Act.13 魔塔に、たった一人で |
「おう、そこの色男っ、おまえがアドルかっ?!」 「へ?」 突如聞こえてきた、キンキン声――振り向くと、そこには小さな魔物がいた。 「なんだ、おまえは?」 とりあえず後ろにフィーナをかばって、そいつに向き直ったけど……でも、剣を構える気にまではならないな。だってさ、身長30センチあるかどうかっていうぬいぐるみみたいな奴なんだから。 「おいらはクリントだいっ!」 見かけにまるっきり似合わない、威張った口調がなんかおかしい。 「この子は……ラグニャ族の子供みたいですね」 ルタ=ジェンマの説明によれば、ラグニャ族というのは小鬼の一種で、いたずら好きだけどさして害を与えない魔物らしい。人間に比較的なつくので、魔法使いが使い魔として側に置くことがあるそうだ。 「そうだいっ、おいらはラーバのじっちゃんの使い魔なんだっ、すごいだろっ!」 「ラーバって、あの、ゴーバンの言っていた?」 思わずゴーバンに確かめると、彼はこくんと頷いた。 「ああ。オレも一度会ったことがあるだけだが、確かにラーバ老はこんな使い魔を飼っていたっけ」 「しかし……その使い魔がなんで、ぼくの名前を知ってるんだい?」 聞いてみると、クリントは小生意気に胸をはった。 「ラーバのじっちゃんに聞いたに決まってるじゃないか! じっちゃんは、なんでも知ってるんだぞっ」 「……そーなんだ」 ……うーむ、なんだかまともに質問するのがアホらしくなってきたぞ。 「おいら、ラーバのじっちゃんの命令で、この女の子をこっそりと見守ってたんだいっ! そんで、この子を助けにくる奴がいたら、じっちゃんのとこに案内しろって」 「ラーバ老が?」 うーん、これって願ったり叶ったりかもしんない! 「だからわざわざ来てやったんだぞ、感謝しろいっ」 「うん、感謝するよっ、ありがとう!」 感謝ついでに、ぼくはクリントを抱き上げた。ちょうど昔うちで飼ってた猫ぐらいの大きさで、手触りも猫っぽくって懐かしい。 「わっ、なにすんだよっ?! バカやろっ、おいら、ぬいぐるみじゃないぞっ!」 ジタバタもがくとこが、ますます猫そっくりだ。 「はいはい、ごめん。じゃ、案内してくれよ」 下ろしてやると、クリントはぷんすか膨れながらも、ちょこまかと歩きだした。 「こっちだよ、はぐれんなよっ!」
どことなく見覚えのあるような、白い髭の老人が笑いながらぼく逹に言った。 「クリントや、ご苦労だったな。おまえは魔物の動きを見張っておきなさい、いざという時は、ワシが教えた通りにするのじゃぞ」 「はぁいっ」 生意気な小鬼もラーバ老の言葉には素直に従って、ちょこちょことどこかへと出ていった。 「おや。あんたは……久し振りじゃな、ゴーバン」 「はい。あの時はお世話になりました」 ゴーバンが丁寧に頭を下げる。突然改まった口調といいその態度といい、よっぽど尊敬している相手らしいな。 「は、初めまして、ラーバ様。ぼくは、ルタ=ジェンマといいます」 緊張して、ルタ=ジェンマが挨拶するのを、ラーバ老はおっとりと笑って受け入れた。
ラーバ老の目が、ぴたりとぼくを捕らえる。その目の鋭さに、思わずぼくは息をのんだ。――この人は……ぼくのことを知っている? 「……ぼくのことを知っているんですか?」 「もちろんだとも。ワシは今から十六年前……アドル=クリスティンが生まれた時も、その場に立ち会ったのじゃから」 「アドルが生まれた時? その時、なにか……?」 「何、人事のように言ってるんですか、アドルさん。ご自分の事でしょ」 ルタ=ジェンマにつっこまれて、はっきりいって焦った。そ、そーだった、ぼくは『アドル』だったんだっけ。 「い、いやー、だって、生まれた時のことなんて、知らないからさっ、覚えてないしっ」
