Chapter. 2 いつの間にやら、巻き込まれていて

  

「そうだ、フレイヤは?!」

 ヤバい、すっかり忘れてたっ!
 ぼくはうつぶせに倒れているフレイヤを見つけて、慌てて駆け寄って抱き起こした。
 ――ふぁさっ。
 フードから柔らかな金色の髪が、一房こぼれ落ちた。

「う……ん…」

 ミュアと同じ色の瞳が、不思議そうにぼくを見つめる。

「……あなた、だあれ?」

 細い、澄んだ声を響かせ、女の子は軽く首を傾げてみせる。ぼくは……ぼくは、すっかりどぎまぎしてたっ。
 ゾンビ軍団に襲われて時よりも、驚いたっ!! ――だって、フレイヤってのはぼくとほとんど年の変わらない、すっごく可愛い女の子だったんだもん!

 先生もミュアも、年のことなんてまるで言ってなかったから――ハミの王族と結婚するんだし、もっと大人の人かと思ってたのに。
 おかしなもんで、フレイヤを見る前には平気で彼女を抱き起こせたのに、一目見た途端、どーしていいのか分かんなくなって、ぼくはそのまんまの姿勢で固まってしまった。
 かすかに身動ぎし、フレイヤは辺りを見回す。

「あら……? あたし、どうして、こんなところに?」

 説明を求めるように、フレイヤはぼくを見つめる。……っこ、困るっ、なんだか分かんないけど、とっても困るっ!
 ひたすらオロオロするぼくに代わって、ミュアがひょっこり割り込んできた。

「フレイヤッ、無事で良かった!」

「まあ、ミュア?!」

 するりと、フレイヤがぼくの腕から抜け出し、ミュアを抱き締める。

「フレイヤ、キミ、今、危ないところだったんだよ。どっかの黒魔術師に狙われててさ、ボクがいなかったらどーなっていたか……」

 さも自分の手柄のように、ミュアが今までのことを説明しているのが、癪に触ったけど、ぼくにはどうしようもできなかった。
 普段だったら割り込んで文句を言うんだけど――今はなんだか知らないけど、妙にどぎまぎしちゃって……ええと、そのお……まあ、どーだっていいんだけさ。

 それに、ぼくはとても心配だった。
 事情を飲み込んだフレイヤが、怖がって泣き出したりするんじゃないかって……女の子に泣かれるのって、だめだ。
 泣いている女の子なんて、どう扱っていいのやら。

 それに、怯える女の子ってのも困りもんだ――そう思っていたが、結果はもっと困ることになった。

「ふうん、そうだったの。あたし、アバシュの村でハミの使者の人達に出会ったことは覚えているけど、その後はぜーんぜん」

 ミュアの話を聞き終わったフレイヤは、あっさりとそう言っただけだった。まあ、ミュアがゾンビだの、不気味なものを省いて話したせいかもしれないけど。

「でも、助けてくれてありがとう、ミュア。それに……ええと?」

 フレイヤがぼくの方を見た。
 名乗らなきゃ、と思いつつ、喉が奇妙に乾いて声が出ない。

「インディ=ルルクだよ。アザゼル先生の弟子でね、魔術師の卵なんだ」

 ぼくに代わってミュアが、そう紹介してくれた。

「そう、アザゼルおじ様のお弟子さんなの。どうもありがとう、インディ」

 そして、ふと、辺りを見渡すと、

「あら、ここは、ミミールの井戸ね。わあっ、あたし、一度来てみたかったの。昔はお薬になる水が湧いていたんですって、美容にとってもいいって聞いたわ。
 なーんだ、やっぱりもうお水はないのね」

 物珍しそうに井戸の回りを歩き回るフレイヤを、ぼくはあっけに取られて見つめるばかりだった。命が危なかったかもしれなかった女の子にこんな態度を取られて、ほかにどーしろっていうんだっ?
 あげくに、フレイヤはこう言った。

