Chapter.9 仮面の妖術師、ムニンの矢 |
トンッ……ぼくの背が、堅い木の板に当たった。多分、どっかの家のドアだろう。
「インディ……」 フレイヤもミュアも、困り切ったようにぼくに寄り添う。そんな時だった ぼく以外の誰にも気づかれないほど、小さな声が聞こえたのは。 「逃がしてあげようか? ――あんた、一人だけなら」 「えっ?!」 これには、ぼくも驚いた。 なのに、ぼくの背にした扉からは助け手の声がかかったんだ。でも、フレイヤを置いていくわけには……。 「しかたがないよ、逃げて、インディ」 きっぱりと言ったのは、フレイヤだった。ぼくの方を見もせず、追っ手だけに注意を払いながら。 「ミュアがいてくれれば、多分なんとかなるから。だから、インディはひとまず逃げて」
「フレイヤ……」 思わず呼びかけたぼくに、背中からからかい半分の声が聞こえた。 「そうそう、お姫様の言う通りにしなよ。――じゃ行くよ」 「うわぁっ?!」 いきなりドアが開いて、ぼくは真後ろに倒れ込んだ! 「にっぶいね、あんた」 ニッと、上からぼくに笑いかけたのは、赤毛のいたずらっぽい顔をした女の子だった。その子はぼくをけとばすようにどかせると、ばたんっと扉を閉めた。 「早くっ、なにしてんのさ?! 閂をかけるんだよ!」 強く言われると、つい従ってしまうぼくって素直。 「開けろっ! ここを開けるんだ!!」 ふんっ、誰が開けるか! ……が、その声に女の子の声も混じっていた。 「インディっ、開けて! フ……ミュアが、ミュアがっ!!」 え? ミュア? 「ミュア、おまえどーしてここに……?!」 「あんた、猫なんかにかまってられる状況じゃないだろ。急いで、この閂、古いんだ。壊れたって知らないよ」 赤毛の少女は、ぼくを促す。――確かに、あんまり余裕はなさそうだ。 「ごめん、フレイヤ、ミュアはこっちだ! こうなったらぼくが連れていくよ!」 珍しくおろおろしているだけのミュアを抱き上げ、ぼくは赤毛の少女を追った。 「みゃっ?! にゃああっ?!」 「痛っ、ミュア、おとなしくしろよっ! 今は抱かれるのがやだって言ってる状況じゃないだろっ?!」 ミュアを叱りつけつつ、ぼくは先を行く赤毛の女の子を伺った。 「あ、あのさ、君……」 「いーの、ワケありなんでしょ? 説明はいらないよ」 すべて分かってるんだから、と言わんばかりに、女の子はウィンクしてぼくの言葉を遮った。 大人じゃとても通れそうもない。 「ここはさっきんトコからうんと遠いから、まず見つかりはしないよ。こんな道、よそ者は知らないから」 顔中にそばかすの散った、ボーイッシュな感じの女の子はニイッと笑った。年はぼくと同じぐらい、燃えるような色の赤毛をポニーテールみたいに高くまとめて、長い三つ編みに編んでいる。 「とりあえず、助けてくれてありがとう、って言っとくよ」 ぼくは用心深く、彼女を見返した。……助けてくれたのには素直に感謝するけど、いったい何者なんだろ? 「そんな怖い顔しないでよ、インディ=ルルク。あたしは、あんたの敵じゃない。――少なくとも、今はね」 そんな事言われて、安心できっかよ……。 「君は誰だよ?」 「あたし? ジュジュっていうの」 ジュジュ――ニッフルニーニョ大先生の手紙に書いてあった、黒幕の娘か?! 「どうやら、あたしのコト、知ってるみたいね」 知ってるも知らないも――ぼくはジュジュの不敵さにあきれた。が、いつまでも唖然としているわけにもいかない。 「いったい、なんのつもりでぼくを助けたりしたんだっ?!」 罠かと、ぼくは辺りに目を走らせたが、人の気配は感じない。 「さぁね……」 ジュジュは思わせぶりに微笑み、軽く手でぼくをおさえるしぐさをしてみせる。 「おっと、魔法はなしにしようよ。あんたに引けを取らない自信はあるけど、町中で魔法を使って誰かに見つかると厄介だから」 くっ、くやしいがその通りだ。ぼくはしぶしぶ手を下ろした。……とにかく、ジュジュも丸腰でなんの武器も持ってないんだから。