Act.25 イースの帰還

 

「貴様ァアアアッ!! よくもやってくれたな……っ!」

 ダームがオレ達に向き直った時には、すでに相談も準備も完了していた。だが、オレの心の準備的にはもう少し欲しかったところだぜ。さっきまでは有り余っていたはずの余裕も過殴り捨て、怒りに満ちた目でこっちを睨んでいるダームには怯みたくもなる。

 だが、ここで相手に時間を与えてはオレ達に勝ち目はない。なにせ、オレが企んでいるのは奇襲なんだから。

 奇策ってのは、不意打ちでしかけるからこそ効果を発揮する。相手にそれを気取られたら、その瞬間に作戦失敗だ。
 オレは隣にいるヒロユキに向かって、小声で囁いた。

「じゃ……始めるぜ」

 無言のままヒロユキが頷くのを確認してから、オレは手にした盾を思いっきり上に向かってぶん投げた。

「……っ?!」

 いきなり盾を捨てるという突飛な行動に出たオレに驚いたのか、ダームも一瞬動きを止める。
 好都合だ!

「うぉおおおおっ!!」

 全精神力を注ぎ込んで、オレは炎を放った。ダームにではなく、空を舞っているきらきらと輝くクレリアの盾に目掛けて。
 魔法が直撃した途端、凄まじい音と閃光が迸る。

 魔を封じる力をもつクレリアの強大なパワーと、聖なる方向性の魔法――それは、真逆の力だ。

 プラスとマイナスの力は激しく反発し合い、その結果、破壊の方向に働く。冷たいガラスの器に熱湯を注ぎ込んだかのように、頑強なはずのクレリアの盾に見る間に細かいひびが入っていく。
 そして、ついにそれに耐え兼ねて、クレリアの盾は爆音と共に砕け散った。

 正直、売れば目玉が飛び出るような金額になる財産をオレの手でこんな風に砕くのは相当に心が痛かったが、その効果はあった。
 砕け散り、一時的に液体状になって降り注ぐクレリアの雨は、屈強な魔王の肉体に現実的なダメージを刻む。

 オレやヒロユキには暖かい雨程度にしか感じられない銀色の滴は、ダームには強烈な痛みを伴う雨として奴の身体を打った。
 幻想的とも言える美しい銀色の雨に打たれながら、のたうち回るダーム。
 苦痛の吠え声を上げる魔王を見て、オレは確信した。

 チャンスは、今しかない!

『アドル――ッ!!』

 心の中で、オレはアドルの名を呼んだ。以前、繰り返し見た夢の中でヒロユキが彼を呼んでいたように。
 果たして、オレの叫びにアドルは見事に答えてくれた。

 盾を失ったアドル=クリスティンの身体が、揺らめくように動く。次の瞬間、凄まじいまでの速さで、アドルはダームに切りかかっていた。

「ぬ……っ?!」

 魔王の顔に、驚きと警戒の色が浮かぶ。
 それも当たり前だろう、今のアドルの動きは明らかにさっきまでとは段違いだ。ヒロユキを超える運動能力と剣の腕をもって、アドルはダームを追い詰める。

 アドルが手にしているのは、クレリアの剣じゃない。
 風変わりな形の見慣れない剣だが、魔法の力が一切かかっていない普通の剣だ。だが、ダームに降り注ぐクレリアの雨が、武器の不足を補っている。

 アドルの一刀、一刀がダームにダメージを与え、弱らせていく。
 そして、銀の雨の滴をたっぷりとまとった剣が、ダームの心臓に深々と突き刺さった! 肉を貫く生々しい音や、たらりとにじみ出た血を見てオレは思わず目を逸らしてしまう。これで終わりだ……そんな油断があったせいもある。

 だが、魔王はやはり魔王だった。

「お……おのれ……っ。ムゥウ……ッ、貴様らごときに倒される余ではないワァァ  !!」
 信じられないことに、心臓に剣を突き立てられたままダームは吠え、アドルに殴りかかった。

 が、さすがに本物の勇者だけあって、アドルもそんな手には乗らない。剣に固執することなく、武器を手放して後ろに飛びずさる。
 だが、アドルが身を交わした途端、ダームは歓喜の笑い声をあげた。

