらした。 「火の精霊の力が宿ったんだ」 ミュア声に力づけられて、ぼくはもう一度弓を絞った。 矢は一直線に飛んでいった。 「あーっ、おしい!」 ベルフェガーの角をかすめた。もう少しだったけど、外れたことにはかわりがない。2本目の矢をかまえる……今だ! 矢はその背中に当たる。だが、燃える鱗が一瞬のうちに、矢を一握りの蒸気に変えてしまった。 ぼくは焦りを押さえ、十分に狙いを絞ろうとした。 が、それまでぼくに無関心だったベルフェガーが、突然ぼくに向かってその巨体をくねらせて襲ってきた! 「うわああっ?!」 目の前に迫ってくる炎の塊が、ぼくのいた岩の上をかすめる。ぼくがそれを避けられたのは、偶然だった。ホントに偶然に、足を滑らせたのが幸いして、岩の隙間にはまりこんだおかげだった。 ベルフェガーの炎の翼にあおられずにすんだのは、多分、幸運だったんだ。 きっと、奴は知っているんだ ぼくがもう最後の弓矢を失ってしまったことを。炎にあおられた時、弓矢はぼくの手を離れてあさっての方向へ飛んでいっちゃったんだ…。 「インディ、諦めるんだったら、さっさとあの炎の湖に飛び込んじまいな!」 ミュアの毛は、斑に焼け焦げていた。ちりちりになったひげを精一杯ぴくぴくさせながら、ミュアはブーメランを引きずってきて、ぼくの前に置いた。――いったい、いつの間にぼくのベルトから取ったんだろ……。 「もう一度、火の精霊の加護を……そして、こいつでやるんだよ!」 「ミュア、これはただの木のブーメランだぜ?」 首を振りながら、ぼくはそのブーメランを見た。 だって、これはぼくが作ったブーメランなんだから。模様だって、ぼくが適当に書いただけだ、意味のあるもんじゃない。 「魔力なんか、かけらもない……。とても火の魔法に耐えられないよ」 「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 木だろうとなんだろうと、キミはこれで魔物を退治してきたんだろ? ミュアが、どこまでも必死に言い募る。普段のミュアからは考えられないような、熱心さで。 「……確かに、悪くはないよな」 ぼくは、ブーメランを受け取り、呪文を唱え出した。これが呪文に耐え切れないなら――その時はその時だ。 いける! 小さな輝きがクルクルと回りながら飛んでいく。ベルフェガーが体をうねらせた。その一部を、確かにブーメランがえぐった。 シュルシュル…。 「頭だよ、頭を狙うんだってば!」 「分かってるさ! そいつが難しいんじゃないかっ」 再び投げようにも、ベルフェガーは炎の湖の中に潜り込んだ。炎の飛沫が上がり、輝く黄色やオレンジ色の波が渦巻く。 ベルフェガーは悠然と炎熱の湖で泳いだ後、再び炎の竜巻を巻き上げた。空中で炎が渦を巻き、しだいに形を変えていく。 「良き火の精霊、サラマンデルよ……」 ぼくの呼びかけに、手にしたブーメランの輝きが強まった。より多くの力の宿るように強く念じ、ぼくは渦巻く炎のドラゴンに向かってそれを投げつけた! 「わあああっっ!!」 頭上で炎が爆発した!! 雨のように火が降り注ぐ中、ぼくは頭をかばってその場にうずくまっていた。火の精霊の加護がまだ効いているのか、火傷一つしないけど炎の塊には思わず身が竦む。 無数の炎に分解したベルフェガーは、かけらとなって、好んでいた炎の湖に舞い降りていく。 闇雲に暴れまくり、次第にと小さくなっていく。 「……やっつけたのかな」 ぼくはおそるおそる岩影からはい出した。ミュアがいないけど、また安全なところに隠れてるんだろ。 「どうやら、やっつけたみたいだぜ、ミュア」 呼びかけたけど、返事はない。 バラバラになって、炎の湖の中へと戻ってしまったベルフェガーの炎……それを取りに行くため、ぼくは岩を伝って下り始めた。もう、あの熱さも薄らいで、そんなに苦労しないですむ。 水溜まりほどの大きさの湖は、暖炉みたいにおとなしく燃えていた。ぼくがランプを取り出した時、切羽詰まった叫びがぼくを呼んだ。 「インディ……め! ……」 「え? ミュア、なんて言ったんだよ」 岩の上からミュアが落ちそうなほど身を乗り出して、何か叫んでいるけど、風に消されているのか、その声はさっぱり聞こえない。 「ミュア、話なら後で聞くよ。まず、ベルフェガーの炎を取らなくちゃ」 そう言って、炎の湖のなれの果てに近づいた時、ミュアは何かを叫びながら急斜面を飛び下りた。そのまま、落ちるような勢いでこっちに突進してくる。 「ミュア……?!」 何が起こったのか、とっさには分からなかった。何かを叫んでいるミュアの声も、よくは聞こえない。 ミュアのどこに、あんな力があったんだろう。 そして、それから気がついた。……炎の湖が、こっそり触手を伸ばしていたことに。 「呪文だよ、呪文……封印の……!!」 ミュアは最後まで叫び続けた。――短い叫びだった。 炎の触手はミュアの体を包み込んだまま、獲物を捕らえた蛇の素早さで再び湖面へと戻ってしまったのだ。 「ど…どうして……」 ベルフェガーの本体を見た時よりも、強く体が震え、声がかすれる。 最初っから、憎まれ口を叩きながら、それでもぼくを助けてくれてたことを、ぼくは知っていた――知っていたのに! 百面樹の時も、諦めそうになったぼくを励ましたのは? 「…ミュア…! ……」 ぼくは……ぼくが、ミュアを――。 「ミュ…ミュア――――ッ!!」 自分の喉から出たとは思えないほどの絶叫に、誰も、何も答えなかった――。
……ちらちら、と炎が踊っている。 ぼくはぼんやりと炎の湖の残骸を見つめながら、ランプに閉じ込めた炎を抱きかかえて座り込んでいた。 「……ミュア…」 もう、ミュアの名を呼んでも涙は出ない。きっと、もう泣きつくしちゃったんだ。 その後、どんなふうに落ち着きを取り戻して、どうやって封印の呪文を唱えたのか……、まるで覚えていない。 だけど、ぼくは不注意にも不用意に降りてしまった。炎の湖の罠が待っているとも知らず。 「ミュア……ごめん……」 返す返すも悔しいのは、どうしても諦められないのは、最後の瞬間ミュアを払いのけてしまったことだった。 「本当に……ごめんよ…」 炎の湖は次第に力を失い、消えようとしている。……いつまでも、こうして座り込んでいるわけにはいかない。 それでも、そこから立ち去る決心をつけるまで、長い時間がかかった。 もしかして――もしかして、ミュアがそのあたりから飛び出してくるんじゃないかって、どうしてもそんな気持ちが捨てられなかったんだ。 でも、そんな奇跡があるはずなかった。
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