Chapter.9 ドルバの卵、翡翠のタブレット

  

「ふえぇ、もう岩山はいいよ〜」

 はっきりいって、もう、ぼく、バテバテ。身の軽いミュアは楽々と岩山を登っていくけど、ぼくは登るスピードがどんどん落ちていく。
 ああ、この件が終わったら、ぼくはもう十年ぐらい岩山登りなんてしないぞっ!

 だいたい、ぼくはまだ半人前とはいえ魔術師。肉体労働よりも、頭脳労働向きのひ弱な商売なんだよなー。
 おまけに、なんだかやけに薄暗い。霧のせいか……?

「ミュアー、その辺になんかないかー?」

 自分で見回す余裕がないので、ミュアに聞いてみると、ややあって思ったより上から返事が降ってきた。

「うん、ここに岩棚があるよー」

 見上げれば、確かに大きな岩棚が重たげに、ぐっと頭上にのしかかっている。まるで、洞窟を縦割りにしたみたいだ。

「インディ、早く、早く。ほら、あそこ」

 やっとの思いでミュアの所まで登ると、ミュアはさらに上へと登っていく。


「影の岩棚……城壁の扉にはそう書いてあったね。きっと、このあたりだよ。――あれだ!」

 大きな掌を上に向けたように、一際張り出した場所を発見。――は、いいけど、あそこまで登るのかっ?!
 しかし、ここまで来て弱音を吐くわけにはいかない。

「よおし、3つ目の鍵だ。ドルバの巣より選び出せ……って、鳥かなんかかな? 行ってみようせ」

 オーバーハングした岩棚を登っていくのも、ミュアにとってはお茶のこさいだ。羨ましいぐらい身軽に登っていくミュアを見ながら、ぼくは慎重に、一歩一歩、しっかりと岩を掴みながら進んでいった。

 ――いろいろあったのに体力を回復してないから、腕は痛いし、体がやけに重い。……胸に軽く揺れている指輪がその度に誘惑するけど、ぼくはなんとかそれを我慢した。
 約束したもんな、我慢できる間はセミヤザの魔法に頼らないって。

「インディー、気をつけてね」

 一番危ない部分に差しかかった。
 岩棚にはい登るためには、足場の全く無い所を手だけを頼りに進まなければならない。ぼくは覚悟を決めて、手を岩にしっかりかけて足を岩場から離した。

 ひやりとした恐怖が、足元から這い登ってくる。高い所を恐れる、人間の基本的な防御本能だ。それを押さえて、ぼくは手を少しずつ動かして岩棚へと移動した。
 後一歩――その時、突然小さな声がした。

『ドルバの卵は緑色……黄色の卵はユウムの蜜……ユウムの蜜は光を当てても孵らない………』

「えっ?!」

 それに気を取られた途端、ぼくの手が滑った!

「インディっ!!」

 ミュアの悲鳴。

「ぐっ……」

 辛うじて、片手だけは残った。だけど、指先だけがひっかかっている状態で――こっからどうやって這い上がれ、っつうんだっ?!

「インディ、手を離しちゃだめだよっ、その下は――」

「わーっ、言うなっ、ミュア!」

 聞いたら、余計怖くなるじゃないかっ。
 ミュアは岩棚から落ちそうなぐらい身を乗り出して、しきりに叫ぶ。

「インディ、早く登って! 登るんだよ」

「の……、登れって言われても…体力が……」

 う、腕が痺れてきた……。

「体力なんか回復させりゃいいだろっ、バカっ、なんのためにセミヤザの指輪を持ってるんだいっ?!」

 興奮したミュアは、めちゃくちゃを言う。あんなにセミヤザを嫌っていたくせして、つくづく勝手だ。――でも、この際、そんな事を問題にしている場合じゃないっ。

「あ…、くそぉ……」

 ここまで体勢が崩れてしまうと、たとえ体力が戻ってしまうと、這い上がれる可能性は少ない。切羽詰まったぼくは、祈るように呪文を唱え出した。

「カ、カトゥラブーラ……、善き風の…精霊、シルフェ…聞け!
 …ぼく…の体を……一枚の羽に……!」

 ぼく程度の未熟な魔術師は、ロッドを手に持っていなければ魔術を使えない。いくらロッドが腰の後ろに差してあるとはいえ――成功率は5分もなかっただろう。
 だが、必死の気持ちが効力を高めたのか、呪文は見事に発動した。

