Act.15 アドルを呼ぶ者

 

「アドル、だって?! こいつが本物のアドルだって言うのかよ、ヒロユキ?」


 びっくりして思わずオレが聞き返したが、ヒロユキは返事するどころではなかった。

『アドルッ、フィーナッ! 聞こえる?! ぼくだよ、ヒロユキだよっ!!』

 オレの意思を無視して身体の主導権が奪われ、ヒロユキが氷像にすがりつく。その途端、冷たい痛みが手に伝わってきた。

「痛っ?!」

 まるで、真冬の厳寒季にキンキンに冷えた鉄に触れた時の様な冷たさと、不快感を感じる。
 このままじゃ手がおかしくなるんじゃないかと思う程の冷たさだが、ヒロユキはそれを一切感じていないのかひたすら氷像にすがりつき、呼びかける。

『アドルッ、アドルッ! どうしてこんなところに……っ!! それに、フィーナも……やっと会えたのに!!』

 悲痛に叫ぶヒロユキは、諦め悪く何度も叫び、二人の像を揺さぶろうとする。オレでさえ気の毒になるぐらいの嘆きっぷりに、つい口を出さずにはいられなかった。

「おい、ヒロユキ。少しは落ち着いてくれよ、頼むから」

 間違っても、オレは自分が善人だと主張する気なんてない。よくも騙してくれたなと罵られたり、文句を言われるのには慣れている。だが、こんな風にひたすら嘆きまくられるのは、どうにも落ち着かない。

 たとえ原因がオレじゃなかったとしても、身近にいる奴がこんな風に落ち込むところなんざ見たくもない。
 そして、そんな崇高な理由とは随分かけ離れているけど、ぶっちゃけ手が痛くなってたまらないし。

『……う、うん、ごめん。身体……勝手に、乗っ取っちゃって。それに、この手も……』


 やっと気がついた様に、ヒロユキは氷像から手を引きはがす。凍傷じみて赤くヒリヒリしてはいるが、幸いにも皮膚が張りつくところまでいかずにすんだようだ。
 多少は文句を言いたいところだが、今はそれどころじゃないとオレは思い直した。

「まずは事実の確認としようぜ。
 あのさ、こいつが本当にアドルなのか?」

 アドル=クリスティン。
 イースの勇者として名高い冒険者であり知名度こそは高いものの、その実物を詳しく知っている者はそう多くはない。

 なんせ、多少外見や年頃が似ている程度のオレが偽者をやっててもバレないぐらいだもんな。
 本物か偽者かの判定なんて、直接の知り合いでもなきゃできっこない。

 ましてやここにあるのは氷像なんだ、確かに精密には出来ているが色がない分、見分けがつきにくい。
 しかし、ヒロユキは自信たっぷりに宣言した。

『間違いないよ。これはどう見てもアドルだ。ぼくがアドルを見間違えるわけがないよ』


「そうか……じゃあ、残る問題はこれが本物が凍らされたのか、似せただけの彫像かってところだよな、やっぱり」

 これがただの氷の像だと言うのなら、別にいい。いくらほんものそっくりだろうと、それを彫った奴の腕を褒めればいいだけの話だ。
 だが、これが魔法か何かで凍りついた本物だと言うのなら、話は別だ。

『ぼくには……これがただの彫像とはとても思えないよ。だって、こんなに細かいところまでよく出来ているし、それに氷にしてはこの気温で全然溶けないし』

「……だよな、やっぱり」

 溜め息混じりに、オレはヒロユキの言葉を肯定する。認めたくはなかったが、その確率の方が高そうだとは思っていたんだ。
 偽アドルに成り済ましてからというものの、非常識な化け物や魔法を幾つか体験したことで、オレは学習した。

 有り得ないと思っていても、信じられない様な魔法ってのも存在するものなのだ、と。 人間を怪物に変えてしまう呪いなんてものあるんだ、人間をそのまま凍りつかせる魔法なんてのがあっても何の不思議もない。
 それに、これがアドル本人だとしたらずっと抱いていた謎も解ける。

 偽勇者であるオレがうろついているというのに、なぜ本物が沈黙したまま動こうとしないのか……氷像にされて敵の本拠地に囚われていたのなら、動けなくて当然だ。

 だが、生憎と言うべきかオレには魔法の知識なんかほとんどない。どうすれば凍りついた人間を元に戻せるのかなんて、思いつかない。
 氷の像をじろじろと眺めながら、オレは試しに聞いてみた。

