Chapter.2  知恵の実と小鬼

 

 北の果てに、エクトロイの岩山がかすんでいる。ずんぐりした塔のような形だ。
 ずいぶんと遠くに見えるけど、実際の距離的には遠くないって、セミヤザが言ってたっけ。

「ヨギの魔法が、今も息づいているんだってさ。ぼく達の力が試されるってわけだ」

「そうみたいだね。インディ、さっそく最初の関門だよ」

 僧院のある山を北側に降りていき、エクトロイへの第一歩を踏み出したばかりの所に、二つの井戸があった。
 道の両脇に双子のように並ぶ井戸を、ミュアがちょいちょいとつつく。
 よく見てみると、そこにはこんな言葉がかかれていた。

『エクトロイへ挑むもの、魔力の井戸より水を選べ』

「なにも、こんな所に書かなくても……」

 たまたま猫のミュアがいたから気づいたけど、字が書かれているのは地面すれすれの石垣にだ。
 これじゃあ、気づくなと言わんばかりだよ。

「魔力の井戸ねえ?」 

 ためしに一方を除き込んでみる。――底無しか?
 うわあぁぁーーん、と声がいつまでも響いている。釣瓶に手をかけた時、奥の方からこんな声が聞こえてきた。

「今の魔力に、さらなる力を望むならば、この水を」

 もう一方の井戸からは……。

「いつわりを見抜く力が欲しければ、この水を」

 ――って、言われても、どっちがいいのやら、さっぱり分かんない。

「ミュア、どっちがいいと思う?」

「好きな方にすれば」

 それが分かんないから、悩んでいるっつーのに!
 ええい、めんどくさいやっ。

「どれにしようかな、神様のい・う・と・お・り。よし、こっち!」

 ぼくはいつわりを見抜く力の井戸から水を汲み上げ、飲み干した。
 と、井戸の底の声は言う。

『いつわりにに出会った時、おまえの左手がそれを知ろう』


 言われて左手を見たけど――なんともなってない。

「……よく分かんないじゃんか〜」

 ぼくの抗議も何のその、からからと滑車が鳴って、釣瓶はひとりでに井戸の底へ落ちていった。
 もう一方はどうなったかと見てみると、釣瓶はそのままだ。――あっちも飲んじゃおうかな?

「やめとけば、インディ。水を選べってことは、どっちか1つってことじゃないのかなぁ」


 ミュアの言うことはもっともだけど、ぼくは物は試しと、もう一方の井戸水を汲み上げた。

「知ーらないっと」

 飲んた途端、ぼくはそれを吐き出したっ!

「う……ぶっ、まじいいっ」

 水はざらっとしていて、すっっごおおく、まずかった! 井戸の底からの声もない。

「ほーら見ろ、この欲張り。おとぎ話の頃から、こーゆーので欲張るとひどい目にあうって、相場が決まってるんだよ」

 勝ち誇ったように、ミュアがあれこれを言ってくれる。……ちえっ、分かっているけど、ぼくはこーゆー誘惑には弱いんだよっ!!
 しばらく行くと、平原に出た。気まぐれに、風が吹き始める。
 それにあわせ、かさこそ、こそがさ、回りの木立ちが鳴っている。

「変な木だな。葉っぱが一枚もないや。そのくせ、実はいっぱいなっている」

 やけに枝の多い裸の木は、握り拳程の実が鈴なりだった。そのどれもが、かすかに震えている。
 こんな木なんて、見たことがない。ぼくよりも植物にくわしい(実は、植物だけじゃないんだけど)ミュアも、こんな木を知らないと言った。

