Act.26 ダルク=ファクトの最後

 

『えっと……あのさ、アドル。もう、戦いは終わったんだろ? なら、リリアのところに戻ってもいいか?』

 ダームとの戦いが終わって、数分後。
 戦いの余韻に浸るかのように、あるいは単に疲れのせいか動かずにいる二人の勇者を急かすのはいささか気が引けたが、オレにしてみりゃそれが最大優先事項だ。

 石になってしまったリリアが、ちゃんと元に戻れたかどうか。
 また、元の姿に戻ったとしても、こんな所に一人で取り残されたんじゃさぞや不安だろうと思うと、とてもじっとしてはいられない。

 自分で自分の身体が動かせるのなら、オレとしては魔王の骸の転がるスプラッタな部屋からとっとと逃げ出して、彼女の元に走り出しただろう。
 だが、アドルは首を横に振った。

「いや、まだだ。
 先にダームの呪いと、ダルク=ファクトをなんとかしないと。
 ユーロ、今から精神を交替させるから、悪いが先に宝物庫に戻ってくれ。まずは、女神の……レアの力を借りたいんだ」

 もっともな意見であるし、勇者様にそう言われては嫌とも言えない。

『了解』

 そう答えて肉体を交替させた途端  オレは、その場にへたりこんでしまった。

「えっ、アドル?! ど、どうしたんだよ、しっかり!!」

 と、オレの身体に入っているヒロユキが支えてくれるが――ええい、なんてややこしいんだっ。

「い、いや、オレはユーロだって……ぅ…ぐぇっ」

 そう答える間も、オレは気持ち悪さに耐えきれず、口許を抑え込んでしまう。
 心の中にいる時は気が付かなかったけど、このむせ返るような血の臭いに加えて、体中の痛さとだるさときたら!

 あー……考えてみりゃ、アドル=クリスティンは長い間氷付けにされていたんだっけな。そりゃ、体調がいいはずもないや。
 まるで病み上がりのように身体がフラフラして、全然力が入らない。

 アドルにせよ、ヒロユキにせよ、よくもまあこんな体調不良な肉体であれだけの動きができたものだぜ。

『だから「悪いな」って言ったろ? だが、ユーロじゃないと黒真珠は使えないからな』
 心の奥でアドルが苦笑している気配がするのを感じながら、オレは実際には声に出さないように気をつけてボヤいた。

『そ、それなら、オレとヒロユキを交替させてくれたらいいのに〜』

 今までの経験上、ヒロユキは基本的に感覚が鈍いのは分かっている。運動神経は問題ないが、痛みや寒さや暑さなどはほとんど感じていない。


 なら、今のアドルの身体に乗り移ったって、ヒロユキにはなんの不都合もないだろう。
 オレも自分の身体の方が落ち着くし、アドルだってオレよりも本来の相棒であるヒロユキと身体を分け合う方が気楽だろう。
 と、オレは思ったのだが、アドルはやっぱり今回も頷いてはくれなかった。

『それも、謝っとくよ。
 このままの方が、都合がいいんでね。後で必ずおまえの魂はおまえの身体に返してやるから、もう少しだけ頼むよ』

 そうまで言われては、どうしようもない。オレはヒロユキの手に縋って、なんとか立ち上がった。

「ユーロ、平気なのかい? なんだか、すごい顔色だけど……」

「へいき、ってわけでもねえけど、しょうがねえだろ」

 ついさっき、オレは全魔法力を使ってクレリアをふっとばした。……ってことは、今のアドルの肉体にはほとんど魔法力なんか残っちゃいないだろう。
 つまり、六神官の力を借りて回復魔法も使えないってわけだ。

 ゆっくり回復するまで待ってから行動しようにも、アドルの心の中にあのダルク=ファクトがいる以上、油断なんかできない。
 リリアのこともあるし、やるなら早い方がいい。

 そう結論づけて、オレはヒロユキの――本来のオレの身体の左のポケットに触れながら命じた。

「黒真珠よ! 我らを宝物庫へ導け!」

 次の瞬間には、オレ達は再び宝物庫に戻っていた。
 もっとも、もうそこは『宝物庫』とは呼べないだろう。オレ達がそこから逃げ出した後、魔物達が入ってきたらしく壁や床がめちゃくちゃに壊れている。

