Act.26 ダルク=ファクトの最後 |
『えっと……あのさ、アドル。もう、戦いは終わったんだろ? なら、リリアのところに戻ってもいいか?』 ダームとの戦いが終わって、数分後。 石になってしまったリリアが、ちゃんと元に戻れたかどうか。 自分で自分の身体が動かせるのなら、オレとしては魔王の骸の転がるスプラッタな部屋からとっとと逃げ出して、彼女の元に走り出しただろう。 「いや、まだだ。 もっともな意見であるし、勇者様にそう言われては嫌とも言えない。 『了解』 そう答えて肉体を交替させた途端 オレは、その場にへたりこんでしまった。 「えっ、アドル?! ど、どうしたんだよ、しっかり!!」 と、オレの身体に入っているヒロユキが支えてくれるが――ええい、なんてややこしいんだっ。 「い、いや、オレはユーロだって……ぅ…ぐぇっ」 そう答える間も、オレは気持ち悪さに耐えきれず、口許を抑え込んでしまう。 あー……考えてみりゃ、アドル=クリスティンは長い間氷付けにされていたんだっけな。そりゃ、体調がいいはずもないや。 アドルにせよ、ヒロユキにせよ、よくもまあこんな体調不良な肉体であれだけの動きができたものだぜ。 『だから「悪いな」って言ったろ? だが、ユーロじゃないと黒真珠は使えないからな』 『そ、それなら、オレとヒロユキを交替させてくれたらいいのに〜』 今までの経験上、ヒロユキは基本的に感覚が鈍いのは分かっている。運動神経は問題ないが、痛みや寒さや暑さなどはほとんど感じていない。
『それも、謝っとくよ。 そうまで言われては、どうしようもない。オレはヒロユキの手に縋って、なんとか立ち上がった。 「ユーロ、平気なのかい? なんだか、すごい顔色だけど……」 「へいき、ってわけでもねえけど、しょうがねえだろ」 ついさっき、オレは全魔法力を使ってクレリアをふっとばした。……ってことは、今のアドルの肉体にはほとんど魔法力なんか残っちゃいないだろう。 ゆっくり回復するまで待ってから行動しようにも、アドルの心の中にあのダルク=ファクトがいる以上、油断なんかできない。 そう結論づけて、オレはヒロユキの――本来のオレの身体の左のポケットに触れながら命じた。 「黒真珠よ! 我らを宝物庫へ導け!」 次の瞬間には、オレ達は再び宝物庫に戻っていた。 幸いにも、暴れるだけ暴れたら気がすんだのか、それともボスの死を知ったのか、すでに魔物は一匹もいなかった。 だが、そんな荒れた部屋の中でさえ、女神の氷像だけは無事だった。さっき見た時と少しの変わりもない輝かしさで、静かに佇んでいる。 『オレの左のポケットの中に、ハーモニカがある。それを吹けばいい』 「ハーモニカをか?」 『ああ、音楽でありさえすればなんの曲でもいい。ダームがいなくなった今なら、それでレアは目覚める』 アドルに言われるままにポケットを探ると、そこには手のひらにすっぽりと収まるぐらい小さなハーモニカがあった。 「あれ、それって、前にレアが持っていた奴だ」 ほう、女神の持ち物か。 オレはとりあえずそのハーモニカを、ヒロユキに軽く放った。 「じゃ、ヒロユキ、おまえに任せるぜ」 「ええっ?! こ、困るよ、ぼく、ハーモニカなんて小学校以来だし、音楽だって2なんだよっ?!」 慌てふためいたヒロユキがわけのわからない言い訳をしまくるが、そう言われたってオレだって困る。 「何言ってやがる、オレなんか教会の聖歌隊の準々メンバーにもなれなかったぐらい、楽器も歌もド下手なんだよっ」 アドルは音楽であれば何の曲でもいいと言ったが、自慢じゃないがオレが歌ったり楽器を弾いたりする度に、回りにいた連中はノコギリの音の方がましだと耳を塞ぐレベルだ。 とてもじゃないが、音楽と呼べる代物じゃないと自信を持って言い切れる。が、ヒロユキの奴も妙に自信満々だった。 「ぼくだって! 合唱コンクールの時はいつだって口パクだけして歌っているふりしてたし、ぼくと一緒にカラオケ行くのが罰ゲームになるレベルなんだよ?!」 異界の風習はよく分からないが、とりあえずヒロユキもとてつもない音痴っぽいことを連想させるセリフの数々だ。 『……あのな。それは仮にも女神のハーモニカだぜ? 別に、音痴だろうがなんだろうが関係ないって。 「へ? こ、こうか?」 言われるままにハーモニカを口に当てた途端、自分でも信じられないぐらいに軽やかな音色が流れだした。 もちろん、オレが演奏しているわけなんかない。そもそもオレは息すら吹き込んでいないし、ただ手に持っているだけだっていうのに、ハーモニカは複雑な旋律を自動的に奏でている。 どこか物悲しい、だが透き通るように美しい音色は、今まで聞いたどんな音楽よりも綺麗だ。 やがて、曲の演奏が終わった時にそこにいたのは、見事なまでの空色の髪を持つ美少女だった。 「……っ」 オレは息を飲んで、彼女を見つめずにはいられなかった。これ程の美少女には、お目にかかったのは初めてだ。 なんというか、そう、品があるというのか、ちょっと近寄りがたいような神聖さも漂わせている。 「レア! よかった、無事だったんだねっ!!」 「ええ。ありがとう、ヒロユキ……いえ、異界より来たる勇者よ。 女神らしい威厳を持ってそう言ってから、レアはくすりとその年頃の娘らしい悪戯っぽい笑顔を浮かべた。 「そして、これはフィーナからの伝言……あなたが無事で、とても嬉しいって。