Act.8 セルセタの花 |
「ん? これって……」 相変わらず迷路の様な坑道を行きつ戻りつしながら歩いていたオレは、とある壁を見て足を止めた。 『どうかした? なんにもないように見えるけど?』 「へへっ、そう見えるか?」 オレは舌なめずりしながら、その壁に近付いた。確かに一見はただの岩壁――だが、そう思い込むのが素人の浅はかさ、じっくりと見ればこのキラキラと妙に目に飛び込んでくる光が見えるはずだ。 「こいつは鉄鉱石だ。それも結構純度が高い上物だな、売れば結構な金になるぜ」 『へー、よく分かるね。すごいや』 褒められると、オレとしても悪い気はしない。 「まあ、オレって前に製鉄所でバイトしてたこと、あるからさ。さて、じゃ少し掘っていこうか」 そんな気になれたのは、道が少し分かったせいだった。 目当ての道が見えないとはいえ、ここまで戻ればすぐに地上に帰れるという安全路を確保できると、精神的にぐっと落ち着く。 そんな余裕があったせいで、少しばかり時間潰しをしたっていいと思えたんだ。おまけに周囲を見渡すと、おあつらえ向きなことに錆びたマトックが数本転がっていた。 『力仕事をするなら、手伝おうか?』 ヒロユキはお人好しにも、自分から手助けを申し出てくる。しかし、働くなら働くで、その前に雇用条件とか賃金とか気にならないのかね、こいつは。 「いいや、今回は気持ちだけで十分だって。こーゆーのって確かに力仕事だけど、コツってもんがあるからよ」 腕っぷしだけが、穴掘りで役立つとは言い切れない。筋肉隆々の大男よりも、熟練した爺さんの方が巧みにマトックを使うのを、オレは今まで何度も見てきた。 それが穴掘りの基本だと教わったことをもいだしながら、オレは壁に何度もマトックを打ち込んだ。
「そりゃそうさ。前に海賊のバイトしてた時は、隠し財産掘りもやったことがあるんだぜ? この程度の岩壁なんて、チョロいもんよ」 『ふーん。なんか、色々なバイトをやってたんだね』 「まぁな、仕事を選べる様な立場じゃなかったしよ」 孤児ってのは、普通の家の出の奴に比べるとどうしたって不利だ。まともな職業につきたいって望んだところで、生まれ育ちが悪いと断れてしまう。 まあ、どうせオレは楽して稼げるバイトばっかり選んでいたし、自業自得といえばそうなんだけどさ。 「え? なんだよ、これ」 さらに穴を広げると、なんとその向こうにも広場みたいな空間がありやがった! 「覚悟はできてるよ、早いところ一思いに殺してくれないか……」 穴の向こうから、男の声が聞こえてきた。 そのせいで、男は鎖の動く範囲しか動けないらしかった。 「処刑なんかは、する気はねえな。あんたは、いったい誰なんだい?」 声を掛けると、男は驚いたように目を見張った。 「あ、あなたは人間じゃないか! よかった、助けてくれないか?! 私は怪しいものじゃない、フレア・ラルという薬剤師だ」 思いがけないところで聞いた名前に、今度はオレが目を見張る番だった。 「フレア・ラルゥ?! じゃ、あんたがリリアの病気の特効薬を作れるっていう人なのか?!」 「ご存じもなのに、オレはリリアの母さん……パノンさんから頼まれて、あんたを捜しにきたんだよ!」 オレはしまいこんでいた手紙を取り出して、フレア・ラルに渡した。その手紙のおかげで、彼はすぐにオレを信じてくれた様だ。 「それなら話が早い。私もあの子の薬の材料を探すために、ここまできたんだ。だが、化け物に掴まってこの有様だ……」 ガチャガチャと鎖を鳴らすフレア・ラルの足輪を、オレはよーく調べてみた。古くてごつい鉄の輪も、錆びているけれど頑丈そうな鎖も、壊すのは大変そうだ。 「少し、じっとしててくれよ。今、この輪を外すから」 自慢の鍵開けツールを使って鍵を開けるまで、そう時間はかからなかった。 「ありがとう……! 本当に助かったよ、それにしても一人でここまで来るとは、君は若いのに相当に腕が立つんだな」 「あ? あはははっ、まぁね」 思いがけない褒め言葉に、オレは適当に笑ってごまかした。まあ、正確にいえばオレは一人じゃないんだけど、ヒロユキのことをどう説明していいのかなんて、わかりゃしないもんな。 