Act.15 異界より来たる戦士 後編

 

「ホ、ホントに?」

 けど、ホッとしたのも束の間だった。

「しかし、彼は心の闇に囚われてしまいました。不安定な気持ちが、彼を自分の中に閉じ込めてしまったのです。彼の魂は、今、意識の奥底で堅い殻に覆われて――深い眠りについてしまいました」

 ぼくは思わず生唾を飲み込んだ。

「でっ……でもさ、死んだわけじゃないよね? 眠ったんなら、起きるよ……ね、フツーはさっ。そうだろ?」

 無理して明るく言ったのに、レアは答えてはくれなかった。
 う……浮いてしまった。

「……レア。アドルは起きない……のかい?」

 重ねて問うと、彼女は聞きもしなかったことを教えてくれた。

「ヒロユキさん。一つの身体に二つの魂が入れば、両者にとって悪影響を及ぼします。ことに、閉じ込められた方は……それこそ想像を絶する苦痛が作用します。――アドルさんは、よく頑張りましたね。

 ……本当に、今までアドルさんが意識を保っていた方が不思議なくらいです。彼はよほど強い心を持っていたんでしょうね」

 そんな話をするレアを、話をはぐらかせたと怒る気にはならなかった。

「うん…アドルは強いよ。冷静で、それでいて勇気があってさ。いつだって、ぼくよりずっと強かった。何度助けられたかな、ぼくっておっちょこちょいだからさ」

 ぼくの軽口に、レアは寂しげに微笑む。

「今はなんともなくとも――時間が経てば、アドルさんだけでなく、あなたにも悪影響がでます。……今なら、元の世界に戻れます」

「レア。答える前に、教えて欲しいんだ。もし、ぼくが今、元の世界に帰ったら、アドルは……どうなる?」

 慎重に、ぼくは聞いた。

「――今のままでは、彼は目覚めません。魂が……完全に閉ざされてしまっているから。そして、魂のない身体は……長くは持たないでしょうね」

 それはぼくにも理解できる。
 ぼくの世界で言う『植物人間』だ。科学で圧倒的に劣っているこの世界には、酸素ボンベも点滴も人工心肺なんてのもないだろう。

「なら、ぼくはここに残る。アドルを死なせるわけにはいかないよ」

 そう決心するのに、時間はいらなかった。

「ヒロユキさん……」

 レアが、何か言いたそうに口ごもる。だけど、何を言われたって決心を揺るがせる気はない。

「ぼくはアドルの身体をのっとたんだ。アドルが出ていけって言ったんなら、ぼくは元の世界でも、違う異世界にでも喜んで移動するよ。
 でも、アドル以外にどう言われたって、説得される気はないからね――これは、ぼくとアドルの問題なんだ」

 言いながら、ぼくはなんとなく自分の――もとい、アドルの身体を見下ろした。
 アドルは……今も、この身体のどこかにいるんだろうか?

「レア、アドルを起こす方法は?」

「…………」

「せめて、アドルと話せる方法はないの?」

 物は試しと聞いてみると、レアはためらいがちに答えてくれた。

「ないことはありませんが……危険ですよ」

「それって、ぼくが? それとも、アドルが?」

「あなたにとっても…それに、アドルさんにとってもです。へたをすれば、あなたの意識まで闇に沈みかねません。そうなれば、結局はアドルさんの身体は魂を失うことになります」

 レアの説明をよく飲み込んだ上で、ぼくは頷いた。

「それなら、挑戦する価値はあるな。レア、それをためさせて。ぼくは、アドルと話があるんだ」

 

 


「いきますよ、ヒロユキさん。いいですか、決して無理をしないで下さいね」

 レアの生んだピンクの光を手に受けると、今度はぼくは黒い闇の中に浮いていた。まったく光の感じられない、深い深い闇の中に。

「こ、ここは?」

『そこは、アドルさんの意識の中です。いいですか、ヒロユキさん、心を強く持って下さい。さもなければ、意識が闇に溶けてしまいますよ』

 レアの注意も、ひどく遠く感じる。

「ここが……アドルがいた処、か」

 居心地が悪いと言うのが第一印象だった。
 なんせ、一面真っ暗だし、手や足の感覚もなく、まるで自分がいないみたいでひどく怖い。

 そう言えば、アドルは味覚も嗅覚も感じず、触覚も鈍いって言っていた。――でも、実際に体験するまで、それがこんなに頼りなくて、味気無いものだなんて、思いもしなかった。