いくら敵の黒幕の娘とは言え、敵意を見せない女の子に剣を向ける気にはなれない。 「インディ=ルルク。はっきり言って、あんた、命が危ないよ。知ってるの?」 ずばっと言われ、ぼくは絶句した。――命が危ないのって、みんなこいつの親父のせいじゃないかっ。 「はっきり言って、邪魔なの、あんたって。これ以上邪魔するなら、父様も黙ってはいないわよ。いい? これは最後通告よ、あんたがこのまま立ち去ればよし、さもなくば あんたは敵だわ」 これは――脅しか? それとも……? 「ぼくが何をしようと、ぼくの勝手だろ。だいたい、邪魔されたくなきゃ、そっちがフレイヤにちょっかいをだすのをやめればいいんだ」 ジュジュの目が険しくなった。 「言ってくれるじゃない。なんにも分かってないくせに、正義感ぶってる子供のくせに」 おんなじぐらいの年のくせに、なにをえらそーに! 「別に、正義感でやってるわけじゃないよ!」 そうとも、正義感だけでこんな厄介な事件にかかわってなんかられるかっ! 「じゃ、あんた、なんでフレイヤ姫を助けたりするの?」 「なぜって……」 根本的なことを突っ込まれて、ぼくは詰まった。 「報酬が目当て? それとも地位かな……あんたが誰に雇われたのか知らないけど、あたしがそれ以上の物を約束してあげるから、あたしの仲間にならない?」 ……考えてみれば、この事件ってぼくにとっちゃ無報酬の無料奉仕なんだよな。
そんなことしたら、もう二度と先生んとこに帰れないじゃないか。 「……そんなに、フレイヤ姫が好きなの?」 ――ずべっと足が滑った! 「すっ、すっ、好きって、突然っ何を言い出すんだよっ?!」 まるで熱が出たみたいに、顔がポッポと熱くなる。あ、きっとはたから見たら真っ赤になってるぞ、ぼくはっ。 「そんなのっ、とんでもない誤解だっ、フレイヤを助けるのは、好きとか嫌いとかの問題じゃないんだってばっ!」 事実を力説するぼくを、ジュジュは軽くあしらった。 「隠すことないじゃん」 ちっとも隠してなんかいないっ! 「じゃ、こーゆーのはどう? あんたにフレイヤをあげるから、あたしに協力してくれる気はない?」 「フレイヤを……っ?!」 まるで、勝手にやり取りできる物みたいに、フレイヤのことを言うのにショックを受けているぼくを、脈ありと勘違いしたのか、ジュジュは熱心に言った。 「そう、フレイヤを。いろんな事情で彼女と敵対してるけど、あたし、別にフレイヤには恨みはないもの。ただハミ王妃になって欲しくないだけだし、別に死んで欲しいワケじゃないさ。 あんたが彼女を遠くに連れていってくれるなら――それはそれで、こっちにも都合がいいわけだし、父様もきっと納得してくれると思うんだ」 「――いいかげんにしろっ!」 我慢できずに、ぼくは怒鳴った。 「勝手な事を言うなっ。フレイヤがどうしたいのかなんて、フレイヤが決める事だろ! 自分だけの都合で、なにもかも運ぼうとするな!」 女の子に対して、こんなに腹を立てたのは産まれて初めてだった。 が、それをすんでで思いとどまったのは、ジュジュがひどくショックを受けたような、今にも泣きだしそうな顔をしたからだ。 「なにさっ、せっかく親切で言ってやったのに! もう、あんたがどうなろうと、あたしの知ったコトじゃないからっ!!」 強がる子供のような捨て台詞を残し、かけ去っていく後ろ姿をぼくは呆然と見つめていた。 「……インディ……あんな言い方は、ちょっと、ひどいと思うな」 足元から、控え目にミュアが文句をつけてくる。内心、気がとがめていただけに、それはズシッときたが、ぼくはわざと強気に言い返した。 「いいんだよ、だってあいつ黒幕の娘なんだぜ!!」 「でも……悪い子には見えなかった。それに、助けてくれたし……」 それはその通りだが、だからと言って許せることと許せないことがある。 「だけど、あいつらはフレイヤになんか悪巧みを企んでるんだぜ。ミュアはそれを見過ごせっていうのか?!」 強く言うと、ミュアは不意に黙り込んだ。しばらくは、ぼくも黙り込む。 