Act.1 オレは、勇者様 |
「あれ?」 船室の中で退屈凌ぎにウロウロし、用もないのに何度もトイレへ行ったオレは、ふと足を止めた。――しかしどうでもいいことだが、人ってなんで退屈だと意味もなくトイレに行きたくなんのかね〜。 ま、疑問はさておき、そこそこ高い金を払っただけあって、洗面所には大きな鏡があった。 そこに映っている自分を、オレはしばしぼうっと見つめた。 「へー、似てるなぁ……」 今まではオレが赤毛で、しかも髪を伸ばしていたから気づかなかったが、こうしてあいつと同じく黒に染め、短くしてみるとびっくりするぐらいよく似ている。 だが、身内や友達ならともかく、ちょっと見たことがあるぐらいの知り合いなら、充分ごまかせそうなぐらいには似ている。 それに、剣や鎧を買う時に無意識にあの夢に影響されたのか、あの少年にそっくりの物を選んでいるから、ますます似て見える。 ……でも、オレは別にバケモンと命を賭けてまで戦いたいなんて、思ったこともないんだけどな。 ……しかし、オレにそんな能力があるんなら、もうちょっと、ギャンブルに強くってもよさそうなものだ。
船のタラップを降りた草々、そんな声が聞こえてきた時、オレはよもやそれがオレに対する呼び声だなんて思いもしなかった。 自満じゃないがこのユーロ、後ろ暗い商売をしているだけに、5回に4回は口から出任せの偽名を名乗ることにしている。当然のことならば、適当に名乗った偽名をいちいち覚えているわけがない。 しかし、 「アドル様?! アドル様、お待ち下さいっ」 と、袖を引かれたんじゃ、いくらオレだって足を止めないわけにはいかない。 「な、なんだよ?」 早くも追っ手が来たか、と一瞬ビビリはしたものの、よくよく見ればオレの袖を引いたのはどこにでもいるような中年男だった。 「ああ、やっぱりアドル様ですね?! いつぞやは魔物から助けて頂いて……お世話になりました。本当にもう……なんとお礼を言っていいやら」 やたらと丁寧に頭を下げる男に、オレは何がなんだか分からずに、それでも身に染みついた習慣で言い訳じみたことを言ってしまう。 「先日はって……オレは別に何もした覚えは……」 「おお! なんと奥ゆかしい!! 「あ、アドル=クリスティン、だって?」 『アドル』ってのが割と平凡な名前だったから気づかなかったが、『アドル=クリスティン』になら、さすがに聞き覚えがあった。 若くして冒険者として名を馳せ、魔王を倒すために単身この呪われた島エクステリアへと渡った剣士。 (――こいつ、目が腐ってる、絶対!) が、オレがそう絶叫しようとした時には、もうすでに港にいる何人もの人がオレに注目していた。 「あの方がアドル=クリスティン様? あの、魔王ダルク=ファクトを倒したという……」
「間違いない、あの黒い髪に青味がかった瞳……」 「きゃあ、素敵♪ さすがは勇者様よねーっ♪」 一般民衆のざわめきも去ることながら、若い娘の賞賛と憧れの目の、気持ちいいことったら。 どうやら、オレは本気で『アドル=クリスティン』に間違われているらしい。 旨い話にゃ一も二もなくとびつき、骨までしゃぶるのがオレの性分ってモン。 「ええ、オ……いや、ぼくがアドル=クリスティンです」 その途端、一気に歓声が沸き上がる。オレは自分の言葉で、人が罵倒ではなく祝福の歓声をあげるのを、生まれて初めて聞いたんだ。
オレはご機嫌な気分で、甘いボンボンを口に一つほうり込む。 飯のたびに寸借詐欺を繰り返し、やっとのことで安宿で売れ残りのまっず〜い定食を食うのが精一杯だったチンピラのユーロと違って、『アドル=クリスティン』は信じられないような歓待を受けていた。 町で一番上等な宿屋にタダで宿泊させてもらい、勇者様をあがめる人々に面会してやって、その悩みごとに――まぁ、たいていは村を救えだの魔物を倒せってやつだけど――テキトーに頷き、握手の一つでもしてやるだけの生活。 「お〜お、まったく勇者ってのは3日やったらやめらんないねっ♪」 本物のアドルって奴がどんな奴か知らないが、奴はよっぽどオレに似ているらしい。 ホントに、こんなに楽をして生きてきたことって、オレの人生になかったね。捨て子だったオレには、回りにいる連中をだまくらかしてその日の糧を得るしか道がなかったんだから。 「ん〜、うめえっ」 も一つボンボンを口にほーりこむと、トントンとドアをノックする音が聞こえた。 「ふぁ、はい、どーぞっ」 オレは慌ててベッドから飛び下りて、手早く鎧や剣を身につけて、ちゃんとイスに座る。いくらなんでも、ベッドに寝そべっておやつを食っている勇者じゃキマらないもんね。 「失礼します、勇者様。あの……ラーバ老の使いと申す者が、面会を申し込んでいるのですが」 丁寧に頭を下げたのは、この宿屋の主人だ。 「いっ?! ラーバ老って、六神官の、あのラーバ家のことかよっ?!」 驚いて、思わず大声を出してしまう。 ……じょ、じょーだんじゃないよっ、そんなのに会ったら、オレがニセ者だって一発でバレるかもしんないじゃんかっ! 「あ……オレ、頭痛くて、ついでになんか腹も壊したみたいで、さらに果てしなく通風の発作が……っ。悪いけど、今日の面会は断っておいて!」 一気に言い訳するオレに、宿屋の主人は戸惑ったように目をきょとんとさせる。 「はぁ? でも、もう、お見えになってるのですが?」 そう言う主人の足元から、ひょこっと猫ぐらいの大きさの小鬼――ラグニャ族が顔を覗かせた。 