「君もリリアの知り合いなら、話が早い。どうかあの子を助けるために、力を貸してはくれないだろうか?」 「うん、まあリリアのためになら」 この世でオレが最も嫌いなのはただ働きだが、リリアのためならそれぐらいはできる! いくら払うかと聞きたい気分をぐっと堪え、オレはフレア・ラルの話を聞いた。 「あの子の病を治すためには、いくつかの材料が必要なんだ。さっきもいった様に、私をそれを採取するためにここにきた。 「セルセタ? 聞いたこともない名前だな」 「そういうのも、無理はない。セルセタの花は光を嫌い、暗く湿った場所を好む。良い匂いのする目立つ花だから、一目で分かる。 「そりゃいいけど……でも、あんた、平気なのかい?」 どのくらいこの人がここに囚われていたか知らないが、フレア・ラルは顔色がひどく悪かった。 今更だが、オレは荷物の中から食料や水を取り出して、幾らか分けてやった。すると、彼は飢えきった獣の様な勢いでガツガツとそれを食べ、喉を鳴らして水を飲んだ。 「あんた、いつから食べてないんだよ?」 「さあ……3、4日かもしれないし、それとも10日になるのか……。暗闇だと、時間は一切分からないからな。水だけは、滴る地下水があるから辛うじて飲めたんだが」 そう言いながらフレア・ラルは、チョロチョロと壁を伝って滴り落ちる水を指差してみせる。 「それじゃあ、あんたは先に戻った方がいいよ。ここからなら、割とすぐに地上に戻れる。 入り口まで戻れば、爺さんが一人いたしさ」 あの頑固ジジイが人助けをしてくれるかどうかは甚だ疑問は残るものの、少なくともこんなところで一人でいるよりましだろう。オレは簡単に道を教えてやる。 『でもさ、この人、ずいぶんと弱っているみたいだし、上まで送ってあげた方がいいんじゃないのかな?』 どこまでお人好しなのかヒロユキはそんなことを言い出すが、……正直、オレはそこまで面倒見のいい性格なんかじゃない! まあ、リリアのことを思うとこの人に死んでもらっちゃさすがに困るし、せめてもう少し体力が残っていればいいんだけどなぁ なんて、考えた時、腕輪が一瞬熱くなった。 それと同時に、オレの掌から暖かな光が放出されていく。 ま、魔法か? なんていうのか、いかにも自分が魔法を使っているという実感が全くなくて、他人が使っている様な感じなんだ。 「おお! 回復魔法をかけてくれたのか、ありがとう! いや、君は本当に命の恩人だよ、おかげで助かった! じゃあ、セルセタの花もよろしく!」 見違える程元気になったフレア・ラルは、一方的にオレの手を握ってブンブンと上下して握手し、去っていった。 「な、なんなんだ、いったい?」 嵐のような一連の出来事に呆然としながら、オレは目をパチクリさせるばかりだ。 『さあ……とりあえず、元気になってよかったけど。それにしても、ユーロっていつの間にあんな魔法も覚えたんだい』 「冗談じゃないぜ、あれはオレの魔法なんかじゃねーよ。だいたい、あんな便利な魔法を使えるんだったら、とっくに使っていたっていうの!」 オレは魔法に関してはそう知っているわけじゃないが、それでも魔法使いと僧侶が違うのぐらいは知っている。 そりゃ、中には特別に才能に恵まれていて、魔法使いと僧侶の魔法を両方使える賢者という職業もあるとは聞くが……間違ったってオレがそんな大層な奴とは思えないぞ! オレは腕にはまったまま外れない腕輪に、軽く触れてみた。 普通、魔法の道具の効果は一種類ってのが相場が決まっているのに、なんだってこの腕輪はいくつもの効果を見せるんだろうか? よほどのお宝なんだろうかと頭を悩ませつつ、オレは取りあえずはその辺に転がった鉄鉱石を袋に詰める。
「喧しいなっ、いいだろ、オレはおまえと違ってちゃんと三食食べないと生きていけないんだからよ!」 頭の隅っこでぼやくヒロユキに言い返してから、オレは立ち上がった。