「……なあ、ミュアはどう思う? あいつの言った事……。あいつら、フレイヤを殺す気はないって言ってたけど……いったい、何が狙いなのかな?」 ぼくはてっきり、フレイヤを殺すつもりなのだと思っていた。フレイヤを殺して、代わりに自分の娘を王妃に据えるつもりなんだ、と。 「……分からない」 途方に暮れたように、ミュアが首をふる。そして、とんでもない事を言い出した。 「でも……もし本当にあの女の子の言う通りなら――あの子の言う通りにした方が、フレイヤにはよかったのかもしれない」 「なっ、なに言い出すんだよ、ミュア?! そんなこと、あるわけないだろっ?!」 思わず怒鳴ると、ミュアは水色の瞳でじっとぼくを見上げた。何か言いたそうに、その瞳が瞬く。 「……とにかくさ、なんとかフレイヤと連絡をとらなきゃ。ミュアもこっちに来ちゃったことだし」 なんとか気を取り直して、ぼく逹は歩き出した――。
なんせ、見張りの近衛兵達が館の周りをうろついてて、やけに警戒してやんの。まっ、あんな事があったんじゃ、当然かもしれないけど。 「まいったなあ……これじゃあ、フレイヤがどこにいるかも分からないよ」 「多分、南向きの客室だと思うよ」 ミュアが尻尾をしきりに動かしながら言った。 「猫なら、怪しまれないと思う。インディはここで待ってて」 ちょっと危なっかしげにミュアは高い塀に飛び乗り、向こう側に消えていった。……こーなっちゃうと、ぼくにはすることがない。せいぜいミュアとフレイヤの無事を祈りながら気をもむ程度だ。 苛々しながらミュアの帰りを待つこと十数分――ミュアがやけに慌てた様子で戻ってきた。 「どうしたんだ、ミュア?!」 答えずにミュアは、まずくわえていた紙屑を落とした。 「いないんだ、フレイヤ! 部屋のすぐ外にいた見張りの人も、眠ってて……魔法かなにかで眠らされてるのか、ちっとも起きないしっ、それに、部屋の隅にこのメモが落ちていたんだよ!」 くしゃくしゃになった紙切れには、いかにも急いで書いたようななぐり書きがあった。
「なんだよ、これ?! ぼく、こんなの書いた覚えはないぞっ」 勝手に人の名前を使うなっ! 「そんなこと、問題にしている場合じゃないよ、インディ。もし……もし、これが敵の罠だったら?」 もし、じゃなくて100%そうに決まっている! 「大変だ……っ、急いで、フレイヤを見つけなきゃ!」
なんとか――なんとしてでも、敵より先にフレイヤを捜し出して逃げ出さないと! 「フレイヤ……フレイヤ……」
「わっ?!」 「……インディッ?!」 驚いたようにぼくを見ているのは、男の子の変装をしたままのフレイヤだった。 「インディ、いったい何が……」 何か言いかけたフレイヤを、ぼくは遮った。 「フレイヤ、これは罠なんだ! ぼくは手紙なんか書いてない、あれは敵の仕業だ!! とにかく、早くここから逃げ出そうっ」 目を丸くしながらも、フレイヤはぼくについてきた。だけど、丈の高いアーチ型の出口は見えているのに、脇道から入り込んだせいかなかなかそこにたどり着かない。 間隔を置いて、茂みの奥に埋もれるように立っているから、すぐ側まで行かないと気づかないんだ。 もちろん、石像はただの石像だ。 「……変」 何個目かの石像の前で、フレイヤがしげしげと見つめた。 「こっち……見てる! ねえ、じっと見てる!!」 ミュアが針鼠みたいに膨らんだ。 「ばっかだな、そんなことあるわけないだろー」 言いながら、ぼくは二重にハッとした。 今までどんな危機の時でも、ぼくよりずっと勇敢だったミュアが……こんなこと、今まで一度だってなかったのに。
