Act.22 ダームの挑戦 |
「……って、わけなんだ。 話し終えた時には、オレは堅く目を閉じて身を縮めていた。 うんと小さい頃、孤児院でシスターに怒られた時以来かもしれない。 まあ、正直言っちゃえば、そのシスターは真面目過ぎてオレは少し苦手だったりしたのだが、それでも彼女が正しいとは思っていた。 彼女は、嘘はいけないことだと教えてくれた。 厳しいけど公平な目を持った人で、子供達を平等に扱ってくれた。だが、ある冬、風邪を拗らせてあっけなくなくなった。 あいつは、子供の教育になんか無関心だった。 その結果、得た収入が院長の懐に転がり込み、オレ達には一切還元されなかったのは知っていた。 そんな中で、オレは仕事をできるだけずるけて、口先だけの嘘を磨くようになった。院長に我慢しきれなくなって、孤児院を飛び出してからもそれは同じだった。 どうせ、世の中なんかは多かれ少なかれそんなものだし、だったらオレだって利口に、上手く世の中を渡っていって何が悪い……そんな風に思っていた。 「………………」 沈黙が、ひどく辛い。 「アドル様……いいえ、ユーロ様、って呼んだ方がいいのかしら?」 驚いて思わず目を開けたオレと、かすかに微笑みを浮かべたリリアの目が合う。怒っているようには見えないその笑顔に救われる思いで、オレはしどろもどろになりながらも言った。 「い、いや、ユーロでいいよ。様はいらないって」 「……じゃあ、ユーロ。どうも、ありがとう」 深々と頭を下げる動きにつれて、リリアのしなやかな髪がさらりと揺れる。 「えっ? え、いやっ、な、なんで礼なんて……っ?!」 オレはリリアや村人を騙していたわけだし、怒られる覚えはあっても、礼を言われる覚えなんてまるでない。 「いいえ。どんなにお礼を言っても、言い足りないわ。 リリアがオレに近付いてくる。 「私のために、こんなところにまで来てくれたんだもの……あなたがアドル様じゃなくても、関係ないわ。 抱き付いてきたリリアの柔らかさや暖かみだけで、頭がくらくらしているオレには、その言葉の意味まではよく伝わってこなかった。 「リ…リリア……っ」 感激に震えながら、オレは彼女を抱き返そうとした。――が、その手が見事にすかっとからぶる。 「あの……あなたが、本物のアドル様なんですね?」 「えー? えっと、ぼくも本物のアドルってわけじゃなくて――あ、痛っ」 余計なことを口走りかけたヒロユキに、オレは目立たない角度で肘鉄砲を放って黙らせる。 だいたい、身体は本物のアドルなんだし、ヒロユキも一応は勇者の端くれみたいだし、ここは一発、本物の勇者らしく堂々とした態度を見せやがれっ……と、念を込めて睨み付けると、なんとかそれは通じたらしい。 「そ、そう、ぼくがアドル=クリスティンだよ。ほ、本物…のアドル、だ」 どもるな、そこで! 「お願いです、アドル様。 両手を胸に前に組み合わせ、真摯な態度で頼むリリアは申し訳なさそうに、だが、それでも熱心に訴える。 「あなた一人に世界の命運を押しつけるようで心苦しいのですが、でも……私は知ってしまいました。 「「ええっ?!」」 オレもヒロユキも、そろって声を上げちまう。 「このままではイースが滅びてしまいます。それも、ここに住んでいる多くの人達もろとも……。いえ、それだけで済むはずがありません。 あまりに大きくなってきた話にどうしていいか分からず、ただ、ただ呆然とするしかなオレと違って、さすがは勇者の片割れというべきか、ヒロユキの反応は早かった。 「――うん。ダームは、アドル=クリスティンが必ず倒すよ」 自信に満ちた、きっぱりとした口調。
