Chapter.10 ザンブルガン砂漠のジャヴァ

 

   フレイヤ、ミュア!!

 ぼくは何度も、二人を呼ぶ。でも、叫びは声にならない。
 フレイヤに向かって放たれた小さな矢が、どうなったのか。
 アマフトが首にかけていた石が、何を引き起こしたのか。

 ぼくの足元にまとわりついていたミュアが、どうなったのか。
 ぼくは何も見届けることはできなかった。

   フレイヤ、ミュア!!

 声にならない叫びが、嵐となって渦巻いている。嵐――そう、確かに嵐だ。ぼくはすべてを失い、大きな力の中に飲み込まれている。
 アマフトの魔法――ぼくは、いったいどうなってしまったんだ?

「……フレイヤ…ミュア……」

 やっと、声が現実のものとなって響く。
 視界は、ただ二つに分かれている。
 黄色い空と、黄色い地面と。

 気がつくと、ぼくはなかば砂に埋もれて、あえいでいた。乾いた砂が吹きつけていた。

「インディ……インディ? ……インディ!!」

 砂虫みたいにぽこっと這い出てきたのは、ミュアだった。すっかり砂まみれになったミュアは、手足が本当は焦げ茶色だとはとても思えないくらいだ。

「ミュア……」

 回りを見る。いるのは、ミュアだけ。
 ――不意に、ぼくはうつむいた。ミュアに、泣き顔なんか見られたくない。

「ミュア……ぼく……ぼくは……」

 何が起きたのか、正確に考えるのが恐ろしかった。フレイヤは……何を置いても、ぼくが守らなければいけなかったのに……!
 強く握り締めた手から、虚しく砂がこぼれ落ちる――。

「インディ……あの…………」

 ミュアの小っちゃな前足が、なぐさめるようにぼくの腕に触れる。
 その時、少し離れた所で砂が崩れた。

「フッ、フレイヤ?!」

 ぼくは叫ぶより早く飛んで行き、砂をかきわけた。手が柔らかい物……女の子の体を掘り当てる。だけど――?!

「なっ……!」

 なんだ、これはっ?!
 彼女を抱き起こすかわりに、ぼくは跳びずさった。

「ああ、助かったんだね、インディ! フレイヤもっ!」

 嬉しそうにそう言い、ぼくに抱きつかんばかりに手をのばしているのは、ジュジュだったんだ!
 あの不気味な仮面こそつけていないが、黒ずくめの不吉な呪術師姿のままで。

「なにを……今更っ!」

 剣を抜いて身構えると、ジュジュは慌てて一歩引いた。

「わ、インディ、何すんだよ?!」

「白々しいことを言うな! フレイヤをどこにやったんだ、ジュジュ!」

「え……、ああっ?!」

 自分を見下ろし、ジュジュがすっとんきょうな悲鳴をあげる。

「ああっ、これは……インディ、……待って、ちょっと待ってくれよっ?!」

 本気で混乱しているらしいジュジュに、ぼくはちょっと気を緩めた。
 が、さらにミュアが訳の分かんないことを言い出した。

「……ミュア?! ミュアなのっ?!」

 いっ?!
 な……なにがなんだか、本格的に混乱してきたぞっ。なんでミュアが、ジュジュに向かってこんな事を言うんだっ?

「ねえ、ほんっとにミュアなのね?!」

「そうだよ、フレイヤ。ボク、ホントにミュアだよ」

 大まじめに、ジュジュがミュアに向かって言う。――こんな状況でなきゃ笑える図だが、今はそれどころじゃないっ。

「ミュア……いったい、これ、どーゆー……?」

「待って、待ってよ、待って!」

 ミュアがぼくとジュジュの間を走り回った。

「ちゃんと考えましょ。ええと、ええと、それには……そうだわ、まず、あの事を話さなきゃ」

 いつの間にか女言葉になっているミュアは、ジュジュの膝に前足を乗せて、それからぼくの方に向き直った。

「あのね、インディ。あたしは、フレイヤなの」

「はあ?」

 ぼくは間の抜けた返事を返し、まじまじと二人を見返していた。

「ミュアの体を借りているけど――本当はフレイヤなの。だから、フレイヤがミュア。あたしの体と交換したのよ。ニッフルニーニョおじい様のアイデアで。
 ほら、この首輪とおそろいの腕輪があったでしょ? あれ、おじい様の下さった魔法の道具なの。敵の目をくらませるために、こうしたのよ」

 ああ……あ、頭が裏返しになりそうっ。
 ええいっ、こうなったらいっこずつ、はっきりさせようじゃないかっ! まず、ぼくはぼくだ!

