Chapter.15 ギィの力、ぼくの力

  

 ぼくは力を込めて、聖櫃の蓋を開けた。ギィの時と同じように、金色の光が渦巻く。

「我が呪文に力を!」

 金色の光は渦巻きだって、ぼくのロッドに降り注いだ。ぼくはウィングの呪文を唱える力を手に入れたんだ。
 ドラゴンを再び岩に封じる力だ。

「見てろ、ギィ……!」

 その時、とてつもない衝撃が塔を襲った。
 壁を突き崩し、ドラゴンのかぎ爪がにょっきり顔をだす。その一振りで、天井はがらがらと崩れ落ちた。ドラゴンは塔の半分をえぐり取ったんだ……!
 そして、ドラゴンの背に乗っているのは魔道士ギィだった。

「思いもしなかったよ。まさか、おまえのような未熟者がウィングの呪文を手にするとはな」

 切り札に近い力をぼくが握ったと言うのに、ギィの声にも態度にも余裕があふれている。ハッタリか――それとも……?

「そうだよ! おまえのドラゴンなんか、ぼくが封じてやる……!」

「わたしの力を封じる? おまえがか?」

 ぎらぎらと目を輝かせながら。魔道士ギィはのけ反り笑った。

「おまえにこのわたしが封じられると、本気で思っているのか、インディ=ルルクよ!」


 圧倒的な自信――くそっ、力の開きがあることぐらい、ぼくにだって分かっている。けど、やるしかないんだ!!

「……やってみなきゃ、わかんないだろっ!」

 ぼくがロッドを掲げるのを、ギィはおもしろい見せ物でも見るように眺めていた。

「その前に思い出すがいい。その指輪は、誰がやった?」

 指輪?
 まだ、胸にさがったままの指輪に気づいて、ぼくは慌ててそれを引きちぎって投げ捨てた。

「今更捨てても、もう遅いわ! おまえは何度かその指輪を使ったはずだ。だが、それはわたしの呪文……わたしの魔力だ!
 わたしがおまえに生命力を与えていた――その意味が分かるか?」

 ギィが楽しげに、残酷な真実を告げた。

「あの呪文を使った時から、おまえはすでにわたしの魔力の支配下にあるのだ」

 そんな……!
 声に出したはずの言葉は、自分の耳にすら聞こえなかった。目の前が真っ暗になる。いつかも味わったような絶望感に、足の力が抜けていく。

 ギィはニヤリと笑い、これみよがしにタスクの剣をふりあげた。それに応じて、ドラゴンが舞い上がる。
 ドラゴンの背で、ギィは叫んだ。

「ウゥングの呪文を使いたければ、使うがいい! 石と化すのは、おまえの方だ!!」

 ぐるぐると、頭の中で色々なものが回っていく。
 セミヤザの魔法を使わないほうがいいと言ったミュア。ぼくが失敗すると噂していたしゃべる木の実。知恵の実の代わりに、一つの知恵を授けてくれた小鬼。

『――汝が飲み水、無償ならず。
 必ず、返す時来たらん。
 されば、少なく飲むべしや――』

 まさか、こんなに高い代償を払わされることになるなんて……!
 ――やはり……やはり、ぼくにはなんにもできないのか?!
 体を支える力が抜けて、ぼくは崩れ落ちた壁に寄りかかった。触ればパラパラと石が落ちるような、そんな頼りない壁をささえにしなければなんて……。

 ――足元に、何かがキラリと光った。
 どこか、見覚えがある……。

『いいだろ? ザミールって人にもらったんだ』

 不意に、ミュアの得意そうな声が蘇った!

「……ミュア?!」

 慌てて辺りを見回したけど、ミュアの姿はどこにも見えない。あるのは、ミュアの首輪についていたはずの、この石だけ……。

「ミュア――!!」

 絶叫が、喉を突いててでた。それが、ぼくに残された最後の力だ、とでもいうように。
 そして、長い空白。……返事は、なかった。

「あ……あ…」

 体の力が、抜けそうだ。
 寒くもないのに、体の震えが止まらない。
 こんな――こんなことになってしまうなんて……!

「…っ、ミュア……っ!」

 ぼくは小さな石を握り締めた…………。

『ギィのハッタリに惑わされるな。勇気を持て』

 空中に浮かぶ山で聞いたのと、同じ声が響き渡った。

『ウィングの呪文を支配しているのは、おまえじゃ。ギィは、おまえのすべてを支配しているわけではない』

 声はそれっきり途絶える。
 だけど、ぼくには立ち上がる力も、勇気もなかった。ミュアが……ミュアがいなくなったのに、どうしてそんなことができるんだろう?