「もう、なんにもないのね。こんな所にいつまでもいたって、つまんないわ。行きまようよ、早く」

「え? い、行くって、どこに?」

「タナよ」

 フレイヤはそんなこと分かり切っているじゃない、とばかりに目を丸くした。

「さっきのハミの使者は偽者だったんでしょ。だったら、きっと本物の使者がタナで待っているわ。待たせちゃ悪いじゃない?」

 当たり前のように話しかけられ、ぼくは絶句した。

「あら、もう日暮れなのね。じゃあ、余計に急がないと」

 すたすたと歩き始めたフレイヤは、振り返ってにっこりと笑った。
 それがもう、相手が嫌と言うかもしれないなんて、夢にも思ってないような、『にっこり』なんだ。

「あら? 馬がいないわ」

 遺跡の石囲いの外で、フレイヤは辺りを見回した。
 そりゃ、いなくもなるだろう。

 ぼくが乗ってきた馬もフレイヤが乗ってきた馬も、手綱を放した後、放っておいたせいでどっかに行ってしまった。よく訓練された馬のようだったし、運がよければフレイヤの家に帰っているだろう。

「えーと、あのさ、こんなことがあった以上、このままタナに行くのはどうかなって思うんだ。ここはいったん、ヴィーニールに戻った方がいいんじゃない? この先何があるか分からないし……」

 フレイヤを怯えさせないように、ぼくは慎重に言葉を選んで説得しようとした。

「そおお? でも、もう日暮れよ。これから、馬もなくて峠を越えるなんて。あたし、疲れちゃったもの、早く休みたいわ」

 な、な、なに考えてんだ、こいつは。

「ボクはフレイヤの意見に賛成だよ、インディ。ここからならアバシュよりもタナの方が近いもの」

 ミュアがもっともらしく言ってから、こっそりとぼくにだけ聞こえるように耳打ちした。


「キミの意見は正論だけど、分が悪すぎるよ。フレイヤって、お嬢様なんだ」

 まあ……確かに着ている服といいどことなく漂う気品といい、それは納得できるが……できるが、だからって言ってこれからタナまで直行だって?

「タナまで行ったら、今日中に……いや、明日中にだって帰れないじゃないか」

 先生には、今日遅くには帰るって言ってきちゃったぞ。

「しょうがないよ。乗りかかった船だ、タナまで送ってあげなよ、インディ。まさか、女の子を夜道に放り出していくわけにもいかないだろ?」

 それもそうだが……ぼくは妥協案を出すことにした。

「せめて、今夜はここで野宿して、明日の朝早くタナに向かったら? その方が、まだ安全だよ」

 しかし、ぼくの意見はすぐさま却下された。

「ええっ、野宿ですって? あたし、そんなの嫌。それぐらいなら、一人で歩いていくわ
 本気で歩いていきそうなフレイヤを、ぼくは慌てて追った。

「わ、分かったよ、分かったってば。じゃ、ちょっと待ってくれよ」

 ……ったく、何がかなしゅうてわざわざ危険な夜道を行かなきゃいけないんだか…。
 ぼくはその辺に落ちている手頃な大きさの木切れを見つけて、先端を手で握り込んで呪文を唱えた。

「カトゥラブーラ、善き火の精霊サラマンデルよ、聞け。
 小さき火を、我に分け与えよ」

 掌に熱さを感じると同時に、手を離す。ちらちらっと小さな火種が踊り、即席の松明が出来上がった。

「わあっ、素敵、素敵!」

 フレイヤは手を叩いて、大はしゃぎだ。

「すごいわ、あなた、本当に魔法が使えるのね」

 ――今まで、なんだと思ってたんだ……?