「愚かものめっ!! せめて、おまえに絶望をくれてやるっ!」

 そう叫ぶダームの狙いは、アドルじゃなかった。
 少し離れたところでぼうっと立って見物しているだけの、勇者もどきの格好をした少年の方へと向かう。

 すでに瀕死とはいえ、魔王の最後の力は並じゃなかった。見ているだけで恐ろしくなるような勢いで、オレの身体に迫る。
 たとえ素手であっても、ダームの豪腕ならオレを殺すのぐらい簡単だろう。

 実際、ダームの手がオレの身体を掴もうとするのを見た時、『殺られる!』と言う思いがよぎった。

 だが――寸前までぼうっとしていた『オレ』は、ダームの手が襲いかかる寸前、ニヤリと笑う。
 そして、なんとその腕を掴んで魔王をぶん投げた!

『いぃいっ?!』

 信じられない光景に、誰よりも驚いたのはオレだった。間違ったって、オレに自分よりも大きな巨漢の男を投げ飛ばせるような腕力なんかない。
 だが、今、『オレの身体』は、見事にそれをやってのけた。一瞬過ぎてよくは見えなかったけど、ダームの手を掴むと同時に身体を捻ってまるで奴を背負うように投げ飛ばした。


 腕力で強引に投げ飛ばしたのとは全然違って、襲いかかるダームの勢いをうまく利用してそのまま方向を逸らしたみたいな感じだ。
 少なくとも、オレの目にはダームが自分の力任せな突進のせいで、自滅したように見えた。

「やるじゃないか」

 アドルさえ、感心したようにそう呟く。

「お生憎。一番得意なのはケンドウだけど、一応ジュウドウだって習ってんだよっ!! 素手だって、そうそう簡単にやられたりするもんかっ!」

 『オレ』が得意げにそう言うのを聞きながら、オレは思わず苦笑してしまう。

(あいつ、まだ固有名詞が翻訳されないのって分かってないよなー)

 ヒロユキから聞いた話では、あいつの故郷である異界とこの世界の言葉は全然違うものだそうだ。だが、おそらくは魔法の力で自動的に会話が翻訳されているおかげで、意思の疎通が可能になる。

 だが、ヒロユキの世界にしかない独自な言葉や言い回しは、翻訳のしようがないのかそのままだ。結果、意味不明な単語が混じることになるけど、あいつは今一歩そこを自覚していない。

 オレの顔に、オレの声――そのはずなのに、こうやって他人の目を通してみると、全然オレと同じようには見えない。
 鏡に写る『オレ』とは、あまりにも違い過ぎる。

 中身が違っているアドルがやっぱりヒロユキに見えたように、今の『オレ』もどう見てもヒロユキに見えた。
 素手のままでダームを牽制するヒロユキが時間を稼いでいる間に、アドルが地面に転がったままの剣を取るのが見えた。

 それはオレが持っていた剣で、飾り程度の安物の剣にすぎないが、それでも充分に殺傷力はあるはずだ。

 これでいい――オレは、幾分か安堵する。
 アドルとヒロユキ、二人の勇者がそろった以上、もう戦いは終わるだろう。そう確信していたのは、オレだけじゃなかった。

『見事なものだな、リィブ家の末裔よ』

 そう声をかけられて、オレは声の主へと注目した。
 オレが今いるのは、薄闇に覆われた小さな小部屋……今まで何度となく来たことのある、心の中の部屋だった。

 ただし、この部屋の中心にある椅子に座っているのはオレじゃない。
 今、そこに座っているのは角の生えた美青年だった。
 鎖でがんじがらめに椅子に縛り付けられた姿は、囚人に等しい。

 実際、今の奴の立場はそれに等しいだろう。身動きを封じられ、そのくせ彼の持っている魔法の能力はオレ達が引き出して利用している。
 さっきのクレリアの盾を溶かした魔法だって、そうだ。オレの初心者丸出しの攻撃魔法なんかじゃ、とうていあんな真似なんかできっこない。