「やいっ、アドル! ひさしぶりだなっ!!」 「へ?」 いきなり登場してきた小鬼に、今度はオレがきょとんとする番だった。 「なんだ、オイラを忘れたのか? オイラ、クリントだいっ! じっちゃんに言われて、ずーっと、おまえを探してたんだぞっ!!」 意外に可愛い声で、クリントと名乗る小鬼は言う。 「急にいなくなっちゃうんだもん、ずるいぞっ。オイラも、じっちゃんも、ルタも、ゴーバンも待ってたのにさっ。そんに、髪がふわんふわんの女の子も」 そ、そんなこといきなり言われたって、てめえらを待たせたのはオレじゃないっ! 「ん? おまえ、なんか、どっか変わったみたいだなぁ?」 まじまじと目を見張っての言葉に、オレはぎくっとした。 「そ、そっかなあ? オレは前の通りだけど?」 白々しくごまかそうとしたけど、小鬼は生真面目にオレを睨む。 「いーや、違うっ。おまえ、前、あの女の子のこと言うと、ムキになったのに! それに、すっごく無口になった」 どうやらこいつは、『アドル』本人の知り合いらしい。外見の違いはともかくとして、内面的な違いを指摘していやがる。 「やっぱ、ラーバのじっちゃんはすごいや! アドルは前に会った時と少し違うかもしんないって、じっちゃん、言ってた!」 「あ……そ、そーなの?」 ……なんか、気が抜けるやら、アホらしいやら。 「おうっ! いいか、じっちゃんからの伝言だ、よっく聞けよ――『ヤツはまだ生きている。なれば今一度、異界より来たる勇者の助力を得るべし』」 「……な、なんだ、それ?」 何がなんだか、さっぱり訳が分からない。 「オイラも知んない!」 無意味に胸を張り、クリントが得意そうに言う。ああ、やっぱり小鬼の使い魔なんぞ、ノーミソあっぱらぱーだっ!! 「でも、じっちゃんは、そう言えばアドルには分かるからって言ってた。そんで、これを使えって」 そう言ってクリントが差し出したのは、細かな細工の施された腕輪だった。大きな水晶が埋め込まれていて、すっごく高価そうな品だ。 ほとんど話をボーッと聞き流していたオレだが、金目の物をつきだされて、思わずそれを受けとってしまった。ふっふっふ……、これならどんなに捨て値でさばいたって、相当な金になる!! 『アドル=クリスティン』に化けるのもそろそろ限界のようだし、いい加減にここから逃げ出して、これを金に換えよう――そんな計画を立てていたオレは、どうやらちょっとスキを見せてしまったらしい。 「何、してる?! こーするの!」 「あっ、よせっ?!」 止めるのが一瞬遅く、クリントはオレの腕にその腕輪をくぐらせた。 「あーっ、何しやがるんだよっ?! これ、取れなくなっちゃったじゃねえか、どーしてくれるんだよっ!」 まさか、これって呪いのアイテムじゃないだろうな?! 「うん、ラーバのじっちゃんの言いつけどーりにしたぞ!」 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、オレの身体が光り出した。強い陽射しにいきなり焼かれたように、肌にちりちりとむず痒い感触が走る……別に痛くはないけど、気味が悪いことにゃ変わんない! 「『したぞ!』じゃねえんだよ、この大バカ野郎!! いったいオレに何をしやがった?!」
「いいっ?!」 て、転送っ? 「急がないと、大変なことになるんだって。後から、じっちゃん達も追っかけていくから、先に行って、人々を助けてろって、じっちゃんが言ってた」 ちょっ、ちょっとまてぃっ! 冗談じゃない、オレは外見がちょっと似てるだけの正真正銘のニセ勇者だぞ、そんな大変なことに関わる気もなきゃ、ましてや人を助ける気なんてカケラもない!! 「え……っ、うあ――っ?!」 足が、床から離れて宙をばたつく。確か、転送術ってのは物凄いスピードで空を飛ぶ魔法だと聞いたが――オレは上を見てぎょっとした。 ここはこの前までオレが泊まっていたようなボロ宿じゃない。天井だってしっかりと何本も梁があるし、屋根には分厚い瓦まで引いてあった。 「おっ、おい、ちょっと待てよ?! これ、天井にぶつからないように、ちゃんと配慮と言うか、仕掛けがあるんだろうな?!」 祈るような思いで叫んだオレの目の前で、小鬼はきょとんとした顔で首を傾げ……やがて、はじけるように笑い出した。 「あっ、オイラ、忘れてたぞ! これ、必ず、外で試すようにって言われてたんだった!!」 「ぬ、ぬわにぃいいいいいっ?!」 完全に宙に浮いたオレの身体が、バキバキとヤワな天井板にのめり込む。そりゃ今はいいよ、今は。でも、これが屋根瓦を突き破る時になったら……どーなるんだっ?! 「こぉらぁあっ、このクソ小鬼、なんとかしろぉおおーっ!」 恐怖のあまり、ひっくり返った声で絶叫するオレに、クリントは真面目くさって最後の忠告をする。 「ラーバのじっちゃんが言ってた! 「そんな忠告なんぞ、役にたたんっ!! もっと役に立つことをいえっ!」 上を引っ張られる力が、加速度的に強まった。もうすぐ、糸を放した風船のように急上昇すると、オレは確信的に感じていた。うう……屋根をぶち破る際に、オレの身体、壊れないだろうな? 「ひょぇええええええ〜〜〜〜っ?!」 オレのなっさけない悲鳴は、屋根が壊れる派手な音に紛れたんだろうか? 「忘れちゃだめだよ、アドルーっ! 困った時は、もう一人のおまえを呼ぶんだぞーっ!」
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