Act.2 心からの叫び |
そこに、誰かがいるのは分かっていた。 誰もいない場所に、なぜか一人、ぽつんと立っているそいつの顔は、あいにくとさっぱりと見えやしない。こっちを向いているのに、逆光になっているせいで、顔の造作まで読み見とれない。 『……誰?』 不思議そうに、そいつが呟く。 『誰か……オレを呼んだ?』 あやふやな口調でそう呟くと、そいつは答えを待つようにしばらく黙り込む。 しばらく間をおいてから、そいつはさっきよりももっと小さな声で、ほとんど囁くように呟いた。 『ひょっとして……アドル? ……君、なのかい……?』 オレがそれに答える前に、すうっと辺りに光が差した――。
「あ、れ……?」 気がつくと、オレはあお向けにひっくりかえって、寝っ転がっていた。どうやら、今のは夢らしい。やけにリアルで、生々しい夢だったけど――まあ、夢のことなんかはどうでもいい。 「あー、オレ……生きてんのか」 ざっと手足を触ったところ、これといった怪我もしていない。ううっ、命があるってすんばらしいっ! とにかく、オレは起き上がって辺りを見回した。 ……こ、ここってどこだ? 「あのう……あなた、アドル…様、ですか?」 頼りなげな声が、後ろっから聞こえた。 「え?!」 とっさにオレの頭に浮かんだのは、さっきの夢に出てきた野郎だが、聞こえたのは女の子の声だ。 酒場の踊り子にだって、こんな可愛い子はめったにいない。化粧っ気がまったくないが、それが惜しいとも思わない。大きな目が、印象的な少女だった。 これを『人違いです』と素直に答えてナンパのチャンスをむざむざ逃すほど、オレは無欲な男じゃない! 「オッ、いや、ぼっ、ぼくッすか?!はい、ぼくがアドルですっ!! 正真正銘、本物間違いなしのアドル=クリスティンですよぉ!」 勢い込んで言ったオレのしどろもどろさが、女の子の緊張を解きほぐしたらしい。 笑うと、なおいっそう可愛く見える。ちょうどオレと同じ年ぐらい、素朴な村娘と言った風情の質素な服装をしているのに、ちっともダサく見えないのは贔屓目というものだろうか。 「わたし、リリアって言います。ああ……それにしても、予言は本当だったなんて……女神よ、感謝致します」 そう言って、リリアは目を閉じて手を組み、神に祈るしぐさを見せる。 「へ? 予言……って?」 「ええ、数日前から神官や巫女達が不思議な夢を見たの。イースの本を揃えし者、アドル=クリスティンがここへやってくるって。彼こそがこの世界を救う者となるって」 な、なんだ、そりゃ? そんな面倒なことなんぞ、冗談じゃない! オレのモットーは楽して、美味しいとこどり、おもしろおかしく生きるのが理想なんだから! 「予言って、君、巫女なのかい?」 「まさか、とんでもない! わたしはただの村娘ですわ、アドル様。この近くのランスの村に住んでいるの」 リリアの話だと、オレは光の固まりとなってこの野原に落ちてきたらしい。それを聞いて、オレは改めてゾッとした。 「こんなこと、初めてだったわ。村中の人が、みんな驚いていた。こんな不思議な話、聞いたこともないって」 数日前からの神官達の見ていた予言の夢と関係があるかもしれないと、リリアは一人で村を出て、それを確かめにきたらしい。 「へー。君って、勇気があるんだなぁ」 本気で感心して、オレは呟いた。 「いやだ、そんなことないわ。ただね、誰かがやらなきゃならないでしょ? なら、わたしがやるのが一番いいって思ったの」 気負った様子もなく、自然な感じでリリアが言う。 それはそれで新鮮だったけど、……しかし、芯のしっかりした娘ってのは、ナンパになびきにくいんだよな。 「そうだね……、きっとさ、君がそれを引き受けたのは、ぼくに会うためだよ。ぼくと君は結ばれる運命だから――なんちゃってね♪」 ダメもとで口説いてみると、リリアはちょっと目を見張り……それから、ぷっと吹き出した。 「うふふッ、冗談がお上手ね。イースの国を救ってくださる勇者様が、こんなに気さくでおもしろい方だなんて……、ちょっぴり意外よ」 おかしそうに、リリアは手を口に当てて笑う。 「えへへ……そーですかァ? ぼくっておもしろいかなぁ? ん?」 リリアに釣られてヘラヘラ笑ってたけど……今、とんでもない言葉を聞いたような? 「え、ちょっ、ちょっと待って! も、もしかして君っ、今、イースの国って言わなかった?!」 「え、言ったけど?」 急に興奮したオレにリリアは戸惑ってるみたいだけど、こっちはそれどころじゃない!! イースだって? 「イースって……まさか、ここはイースなのか?! エストリアじゃなくって?!」 伝説に語り継がれる、古の地名イース――そこはこの世の楽園で、二人の女神に守られた世界だったと聞く。でも、それは今はもう失われて、エストリアと地名を変えたはずなのに。 「エストリアなんて、聞いたこともないわ。 真面目に答えるリリアに、オレは思わず天を仰いだ。 「て、てぇことは……オレ、やっぱ死んじゃって、天国にきちまったのかーっ?!」 