 こいつの力を利用したからこそ、できた一撃だった。
 囚われ、利用されるだけの存在  だが、こいつは同情に値する相手じゃない。なにせ腐っても、魔王の一人。

 ダルク=ファクトはさながら王者のような風格で、尊大にオレと同じ光景を眺めていた。 アドルの目を通して、アドルの目から見える戦いを面白そうに見つめている。

『異界から来たる勇者と、この世で最も優れた剣士であるアドル=クリスティン……まさか、あの二人の力をこのような小賢しい形で利用するとはな』

 こんな状況であっても、ダルク=ファクトはどこまでも美声だった。

『そりゃどうも。褒め言葉として受け取っておくぜ』

 実際、オレにとっては小賢しいというのは褒め言葉だ。
 オレはもともとが詐欺師まがいのチンピラだ、いかさまだろうと何だろうと、相手をだまくらかすのが本業なんだ。

 それに、これは簡単なパズルだ。
 二人の生身の人間の身体に、三つの魂。そして、一人の魔王の魂。人間達は身体や魂を自由にやり取りできるが、魔王の魂だけは勇者の身体に止どめ、見張りを付けていなきゃならないのが前提。

 ならば、戦闘力の高い二人の魂が肉体を動かし、防御魔法の高い一人が魂だけの魔王を見張っていればいいだけの話だ。
 だから、オレは外の戦いの様子よりも、ダルク=ファクトの行動の方に注目していた。


 悠然と座っているだけのように見えて、ダルク=ファクトは時々鎖を解こうと画策してくれる。
 アドルと交替してからすぐに気が付いたが、ダルク=ファクトの奴ときたらほんのちょっとでも油断すると、戒めの鎖を緩めようとしやがるんだ。

 それも、魔法かなにかの力を使っているのか、目立たない動きだ。
 油断すると見逃してしまいそうな程、わずかな脱出に気を配るのは、なかなか骨が折れる。

 こんなに気の張ることをやりながら、ヒロユキへのアドバイスも忘れなかったアドルを尊敬するぜ。
 そう思いながら、オレは念を込める。

『無駄だ。あんたも褒めてくれたじゃないか、オレは防御魔法に関しては目を見張るものがあるってさ』

 緩みかけた鎖は、意思の力で締め直すことができる。
 アドルが教えてくれた。
 オレの力は、守りの力だと。何かを守りたいと思った時にこそ、最大の力を発揮できる、と。

 その効力は、この場所でも有効らしい。アドルやヒロユキを守りたい――ちょっとばかり照れくさいが、いつの間にかオレは本気でそう考えるようになっている。
 そして、その気持ちこそが絶対の呪縛としてダルク=ファクトを封じていた。

『あんたは、絶対にそこから逃がさない。そうやって見ていればいいさ……勇者の勝利を、ね』

 オレは、すでに確信していた。
 いざとなれば、オレも魔法の力で援護するつもりだったが、その必要すらなさそうだ。 アドルとヒロユキ、二人の勇者は見事なまでに息のあった動きで、ダームを翻弄していた。

 ダームには、さっきまでヘタレな魔法使いにすぎなかった『オレ』が、突然、達人の動きを手に入れた理由など分からないのだろう。

 混乱し、憤っているダームは、二人の勇者達にとっては絶好の攻撃目標だった。ヒロユキが身軽な動きで相手の体制を崩し、アドルがクレリアの雨をまとい付かせた剣で確実にダメージを刻んでいく。

 そして、とどめを刺したのはやはり本家本元の勇者だった。
 アドルの一撃が、ダームの首を目に求まらぬ勢いではね飛ばす。飛んだ首はフロアを転々と転がり、悪魔の紋章のちょうど真ん中で止まった。

 それと同時に、ダームの巨体が崩れ落ちる。そのまま、それはもう二度と動かなかった。 そして、ダームの首から滴る血が紋章をどす黒く染めていく――。

「……終わったな」

 そう呟いたのは、アドルの方だった。その目を見つめながら、オレの身体が――ヒロユキが頷く。

「うん。終わったんだね、今度こそ」

 その言葉に応じるように、ズゥンと大きく響き渡る音と共に、足下から最後の振動が伝わった。
 その意味を、オレは知っていた。
 それは、イースの国が700年振りに地上に帰還したことを示すものだった――。
                                    《続く》

 

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