Act.11 ノルティア氷壁を越えて

 

(しっかし、あいつ何者なんだろうな?)

 声に出さない様に注意しつつヒロユキに話しかけながら、オレは注意深く目の前にいる怪物を警戒する。
 姿形は一応は人間系。だが、身体のあちこちから角を生やし、背中からは羽を生やしているときている。

 オレの常識では、そんな奴は人間とは呼ばない。
 まるで魔物界のエンジェルと言った感じの奴だった。こんな外見の怪物や魔物の話なんて、少なくともオレは聞いたことがない。

『ぼくも、あんなの初めて見るや。うーん……あんまり、怖い感じじゃないね』

 ヒロユキがそう思うのも、頷けるというものだ。なんせ、オレが近付いているのにもまだ気がついていないようだし、まあ、たいした相手じゃなさそうだ。

(だな。じゃ、オレが先にやるよ。やばくなったら交替してくれ)

 そう話しかけてから、オレは自分から勢いよく怪物の前に飛び出した。

「……っ?!」

 驚いた怪物が翼をはためかせる。その風に煽られ、杖を身構えるのが少し遅れた。
 やばいっ、空へ飛んで逃げられる! 
 ――と、思ったのだが、意外にもそいつは氷の上を走って逃げにかかった。どうやら奴の羽は見掛け倒しらしく、一向に飛ぶ気配が無い。

 しかもよほど慌てているのか、怪物は一度、氷の坂を上ろうとして失敗した。ツルツル滑る坂に足を取られたのか見事に転び、滑り落ちる。
 雪が氷ついた急な坂道は滑り台も同然で、怪物は勢いよく滑っていった。

 ……怪物が転ぶとこなんて、初めて見たぞ。
 今度は反対側の方向へ走って逃げる怪物の背中に攻撃しようかと迷った時、奴の姿がいきなり消えた。

「え?!」

 よくよく見えれば、そこは深い崖になっていた。空には飛びあがれなかった怪物だが、羽を使って崖から飛び下りるぐらいの芸当はできたらしい。
 まあ、どっちにしろ逃げる奴に追い討ちをかける必要なんかないし、オレはいったんは構えた杖を元に戻した。

「しっかし、よくこんな所から飛び下りれるもんだぜ」

 普通の人間がここから落ちたら、只じゃ済まない。そう思いながら崖を眺めやったオレは、ふと妙なものに気がついた。
 雪に埋もれかけて見えなくなりかけていたが、崖っぷちにきちんとそろえて置かれた一組の靴があった。

 雪を掻き分けると、その中には手紙まで入っている。
 まるで、身投げの現場みたいだ  そう思いながら、オレはその手紙を開いてみた。

『身体が凍える、食料も尽きた……。もはや怪物にこの身を裂かれるか、飢えと凍傷に命を奪われるのみ……。
 それならば奈落に身を投げ、自ら生命を断つのを潔しとするべし。

 我より後、サルモンの神殿に向かう勇者よ、我の残せし石の靴を使いて氷の坂を上れ。 氷の幻影に惑わされること、なかれ。
 さもなくば、氷の底で生命の火尽きようぞ……』

 震えがちの字で書かれた、短い手紙。こいつはどうやら、オレの前にこの氷原にきた人間の置き土産らしい。
 ま、まさか、オレもこんな風になっちまうんじゃないだろうな……? 

 そう言えば食料が尽きるどころか、最初から食料すら用意してこなかったことを今になってから思い出しちまったぜ。
 ゾッとして崖の底を覗いてみたが、そこには誰の姿も無ければ、さっき飛び下りたはずの怪物の姿すらも見えなかった。

『ユーロ? いったいそれ、何が書いてあるの?』

 呑気なヒロユキの声が聞こえてくる。言葉は十分に通じるのに、ヒロユキにはこの世界の文字は読めないらしい。
 読めないヒロユキが羨ましいと思いつつ、オレは靴に手を掛けながら答えた。

「ん? この靴があれば、氷の坂でも上れるんだってさ。で、幻影に気をつけろって言ってるや」

 やたらと重い石の靴は半ば地面に凍り付いていたが、オレは無理やりそれを引きはがす。この重さがあれば、氷原をバリバリ割って坂だって上っていける。
 経緯や前の持ち主の運命はどうあれ、氷原では役に立ちそうな靴だ、それを見逃す手はない。故人の望みでもあることだし、オレはありがたく石の靴をゲットした。

