Act.17 心の中の天秤

 

「ダルク=ファクト……だってぇ?!」

 オレは呆気に取られて、まじまじとそいつを見つめずにはいられなかった。
 その名前だけは、一応は覚えている。
 勇者アドル=クリスティンが倒した魔王の名前だ。

 なんせ、偽アドルになってからというものの、魔王ダルク=ファクトの噂や名前は嫌という程聞いた。噂はあやふやで、すでにアドルが魔王を倒したことになっていたり、逆にこれから戦うことになっている噂もあった。

 だが、今まで聞いたどんな突拍子もない噂よりも、この現実の方がよっぽど意外だし、とんでもないぜ。
 本物のアドル=クリスティンが女神と一緒に氷像にされて敵の本拠地に囚われていて、更にその魂の奥には魔王が潜んでいただなんて。

 こんなの、嘘だと叫びたい。
 だが、不幸なことにやけに緊張しているヒロユキの態度を見ていると、とても嘘とは思えない。

 オレから見れば、ヒロユキは勇者の名に恥じない強さを持っている。少なくとも、オレが今までの人生で出会った中で、一番の剣の腕を持っているといっていい。
 ちょっとヤバめの商売で用心棒をやっている奴や、自称冒険者達とは段違いだ。

 どちらかと言えば裏街道を歩いてきたオレは、ケンカっぱやい奴やら腕っ節自慢の男なんかはいくらでも見てきた。だが、その大半は少しばかり腕力が強かったり、体格がいいだけの存在だ。

 ヒロユキの様に、体格はごく普通なのに動きの素早さや剣の切れ味がすごいなんて奴は、ほとんどいなかった。
 出会った大半の魔物や怪物を苦もなくあしらった腕前や度胸は、並じゃない。

 だが、そのヒロユキがここまで張り詰め、顔を蒼白にしているってことはこの相手はそれ程までにヤバい相手だってことなんだろう。
 実際、オレもそれはひしひしと感じていた。

 理屈なんかじゃない、直感が教えてくれる。この男に関わるのは危険だと。できるのなら今すぐにでも逃げたかったが、重圧がかけられたように身体が重く、一歩たりとも動けなかった。

「なんで、とはひどい言われようだな。そもそも私がここに来たのは、貴公の……いや、おまえとアドル=クリスティンのおかげだと言うのに。
 心より、感謝しているぞ」

 形の良い唇が笑みの形を取ると、凄絶とも言える色香がこぼれ落ちる。美形とはいえ男性的な体格や雰囲気を持つ男に対してそう言うのもおかしなものだが、だが、強烈に他人を引きつけるこの魅了の要素を他にどういえばいいのか分からない。

 普通、端正な美貌を持つ人間ってのは、実際に話してみるとガッカリ感が否めないものだ。
 美貌は、天賦の財産だ。生まれた時の巡り合わせで他人よりいい容貌に恵まれた奴は、大抵はその生まれつきのラッキーに頼るだけで自分を磨こうとしない。

 だから、顔だけは良くても話してみるとひどく退屈だったり、仕草や身のこなしがこちらが期待するほど洗練されていなくて、残念感が漂うのだ。
 なまじ顔が整っているだけに、表情を崩すと見られた顔じゃなくなったり、ってのも珍しくない。

 だが、このダルク=ファクトは全く違う。
 声だけじゃない、なにげない動きの一つ一つにも華やぎがあるというのか、ひどく目を惹きつける。

 男で、至ってノーマルなオレでさえ、思わず見とれてしまう程の圧倒的な魅力を放っている。

 もし、ここに女の子がいたのなら悲鳴を上げて失神せんばかりの、感嘆ものの格好の良さだ。
 だが、ヒロユキは反発する様に奴を睨みつけながら、うわずった声で怒鳴り返す。

「ふざけるな! ぼくやアドルは、おまえに感謝される覚えなんかないぞっ!!」

 一見、威勢良く言い返している様で、ヒロユキはやたらと落ち着きがない。入れ込み過ぎと言うべきか、少し興奮し過ぎだ。あれでは、ビビッているせいで必要以上にハッタリを効かせようとすごんで、失敗しているチンピラと変わらない。
 それに対して、ダルク=ファクトは憎らしいぐらい落ち着きはらっていた。

「それはそうだろうな、なにしろ私の肉体を滅ぼしてくれたのはおまえ達だ。
 だが、同時に、おまえ達はこの私に、この世で最も優れた剣士となりうる肉体を献上してくれたのだからな、感謝ぐらいはしても罰は当たらないというものだ」

