Chapter.5 魔性のコイン、ニドゥド |
翌朝、ぼく逹はニッフルニーニョ大先生の見送りを受けて、サンシャの寺院を出発した。こーゆー場合、普通なら『気をつけてな』っていうところを、ニッフルニーニョ大先生はこう言った。 「では、しっかり暴れてこい」 ……あのね。 なんせ今日はこれからカラジャまでラクダの旅を続け、そこから船でハミに向かうつもりなんだから、余計なことで体力や気力を無駄遣いできない。 「じゃ、行ってきまーす」 「おおっ、忘れとった、これも持っていけ!」 と、大先生がぼくに投げてよこしたのは、古いコインだった。餞別がコイン一枚だからって、文句を言う気はないけど……。 「これって……昔のお金だろ? 見たことないもん。使えるわけないのに、なに考えてんだろ?」 ぼくのぼやきに、フレイヤが笑う。 「うんと長いこと砂漠の中の寺院にいるからさ、そういうこと、忘れちゃってるんだよ、きっと」 「え……?」 ぼくは驚いて振り返った。な、なんか、フレイヤの口調がいきなり乱暴になったような……。まるで、男の子だ。 「あ、いけね……じゃなかった、いけない!」 フレイヤが軽く肩を竦める。 「うにゃにゃっ、男の子の格好をしてるんだもの、その方がぴったりだ♪」 ミュアは気楽に喜んでいるけど――あれ? 「ミュア、それどーしたんだい?」 よく見ると、ミュアは見慣れない首輪をしていた。赤い石をはめ込んだ首輪で、よ〜く見ると、フレイヤもおそろいの腕輪をはめている。 「ニッフルニーニョ大先生にもらったの。魔除けなんだって」 ミュアとフレイヤは顔を見合わせて、うなずきあう。ちえっ、ぼくにだけくれないなんて……。 ともかくファフニの砂漠の北の橋を横切り、カラジャに向かう街道へと出る。潮風と共にざわめきが漂ってくるのが、砂漠の後では嬉しかった。 『料金表 ふむふむ、船便は最高でもエチナまでしかないんだな。ってことは、その後は陸路でハミに向かうっきゃないってことか。 「どうせなら、エチナまで船で行きたいな」 フレイヤがもっともな事を言う。――よかった、あちこち観光したいなんて言いだしたら、どーしようかと思っちゃったよ。 「ラクダを売ろう。もう、いらないし」 ところで、ミュアの分はどうなるんだろ? 気になって切符売り場の人に確かめると、係員はあっさりと言った。 「手荷物扱いでいいよ」 と、ゆーことはただっ♪
『ラクダ、売ります。2頭ともとっても元気!』 ぼくは板切れに大きく書いて、広場の隅に陣取った。人通りは多いんだけど、なかなか買い手は現れない。よくよく観察してみると、頭にいろんな色のターバンを巻きつけたこの辺りの人達は、たいていラクダを連れているんだ。 「これじゃあ、あんまし高く売れないかもな」 そう言っているところに、大きな荷物を背負った男が近づいてきた。 「1000Ψで1頭売ってもらえないだろうか。ここらあたりじゃ、1500Ψが相場と知ってはいるんだが……」 申し訳なさそうに、そう切り出す。その声は砂漠でかれたのか、すっかりガラガラだった。 「ええ、いいですよ」 「インディ?!」 とがめるようにフレイヤが言うが、……困っている人を見捨てるのもなんだもんな。幸い、フレイヤもそれ以上言わなかったし、こんな時はやたらとうるさく言うはずのミュアはなぜか、ほとんど無関心を決め込んでいる。 「助かったよ。バクシまで行くつもりだったんだが、急に引き返さなきゃいけなくなってねえ。わたしは薬売りなんだ、お礼に何か薬を上げよう」 旅人はよっこらしょと荷物を下ろし、包みを開いた。小さな油紙で包まれた塊を、ぼくにいくつか渡してくれる。 「これは毒消し、大抵の毒には効くよ。これは酔い止め。船酔いなんかには効果的面だ。