Chapter.13 もう一つの碑文 |
帰り道――ミュアに言われたせいか、ぼくはどこからかギィが狙っているような気がして、ちっとも落ち着かなかった。ううっ、やっぱ持ちつけない宝なんて、持つもんじゃないよな〜。 とにかく一刻も早くセミヤザに渡してしまえば、ばんばんざいだ。 「おい、ミュア。もうちょっと早く歩けないのかよ?」 とうとう文句をつけると、ミュアは足を速めるどころか、ぴたりと足を止めた。 「インディ。今度はあの蜃気楼を追いかけないの?」 言われてみれば、ぼく逹はいつのまにか蜃気楼の砂漠までやってきていた。 「そんな暇、ないだろ。早くセミヤザんとこに戻らなきゃ」 促しても、ミュアは動かない。 「やれやれ……ホント、インディは記憶力が悪いよね。すっかり、忘れているんだから」
「カゲロウは羽化しないと飛べやしない。だけど、蜜がないから羽化できないんだ」 きどった口調で、ミュアが言う。 「ユウムの蜜を欲しがっている。羽化するために、ユウムの蜜――翼ある者が空を飛ぶために必要なものを」 「あ……!」 そーいやすっかり忘れてたけど、知恵の実だっ! 「で、どうするの、インディ」 「……カゲロウに蜜をやりに行くよーだっ!」 ちょっと寄り道することになるけど、知恵の実がわざわざ言った言葉だ、何が起きるか興味深々だもんね♪ 変なの……。 そこに落っこちないように慌てて下がり、ぼく逹は砂地に大きなすり鉢状の窪みができるのを見守った。すり鉢の底から、あの大ばさみみたいな口が除く。 「やってみるか」 ずっと邪魔くさかった丸い卵を、ぼくは軽く放り投げた。黄色い卵は砂の斜面を転がり落ち、大きな口はそれを上手に掴むと、そのまま砂の中に姿を消した。 「どうなるのかな?」 ユウムの蜜をもって砂中に潜ったまま――アリジゴクの主は鳴りをひそめる。 「………………おい、こら。もう、行っちゃうぞ」 なんの変化も起きないんで、飽きて、戻ろうとした時だった。 「あっ、出てくるよ、インディ!」 ずさっと砂が盛り上がる。 「え……?」 巨大な複眼が、ぼく逹を見上げた。 「やあやあ、お待たせ♪ ユウムの蜜のおかげで、やっと羽ができたよ」 な、なんなんだ、軽い奴。 大きな目に比べて、体はおかしいほど細い――いや、細いっつってもぼくの体ぐらいの太さはあるけど、目とはまるでアンバランス。背中には、あるかないかわからないぐらいに薄い、4枚の羽……。 「……トンボじゃないか!」 大きさはぼくの5倍程はあるけど。 「カゲロウって言ってほしいな」 トンボ……いや、カゲロウが不満ったらしく文句をつける。 「じゃあ、さっそく出かけようか、羽も乾いたし。乗ってよ」 「出かけるって、どこへ?」 「もちろん、あそこじゃないか」 カゲロウは蜃気楼を指した。 「行きたいんだろ?」 もちろんっ! 「行こうよ、インディ」 寄り道を進めるミュアに、ぼくは一も二もなくカゲロウの背に飛び乗った。
カゲロウはひらひらと、ちょうちょのように頼りなく羽ばたく。ただでさえ胴体が細い上、華奢なカゲロウにはつかまるところもないから、バランスが取りにくいったらありゃしない。 「しかたないよ。ぼく、飛ぶのは生まれて初めてだもん」 ぼくだって初めてだっ! 「う〜、で、あの蜃気楼の実体は、どこにあんだよ?」 この調子で、あんまり遠くには行きたくない。 「蜃気楼? 何が、蜃気楼だって?」 きょとんと、カゲロウが聞き返す。 「何って、あの山に決まって……えええぇっ?」 ぼくは目を見張った。 「あれは……いったい、何なんだ?」 「なんだ、そんなことも知らないの?」 呆れた風に、カゲロウが笑う。 「あれは、ヨギの墓だよ。ヨギの5つの鍵を集める者は、必ず訪れる聖なる場所さ」 「……それ、本当?」 ミュアが、ひょいと口を出す。 「もちろん。ヨギの僧院で、そう聞かなかった?」 聞いてない。 