 ミュアは……本当はフレイヤ?
 じゃ、とりあえずフレイヤ=ミュアと呼ぶことにしよう。
 で、問題なのは――。

「ジュジュ……いや、ミュア? おまえ、本当にミュアなの?」

「ボクはミュアだよ、ほんっとに。あの矢が飛んでくるまで、体はフレイヤだったんだ。本当だったら、信じてよ、インディ!」

 その口調は、ミュアそのものだ。それでも一抹の疑いをぬぐい切れないぼくに、赤毛の少女は挑発的にぼくを見返した。

「その証拠に、キミの事はなんでも知ってるよ、インディ=ルルク! キミがアザゼル先生に弟子入りするために3日も座り込みをしたことも、弟子入りして半年は家事ばかりやらされていたことも。それに不満を持って、魔界を復活させるいたずらをやらかしたことだって、それに……」

「もういいよっ、分かったって、ミュア!」

 確かにこの口調といい、言ってる中身といい、ミュアそのものだ。
 じゃ、こいつはミュア=ジュジュだ。
 ――ってことは……。

「フレイヤの体はっ?!」

 三人の声が見事にハモった。
 もちろん、ジュジュが乗っ取ったんだ。――ジュジュ=フレイヤ。

「そう、そうか! そう言う事だったんだ!」

 ミュア=ジュジュが叫んだ。

「アマフトはハミ王国を乗っ取ろうとしていた。フレイヤの代わりに娘のジュジュが王家に嫁入りすれば、彼の思い通りだったんだ。だけど、フレイヤの婚約は変えられない。
 だから、こんな事をしたんだ!」

「ど、どーゆーことだよ、ミュア?」

「バッカだなあインディ、まだ分からないの?」

 ミュア=ジュジュがぼくを見下す。うっ……ミュアの奴、体が変わっても性格は変わらないなあ。

「アマフトは黒魔術を使って、望み通りに王家に自分の娘を嫁がせる事にしたんだよ。誰にも、それと気づかないように。
 つまり、フレイヤの体を奪い取って、魂だけジュジュとすり替えるってやり方で」

「ああ……そういう事か」

 やっと、ぼくにも見えてきた。
 けど、アマフト逹もまさか、ミュアとフレイヤが入れ替わっているって事は思いもしなかった。まあ、結局あいつらが欲しいのはフレイヤ自身じゃなくて、フレイヤの体だけだったから、気づいててもおんなじだったろうけど。

「結局、こんな余計にこんがらがった、わけの分かんないことになったのは、ニッフルニーニョのクソジジイのせいじゃないかっ! いいかげんにしろよっ、なんだってぼくにまで内緒に……っ」

「敵を騙すにはまず味方を、って言ってたわ。あら、インディ、そんなに怒らないで、大おじい様だってまさかこんな事になるなんて、分からなかったんだと思うわ」

 分かっててやったんなら、たとえ先生の先生でも容赦しないやいっ!

「それにしたって……あんまりだよ! ぼくは『フレイヤ』を守ってたんだぜ! それなのに……っ」

 ぼくがどれだけ頭にきてたか、フレイヤ=ミュアには分かっていないみたいだ。きょとんとした顔で、ぼくを見ている。
 ちえっ、女の子なんてこんなもんなのかな。ぼくは言葉に詰まった。
 ぼくが落ち着くのを待っていたのか、とりなすようにミュア=ジュジュが言った。

「ねえ、インディ。よく考えたら助かったわけじゃないよ。アマフトは言ってたじゃないか、ザブルガン砂漠に送るって。このまんまじゃ、ボク逹、ジャヴァの生け贄になるか、干からびちゃうかだよ」

 ミュア=ジュジュの言うことは大袈裟でも何でもない。
 魔の住みかと伝説に謡われた、ザブルガン砂漠。
 嵐の海が一瞬にして凍りついたかと思えるような、砂の山や谷のどこに魔物が潜んでいてもおかしくないところだ。

 だが、そいつはこっそり隠れているような奴じゃなかった。
 すり鉢状の深い急斜面の底から這い上がったぼく達は、思わず息を飲んだ。
 全体に黄色くくすんだ空と、黄色くくすんだ地の境目が消えている。