 はくとそれだけでズシンと足が重くなったものの、これならさっき怪物が滑り落ちた坂道だって上れるだろう。
 寒いからすごく短い時間だけど、身投げした男の冥福を祈り、オレは例の坂道に向かって歩きだした。

 傾斜のきつい坂は上るのもしんどかったが、石の靴のおかげでなんとか滑るのだけは免れている。重さのせいで歩きにくいものの、なんとかそれも慣れてはきたが寒いのだけはどうにも我慢がならねえ。

 だいたい、オレ、寒いのって大の苦手なんだよなー。
 だからその洞窟を見つけた時、オレは迷いさえしなかった。この雪と風を避けられるなら、たとえ怪物がいようとも洞窟の方がずーっとましだ!

『ふぅん、この洞窟って中までは凍りついてないみたいだね。なら、その靴は脱いでもいいんじゃないかな』

 洞窟に入った途端、ヒロユキがそんなことを言う。確かに氷の道では重宝する石の靴だが、洞窟内では反って重みで足を取られかねない。
 脱いだ靴は取りあえず荷物の中にしまいこんで、オレは洞窟の中を進む。しばらくいくと、曲がり角に差し掛かった。

『気をつけて。曲がり角の先から、怪物がいきなりでてくるかもしれないから』

「ははっ、まさかそんなことなんかいくらなんでも  」

 あるわけないと、言い返そうとしたオレの言葉は最後まで言う必要は無かった。

「やいやいやいやいっ! おまえ、どこからきやがった?!」

 ……おいおい、マジかよ?
 曲がり角から、鈍く光るごつい剣と盾を持った、戦士風の怪物が現れたのだ。立って歩く狼、と表現したくなる姿をした獣人は、意外にも流暢な言葉遣いで威嚇してきた。

「人間がティアマルス様の洞窟でウロウロしてるたぁ、どういうこったいっ?!」

 少し前までのオレなら、怪物を見ただけで逃げ出していただろう。そうじゃなかったとしても、相手が剣を持っているというだけで及び腰になったに違いない。
 だが、『アドル』と名乗りだした日から色々とあったせいか、今のオレは前のオレとは違っていた。

「ほー、おまえはティアマルスって言うのかい」

 剣をちらつかせている相手にこんな言い合いをできる様になったなんて、オレも度胸がついたものだ。
 自分で自分の度胸に感心していると、獣人はギョッとした様に吠えたてた。

「とんでもねえ! オレ様はゲルカルドってけちなチンピラよ、ティアマルス様なわけがねえだろ!!」

「へー、ティアマルスって奴はそんなにお偉いさんなのかい?」

「あたぼうよ、ティアマルス様はこのノルティア氷壁地帯をダーム様から任されている大幹部なんだからな」

「ふーん、ここノルティア氷壁っていうのか。それに、ティアマルスってダームと繋がりがあったんだな」

 初耳の情報を整理するためにも、ヒロユキに話しかけるためにも繰り返すと、獣人は焦りだした。

「おっと、いけねえ。ちっとおまえさんは知りすぎてしまったみてえだな。可哀相だが、生きては帰せないぜ……!」

「なーに言ってるんだい、自分からペラペラしゃべったくせに」

「黙れッ!! 叩ッ殺したるッ!! うぉおおおおおおおーーッ!!」

 獣人は物凄い剣幕で飛び掛かってきた。身長とほとんど変わらないぐらいのでっかい剣を振り回す、こんな体力バカとまともに相手なんかしてらんない。
 オレは黙って杖を振りかざし、念を込める。
 途端に吹き出した炎に炙られ、獣人は大袈裟な悲鳴を上げた。

「あちあちあちあちあちッ?! ひ、ひきょう者っ、剣で戦えっ!」

「やだよォ。おまえ、ずいぶんと火に弱そうだし」

「な、なんて卑怯なっ、……ひいっ、あ、あちいっ、も、もうダメだァっ」

 たいして強い炎をだしたわけでもないのに、あっけなく獣人は倒れる。一瞬、死んだのかと思ったけど、息はしているところを見ると気絶しただけみたいだ。

 毛並みが多少焦げてはいるが、命に別条はないだろう。それに、これだけの毛皮に覆われている奴なら、この気温でほったらかしておいてもまさか凍死はしないだろうし。
 と言うわけで、オレは気にせずに先に進むことにした。

『あのゲルカルドって人、ほっといていいのかな……?』

「いーの、いーの、人じゃないし。それより、先にいこうぜ。この先の方が大変っぽいし」


 あの獣人の言葉を信じるなら、この先にはティアマルスっていう怪物だか魔族がいる可能性が高いんだ。
 敵方の大将であるダームの幹部ともなれば、大層な相手としか思えない。