「ぼくは、ヨギの力を求める者を、ヨギの墓に運ぶのをさだめとするものなんだ。ほら、見えてきただろ、あの白い建物が……おや?」 ペラペラしゃべっていたカゲロウは、不思議そうに首をぐりんとひねった。 「見慣れない像があるなー。与えられた記憶では、あんなものは無かったはずなのに」 与えられた記憶? なんのこっちゃ? 「ま、いいや。ぼくの役目は、キミ達をここに運ぶことだけだからね」 カゲロウは空中に浮かぶ山の谷間に、ぼく逹を下ろした。小さな聖堂が、少し奥に入った所にある。 「用が済んだら呼んでくれ、僧院まで送ってやるよ。それまで、ちょっと羽馴らしでもしてこよう」 再び、カゲロウはフワッと飛び立っていった。ぼくとミュアだけが、そこに取り残される。 「ヨギの墓か……何があるんだろ?」 とりあえず、ぼくはミュアと一緒に墓に向かって歩き出した。 「嫌な感じだね、こいつ」 ミュアが露骨に顔をしかめるけど、ぼくもまったく同意見だ。 「ああ――言っちゃなんだけど、ヨギって人も趣味が悪いな」 背中にコウモリの翼のある、邪悪な顔の悪魔像。今にもつかみかかりそうな格好といい、ぼく逹を睨んでいるとしか見えない石の目玉といい――ほんっと、悪趣味だ。 「……それって、違うと思うな」 「は? ミュア、何言ってるんだよ? おまえだって、これが嫌だって言ったくせに」 「そうじゃなくて。これが、ヨギの置いたものじゃないんじゃないかって、言ってるんだよ」 ミュアは大まじめに、石像を見上げている。 「ここに詳しいはずのカゲロウが言ったんだ、見慣れない石像があるって。……ってことは、これは元からあったものじゃない」 「じゃあ――誰が置いたんだよ?」 分からない、とミュアが口ごもる。 まるで、第三の目だ。 「ねえ、インディ。あの額の目だけど、指輪の模様に似ていると思わないか」 言われて、ぼくは思わずセミヤザの指輪に目をやった。 「んな、バカな。ぐーぜんだよ、ぐーぜん。それより、中に入ろうぜ」 不気味な石像をすり抜け、聖堂の中に入ろうとすると悪魔像が信じられないような素早さで、ひらりと飛んだ。 「な、なんだ、こいつ? 邪魔する気か?」 3つめの目が、赤い光を放っている。 「インディ、こいつすごい魔力があるぞ!」 そんなの、ミュアに言われるまでもなく感じている。肌がチリチリするような、おぞけのする感じ……ぼくはそれに負けないように声を張り上げた。 「カトゥラブーラ、善き光の精霊ケレットよ……うわっ!」 精霊の名を口にした途端、悪魔像の3つめの目が強い光を放ち、なにか見えない波がぼくを押し倒した。 「だめだ、インディ! こいつはキミとは比べ物にならないほど魔力があるんだっ。見ろよ、ロッドを!」 ミュアの言う通り、ロッドの先端のクリスタルは濁っていた。 ううっ、たかが石でできた石像のくせに、ぼくがまったく歯が立たない程の魔力を持っているなんて。悔しさに、ぼくは歯ぎしりしていた。 ぼくが聖堂の入り口に近づいた時だけ、3つめの目を光らせるんだ。 「邪眼に聖石をはめこむのじゃ」 「え……?!」 前に、ドラゴン岩で聞いた声だ!! 「インディ、ボクの首輪が……っ!」 首輪の石が、光っている!! 「ミュア、今の声、聞こえたかっ?」 「声?」 きょんと、ミュアがぼくを見返す。――ミュアには、聞こえてないのか?! いったい、あの声の主は……。 「ミュア、この石を借りるぜっ!」 ぼくは白く輝く石を取り外し、手に握り込んだ。 ぼくは聖堂の入り口に立ちはだかる石像を睨みつけた。邪眼がぼくを見つめ返す。 「ま……負けるもんか!」 ぎゅっと聖石を握り締め、ぼくは足に力を込めて一歩一歩石像に近づき始めた。 「インディっ!!」 「大丈夫だっ、ミュア! 来るなよっ!」 とは言うものの、立ち上がろうと力をしぼっているところに、再び魔力の波が襲ってくる。ぼくはそれに逆らい、這いずって石像に迫った。 額の邪眼に伸ばす手が、力を込め過ぎているせいかぶるぶる震える。 「わっぷ……っ」 よろよろと、ぼくは後ずさる。 「あ…」