 ぼくは呆然と、ギィの操るドラゴンが旋回するのを眺めていた。それさえも、今のぼくには関係のないことのように思える。
 ギィがタスクの剣を振りかざすのが見えた。

 ドラゴンは長い首を引きつけ、翼を一杯に広げて空中に立ち上がる。
 ぐっと首を突き出すと、いっきに急降下に姿勢を取った――その途端、口からオレンジ色の塊が吐きだされた!
 巨大な炎の塊は、ぼくをかすめて塔を焦がした。

「逃げてもいいのだぞ」

 ニヤリ、とギィが笑うのが見える。――今のは、脅しなんだ。自分にはこれだけの力があるぞ、とぼくに誇示するために。そして、次の一撃でぼくを消し去るつもりなのに違いない。

「……勝手にしろよ」

 ぼくがロッドを投げ捨てようとした時だった――キラキラと光る羽をなびかせて、ドラゴンに何かが突っ込んでいったのは。

「……?!」

 ぼくはその名を呼ぼうとした。だけど、呼べなかった。
 ――そいつの名を知らなかったから。
 透き通るほど薄い羽、華奢な体つきのカゲロウは、無謀にも自分の何倍もの大きさ、何十倍もの体重を持ったドラゴンに体当たりを食らわせていた!!

「バカな……っ! 何で……?!」


 ぼく逹を送っていったら遠くまで飛んでいくと言ったカゲロウが、なんでこんな所に――?!

「なんだ、こいつは?」

 邪魔臭そうに、ギィは剣を持ちかえる。

「やめろぉっ!」

 ぼくの叫びも遅く、カゲロウは一瞬で炎に包まれた。キラキラ光る羽がパアッと燃えて、消え去る。

「ふん、たかが魔道蟲ごときが……。なぜ、こんな愚かな真似をしたのやら」

 ギィのあざ笑う声が、やけに大きく聞こえる。
 なぜだって?
 ――決まっているじゃないか、カゲロウはぼくを助けようとして、あんな無謀なことをしたんだ。

 ぼくを助けるために。
 カゲロウとの約束も忘れ果てて、敵を目の前にしてぼーっとしていた、馬鹿にもほどがあるぼくなんかのために。

「……おまえには…………分かるもんか」

 ぼくはロッドを握り締めた。もう片方の手には、ミュアの首輪の石を握ったまま。

「カゲロウは……長い間ヨギの力を守っていた番人の一人なんだ。それを愚かと笑うおまえには――ドラゴンを操る資格なんてない!」

 ぼくの感情が高ぶったせいか、意識していないのにロッドの先端に光がともる。
 ふと、サタンと向き合った時のことを思い出した。あの時も、勝ち目なんかなかった。 ぼくは、サタンに支配されていた。
 魂を握られ、魔力を封印されていたっけ。

 それに比べれば――ギィがぼくを支配しているとはいっても、呪文の力まで封じられているわけじゃない。
 ――それに比べれば、今の方がぜんぜん分がいいじゃないか。

「ほう? 石になってもいいのか?」

 ギィの脅しに、もう乗る気にならなかった。どうせ、このままなら炎で焼き殺されるんだ。
 石になろうと、なるまいと、関係あるもんか!

「大いなる力の精霊よ、聞け!
 我の唱えしウィングの呪文にその加護を!!」

 ロッドは金色の輝きを放ち、力の精霊の加護のあることを示した。
 ――後は、ぼくの力しだいってわけか。
 ギィのタスクの剣が閃いた。ドラゴンは再び空中高くに舞い上がる。
 ようし、勝負してやろうじゃないか。

「タスクの剣によりて蘇りしドラゴンよ。
 力の化身にて、力を現世に現せし生き物よ。
 今は、汝の居るべき時代に非ず。
 我、汝を深き眠りへと誘わん……!」

 ぼくが唱え始めたウィングの呪文に、ドラゴンの動きが鈍った。……効いているのか?
 だが、ギィもタスクの剣を高々と掲げる――そうは、させるもんか!

「我、ウィングの呪文を持てる者――すなわち、汝の支配者なり!
 我、インディ=ルルクの名に置いて命じる。
 汝の翼を畳み、そして再び岩と化することを!」

 ロッドの光が瞬く……いつもと違い、ひどく消耗するのは今まで唱えたこともない大呪文だからか?
 ギィの魔力支配をうけているせいなのか?
 どちらにせよ、ぼくにできること、ぼくがしたいことは、ギィの念をも上回るように、心を一つにすることだけだ!