 一瞬砂嵐かとも思ったが、それはぐんぐん近づいてきた。近づくにつれ、砂塵のうちにはっきりと竜巻の形が現れる。

「ミュア……さっきの話だけど――どっちかと言うと、生け贄みたいだな」

 近づいてくる竜巻を見据えながら、ぼくは言った。
 ぼくには分かっていた  逃げられないと。
 ぼく逹はそいつの生け贄で、ぼく逹がいた窪みは生け贄の杯。

「くそっ、アマフトめっ!」

 大きくうねった竜巻は、ほとんど頭上に覆いかぶさるかと思えた。
 そいつが竜巻の衣を振り捨てたのだ。なだれ落ちる砂が、ぼく逹を生け贄の杯へと押し戻す。

「くっ……大丈夫か、ミュア、フレイヤ!」

 叫びながらも、ぼくはそいつに目を奪われていた。感情の感じ取れない6つの目で、ぼくを見下ろしているそいつを。
 そいつが、ジャヴァ。
 三つ首のドラゴンだ。

「諦めよ。汝らはもう、逃れられぬ」

 重い声が響く。

「ああ、逃げやしないさ」

 ぼくは砂の中から体を引っ張り出した。

「だけど、生け贄なんかになるのはまっぴらだから――」

 背に手を回す。奇跡的にも、剣はまだそこにあった。

「戦うんだよっ!!」

 ぼくは剣を抜き放って、高く掲げた!

「水の精霊よ、ここに……」

 ドラゴンの首の1つが、炎を吐いた!

「あっ」

 炎を浴びたわけじゃない。
 が、手に焼きつくような痛み! 思わず剣を取り落としていた。

「インディ、その呪文は封じられたんだ!」

 くそっ、やってくれるじゃないか、こいつ!
 別の首が大きく波打った。

「ああっ、インディ、砂が……ああんっ、飲み込まれちゃう!」

 砂が生き物みたいにうねっている。フレイヤ=ミュアには耐えられない。ミュア=ジュジュが、慌てて猫の体を抱き上げた。

「あいつが操ってるんだ! インディ、早くしないとボク逹このまま……」

「後は、土の精霊の力しか残ってない  」

 これが、先生からもらった最後の精霊の力だ。

「土の精霊よ、我に力を!」

 剣が輝きを帯び、急に足場がしっかりと固まった。が、それが奴を怒らせたらしい。

「わあ、あいつ怒ったぞ!」

「気をつけて、インディ」

 三つ首のドラゴン、ジャヴァはそれぞれの首をぐぐっとのばし、振り立てた。それに合わせ、足元の砂がぼく逹をすり鉢の底に引きずる込もうかとするようにうねる。
 だが、土の精霊の加護でぼく逹には影響はない。

 それに腹を立て、生け贄の反乱をたしなめようとしている奴は、悪霊の砂漠に捧げられる生け贄の見張り番なんだ。
 1つの首は炎を吐き、2つの首は風を巻き起こす。3つ目の首は砂を操っているんだ。


 ――ぼくも、力が使えれば!
 強い想いが、無意識に魔力を呼んだらしい。いきなり、ボウッと剣が炎を帯びて輝いた!
 これには驚いたが、今はのん気に不思議がってる場合じゃないっ!

「おまえこそ生け贄になっちまえ!」

 素性のドラゴンに向かって、ぼくは思いっきり剣をふった!
 炎が鞭のように長く伸び、三つ首のドラゴンに襲いかかる。精霊の炎の中で、奴がもがいているのが見えた。

 6つの目がぎらりと光った。
 炎が四散する。――精霊の炎が。

「ちっくしょう……! 負けるかっ」

 手の中で、剣が震える。それを握り締め、ぼくはもう一度呪文を唱えた。

「カトゥラブーラ、善き火の精霊サラマンデルよ!
 我にさらなる力を――っ!!」

 炎の渦巻きがふくらんだ。
 ぼくは剣をロッドのように扱って、炎の精霊に念を注いだ。精霊はそれに力強くこたえ、輝きを増した。

 ジャヴァは完全に炎に飲み込まれていた。
 炎の渦巻きの中でのたうち回っている黒い影。翼が裂け、首の1つが落ち、2つが落ち――三つ首のドラゴンは、もう、その原形をとどめていない。

 ぼくは何かを斬るように、剣を真横になぎ払った。
 と、炎は一気にはじけた!
 後には黒い砂塵が舞い散るばかり――精霊の火は砂漠の怪物をその残骸まで、焼き尽くしたんだ。

「……ふぅっ……」

 ぼくは剣を握り締めたまま、その場に座り込んだ。――まるで、初めて魔法を使った時みたいにどきどきしてる。
 だって……ぼくは、ついに魔力の剣で魔法を使ったんだ!
 先生やニッフルニーニョ大先生の手助けもなく、ぼく一人の力で……!

