Act.2 心からの叫び

 

 そこに、誰かがいるのは分かっていた。
 薄暗がりの広がる、どこか荒野じみた空虚な世界――見たこともない場所なのに、なんとなく来たことがあるような気がするのは、なぜなんだろう。

 誰もいない場所に、なぜか一人、ぽつんと立っているそいつの顔は、あいにくとさっぱりと見えやしない。こっちを向いているのに、逆光になっているせいで、顔の造作まで読み見とれない。
 ただ、背格好からしてオレと同じ年ぐらいの男かなって、分かる程度だ。

『……誰?』  

 不思議そうに、そいつが呟く。

『誰か……オレを呼んだ?』

 あやふやな口調でそう呟くと、そいつは答えを待つようにしばらく黙り込む。
 何か、言った方がいいのかどうか、オレはちょいと迷ったけど、結局黙っていることにした。まだ、そいつが敵か味方か、それどころか生きてるのか幽霊かさえも分かんないものな。

 しばらく間をおいてから、そいつはさっきよりももっと小さな声で、ほとんど囁くように呟いた。

『ひょっとして……アドル? ……君、なのかい……?』

 オレがそれに答える前に、すうっと辺りに光が差した――。

 

 

 

「あ、れ……?」

 気がつくと、オレはあお向けにひっくりかえって、寝っ転がっていた。どうやら、今のは夢らしい。やけにリアルで、生々しい夢だったけど――まあ、夢のことなんかはどうでもいい。

「あー、オレ……生きてんのか」

 ざっと手足を触ったところ、これといった怪我もしていない。ううっ、命があるってすんばらしいっ!
 あのバカの小鬼のせいで、オレの人生、一巻の終りかと思ったもんなー。まあ、元はと言えばニセアドルになりすましたオレの自業自得といや、そうなんだけどさ。

 とにかく、オレは起き上がって辺りを見回した。
 目に入るのは、だだっ広い野っ原  さっきまでオレがいたはずの宿屋どころか、町の気配すらも見えない大平原だったりして。

 ……こ、ここってどこだ?
 うーむ、命が助かったのはいいとして、何か、とんでもない所に送られてきたよな気が、ひしひしと……。
 この先どうするべきか、真剣に考え始めた時だった。

「あのう……あなた、アドル…様、ですか?」

 頼りなげな声が、後ろっから聞こえた。

「え?!」

 とっさにオレの頭に浮かんだのは、さっきの夢に出てきた野郎だが、聞こえたのは女の子の声だ。
 焦って振り向くと、そこには本ッ当に、ムチャクチャ可愛い女の子がいた!

 酒場の踊り子にだって、こんな可愛い子はめったにいない。化粧っ気がまったくないが、それが惜しいとも思わない。大きな目が、印象的な少女だった。
 柔らかな栗毛をなびかせた美少女が、おずおずとオレに話しかけているっ。

 これを『人違いです』と素直に答えてナンパのチャンスをむざむざ逃すほど、オレは無欲な男じゃない!

「オッ、いや、ぼっ、ぼくッすか?!はい、ぼくがアドルですっ!! 正真正銘、本物間違いなしのアドル=クリスティンですよぉ!」

 勢い込んで言ったオレのしどろもどろさが、女の子の緊張を解きほぐしたらしい。
 見るからに緊張していた少女は、くすりと笑った。

 笑うと、なおいっそう可愛く見える。ちょうどオレと同じ年ぐらい、素朴な村娘と言った風情の質素な服装をしているのに、ちっともダサく見えないのは贔屓目というものだろうか。

「わたし、リリアって言います。ああ……それにしても、予言は本当だったなんて……女神よ、感謝致します」

 そう言って、リリアは目を閉じて手を組み、神に祈るしぐさを見せる。

「へ? 予言……って?」

「ええ、数日前から神官や巫女達が不思議な夢を見たの。イースの本を揃えし者、アドル=クリスティンがここへやってくるって。彼こそがこの世界を救う者となるって」

 な、なんだ、そりゃ?
 まさかとは思うが、あのバカ小鬼をよこしたラーバのじっちゃんとやらがここまで手回ししたとか……。

 そんな面倒なことなんぞ、冗談じゃない! オレのモットーは楽して、美味しいとこどり、おもしろおかしく生きるのが理想なんだから!
 しかし――そう言って、あっさりと別れるには、この美少女はあまりにも捨て難い。せめて、もうちょっと話そうとオレは声をかけた。

「予言って、君、巫女なのかい?」

「まさか、とんでもない! わたしはただの村娘ですわ、アドル様。この近くのランスの村に住んでいるの」

 リリアの話だと、オレは光の固まりとなってこの野原に落ちてきたらしい。それを聞いて、オレは改めてゾッとした。
 ホントに、よく生きてたもんだ!