「ラーバ老、実は……」 ゴーバンが何か耳打ちしようとしたのを制して、ラーバ老は静かに言った。 「何、事情は知っておるよ。あの方から、すべてを聞いた。……これも運命と言うものかも知れぬな」 ラーバ老は深い溜め息をついた。 「運命って、どういうことですか? あの方って誰です?」 思わず問い詰めたぼくに、ラーバ老は目を伏せた。 「……それは、ワシの口から話すことはできん。時が来れば分かることじゃ」 「ぼくのことは聞いてません! ぼくが聞きたいのは、フィーナのことです!!」 不作法にも、ぼくはほとんど怒鳴っていた。 「ぼくのことも知ってるぐらいなら、彼女のことも知ってるんでしょう? だったら、教えてあげてください! フィーナは、記憶を失っているんです」 いろいろ事情があって後回しにしてしまってたけど、フィーナが自分の記憶を無くして苦しんでいるのは知っていた。約束したんだ、記憶を取り戻すのを手伝うって。 「――それも、ワシにはできんのじゃ。彼女も、時がくれば分かろうて」 「そんなんじゃ、ごまかされませんからねっ!」 なおも文句を言い立てようとしたら、思いもかけない横槍が入った。 「アドル……わたしのことはいいの」 フィーナが控え目にぼくの腕を引く。 「どうしてさ。ちっともよくないよ」 「いいの……っ! 記憶が戻らなくても」 「え?」 それがどういう意味なのか計り兼ねて、ぼくは唖然として彼女を見た。 「――だが……それもできぬこと。知りたいと願おうと知りたくないと願おうと、時の流れをとどめることはできぬ。……彼女には分かっているはずじゃ。 その言葉に隠された意味は、ぼくはまるで分からなかった。ただ、ぼくに分かったのは――フィーナが心なしか悲しそうに見えたことだけだった。 「……ところで、話は変わるが、ここから先はアドル一人で行った方がいい」 「え?!」 フィーナのショックも覚めやらぬうちにそんなことを言われ、ぼくはぎょっとした。ま、ぎょっとしたのはぼくだけじゃなくて、ゴーバンやルタ=ジェンマも同じみたいだったが。
「ぼくもアドルさんのお手伝いがしたいんです!!」 「それはやめた方がいい。昔より、我ら六神官の家にだけ伝えられてきた言葉がある。おぬしらも知っておるじゃろ、 「でも……」 「おぬしらがついていっても、足手まといになるだけじゃ。それに、おぬし逹はひどい怪我を負っているではないか」 そう言えば、ゴーバンもルタ=ジェンマもひどい怪我だ。ぼくはそれに気づかなかった自分を責めた。 「悪いことは言わぬ。ここはワシとともに、アドルのための援護に徹しているのじゃ。離れていたとしても六神官の血を引くおぬしらには、微力たりと言えアドルを助けることができるのだから……」 ラーバ老の説得に、二人とも心を動かされたみたいだ。 「ああ……悔しいが、そうかもしれないな。よし、分かった!」 ゴーバンが思い切りよく、手をパァンと叩いた。 「アドル、悪いがオレはここでリタイアだ。おまえは、最後まで頑張れよ!」 「うん。ゴーバン……ありがとう。それに、ルタ=ジェンマも。二人がいなかったら、ぼくはここまでこれなかったよ。 本当に、ありがとう」 感謝の気持ちを込め、ぼくはゴーバンとルタ=ジェンマに頭を下げた。 「ワシらはいったん地上におり、塔ごと結界で包む。六神官のうち三人がそろっていれば、ダルク=ファクトの魔力を半減させることはできるはず……後は、アドルの頑張り次第じゃな」 「半減、か」 ダルク=ファクトの強さは、嫌というほどよく知っている。半減したって、あいつは強い。――でも、それでも、ぼくは勝たなきゃならないんだ。 「ぼく逹が地上に降りて結界を完成するまでに……多分、一日余りの時間がかかります。だから、アドルさんはそれまでここで待機していてください。ここなら、ラーバ様の結界が残っていて、魔物も襲ってきませんから」 「それはいいけど、うまく時間を合わせられるかな?」 