早く会いたいって、そう言っているわ」 「ホント?! フィーナは今、どこにいるんだい?!」 パッと顔を輝かせてそう聞くヒロユキに、レアは優しく微笑んだ。 「あの娘は今、六神官の末裔達と共にエステリアにいます。心配しないで、すぐにあなた達は再会できますから……最後の用事さえ終わったのなら」 そう言ってから、レアは今度はオレに向き直る。そしてこともあろうに、チンピラにすぎないオレに向かって頭を下げやがった!! 「あなたがリィブ家の最後の生き残りですね……あなたの助力にも感謝します」 「あっ、い、いやいやいやっ、全然たいしたことしてねーから、オレっ」 実際のところ、面倒な戦いやらなにかは、ほとんどヒロユキやアドルに押しつけてきたオレは、一番楽をしている。 「まあ……なんと謙虚な」 ……いや、それ、誤解だから。 「そして、アドル=クリスティン……あなたにはどんなに感謝をしてもしたりません。 じっとオレを――いや、多分、オレの中にいるアドルを見つめながら、レアはスッとオレに近付いてきた。 このまま抱き付かれるのかと思った瞬間、オレの脳裏に咄嗟に浮かんだのはリリアのことだった。 いやいや、別にやましい気持ちはこれっぽっちもっ、でもこんな綺麗な女の子に抱き付かれるなんて男冥利っつーか、すげえラッキーだよな、そんなことになったらリリアが妬くじゃないかなとか、そうなったら困るけどちょっとばかり嬉しいよなぁ、などとごく短い間に凄まじい勢いで思考が浮き沈みする。 だが、それは結局は無駄な心配だった。 (またここかよっ?!) と、思わず怒鳴りたくなったが、前と違うのはいるのがオレだけじゃないってことだ。 ダルク=ファクトは当然いると思ったが、それだけじゃなくてアドルもいれば、レアまでもがここにいる。 「お願いがあります、ランドルフ=リィブ。あなたの持つ黒真珠を、私にお返しください」 一瞬、ためらいがなかったと言えば嘘になる。何しろどんな鍵でもあけられるって力のあるあの黒真珠があれば、オレは一生食うのに困らない。 「……リリアを、助けてくれるかい?」 「はい。お約束します」 真摯に頷く彼女の言葉を、オレは疑いもしなかった。女神がオレを詐欺にかけるはずもない。 「それなら、渡してもいいぜ。……けど、どうやって?」 渡すも何も、ここは心の中だ。黒真珠はオレの本体にあるけど、それを心の中に持ってくる方法なんて、分かりっこない。 「心配いりません。今、あなたの身体を支配しているヒロユキに頼みました。 レアの言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼女の胸元に黒真珠が浮かび上がった。 途端に神々しいぐらいの光を放った女神は、囚われた魔人に向かって毅然とした口調で言い放った。 「ダルク=ファクト……闇に堕ちし六神官の末裔よ。汝の罪が裁かれる時が来ました。 そう言ってから、レアは振り返って目線だけでアドルを招く。 オレにとっては、その輝きは思わず見とれてしまうぐらい綺麗なものに見えた。だが、魔の眷属にとってはどうやら違うらしい。 「フ……ッ、女神ともあろう者が黒真珠を我がものとし、クリスティン家の末裔の力を変りてまで、他者に死を賜るとはな。 脅しじみたダルク=ファクトの言葉に、レアは眉一つ動かさなかった。女神ならではの輝かしさで、静かに告げる。 「それは、あなたが気にすべきことではありません。 その声はどこまでも毅然としていながら、ひどく優しかった。そして、その声を後押しするように、アドルの声が力強く響く。 「そうだぜ、ダルク=ファクト。 「ククッ……よりによって、イースの本をそろえし勇者が我を導くか……それも、よかろう。 それが、ダルク=ファクトの最後の言葉であり、最後の高笑いだった。傲慢で王者然とした笑い声を立てながら、ダルク=ファクトの姿は薄れていく。 「……これで、ダルク=ファクトは天に召されました。それと同時に、ダームがかけた呪いが残らず消滅したはずです」 それを聞いた時の安堵感と来たら、なかった。それこそ、躍り上がって叫びたい歓喜が込み上げてくる。 そういえば、ついでのようにオレはキースを思い出す。魔物に変身させられたあいつも、今頃元に戻っただろうか。 「さて……おまえを本来の身体に戻す前に、約束を果たすよ」 「約束って……もしかして、オレの両親って話か?」 うっかり忘れかけるところだったけど、アドルに協力する時に確かにそんな約束をした。 まあ、正直に言ってしまえば、オレとしちゃ今更親に未練があるわけでもないし、どうでもいいと言えばどうでもいい。 「おまえとの約束でもあるけど、それ以前から約束していたことがあるんだ。 そう言ってから、アドルはレアに目をやる。 「レア、力を貸してくれ」 「喜んで」 嬉しそうに微笑むと、レアは両手を自分の胸の前で組み合わせ、ゆっくりと開く。手の間からピンク色の光が生み出される。 「さあ、どうぞ。これを受け取ってください……そうすれば、あなたは過去なる真実を手にすることができます」 意味ありげなその言葉の意味なんて、オレに分かるはずもない。それに、両親のことを知りたいわけでもない。
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