しばらく歩くうち、妙に鼻の辺りがむずむずしてやたらとくしゃみが出る様になってきた。 『大丈夫? 風邪引いたのかい?』 「いや、別にそんなこたぁねえよ。おっかしいな、花粉症の季節ってわけでもないのにさ」 「いいっ?!」 予想をはるかに超えた変な植物に、オレは思わず絶句していた。 いや、オレの知っている限り、こんな人間だって丸呑みできそうなチューリップなんて見たことも聞いたこともないけど。 「な、……なあ、ヒロユキ。あれがセルセタの花だと思うか?」 『ど、……どうだろ? 確かに、一目で分かるって言えば、分かるけど……』 確かにあの大きさなら、目立つことこの上ない。だが、あんなにも不気味で巨大なものなら、そうだと一言教えてくれても。 「まったくイースの国ってェのは……こんなとんでもないモンが花粉を撒き散らしているじゃ、鼻もたまらねえよな」 ぼやきながらもオレは取りあえず、『それ』に近付いた。 「こんにゃろっ、食人植物かよォっ?!」 オレはとっさに、さっきもらったばかりの杖を振りかざした。 しょせんは植物、火には弱い。 「へへっ、どんなもんだい!」 得意な気分で、オレは杖をもう一度握り直した。 これはめったにない貰い物だったかもしれないなと思い、得意の絶頂に浸っていたオレを現実に引き戻したのは、ヒロユキの声だった。 『うん、今の魔法はすごかったし、倒したのはいいけど、これがセルセタの花だったら……どうする?』 「うっ」 オレはその場でピキリと固まった。 「う、うわぁわわわぁあああっ、どーすんだよっ、どーすんだよっ、完全に黒焦げだよ、おいっ?! わあっ、こんなことならヒロユキに剣を戦ってもらえばよかったーっ、そうすりゃタダで丸儲けだったのにーっ」 『ちょ、ちょっと、落ち着きなよ、ユーロ! それに、丸儲けはどうかと思うけど』 「いや、丸儲けは大事だろっ! ぁあああああああああ、リリア……っ」 オレはまだ煙の燻っている地面に跪いて、まだ燃えてない花弁はないかと残骸の中を必死で掻き回した。 『ユーロ、やめなよ、火傷するよ?!』 「構うもんか、オレはリリアを助けるんだっ!」 こんな風に誰かを助けたいだなんて、思えるのは初めてだった。 なのに、リリアに関しては、まったく違ってしまう。 こんなに必死になったことなんかないのに、現実は無情だった。花はかけらも残さずに焼け落ち、オレは両手に火傷を負って煤まみれになっただけだった。 長くても、後半年……。 その言葉が、脳裏を強く去来する。呆然として蹲るしかできないオレに、再び声を掛けてきたのはヒロユキだった。 『……ーロ! ユーロ! しっかりして! 最初はうるさいとしか思えなかったその声に、従ってもいいと思ったのはその熱心さのせいだった。
気のせいじゃなく、そこは本当に青かった。 「…………っ」 化け物花の通路の奥、行き止まりになった広間でオレはとんでもない光景にぶち当たった。 澄み切った青い色合いの花はたとえようもなく香しい香りを漂わせ、一面に咲いている。 「そうか……! これが、セルセタの花なんだ……!」 『うん、きっとそうだよ! よかったね、ユーロ!』 素直に喜んでくれるヒロユキの言葉に応える余裕なんて、オレにはなかった。その時にはオレはもう、夢中になってセルセタの花を摘んでいた。 どのくらい必要か分からなかったから、オレはたっぷりと摘みまくった。その際、邪魔になる鉄鉱石は投げ出した。勿体ないけど、仕方がない。万が一にも、花を潰してしまってはしゃれにならない。 とにかく、この花だけはちゃんと持って帰らないとな。 『交替しようか、多分、ぼくの方が早く戻れるよ』 その提案は、オレには有り難すぎるぐらい有り難いものだった。 「ああ。あのよ…………ありがとうな、ヒロユキ」 それはもしかすると、オレが生まれて初めて口にした、感謝の言葉だった。 だけど、それは本当の意味で感謝していたわけじゃない。 だけど、今のは全然違う。 ヒロユキがいなかったら、オレは花畑に気が付かず、リリアが助からないことに絶望したまま逃げ出して、そして――後でずっと後悔し続けていたかもしれない。 それから救ってくれたヒロユキに対して、本気で感謝の念が込み上げてきた。 『どういたしまして。じゃ、急ごう』 オレの身体を支配したヒロユキは、オレ以上に早い速度でほとんど走る様に、地上に向かって歩きだした――。 《続く》
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