「ドラゴンよ――我に従え……!」

 ドラゴンは炎を吐き出した。
 だが同時に、ぼくのロッドからも凄まじいまでの『何か』が飛び出した!
 ぼくの目には、輝く軌跡だけが見えた。

 あれは――稲妻?
 そう、一筋の稲妻がタスクの剣目がけて閃いた。ドラゴンの背に立ち上がった魔道士ギィが、凍りつく。遠くだったにもかかわらず、ぼくはその時、ギィの目が恐怖に見開かれるのを見た。
 ――見たような気がした。

 ほんの、一瞬の出来事。だが、それは目の裏に痛いほど焼きついた。
 続く稲妻は、火花。たちまちのうちにかけめぐり、ドラゴンを光の網で絡めとった。翼を広げ、くわっと牙をふりたてるドラゴン――。

 見届けることができたのは、そこまでだった。
 ぼくに吹きかけられた炎の塊は、ぼくを焦がしもしなかったが、回りにオレンジの壁を作り上げていた。ぼくは魔力の反動で守られていたが、塔にはすっかり火が回ってしまった。

「……無理、ないか」

 煙に噎せながら、ぼくは逃げ道を探した。
 タスクの剣とウィングの呪文――どちらも、ともに禁断の力。ともに、力を放ちきったのだから。

「く……」


 ミュアが心残りだったけど、うなりよせる火の手と轟音がぼくを急き立てた。出口に続く階段は、とっくに崩れ去っている。――このまんま死ぬのはともかく、ギィの放った火球で死ぬのだけはどうにも我慢できないぞ!

「……ギィに殺されてなんか、…たまるもんか……!」

 ほかに逃げ場は――出窓しかないな。
 はるか下に見える地表に身が竦んだけど、ほかに道はないなら仕方がない。ぼくは力一杯窓枠を蹴り、出窓から身を躍らせた――!!

 一瞬の浮遊感――だが、すぐにそれは恐怖を伴う落下に取って変わる。風の精霊に呼びかける気力も、時間もなかった。

「くそ…くっそおお……!」

 地面に頭からたたきつけられる!
 ――そう思った瞬間、突然、体をふわっと押し上げるものを感じた。勢いを失ったぼくの体は、わずか膝丈ほどの高さから地上へと落ちる。
 痛みは、ほとんどなかった。

「な……ぜ?」

 ぼくの体の回りに、キラキラと輝く光の粉が散っていく。
 これは……鱗粉?

『インディ=ルルク、ありがとうね……楽しい一日だったよ……』

 優しい声は、鱗粉と一緒に消えていった。

「カゲロウ……」

 ――あの、綺麗なくせにとってもバカなカゲロウは、たった一日っきりの自由な日を、こんな形で終わらせたのか…。

「……バカ! ぼくなんかに構ってないで、海にでもどこにでも行けばよかったのに……!」

 ありがとうなんて――ぼくの言う台詞じゃないか。

「バカ…バカやろう……!」

 ぼくはなんとか、立ち上がった。カゲロウが落下から助けてくれたのに、焼け死んだりしちゃシャレにもならない。
 ふらつきながら、ぼくは火の粉や瓦礫から離れた安全な方へと進む。

 そして、それを見つけた。
 目の前にそそり立つ、見覚えのある岩。それは、ひどくドラゴンに似ている……。
 しばらくの間、それが何を意味するのか分からなかった。
 ドラゴン岩は、エクトロイの山で見た時と違って、今にも飛びたとうとしている姿じゃない。

 首を翼の下に折り曲げて、眠るがごとくうずくまった姿で固まっている。
 これが、ウィングの呪文の効果――?

「…勝ったのか……」

 ぼくは、勝った。
 ぼくのウィングの呪文は、ギィのタスクの剣に勝ったんだ。

「勝った、のにな……」

 ――ぼくは何かを、手に握り締めていた。
 あの騒ぎの中、ロッドさえどこかで手放してしまったのに、まだ手の中に握り込んでいるのは、小さな水晶球。

 ――くそ、なぜだか、にじんで見えるじゃないか。
 ぼくは乱暴に目をこする。二度、三度と……でも、目のにじみは止められない。
 くそっ、ミュアの奴――。

「友達は無事じゃよ、インディ=ルルク」

 前に3度、その声を聞いた。
 のろのろと振り向いたぼくの前に、片目のザミール老が立っていた。
 破れた長衣の袖口がもぞもぞ動き、ひょこっと小さなものが顔を除かせる。それは、聞き慣れた小生意気な口調で言った。

「あれ? 目にゴミでも入ったの、インディ?」
                                   《続く》

 

 

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