 何か見えないかと、目を見開いてみると、……ぼんやりとレアや牢屋の様子が見えた。耳に意識を集中すると――うん、聞こえることは聞こえる。
 だけど、視覚も聴覚も、テレビ画面の向こうを見ているように、ひどく遠い。
 ――アドルはいつもこんな中から、ぼくより素早く敵を関知していたのか……。

「アドル? アドル、どこ?」

 口に出した言葉さえも、闇に飲まれたように吸い取られ、音として実感できない。……こんな所、嫌だな。
 てひどい悪夢を見ているようなもので、全然、実感がない。

 肉体的な感覚がまるでないのが、なにより手に負えない。こうも実体感がないと、疲れの感覚でさえ恋しくなってしまう。
 アドルを探しながら、ぼくは自分がいなくなってしまったのではないかという妄想染みた恐怖を降り払うのに必死だった。

 それに、後悔と――驚きが心に浮かぶ。
 アドルはぼくと一緒に現実の敵と戦いながら、同時にいつもこの回りの闇と戦っていたんだ。
 一言も愚痴ることなく、弱音も吐かずに。

「アドル……」

 泣いている感覚さえ、まるでない。人間の意識の底は、こんなにも暗くて寂しいところなんだろうか。
 深く、深く潜って――ぼくはようやくアドルを見つけた。

「アドルっ?!」

 アドルは、透明な氷の塊に覆われて……胎児のように丸まって目を閉じていた。これ以上ないってくらいに手足を小さく縮めて、ぴくりとも動かない。

「アドル、アドル!! ぼくだ、ヒロユキだよ、起きろよ!」

 氷をガンガン叩いて――余談ながら、氷はちっとも冷たくはなかった。ぼくは夢中になって氷を叩き、アドルを起こそうとした。
 言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるんだ!

「アドル、起きろよ!! ……起きてくれよ!」

 だけど、いっくら叩いても氷はひびすら入らないし、アドルはいっこうに目を覚まさない。ちっとも変化しないのに嫌気がさして、せめて溶けないかと思って氷に抱きついていると――それが起こった。

「あ……?!」

 これは――アドルの想い?
 断片的な、でも胸に迫る現実感を帯びた感情に、ぼくは巻き込まれていた。

 身体がまるで動かない不安。
 自分以外の自分が、動いていることの不思議さ。
 だんだんとここに馴染んでいくぼくに対しての、嬉しさと――それと裏腹の寂しさ。
 一人取り残されたような寂しさが、どんどん膨らんでいく。

   『オレなんか……いなくってもいいのかもしれないな……』

 アドルの独り言が、耳元で聞こえたような気がした――。

『ヒロユキさん……! いけない、戻って!! 引きずられてしまいます!!』

 レアの悲鳴が、アドルの弱気な思念を吹き飛ばした――!

 

 


「う……」

 目を開けると、心配そうにぼくを除き込んでいるレアがいた。何度も自分の手や足に触って、ちゃんとそれがあるのを確認して、心の底からホッとした。
 ああ、身体があるって、すんばらしいっ!

「よかった……もう少し呼ぶのが遅ければ、間に合わないところでした」

「うん……ホント、命拾いした」

 ぼくは心の中でアドルがやっていたように、膝を強く抱え込んだ。
 ――本当に、怖かった。自分が、闇に溶けてしまうかと思った。

「アドル……言わないんだもんな。まさか、あんな想いでぼくを見てたなんて……思いもしなかった」

 ぼくは、アドルの代わりを勤めることがアドルのためになると、単純にそう思い込んでいた。
 だけどそれは、逆にアドルを苦しめるだけだったのかもしれない。

「無茶なことをしましたね。あの氷の殻は、アドルさんの心が生み出した物です。あれを解くことができるのは、本人だけですよ」

「アドルが……あんな物を作ったのか」

 自分がいない方がいいだなんて、本気で呟いていたアドルの言葉が忘れられない。
 ――そんな寂しい言葉が、あいつの本音なのか?
 その想いが、あんな氷の殻を張ってしまったんだろうか……?

