Act.21 生け贄の価値

 

 輝きに包まれた後に感じる浮遊感は、一瞬だった。次の瞬間には、オレ達は堅い床の上に着地していた。
 急な移動に感覚がついていけないのか、やや目眩がするが、オレは素早く周囲を見回した。

 とりあえず、いきなり敵がいるってことはなさそうだが、妙に薄暗い場所なだけに今までとの落差がきつくて、なかなか目が慣れない。
 だから、『それ』に気がついたのは、オレよりもヒロユキの方が先だった。

「ユーロ、あれ……っ」

 ヒロユキが指差した先には、生け贄の祭壇があった。
 グロテスクな悪魔の偶像が壁面を覆い尽くし、ちょうどその中心、二つの紫色の篝火に挟まれた場所に、一人の少女がいた。

 両手、両足を鎖で縛り付けられ、壁に張り付けにされてぐったりとしている弱々しい少女……それは、紛れもなくリリアだった。

「リリアーッ!!」

 リリアの姿を見た途端、オレは我を忘れて彼女の元に駆け寄った。

「ユーロッ?! 待ってっ!」

 ヒロユキの制止の声は聞こえたが、オレは足を止めなかった。とにかく、リリアを助けることだけで頭がいっぱいだったオレは、実際に『それ』に遭遇するまで、気がつかなかった。

 リリアの周囲を取り巻いている、奇妙な鈍い光の幕――それに触れた途端、猛烈な痛みと衝撃がオレを襲った。

「うわぁあああああっ?!」

 生まれて始めて味わう苦痛に、オレは絶叫せずにはいられない。しかも、その苦痛からは逃れられない。

 オレとしては、もがいているつもりだった。なのに、身体がなにかに張り付けられたように、身動きが取れない。落雷に似た魔法の衝撃は、犠牲者をその場に絡め取る効果が付与されているのか。

 まるで、蜘蛛の巣に引っ掛かった虫のように、オレはリリアの目前に縫い止められ、動きを封じられてしまった。
 結果、幕に触れ続けて苦痛を味わい、のけ反しかできないオレを、力強い手がぐいっと引き戻す。

「平気? あのさ、アドルがその幕はヤバいから気をつけろって」

 そう言いながらオレを安全圏まで引き戻したのは、ヒロユキだった。

「は…、早く言え……よ……〜」

 今の一撃は、本気で効いた。身体痺れきって、呂律が回らない。

「だから、待てって言ったじゃないかー。……にしても、これ、本気できついね。ぼくにさえ、効果があるみたいだし」

 腕を押さえながら、ヒロユキも顔をしかめる。
 オレを引き戻すため、ヒロユキもごく短い時間とはいえあの幕に触れた。そのせいで、あの痛みを味わったらしい。

 前にヒロユキは、自分には魔法が効きにくいと言っていた。しかし、そのヒロユキにさえこの忌ま忌ましい幕は効果があるみたいだ。
 ……ってことは、ヒロユキに代わりにリリアを助けてもらうってわけにもいかないらしい。

「なあ、ヒロユキ。アドルはなんて言っているんだ? これ、いったい何なんだよ?」

 本物の勇者なら、こんな物騒な魔法に対抗する知恵や技を持っているに違いない……そう思ったオレの予想は、あっさりと裏切られた。

「あ、知らないって。
 アドルも魔法はあんまり詳しくないんだ、専門外だって言ってるよ」

 な、なんじゃそりゃっ?! 
 ううっ、勇者の癖に役に立たね〜っ。

「じゃあ、どうすりゃいいってんだよっ、リリアはすぐ目の前にいるのに……っ」

 目の前でこんな騒ぎが起こっているのに、リリアはぐったりとして動きさえしない。おそらく、手足を張り付ける鎖がなければ自力で立ってはいられないと見える程、今のリリアには力が無かった。

 やつれた頬が、見るからに痛々しい。
 だが、それでもぴくぴくと、時折震える瞼だけが、彼女の生存を示している。

「リリア……ッ! リリアッ!!」

 いくら叫んでも、オレの声が聞こえていないのか、リリアが目を開けることはなかった。 すぐ目の前にいるというのに、あれほど助けたいと思ったのに、それなのにこの忌ま忌ましい幕がそれを阻む。

 攻略不能の魔法の壁は、オレにとっては魔王の存在以上に強大に感じられる。
 どうすれば――本当に、どうすれば、彼女を助けられるんだ……?!
 打ちのめされて、その場に崩れ込んだオレの隣で、ヒロユキが軽く目を閉じた。

