Act.24 ダームとの戦い

 

 鏡の形はしていても、ワープミラーは鏡とは似て非なる物だった。
 固い鏡の質感とは全く異なる、薄い膜のような感じの鏡面は延ばした手を拒むことなく受け入れる。

 ぐにゃりと奇妙に目まいがするような感覚はしたが、すぐにオレ達は鏡から出ることができた。
 そして、今度こそ驚くまいと思っていたのに、目の前に広がる光景に驚かずにはいられない。

「……?!」

 そこは、暗黒の空間に浮かぶ広大なフロアだった。天井も壁もなく、ただ一面の闇が広がる中にぽっかりと浮かぶ、円形の巨大なフロア。

 その中央に刻まれているのは、イースの紋章――と思ったが、よく見ると違う。確かに大まかな印象は似てはいるが、よくよく見れば本物の紋章よりも禍々しくデザインに改変されている。

 その紋章のせいで、このフロアの印象は悪魔を祭る魔神殿といった趣を醸し出している。 そして、オレ達がフロアに足を踏み入れた途端、魔を思わせる紋章の上に忽然と一人の男が出現した。

 黒い甲冑に黒いマントを羽織った、背の高い男。
 魔法で実際に移動してきたのか、それとも最初からそこにいたのか分からないが、おれは一目見ただけで直感した。

 おそらくは、ヒロユキやアドルも同じことを感じただろう。
 間違いない、こいつがダームだ……!!

「待っていたぞ……しかし、よくここまで来れたものだな。
 その力は、称賛に値するぞ」

 低い、だがよく響く太い声で呼び掛けられ、オレはびくっと身が竦む思いを味わった。 いかにも戦士然とした猛々しさを感じさせるダームは、細面の美青年だったダルク=ファクトとは、タイプがかなり違っていた。

 ダームにはダルク=ファクトの持つ、その場にいるだけで人を惹きつけてしまう、怪しいまでの魅了の力は無い。
 だが、奴とは違う力がある。

 武骨な武人だからこそ放つことのできる、圧倒的な覇気とでも言おうか。尊大な言葉や異様なまでの迫力に押されて、つい奴の前にぺこぺこと平伏したくなるような、そんな気迫に満ちている。
 タイプは違っていても、魔王と名乗る奴ってのは特別らしい。

「余の帝国には、おまえ達のような強者こそは相応しい。……殺すには、いささか惜しい存在よ。
 どうだ、余と組んでこの世界を手中に収める気はないか?
 黒真珠とダルク=ファクトの魂を献上するなら、今までのことは水に流してもよい。おまえ達を幹部として重用してやろう」

「断るッ!!」

「そ……っ、そうだ、断るぞ、そんなのっ!!」

 間髪いれずにヒロユキが、一歩ばかり遅れた上にちょっと詰まっちまったけど、オレもダームの誘いを拒絶する。
 だが、オレ達の拒絶をダームは予測していたようだった。感情を動かす気配すら見せず、鷹揚に頷く。

「そうか、それは残念だな」

 言って、ダームは大きく腕を動かした。マントが勢いよく広がり、あたかもオレ達を挑発するかのようにはためく。

「ならば、ここで死んでもらおうか!」

「ふざけんな、死ぬのはそっちだッ!!」

 奴の挑発にカッとなったオレは、渾身の力を込めて炎の玉を打ち出した。今までの中で最大の火炎は、うなりを上げてダーム目掛けて襲いかかる。
 だが、炎がダームを直撃する寸前、奴の身体は掻き消えた。

「えっ……?!」

 戸惑うオレの耳に、ヒロユキの焦った声が飛んで来る。

「ユーロッ、右だっ!!」

 かろうじて右を見たオレは、すぐ近くに壁にようにそびえたつダームの巨体を見て、戦慄する。

「な……っ?!」

 どう考えても、奴がここに移動してくる時間なんか無かったし、第一そんな動きなんか見てさえいない。
 まさか、瞬間的に移動してきたのか――咄嗟にそう考えた時、ダームはニヤリと笑ってオレに向かって指を弾いて見せた。

 子供が指で小石を飛ばすような、そんな仕草――だが、その指から生まれたのはオレが全力で放った魔法を軽く上回る大きさの炎の塊だった。
 鈍い爆発音と共に、凄まじい熱気がオレを包む!