 幸いにも、暴れるだけ暴れたら気がすんだのか、それともボスの死を知ったのか、すでに魔物は一匹もいなかった。

 だが、そんな荒れた部屋の中でさえ、女神の氷像だけは無事だった。さっき見た時と少しの変わりもない輝かしさで、静かに佇んでいる。
 だが、氷が溶けている様子は一向になかった。

『オレの左のポケットの中に、ハーモニカがある。それを吹けばいい』

「ハーモニカをか?」

『ああ、音楽でありさえすればなんの曲でもいい。ダームがいなくなった今なら、それでレアは目覚める』

 アドルに言われるままにポケットを探ると、そこには手のひらにすっぽりと収まるぐらい小さなハーモニカがあった。
 それを見て、ヒロユキが目を丸くする。

「あれ、それって、前にレアが持っていた奴だ」

 ほう、女神の持ち物か。
 なかなか凝った雰囲気の洒落たデザインだし、しかも持ち主が美少女ともなれば、売りとばせばけっこうな金になるぜ  って、つい習慣上そう考えちまったが、んな場合じゃないんだよっ。

 オレはとりあえずそのハーモニカを、ヒロユキに軽く放った。

「じゃ、ヒロユキ、おまえに任せるぜ」

「ええっ?! こ、困るよ、ぼく、ハーモニカなんて小学校以来だし、音楽だって2なんだよっ?!」

 慌てふためいたヒロユキがわけのわからない言い訳をしまくるが、そう言われたってオレだって困る。

「何言ってやがる、オレなんか教会の聖歌隊の準々メンバーにもなれなかったぐらい、楽器も歌もド下手なんだよっ」

 アドルは音楽であれば何の曲でもいいと言ったが、自慢じゃないがオレが歌ったり楽器を弾いたりする度に、回りにいた連中はノコギリの音の方がましだと耳を塞ぐレベルだ。 とてもじゃないが、音楽と呼べる代物じゃないと自信を持って言い切れる。が、ヒロユキの奴も妙に自信満々だった。

「ぼくだって! 合唱コンクールの時はいつだって口パクだけして歌っているふりしてたし、ぼくと一緒にカラオケ行くのが罰ゲームになるレベルなんだよ?!」

 異界の風習はよく分からないが、とりあえずヒロユキもとてつもない音痴っぽいことを連想させるセリフの数々だ。
 不毛な押しつけ合戦をやっているオレ達に呆れたのか、アドルが呆れたように言ってきた。

『……あのな。それは仮にも女神のハーモニカだぜ? 別に、音痴だろうがなんだろうが関係ないって。
 とにかく、口に当ててみろ』

「へ? こ、こうか?」

 言われるままにハーモニカを口に当てた途端、自分でも信じられないぐらいに軽やかな音色が流れだした。

 もちろん、オレが演奏しているわけなんかない。そもそもオレは息すら吹き込んでいないし、ただ手に持っているだけだっていうのに、ハーモニカは複雑な旋律を自動的に奏でている。

 どこか物悲しい、だが透き通るように美しい音色は、今まで聞いたどんな音楽よりも綺麗だ。
 そして、その音に呼応するように変化は起きていた。氷像が見る見るうちに色付き、血の気を取り戻していく。

 やがて、曲の演奏が終わった時にそこにいたのは、見事なまでの空色の髪を持つ美少女だった。

「……っ」

 オレは息を飲んで、彼女を見つめずにはいられなかった。これ程の美少女には、お目にかかったのは初めてだ。
 それも、ただ綺麗だってだけじゃない。

 なんというか、そう、品があるというのか、ちょっと近寄りがたいような神聖さも漂わせている。
 まさに女神の名に相応しい神聖なる姿にオレは竦んでしまって動けなかったが、ヒロユキときたら罰当たりにも気軽に話しかけやがった。