「ちょっと、待ってて。
 今、アドルがトマやラーバ老の記憶を調べてくれている」

「……! な、なにか、分かるのかっ?!」

「うん。腕輪の力を使えば、協力してくれている六神官の知識を使うこともできるんだって。
 ただ、ちょっと時間がかかるみたいだけど……」

 ヒロユキのその呟きは、手が見つからなかったオレには天啓のように聞こえた。ついでに、オレはついさっきアドルを役立たずと言ったことを反省する。
 とはいえ、心の中でアドルと会話しているのか、目を閉じたままでわずかに口を動かしたり、時折首を振ったりしているヒロユキを見ているだけの立場は辛かった。

 まるっきりの部外者みたいな気分が、半端ない。……ま、実際に、オレって部外者もいいところなんだけどよ。

 そうやって待つ時間は、オレにはとんでもなく長くて辛い時間のように感じられたけど、実際にはそれ程でも無かったんだろう。
 やがてヒロユキは目をぱっちりと開けて、困ったような顔で言った。

「えっとね、アドルが言うにはこの幕は結界魔法の一種で、消すには二つの方法があるって。
 一つは、術者……多分、ダームだと思うけど、そいつを倒すこと。
 もう一つは、中にある篝火を消せば消滅するって」

「って、ラスボスは論外にして、その中に入れないから苦労してるんじゃないかよっ?! どうやって中に入ればいいんだよっ?!」

「んー、一言で言えば……根性かなぁ。
 さっきさ、ユーロがダルク=ファクトの魔法を跳ね返していたろ? あれと同じ要領で、結界の魔法を跳ね返しながら無理やり中に入ればいいって、アドルは言ってたよ」

「はぁあっ?! お、おい、ちょっと待てよっ。まさか、そんな目茶苦茶なことをオレにやれってえのっ?!」

 物凄い力技な提案に、聞いているだけで目眩がしてきた。
 だいたい魔法を跳ね返すも何も、あれはオレがきちんと意識してやっていたことじゃない。

 あの時は無我夢中だったせいかなんとかなったけど、もう一度やれと言われて成功させる自信なんか無い。
 ましてや、さっきのあの凄まじい激痛を味わった身ともなれば、なおさら足が竦む。
 だけど、ヒロユキはゆっくりと首を横に振った。

「ううん、中に入るのはぼくでもいいんだ。
 ユーロが使う気になれば、自分だけでなく他人に対しても防御の力を使えるはずなんだ。それに、アドルも心の中から回復魔法を発動させる、って言っている。
 だから、ユーロが嫌ならぼくが行ってもいいよ」

 ヒロユキからのこの提案に、オレの方が驚いた。
 あまりにもオレにとって都合のよすぎる提案に、耳を疑ったぐらいだ。

「おぉおいっ?! おまえ、何言ってるか分かってんのかよ?! つーか、おまえが行くって、それ、アドルの身体だろ?!」

 ヒロユキの提案は、目茶苦茶だ。
 なにしろ、リリアを助けるために勇者の――言わば、ラスボスを倒して世界を救ってくれる人間の命を危険に晒すって言っているようなもんだ。
 だが、ヒロユキはけろりとした顔で答えた。

「アドルの許可はとっているよ。っていうか、これ、アドルが言い出したんだ」

「な、なんでアドルが……?! あいつは、ダームを倒したいんじゃないのか?」

 正直、オレにはそれは驚きだった。まだ、お人好し過ぎるほどお人好しなヒロユキがそう言い出すのなら、理解もできる。
 だが、アドルはヒロユキとは違う。

 戦いを強く意識していたアドルは、ダーム打倒を一番に考えているように見えたのだが――。

「うん、アドルの目的は、確かにダームを倒すことだよ。でも、ユーロと約束したから、リリアを先に助けるって言っている。
 アドルってさ、あれですっごく律義なんだ。――って、なんだよ、アドル。別に、悪口じゃないんだし、言ったっていいだろ」

 最後に付け加えられた言葉は、多分、オレにじゃなくて心の中にいるアドルに向けて返した言葉なんだろう。
 オレには聞こえないやりとりが、どう決着がついたのか分からないが、少しだけ笑った後、ヒロユキは真顔になってオレに向き直った。

「それに……今、リリアは生け贄に捧げられている真っ最中なんだ。このまま戦いが始まってダームを倒したら、彼女にも影響がでないとは言い切れない。
 最悪の場合、ダームを倒した時には彼女も……って可能性もあるんだ。
 助けられるなら、先に助けた方がいいって、ぼくもアドルも思っている」