「うわぁあああああっ?!」

 絶叫と共にオレは吹っ飛ばされていた。
 即死ものの炎だったが、不幸中の幸いというべきかオレは無意識に防御魔法で対抗していたのか、あれほどの炎を浴びたっていうのに服すら燃えなかった。

 だが、全身がひりひりするし、炎はともかくとして弾き飛ばされた勢いまでは消せなかったらしい。

 数メートル近く飛ばされ、床に投げ出された衝撃に蹲っていると、すぐ目の前にやたらと大きな黒いブーツが見えた。
 ハッとして見上げると……ダームが再び、オレのすぐ近くに出現していた。

「ユーロォッ?!」

 剣を構えたヒロユキが駆け付けようとするが、間に合う距離じゃない。

「くっ……!!」

 必死で跳ね起き、オレは意識を集中して手の平に魔法の力を集中させる。再び飛んできた炎の塊を、オレは手で弾いて逸らし、なんとか避けた。
 だが、ダームは容赦しなかった。
 またフッと姿を消したかと、今度は真後ろから熱い塊が飛んできた。

「うわあっ?!」

 咄嗟に身を捻ったから直撃は避けたものの、心の準備もなにもない場所から飛んで来る炎には防御魔法もうまく働かないらしい。

「危ない、ユーロっ、後ろ……いやっ、左斜め前っ! 今度は右っ!!」

 ヒロユキが必死になってアドバイスを飛ばしてくるが、正直、それを聞き取る余裕も無い。
 くそっ、ダームめ、完全にオレに狙いを絞りやがった!

 弱い奴から仕留めるのが当然とばかりに、連続的に瞬間移動してはオレに魔法を浴びせている。
 ヒロユキもオレを助けようと何度もダームに切りかかっているものの、切りかかろうとした瞬間に移動されてはどうしようもない。

「フッ、逃げても無意味だ!!」

 疲れ果て、動きの鈍ったオレの目前に出現したダームは、ゆっくりとその手を伸ばしてきた。

「さすがはリィブ家の末裔か……、防御魔法だけはたいしたものだな。これだけの魔法を浴びても、まだ生きているとは」

 身体が宙に浮いたかと思うと、首に物凄い圧迫感と痛みが走る。
 その意味を理解するまで、一拍掛かった。

「ぐ……っ」

 奴が、オレの首を掴んだ姿勢のまま宙につり上げ、締め上げている――そう気が付いた時は、すでに手遅れだった。
 抵抗しようにも、圧倒的な息苦しさのせいでろくに動けない。奴の手を少しでも緩めようとしても、オレの手なんかじゃ緩むどころかびくともしない。

 まさに万力のような締め付けが、じわじわとオレの首を締め上げていく。これだけの力を持っているなら、その気になれば一気に首をへし折れるだろうに、まるで奴は楽しんでいるかのように余裕があった。

「だが、余が魔法を使わなければその力も役に立つまい。さて、生身の身体がどのぐらい持つかな?」

「やめろぉおおっ!!」

 叫びながら、ヒロユキが剣でダームの腕に突き刺す。
 だが――なんと、剣先がわずかに刺さったのみで、ダメージを与えた様子も無い。
 現にダームは顔色一つ変えなかった。

「フ……ッ、それも無駄なことよ。クレリアの剣を持たぬおまえに、勝機は無いと知れ」


 そう言い放ち、面倒そうに腕を振るってダームはヒロユキを剣ごと振り払う。だが、それでもヒロユキは諦めなかった。

「ユーロッ!! ユーロを放せっ!!」

 必死に叫ぶヒロユキの声と、あいつが飛び込んでくる気配を感じたが、ダームはその度にオレの首を締めたまま瞬間移動してしまう。
 必死になるヒロユキを嘲るように、また、オレの苦しみを長引かせるように、何度となく瞬間移動を繰り返しながらダームは首を締め続ける。

 もちろん、その間だってオレが無抵抗だったわけじゃない。なんとか奴の手を振りほどこうと必死になってもがき続けた。だが、オレが動けば動く程、奴の手はがっちりと首に深く食い込んでくる。