 むしろ楽しそうにそう言ってのけるダルク=ファクトの言葉の意味は、オレには理解しかねた。
 だが、ヒロユキには思い当たることがあったのか、顔が見る見る内に青ざめていく。

「最も優れた剣士の肉体……って、まさか?!」

「そう、その予想が正解だよ、異界から来たる勇者よ。
 私は幸運だったよ……! 肉体が消滅し、魂が消え去るしかない時に、魂が一時的に抜け出した肉体が目の前にあったのだからな!! しかも、憑座(よりまし)の才を持つクリスティン家の末裔だ。
 だから――私は、最も手近にあったこの肉体に入り込んだのだよ」

 嘲笑う声が、高らかに響く。
 驚きのせいか、真っ青になって言葉もなくしているヒロユキに構わず、ダルク=ファクトは一方的に語り始めた。

「だが、あやつもさすがは勇者の片割れと言うべきか、私との融合を拒んだ。
 私に従うのであれば、この世の全ての栄華と不老不死を与えてやるものを、あそこまで拒否されるとはな」

 拒まれたのが心外とばかりにそう言ってのけるダルク=ファクトに、オレは改めてゾッとせずにはいられなかった。

 奴は、外見的にはそれ程の驚異は感じない。角は生えているものの、見とれてしまう程の美形のせいでそう恐ろしい相手には見えない。それどころか、その水際だった美貌のせいか思わず魅了されてしまいそうなカリスマ性を漂わせている。

 だが、見た目とは裏腹のタチの悪さにオレはとっくに気がついていた。
 オレはすでに、確信していた。
 この男は、最悪の詐欺師だと。

 自分のペースになるように話の流れを支配し、相手の感情を自分の思い通りに誘導していく――それができる奴は、一流の詐欺師だ。
 こんな奴に見込まれたら、どんなに警戒していてもいつの間にか口車に乗せられて全財産をむしり取られかねない。

 オレだったら、こんなタイプとは絶対に関わりたくなんかない。
 こんな奴に見込まれたアドルに、思わず同情してしまうぜ。しかも、身体を乗っ取られていたんじゃ、逃げ場すらない。

「どんなに拒もうとも所詮は人間、いずれは魂の摩耗に耐えられず消滅するだろうと思っていた……しかし、まさかあんな方法で抵抗するとはな」

 ダルク=ファクトは芝居掛かった仕草で、氷の殻に覆われたアドルを指差した。

「アドルは最後の抵抗として、私の言葉から耳を塞ぐために自分の心を凍りつかせた。その際、あの小癪な女神めが手を貸したせいで、心のみならず身体ごと氷付けになってしまった。
 これではせっかくの計画にまで差し障りがでてしまう、まったく迷惑な話だ」

 初めて、ダルク=ファクトは顔を歪ませた。
 しかし、認めるのも癪だが美形ってのはどんな表情をしても様になるものらしい。不満そうにしかめた顔ですら、恐ろしいぐらいに絵になる。

「まあ、力を衰弱させている上に堕落した女神の力など、高が知れている。せいぜいが数十年……長くても数百年時間を稼げるかどうかと言ったところだがな」

 なんてこった、女神の力ですらこの魔王に決定打にはならないらしい。聞けば聞く程に希望が潰されていく嫌な状況に、オレもいっそ耳を閉じたかった。
 だいたい魔王の計画ってなんだと疑問がチラッと浮かんだが、とてもそれを聞くような度胸はなかった。

 分かっているのは、ただ一つ――この男を好きな様に行動させていたら、マジで世界がヤバくなるってことだ。
 勇者の身体を乗っ取った、世界最強にして最悪の魔王が誕生するだなんて、冗談じゃねえぞ。

「このまま、女神の力が尽きるまで延々と根比べをしなければならないのかと、退屈していたところだったのだよ。
 そんな時に尋ねてくれた貴公を心から歓迎するぞ、異界から来たる勇者よ。
 おまえの存在なら、アドルの心を揺さぶれるだろう」

 そう言って、ダルク=ファクトは笑った。
 思わず見とれるぐらいに綺麗で、華やかで、それでいて――恐ろしいまでの邪悪さを感じさせる笑顔で。

 そして、その笑顔のままでダルク=ファクトは伸ばした指をアドルからヒロユキに向ける。
 その指先に見る見る内に光の塊が膨れ上がり、放たれる。呆然としていたヒロユキは、その光をまともに食らった。