「ねえ、なにか聞こえるよ」

 ミュアがピン、と耳を立てた。

「あっちこっちでしゃべっている」

 ぼくにはなにも聞こえない――そう言いかけた時、強い風が木立ちを吹き抜けた。実がいっせいに揺れ動く。
 急に、ぼくの耳にも小さな会話が飛び込んできた。

「……賭けるかね、10対1で……」

「もちろん……こいつが失敗する方に……」

「……おれも!」

「わたしもよ」

「それじゃ、賭けにならない。誰かこいつの勝ちに賭ける奴はいないのか…」

 ……かっ、考えたくないけど、ひょっとしてこいつらが噂してるのって、ぼくのこと?! 思わず立ち止まると、奇妙な実はなぜか沈黙した。

「あれ? 聞こえなくなった」

「ボクの耳にはかすかに聞こえるよ、なんかザワザワと……」

 ぼくに比べれば、ミュアの方が遥かに耳がいい。確かに、実はかすかに震えているし。


「変なの。一つ、ブーメランで落としてみようか?」

 これっくらいの距離なら、目をつぶってたって当てる自信はある。
 けど、ミュアが皮肉たっぷりに引き止めた。

「インディ、すぐにブーメランでカタをつけようとするの、悪い癖だよ。魔術師なんだから、もっと理知的に物事を運べないの?」

 ふんっ、どーせぼくは原始的ですよーだっ!

「悪かったなっ。けど、ミュアだって、どうすればいいのかなんて、知らないんだろっ」
 

 ぼくがそう言った時、さっと風が吹き抜けた。

「……だって、駆け出しじゃないの……この子……」

「……なんだって、また……」

 そうか――風だ!

「そうだよ、インディ。やっと気づいた?」

 得意そうにミュアが尻尾を立てる。……ホントに、元から気づいてたのかな?
 ま、それは置いておくとして、この実は風がやむとしゃべりやんで、風が吹くとおしゃべりするんだ。
 と、言うことは、風の精霊の力を借りれば、この奇妙な実のおしゃべりを聞けるわけだ。


「よおし、試してみるか」

 ぼくは腰の後ろに差しておいたロッドを手にとった。

「カトゥラブーラ、善き精霊シルフェよ、聞け。
 ここに一陣の風をもたらせ!」

 今のぼくは、初歩的な風の精霊の呼び出しなどおちゃのこさいだ。
 たちまち、ぼくの周囲に風が渦巻いた。

「……だから、魔道士ギィがセミヤザを……」

「きっとこの子には無理だわ……ギィの思うつぼ……現に……」

「……いや、ヨギの碑文を正しく読めば、もしかすると……」

「2つあるのだよ、2つ……それを知るまい……」

「しかも、あの墓にはギィが……」

 いくつもの実が揺れて、話し声が急に高まった。だが――。

「インディ、だめだよ。風が強すぎる、実が……っ!!」

 風は呼べても、強さを自在にコントロールするのは難しい。
 しゃべる木の実は枝から千切れ、次々と空へ舞い上がった。残ったのは裸の木立ちだけ……。
 ――次の課題は、呼び出した魔力を完全にコントロールすることだな……。

「ドンマイ、ドンマイ。なーに、普段からあれだけ失敗ばっかしてんだもん、今更それが一つ二つ増えたっておんなじだろ?」

「――ミュア、それって、フォローになってないって……」

 とにかく、ぼく達はそこを後にした。

 

 

「こっちにしようよ、絶対こっち!」

 二つに分かれた分かれ道で、ミュアはしきりに森の続く方の道を指す。それもそのはず、もう一方の行く手には、沼地が見えているんだ。
 ミュアは水が大の苦手、避けたがるのも無理はない。

「自分の好みで決めるなよな」

 とはいうものの、よく考えてみりゃ、どっちに進むかなんて決め手はないんだ。

「じゃ、とりあえずこっちにしてみるか」

 ミュアの望み通りにするのはちょっと癪だけど、ぼくは森へと足を踏み入れた。
 道は森の奥へ、奥へと続いている。
 恐ろしく年を経ているらしい木々。一抱え以上もある根が地面をうねっている。時にはせりだして、瘤や小さなアーチを作っているものもある。

 うっそうとしていて、暗い。
 しん、と静まり返った森の中では、ぼくの声も木々の間に吸い込まれてしまって響かない。
 ――森の精が住んでいるとしたら、こんな所かも。

 やがて、また分かれ道に行き当たった。
 朽ちかけた大木の前で、ぼく逹はちょっと立ち止まった。幹にぽっかりと穴の開いた古木だ。

 右に行こうか左に行こうか悩むぼくをよそに、ミュアの奴はそのうろに興味深々。……ったく、こーゆーとこが猫なんだから。
 幹に前足をかけ伸び上がり、さらに中を探ろうとしている。

「うにゃっ?!」

 そのミュアの頭を押し退けるように、にゅっとうろの中からなにかが出てきた!