 駄目だ……気が遠くなっていく……。
 酸欠のせいか、目の前が妙に歪んだ色に見えてきて、はっきりとは見えない。
 ク、クソォ……、このまま死んでたまる…もんか……。

「うっ?!」

 突然の呻きと共に、オレは床へと投げ出された。いきなり喉からなだれ込んで来た新鮮な空気の本流が、かえって苦しい。激しく咳き込みながら、オレはなんとか周囲を見ようとした。

 そして、見た。
 盾を構えたヒロユキが、ダームに体当たりを仕掛けるところを。
 剣での攻撃は効かないと見切ったのだろう、ヒロユキは盾で体当たりをかまして多少なりともダームにダメージを与える道を選んだんだ。

 ぶつかりあったダメージのせいか、頑丈なはずの盾が壊れかけ、飾りの部分が落ちて転がってきたのが見えた。
 所詮は盾での攻撃で、剣と違ってダメージは軽いはずなのにダームは明らかに苦しんでいた。……クレリアが魔王の弱点って噂は、本当だったみたいだ。

「もう一回っ!!」

 叫び、ヒロユキは再び姿勢を低く取って、盾で体当たりを仕掛けようとする。
 ヒロユキのその捨て身の気迫が、オレの命を救ってくれたのは間違いない。だが、二度目の攻撃を通じさせる程、ダームは甘くなかった。

「こしゃくなッ!!」

 初めて怒りを露にした声で叫び、ダームはその豪腕でヒロユキを殴りつけた。巨漢と軽量の戦士とのぶつかりあいが、勝負になるはずも無い。
 ヒロユキはひとたまりもなく吹き飛ばされ、物凄い勢いで壁に叩き付けられる。

 よりによって頭から叩き付けられたせいで額が割れたのか血飛沫が派手に飛び、ヒロユキはそのまま壁沿いに倒れ込む。

「――――っ?!」

 その瞬間、叫ばなかったのは幸運だった。
 いや、叫べなかったと言った方が正しい。余りにも驚きや衝撃が大きすぎたせいもあるが、つい直前までさんざん喉を締められていたせいで、オレの声帯はぶっ壊されたみたいだ。

 もし、少しでも声を出せる状態だったのなら、オレは衝撃のままに声の限りに叫び、その結果、ダームの目を引いてしまったことだろう。


 だが、叫ぼうにも声が出なかったせいで、ダームはオレではなくヒロユキに目を止めた。
 頭から流血しているヒロユキは、ぐったりとして動かないもののまだ息はあるらしく、わずかな動きが見て取れる。
 まだ生きているんだとホッとしたものの、運悪くダームも同じ結論に達したようだった。


「ふむ……まだ、息があるようだな」

 そう言って、ダームはヒロユキへ向かって悠然と歩いて行く。普段ならともかく、あんな瀕死の状態では、いくらヒロユキやアドルだってなんとかできるはずがない。

 く、くそォオッ!!
 痛む身体を無理やり起こしたものの、オレにはダームを倒すどころか止める力だってありはしない。
 魔法を打っても、効き目はないのはすでに実証済みだ。

 なにか……なにか、手はないのか、すがりつく思いでその辺を見下ろしたオレの目に、銀色の光を跳ね返すかけらが飛び込んできた。
 よく見ればそれは、盾の一部だ。
 それを見た途端、脳裏に閃いたことがあった。

「……っっ!!」

 声になりきってない叫びを上げながら、オレは床をバンバンと叩いて音を立てる。もっとも、まだたいして力の出ない今のオレではろくな音にはならなかっただろうが、それでもそれはダームの気を引く役は充分に果たした。

 すでに死に体と見捨てていたオレの突然の行動に驚いたのか、ダームが一瞬、こっちの方に顔を向ける。
 ――それを、待っていたんだっ!!

「…く……ら……えッ!!」

 手にしたかけらを、オレは素早く投げ付けた。
 手の中に握り込める程の小さなかけらは、驚きに開いていたダームの口の中に吸い込まれるように入っていった。

 奴の喉が、一度、大きく上下するのが見えた。
 そして――。

「うぐぁっ?!」

 自らの喉をかきむしり、ダームが苦しみ悶えだした。

「き、貴様ァ、な、何を飲ませたァアア……?!」

 怒りに吠えながらもダメージが大きいのか、ダームはその場に蹲り、のたうっている。――思ったとおりだ。クレリアは、魔物にとっては絶対の効果があるとされている聖なる鉱物だ。

 盾で殴っても効くぐらいなら、飲み込みでもしたらもっと効き目があると踏んだのは正解だったみたいだ。
 奴にとっては、毒を飲まされたも同然なんだろう、思い知ったか!
 オレは元々は小悪党、人に石をぶつけるコントロールは抜群なんだぜ!!

