Chapter.4 ちょっと寄り道、蜃気楼

 

 断崖への道を抜けると、砂混じりの風が吹きつけてきた。周囲を岩山に挟まれた砂の盆地は、ちょっとした砂漠って感じだ。
 西に向かって細長く広がっているようだけど、運のいいことに目的地エクトロイの岩山へは、東側をかすめて通るだけよさそうだ。

「ん?」

 西の地平線が、もやもやと揺らいでいる。そこになにか――そう、岩山が一つぽっかりと浮かび上がった感じ。
 ……うん、間違いじゃない。
 確かに、空中に岩山が浮かんでいる!
 白っぽい建物が立っているのさえ見える。

「なんだろ、あれ?」

「ああ、あれは蜃気楼だよ」

 ミュアが当然とばかりに説明する。

「砂漠みたいな所でよく起きる自然現象の一つさ。空気がこの暑さで湾曲して、遠くにあるものをすぐ近くにあるように写しだすのさ。要するに、ただの幻だよ」

「へえー、ぼく初めて見た」

 話には聞いたことがあるけど、実際に見てみるとなんていうかこう、迫力が違うって感じ。蜃気楼を追って、幻のオアシスを聞いて迷う旅人の話なんか、よく聞いたものだけど、こうして見てみるとそれも納得できてしまう。

 こんなにも鮮やかで不思議なものが目の前に現れたら、誰だって追いかけたくなってしまうだろう。ぼくは無意識に、そちらに向かっていた。

「インディ、どこ行くんだよ。蜃気楼なんて、追っかけたってなんにもならないよ」

 と、分っていてもじっとしていられないのが、ぼくの性格ってもの!

「分ってるよ、たださ、本当に追いかたら逃げるのか、実験してみたいだけだって。こんなチャンス、めったにないもんね♪」

「――キミもつくづく、物好きだね」

 いいじゃないかっ!!

「文句があるなら、ミュアはここで待っててもいいよ。ぼく、ちょっと試してくるから」


「冗談じゃないよ、キミ一人でいかせたら、どんな無茶をするか分ったもんじゃないもん」


 ふん、ミュアだって結局ついてくる気のくせに。
 とりあえず、ぼくらは蜃気楼の見える西に向かって進んでみた。細長い盆地の奥へと入り込んだわけだ。

 風が耐えず吹き寄せ、砂の模様を刻々と変えていく。そのせいで、行く手の砂が動いているのに気づくのが遅れた。

「うわっ?!」

 気がついたのは、足を取られて転んだ後だった。
 ぼくの足を滑らせたのは、さらさらと動く砂の流れ――まきこまれたからやっと、ぼくは自分が巨大なすり鉢状のくぼみにはまり込んだことに気づいた。

 はい上がろうにも、やたらとさらさらしている砂は足をかけるだけで崩れてしまって、ぼくは少しずつくぼみの下へと落ちていく。

「インディっ、大変だ! これ、アリジゴクだよっ?!」

 ちゃっかりふちギリギリに止どまったミュアが、ぼくを除き込んで叫ぶ。

「え?」

 背後から、ざざざ……っと大量の砂の流れ落ちる音。
 恐る恐る振り返ったぼくの目に、ぼくの身長程もある2本の角を持った巨大アリジゴクがっ!!

「わっ…わわ……!」

 ずざざざざ……と、すり鉢の底に向かって砂が崩れるっ。その中心で待ち構えている奴が、黒々とした体を乗り出した。
 じょっ、冗談じゃないっ!!

「インディ――!」

 いつになく必死に叫ぶミュアに向かって、ぼくは必死にもがいた。砂を蹴り、かきわけ、必死にばたついたが  奮闘虚しく、ぼくの体はすり鉢の底に転げ落ちてしまった!!
 態勢を立て直す間すら、ぼくには与えられなかった。


 鋭い口がガシッと開くのが、スローモーションのようにはっきり見えた。
 恐怖を感じる前に、巨大な口は一瞬でぼくを捕らえた――。

 

 

 

 くすくすくすくす、やたらと楽しげに笑う声が耳につく。……どーでもいいけど、ぼくは女の子みたいなくすくす笑いって好きじゃない。
 ましてや、自分が笑われているんなら、なおさらだっ!

