Act.22 ダームの挑戦

 

「……って、わけなんだ。
 ごめんっ! マジで、謝るよ……!」

 話し終えた時には、オレは堅く目を閉じて身を縮めていた。
 こんな風に素直に自分が悪いと思い、罰を待ち望むような気持ちで相手の許しを請うなんて、何年ぶりだろう。

 うんと小さい頃、孤児院でシスターに怒られた時以来かもしれない。
 怒る時はおっかなかったけど、普段はにこにこと優しいおばあちゃんなシスターで、孤児院でも多くの子供達に慕われていた。

 まあ、正直言っちゃえば、そのシスターは真面目過ぎてオレは少し苦手だったりしたのだが、それでも彼女が正しいとは思っていた。 彼女は、嘘はいけないことだと教えてくれた。

 厳しいけど公平な目を持った人で、子供達を平等に扱ってくれた。だが、ある冬、風邪を拗らせてあっけなくなくなった。
 彼女の後に孤児院の後任になった院長は、ひどく依怙贔屓をする奴だった。とにかく見る目のない奴で、お世辞やごますりにひどく弱い奴だったんだ。

 あいつは、子供の教育になんか無関心だった。
 その上、教育的指導と称して、イヤという程の手伝いや雑用を強制させられた。前のシスターが授業に使っていた時間を、新しい院長はオレ達を村人の手伝いをするようにと言いつけた。

 その結果、得た収入が院長の懐に転がり込み、オレ達には一切還元されなかったのは知っていた。
 しかも、どんなに熱心に雑用などをきちんとやっても褒められることもなく、単に口車が上手くて手柄を横取りする子だけが褒められる。

 そんな中で、オレは仕事をできるだけずるけて、口先だけの嘘を磨くようになった。院長に我慢しきれなくなって、孤児院を飛び出してからもそれは同じだった。

 どうせ、世の中なんかは多かれ少なかれそんなものだし、だったらオレだって利口に、上手く世の中を渡っていって何が悪い……そんな風に思っていた。
 リリアに会うまでは、ずっと――。

「………………」

 沈黙が、ひどく辛い。
 さっき以上の平手打ちや、よくも騙したなという罵声がいつとんでくるかとビクビクしていたが、聞こえてきたのは思いも掛けないほど穏やかな声だった。

「アドル様……いいえ、ユーロ様、って呼んだ方がいいのかしら?」

 驚いて思わず目を開けたオレと、かすかに微笑みを浮かべたリリアの目が合う。怒っているようには見えないその笑顔に救われる思いで、オレはしどろもどろになりながらも言った。

「い、いや、ユーロでいいよ。様はいらないって」

「……じゃあ、ユーロ。どうも、ありがとう」

 深々と頭を下げる動きにつれて、リリアのしなやかな髪がさらりと揺れる。
 だが、オレはその態度にかえってうろたえずにはいられなかった。

「えっ? え、いやっ、な、なんで礼なんて……っ?!」

 オレはリリアや村人を騙していたわけだし、怒られる覚えはあっても、礼を言われる覚えなんてまるでない。
 素直に、そう言おうと思った。
 だが、リリアはゆっくりと首を振って、オレの言葉を遮った。

「いいえ。どんなにお礼を言っても、言い足りないわ。
 私は、ずっと勇者様が私達を助けてくれると思っていた……でも、違ったわ。
 私を助けてくれたのは、ユーロ、あなただった」

 リリアがオレに近付いてくる。
 呆然として気の聞いた言葉どころか、身動きさえできないオレに、なんとリリアは抱き付いてきた!

「私のために、こんなところにまで来てくれたんだもの……あなたがアドル様じゃなくても、関係ないわ。
 ユーロ、本当にありがとう!」

 抱き付いてきたリリアの柔らかさや暖かみだけで、頭がくらくらしているオレには、その言葉の意味まではよく伝わってこなかった。
 だが、リリアがオレに本気で感謝していることだけは分かる。それだけで、充分過ぎる程だった。

「リ…リリア……っ」

 感激に震えながら、オレは彼女を抱き返そうとした。――が、その手が見事にすかっとからぶる。
 抱き付いた時と同様に、リリアはあっさりとオレから離れると今度はヒロユキに向き直った。

「あの……あなたが、本物のアドル様なんですね?」

「えー? えっと、ぼくも本物のアドルってわけじゃなくて――あ、痛っ」

 余計なことを口走りかけたヒロユキに、オレは目立たない角度で肘鉄砲を放って黙らせる。
 先に自白したオレが言うものなんだけど、オレだけじゃなくてヒロユキまでもが実は偽勇者だ、なんて言ったらせっかく助けたリリアを余計に混乱させるだけだっつーの!