フレイヤが、ハッとしたように振り向いた。 「これ、使ってみていい?」 フレイヤがぎゅうっと握り締めているのは、ファフニの砂袋だった。 「黒魔法の力が働いているっていうのか?」 「分からないけど……」 しんと静まり返った、迷路の庭園。石像の気味の悪い頭。 「使ってくれ。ぼくも、やな予感がする」 促すと、フレイヤはぱあっと砂を振りまいた。 「ああっ?!」 砂が――魔力のある砂の一粒一粒が一瞬のうちに燃え尽きた! 「ど……どうして?!」 ミュアが悲鳴じみた声をあげる。 「やっぱり、ここには黒魔法の力が働いてるんだ! そして……っ!」 その先は言わなかったけど、みんなが同時に悟っていた。その黒魔法の力は、ファフニの砂を上回ったんだ。 ぼく達は、気づかないうちに黒魔法の力に捕らえられていた。もはや、体の自由もままならない。耳がいたくなるような静けさの中、ぼく逹だけじゃなくてすべてが動きを止めていた。 「……フレイヤ、ミュア!! 逃げれないか?!」 「だめ……体が動かない……」 全身が強張る。ぼく逹は気持ちだけ寄り添いあい、自分の心臓の音を聞きながら次に何が起こるかを待っていた……。 できるならののしり、地団太を踏み、腕をふりあげたい――だが、動くことはおろか、声をあげることすらできない! 「バカね、インディ=ルルク。どこかに行ってしまえば、見逃してあげてもよかったのにさ」 不気味な仮面を手にした黒衣の少女。 そして、ジュジュの後ろから現れた、でっぷりと太った男 首から握り拳ほどの大きさの石をぶら下げている。金銀の糸で縫い取りしてある豪華な衣装には、まるで似つかわしくない。 「ねえ、父様、言った通りでしょう? この男の子の名前で呼び出せば、必ずフレイヤ姫は現れるって」 ジュジュは得意げに男を――彼女の父親を振り返った。 「ふはははは、上出来、上出来。さすがは我が娘よ」 まるで罠にかかった兎のようにぼく達を見て、男は満足げに笑う。 「……アマフト……大臣」 信じられない、という口調でミュアが呟く。 「なんだって?」 こいつが、ハミ王国の大臣? ……でも、なんでそんな奴がフレイヤを狙うんだ? 「では、ジュジュよ、今こそニドゥの加護の元に、ムニンの矢を…」 大臣と言うより、呪術師めいたアマフトはにんまり笑う。 「くそっ、フレイヤをどうするつもりだっ?!」 怒鳴ると、アマフトは気取った声で言った。 「心配はいらぬよ、インディ=ルルク。 なんだ……どういうことなんだ。 「フレイヤ姫は、間違いなくハミの花嫁となる。だが、邪魔なおまえは、もう必要ない。……せめてその言葉を土産に、安堵して黄泉路へと行くがよかろうよ」 アマフトは、ギラリと光る短剣を抜いた。だが、思いもかけないところからそれを止める声がかかった。 「待ってよ、父様。なにも、殺すコトはないじゃない」 「しかし、この少年は何度となく我らの妨害をしたではないか」 忌ま忌ましいものでも見るようにぼくを睨み――ふと、アマフトは気を変えたらしかった。 「まあ、いいわ。よかろう、殺すのは勘弁してやろう。そのかわり、まとめてザブルガンの砂漠へと送ってやろう」 「父様……ジャヴァに生け贄になさる気じゃ……」 ジュジュは弱々しく反論しかけて、ちらっとぼくの方を見た。 「私に逆らうのか、ジュジュ? いつから、そんな口が聞けるようになった?」 アマフトの声に、冷たい物が混じる。その途端、ジュジュは打たれたようにその場に跪いた。 「……いいえ、父様。私は、父様のご命令に従います」 「それでいい。孤児だったおまえを引き取ってやったのは、この時のためだ。私に逆らうな、我が娘よ」 引き取った? 本当の親娘じゃないのか――だが、そんなことはすぐにぼくの脳裏から消えた。 そして、あたりに闇が降りてくる。 仮面をかぶったジュジュが、小さな弓矢を構えた。その切っ先は真っ直ぐにフレイヤを狙っている! 「……っ!」 フレイヤは動かない。 矢が、ぼくに向けられている方がずっとましだ! ぼくは――ぼくはなんにもできないのかぁ……っ! 「フレイヤ姫……悪く思わないでね。あなたともう二度と会わないコトを祈っているわ」
「大いなるニドゥよ、我が大願を果たしたまえ!」 ジュジュの澄んだ声と共に、矢が閃めいた――! 《続く》
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