 伝聞とは言えアドルの言葉も、ヒロユキの言葉にも、強い説得力と誠意が感じられた。 自分の利益にはならないのに、それでも他人を助けようとする見上げた精神――オレみたいなチンピラではとても真似ができない程立派な態度だ。

「だから、ユーロ……ぼくに、魔法を。ぼくが行くよ」

 やっぱり勇者は違う、と思った。
 このまま、アドルとヒロユキに任せようと思わなかったと言えば、嘘になる。
 だが――オレをぎりぎりで引き止めたのは、ぐったりとして動かないままのリリアの姿だった。

 オレなんかを、勇者様と呼んでくれた少女。チンピラにすぎないオレに尊敬の眼差しを向けてくれた女の子なんて、リリアが初めてだった。
 不幸のどん底にありながらもそれでも健気に笑い、自分の命が危ない時でさえ他人を救おうとしたあの少女は、オレには眩く見えた。

 だからこそ、オレはリリアをどうしても助けたいと思った。
 助かってほしい、と思うのとは少し違う。 もちろん、助かってほしいと思うがそれだけじゃ物足りない。

 オレのこの手で、助けたい――そう思ったんだ。
 一種身勝手とも言えるその思いに、気が付いてしまったら、もう後には引けなかった。


「いや……! オレが行く。オレが、リリアを助けたいんだ!」

 強く言うと、ヒロユキは一瞬驚いたような顔をした後で、すぐに大きく頷いた。

「そっか。……うん、その方がいいんだろうね。なら、全力で援護するよ」

 

 


 杖を構え、オレは何度も生唾を飲み込んだ。 少しでも触れればさっきのような痛みを味わうと知っているだけに、恐怖がある。だが、この幕を乗り越えなければリリアの元にはいけない。
 オレは覚悟を決めて、呪文らしきものを唱えだした。

「我を拒みし結界よ……、ランドルフ=リィブの名に置いて命じる。
 道を開けよ!」

 本当は、こんなでたらめに唱えた呪文に何も意味は無いのかもしれない。
 だが、アドルがヒロユキを通じて教えてくれた。
 魔法で一番大切なのは、何がなんでもそうなってほしいと願う心の強さだと。イメージを強く持つことで心の力が具現化され、魔法として発動する。

 故に、でたらめでもなんでもいいからとにかく、自分の望みを明確に持てとアドルは言った。

 だからオレはアドルの忠告に従って、杖をかざして呪文を唱えながら、幕の中へと入った。
 幕を拒絶することだけを、一重に願って。

「う……っ?!」

 だが、それでも身体が光の幕に触れた途端、衝撃や痛みを感じる。さっきの凄まじい痛みに比べると、我慢できる程度の弱さとはいえ、完全にはダメージを消しきれていないらしい。

 一瞬、途中で力尽きたらどうしようなどと不吉な発想が頭に浮かんだが、オレは慌てて念を込める。
 弱気は禁物だ、信じなきゃなにもはじまらない。

 アドルは、リィブ家は防御魔法にかけては最強だと言った。
 なら、その言葉を信じるだけだ。
 リリアを守りたい――それだけを考えながら、オレはジリジリと結界の中を進む。

 ひどくねっとりとしたような感じで動きにくいが、それでもさっきと違って神経を集中させていれば幕に遮られることなく進むことができる。
 だが、それでも疲れがひどくて足下が心許無くなった時、ヒロユキの声が響き渡った。
 

「ユーロの回復を!」

 どういう原理か分からないが、ヒロユキが望めば回復魔法がオレのところまで作用するらしい。
 その力に助けられつつ、ひどく苦労して篝火まで辿り着いたオレは、渾身の力を振り絞って火を台座からはたき落とした。

 途端に、不快な圧迫感と苦痛が消える。それまで絶え間なく感じていた痛みが消えたおかげで、オレはかえって気が抜けたのかその場にへたりこむ。

 そのオレの横を駆け抜け、ヒロユキが剣を一閃させた。
 堅い金属音が響き渡ったかと思うと、リリアを戒めていた鎖が見事に断ち斬られる。
 それと同時に、リリアがぱちりと目を開けた。

「リリアッ!」

 心の底からホッとしたオレの目の前で、リリアはヒロユキにいきなり抱き付いた。

「アドル様っ! アドル様……っ、助けにきてくれたのね?!」

 囚われの美少女を、格好よく助けた勇者。彼に感謝して、彼女が抱き付く――物語なんかじゃありがちなクライマックスシーンだが、それを目の前で見せられるのはひどくショックだった!