 だいたい、身体は本物のアドルなんだし、ヒロユキも一応は勇者の端くれみたいだし、ここは一発、本物の勇者らしく堂々とした態度を見せやがれっ……と、念を込めて睨み付けると、なんとかそれは通じたらしい。

「そ、そう、ぼくがアドル=クリスティンだよ。ほ、本物…のアドル、だ」

 どもるな、そこで!
 前々から思っていたが、ヒロユキの奴ってば馬鹿正直と言うか、応用がきかなすぎらぁ!もし、オレだったらこの反応だけで怪しいと即断するが、しかし、幸いにもリリアはそこまで疑いを持たなかった。

「お願いです、アドル様。
 私のような者が頼むのもおこがましいのですが、どうか、ダームを倒してこのイースの世界とみんなを救ってください……!」

 両手を胸に前に組み合わせ、真摯な態度で頼むリリアは申し訳なさそうに、だが、それでも熱心に訴える。

「あなた一人に世界の命運を押しつけるようで心苦しいのですが、でも……私は知ってしまいました。
 生け贄にされかけて、私はダームの考えを多少なりとも知ることができたんです。ダームは……このイースを地上へと落とそうとしているんです!」

「「ええっ?!」」

 オレもヒロユキも、そろって声を上げちまう。
 伝説の天上国である、イース。
 それが、地上へ落ちるだなんて――呆然と目を見張るだけのオレ達に、リリアはなおも熱心に頼みこんでくる。

「このままではイースが滅びてしまいます。それも、ここに住んでいる多くの人達もろとも……。いえ、それだけで済むはずがありません。
 地上の人々にも、甚大な被害がでるはずです。お願いです、どうかお助けを」

 あまりに大きくなってきた話にどうしていいか分からず、ただ、ただ呆然とするしかなオレと違って、さすがは勇者の片割れというべきか、ヒロユキの反応は早かった。

「――うん。ダームは、アドル=クリスティンが必ず倒すよ」

 自信に満ちた、きっぱりとした口調。
 自惚れとも思えるその大言壮語が、かえって小気味良い。
 一見、今の言葉はそれ程までに自信を持つ勇者ならではの台詞として聞こえただろう。


 だが、オレは知っていた。
 今の言葉は、本物のアドル=クリスティンの言葉じゃない。アドルを信頼する、ヒロユキの言葉だ。

「リリアが気にすることはないよ、頼まれるまでもなくその予定だったし。
 ダルク=ファクトを倒すだけでは、終わらない……ダームの塔を作った者を滅ぼすことが、最初から目的だったんだ」

 リリアの気を軽くしようとしているのか、ヒロユキがそう説明する。それはそれで嬉しいが……名前を呼び捨てとはちょっと馴々しいんじゃねえか?
 それに、いかにも勇者っぽい頼れる態度に見惚れたのか、リリアがじっとヒロユキを見ているのも、落ち着かない。

 考えてみれば、リリアは最初っから勇者に憧れている感じだった。偽勇者であるオレを許してくれたとはいえ、やっぱり本物の方がいいんじゃないのかと思うと、胸の奥底辺りが奇妙に疼く。
 しかし、オレのそんな気も知らず、ヒロユキは呑気なものだった。

「それに、ぼく一人でじゃないよ。助けてくれる人達いるからね」

 軽く腕輪に触れながらそう言うと、ヒロユキはオレに向かってウインクをする。

「ユーロも、その一人だよ。
 彼はね、君を助けるために魔法を身に付けたんだ。その魔法を使って、今までもずっと戦ってきた。
 彼は、約束してくれたよ。ダームとの戦いを助けてくれるって」

「まあ……!」

 リリアの目が大きく見開かれ、オレへと向けられる。さっき、勇者であるアドルを見つめていたのと同じ熱を込めて、リリアは再びオレに抱きついてきた。

「ユーロ……ッ、あなたはアドル様じゃなくても、やっぱり勇者様だったのね。
 お願い、ユーロ。アドル様と協力して、みんなを救ってあげて……」

 感きわまった声で囁かれるその頼み事ぐらい、嬉しい言葉を聞いたことなんかなかった。 ヒロユキに対しては、熱心ではあってもどこか他人行儀だったのに、オレにはこんなにも親しげに頼んでくるのが嬉しくて、オレは彼女を抱き返しながら答える。

「う、うんっ、うんっ!」

 言いながら、もっと気の利いたことの一つも言えないのかと我ながら自分で呆れたが、オレにはそう何度も頷くだけで精一杯だった。 ええい、しっかりしろ、オレっ。
 なにか、一つでもカッコいいところを  と、思ってから気がついた。

「あっ、リリア。オレ、君に渡すものがあったんだ!」

 名残惜しいが一度リリアの身体から手を放し、オレは荷物の中から薬を取り出した。フレア・ラルから貰った、リリアの特効薬だ。

「これ、フレア・ラルに作って貰ったんだよ。これ、飲んでくれよ!」

「…………っ」

 目を丸くし、リリアはオレの差し出した薬を見つめる。あんまり凝視しているせいで、なにか場違いなことをしてしまったのかな、と不安にさえなった時、リリアはぽろりと涙を零した。