「わっ、手……?!」

 枯れ枝みたいなそれには、長い爪の生えた3本の爪がある。うろの中からは、しわがれた声が。

「おくれよ。おくれよ。知恵の実をおくれ」

 な、なんだ、これはっ?!
 ――キキィッ  

「インディ、上っ!!」

 ミュアの声を聞くよりも早く、ぼくはブーメランを構えていた。
 木の枝を揺すりながら、にたにた笑ってぼくらを見下ろしている奴――小鬼だ!

「どーなってんだ、上にも下にもっ?!」

 混乱しつつも、ぼくはブーメランを投げようと振りかぶった。その途端、小鬼は素早く姿をくらませる。
 が、右手の道の奥で、枝がわざとらしく揺れていた。追ってこい、と言わんばかりに。 これは、罠か――?

「なあ、おくれよ。知恵の実をおくれったら」

 うろの声が再び催促。――緊張感を壊すなっつーのっ!
 にぎにぎする3本指が気持ち悪いったらありゃしない。

「そんなの、持ってないよ」

「おくれ、おくれよ」

「持ってないのっ! わっかんない奴だな、こいつはっ」

 ええい、こんなのほっといて行っちまおう。

「ミュア、あいつを追うぞっ!!」

 ふぎゃーと、ミュアが不満そうにうなったが、そんなのは無視!
 キキキキ……と小鬼の笑う声が聞こえる方に、ぼくは全力で駆け出した。木の茂みが揺れている場所に見当をつけ、飛び込んでいったぼくの目の前に、小鬼はいた。
 と、信じられないような跳躍力で、木の上のふたまたまで飛び上がる!

 そのまま木の枝の上でしゃがみこんだ小鬼に、ぼくはブーメランを構えるべきか、ロッドを構えるべきかとっさに迷った。
 だが、小鬼はニタッと笑い、尖った鼻の前で自分のかぎ爪をチッチッとふった。

「知恵の実がここにある」

 一本調子に言うと、小鬼は厳かな手つきで自分自身を指した。

「おまえ、たくさんあるのと、7つあるのとでは、どっちが欲しい?」

 よく分かんないけど、そりゃあ多い方がいい。だが、ぼくがそれを口にする前に、小鬼はさもおかしそうにくつくつ笑う。

「まてまてまて」

 緑色の目は、横に細長い。少しずるそうな光が浮かんでいる。……ぼくを値踏みして
いる目付きだ。やな感じ!
 やがて、言い出したのはこんなことだった。

「7つあるのには栄養がないのは、一つもない。そして、いつ食べればいいのか、必要
な時に自然に分かる」

 そう言いながら、小鬼はお手玉のように小さな物を宙に放り投げる。
 奴が手でもて遊んでいるのは、小さな種……に見える。

「また、たくさんあるのには栄養のない物も混じっている。どれがそうか、自分で見つける。しかし、いつでも好きな時に好きなだけ食べて見ることができる」

 今度、小鬼が手に出したのは小さな本だった。かなり古い物らしく、見るからにボロボロだ。
 小鬼はそれをパラパラめくってみせるが、ぼくの所からじゃ中身までは見えない。

「……どーゆーこと?」

 全然、小鬼の言っている意味がつかめないでいるぼくと違って、ミュアはヒゲを震わせてしきりに感心した。

「なーるほど! たくさんの栄養、ね。なかなか詩人だね、あいつ」

「……どーいうことさ?」

「バッカだな、インディ。まだ、分からないの?
 つまり、あいつはあの本にかかれていることを、栄養……つまり大事な知恵って言っているんだよ。ほら、覚えてない、インディ? いつか、魔界に行った時のこと」