「こんなこと、初めてだったわ。村中の人が、みんな驚いていた。こんな不思議な話、聞いたこともないって」

 数日前からの神官達の見ていた予言の夢と関係があるかもしれないと、リリアは一人で村を出て、それを確かめにきたらしい。

「へー。君って、勇気があるんだなぁ」

 本気で感心して、オレは呟いた。
 ただ可愛いだけの女の子かと思ったら、意外と骨がある子みたいだ。

「いやだ、そんなことないわ。ただね、誰かがやらなきゃならないでしょ? なら、わたしがやるのが一番いいって思ったの」

 気負った様子もなく、自然な感じでリリアが言う。
 それを聞いて、ますますオレはこの娘がしっかりとした女の子なんだと実感した。今までのオレが知りあったような、男に媚びるしか脳がない酒場の娘とはひと味もふた味も違う。

 それはそれで新鮮だったけど、……しかし、芯のしっかりした娘ってのは、ナンパになびきにくいんだよな。
 でも、チャレンジはしてみるか!

「そうだね……、きっとさ、君がそれを引き受けたのは、ぼくに会うためだよ。ぼくと君は結ばれる運命だから――なんちゃってね♪」

 ダメもとで口説いてみると、リリアはちょっと目を見張り……それから、ぷっと吹き出した。

「うふふッ、冗談がお上手ね。イースの国を救ってくださる勇者様が、こんなに気さくでおもしろい方だなんて……、ちょっぴり意外よ」

 おかしそうに、リリアは手を口に当てて笑う。
 うっ、今の本気でくどいてたんだけど、でもけっこう好印象を与えたみたいだから、いいとするか!

「えへへ……そーですかァ? ぼくっておもしろいかなぁ? ん?」

 リリアに釣られてヘラヘラ笑ってたけど……今、とんでもない言葉を聞いたような?

「え、ちょっ、ちょっと待って! も、もしかして君っ、今、イースの国って言わなかった?!」

「え、言ったけど?」

 急に興奮したオレにリリアは戸惑ってるみたいだけど、こっちはそれどころじゃない!! イースだって?

「イースって……まさか、ここはイースなのか?! エストリアじゃなくって?!」

 伝説に語り継がれる、古の地名イース――そこはこの世の楽園で、二人の女神に守られた世界だったと聞く。でも、それは今はもう失われて、エストリアと地名を変えたはずなのに。

「エストリアなんて、聞いたこともないわ。
 ここはイースよ。天上の国、イース」

 真面目に答えるリリアに、オレは思わず天を仰いだ。

「て、てぇことは……オレ、やっぱ死んじゃって、天国にきちまったのかーっ?!」

 どうも話がうますぎると思ったんだよな、オレみたいなチンピラがあの有名な勇者アドルと間違えられるとか、こんな可愛い子に好意的に話しかけられるなんてさ!
 ああ、こんなことなら、もちっと真面目に生きときゃよかった!!
 しかし、オレの嘆きに、リリアはくすくす笑うばかりだ。

「いやだわ、からかったりして。イースは天国なんかじゃないわ」

「へ? 天国……じゃない?」

「ええ。イースはイース……天に浮かんでいる島だけど、天国じゃないわ」

 天に浮かんでいる島――天上国か?!
 なんだか知らないうちに、オレは『アドル=クリスティン』として、とんでもない場所へ飛ばされちまったらしい。
 エラいことになったと驚きはしたものの、オレはすぐに開き直った。

 まあ、いいか。
 どうせ、エステリアからも近々ズラかる予定だったし、どうせ身よりもない上に後ろぐらいことばかりやらかしてきたこのオレだ、どこへ行ったってたいして変りやしない。

 なら、今まで来た言葉もない場所にこれて、こんなカワユい女の子とお近付きになれた分だけ、ラッキー、ってなものだ。
 オレは開き直って、リリアに聞いてみた。

「とにかく、とりあえず君の住むランスの村とやらに行ってみるよ。
 案内してくんない?」

 そう言って、オレはさりげなくリリアの手を取った。

「そうね、そろそろ日が落ちる時間だし」

 オレの手をちょっぴり強く握り返し、なんとなく照れた感じでオレを見つめるリリア。 そんなしぐさは、ますますカワユいぜ。
 思わずデレッとなったオレだが――とんでもない物を見つけて顔が引きつった。

 リリアのちょうど真後ろで、地面がボコリと盛り上がる。そして、どろりと溶けた腕のようなものが突き出てきたんだ!
 一瞬、ショックで息が止まった。

 こんなの、見るのは生まれて初めてだ。リリアはまだ気づいてもいないみたいだし……どうすりゃいいんだ?!

 ――逃げろリリア、危ない!  

 とっさにそう叫ぼうと思った。けど、オレにとっての誤算は、人間、突然の恐怖にでっくわすとロクすっぽ声も出なくなるってことだった。

「に……にゃっ、りっ、あっ……??」

 自分自身さえ何を言ってんだか分からない、意味不明な言葉の羅列に、リリアはきょとんとするばかり。

「アドル様、どうしたの?」

 オレに気を取られているせいか、リリアはますます後ろには注意を払わない。すでにバケモノは地面から上半身を出し、今にも飛びかからんばかりだった。

 ほっ、本気でどうすりゃいいんだよっ?!
 普段だったらとっくに逃げ出しているところだが、いくらオレでも、自分と同じぐらい年の、こんな純真で可愛い女の子を見捨てて逃げれるかよ!!

