Act.17 心の中の天秤 |
「ダルク=ファクト……だってぇ?!」 オレは呆気に取られて、まじまじとそいつを見つめずにはいられなかった。 なんせ、偽アドルになってからというものの、魔王ダルク=ファクトの噂や名前は嫌という程聞いた。噂はあやふやで、すでにアドルが魔王を倒したことになっていたり、逆にこれから戦うことになっている噂もあった。 だが、今まで聞いたどんな突拍子もない噂よりも、この現実の方がよっぽど意外だし、とんでもないぜ。 こんなの、嘘だと叫びたい。 オレから見れば、ヒロユキは勇者の名に恥じない強さを持っている。少なくとも、オレが今までの人生で出会った中で、一番の剣の腕を持っているといっていい。 どちらかと言えば裏街道を歩いてきたオレは、ケンカっぱやい奴やら腕っ節自慢の男なんかはいくらでも見てきた。だが、その大半は少しばかり腕力が強かったり、体格がいいだけの存在だ。 ヒロユキの様に、体格はごく普通なのに動きの素早さや剣の切れ味がすごいなんて奴は、ほとんどいなかった。 だが、そのヒロユキがここまで張り詰め、顔を蒼白にしているってことはこの相手はそれ程までにヤバい相手だってことなんだろう。 理屈なんかじゃない、直感が教えてくれる。この男に関わるのは危険だと。できるのなら今すぐにでも逃げたかったが、重圧がかけられたように身体が重く、一歩たりとも動けなかった。 「なんで、とはひどい言われようだな。そもそも私がここに来たのは、貴公の……いや、おまえとアドル=クリスティンのおかげだと言うのに。 形の良い唇が笑みの形を取ると、凄絶とも言える色香がこぼれ落ちる。美形とはいえ男性的な体格や雰囲気を持つ男に対してそう言うのもおかしなものだが、だが、強烈に他人を引きつけるこの魅了の要素を他にどういえばいいのか分からない。 普通、端正な美貌を持つ人間ってのは、実際に話してみるとガッカリ感が否めないものだ。 だから、顔だけは良くても話してみるとひどく退屈だったり、仕草や身のこなしがこちらが期待するほど洗練されていなくて、残念感が漂うのだ。 だが、このダルク=ファクトは全く違う。 男で、至ってノーマルなオレでさえ、思わず見とれてしまう程の圧倒的な魅力を放っている。 もし、ここに女の子がいたのなら悲鳴を上げて失神せんばかりの、感嘆ものの格好の良さだ。 「ふざけるな! ぼくやアドルは、おまえに感謝される覚えなんかないぞっ!!」 一見、威勢良く言い返している様で、ヒロユキはやたらと落ち着きがない。入れ込み過ぎと言うべきか、少し興奮し過ぎだ。あれでは、ビビッているせいで必要以上にハッタリを効かせようとすごんで、失敗しているチンピラと変わらない。 「それはそうだろうな、なにしろ私の肉体を滅ぼしてくれたのはおまえ達だ。 むしろ楽しそうにそう言ってのけるダルク=ファクトの言葉の意味は、オレには理解しかねた。 「最も優れた剣士の肉体……って、まさか?!」 「そう、その予想が正解だよ、異界から来たる勇者よ。 嘲笑う声が、高らかに響く。 「だが、あやつもさすがは勇者の片割れと言うべきか、私との融合を拒んだ。 拒まれたのが心外とばかりにそう言ってのけるダルク=ファクトに、オレは改めてゾッとせずにはいられなかった。 奴は、外見的にはそれ程の驚異は感じない。角は生えているものの、見とれてしまう程の美形のせいでそう恐ろしい相手には見えない。それどころか、その水際だった美貌のせいか思わず魅了されてしまいそうなカリスマ性を漂わせている。 だが、見た目とは裏腹のタチの悪さにオレはとっくに気がついていた。 自分のペースになるように話の流れを支配し、相手の感情を自分の思い通りに誘導していく――それができる奴は、一流の詐欺師だ。 オレだったら、こんなタイプとは絶対に関わりたくなんかない。 「どんなに拒もうとも所詮は人間、いずれは魂の摩耗に耐えられず消滅するだろうと思っていた……しかし、まさかあんな方法で抵抗するとはな」 ダルク=ファクトは芝居掛かった仕草で、氷の殻に覆われたアドルを指差した。 「アドルは最後の抵抗として、私の言葉から耳を塞ぐために自分の心を凍りつかせた。その際、あの小癪な女神めが手を貸したせいで、心のみならず身体ごと氷付けになってしまった。 初めて、ダルク=ファクトは顔を歪ませた。 「まあ、力を衰弱させている上に堕落した女神の力など、高が知れている。せいぜいが数十年……長くても数百年時間を稼げるかどうかと言ったところだがな」 なんてこった、女神の力ですらこの魔王に決定打にはならないらしい。聞けば聞く程に希望が潰されていく嫌な状況に、オレもいっそ耳を閉じたかった。 分かっているのは、ただ一つ――この男を好きな様に行動させていたら、マジで世界がヤバくなるってことだ。 「このまま、女神の力が尽きるまで延々と根比べをしなければならないのかと、退屈していたところだったのだよ。 そう言って、ダルク=ファクトは笑った。 そして、その笑顔のままでダルク=ファクトは伸ばした指をアドルからヒロユキに向ける。 「うわぁっ?!」 悲鳴を上げるヒロユキを、ダルク=ファクトは楽しそうに眺めていた。 