「うわあ、かっこいい……」

 ミュア、いやミュア=ジュジュが耳をピンと立てて、水色の瞳をきらきら輝かせた。
 ああ、何て素直な賞賛のお言葉っ。

「普通だよ、普通。いやしくも魔術師だったら、こんぐらいは基本レベルなの」

 が、すかさずミュア=ジュジュがこき下ろす。ちえっ、ミュアの奴め――と腹が立ったが、ぼくはふと気がついた。

「なんだよ、インディ。ジロジロ見ちゃって」

「うん。なじんでるなって思って」

 ぼくの言葉に、ミュア=ジュジュはきょんとする。

「おまえ、似合ってるよ、フレイヤの時よりも」

 ホント、しみじみそう思う。
 考えてみれば、フレイヤにミュアが入っていた時、何度となく違和感を感じたのは、いかにもお嬢様って感じのフレイヤが、時々乱暴な口を聞いたり、きっぱり言うのが似合わなかったんだ。

 ミュアもフレイヤも、らしく見えるように演技してたけど、でも地の性格ってどうしたってポロッとでるんだよな。
 今のミュアは、ぜんぜん隠す事なくいつも通りに振る舞っている。

 でも、ボーイッシュな感じのジュジュの外見には、ミュアのきつめの性格がぴったりなんだ。

「性格、似てるんだな、きっと」

「や、やめてくれよ、インディ! ボクだって、ホントは女の子なんかには……っ!!」

 珍しく照れたのか、ミュア=ジュジュはわざと乱暴に砂の斜面をかけ上がる。

「でも  このままだとあのアマフトは知らん顔して、ハミ王国を乗っ取っちゃうのね」
 フレイヤ=ミュアが思い出したように、小さな溜め息をついた。

「あたしの体が勝手に悪巧みに使われるなんて、許せない」

「ボクもだよ」

 ミュア=ジュジュが勢い良く振り向いた。

「ボクは大魔術師アザゼル先生の、特別な弟子なんだぞ。そのボクまでこんな目にあわせたら、どういう事になるのか、きっちりと教えてやんなきゃ!
 大丈夫、キミの体は必ず取り戻してやるよ、ねえ、インディ?」

 『ねえ、インディ?』じゃないわいっ! それってぼくのセリフだぞ、ぼくのっ。
 でも、ここでケンカしてても始まらない。

「それより、当面の問題はどーやってこっから脱出するかだろ。こんな、右も左も分からない砂漠のど真ん中で、水も食料もないのに」

「あ、水ならあるよ、ほら」

 と、ミュア=ジュジュがちゃぽんと音のする皮袋を取り出した。たいして入ってそうもないが、それでも水があるのとないのとじゃ大違いだっ。
 しかもミュアは地図とコンパスまで持っていた。

「でも、よくそんな物持ってたな、ミュア」

「ボクじゃないよ。このジュジュの背負っていたナップに入っていたんだ」

 あのうっとおしい、全身をすっぽり覆う黒いマントを脱ぎ捨てたミュア=ジュジュは、町であった時と同じミニスカート姿だった。その背に、しっかりとナップザックが背負われている。

 マントを着ていた時は気づかなかったけど……中を開けてみると、いろいろと入ってるんだ。砂漠の地図には、このルートを行けと言わんばかりにバクシへの最短ルートに赤線が引いてあった。

「なぜ、わざわざこんな物を……?」

 ミュア=ジュジュは首をひねったけど、ぼくとフレイヤ=ミュアにはなんとなく分かった。

「ジュジュは……言ってたよ、フレイヤにはなんの恨みはないし、殺すつもりはないって。これは――このまま逃げろってことだろうな、きっと」

 言いながら、ぼくはフレイヤをやると言われたことを思い出して顔が赤くなった。……ジュジュの体に入ったフレイヤを、ぼくにくれるつもりだったのか?
 だが、そう何もかも思い通りになると思ったら、大間違いだ!

「でも、ぼく逹が向かうのは、ハミだ! 何がなんでもハミに行って、アマフトの野望をぶっつぶしてやる!」
                                    《続く》

 

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