「うわぁああ――っ!!」

 トロけた腕がリリアに向かうのを見て、オレは叫んだ。そのついでに、信じられないけど身体がとっさに動いた。強引にバケモノの手の範囲から、彼女を引き離す!
 うーん、オレってなんか、カッコいい!
 と、自画自賛できたのも一瞬だった。

「キャァアアッ! 何するのっ?!」

 強烈な平手打ちが、オレの頬を襲う!

「いやぁあっ、キャアアッ、助けてっ、このチカンッ!!」

 なんと、バケモノにまったく気づいちゃいないリリアが、めちゃくちゃに手を分回して暴れまくる。
 痛ァッ、そりゃないよォ!

「リッ、リリア、ちがっ、誤解……」

「キャアア、助けて、お母さぁんっ!」

 ちょっと待ってよォ、それどころじゃないんだからァ!

「グギャォオ……クギャァゲオォオ……」

 不気味な声が、その場に響き渡る。
 その声に、オレも、オレに組み伏せられて格好になってたリリアも、ハッとそっちを向いた。オレとリリアがモタついている内に、バケモノは地面から完全に這い出してしまったんだ……!

 それは――なんと言ったらいいんだろう、見たこともないほど醜悪なバケモノだった。 全体的な形は、四つん這いの人間に似ている。が、とろけかかったように輪郭のあやふやな腕には、それとは裏腹に鋭い爪が、額には角のような物がある。
 悲鳴を上げるどころか、オレとリリアは完全に硬直してしまった。

 賞金稼ぎが担いでいた魔物の死骸なら見た経験はあっても、生きている、しかもこんなにデカい魔物を見るのはこれが生まれて初めてだった。それだけに、オレは魔物から目を放せなかった。
 ただ呆然とそれを見ているだけで、奴が襲ってきても身動きもできなかったんだ。

「……キャァア――――!!」

 魔物がオレ達二人をつかみあげて、初めてリリアが悲鳴を上げる。
 さっき、オレに襲われたと誤解した時とは全然違う、喉が張り裂けるような悲鳴だ。
 魔物がオレ達をどう扱ったのか、オレにはさっぱり分からなかった。

 気がついた時は、オレは地面に投げ出され、バケモノはリリアを掴まえていた。全身がズキズキ痛むところを見ると、オレは相当乱暴に扱われたらしい。けど、命に関わるような怪我はしていないみたいだった。

 今なら、逃げれる――情けないけど、まっさきに思ったのはそれだった。実際、恐怖の余り足が萎えていなかったら、オレはそうしていたに違いない。
 けど、腰が抜けて身動きもできないオレは、少し離れた場所でバケモノがリリアを掴まえているのを見ているしかなかった。

 オレには、最初、バケモノが何をしようとしているのか分からなかった。ただ、リリアを手につかんでいるようにしか見えない。リリアはそれから逃れようと、必死にみじろぎしている。

「……あ…リリ……ア…?」

 やっとのことで絞りだした声に、リリアはオレを見た。
 彼女は最初、助けを求めるつもりだったに違いない。すがりつくような目でオレを見た後――彼女は何も言わずに、静かに微笑んだ。バケモノにつかまれながら、リリアは確かに微笑んだんだ。

「……逃げて、ください。クライスは……この魔物は、女しか襲いません」

 とぎれとぎれながら、しっかりとした声でリリアが言う。オレは耳を疑った。
 正直、ここで助けてくれと言われたって、オレには何もできやしなかっただろう。それどころか、無茶を言うなとかえって彼女を責めたかもしれない。

 だけど  まるでオレの心を見透かしたように『逃げろ』と言われて、オレは身のおきどころもないほど恥ずかしくなった。
 こんな気持ちは、生まれて初めてだ。

「そんな……っ、そんな、こと、できるもんかっ!」

 さっきまで逃げようとしたことも忘れ、オレは一世一代の勇気をふり絞って、バケモノに飛びかかった!

 だけど、勇気だけで通用するほど現実は甘くない。バケモノはリリアをつかんだまま、片手でオレをあしらった。何回か飛びかかり、オレは何度も突き飛ばされ、しまいにゃ動けなくなってうずくまる。

 くっそお、なんてオレは不様なんだ!
 だんだんぐったりと動かなくなっていくリリアを見ながら、オレは歯ぎしりをした。
 このバケモノに一泡吹かせることができるなら、命だっていらない――そんな気さえするのに、オレはこいつに手も足もでないのか?!

 どうしようもない事態に歯がみするオレの脳裏に、ふと閃いたのはあの、途方もなく無責任な小鬼の言ったセリフだった。

『困った時は、もう一人のオレを呼べ』

 そんな、当てにもならないものを呼ぶ気なんざ、さらさらなかったが、でも他にすがるものがない。オレは万に一つの奇跡を願って、腹の底から絶叫した。

「誰でもいい!! リリアを助けてくれ――っ!」

 果たして、叫びは言葉になっていたのかどうか――とにかく、心の底からそう願った瞬間……世界は、一転した。
 頭の中に叫び声がこだまし、目の前が真っ白になった――!!
                                    《続く》

 

3に続く→ 
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