「うっさいなあ!! いつまで笑えば気がすむんだよ、ミュア!!」

「だって、おかしんだもん」

 すました顔で言い、ミュアはまたもくすくす笑う。

「どうやら、キミはまずかったらしいよ。勢い良く、ぺって吐き出したぐらいだからね」
 

 そう――ぼくは食べられなかったんだ。
 アリジゴクの奴、ぼくを掴まえたと思ったら、次の瞬間にはぼくを巣の外にすっとばしたんだっ。

 ちょうど、間違って食べられないものを口にいれてしまったみたいにさ。
 まあ、食べられなくてよかったといえばよかったけど、アリジゴクに『まずい』と判断されるなんて、なんかプライドが傷つくぞっ!

 それに、どうせならもっと丁寧に飛ばしてほしかった。いくら砂の上とはいえ、身長の倍近くの高さにまで放り投げられたんだ、体のあちこちが痛む。
 ちらっと、セミヤザにもらった指輪を使おうかと思ったけど、ミュアの忠告を思い出して我慢することにした。動けない程痛いわけじゃないもんね。

「まったく……食べる気がないなら、最初っから食べようとなんてしなきゃいいんだ」

 はらいせに攻撃をしてやろうかとも思ったけど、ぼくはなんとかそれを思い直して先に進むことにした。ぼくはこう見えても魔術師だもんね、無闇に暴れるような真似なんかしないさ。

 だけど、せっかくぼくが放っておこうと決めたのに、アリジゴクの奴はぼく逹の行く手に沿って移動してくる。落ちる程近くによってこないとはいえ、すり鉢状のくぼみが常にぼく逹から離れない。

「いったい、何のつもりでついてくるんだろうな?」

 なんの気なしに言った言葉に反応したのか、ポケットの中からぶつぶつ言う声が聞こえ出した。

『……カゲロウは羽化しないと飛べやしない。だけど、蜜がないから羽化できないんだ……』


 知恵の実だ!!
 残り5つの知恵の実の一つが、再び赤く色づいている。

『……ユウムの蜜を欲しがっているんじゃないか。羽化するための、ユウムの蜜……』

 そこまで言うと、前と同じように小さなものが飛び出して、消えていった。今度は、ぼくも知恵の実の指示に逆らうつもりなんてない。
 けど――。

「ミュア、ユウムの蜜って何だか知ってる?」

「……ボクに聞かれても困るよ」

 ちえっ、肝心の時に役に立たないんだから。
 いくら知恵の実の言葉でも、持ってもいないものをあげることなんてできやしない。
 よし、ここは発想の転換!

「とにかく、知恵の実はこれをやっつけろ、とは言わなかったから、ほっとこうぜ。ついてくるだけで、こいつなんにもしやしないし」

「ホント、インディってアバウトだよね」

 呆れた風に言いつつも、ミュアも結局はアリジゴクを無視して進むことにしたらしい。 そろって歩く先には、まだ蜃気楼が浮かんでいる。でも初めて見えた所から比べて、少しも近づいたようには見えない。

「インディ、もうあきらめたら? これじゃあ、いくら追っかけても無駄だよ」

 ミュアはそう言うけど、ぼくは足を止める気にはなれなかった。

「でもさ、ミュア。あの蜃気楼、変だと思わないか? よく知らないけど、蜃気楼って普通は近づけば消えてしまったり、距離感が変わったりするんじゃないの?」

 ぼくの指摘に、ミュアは姿勢を正して蜃気楼を見つめ直した。

「――確かに。たまには、頭をつかうんだね、インディ」

 一言多いぞっ!