「レア! よかった、無事だったんだねっ!!」

「ええ。ありがとう、ヒロユキ……いえ、異界より来たる勇者よ。
 イースを守護する女神の片割れとして、あなたの助力に心からの謝意を述べさせていただきます」

 女神らしい威厳を持ってそう言ってから、レアはくすりとその年頃の娘らしい悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

「そして、これはフィーナからの伝言……あなたが無事で、とても嬉しいって。早く会いたいって、そう言っているわ」

「ホント?! フィーナは今、どこにいるんだい?!」

 パッと顔を輝かせてそう聞くヒロユキに、レアは優しく微笑んだ。

「あの娘は今、六神官の末裔達と共にエステリアにいます。心配しないで、すぐにあなた達は再会できますから……最後の用事さえ終わったのなら」

 そう言ってから、レアは今度はオレに向き直る。そしてこともあろうに、チンピラにすぎないオレに向かって頭を下げやがった!!

「あなたがリィブ家の最後の生き残りですね……あなたの助力にも感謝します」

「あっ、い、いやいやいやっ、全然たいしたことしてねーから、オレっ」

 実際のところ、面倒な戦いやらなにかは、ほとんどヒロユキやアドルに押しつけてきたオレは、一番楽をしている。
 オレが言ったことは事実に他ならないのだが、レアは感心したように言ってくれちゃったりした。

「まあ……なんと謙虚な」

 ……いや、それ、誤解だから。
 なんだかひどく買いかぶりをされたような気はしたが、オレが訂正する前にレアは話を進めた。

「そして、アドル=クリスティン……あなたにはどんなに感謝をしてもしたりません。
 お約束通り、あなたの望みのままに私の力をお貸し致しましょう」

 じっとオレを――いや、多分、オレの中にいるアドルを見つめながら、レアはスッとオレに近付いてきた。
 思わずドキッとする程至近距離で、レアの柔らかい髪がしなやかに揺れる。

 このまま抱き付かれるのかと思った瞬間、オレの脳裏に咄嗟に浮かんだのはリリアのことだった。

 いやいや、別にやましい気持ちはこれっぽっちもっ、でもこんな綺麗な女の子に抱き付かれるなんて男冥利っつーか、すげえラッキーだよな、そんなことになったらリリアが妬くじゃないかなとか、そうなったら困るけどちょっとばかり嬉しいよなぁ、などとごく短い間に凄まじい勢いで思考が浮き沈みする。

 だが、それは結局は無駄な心配だった。
 レアの手がオレの……というか、アドルの身体に触れる前に、オレの意識はフッと途切れた。
 その次に目を開けた時、オレはまたも心の中の小部屋にいた。

(またここかよっ?!)

 と、思わず怒鳴りたくなったが、前と違うのはいるのがオレだけじゃないってことだ。 ダルク=ファクトは当然いると思ったが、それだけじゃなくてアドルもいれば、レアまでもがここにいる。
 そして、驚いたことにレアが真っ先に話しかけた相手はオレに対してだった。

「お願いがあります、ランドルフ=リィブ。あなたの持つ黒真珠を、私にお返しください」
「え……」

 一瞬、ためらいがなかったと言えば嘘になる。何しろどんな鍵でもあけられるって力のあるあの黒真珠があれば、オレは一生食うのに困らない。
 だが、すぐにオレは思い直した。

「……リリアを、助けてくれるかい?」

「はい。お約束します」

 真摯に頷く彼女の言葉を、オレは疑いもしなかった。女神がオレを詐欺にかけるはずもない。

「それなら、渡してもいいぜ。……けど、どうやって?」

 渡すも何も、ここは心の中だ。黒真珠はオレの本体にあるけど、それを心の中に持ってくる方法なんて、分かりっこない。
 だが、女神はさすがに女神だった。

「心配いりません。今、あなたの身体を支配しているヒロユキに頼みました。
 あなたの肉体と、あなたの魂が、私に黒真珠を渡してくれた……これで、ついに黒真珠が女神の元に戻りました」

 レアの言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼女の胸元に黒真珠が浮かび上がった。 途端に神々しいぐらいの光を放った女神は、囚われた魔人に向かって毅然とした口調で言い放った。