 心の中で勝ちどきを上げながら、オレはこのチャンスを逃さずにヒロユキの所へと駆け寄った。
 実態にはオレもふらふらで歩くよりも遅いかもしれないって速度でしか動けなかったが、それでもオレなりの精一杯の速度でヒロユキの所へと行ったんだ。

「……!!」

 間近で見ると、ヒロユキはひどい有様だった。髪の色が黒いから目立ちにくいとはいえ、べったりと濡れた色合いを見せる髪が、流した血の多量さを物語っている。
 もう、死んでしまっているのではないか――そう思えてしまうぐらい、今のヒロユキは弱り切って見える。

「……ヒ……ロ、…ユ……キ……!!」

 呼び掛けようにも声が思うように出ないことに苛立ちながら、オレはヒロユキの腕輪に手を伸ばした。

 六神官の力を引き出すことができ、他人の魂を受け入れさせることのできる力を持つこの腕輪なら、オレの意思をヒロユキやアドルに伝えることができるかもしれないと思ったんだ。

『ヒロユキ、アドル!! 生きているか?!』

 最初、なかなか返事は戻らなかった。もしや――と、不吉な予感に駆られ始めた時、ようやく遠くから聞こえるような声が伝わってきた。

『ああ、生きているぜ。ヒロユキも無事と言えば無事だ。ショックのせいで気絶し掛かっているけど、一応意識はあるし。
 だけど、困ったことになったな』

 苦り切ったような響きの感じられるこの心の声は、アドルのものだ。

『無事って、その怪我で……平気なのか?!』

『見た目ほどの怪我じゃない。癒しの魔法で治しているところだし、すぐに動けるようになる。
 だけど、ダームと戦う手がない……! オレは、ここから動けないし……っ』

 苛立つアドルの心の声が、痛い程伝わってくる。
 オレはもちろん、ヒロユキでさえダームには到底適わない。
 だが、ダルク=ファクトを心の中で抑えている関係上、アドルは心の中から動けない。 そのもどかしさを誰よりも感じているのは、他ならぬアドル自身だろう。

 なんの枷もなく、存分にその力を発揮できたなら、アドルならダームに勝てる――傍で見ているオレでさえそう思えるだけのものを、アドルは持っている。
 だからこそ、オレは提案した。

『オレに考えがあるんだ。オレの力を……アドルに預けたら、勝ち目は出てはこないか? あのさ、一つ考えがあるんだよ  』

 最初、アドルは力だけを貸すか、本人が協力するかを選べと言った。
 オレは後者を選択したが、考えてみれば前者の協力の方がメリットは大きい。

 特に、こんな風に敵の攻撃がオレに集まるぐらいなら、力だけをアドルに預けていた方がよほどましだったと思う。
 その点を強調し、説明するつもりだったが――。

『駄目だっ!!』

 と、突然オレの言葉を遮ったのは、アドルじゃなかった。もう一人の勇者が、復活したらしい。……ホント、厄介なタイミングだぜ。

『そんなことすれば、抜け殻になったユーロの身体が真っ先に殺されちゃうよ! そんなの、絶対に反対だ!!』

 自分の命だけでなく、世界の危機がすぐ目の前に迫っているというのに、ヒロユキが真っ先に気にしているのはそんなことらしい。
 ったく、この非常時に小悪党の一人や二人、気に掛けている場合かよ?

 本当に、呆れた人の良さだ――だが、不思議と悪い気はしない。
 むしろ、どこかくすぐったいような嬉しさを感じつつ、オレはヒロユキごとアドルに向かって呼び掛けた。

『そんな不吉な未来、いきなり決め付けんなよ、失礼な奴だな!
 まずは話ぐらいきけよ、ちゃんと考えがあるんだからさ。
 実はよ――』
                                  《続く》

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