これは下痢止め、おなかを壊したときに使うと言い。これは熱冷まし、ちょっとした風邪ぐらいならこれを飲めば動けるさ」 ううっ、薬は嫌いなんだけど……でも、せっかく好意でくれたんだし。 「ど。どおもありがとお」 「いや、役に立ってくれると嬉しいよ。もっとも、薬なんて飲まないにこしたことはないけどね」 そう言って、謎の薬売りは去っていった。 「値切るつもりよ」 フレイヤが囁いた。 「このラクダなら、1200ってとこかな」 男はわざとらしく顔をしかめながら、ラクダの尻をぺたぺたと叩いた。 「さっきの人、相場は1500Ψだって……」 男に聞こえないように、フレイヤが囁く。そうだよな、子供だと思ってなめてんじゃないのか? 「1500Ψなら売るよ」 「はっ、これだからよそ者は」 男があきれたように、ぼくをジロッと見た。 「おまえら、よそ者だろ? そんな強気じゃ商売できねえぞ。1300Ψにしな」 「1400Ψ!」 「1300Ψ以上は出せねえな」 「1400Ψだってば!」 言い張ると、男はふんっ、と鼻を鳴らした。 「ちえっ、じゃあいいや。教えといてやるけどよ、この辺じゃ1500Ψでラクダを買う奴なんていないぜ」 男はあっさりと去っていった……。 「……売っといた方がよかったんじゃない?」 「うにゃっ」 ああっ、フレイヤとミュアの視線が痛いっ! 「さあさあラクダの大安売りだよっ、たった1400Ψでこの元気なラクダがあんたのもんっ、これはお買い得っ!」 人だかりはできるが、声はない。 「なら、1300Ψでどうだっ! ええいっ、1200Ψっ」 「1100Ψなら買うぞ!」 うっ、ずいぶん値切られたな。でも、しょうがない。 「よしっ、売った!」 ――と、言うわけで、ぼくは結局2100Ψでラクダを売った。……ぼくって、商人の才能はないみたいだ。でもまあ、もともとの所持金と合わせれば切符を買っても600Ψくらい余るし、なんとかなるだろ。 「エチナまで、2枚」 「はいよっ。出港まではしばらくかかるぜ」 ふむ、それまでどうやって時間を潰そうかな? 「ねえねえ、町を歩いてみよう!」 まっさきに駆け出したのは、ミュアだった。 「あっ、これ可愛い!」 ある店の前で、ミュアがぴたりと立ち止まる。いったいなんに見とれてんのかと思ったら、なんと色とりどりのリボン。 「えー、おっまえなあ、頭でも打ったんじゃないの?」 軽く尻尾を引っ張ってやると、ミュアは大袈裟に悲鳴を上げた。 「きゃああっ?!」 「やめな さいよ、インディ!」 フレイヤがムキになってミュアをかばった。 「え? やめろって、ただ、ぼく、尻尾ひっぱっただけで…」 「そんなことしちゃ、駄目……じゃない!」 フレイヤがこんなに強く、ぼくを非難するのなんて初めてで、ぼくは大いに戸惑った。 「だって、ミュアが女物のリボンなんかに気を取られてるから……」 からかうつもりで、尻尾を引っ張っただけなのに。 「あ、あのさ、フレイヤに似合いそうだって思って、見てたんだよ」 「そうよねー。とにかく、インディ、ミュアをいじめちゃ駄目!」 フレイヤがあんまりきっぱり言うので、ぼくは白けてしまった。 どうしたのかと後ろを見てみると、ミュアとフレイヤはくすくす笑いながら、なにやら内緒話をしていた。……なんか、仲間外れにされたみたいで、おもしろくないやっ。 「ふぅんだっ! なんだよ、ミュアの奴……ん?」 石っころを蹴飛ばしながら歩いていたぼくは、ある店の前で立ち止まった。 「どうしたの、インディ?」 追いついてきたミュアとフレイヤに、ぼくは黙って店の看板を指さした。 『古銭商 高価買入 相談応ず』 「まさか、インディ、あのお金を売っちゃうの?」 ミュアが目を丸くする。 「あれがどのくらいか、聞くだけ聞いてみてもいいだろ?」
