Chapter.5 冬の老人、氷の彫刻 |
しだいに険しくなる山並みは、そのままエクトロイの岩山へと続いている。 「なんだ、インディ。むっつりしちゃって、ビビッてるのかい?」 「まっさか。どんなことがあるんだろうって、ドキドキはしてるけどさ。それよりおまえこそビビッてんじゃないの? 背中の毛が逆立ってるぜ」 「違うよっ。これは寒いせいなんだよ」 いい加減な言い訳かと思ったけど、確かにぼくの肌も粟立ってしまっている。動いているから気づかなかったけど、マントからはみ出ている腕なんかは、まるっきりチキン肌っ。 「変だな? なんで、こんな急に寒くなってきたんだろ」 「寒いよー、インディっ! マントの中に入れてってば」 寒がりのミュアは、しきりにマントに入れろ、うるさくせっついてくる。……まったく、抱っこは嫌いだと言っておきながら、いざとなるといつもこれだ。 「しょうがないな。入れよ」 まだ春先とはいえ、こんなに寒くなるような季節じゃないのに。その理由は、後一つ峠を越えればエクトロイの岩山という辺りまで進んで、ようやく分かった。 「えっ……まさか!」 ぼくは思わず、目を疑った。 「そうか、冬の老人が来てるんだ!」 ミュアがぼくのマントから、首だけ突き出して叫んだ。 「冬の老人? なんだよ、それ」 「冬の老人は冬の老人さ。ま、精霊の仲間かな。ぼくは前にアザゼル先生と一緒に会ったことがあるよ。氷の彫刻が上手なんだ」 まるで自分の手柄みたいに、ミュアが得意そうに言う。 「せっかくだから挨拶していこうよ、インディ」 ミュアがそう言うから、ちょっと寄り道をすることにしたのはいいけど――なんなんだっ、この寒さは! 「ううっ……寒っ! なんとかならないのかな〜、こんままじゃ凍えちゃうよ」 あんまり寒いので、ぼくはロッドへと手を伸ばした。 「そうだ、火の精霊に頼んで小さな火をもらおう」 「あっ、だめだよっ、インディ!」 ミュアが慌ててぼくを止める。 「冬の老人は、火の精霊とすっごく仲が悪いんだから」 「だって、これじゃあ湖のところに行き着く前に凍えちゃうよっ」 「大袈裟だなあ、もう」 そりゃ、ミュアはぼくのマントの中でぬくぬくしてるんだから、いーだろうさっ。 「わあ……!」 氷の床、氷の壁、氷の天井……とにかくなにもかも氷でできている中に、氷の机に腰かけた老人がいた。 「おや、誰かと思えばミュアじゃないか。また、なんでこんな所に?」 ふむ、この人が氷の老人らしい。 「インディ、なにぼさっとしてんのさ。挨拶もしないでさ」 「あ、えーとっ、ぼく、インディ=ルルクっていいます。アザゼル先生の弟子、なんです」
氷の老人は初めて氷を削っていた手を止めて、ぼくに目を向けた。 「……火と、風じゃな」 「え?」 ぼそっと言われた意味がつかめず、ぼくはきょとんとするばかり。 「何、精霊との相性の良さ、じゃよ。おぬしが得意とする魔法は火、それに風の系統じゃ。逆に苦手とするものは 水じゃな。水を操る魔物には気をつけることじゃ」 水を操る魔物と聞いて、なんとなく水妖ブローケルを思い出した。 「しかし、得意な分野がそれでは、水の変化であるワシの元にくるのはさぞ大変じゃっただろう。外は寒かったかの? すまなんだな。こっちにきて暖まりなさい」 指差す暖炉も、氷でできた火が揺らめいている。……あのね。
「先生はいつだって元気ですよ。今、旅行中なんだ」 ミュアが冬の老人を知っていると言うのは、嘘でも誇張でもなかったらしく、ほとんど二人だけで意気投合している。 ぼくが弟子入りする前の辺りの話で盛り上がっているので、ぼくは話はミュアに任せて、側で欠伸をかみ殺していた。 「どうじゃね、このタルモの出来栄えは。良くない気にあたると色が変わるという代物じゃ。我ながら自信作での。どうかの?」 どうかのって……この人、ホントに今の話を聞いてたんだろーか? それに、自信作っつう割には、氷のタルモとやらはただの氷の固まりにしか見えないぞっ。 「ボクはなかなかだと思うな」 いつのまにかぼくの足元にきたミュアが、ぼくの方を見上げながらそう言う。――ぼくにもそう言えっていいたいんだな。 