「じゃあ、アドルはガチだとして、こっちの女の子の像は? フィーナって呼んでいたが、間違いないのか?」

 オレにしてみれば、それは何の気なしにした質問だった。当然、ヒロユキが即答するだろうと思っていたのだが、意外にも奴は口ごもった。

『あー……。えっと、改めてそう聞かれると……ちょっと自信、ないかも』

「おいっ、なんだよ、そりゃあっ?!」

 アドルへの問いにはあれだけ自信たっぷりに宣言した癖に、フィーナに関してはどうしてこんなにも頼りなげなんだか。
 いささか呆れてしまったオレに、ヒロユキは照れくさそうに言い訳する。

『いや、だって咄嗟にフィーナかと思っちゃったけど、よく見たら髪の色が分からないから……もしかしたら、違うかもしれないと不安になっちゃってさ』

「髪の色ぐらいで彼女を見間違うのかよ、おまえは!!」

『か、彼女ってわけじゃないよっ?! それに、フィーナとレアって双子で髪の色以外はそっくりなんだよ、普段だって見間違えてたのに氷像じゃよけいに分からないよ!!』

「双子だぁ? なんだよ、それ、古めかしい名前といい、髪の色の違う双子といい、それじゃまるで伝説の女神みたいじゃ  」

 そう言いかけてから、オレはふと気がついた。
 すっかりと忘れていたけど、アドルと一心同体だったヒロユキも、一応は本物の勇者だってことを。

 そして、ヒロユキは確かに前にこう言っていた……六神官の子孫達と知り合いだ、と。女神の力で助けられたとも言っていたが、それってもしや、女神様と直接の知り合いってことなのか?!

「おい、ヒロユキ! もしかして、おまえ女神と知り合いだったりするのか?!」

『う、うん、まあ。レアとフィーナ、どちらとも知り合いだよ』

「それを早く言えよっ?! つーか、女神様を彼女感覚で呼び捨てしてんじゃねえよっ、うっかりオレまで呼び捨てにしちまっただろっ」

『だ、だって、初めて会った時に二人ともそう呼んでくれって言ったから、つい。まさか、二人が実は女神だったなんて夢にも思わなかったし!!』

 必死に言い訳するヒロユキの言葉を聞いて、オレはなんだか頭痛めいた痛みを感じる。まったく、前のヒロユキとアドルときたらいったいどういう冒険をしていたのやら。
 しかし、一通り騒いだ後、オレは現状の悪さに絶望感を感じずにはいられなかった。

「……まあ、女神呼び捨ての件はさておくとして、これって本気でまずくね?
 切り札はみんな、敵に押さえられているってことだろ?」

 六神官は、ここにはいない。
 んでもって、勇者も女神も敵に手に封じ込められてしまっている。こんな氷像じゃ生きているのか、死んでいるのかも分からない状態だ。

 そう言えば、廃坑で六神官の神像が言っていたっけ。クレリアの武器を集め、神官ファクトの祝福を受けろ、とか。
 ――しかし、クレリアなんて高価なもん、まったく無縁のままだし神官の手掛かりすら見つかってねえよ。

 かろうじて有利といえるのは、前回アドルと共に戦ったヒロユキの存在だが……正直、奴に過大な期待を寄せるのは間違っているとオレでさえ思う。
 そもそも異世界からきたヒロユキには、この世界を救うために戦う必要性も理由もない。ただ、アドルとフィーナに会いたかっただけだと、本人がはっきりと言っていた。

 それに、ヒロユキは決して万能の勇者様ってわけでもない。確かに剣の腕は凄いが、それだけだ。

 どんな怪物にも勝て、魔王なんか一撃で倒せる無敵の勇者じゃない。良くも悪くも、普通の人間だ。
 ましてや、オレ自身は勇者なんかとは程遠い。

「……なんかさ。世界、終わったって感じだよな、これ」

 リリアを助けたい一心でここまできたけど、もうこうなっちまったらどうしようもない気がしてきた。

 もし、彼女を助けられたとしても、魔王ダームには手も足も出ない。結局は世界は滅びて、それでお終いになっちまうだけなんじゃ……。
 心が弱気に傾いた時、力強い声が胸の奥から響いた。

『――そんなこと、ない! まだ、終わってなんかないよ!』

 不思議なぐらいの強さで、ヒロユキの声がオレの胸を打つ。
 さっき、諦めに傾いた気持ちをきれいさっぱりと拭い去ろうとする様に、力強く、そして大きく心を覆う。

『切り札なんかなくったって、戦えるよ!
 魔王ダルク=ファクトを倒した武器は、クレリアじゃないよ。
 普通の剣だったんだ。本来なら、効き目のないはずの剣で、ぼく達はあいつを倒したんだ』