「ヒロユキさん……大丈夫ですか?」

 レアが気遣ってくれるけど、正直、今は顔を上げることさえできなかった。

「アドル……ぼくはどうすればよかったんだい?」

 ぼくこそ、いない方がよかったのかもしれない。そんな弱気なことを思った時、ふいに、空気の色が変わった。

「――?!」

 どこかどうと言えないけど、でも、空気が急にぴんと張り詰めたような――そんな感じがする。

「これは……結界ですね。ラーバ達が――3人しかいないのに、よく、こんな結界を……」


 レアが感心したように辺りを見回す。

「これが、結界?」

 そう言えば、ルタ=ジェンマが言っていた。結界を張ったら、誰にでもそれが分かるって。

「みんな……頑張っているんだな」

 ぼくの肩を叩いていったゴーバンや、ルタ=ジェンマの温かい手を思い出す。ラーバ老は、痛いぐらいにぼくの肩を掴んだっけ。
 それに、サラやジェバ  彼女達はぼくの可能性に、それこそ命を賭けてくれた。
 一つ一つの出来事を思い出し、ぼくは自分の――アドルの胸に手を当てて言った。

「アドル……。やっぱり、いた方がいいよ、ぼくも――アドルもさ」

 16年前も――今だって、ぼくとアドルの事情を知っている人も知らない人も、本当に『アドル=クリスティン』が勝てると確信しているわけじゃないだろう。
 言っちゃなんだけど『溺れるものは藁にもすがる』ぐらいの気持ちで、わずかな希望を背負ったぼく逹を信じているだけなんだ。

 なぜなら、他に道はないから。
 新たな異界の戦士を待つ時間もなく、六神官も半数はいなくて、おまけに女神様さえいないときている。

 だけど――それでも人は希望を信じて、自分にできる精一杯をやろうとするんだ。
 人間には結局それぐらいしかできないなら……ぼくも、そうするしかないのかもしれない。
 ぼくは、目立たないようにこっそり涙をふいて、立ち上がった。

「レア……ぼくはやっぱり、ダルク=ファクトと戦うことにする」

「な、なんですって?!」

 信じられない言葉を聞いたかのように、レアが目を見張る。そんな、驚かせるようなこと言った覚えはないんだけど。

「本気ですか、勝ち目はないんですよ!!」

「あるよ。戦わずに敵前逃亡するよりは、向かっていく方がいくらかでも勝ち目があると思うんだ」

「それはそうですが、異界に住まうあなたには本来、関わりのない戦いなのに……」

「ぼくには関わりがなくても、アドルやフィーナ……それにみんなには関わりがあるんだろ? なら、戦う理由には充分だよ」

「でも、今もあなたは装備もそろっていないのに……!」

 レアが止める気持ちも、分からなくはない。
 なんせ、銀の装備は半分もそろってないし、手助けしてくれる六神官も半分しかいないし、おまけにぼく自身、アドルがいなくて『半人前』のまんまだし。
 でも、五分五分なら、いい確率を信じるのがぼくのやり方なんだ。

「レア。君がいくら止めても、ぼくは聞かない。……アドルが止めるんなら、考えるけどね。なんせ、この身体はアドルのものだから」

 これは、恐ろしく危険な賭けだ。
 本音を言えば、ぼく一人でダルク=ファクトに勝てる自身なんて、まるでない。
 間違いなくこの戦いが、今まで一番危険な戦いになる。

 生死のかかった、危険な戦いになれば――アドルが目覚めるかもしれない。なんだかんだ言って、アドルは根っからの戦士なんだから。

「でも……アドルさんは……」

 心配そうにレアがぼくを見つめる。
 ぼくも自分を見下ろしながら答えた。

「アドルは……ぼくに、いろいろ忠告してくれたけど、本気で文句を言ったことはなかったんだ。それは、きっと――ぼくがしたいと思う方向が、アドルが行きたかった方向だったからだと思う。
 だから、歩き方が悪くても、転んでも、アドルは止めなかったんだよ」

