Chapter.3  半魚カエルの沼地

 

  しばらくして、ぼくとミュアは森の様子が変わっていることに気がついた。すっかり、閉ざされている。
 丈の低い木々が密集し、その蔦や枝が蜘蛛の巣みたいに絡み合っているんだ。本当なら、それを切り開く斧を持っていないぼく逹は立ち往生してしまうところ。
 でも――。

「あ、今度はあっちだ」

 木々がさわさわと鳴る。
 入り組んだ枝や蔦がうねり、そこにぼく逹が通るだけの隙間ができる。そして、ぼく逹が通り過ぎると、木々はまた元のように身を寄せ合って、後ろの道を閉ざしてしまう。
 森が勝手に道を開いてくれるんだ。行く先は、森任せ……。

 やがて、突然、森は終わった。
 つぷっ!
 いきなり、足元が柔らかい。

「あーあ、結局ここにでちゃったのか……いててっ!」

 ミュアが爪を立ててぼくの背中に這い上がる。
 目の前に広がるのは、ミュアが嫌がっていたあの湿地帯だもんな。
 じくじくと泥水が染みだし、足首まで埋まってしまう。けど、それ以上は沈まないみたいだ。

「おっことしたら承知しないぞっ」

 ミュアの奴、人の肩の上で何を勝手なことを……。

「ホント、勝手なんだからさ。……うへっ、気持ちわりいっ」

 ところどころで、ぶくっ、ぶくっ……と汚い泡が弾けている。すぐ側で、泡の一つが膨らんだ。
 ギョッとしたけど、それは泥色をしたカエルだった。

「な、なーんだ、カエルじゃないか」

 動揺したことをごまかそうとつとめて何気なく言うと、憎らしいくらい冷静にミュアが答えた。

「そうだね、鱗と背びれがあるけどね」

 ゲロゲロ〜!!
 んなもんがついたカエルなんて、見たことも聞いたこともないぞっ!

「げっ……なんだよ、これ?」

 一匹だけでも不気味なカエルは、ぶく、ぶく、ぶく…とそこいら中に顔を出してきた。
 もはや足の踏み場もないぐらいだ。
 それがみーんな、ぼくの方をじっと見ている。ううっ、無機質な目が嫌だっ。おまけに、なぜか1匹も鳴かないのがかえって不気味だ。

「たっ、たかがカエルじゃないか……どけよ」

 足元のカエルをまとめて蹴飛ばす。と、なにかねばねばしたものが、腕や足に降り懸かった。

「げっ?!」

 カエルが吐き出したんだ。
 ねばねばの液体は、くっついたまま小さな球になって取れない。……でも、それだけだ。別にヒリヒリもしないし、毒でもなさそうだ。

「インディ、大丈夫?」

「う、うん。別になんともないよ。でも、これ……気になるなあ」

「どうでもいいけど、ボクを落とさないでよね」

 ――自分の心配しかしてないのか、ミュアはっ!!

「とにかく、早いところ渡りきっちまおう……ん?」

『バカだな。こんな所に出てきてしまって。こうなったら、クルヴの呪文を唱えるしかないじゃないか。今のうちにギームの鳴き声を解放しておかないと……』

 どこかでぶつぶつ言う声は、ミュアの声じゃない。――ポケットの中だ!
 まさか、知恵の実?!
 あわててポケットから種を引っ張りだすと、6つの種のうち、1つだけ赤く色づいているのがあった。

 掌の上で、ぴょんぴょん跳ねる。
 そして、しきりにぶつぶつ言っている。

『だけど、クルヴの呪文を使うと、力の半分も失ってしまうからな。だいたい、ここにでてきたのが悪いんだ……』

 その時、種が弾けた。
 なにかとても小さいものが出てきて、ぼくの回りを一回りしてから、どこかへ飛び去った。
 あんまり小さいので、なんだか分からなかった。

 だけどきらきら光るのでそれと分かるぐらいの、薄い羽が生えていたみたいだ。そのかすかな羽音が、こんなふうに聞こえた。

『クルヴルウム、ラリウルム』

「呪文だ!」

 ミュアが叫ぶ。

「そうか、知恵の実って、こういう意味だったのか。その時に必要な知恵をこうして教えてくれるんだ」

「そりゃあ便利だけど……今の呪文を使うの、こいつらに?」

 ぼくは改めて辺りを見回した。
 一面にうずくまり、じっとぼくを見つめている半魚カエルの群れ。
 確かに気味が悪いけど、どうってことはないじゃないか。わざわざ力の半分を使ってまで、クルヴの呪文とやらを唱えなきゃいけないなんて、大袈裟だよ。