「ね、他にも使って見せてくれない?」

 無邪気にフレイヤはねだるけど、冗談じゃないっ。

「駄目だよ、今はロッドがないから魔法なんてほとんど使えないんだ」

 ホントに、ロッドさえあれば松明なんて作んなくても、光の精霊に明りを分けてもらえたのに。ロッドなしじゃ、一番得意な火と風の精霊にほんのちょっぴり手助けしてもらうことしかできやしない。

「さ、行こう。ぼくのすぐ後ろを歩いて。ミュアはフレイヤの後からついてきてくれよ」
 

 ぼくの意図を、利口なミュアはすぐに察してくれた。

「分かってるよ、何かあったらすぐに知らせるから」

 いつ、あの仮面の奴が襲ってくるかもしれないし、ただでさえ夜道には危険がつきまとう。だが、そんなことも知らないのか、フレイヤはご機嫌だった。

「わあ、あたし、夜道をこんな風に歩くなんて初めて! なんだか、楽しいわね」

 ――ええい、勝手にしてくれ!
 タナ?
 いいとも。

 町外れの館でハミの使者と落ち合う?
 いいですとも、そこまできっちり送っていけばいいんだな? それでおしまいなんだな? はっきり口に出しては言わなかったけど、ぼくの内心はそんなもんだった。

 初めて会った時のどぎまぎはどこへやら、ぼくは大変なお荷物を抱え込んでしまったと後悔しつつ、夜道をタナに向かって歩き出したんだ。

 

 

 

 運よく、敵の襲撃にもなんにも会わず、ぼく逹は夜が更ける前にタナの町に到着した。途中でフレイヤが足が痛いだの、手を引いてだの、あれこれ言ってたことはまあ  この際、なかった事にしておこう。

 町外れの立派な門のある館は、特別な用事で旅行する賓客のための特別な宿だと言う。まっ、ぼくなんかには縁のない所だ。
 時間はずれに押しかけたのに、わざわざ館の主人が出てきてフレイヤを丁寧に迎え入れた。どうやら、主人はフレイヤのことはよく知っているらしい。

「残念でしたね、フレイヤ様。ハミの使者の方々なら、今日お帰りになりましたよ。ヴァーニールからの使者が見えて、フレイヤ様は別のルートでお立ちになるとお伝えになったので……」

 そんな話は、初耳だ。

「ふむ、連絡の行き違いでしょう、よくある話です。なに、こういうことはままあることです、ご心配には及びません。フレイヤ様はどうかここでゆっくり、お休みになって下さい。明日ヴァニールに使いをやって、あらたなお迎えを頼みましょう」

 またか、と思った。
 でも、ま、ぼくには関係ないか。この宿屋は割としっかりしてるみたいだし、そんならぼくにはこれ以上責任はない。さっさと引き返して、アバシュ村へ行ってみたかった。

 多分、ゾンビはあそこで盗まれた死体だろうから、せめて結果だけでも知らせておきたいし。

「それじゃあ、ぼくはこれで」

 失礼します、と言おうとしたぼくより早く、フレイヤがとんでもないことを言い出したっ。

「じゃあ、この人も泊まっていいでしょ? だって、インディはヴァーニールよりも、もっと遠くに帰らなきゃいけないんですもの」

「えー。そんなのいいよ」

 こんな高級な宿屋に泊まるお金なんて持ってないぞっ!

「ぼくはその辺の宿屋に泊まるか、野宿するか、……ま、適当になんとかするからさ」

「駄目よ!」

 フレイヤが、ぼくを真正面から除き込んだ。こうして真っ向から目を見られると、なんだが奇妙にどぎまぎしてしまう。

「そんなの、絶対に駄目よ、危ないじゃない。ね、今日はここで休んだ方がいいわ」

 うさん臭げにぼくを見ていた主人も、フレイヤが熱心に進めるのでしぶしぶ頷いた。


「ふうむ……まあ、フレイヤ様が、そうおっしゃるなら」

 長々と迷ったあげく、主人は言った。

「ええ、君も泊まってけっこうですよ、もう夜も遅いですからね。その猫は……まあ、いいでしょう。おとなしくさせておいてくださいよ」

 

 


「『おとなしくさせておいてくださいよ』だって? あったまくるな、ぼくはただの猫じゃないんだぞ! ええいっ、こうしてやるっ!」

 ミュアはぷりぷりして柱をひっかく。そーしてると、やっぱりただの猫にしか見えないんだけど。
 でも、ぼくにもミュアの気持ちがよく分かるので、とめないことにした。

 だって、ぼく逹があてがわれたのは、物置の隣のせっま〜い部屋なんだぜ! ぼくだって、フレイヤがどうしてもって言ったんじゃなきゃ、こんなとこに泊まってなんかやんなかったわいっ!