 内心不満があったとしても、ぼくの進んできた道こそが、アドルが進む道だったと――ぼくは、そう信じたい。
 さっき聞いたのがアドルの心の声だとしても、アドルは口に出してそう言いはしなかった。

 言わないのは、それなりの理由があるはずだ。
 隠していた本音と、口に出す強がりと――どちらが本音かなんて、どうでもいいことだ。大事なのは、本人がどちらを信じてほしいと思っているかだ。

「アドルは、売ったケンカには勝てって言っていた。自分のことは気にしなくてもいいから、勝てって……アドルは、そういう奴だよ」

 アドルが望むなら。
 ぼくは、アドルの言葉を信じる。心の奥底で盗み聞いた、あんな弱気な独り言より、いつだって強気なアドルの声を信じている。

「それに不満があるなら、いつでも文句を言いなよ、アドル。それだったら、いつだって従ってやるからさ」

 アドルに向かって言ったけど、やっぱり返事はなかった。……でも、いいさ。アドルが目覚めなくても、ぼくは返事がくるのを待てる。
 それでいいんだ。

「ヒロユキさん……あなたと言う人は  本当に、なんという人……」

 感心したようにも、呆れたようにも聞こえる口調でレアが言う。

「止めても無駄なのですね……分かりました。私が、ダルク=ファクトの部屋まで導きましょう。ですが、一つだけ教えて下さい」

 レアが、まっすぐにぼくを見上げた。

「あなたがそんなにしてまで頑張るのは、フィーナのためなのですか? あなたは、フィーナが好きなのですか?」

 フィーナと全く同じ顔、同じ声でレアが問う。ぼくは、顔がかぁっと赤くなるのを感じた。

「……好き――かもしんない」

 言ってしまってから、なお、ぼくは赤くなる。でも、間違いなくそれは本心だ。ぼくは、フィーナが好きなんだ。
 恥ずかしいことを言ってしまった勢いか、ぼくは焦って余計なことまで言っていた。

「でもっ、でもさ……アドルも、フィーナが好きなんだ」

「……」

 レアが驚いたようにぼくを見る。その顔が、驚くほどにフィーナに似ていた。

「ぼくは運命なんて信じないけど、でも、確かにさ、ぼくとアドルって一人の人間として生まれるはずだったのかもしんないな。だって――気がついたら、同じ女の子に恋をしていた」

 あの夢を思い出す。
 あの、罠にかかって牢屋で気絶して間に見た、心を和ませてくれた、フィーナの夢。
 あれはぼくの夢じゃなくて  アドルの見た夢だったのかもしれない。

 もしかしたら、この想いこそがアドルとぼくを徹底的に隔てた一因なのかもしれない。だけど、それでも押さえ切れやしない。

 ぼくはアドルだって好きだけど――それでもぼくは、フィーナにアドルじゃなくて、ぼくを見つめて欲しかった。
 ぼくを、好きになって欲しいと思った。


「そうだったのですか……」

 レアが一粒、涙を流した。

「どうして――どうして、泣くんだい?」

 まるで、ぼくの心を読んでいるみたいに。。

「そう……前から疑問に思っていたんだ。レアって、いったい何者なんだ? なんで、フィーナとこんなにそっくりなんだい?」

 レアは目を伏せた。

「今は……今は、まだ話せません。ダルク=ファクトを倒せたら……」

「倒したら、話してくれる?」

「そう――多分、……話せるかもしれません」

 優しく微笑み、レアは手を差し延べてきた。

「さあ、私の手を握って下さい。ダルク=ファクトの部屋へ参りましょう」

 ぼくは言われた通りに手を握った。

「目を閉じて下さい」

 その途端、全身を浮遊感が包んだ。瞼を閉じているはずなのに、あふれるほどの光の本流が見える。
 めくりめくような一瞬――やがて、浮遊感は消えた。

「目を開けてください」

 レアの声に、ぼくはゆっくりと目を開けた。                                   《続く》

 

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