なんせ窓もない塔の中じゃ昼夜の区別すらつけらんないし、この世界にゃ時計なんて便利なものはない。 「大丈夫ですよ。結界が完成すれば、必ず分かりますから。なんて言うのかな……こう、空気が張り詰めたような……そんな感覚がしますから、誰でも感じ取ることができます。 結界さえ完成すれば、ダルク=ファクトだけではなく他の魔物の行動も大幅に制限できるはず……行動はそれからにしてください」 てきぱきと説明したルタ=ジェンマはほうっと溜め息をついて、握手を求めてきた。 「頑張ってください、アドルさん。……地上でお待ちしています」 ぼくは彼の手を握った。細身の彼の、身体の割に大きな手は暖かかった。 「うん。……長くは待たせないから」 つい、言葉を言いよどんでしまうのは――ちくんと胸が痛むのは、ぼくに隠しごとがあるからだ。 言ってしまいたい――。 すべてが終わったら、きっと――。 「アドル、なにボーッとしてんだよ、彼女がお待ちかねだぜっ♪」 「わっ?」 ゴーバンに背中をつっとばされ、ぼくは危うくフィーナに体当たりをかますとこだったっ。 「いててー、まったく乱暴なんだから……。大丈夫だった、フィーナ?」 ううん、とフィーナは首を振る。 「アドル……わたし……」 言いたくてたまらない言葉で喉をつまらせているフィーナは、今にも泣きだしそうだった。 まるで、これが最後の別れのような気さえする……けど、ぼくは強く首をふった。――これを、最後の別れになんかしたくない。 「じゃ、フィーナ。……また、地上でね」 意図的に軽く言って、ぼくはフィーナの髪をくしゃっとかき混ぜた。 「絶対……絶対に、帰ってきてね……ヒロユキ」 「え?」 彼女は、確かにぼくの名を呼んだ。 (アドル……) 突然、ぼくは相棒のことを思い出した。同時に、かすかな罪悪感も感じる。アドルだって、フィーナのことを……。 「アドル……聞いた?」 口の中で小さく呟く。 「アドル? どうしたんだ?」 「あ……」 ゴーバンに話しかけられ、ぼくはみんなの方に向き直った。 「いや、なんでもないよ。みんな、もう行くの?」 「まあな。行く前に、ラーバ老がおまえだけに話があるんだとよ。オレ達は席を外すから……じゃあな!」 強く肩を叩かれ、痛いぐらいだ。 「ワシらの心配はいらぬよ、ヒロユキ。……それよりも、心配なのはおぬしの方じゃ」 二人っきりになって、ラーバ老がぼくを本当の名で呼んだ。 「ワシは……ワシらは、おぬし逹に謝らねばならない。ワシらの力がたりなかったがために、不完全な状態のまま、おぬしらを最強の魔王と戦わせるはめになった。 深々と頭を下げられ、ぼくはかえって焦ってしまった。 「そんな……、謝らないでくださいよ。ぼくには事情が分かんないんだし、それにちっとも気にしてないんだから!」
「そう言われると、ワシとしても気が楽になる」 ラーバ老が、少しだけ笑う。だが、すぐに悲しんでいるような憂い顔になってしまう。辛くてたまらないような、哀れんでいるような……。 「ヒロユキ……それに、アドルも聞こえておるのじゃろう? おぬし逹は、これからもっと辛い選択をせねばならん。 深い皺の刻まれた手が、思いがけない強さでぼくの肩を掴んだ。
みんなを見送った後、ぼくはとりあえずラーバ老のベッドに寝っころがった。 でも、気が焦っているせいか、神経がピリピリしているせいか、ちっとも落ち着かない。なまじ考える余裕がある分、さっきまでより緊張してきたみたいだ。 みんなが地上に降りて、結界を成功させるまでうまくいったとしても24時間後……そして、さらにぼくがダルク=ファクトの元に行くまでにもいくらかは時間がかかるだろう。 まぁ、それを差し引いて考えたとしても、遅くとも二日後には決着がつくわけか。 「長い二日間になりそうだね、アドル」 ぼくが異変に気がついたのは、しばらく経ってからだった。 「アドル……?」 返事はなかった。 「アドルッ?!」 じっとしていられなくなって、ぼくは無意識に跳ね起きていた。起きたからって事態が変わるわけじゃないけど、人間、焦ると無意味な行動を取るもんだ。