「ほう、やはり貴公には魔法が効きにくいと見える。だが、それもある意味で好都合というものよ。 とんでもなくサディステックなことをサラリと言ってのけ、ダルク=ファクトは再び指先に光を集めだす。 「なかなかの素早さだが、果たしていつまで避けられるかな? 精神世界において、剣士など無力なもの……それに比べて、魔法の威力は増大するのだよ」 自慢たらしくそう言いながら魔法を放ち続けるダルク=ファクトに対して、ヒロユキの動きはどこか鈍かった。 魔法のダメージが大きかったせいか、それとも精神的なショックのせいなのか。 到底勝ち目なんかありっこない。 ダルク=ファクトは確かに恐るべき敵ではあるが、幸いにもと言うべきか、あるいは完璧にオレをなめていると言うべきか、奴はまったくオレに注意を払っていない。 ヒロユキが精神からいなくなった今、もう、オレの行動にいちいちああしろ、こうしろと正義感ぶった意見を押しつけてくる奴なんかいやしない。 単に、元の自分に戻るだけの話だ。 運の悪い奴が、オレの代わりにひどい目にあったって、関係ない。そんなのは、そいつの運の悪いだけだと割り切って、気にしなけいのが長生きのコツだ。 そう自分に言い聞かせてから、オレはヒロユキとアドルのいる場所を見た。 運がよければ精神の外に出れるかもだし、悪くてもヒロユキとダルク=ファクトの戦いの巻き添えになることだけは免れる。 そして、そう考えたことを恥とも思わず、そのまま即実行していたはずだった――今までのオレなら。 「…………っ」 なのに、今のオレは足が動かなかった。 今までせこくも逃げ回りながら生き延びてきた経験が、自分の命を守るためにはここで逃げるべきだと警告してもいる。 相変わらずアドルは凍りついたまま身動き一つせず、ヒロユキは防戦一方で逃げているだけの光景を。
(おいおいおいっ、なにやってんだよ、オレはっ?! オレって、間違ったってこんな時に仲間を気にして逃げられないなんてキャラじゃねえだろっ、つーか仲間なんか一度もいなかったしっ!) 独り言じみた心の声は、自分自身に、と言うよりは、心の中にいる第三者に向かって語りかけるような口調になってしまった。 だけどオレはそれでも、心の中の誰かに話しかけずにはいられなかった。まるで言い訳でもする様に、オレは訴えずにはいられない。 (だ、だいたいよっ、男なんか助けたってしょうがねえじゃねえか!! しかも、オレよりもずっとずっと強い連中だせっ?! 意味ねーよっ。 そう思った時、リリアのことをフッと思い出す。 それを思えば、ここから逃げ出すことの方が正義だとさえ思える。 希望的観測かもしれないが、多分、オレがここで逃げたところでヒロユキは怒りはしないだろう。 (…………悪いな、ヒロユキ。ついでに、アドルもごめんっ) 聞こえないのを承知でそう強く思い、オレは一歩後ずさる。不思議なものでさっきまであれほど動かなかった足なのに、一歩でも動かせば楽々と動き始めた。 この分なら、ヒロユキ達から目を逸らすのだって出来るだろうと、オレは引きはがす様に視線を外そうとした。 「ふむ、そろそろ貴公のダンスも見飽きたな。そろそろ悲鳴が聞きたいのだよ、私は」 今までとは全く違ったタイミングで指を大きく動かした奴の手から、魔法の光が立て続けに複数放たれた。 いくらヒロユキでも、とても躱せない。 「――っ!!」 それでも、ヒロユキは悲鳴は上げなかった。
煙が薄れるまで動くのも面倒とばかりに、追撃もかけずに佇んでいただけのダルク=ファクトが、わずかに眉を潜める。 予想外どころか、とても信じられないとばかりの驚きっぷりで、口まであんぐりと開けてオレを見つめている。 「な……なんで、君が……?」 揚げ句にこの台詞とは、失礼にも程があるだろうが!! 「おいっ、どーでもいいけどえらい言い草だな、命の恩人に向かってよ!!」 癪に障ったので、ちょっぴり大袈裟に文句を付けてやるとヒロユキは素直にごめんと謝った。だけど、まだ驚いたままの表情なのは変わらない。 オレだって、驚いている。まさか――本当にまさか、このオレともあろうものが、他人のピンチを見捨てられずに助けようとするだなんて。 だけどあの瞬間、勝手に身体が動いていた。ついさっきまでさんざん考え、選んだはずの心の天秤がいとも簡単に逆転し、気がついた時はヒロユキに当たりそうだった魔法を吹っ飛ばす魔法を放っていた。 魔法に魔法をぶつけると、こんなに派手な音や煙が出るなんてことも知らなかったが、とにかく、ヒロユキを助けることは出来たみたいだ。 「ふぅむ、本気ではなかったとはいえ、私の魔法を弾くとはな。 今の今までオレのことは目にも入っていなかったとばかりにガン無視していたのに、今やダルク=ファクトはしっかりとオレを見ている。 「だが、次も弾けるかな? 次の魔法は、さっきのよりも強いぞ?」 軽くふって見せたダルク=ファクトの指先に、光が生まれる。さっきとは違う色合いは、別の種類の魔法だと証明している。 だが、やってしまったものはしょうがない。 「おう、くるならきやがれっ!!」
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