「どれどれ……ほほお!」 ニッフルニーニョ大先生がくれたコインを手に取るなり、古銭商は目を丸くした。 「これをどこで?」 「えーと、大おじいさんから」 正確にはぼくの、じゃなくてフレイヤの、だけど。 「なるほど。お年寄りならばこんなものをどこかにしまっていたとしても、不思議ではありませんな。おや、あなた逹はこのコインの由来をご存じないんですか? 「ニドゥド?」 「ええ。そう、どう説明したものか……あなた方、ザブルガンの砂漠はご存じで?」 フレイヤの一族と、ハミの王家の先祖とやらが、魔物だか悪霊だかを封印した…って聞いたっけ。 「それなら、前にちらっと」 「そうですか。それなら知っているかもしれませんが、クヴァにあるザブルガンの砂漠は今でもひどい場所でしてね、いつも砂風が吹き荒れたり、流砂が起きたり……それは、悪霊どものしわざだと言われているんですよ」 古銭商はそのコインにまつわる話を、こんな風に語った。 「ええ、そりゃあ誰も確かめたものはいませんよ。言った者はいるかもしれませんが、戻ってきた者はいないんではね。ま、昔からの言い伝えですな。 「不思議な噂?」 「ええ。ザブルガンの悪霊の王と話す方法がある。それが、このコインだと……。悪霊の王の名を、ニドゥといいます。それで、このコインはニドゥドと呼ばれていました」 「悪霊と話すって……コインがどうやってしゃべるんだ?」 「別に、コインが話すわけじゃありませんよ。ザブルガン砂漠に、ガルム・ノームという湖があります。そこのほとりの赤い砂の上にこのコインを置いて、こう……軽く指を乗せるんだそうです」 古銭商は実際に、テーブルの上に置いたコインに、軽く人差し指を乗せた。触れるか、触れないかというぐらいで、まったく力はこめれられいない。 「そして、一心不乱にニドゥに祈る。すると、コインが勝手に動き出して、砂の上に字をつづる……それがニドゥなのだそうです。わたしはあんまり詳しくありませんが、これは魔法だか、呪法だかのやり方だそうですね」 魔術師のやり方じゃない――これは呪術師のやり方だ。 「ニドゥは呼び出した人間の望みを、1つだけかなえてくれるそうです。それが、どんな望みでも。もちろん、代償は要求するのですが」 ぼく逹があまりに真剣に聞き入っていたものだから、古銭商は慌てて首をふった。 「いや、迷信ですよ、迷信! 思うに、このコインがクヴァ山脈にしかない、貴重な鉱石を含んでいることから由来するのでしょうな。これは確かに古銭ですが、各国の正式な通貨ではないんですよ。おそらく個人が大規模に作った記念コインだと考えられています。 古銭商はそれが当然だという風に、大きく頷いた。 「まあ、不吉な伝説がありますが、珍しい物には違いありませんからね。2000Ψぐらいなら引き取ってもいいですよ」 フレイヤとミュアが、両脇からぼくをつっついた。……あのね、いくらぼくだって、そこまで考えなしじゃないさ。 「いいえ、やめときます。じゃ、お邪魔しましたっ」 ぼくは逃げるように、古銭商の店を飛び出した。 「どういうつもりでくれたんだろう、ニッフルニーニョ先生は」 まさか、これでニドゥを呼び出せって言うんじゃないだろうな? 「さあ……?」 ミュアははっきりしない口調で、あいまいに言葉を濁す。ミュアらしくもない。フレイヤは何か言いたそうだけど、特に口にはしないし。 もう船の切符は買ったし、どうしてもお金が必要ってわけじゃない。あれこれ考えたあげく、とりあえず元通りしまっておくことにした。 《続く》
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