 正直、オレからすればリリアさえ助けることができればそれでいいんだけど、もしもの時は戦う覚悟もしといた方がいいんだろうな。
 そんな風に覚悟していたせいか、正面に岩壁が見えてきた時は、オレははっきりいって緊張した。

 壁の右端辺りに、青白い炎の模様が描かれた扉が見える。
 さてはこここそが敵の部屋かと、気を張り詰めながら手を伸ばしたオレだったが――。


「な、なんだよ、これ? どういうこった?」

 意外にも、それは扉じゃなかった。どこからどう見ても扉にしか見えない形と模様をしていたが、どんなに力を込めてもびくともしない。
 つまり、これは偽物なんだ。

『えっと……さっきユーロが見ていた手紙に、幻影に気をつけろって言葉があったよね? もしかして、これのこと?』

「幻影……?! これが?」

 オレはまじまじと扉を見つめた。どうみたって本物にしか見えないし、手触りだって扉そのものだ。
 だが、壁と一体化しているこの扉は本来の扉の役割を果たしていない――こんなの、どうすりゃいいんだよ?

「あー、参ったな、幻覚破りの魔法なんざ知らないぞ、オレ……」

 高度な魔法使いなら、様々な種類の魔法を操ることができると聞くが、はっきり言ってオレは正真正銘の初心者魔法使いだ。
 火の魔法を使うだけで精一杯な奴に、そんな器用な真似ができるはずもない。

『ふーん……これって、魔法なのか。なら、ちょっとぼくと代わってくれない?」

「へ? いいけど、おまえ、幻覚破りの魔法なんて使えるのかよ?」

 そう聞くと、ヒロユキは笑った。

『まさか。さっきも言っただろ、ぼくの世界には魔法はないって。だからぼくは、魔法とは相性が悪いんだよ』

 意識を交換した途端、ヒロユキは何度かまばたきを繰り返す。なんでそんなことをしているのかという疑問は、すぐに解けた。
 ヒロユキの見ている視界は、オレの時と少し違っていた。
 右端にあった扉が消えていき、その隣に全く同じ模様の扉が現れたのだ。

『そのせいで、ぼくには魔法は効きにくい。つまり、幻覚なんてぼくには関係ないんだ。 じゃ、行こうか』

 そう言いながらヒロユキは扉を開け、素早い身のこなしで中に躍り込んだ。
 扉の中には、岩をくりぬいた広々としたホールになっていた。その真ん中にぽつりと椅子が一つあり、人間大ぐらいの大きさもある巨大な一つ目のカエルが、眠っていた。

 ははーん、こいつがこの部屋の見張り番だな。大方ボスがいないので居眠りでもしているってとこだろう。
 そのあまりに間抜け面に、オレだけでなくヒロユキもちょっと拍子抜けしてしまう。警戒した分、損したと思ってしまうぐらいだ。

 こんな間抜けな相手なら、ヒロユキの手を借りるまでもない。
 オレだけで十分だ。
 そう思ったオレの意思に応じて、ヒロユキが身体を返してくれる。

『じゃ、任せたよ』

 と言う訳で、オレは奴の後ろに回って剣を喉元に突き付けようとした。
 ところが  

「ひょえっ?!」

 ちょうど剣を突き付けようとした瞬間、巨大ガエルは信じられないぐらいジャンプ力で大きく跳ね上がった。
 それこそ天井に届きそうな程高く飛んだカエルは、耳障りな声で高笑う。

「バーカめ! おぬしが来たことなど、ハナから分かっていたわ!
 わしはこのノルティア氷壁をダーム様から預かっているティアマルスよ!
 そこらの雑魚と一緒にしてもらっては、迷惑千万だッ!!」

「ええ――っ?!」

 さっき、カエルの大ジャンプを見た時以上に驚いた。
 こ、このガマガエルの親玉みたいな間抜けな奴が、ティアマルス?! とてもじゃないが、信じられないぜ。

『うわー……嘘だろ……』

 オレばかりでなく、ヒロユキまでもが呆気に取られている。そりゃそうだろう、オレだって心底そう思うよ。

「どうやら疑っておるようだな。
 だが!
 わしの攻撃を受けても、まだそんなことを考える余裕があるかなっ?!」

 奴は再びジャンプした。
 それもただのジャンプじゃない。良く弾むゴムマリの様に、壁に当たると勢いを増して跳ね返りやがる。

 あちらこちらと目まぐるしい速度で跳ね回る奴の動きについていけず、オレは思わず見失っていた。

『ユーロッ、右だっ!』

「えっ……うわぁあっ?!」

 ヒロユキの注意に右を見た瞬間、オレは勢い良くすっとんできた固まりに跳ね飛ばされた。
 その勢いのせいで壁に叩き付けられ、あまりの苦痛に一瞬、目が眩む。
 こ、こんな奴、相手になってられるかっ。