「リリアが気にすることはないよ、頼まれるまでもなくその予定だったし。 リリアの気を軽くしようとしているのか、ヒロユキがそう説明する。それはそれで嬉しいが……名前を呼び捨てとはちょっと馴々しいんじゃねえか? 考えてみれば、リリアは最初っから勇者に憧れている感じだった。偽勇者であるオレを許してくれたとはいえ、やっぱり本物の方がいいんじゃないのかと思うと、胸の奥底辺りが奇妙に疼く。 「それに、ぼく一人でじゃないよ。助けてくれる人達いるからね」 軽く腕輪に触れながらそう言うと、ヒロユキはオレに向かってウインクをする。 「ユーロも、その一人だよ。 「まあ……!」 リリアの目が大きく見開かれ、オレへと向けられる。さっき、勇者であるアドルを見つめていたのと同じ熱を込めて、リリアは再びオレに抱きついてきた。 「ユーロ……ッ、あなたはアドル様じゃなくても、やっぱり勇者様だったのね。 感きわまった声で囁かれるその頼み事ぐらい、嬉しい言葉を聞いたことなんかなかった。 ヒロユキに対しては、熱心ではあってもどこか他人行儀だったのに、オレにはこんなにも親しげに頼んでくるのが嬉しくて、オレは彼女を抱き返しながら答える。 「う、うんっ、うんっ!」 言いながら、もっと気の利いたことの一つも言えないのかと我ながら自分で呆れたが、オレにはそう何度も頷くだけで精一杯だった。 ええい、しっかりしろ、オレっ。 「あっ、リリア。オレ、君に渡すものがあったんだ!」 名残惜しいが一度リリアの身体から手を放し、オレは荷物の中から薬を取り出した。フレア・ラルから貰った、リリアの特効薬だ。 「これ、フレア・ラルに作って貰ったんだよ。これ、飲んでくれよ!」 「…………っ」 目を丸くし、リリアはオレの差し出した薬を見つめる。あんまり凝視しているせいで、なにか場違いなことをしてしまったのかな、と不安にさえなった時、リリアはぽろりと涙を零した。 「リ、リリアッ?!」 慌てるオレに、リリアは泣きながらも微笑みを浮かべながら薬を手に取った。 「……ありがとう、ユーロ、ありがとう! あなたは、本当に命の恩人以上だわ……!」
リリアの病気のことを聞かされて以来、彼女を助けることがオレの一番の目的だった。それがやっと果たせるかと思うと、嬉しくてたまらない。 「メロドラマはそこまでだ、虫けらども!」 いきなり甲高い声が響き渡ったかと思うと、一瞬で周囲が灰色に染まった。 「?!」 祭壇を中心にして床に落ちた鎖や火の消えた松明までもが、一瞬で質感を変えていた。 鈍い灰色の石へと変わる。 「リ、リリア…………ッ?!」 ショックを受けて、というよりも単に驚きのせいでオレはその場に立ちすくむ。 石像と化したリリアは、薬を飲む寸前の姿勢のまま固まっていた。嬉しそうな表情のまま、石となってしまった彼女はぴくりとも動かない。 氷と彫像となっていたアドルや女神と同じように、今にも動きだしそうな姿のままで動きを止めていた。 「我が名はダーム、イースを支配する者なり! 余はおまえら虫けらの侵入など、とっくに見通しておったわ!! 尊大な声でこき下ろされても、怒りすらも沸いてこない。 「そんなの、ハッタリだ! ヒロユキの理屈は、ぼやけたオレの頭でさえ一理あると思わせる響きがあった。 なのに、ダームはアドルを殺そうとはしなかった。 本人の意思によるものだった。なのに、アドルに危害を加えず、わざわざ宝物庫で彼と女神を隠していたのには理由があるはずだ。 「笑止! 今までは、待っていてやったまでよ……! おまえ達が黒真珠を手に入れ、ダルク=ファクトの封印を解くのをな。 狂気じみた笑いにかぶさるように、ダームは傲慢に言ってのけた。 「そのまま、黒真珠とダルク=ファクトの魂を持って、余の元に来るがよい。 その台詞を最後に、ダームの声は忽然と消えてしまった。
「ホ、ホントかよ?」 「うん、アドルがそう言っている。ぼくも、そう思うよ。リリアと……レアを助けよう」 決然とそう言うヒロユキを見て、オレは思い出した。 ヒロユキやアドルにとっても助けたい女の子はいて、そのために戦おうとしている……なら、オレだって負けてなんかいられない。 「あ……ああ、行こうぜ」 言いながら、オレはリリアを一度だけ振り返った。 「ランドルフ=リィブの名において、命じる。 黒真珠よ、鏡の間へと我らを導け!」 |