Chapter.2 知恵の実と小鬼 |
北の果てに、エクトロイの岩山がかすんでいる。ずんぐりした塔のような形だ。 「ヨギの魔法が、今も息づいているんだってさ。ぼく達の力が試されるってわけだ」 「そうみたいだね。インディ、さっそく最初の関門だよ」 僧院のある山を北側に降りていき、エクトロイへの第一歩を踏み出したばかりの所に、二つの井戸があった。 『エクトロイへ挑むもの、魔力の井戸より水を選べ』 「なにも、こんな所に書かなくても……」 たまたま猫のミュアがいたから気づいたけど、字が書かれているのは地面すれすれの石垣にだ。 「魔力の井戸ねえ?」 ためしに一方を除き込んでみる。――底無しか? 「今の魔力に、さらなる力を望むならば、この水を」 もう一方の井戸からは……。 「いつわりを見抜く力が欲しければ、この水を」 ――って、言われても、どっちがいいのやら、さっぱり分かんない。 「ミュア、どっちがいいと思う?」 「好きな方にすれば」 それが分かんないから、悩んでいるっつーのに! 「どれにしようかな、神様のい・う・と・お・り。よし、こっち!」 ぼくはいつわりを見抜く力の井戸から水を汲み上げ、飲み干した。 『いつわりにに出会った時、おまえの左手がそれを知ろう』
「……よく分かんないじゃんか〜」 ぼくの抗議も何のその、からからと滑車が鳴って、釣瓶はひとりでに井戸の底へ落ちていった。 「やめとけば、インディ。水を選べってことは、どっちか1つってことじゃないのかなぁ」
「知ーらないっと」 飲んた途端、ぼくはそれを吐き出したっ! 「う……ぶっ、まじいいっ」 水はざらっとしていて、すっっごおおく、まずかった! 井戸の底からの声もない。 「ほーら見ろ、この欲張り。おとぎ話の頃から、こーゆーので欲張るとひどい目にあうって、相場が決まってるんだよ」 勝ち誇ったように、ミュアがあれこれを言ってくれる。……ちえっ、分かっているけど、ぼくはこーゆー誘惑には弱いんだよっ!! 「変な木だな。葉っぱが一枚もないや。そのくせ、実はいっぱいなっている」 やけに枝の多い裸の木は、握り拳程の実が鈴なりだった。そのどれもが、かすかに震えている。 「ねえ、なにか聞こえるよ」 ミュアがピン、と耳を立てた。 「あっちこっちでしゃべっている」 ぼくにはなにも聞こえない――そう言いかけた時、強い風が木立ちを吹き抜けた。実がいっせいに揺れ動く。 「……賭けるかね、10対1で……」 「もちろん……こいつが失敗する方に……」 「……おれも!」 「わたしもよ」 「それじゃ、賭けにならない。誰かこいつの勝ちに賭ける奴はいないのか…」 ……かっ、考えたくないけど、ひょっとしてこいつらが噂してるのって、ぼくのこと?! 思わず立ち止まると、奇妙な実はなぜか沈黙した。 「あれ? 聞こえなくなった」 「ボクの耳にはかすかに聞こえるよ、なんかザワザワと……」 ぼくに比べれば、ミュアの方が遥かに耳がいい。確かに、実はかすかに震えているし。
これっくらいの距離なら、目をつぶってたって当てる自信はある。 「インディ、すぐにブーメランでカタをつけようとするの、悪い癖だよ。魔術師なんだから、もっと理知的に物事を運べないの?」 ふんっ、どーせぼくは原始的ですよーだっ! 「悪かったなっ。けど、ミュアだって、どうすればいいのかなんて、知らないんだろっ」 ぼくがそう言った時、さっと風が吹き抜けた。 「……だって、駆け出しじゃないの……この子……」 「……なんだって、また……」 そうか――風だ! 「そうだよ、インディ。やっと気づいた?」 得意そうにミュアが尻尾を立てる。……ホントに、元から気づいてたのかな?