「意外な魔力があるかもよ」

 ミュアはそう言うけど、のっぺりとしたカエル独特の顔を見ていると、とてもそうとは思えない。

「いいや、こんなやつら。なんか危なそうになってからにするよ。とにかく、行っちゃえ」


 半魚カエルの群れは、湿地帯が終わるまで続いたけど、別に襲いかかってきたりはしなかった。
 ぼくの方を見上げ、普通のカエルがそうするように喉を震わせてはいたが、なぜかちっとも鳴き声は聞こえない。時々吐きかけてくるねばねばがくっつくと、小さな球となって取れないのが気になったけど、ま、こんなのは後でなんとかすればいいや。

 結局、そのまま湿地帯を抜けると、その先は険しい山道へと通じていた。……めちゃくちゃな地形だな。
 ごつごつした岩が転がる山道で、行く手には両側から差し迫った断崖が見える。頭上にそそり立つ崖は、内部に湾曲していて、その隙間から見える空が細長い。

 つまり、断崖はぼく逹の頭上から覆いかぶさっている形をしているんだ。鍾乳洞の中みたいに、さまざまな形の岩が下に向かって突き出している。
 これが落っこちてきたら、ひとたまりもないな……。
 竦みそうになる足に力を入れ、ぼくは急いで通り過ぎようと歩き出した。

「さあ、行こうぜ」

 自分に元気づけるためにも、大きな声を出した途端、その声が異常なほど反響した。
 空気がふるえるのが分かるほど――。
 おかしいな、と思ったとたん、ばらばらと岩のかけらが落ちてきた。

 つい上を見ると、湾曲した崖から巨大なな氷柱のように突き出した岩が、ちょうど頭上にあるっ。しかも、それが小刻みに震えているっ!

「まさかっ?!」

 思わず叫んだ途端、また岩のかけらがふってきた。

「……しっ。この断崖は、音を立てると崩れるんだ」

 ミュアが囁く。
 それにうっかり返事しそうになったのをかみ殺し、ぼくは黙ってうなずいた。
 この危険な場所では、頭上はもちろん、足元にも注意しなくっちゃいけない。

 道はでこぼこで、ところどころに穴や断層がある。足を踏み外したら、とんでもないことになるぞ……。
 よほど注意しなくては――。ぼくは緊張しながら歩き出した。

 足元に注意しながら、ほぼ真ん中辺りまで進む。うん、なかなかいい調子だ。
 ぼく逹は無言で頷きあった。
 ――その時だった。

 グエッ……。

 突如聞こえた、とんでもない声!
 一瞬、なにがなんだか分からなかった。

 グエッグエッグエエッ…!

 カエルだっ。
 ぼくはあやうく叫ぶところだった。カエルの鳴き声に、岩のかけらが落ちてくる。
 ちくしょう! なんだって、こんな時に!? いったい、どこから?!

 半ばパニックになりながらも、ぼくはパラパラとふってくる岩のかけらを避けて、慌てて辺りを見渡した。そして、その出所を知って愕然とする。
 なんてこった……!

 ぼくの体から、泡が弾けているっ。湿地帯でカエルに吐きかけられた唾だ。それが弾けて、カエルの大合唱を引き起こしている!

 グエッグエッグエエッグエッグエッグエエッ…!

 アッという間に、ぼくはカエルの大合唱に包まれた。頭上の岩が土煙を立てて揺れているのが見える。
 そして、地鳴り。

 少し向こうに、大きな岩が落下した。それを合図に、断崖は轟音を立てて崩れ始めた。 こうなったら、怒鳴ったって同じことだ。

「ミュアっ、ぼくの側にっ!!」

 ミュアを呼びよせながら、ぼくはロッドをふりかぶった。

「カトゥラブーラ、善き土の精霊グノーメよっ!
 崩れ落ちるこの断崖に力を現せっ!!」

 土の精霊は答えた。ロッドに輝きが宿る。
 しかし、ぼく程度の魔力でこの土崩れを完全に止めることなんてできやしない。――でも、流れを少し変えるだけなら。


 ぼくはミュアを後ろにかばって、崩れ落ちてくる土砂に向かってロッドを突き出した。
 ロッドの輝きに押されるように、降ってくる土砂がぼくを避ける!
 岩混じりの土が、割れた岩が幾つかぼくをかすめていくが、ぼくの魔法はさながら川の中の大岩のように、見事に土砂の流れを遮っていた。