だけど、いくら呼びかけてみてもアドルからの返事は返ってこなかった。代わりに、断定的な空虚さが胸に広がる。 「なんで……アドル、どうしてだよ?!」 不安――、恐怖――、それに怒り――。 「アド……」 最後まで呼びかける気力さえなかった。
あきらめ悪く、返事を期待しての独り言に誰も答えてくれなかったから、ぼくはしかたなく自力で思い出そうとした。 「だから……なのかい、アドル?」 頬に、小さな水滴が転げ落ちていく。泣くなんてみっともないと思っても、とめられなかった。 人前でアドルに話しかける――独り言を言うのが恥ずかしいから、アドルの言葉にもろくに答えないで、アドルに相談もせずに自分だけで勝手に話を進めて。 「……気がついてたのに」 そうだ。気がつかなかったとは、絶対に言わせない。 だんだんと言葉が少なくなっていくのも、アドルが不安や寂しさを感じていたことも、知っていた。 「大変だっ、大変だぞっ!!」 突然、大騒ぎしながら飛び込んできたのは、ラーバ老の使い魔のクリントだった。 「大変だっ、今、東南の尖塔に女の子が閉じ込められた! さっき、おまえが連れてた子だぞっ」 「なんだって?!」 フィーナ――!! 「そんなバカな! だって、フィーナはゴーバン達と一緒に地上に降りたんじゃなかったのか?!」 「知らないよぉ。掴まってたの、女の子、一人だけだったぞ」 「そんな……」 たたでさえ混乱していた上に、さらにこの知らせに、ぼくは思いっきり混乱してしまった。 「ぼくは……どうすればいいんだ?」 無意識に問いかけて、ぼくは愕然とした。アドルがいなくなったってことは――ぼくが、一人になってしまったってことなんだ。 本当に困った時、追い詰められた時、いつでもアドルの忠告があった。アドルがいてくれることがどんなに大きな強みだったか……アドルを失った今になって、ぼくはようやく気づいた。 「アドル、どうするんだ?! なぁ? なぁ?」 途方に暮れたように、クリントがぼくにしがみつく。けど、そう叫びたいのはぼくの方だ。 今になって、初めてぼくは、異界に一人ぽっちでいる恐ろしさを実感したんだ。 「オイラ、ここにじっとしていりゃいいの?! それとも、あの女の子を見張りに行くの?! 「アドルの指示に……」 アドル――アドルだったら、こんな時どうするだろう? 「……フィーナを……助けに行くに決まっている…!!」 アドルは、フィーナが魔物かもしれないと可能性を知っていながら、彼女を助けた。だったらこれが敵の罠だとしても、彼女を助けに行くだろう。 「でも……アドル、じっちゃんは結界を張り終わるまで、ここにいろって言ってたよ。まだ、結界を張り終わってないよ」 クリントの言う通り、あれから半日余りしかたっちゃいない。ルタ=ジェンマに、くどいくらい念を押されたっけ。けど……彼らには悪いが、ここは行くっきゃない! 「ぼくは行くよ。クリントは、安全な所……そうだな、ラーバ老の所へ行くといい。ついでに、伝言もしてくれると助かるな」 「いいよ! なんて伝えるんだい?」 ぼくは少し考えてから言った。 「……『アドル』は……一人になったけど、ちゃんとやるつもりだって」 「うん、分かった。じゃ、な!」 元気よくクリントが走っていく。それを見送ってから、ぼくは大きく深呼吸した。 「……でも、やってみせるさ」 アドルの代わりに。
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