 ふわり、と体が下からの風に舞い上げられる。まるで、体重がなくなったかのように、ぼくは風に吹き上げられてミュアのいる岩棚の上へと登った。

「は…あ…。寿命が縮んだだよ……」 

 大きく息をついたぼくに、ミュアがくってかかってきた。

「それはこっちのセリフだよ、インディ!! ……まったく、本当に…っ」

 言葉に詰まったのか、ミュアが強く、ぼくの体に顔を押しつけてくる。猫が良くやるしぐさだけど、ミュアがこんなことするなんて、めったにないんだ。
 ――悪いことをしたなってその時、初めて思った。
 口に出すのは照れくさいんで、そうは言わなかったけど。

「なんだい、大袈裟だよ。ちょっと、手が滑っただけだろ」

「キミが究めつけのドジだから、心配なんだよ」

 ムッとしたのか、ミュアもいつもの小生意気な口調で言い返してくる。

「別にぼくはドジったわけじゃないよ。ただ、あの時、変な声がしたからさ……あっ、知恵の実だ!」

 慌ててポケットに手を入れて見ると、実は後2個しかない。

「ボクには聞こえなかったけど、なんて言ってたんだい?」

「えーと……ドルバの卵は黄色…いや、緑だったかな? それにユウムの蜜が……蜜は孵らないとかなんとか」

 しどろもどろに言うぼくを、ミュアは冷たくねめつけた。

「――つまりは、インディ。キミってドジなんじゃなくて、ただひたすらおバカなんだね」


「なっ、なんだよっ、その言い方はっ?! ヒントなんか聞き逃したって、ちゃんとタブレットを見つけりゃいいんだろっ」

 ぼくは改めて、岩棚を見回した。
 今までミュア以外目に入ってなかったけど、よくみるとけっこう広めの岩棚だ。大きな窪みがあり、中側に幾つかの穴が開いている。

「ふん……生き物の気配はないよ」

 ミュアが先にチェックしてから、ぼくはゆっくりと穴を探ってみた。
 何か、つるつるしたものが手に触れる――引っ張り出してみると、卵だ。


 全部で、7つ。
 その内2つは黄色で、5つは緑色。
 黄色の方は片手に乗るくらいで、緑色の方は両手で持ってちょうどおさまる大きさ。

「これがドルバの卵かな? ……って、ことはここが巣だろうけど、鍵はどこだ?」

 『ドルバ』らしいものも見当たらないし。……ま、居ない方がいいか。

「鍵は……この中じゃないかな? ドルバの巣より選び出せってことは、つまり……」

 前足で卵をちょいちょいとつつきながら、ミュアがもっともらしく言う。つまり、この卵のどれか一つに入ってるって?
 うん、ぼくもそう思っていたけどさ。

「――けど、どれに?」

 見た目や重さでは、まったく分からない。……割ってみりゃ、一発なんだけど。でも、やたらとへばって体力がないせいか、ぼくはすぐにそれを実行に移さなかった。

「インディ。卵を割ったりしたら、親鳥が怒るんじゃないの?」

「でも……他になんか方法があるか? まさか、雛が孵るのを待つわけにゃあいかないもん」

 コロコロと卵を転がしながらそういうと、ミュアが突然大声を出した。

「あ、そうか、雛を孵せばいいだ! インディ、精霊の力が使えるかもしれないよ」

 なるほど!
 で、雛が出てこない卵が鍵――でも、そんなことできるんだろうか?

「ま、やんないよりましだよな」

 ぼくはロッドを取り出しながら、どの精霊を呼び出そうか考え出した。知恵の実が言っていたような気がするけど、思い出せそうで思い出せない。

 それがひっかかっていたせいか、疲れていたせいか、ぼくはロッドを取ろうとして、ポケットから何かを落としてしまった。
 かつんと、岩に当たって固い音が響く。

「あ、いけね」

 落としたのは、氷のタルモだった。堅い岩の上に落としたから心配したけど、タルモはちっとも壊れていない。中で相変わらず光が乱反射していて、綺麗だ。
 ――ん、まてよ?