 崩れ落ちる断崖の勢いが、消えていく。完全に土砂が治まってから、もうもうとした土煙が立ち込める中、ぼく逹は無事に脱出した。

「ぷわあぁっ! あー、死ぬかと思った」

 ようやく口をきけるってえのは、解放感があるぞっ♪

「それはこっちのセリフだよ、インディ!」

 埃まみれになってしまったミュアはぷんすかしながら文句をつけてくる。

「もーちょっとで死ぬところだよ、ホントに。まったく、キミと一緒にいると寿命が縮んじゃうね。だから、ボクの言った通り、クルヴの呪文を唱えればよかったんだ」

 全部ぼくが悪い、と言わんばかりにミュアがジト目でぼくを睨む。
 ちえっ、クルヴの呪文を唱えろって言ったのは、ミュアじゃなくて知恵の実じゃないか。


「でも、この知恵の実、本当に役に立つんだな」

 今度から、これを無視するのはやめとこ。――のはいいんだけど、それにしても体のあちこちが痛い。直撃は避けたとはいえ、やっぱり細かな岩がそうとう当たったもんな。
 ……そうだ、こーゆー時こそ、試してみるか。

 ぼくは首にかけていた指輪を中指にはめて、両手を組んで念じてみた。たちまち、指輪が輝き、全身の痛みがスゥッと薄れていく。

「へへっ、完全復活♪ 便利、便利っ」

 また指輪を首にかけなおすと、ミュアがじっとぼくを見ているのに気がついた。

「どうしたんだよ、ミュア。おまえも、どっかケガしたの? なんなら、回復魔法かけてあげようか」

 いらない、と首をふり、ミュアは真顔で言った。

「ねえ、インディ。それってセミヤザが教えてくれたんだろ? ――そんなの、あんまり使わない方がいいと思うな」

 言われた言葉の意外さに、ぼくは思わずミュアを見返した。
 ミュアは水色の瞳で、まっすぐにぼくを見上げている。ふざけているとか、からかっている気配はまるで感じられない。

「……どうしてさ?」

「だって、キミはセミヤザの弟子じゃないもの。アザゼル先生の魔法なら、いくら使ってもいいけどさ――」

 尻尾をぱたんぱたんとふりながら、ミュアは考えを巡らせている。
 元々、ミュアは生意気で理屈っぽいことをいうのが好きなくせに、妙に勘がいい。いざとなると、言葉では説明できない勘に頼って行動するきらいがある。
 今度も、そんな勘が働いたらしい。けど……。

「でもさ、どうしたって使わなきゃいけない時もあるぜ。特に、これからは、きっとね」


「……うーん。そこが問題なんだよなあ……」

 ミュアは本気で悩んでいるのか、くるくると意味もなく尻尾で地面を打っている。
 そんなミュアに、ぼくは軽く声をかけた。

「ははん、ミュア。おまえ、まだ僧院に入れてもらえなかったのを根に持ってるんだろ。だから、セミヤザにけちをつけてるな」

「……インディ!!」

 怒ったミュアから、ぼくは大袈裟に跳びのいてみせた。

「おおっと。さ、つまんないこと気にしてないで、先に行こう。まだまだ、先は長いんだからさ」

「インディっ、真面目に話してんだよ、ボクはっ!」

「分ってるよ」

 先生の元に入門してから一年――でも、最初の頃はミュアは普通の猫ぶりっこしてたから実際に付き合いだしてから約半年あまり。

 ミュアの性格なんて、よーく分ってる。
 ミュアの勘のよさも、だ。
 ぼくはミュアより先を歩きながら、振り返らずに言った。

「そんなの、ぼくは別に気にしないけどさ。ミュアがそこまで言うんなら、――一応、頭に入れておいてやるよ」

 正直なところ、ぼく自身はミュアの感じている漠然とした不安なんて感じない。
 でも、ミュアの勘はぼくよりもはるかに上だって、確信している。
 ミュアが言うことなら、ぼくには納得できないことでも信用できる。

 からかったり、もったいをつけたのは、――ただ、素直にミュアの言いなりになるのが癪だっただけなんだ。だって、ミュアの奴、すぐに威張るんだもん!

「それよりさっさと歩けよ、ミュア。もう沼地でもないんだから、自分で歩いてもらうからな」

 めんどくさがりやのミュアは、油断するとすぐにぼくの肩に跳び乗ってきて、楽しようとすんだから。

「あ、待ってよ、インディ」

 後を追ってくるミュアのかろやかな足音を聞きながら、ぼくはちょっとだけ足を遅めた。
                                    《続く》

 

4に続く→ 
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