 もちろん、忘れるわけない。

「あそこで、先生の魔術書がキミに知識を与えてくれたように、あの本は――もし、キミがたくさんの知恵を選べば、だけど――知識を提供してくれる」

「あ、それいいじゃん」

 喜んだぼくに、ミュアはすかさず水をぶっかけてくれた。

「でも、自分でどれが必要な物か、見つけるんだよ。栄養がないのも混じってって言ってたろ」

「うっ?!」

 ……小鬼の説明を、いちいち猫に解説してもらわなきゃ理解できないこのぼくに、そんな高等技術ができるとでも?

「たくさんの知恵と、7つの知恵、どちらが欲しい?」

「7つの知恵っ!」

 迷わず即答したぼくに、小鬼は深くうなずいた。

「ならば、手をだすがいい」

 言われるままに手をだすと、小鬼は片手に握り込んでいた種を落としてきた。

「わっ、ったっ?!」

 なんとかそれを手に受け止める。
 親指の爪ぐらいの大きさの、青い種はきっちり7つ、ちょこんとぼくの手の中に収まった。これが、知恵の実?
 ぼくがそれに気を取られているうちに、小鬼は笑いながら森の奥へと消えてしまった。


「どおしろっつうの、これ?」

 どー見ても、普通の種に見える。……選択を間違ったかな?

「持っていれば。必要な時に、自然に分かるって言ったじゃないか」

 ミュアがもっともなことを言う。

「ま、いいか」

 というわけで、ぼくは先に進む道を探してみたが、どうもこの先は行き止まりらしい。
引き返すしかなさそうだ。

「ちえっ、あの気持ち悪い手、また出てくるのかな」

 分かれ道のところにある、朽ちかけた木のうろ……。

「おくれよ、おくれよ、知恵の実をおくれ」

 やっぱり!
 足音を忍ばせて通り過ぎようとしたぼく逹に、どうやって気づいたんだか、再び3本指がにゅうっと現れた。

「おくれよ。知恵の実、一つおくれ」

 し、しつこいっ!
 でも使い道も分からない品だし、1つならいいか。
 そう思って、にぎにぎする3本指の掌の上にぼくは一つだけ種を乗せてみた。すると、黙ってうろの中に手がひっ込む。

 ――これで終り、といったら怒るぞ。

「ん?」

 再び現れた指が、こっちにこい、と言わんばかりにくいっくいっとぼくを呼ぶ。うろに顔を近づけると――いきなり、3本指は手をぐわっと伸ばしてきたっ!

「うわあっ?!」

「インディっ!!」

 慌てて逃げようとしたけど、首がピン、と引っ張られる。――指輪だ! 首に掛けておいた指輪の紐を掴まれているんだ。

「はっ、放せよっ!!」

 騒ぐぼくに、思いがけないほど澄んだ声が話しかけてきた。

「知恵の実のお礼に、1つの知恵を」

「え……?」

 これ…3本指の声なのか?
 信じられないことに、うろの奥からその声は聞こえてきた。

「汝が飲み水、無償ならず。
 必ず、返す時来たらん。
 ――されば、少なく飲むべしや」

 謡うようになめらかに言うと、手はあっさりと指輪を放してくれた。

「ど……どういう意味だよ?」

 3本指に、というよりも、ぼくはミュアに向かってそれを聞いた。
 けど、ミュアも分からないみたいで、黙って首を振る。3本指も、説明する気はないらしい。
 そして、指を1本折り曲げて、左の道を指す。左に行けっていいたいのかな……?

「あ、ああ、分かってるよ。そうしようと思ってたし……」

 なんだか、損した気分。
 ふんっ、と言って歩き出すと、3本指が揺れる。手を振っているらしい。
 ――つくづく、変な奴。
 とりあえず、奴がもう1つくれ、なんて言い出さないうちに、ダッシュでぼくは走り出した!!
                                  《続く》
 

3に続く→ 
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