「……光だ…………!」

「どうしたんだよ、インディ?」

「光、だ。知恵の実はそう言ったんだ」

 そう、確かにこう言った。
 ユウムの実は光を当てても、孵らないって。なら、ドルバの卵は?
 可能性が見えたことで、ぼくは一時的に疲れも忘れてロッドを振り上げた。

「カトゥラブーラ、善き光の精霊ケレットよ、聞け。
 ドルバの卵より、雛を孵らせたまえ!」

 7つの卵を、金色の光が包んだ!

「わあ!」

 ミュアが嬉しそうな声を上げる。
 光に包まれた卵の中で、コツコツコツ……と小さな音が。

「あ、出てきたぞ」

 殻に小さな穴が開き、そこからまだかすかに透き通った嘴が突き出した。
 1つ、2つ、3つ……雛が次々に顔を出す。少し遅れて4つ。5つあった緑色の大きな卵から、4羽の雛が孵った。
 でも、1つだけはそのままだし、黄色い卵の方は孵る気配すらない。

「ってことは、これがユウムの実とかいう奴か」

 どっかで聞き覚えがあるような名の気がするけど、今はそれよりもタブレット!
 ぼくは最後に残った緑色の卵を手に取った。念の為、耳を当ててみたけど、生きている気配はしない。

「よし、これを割ってみよう」

 勢いをつけて岩にたたきつけると、卵のカケラの中の薄緑色のタブレットが入ってた。


「やった!」

「ふーん。……これは翡翠だよ」

「へえ、そーなのか。やっぱり文字が彫ってあるぞ……『R』か」

 見事に鍵を入手したのは良いとして、気になるのは2つ残った卵のこと。なぜか、4羽の雛が群がっている。

「ピュイピュイピュイ……」

 喧しく鳴きながら、雛達は力を合わせて黄色い卵の一つをつつき始めた。殻を割り、争って嘴をつっこむ。なにか、とろりとした液体が詰まっているみたいだ。
 それが空になった頃、1羽がまだ頼りなさそうな翼を広げた。他の3羽も同じようにする。

 不思議なことに、さっき生まれたばかりでまだ足元もおぼつかない雛なのに、その翼だけはもう充分に飛べるほどになっていた。
 そして、次々に岩棚を飛び立っていく。

「飛んでっちゃった……」

 呆気にとられて見ていると、雛達が消えた霧の中から、かわりにたっぷりとぼくの3倍はある影が現れた。

「親鳥だ!」

 やっ、やば……!
 だが、隠れる前に巨鳥は巣に舞い降りてきた。

「ちょっと、あんた逹! 勝手にこのドルバ様の巣をかき回して、なにしてんのさっ」

 怪鳥ドルバ――頭の上に岩を一つのっけたような瘤がある。緑色の派手な羽が顔の回りにあるのが、とっても派手。大きな嘴を振り立てて、きいきい叫ぶ。

「ははん、鍵を探しにきた人間だね。おや、すっかりうまくやったようじゃないの」

 ドルバはその辺を飛び回っている雛達と、一つだけ残った黄色い卵を見て頷いた。それからぼくに視線を戻すと、左目をゆっくりと2回瞬かせた。

「う……っ?!」


 一瞬の眩暈――けど、それが過ぎた後は嘘みたいにすっきりと疲れが取れた。まるで一晩ぐっすり眠った後みたいに、体力も気力も魔力さえもが完全回復っ!

「あ……ありがとう、助かったよ」

「何、お礼をいうのはこっちさね。あたしの可愛い子供達を孵してくれたんだ、これぐらいは当然さね」

 見た目は怖いけど、ドルバはけっこう話が分かるいい奴らしい。あー、ホントに攻撃しなくってよかった!

「このユウムの蜜はね、空を飛ぶものの子供達にとって、大事な食べ物なんだよ。卵から孵った後、ユウムの蜜を食べて初めて飛べるようになるんだからね」

 ドルバは器用に足のかぎ爪でそれを拾い、ぼくに手渡した。

「あたしの雛達には、もう必要がない。これはあげるよ」

 役に立つかどうかは分からないけど、くれるものはもらっとくのがぼくの主義。
 こうして3つ目の鍵も、無事入手。
 ぼく達はドルバの巣を後にした――。
                                   《続く》

 

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