どうも話がうますぎると思ったんだよな、オレみたいなチンピラがあの有名な勇者アドルと間違えられるとか、こんな可愛い子に好意的に話しかけられるなんてさ! 「いやだわ、からかったりして。イースは天国なんかじゃないわ」 「へ? 天国……じゃない?」 「ええ。イースはイース……天に浮かんでいる島だけど、天国じゃないわ」 天に浮かんでいる島――天上国か?! まあ、いいか。 なら、今まで来た言葉もない場所にこれて、こんなカワユい女の子とお近付きになれた分だけ、ラッキー、ってなものだ。 「とにかく、とりあえず君の住むランスの村とやらに行ってみるよ。 そう言って、オレはさりげなくリリアの手を取った。 「そうね、そろそろ日が落ちる時間だし」 オレの手をちょっぴり強く握り返し、なんとなく照れた感じでオレを見つめるリリア。 そんなしぐさは、ますますカワユいぜ。 リリアのちょうど真後ろで、地面がボコリと盛り上がる。そして、どろりと溶けた腕のようなものが突き出てきたんだ! こんなの、見るのは生まれて初めてだ。リリアはまだ気づいてもいないみたいだし……どうすりゃいいんだ?! ――逃げろリリア、危ない! とっさにそう叫ぼうと思った。けど、オレにとっての誤算は、人間、突然の恐怖にでっくわすとロクすっぽ声も出なくなるってことだった。 「に……にゃっ、りっ、あっ……??」 自分自身さえ何を言ってんだか分からない、意味不明な言葉の羅列に、リリアはきょとんとするばかり。 「アドル様、どうしたの?」 オレに気を取られているせいか、リリアはますます後ろには注意を払わない。すでにバケモノは地面から上半身を出し、今にも飛びかからんばかりだった。 ほっ、本気でどうすりゃいいんだよっ?! 「うわぁああ――っ!!」 トロけた腕がリリアに向かうのを見て、オレは叫んだ。そのついでに、信じられないけど身体がとっさに動いた。強引にバケモノの手の範囲から、彼女を引き離す! 「キャァアアッ! 何するのっ?!」 強烈な平手打ちが、オレの頬を襲う! 「いやぁあっ、キャアアッ、助けてっ、このチカンッ!!」 なんと、バケモノにまったく気づいちゃいないリリアが、めちゃくちゃに手を分回して暴れまくる。 「リッ、リリア、ちがっ、誤解……」 「キャアア、助けて、お母さぁんっ!」 ちょっと待ってよォ、それどころじゃないんだからァ! 「グギャォオ……クギャァゲオォオ……」 不気味な声が、その場に響き渡る。 それは――なんと言ったらいいんだろう、見たこともないほど醜悪なバケモノだった。 全体的な形は、四つん這いの人間に似ている。が、とろけかかったように輪郭のあやふやな腕には、それとは裏腹に鋭い爪が、額には角のような物がある。 賞金稼ぎが担いでいた魔物の死骸なら見た経験はあっても、生きている、しかもこんなにデカい魔物を見るのはこれが生まれて初めてだった。それだけに、オレは魔物から目を放せなかった。 「……キャァア――――!!」 魔物がオレ達二人をつかみあげて、初めてリリアが悲鳴を上げる。 気がついた時は、オレは地面に投げ出され、バケモノはリリアを掴まえていた。全身がズキズキ痛むところを見ると、オレは相当乱暴に扱われたらしい。けど、命に関わるような怪我はしていないみたいだった。 今なら、逃げれる――情けないけど、まっさきに思ったのはそれだった。実際、恐怖の余り足が萎えていなかったら、オレはそうしていたに違いない。 オレには、最初、バケモノが何をしようとしているのか分からなかった。ただ、リリアを手につかんでいるようにしか見えない。リリアはそれから逃れようと、必死にみじろぎしている。 「……あ…リリ……ア…?」 やっとのことで絞りだした声に、リリアはオレを見た。 「……逃げて、ください。クライスは……この魔物は、女しか襲いません」 とぎれとぎれながら、しっかりとした声でリリアが言う。オレは耳を疑った。 だけど まるでオレの心を見透かしたように『逃げろ』と言われて、オレは身のおきどころもないほど恥ずかしくなった。 「そんな……っ、そんな、こと、できるもんかっ!」 さっきまで逃げようとしたことも忘れ、オレは一世一代の勇気をふり絞って、バケモノに飛びかかった! だけど、勇気だけで通用するほど現実は甘くない。バケモノはリリアをつかんだまま、片手でオレをあしらった。何回か飛びかかり、オレは何度も突き飛ばされ、しまいにゃ動けなくなってうずくまる。 くっそお、なんてオレは不様なんだ! どうしようもない事態に歯がみするオレの脳裏に、ふと閃いたのはあの、途方もなく無責任な小鬼の言ったセリフだった。 『困った時は、もう一人のオレを呼べ』 そんな、当てにもならないものを呼ぶ気なんざ、さらさらなかったが、でも他にすがるものがない。オレは万に一つの奇跡を願って、腹の底から絶叫した。 「誰でもいい!! リリアを助けてくれ――っ!」 果たして、叫びは言葉になっていたのかどうか――とにかく、心の底からそう願った瞬間……世界は、一転した。
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