 自慢じゃないけど、ぼくは野宿にも慣れてる方なんだから。
 とはいえ、さすが高級旅館、ぼくの屋根裏部屋の藁のベッドよりも、ずっとふかふかの寝床。

 フレイヤの事、偽の使者達についての対策を、ミュアと相談しようと思ったけど、ふかふかの寝床に横になるともう駄目だった。
 疲れていたせいもあって、ぼくはアッという間に寝入ってしまった――。

 

 

 トントントン……トントン――!
 しつこくドアを慣らす音に、ぼくは目を覚ました。窓を見ると、ようやく空が白みはじめた頃だ。……朝早く起こされるのって、ろくなことじゃないんだよな、たいてい。

「はい、今あけるって。ふわぁ……」

 主人が難癖でもつけにきたんだろう  と思ってたのに、飛び込んできたのはフレイヤだった!
 旅のマントを着込んで、なぜか目を輝かせて、うれしそうに話しかけてくる。

「おはよう、インディ! ねえねえ、あたしよーく、考えたんだけど」

 ふっと、嫌な予感がした。
 そして、それはものの見事に的中したんだ。

「あのね、あたしここにやってきたヴァーニールの使者っていうのは、偽者だと思うの。アバシュであたし逹を迎えにきたハミの使者と同じように。誰かがあたしをハミに行くのを、邪魔しようとしている人がいるのよ」

 ……そんぐらいのこと、ぼくにだって読める。

「ハミ王家を巡る陰謀よ、そう、きっとそうに違いないわ!」

 なぜか興奮してはしゃぐフレイヤに、ぼくはあくびを噛み殺しながら答えた。

「うん、だから君はヴァーニールから迎えがくるまでここを動かない方がいいよ。ぼくも先生に知らせて、なんとか手助けしてもらえないかどうか、聞いてみるから」

 もっとも、先生、なんか用があるみたいだったから、望み薄かもしんないけど。
 しかし、フレイヤの考えは、はるかにぶっとんだものだった。

「これであたしが家に戻れば、悪者の思う壺じゃない。だからね、あたし考えたの! このまま、こっそり行っちゃうのよ、相手の裏をかくの。ね、とってもいい考えでしょ?」


 ぼくは呆然と、フレイヤを見つめた。――眠気なんか、一気に覚めちゃったぞっ!

「だから、早く支度して。誰にも見つからないうちに、早くここから出なきゃ」

 どうして  いったい、ぼくがハミまで送っていくなんて、いつのまに決まったんだ?!
「だっ、駄目だよっ、そんなっ!!」

「あら、駄目って、どおして?」
 

「ど、どおしてって……あんな事があったんだぜ? 家の人だって心配するし、ぼくにだって都合があるしっ」

 それに、仮にも女の子と二人旅だなんてっ。

「とにかく、どうしたって駄目に決まってるじゃないか」

「じゃあ、サンシャまでなら送ってくれる?」

 ぼくが断るとも考えていないような笑顔で、フレイヤは聞いてきた。

「サンシャには大おじい様がいるの。とっても物知りな魔法学者よ、どうしたらいいか教えてくれるわ。家に帰っても、きっとお父様もお母様もそう言うわよ、サンシャの大おじい様に相談してみようって。
 一族の長老なんだもの」

 ああ、そうですか。
 でも、ぼくには全然知らない人だ。
 答えに詰まって黙り込んでいると、フレイヤはご機嫌を損ねたのか、つんとして言った。
 

「いいわ、あなたの都合が悪いなら、あたし一人だって行く。あなた、帰ったらアザゼルおじ様によろしくね」

「インディ……」

 いつ起きたのか、ミュアが小さな声で囁いた。

「フレイヤって、ホントに一人でも行っちゃうぞ。帰って、アザゼル先生にその事がばれたら……」

 あー!!

「……分かったよ、行くよ」

 こーして、ぼくはわけが分からないうちに、この件にどっぷりと巻き込まれてしまったのだった……。
                                   《続く》

 

3に続く→ 
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