礼儀上と立場上、お世辞を言おうと思っていたけど、ぼくはそれをやめてきっぱり本音を言った。 「言っちゃ悪いけど、あんまり……いてっ!」 ミュっ、ミュアの奴、足に爪をたてやがった! 「ミュアっ、何すんだよっ?!」 「それを言うのはボクの方だよっ! 何をいう気なんだよっ?!」 礼儀もへったくれもなく、ケンカを始めるところだったぼくらを止めたのは、冬の老人だった。 「ほっほっほ、いいんじゃよ、ミュア。なかなか正直な子じゃないか。アザゼルもおもしろい弟子を持ったものじゃな」 ――どーゆー意味なんだ? 「しかし、おまえにはこの価値は分からんか……。では、こうしたらどうかの。 そりゃあ、できないことはないけど、でもこの先戦いが待っているかも知れないのに、魔力の無駄遣いをするのも……。 「無理にとは言わんが」 そう謙虚に出られると、ぼくって弱いんだよな。ま、光の精霊はそんなに魔力を使わないからいっか。 「いいですよ、それぐらい。じゃ、それを机の上に置いて下さい」 ぼくは2、3歩下がって、ロッドを取り出した。 「インディ、気をつけて。間違ってサラマンデルを呼び出しちゃ駄目だよ」 ミュアが真顔で注意する。――ぼくがそこまでドジだと思っているな、あの猫は〜。 「カトゥラブーラ、善き光の精霊ケレットよ、聞け。 光の精霊は答えてくれた。 「ほっ、ほっほう! どうじゃね、今度は?」 冬の老人は得意そうにタルモをぼくに手渡す。――魔法をかけたのはぼくなんだけどな……。 中で光が乱反射し、さらに虹色の光を生み出して、つい見ほれてしまう程だ。 「おう、そうか、そうか。じゃあ、これをやろう」 あっさりそういうと、冬の老人は壁にかけてあった氷の彫刻をあれこれと並べだした。
一々手にとって、あれこれと説明し始める。……意外と調子に乗るタイプだったんだな。
確かに、透明感のある澄んだ音だ。 「普通の人には類いまれな音に、音痴な者には眠りを誘う子守歌に聞こえる一品じゃ。ほれ、これは氷の剣。これはこうやってな……」 と、いきなり冬の老人は剣でぼくに斬りかかったっ! 「うわあっ?!」 ――ん? 確かに斬られたと思ったのに、痛くも痒くもないぞ? それに、肩から袈裟切りに斬られた冷たさは残るのに、ちっともケガしてない。 「ほっほ、驚いたかの? この剣は生きている者を斬ることはできぬのよ」 く、口で言ってくれっ! 「他にもおもしろいものはいっぱいあるぞ。そうそう、これなんか……」 冗談じゃないっ、これ以上付き合っちゃらんないよ。 「すいませんけどぼく逹急いでるんで、全部聞いてる暇はないんです、悪いけど」 「おお、そうじゃったか」 冬の老人は気を悪くもしなかったけど、悪びれた様子もなく、リュートと剣をぼくに渡した。 「長々と引き止めたお詫びに、これをやろう」 役に立つかどーか分からないけど……ま、くれるってものはもらっておくか。 「注意しておくが、火の精霊を呼び出してはいかんぞ。氷の彫刻が溶けてもよければかまわんが」 それだけ言うと、老人はまた熱心に氷の彫刻に取りかかり始めた。一応お礼と挨拶をしたけど、まるで耳に入っていないみたいだ。 「そうよの、セミヤザにもずいぶん会っておらんわい。ほっほ、もうすっかり髪の毛も真っ白になったじゃろうて」 「え? セミヤザは……」 振り向いたぼくの目の前で、氷の扉は閉じてしまった。もう、触ってもびくともしない。 「インディ〜!! なんで動かないんだよっ」 マントの中からモゴモゴと、聞こえにくい声がする。どうやら、ミュアには老人の言葉は聞こえなかったらしい。 「このままじゃあ、ボクまで凍えちゃうじゃないか。さっさと戻ってくれよ」 マントの中で、この勝手な催促――。 「ちえっ、ホントにおまえって奴は〜」 だけど、ミュアの言うことにも一理ある。なんせ尖塔の外はもう吹雪、ぐずぐずしてちゃインディ=ルルクの氷像ができあがっちまう。 「ミュア、しっかりつかまってろよ!」 猛烈な寒気の中を、ぼくは体を丸めて走り出した。
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