「うわぁっ?!」

 悲鳴を上げるヒロユキを、ダルク=ファクトは楽しそうに眺めていた。

「ほう、やはり貴公には魔法が効きにくいと見える。だが、それもある意味で好都合というものよ。
 存分に悲鳴を上げれば、それでいい。
 アドルを目覚めさせるために、な――」

 とんでもなくサディステックなことをサラリと言ってのけ、ダルク=ファクトは再び指先に光を集めだす。
 それを見て、ヒロユキは今度は避けようとした。実際、ヒロユキは次の光は躱したものの、ダルク=ファクトは次々と連続して魔法を放ち続ける。

「なかなかの素早さだが、果たしていつまで避けられるかな? 精神世界において、剣士など無力なもの……それに比べて、魔法の威力は増大するのだよ」

 自慢たらしくそう言いながら魔法を放ち続けるダルク=ファクトに対して、ヒロユキの動きはどこか鈍かった。
 考えてみれば、こんな風に他人の身体としてヒロユキが動いているのを見るのは初めてなんだが、それを割り引いて考えてみてもずいぶんと動きが悪いように思える。

 魔法のダメージが大きかったせいか、それとも精神的なショックのせいなのか。
 しかも、今のヒロユキはまるっきりの丸腰だ。
 いくらなんでもこのまま魔法の的になっていたら只で済む訳がない。

 到底勝ち目なんかありっこない。
 いったい、どうすればいいのか――そう思うよりも早く、真っ先にオレが思い付いた対処は『逃亡』だった

 ダルク=ファクトは確かに恐るべき敵ではあるが、幸いにもと言うべきか、あるいは完璧にオレをなめていると言うべきか、奴はまったくオレに注意を払っていない。
 逃げるのなら、今がチャンスだ。

 ヒロユキが精神からいなくなった今、もう、オレの行動にいちいちああしろ、こうしろと正義感ぶった意見を押しつけてくる奴なんかいやしない。
 お人好しにも、自分の身を危なくしてまで人助けをする必要なんかない。

 単に、元の自分に戻るだけの話だ。
 物事に適当に首を突っ込んでみて儲けそうなら無理やり割り込み、ヤバくなったら後は誰かに押しつけてトンズラする  それがオレ、マジシャン・ユーロのやり方だ。

 運の悪い奴が、オレの代わりにひどい目にあったって、関係ない。そんなのは、そいつの運の悪いだけだと割り切って、気にしなけいのが長生きのコツだ。
 オレの好きな様にやれば、それでいい。

 そう自分に言い聞かせてから、オレはヒロユキとアドルのいる場所を見た。
 こここそがアドルの精神の最深部だというのなら、とにかく正反対の方向へと進んでいけばいい。

 運がよければ精神の外に出れるかもだし、悪くてもヒロユキとダルク=ファクトの戦いの巻き添えになることだけは免れる。
 咄嗟に、オレはそう考えていた。
 計算したというよりは、ほとんど反射的に頭にそう浮かんだと言った方がいい。

 そして、そう考えたことを恥とも思わず、そのまま即実行していたはずだった――今までのオレなら。

「…………っ」

 なのに、今のオレは足が動かなかった。
 怖くて、足が竦んでしまったわけじゃない。そりゃあ全く怖くない訳はないが、今は怖さよりも冷静さの方が勝っている。

 今までせこくも逃げ回りながら生き延びてきた経験が、自分の命を守るためにはここで逃げるべきだと警告してもいる。
 だけど――オレは、目の前の光景から目を離せなかった。

 相変わらずアドルは凍りついたまま身動き一つせず、ヒロユキは防戦一方で逃げているだけの光景を。
 それは、見ているだけで息苦しくなりそうな光景なのに、どうしても目を反らせない。


 このまま、オレがこの場にいても何の役も立たないと分かっているのに、それでも、どうしても身体が動かない。
 いくら自分に檄を飛ばしても、まるで根が生えた様にここから動けなかった。
 そんな自分に、誰よりもオレ自身が一番戸惑っていた。

(おいおいおいっ、なにやってんだよ、オレはっ?! オレって、間違ったってこんな時に仲間を気にして逃げられないなんてキャラじゃねえだろっ、つーか仲間なんか一度もいなかったしっ!)