「ダルク=ファクト……闇に堕ちし六神官の末裔よ。汝の罪が裁かれる時が来ました。
 今より、私が我が名にかけて汝を帰るべき場所へ帰しましょう」

 そう言ってから、レアは振り返って目線だけでアドルを招く。
 それに応じ、アドルはまるで騎士のように彼女の手を取った。その途端、レアだけでなくアドルの身体も光り輝きだした。

 オレにとっては、その輝きは思わず見とれてしまうぐらい綺麗なものに見えた。だが、魔の眷属にとってはどうやら違うらしい。
 眩いぐらいに神々しいその輝きを浴びて、ダルク=ファクトが苦痛の呻きを漏らす。よほど苦しいのか初めて顔を歪めた魔人は、しかしそれでも凄絶な美に満ちていた。

「フ……ッ、女神ともあろう者が黒真珠を我がものとし、クリスティン家の末裔の力を変りてまで、他者に死を賜るとはな。
 神の資格を失ってもいいのかね?」

 脅しじみたダルク=ファクトの言葉に、レアは眉一つ動かさなかった。女神ならではの輝かしさで、静かに告げる。

「それは、あなたが気にすべきことではありません。
 死せる者が地上に止どまり続けるのは、本来あってはならぬこと……!
 迷いを捨て、帰るべき場所にお帰りなさい」

 その声はどこまでも毅然としていながら、ひどく優しかった。そして、その声を後押しするように、アドルの声が力強く響く。

「そうだぜ、ダルク=ファクト。
 これも何かの縁だ、オレが導いてやる……!!」

「ククッ……よりによって、イースの本をそろえし勇者が我を導くか……それも、よかろう。
 いずれはおまえも来る場所だ、それを楽しみにしているぞ!」

 それが、ダルク=ファクトの最後の言葉であり、最後の高笑いだった。傲慢で王者然とした笑い声を立てながら、ダルク=ファクトの姿は薄れていく。
 薄れながら光の粒となり、それは上へと立ち上ぼって――消滅した。

「……これで、ダルク=ファクトは天に召されました。それと同時に、ダームがかけた呪いが残らず消滅したはずです」

 それを聞いた時の安堵感と来たら、なかった。それこそ、躍り上がって叫びたい歓喜が込み上げてくる。
 これで、リリアはついに救われたんだ……!

 そういえば、ついでのようにオレはキースを思い出す。魔物に変身させられたあいつも、今頃元に戻っただろうか。
 それを確かめる前にも一刻も早く自分の身体に戻りたかったが、アドルがオレの前に立ちはだかった。

「さて……おまえを本来の身体に戻す前に、約束を果たすよ」

「約束って……もしかして、オレの両親って話か?」

 うっかり忘れかけるところだったけど、アドルに協力する時に確かにそんな約束をした。 まあ、正直に言ってしまえば、オレとしちゃ今更親に未練があるわけでもないし、どうでもいいと言えばどうでもいい。
 だが、アドルはその約束を反故にする気はないみたいだった。

「おまえとの約束でもあるけど、それ以前から約束していたことがあるんだ。
 それを、おまえに伝えたい」

 そう言ってから、アドルはレアに目をやる。

「レア、力を貸してくれ」

「喜んで」

 嬉しそうに微笑むと、レアは両手を自分の胸の前で組み合わせ、ゆっくりと開く。手の間からピンク色の光が生み出される。
 それは、そんなに大きなものではなかった。
 片手に乗るぐらいの大きさの光の塊を、レアは両手の間に浮かべながら微笑んだ。

「さあ、どうぞ。これを受け取ってください……そうすれば、あなたは過去なる真実を手にすることができます」

 意味ありげなその言葉の意味なんて、オレに分かるはずもない。それに、両親のことを知りたいわけでもない。
 だが、何かに操られたように、オレはその光に手を触れていた。オレの手が実態のない光に触れた途端、眩い光が一瞬で世界を白く染め上げた――。
                《続く》

 

27に続く→ 
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