「ヒロユキ、代わってく……うわぁっ?!」

 転がってきたところに再び突っ込んできたティアマルスを、オレは辛うじて避けた。

『ダメだ、こんなに連続攻撃してくる奴相手だと、入れ替わった瞬間にやられちゃうよ! って、左に避けて!』

 ヒロユキにはあいつの凄まじい動きも見えているらしく、どちらに逃げたらいいか教えてくれる。
 確かにこの速度じゃ、オレとヒロユキが意識交換する数秒が命取りになってしまう。

(なんてこった! さっき、交替するんじゃなかった……!)

 いやでも、ここはオレが踏ん張るしかないらしい。

『タイミングは、ぼくが計るよ! 魔力を溜めて、思いっきりぶっつけるんだ!』

 逃げ道を指示を出しながら、ヒロユキがそう言う。
 確かに、それしかなさそうだ。
 チャンスはおそらく一回、奴のスキを突いて逆にぶちかましてやるしかないだろう。ヒロユキの指示に従って逃げながら、オレは魔法の力を高めていく。

『今だ! 奴は、右からくる!』

 その声に合わせ、オレは右の方向へ思いっきり魔法をぶっぱなした。今までで最大の炎の玉がティアマルスの顔面を襲い、奴は悲鳴を上げてのたうった。

「グギャーッ!! 目がっ、目が……っ?!」

 やった、効いたぞ!
 目が見えなければこっちのもの、いくらジャンプ力があろうとも見えなければ動けないだろう。

 だが、そう思った瞬間、ティアマルスののたうちが間近に迫る。慌てて逃げようとしたが、避けきれずに背中を蹴られてしまった。

「ぐ、ぐえっ……!!」

 猛烈な痛みに呻くオレを押し退ける様に、ヒロユキの意識が浮かび上がる。

『しっかり、ユーロ! 後、一息だから!』

 意識を交換したんだと気がついたのは、オレの身体が軽々と跳躍してティアマルスの蹴りを躱した時だった。
 目が見えないせいで無闇やたらに暴れているティアマルスの不規則な動きを、ヒロユキは完全に見切っていた。

 オレが感じていた痛みも全く気にしていない様子で、ヒロユキは剣を抜き放ってティアマルスに飛び掛かる。
 一足飛びで大ガエルのすぐ側に踏み込んだヒロユキは、奴の脳天へ剣の一撃を叩き込む――それが、とどめだった。

「き、貴様ァッ!! わしに勝つとは……」

 苦しげな息の下でそれだけを言い残し、奴は倒れた。
 それとほぼ同時に、部屋の奥から奇妙な音が聞こえた。そちらを見やると、ぽっかりと開いた扉が見える。

「隠し扉ってわけか……」

『そうみたいだね。ところで、大丈夫?』

 心配そうに言いながら、ヒロユキはまた意識を交換した。自分の身体に戻った途端、ドッと疲れやら痛みが込み上げてきて、オレは呻かずにはいられなかった。
 まあ、ヒロユキの意識とはいえあれだけ動けたんだし、骨は折れてないみたいだけど。
 

「んー、まあ、な。後は、この痛みさえ引けばいいんだけどよ……」

 オレがそう言った途端、腕が熱くなるのを感じた。忘れかけていた腕輪が、光と熱を放っている。
 その不思議な輝きは、一瞬でオレの疲れや痛みを癒す。

「な、なんだ、これ? 今度は回復魔法かよ……?!」

 前とは違う効果に、オレは呆気に取られずにはいられない。
 いったい、この腕輪はなんなんだろう?

 疑問は尽きなかったが、今は呑気にそんなことを追及している暇はない。とにかく、リリアを助けにいかないと。
 都合がいいといや、都合がいいんだし。

「ま、いいや。行こうぜ、ヒロユキ」

 頼りになる相棒に声をかけ、オレは洞窟の奥の未知への扉へと足を踏み入れた――。
                                    《続く》

 

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