 独り言じみた心の声は、自分自身に、と言うよりは、心の中にいる第三者に向かって語りかけるような口調になってしまった。
 ついさっきまでと違って、もちろん返事なんて戻ってこない。

 だけどオレはそれでも、心の中の誰かに話しかけずにはいられなかった。まるで言い訳でもする様に、オレは訴えずにはいられない。

(だ、だいたいよっ、男なんか助けたってしょうがねえじゃねえか!! しかも、オレよりもずっとずっと強い連中だせっ?! 意味ねーよっ。
 か弱くて可愛い女の子を助けるってんなら、見返りぐらい期待出来るけどよっ)

 そう思った時、リリアのことをフッと思い出す。
 そうだ……リリアは病魔に冒されている上に、怪物に誘拐されちゃったんだ。もし、オレが助けに行かなければ、彼女の命は――。

 それを思えば、ここから逃げ出すことの方が正義だとさえ思える。
 ヒロユキだって、同じことを言うだろう。
 あの途方もないお人好しな奴なら、自分が危険な目に遭っていたって、他人に助け手を差し延べられることを望むような奴だ。

 希望的観測かもしれないが、多分、オレがここで逃げたところでヒロユキは怒りはしないだろう。

(…………悪いな、ヒロユキ。ついでに、アドルもごめんっ)

 聞こえないのを承知でそう強く思い、オレは一歩後ずさる。不思議なものでさっきまであれほど動かなかった足なのに、一歩でも動かせば楽々と動き始めた。

 この分なら、ヒロユキ達から目を逸らすのだって出来るだろうと、オレは引きはがす様に視線を外そうとした。
 だが、丁度そのタイミングでダルク=ファクトが言った。

「ふむ、そろそろ貴公のダンスも見飽きたな。そろそろ悲鳴が聞きたいのだよ、私は」

 今までとは全く違ったタイミングで指を大きく動かした奴の手から、魔法の光が立て続けに複数放たれた。
 しかも、それぞれが別々の軌道を描きながら、バラバラにヒロユキを狙う。

 いくらヒロユキでも、とても躱せない。
 それでも1発、2発はなんとか避けたものの、3発目をまともに足に食らいその場に倒れ込んだヒロユキの身体に光の塊が襲いかかる。

「――っ!!」

 それでも、ヒロユキは悲鳴は上げなかった。
 その代わりの様に魔法が当たった爆音と煙が、そこら中に撒き散らされた――。

 

 


「……おや。これは予想外だな」

 煙が薄れるまで動くのも面倒とばかりに、追撃もかけずに佇んでいただけのダルク=ファクトが、わずかに眉を潜める。
 そんな淡泊な反応を見せる奴に比べると、ヒロユキはいっそ失礼なぐらいに目をまんまるくして驚いていた。

 予想外どころか、とても信じられないとばかりの驚きっぷりで、口まであんぐりと開けてオレを見つめている。

「な……なんで、君が……?」

 揚げ句にこの台詞とは、失礼にも程があるだろうが!!

「おいっ、どーでもいいけどえらい言い草だな、命の恩人に向かってよ!!」

 癪に障ったので、ちょっぴり大袈裟に文句を付けてやるとヒロユキは素直にごめんと謝った。だけど、まだ驚いたままの表情なのは変わらない。
 でもまあ、それはそうだろう。

 オレだって、驚いている。まさか――本当にまさか、このオレともあろうものが、他人のピンチを見捨てられずに助けようとするだなんて。
 自分がこんなヒーローっぽいことをするだなんて、今でも信じられないぐらいだ。

 だけどあの瞬間、勝手に身体が動いていた。ついさっきまでさんざん考え、選んだはずの心の天秤がいとも簡単に逆転し、気がついた時はヒロユキに当たりそうだった魔法を吹っ飛ばす魔法を放っていた。

 魔法に魔法をぶつけると、こんなに派手な音や煙が出るなんてことも知らなかったが、とにかく、ヒロユキを助けることは出来たみたいだ。
 だが、その代償は少なくなさそうだ。

「ふぅむ、本気ではなかったとはいえ、私の魔法を弾くとはな。
 これは、なかなかに面白い」

 今の今までオレのことは目にも入っていなかったとばかりにガン無視していたのに、今やダルク=ファクトはしっかりとオレを見ている。
 どう見ても面白がっているとしか思えない口調や目付きだが、少なくともオレに目を止めたのは確かな様だ。

「だが、次も弾けるかな? 次の魔法は、さっきのよりも強いぞ?」

 軽くふって見せたダルク=ファクトの指先に、光が生まれる。さっきとは違う色合いは、別の種類の魔法だと証明している。
 …………これでもう、こっそりと逃げるってのは無理っぽいな。

 だが、やってしまったものはしょうがない。
 オレは半ば開き直って、声を張り上げた。

「おう、くるならきやがれっ!!」
                                                               《続く》

 

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