「でも、それならなおさらあきらめた方がいいかもしれないよ。ここまで変化がない蜃気楼なら、あれは自然現象じゃなくて、誰かが意図的に作り上げた魔法かもしれない」

 と、言われてもどうにもおさまらないのが、ぼくの性格っ!!

「でも、せっかくここまで追ってきたのに、なんの収穫もなしに引き上げるなんて、さみしーじゃんか。もうちょっとだけ、追ってみるよ」

「……キミみたいな相棒をもったことを呪うね、ボクは」

 大袈裟に溜め息をつきつつも、ミュアはテクテクとぼくについて歩いてくる。それからずいぶん進んだけど、蜃気楼はいっこうに近づかない。
 魔法かどうか試すために、光の精霊を呼び出してもみたけど、距離があり過ぎて、ぼくの魔力じゃよく分らないんだ。

 さすがのぼくもいい加減に引き返そうかと思い初めた頃、ごおぉ……っと風が吹きつけてきた。巻き上げられた砂が、視界を覆う。

「砂嵐だっ!」

 隠れる暇も場所もなかった。あっというまに砂を含んだ風にたたきつけられた。

「ミュ……」

 ミュアを呼ぼうとした口に、じゃりっと砂が入り込んできた。容赦なく襲いかかる砂は、ぼくを埋め尽くそうとしているかのようだ。すでに、脛まで砂が覆っている。このままじゃ、埋もれてしまう……!

「ミュ…アっ、ゴホッ…ミュア……!」

 小さな猫がどこにいってしまったのかと、ぼくは必死に回りを探した。

「インディ! 精霊の加護を……っ」

 とぎれとぎれに叫ぶミュアは、もう顔しか砂の上に出ていなかった。
 ぼくは首輪をつかんでミュアを引き摺りだし、そのまましっかりと胸にかかえこんだ。ミュアは肩に乗りたがる割には、だっこは嫌いなんだけど、こんな非常時にそんな事を気にしちゃいられない。
 片手でミュアを抱いたまま、ぼくはロッドをかざした。

「カトゥラブーラ、善き風の精霊シルフェよ、聞け!
 この嵐より、我が身を守りたまえっ!!」

 ロッドが光る。風の精霊は答えたんだ。
 でも、嵐は静まらなかった。それどころか、風の勢いはひときわ増した。

「うわあっ?!」

 風に煽られて、足が宙に浮いた。体が、ふわりと浮き上がっていく。
 ぼく逹は風に巻き上げられた――。

 

 

「先に行けってことだろうね。あーあ、それにしても砂だらけだ」


 ミュアは器用に体全体を震わせて、砂を払い落としていく。ぼくも髪を手で梳いてできるだけ砂を落とすようにしているけど、とてもミュアのようにはいかない。

「ちえっ。蜃気楼には、やっぱり手が届かないのかな」

 未だもって砂漠の彼方に、最初に見た時と同じように見える蜃気楼が癪に触る。――ま、最初にいた場所にいるんだから、同じように見えるのはあたりまえなんだけどさ。
 一時はどうなるかと思ったけど、風の精霊はぼくとミュアを風に乗せて、砂漠の外――最初に蜃気楼を見つけた砂盆地の東の端へと運んできたんだ。

 確かに、ぼくは嵐を静めようなんて気はなかった。ただ、安全を確保しようと思っていたから、こんな効果を生んだらしい。……魔法を使う前からどんな結果がでるのか分かるぐらいの立派な魔術師になるには、まだまだ遠いみたいだ。

「あーあ、ずいぶんと寄り道しちゃったな」

 一生懸命やったことが無駄になったのは悔しいけど、今のぼくじゃこの砂漠を横断するのは無理だと分かっただけでも収穫と思うしかないな。
 ぼく逹は蜃気楼を追うのをあきらめて、再び北に向かって歩き出した。
                                                《続く》

 

5に続く→ 
3に戻る
目次に戻る
小説道場に戻る

inserted by FC2 system