ぼくは腰の後ろに差しておいたロッドを手にとった。 「カトゥラブーラ、善き精霊シルフェよ、聞け。 今のぼくは、初歩的な風の精霊の呼び出しなどおちゃのこさいだ。 「……だから、魔道士ギィがセミヤザを……」 「きっとこの子には無理だわ……ギィの思うつぼ……現に……」 「……いや、ヨギの碑文を正しく読めば、もしかすると……」 「2つあるのだよ、2つ……それを知るまい……」 「しかも、あの墓にはギィが……」 いくつもの実が揺れて、話し声が急に高まった。だが――。 「インディ、だめだよ。風が強すぎる、実が……っ!!」 風は呼べても、強さを自在にコントロールするのは難しい。 「ドンマイ、ドンマイ。なーに、普段からあれだけ失敗ばっかしてんだもん、今更それが一つ二つ増えたっておんなじだろ?」 「――ミュア、それって、フォローになってないって……」 とにかく、ぼく達はそこを後にした。
「こっちにしようよ、絶対こっち!」 二つに分かれた分かれ道で、ミュアはしきりに森の続く方の道を指す。それもそのはず、もう一方の行く手には、沼地が見えているんだ。 「自分の好みで決めるなよな」 とはいうものの、よく考えてみりゃ、どっちに進むかなんて決め手はないんだ。 「じゃ、とりあえずこっちにしてみるか」 ミュアの望み通りにするのはちょっと癪だけど、ぼくは森へと足を踏み入れた。 うっそうとしていて、暗い。 やがて、また分かれ道に行き当たった。 右に行こうか左に行こうか悩むぼくをよそに、ミュアの奴はそのうろに興味深々。……ったく、こーゆーとこが猫なんだから。 「うにゃっ?!」 そのミュアの頭を押し退けるように、にゅっとうろの中からなにかが出てきた! 「わっ、手……?!」 枯れ枝みたいなそれには、長い爪の生えた3本の爪がある。うろの中からは、しわがれた声が。 「おくれよ。おくれよ。知恵の実をおくれ」 な、なんだ、これはっ?! 「インディ、上っ!!」 ミュアの声を聞くよりも早く、ぼくはブーメランを構えていた。 「どーなってんだ、上にも下にもっ?!」 混乱しつつも、ぼくはブーメランを投げようと振りかぶった。その途端、小鬼は素早く姿をくらませる。 「なあ、おくれよ。知恵の実をおくれったら」 うろの声が再び催促。――緊張感を壊すなっつーのっ! 「そんなの、持ってないよ」 「おくれ、おくれよ」 「持ってないのっ! わっかんない奴だな、こいつはっ」 ええい、こんなのほっといて行っちまおう。 「ミュア、あいつを追うぞっ!!」 ふぎゃーと、ミュアが不満そうにうなったが、そんなのは無視! そのまま木の枝の上でしゃがみこんだ小鬼に、ぼくはブーメランを構えるべきか、ロッドを構えるべきかとっさに迷った。 「知恵の実がここにある」 一本調子に言うと、小鬼は厳かな手つきで自分自身を指した。 「おまえ、たくさんあるのと、7つあるのとでは、どっちが欲しい?」 よく分かんないけど、そりゃあ多い方がいい。だが、ぼくがそれを口にする前に、小鬼はさもおかしそうにくつくつ笑う。 「まてまてまて」 緑色の目は、横に細長い。少しずるそうな光が浮かんでいる。……ぼくを値踏みして 「7つあるのには栄養がないのは、一つもない。そして、いつ食べればいいのか、必要 そう言いながら、小鬼はお手玉のように小さな物を宙に放り投げる。 「また、たくさんあるのには栄養のない物も混じっている。どれがそうか、自分で見つける。しかし、いつでも好きな時に好きなだけ食べて見ることができる」 今度、小鬼が手に出したのは小さな本だった。かなり古い物らしく、見るからにボロボロだ。 「……どーゆーこと?」 全然、小鬼の言っている意味がつかめないでいるぼくと違って、ミュアはヒゲを震わせてしきりに感心した。 「なーるほど! たくさんの栄養、ね。なかなか詩人だね、あいつ」 「……どーいうことさ?」 「バッカだな、インディ。まだ、分からないの? もちろん、忘れるわけない。 「あそこで、先生の魔術書がキミに知識を与えてくれたように、あの本は――もし、キミがたくさんの知恵を選べば、だけど――知識を提供してくれる」 「あ、それいいじゃん」 喜んだぼくに、ミュアはすかさず水をぶっかけてくれた。 「でも、自分でどれが必要な物か、見つけるんだよ。栄養がないのも混じってって言ってたろ」 「うっ?!」 ……小鬼の説明を、いちいち猫に解説してもらわなきゃ理解できないこのぼくに、そんな高等技術ができるとでも? 「たくさんの知恵と、7つの知恵、どちらが欲しい?」 「7つの知恵っ!」 迷わず即答したぼくに、小鬼は深くうなずいた。 「ならば、手をだすがいい」 言われるままに手をだすと、小鬼は片手に握り込んでいた種を落としてきた。 「わっ、ったっ?!」 なんとかそれを手に受け止める。
どー見ても、普通の種に見える。……選択を間違ったかな? 「持っていれば。必要な時に、自然に分かるって言ったじゃないか」 ミュアがもっともなことを言う。 「ま、いいか」 というわけで、ぼくは先に進む道を探してみたが、どうもこの先は行き止まりらしい。 「ちえっ、あの気持ち悪い手、また出てくるのかな」 分かれ道のところにある、朽ちかけた木のうろ……。 「おくれよ、おくれよ、知恵の実をおくれ」 やっぱり! 「おくれよ。知恵の実、一つおくれ」 し、しつこいっ! ――これで終り、といったら怒るぞ。 「ん?」 再び現れた指が、こっちにこい、と言わんばかりにくいっくいっとぼくを呼ぶ。うろに顔を近づけると――いきなり、3本指は手をぐわっと伸ばしてきたっ! 「うわあっ?!」 「インディっ!!」 慌てて逃げようとしたけど、首がピン、と引っ張られる。――指輪だ! 首に掛けておいた指輪の紐を掴まれているんだ。 「はっ、放せよっ!!」 騒ぐぼくに、思いがけないほど澄んだ声が話しかけてきた。 「知恵の実のお礼に、1つの知恵を」 「え……?」 これ…3本指の声なのか? 「汝が飲み水、無償ならず。 謡うようになめらかに言うと、手はあっさりと指輪を放してくれた。 「ど……どういう意味だよ?」 3本指に、というよりも、ぼくはミュアに向かってそれを聞いた。 「あ、ああ、分かってるよ。そうしようと思ってたし……」 なんだか、損した気分。 |