「インディ、また首輪につけてよ」 まったく、めんどくさいことを…。
言われた通り首輪に石をつけてから、ぼく逹は聖堂の中に入った。 「なんだ、なんにもないや」
「ドラゴンを操る力は2つあるんだ! タスクの剣で蘇らせ、ウィングの呪文でそれを封印する……」 ミュアが目を丸くして驚く。 「覚えておこう。ミュアも、見といてよ」 ぼくは完全なヨギの碑文を、ウィングの呪文を、何度も何度も読み返した。
「うまくいったかい? じゃあ、送ってってやるよ」 聖堂の外に出ると、すでにカゲロウが待っていた。薄い羽が、キラキラと輝いていて、眩しいぐらいだ。 「……強い魔力が感じられる。これを操っていたのは、きっととても魔力の強い魔術師だね。……それが、君逹の敵なのかい?」 誰が石像を操っていた? 誰が? ぼくは5つの鍵とタスクの剣を、強く握り締めた。とにかく、ここまで無事に持って帰れたんだ。 「ああ。手強い敵がいるみたいなんだ。危ないかもしれないし、別に送ってくれなくてもいいよ。歩いてでもいけるから」 か弱いカゲロウを戦いに巻き込むのは気が引けてそう言ったのに、カゲロウは強引にぼくを突き飛ばした! 「わっ?!」 転びそうになったぼくの下に、カゲロウがさっと入り込む。すかさずミュアも飛び乗ってきて、ぼく逹はなしくずしにカゲロウの上に乗っていた。 「別に、気遣いなんていらないよ。戦いに巻き込まれたって構わないしね」 「構わないって……大ケガしたり、悪くしたら死んじゃうかもしんないんだぞ」 「どうせ、生き物は一回は死ぬんだよ」 カゲロウは楽しそうに言う。 「だからって、あのね」 言い返そうとしたぼくの肩に、ミュアが飛び乗ってきた。 「インディ。…………好きにさせてあげなよ」 ミュアは小さな、ホントに聞こえるか聞こえないかという声で囁いた。 「いくら魔法で力を増幅され、役割を与えられた魔道生物でも、その本来の性質までは変わらないんだよ、インディ」 「え……?」 ウスバカゲロウ。 「その猫の言う通りだよ。ぼくは今日いっぱいで寿命なのさ」 軽く、カゲロウが言ってのける。 「じゅ…みょうって……」 ずきん、と激しい後悔が込み上げてくる。 「アハッ、なんて顔をしているんだよ」 複眼で広い範囲を見ることのできるカゲロウは、振り返りもせずに言った。 「心配いらないよ、ぼくは君に感謝しているんだから。じゃなきゃ、自分からこんな真似なんかしやしないよ。やっと、ぼくはすべての任務を終えて、自由になったんだから」 カゲロウは悠々と飛びながら、軽やかに声を響かせた。 「ぼくはヨギの魔力で巨大化し、役目を果たすためにずっと砂の中にいたんだ。何十年も、何百年も――いつ現れるか分からない、もしかしたら永久に来ることがないかもしれない『鍵を揃える者』が来るのを待ち続けてね」 ……気が遠くなりそうな話だ。 「……インディ、だったよね? ヨギの聖櫃を解放する者と見込んで、君にお願いがあるんだ」 「ぼくにできることなら、なんでも」 話を聞く前に、ぼくはそう約束した。 「ヨギの力を君がどう使うのか、ぼくは知らない。でも、ヨギの力を再び封印するなら、もう力を試す試練を付け加えないで欲しいんだ。 確かに、よく考えればひどい話だ。
セミヤザあたりが反対しそうな気もするけど――ま、いざとなったらアザゼル先生に泣き落としをかけてでも、なんとかしなきゃ。 「その言葉、信じるよ」 嬉しそうに、カゲロウが言った。 「ああ、いい気持ちだなあ。空を飛ぶのが、こんなにいい気持ちだなんて思わなかったよ」
楽しげに、他愛もないことをしゃべるカゲロウの背で、ぼくは空中に浮かぶ山を振り返った。
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