 無茶な話だ――と、オレは声に出さずに思う。だが、それでいて嘘には聞こえないのは、ヒロユキならやりかねないと思えるせいだろう。
 確かめる方法すらないけれど、オレはそんな無謀な挑戦に挑むきっかけを作ったのがヒロユキの方だと確信していた。

 なにせ、そう長い付き合いとは言えないオレでさえ分かる。
 ヒロユキときたら、お人好しで世間知らずなようでいて、とびっきり無茶な奴だから。
 

『前回、ぼくとアドルも必死に探したけど、クレリアの装備を揃えきれなかったんだ。それに六神官だって力を貸してくれたけど、全員は揃っていなかった。
 でも、それでもぼく達は勝ったよ。
 だから……!』

 オレを説得しようとするヒロユキの言葉を、オレは最後まで言わせなかった。

「なあ、ヒロユキ。――アドルは、おまえを呼んでいると思うか?」

『え?』

 突然、脈絡のない質問をされたせいか、ヒロユキが戸惑った声をあげる。だが、オレは奴の戸惑いに構わず、一方的に話を進めた。

「前は説明しなかったけど、クリントって小鬼からこの腕輪を受け取った時、こう言われたんだ。『困った時には、もう一人のおまえを呼べ』って」

 あの後、苦し紛れのオレの叫びがなぜかヒロユキを呼び寄せたみたいだけど、本来ならそれはアドルがすべき役目だった。

 いまだにこの腕輪の役割は分からないが、それでも一つだけ確かなことがある。この腕輪は、アドルとヒロユキ……この世界を救った勇者をもう一度、引き合わせるために作られた道具なんだ。
 ならば、まだ望みはあるってもんだ。

「もし、この氷像がアドルでまだ生きているんだとしたら……この腕輪をアドルが身につけることで、コンタクトが取れるかもしれない」

 そう言いながら、オレは腕輪に手をかけた。一度はめて以来、ぴったりとはまってどうしても抜けもしなかった腕輪なのに、今は何の抵抗もなく緩められる。
 まるで、本来の持ち主が目の前にいるのが分かったかの様に。

「……まあ、いろいろと危険もあるかもしれねえけどよ。
 どうする、ヒロユキ?」

 尋ねながら、オレはこれが博打なのをはっきりと自覚していた。
 最悪の場合、一度手放したせいで魔法道具の効力が消え去ってしまう可能性だってあるんだ。

 そうなったらヒロユキだって元の世界に戻れるかどうか分からないし、もちろんアドルも助かるまい。
 ついでに、こんな敵地に一人取り残されるオレのその後の運命も押して知るべしだが、それでもオレには他に思いつく道はなかった。 

『……試しても……いいの、ユーロ』

 むしろ、オレを心配するように尋ね返すヒロユキに、思わず笑ってしまう。ったく、どこまでもお人好しな奴だよ。

「少なくとも、試さないまま終わるよりは可能性があるだろ?
 おまえが呼べば、アドルにも届くかもしれない」

『……それは分からないけど、とにかく思いっきり叫んでみるよ』

 どこまでもまじめにそう答えるヒロユキに苦笑しながら、オレは腕輪をゆっくりと外した。


「ああ、健闘を祈るぜ。――じゃあな」

 呼び掛けたその声に、答えは戻らなかった。腕輪が完全に腕から抜けた途端、ぷっつりと断たれた様にヒロユキの気配がなくなった。
 おかしなもので、それがひどく心許無くて寂しいものの様に感じられる。

 ……変なものだ、ヒロユキがオレの心の居候になったのはそんなに前のことじゃないっていうのに。
 まるで長い間ずっと一緒にいた家族を失ったかのような寂寥感が、胸を占める。

「だけど……本来は、あんたの相棒だったんだよな、あいつは。
 さあ、今、返してやるよ」

 氷像に向かって、オレは声を掛けてみた。もちろん、返事なんかはない。
 ぴくりとも動かない氷像は、オレが腕輪をはめようとしても別に抵抗もしなかった。全く動かない固い腕にはめるのは難しいかと思ったが、オレが最初に腕にはめた時と同じようにスルリと自動的に二の腕にはまる。

 アドルの腕に腕輪が完全にはまった瞬間、爆発的な輝きが広がる。目も眩む様な白い閃光に包まれ、オレは思わず目を閉じていた――。              《続く》

 

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