「リ、リリアッ?!」

 慌てるオレに、リリアは泣きながらも微笑みを浮かべながら薬を手に取った。

「……ありがとう、ユーロ、ありがとう! あなたは、本当に命の恩人以上だわ……!」


 恭しいと言っていい手つきで薬瓶の蓋を外し、リリアはそれを飲もうとする。
 それを見て、オレは少なからずホッとしていた。

 リリアの病気のことを聞かされて以来、彼女を助けることがオレの一番の目的だった。それがやっと果たせるかと思うと、嬉しくてたまらない。
 これで、彼女はやっと救われる――まさにその瞬間のことだった。

「メロドラマはそこまでだ、虫けらども!」

 いきなり甲高い声が響き渡ったかと思うと、一瞬で周囲が灰色に染まった。

「?!」

 祭壇を中心にして床に落ちた鎖や火の消えた松明までもが、一瞬で質感を変えていた。 鈍い灰色の石へと変わる。
 その中央に立っていた、リリアもろともに――。

「リ、リリア…………ッ?!」

 ショックを受けて、というよりも単に驚きのせいでオレはその場に立ちすくむ。
 到底、信じられなかった。
 だって……だってよ、リリアは今、そう、たった今、助かるところだったんだ。生け贄からも、病魔に蝕まれた運命からも。

 石像と化したリリアは、薬を飲む寸前の姿勢のまま固まっていた。嬉しそうな表情のまま、石となってしまった彼女はぴくりとも動かない。

 氷と彫像となっていたアドルや女神と同じように、今にも動きだしそうな姿のままで動きを止めていた。
 呆然としているオレの耳に、不可思議な声が響き渡る。

「我が名はダーム、イースを支配する者なり! 余はおまえら虫けらの侵入など、とっくに見通しておったわ!!
 今までは見逃してやっていたに過ぎん!」

 尊大な声でこき下ろされても、怒りすらも沸いてこない。
 嘲笑いすら、遠く聞こえた。
 だが、呆然としているだけのオレの隣で、ヒロユキが噛み付くように怒鳴り返す。

「そんなの、ハッタリだ!
 見通していただって?! それなら、なぜ、今まで何もしなかったんだ!! そんなの、おかしいじゃないか!」

 ヒロユキの理屈は、ぼやけたオレの頭でさえ一理あると思わせる響きがあった。
 ――そうだ、敵にしてみればアドル=クリスティンの存在は、驚異だったはずだ。六神官の血を引き、魔王を倒すだけの力を持った勇者……その噂は、ある意味で真実だったのだから。

 なのに、ダームはアドルを殺そうとはしなかった。
 それが、そもそもおかしいんだ。
 アドルが氷付けになっていたのは、ダームの呪いでも何でもない。

 本人の意思によるものだった。なのに、アドルに危害を加えず、わざわざ宝物庫で彼と女神を隠していたのには理由があるはずだ。
 その疑問に答えるように、ダームを名乗る魔物の高笑いが響き渡る。

「笑止! 今までは、待っていてやったまでよ……! おまえ達が黒真珠を手に入れ、ダルク=ファクトの封印を解くのをな。
 そして、今こそ時は満ちた」

 狂気じみた笑いにかぶさるように、ダームは傲慢に言ってのけた。

「そのまま、黒真珠とダルク=ファクトの魂を持って、余の元に来るがよい。
 サルモンの神殿の最奥、鏡の間にて待っているぞ。
 余は逃げも隠れもせぬ。せいぜい歓迎して進ぜよう」

 その台詞を最後に、ダームの声は忽然と消えてしまった。
 その後に残るは、石となったリリアとオレ達だけだ。
 まだ呆然としているだけのオレに比べて、ヒロユキの方が気を取り直すのは早かった。


「行こう。
 ……ダームを倒せば、彼のかけた全ての呪いも、きっと、解ける」

「ホ、ホントかよ?」

「うん、アドルがそう言っている。ぼくも、そう思うよ。リリアと……レアを助けよう」
 

 決然とそう言うヒロユキを見て、オレは思い出した。
 女神を名前で呼んでいたヒロユキにとっては、友達感覚の相手に違いない。

 ヒロユキやアドルにとっても助けたい女の子はいて、そのために戦おうとしている……なら、オレだって負けてなんかいられない。
 ふらつきそうな足に力を込め、オレは立ち上がった。

「あ……ああ、行こうぜ」

 言いながら、オレはリリアを一度だけ振り返った。
 待っていてくれよ、リリア! 必ず、君を石から元に戻すから……!
 それから、オレは黒真珠に念を込める。

「ランドルフ=リィブの名において、命じる。 黒真珠よ、鏡の間へと我らを導け!」
                                                          《続く》    
 

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