 お、おいおいおいっ、そりゃないよっ、助けたのはオレなんだってば!
 だが、意識がいささか朦朧としているのか、リリアは人違いに気が付くことなく、ヒロユキの胸にすがりついて泣いていた。

「もう、会えないかと思っていた……!」

 リリアから直接聞かされるのなら、感涙ものの台詞だが、他の男に抱き付きながらって条件なら拷問だ!
 しかも、ヒロユキのヤツはヒロユキのヤツでかちんかちんに硬直してしまって、身動き一つしやがらねえ。

 や、役に立たない奴め!
 仕方なしに、オレはふらつく足で立ち上がりながら、自分からリリアに近付いていった。


「……ね、ねえ、リリア、そいつ、人違い――あてッ?!」

 焦っていたとはいえ、いきなり女の子の肩を掴んだのは失敗だったようだ。

「きゃあっ?!」

 と、可憐な声音とは裏腹に、見事にスナップの効いた平手打ちが飛んできたのだから。 これがまあ、偶然とはいえ恐ろしいぐらい適格な角度で入ってきて、足下がぐらっとよろける。ぶたれたダメージというよりも、目眩のせいで倒れそうになったオレを、ヒロユキが慌てて支えてくれる。

「だ、大丈夫、ユーロ?」

 ――た、助けてくれたのはありがたいけど何を余計なことを言ってやがるんだっ、こいつわっ?!

「え……?」

 やっと、『オレ達』に気がついたのか、リリアが目を何度も瞬かせながらオレとヒロユキを見比べる。

「ど、どういうこと、アドル様が二人……っ?!」

 リリアが戸惑うのも、当然だろう。なにせ、オレの格好は『アドル』の格好を真似て選んだものだ。

 偶然、似た格好になったと言い張るには、あまりにも似過ぎている。だが、あたりまえといえばあたりまえだが、双子という程はそっくりではないから、直接の知り合いには見分けがつく程度の類似だ。
 当然、混乱から立ち直ってちゃんと見比べれば、間違えるはずもない。

「え、えっと……」

 どうしていいのか分からないのはヒロユキも同じなのか、戸惑ったような顔をして突っ立っているだけだ。
 でも、それでもヒロユキ……と言うよりも、アドルの方がずっといい装備をしているし、見るからに本物っぽい。

 いや、実際に、本物なんだけどよ。
 並んで立てば、十人中十人が、ヒロユキの方を本物のアドルと思うだろう。
 だが、彼女は目を大きく見開きながら、オレへ質問をぶつけてきた。

「アドル様、この人はいったい……?」

「…………」

 勇者の名で呼ばれて、胸がちくちくと痛む。
 これが、騙されたという怒り混じりでの糾弾だったのなら、ある意味、オレにとっては慣れたものだった。

 さっき、ヒロユキが漏らした『ユーロ』という名は、なんなんだと問い詰められたのなら、オレはきっと、ごまかそうと必死になっただろう。
 だが、リリアの態度には、疑問はあっても疑惑や不審は微塵もなかった。

 オレをまだ『アドル』だと純粋に信じた上での質問なのが、意外なぐらい胸に堪える。 そのせいだろうか――オレは、らしくもなく素直に答えていた。

「……実は、オレ、『アドル』じゃないんだ」

「え?」

 驚くリリアのすぐ隣で、ヒロユキも驚いた顔をしているのが見える。

「それは別に、今話さなくても――」

 何かを言いかけたヒロユキだが、途中で急に口を噤み、一歩後ろに下がる。
 目立たないながらも、邪魔はしないという意思表示に、オレは感謝しつつリリアに話を続けた。

「リリアも、さっきこいつがオレを『ユーロ』って呼んだのを聞いたろ? オレの本当の名前はユーロで、アドルじゃないんだ」

 驚きのせいか、これ以上ないぐらい目を真ん丸くしているリリアに、オレは今までのいきさつをぶちまけていた。
 別に、話さなくってもいいと理屈では分かっていた。だけど、言わずにはいられなかったんだ。

 オレが元コソ泥だったことも、アドルの偽者をしていたことも――どうも、リリアの前では、オレって素直になり過ぎちまうみたいだ。
 結局、オレはほとんど全部を打ち明けてしまっていた――。       《続く》

 

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