Act.27 過去への旅(1)

 

「……?!」

 目を開けた時には、オレは見たこともない場所にいた。
 神々しいまでに白い柱が何本も建ち並び、塵一つ見えない程に磨き込まれた床が広がる場所  おそらくは神殿だろうと思える場所にいた。

 いつ、どうやってここに来たのかなんて分からないし、見覚えも全くない。
 呆気に取られているオレの目の前に、一人の女が走ってきた。
 真っ白で、裾も袖も長い独特の衣装は巫女の物だ。どう見ても走るのには向きそうもない格好なのに、その女は必死だった。

 大事そうに両手に荷物を抱え、ひどく焦ったように走る女は勢いよくこちらに走ってくる。
 まるでオレが見えていないような勢いで走る女は、よけようとする素振りなど全く見せない。

 このままだとぶつかる――そう思った瞬間、女はオレの身体を突き抜けてそのまま走り抜けた。

「えっ?!」

 驚くオレを置き去りにして、女はそのまま走っていく。
 と、その時、レアの声が聞こえてきた。

『そこは、過ぎ去った過去の世界の記憶です。今、あなたが見ているものはすでにこの世にはない残像――ですが、確かに過去に起こったことなのです。

 アドル=クリスティンの望みにより、私はあなたの意識を過去の世界……17年前の神殿へと飛ばしました。
 回りの人にはあなたを見ることも触れることもできませんし、あなたも過去には干渉できません。ですが、あなたは周囲を自由に見ることができます』

 静かな、落ち着き払った女神の声が聞こえる。だが、それよりもオレはなぜか、走り去った女の方が気にかかった。
 と、その心を読んだ様に女神が促す。

『ここに、あなたが知らなかった18年前の真実があります。あなたが得心いくまで、見定めてください』

 その声と同時に、女神の気配がスッと消えた。念のため、心の中を探ってみたがアドルの気配もなければ、ヒロユキの気配もない。呼び掛けてみても、誰も応じてはくれなかった。

   後は、オレの勝手にしろってことか。
 どうしていいか分からなかったが、オレはとりあえず女の後ろ姿に目をやった。
 彼女が気になる……そう思うオレの心に反応した様に、オレの視点というか身体が一気にそちらへと近付く。

 気が付くと、オレは空を飛んでいた。
 丁度、彼女を少し上から見下ろす様な高さを飛んでいる事実にやや驚いたが、とりあえずオレはその驚きはしまいこむ。

 まあ、考えてみれば魔王だの勇者だの女神だのと、常識外れな連中に関わってしまった後で、今更こんなことぐらいで驚いてたって始まらない。
 それよりも今は、あの女の方が気になる。

 オレは、まじまじと彼女を見つめた。だが、何回見てもやっぱり知らない女だ。
 見たところ、かなり若そうだ。
 化粧っけが全くないが、だからこそ年齢の推察は容易だった。せいぜい20才かそこらか……まあ、そんなものだろう。

 肌の露出を極端に隠した凝った衣装に、髪も独特のベールで覆った格好から見て巫女なのだろうとは見当はつくが、オレの記憶の中に彼女の顔はない。

 強いて言うのなら、目許の辺りとか品のある感じがアドルに似ているとは思う。だが、今オレが感じている懐かしさは、知り合いに似ている人に会ったから、というのとは少し違う気がした。

 そんな表面的な理由とは別に、奇妙な程に気になる女だった。もう少しで思い出せそうで思い出せないそのもどかしさに苛立つオレの目の前で、彼女が躓いた。

「わっ?!」

 危ない――そう思って思わず手を出したが、オレの手は見事に空ぶった。まるで空気を掴もうとしたかのように、オレの手は空しく彼女の身体をすり抜ける。
 女神が言った通り干渉不可能……オレは一切の手出しはできないってわけか。

 それにも苛立ちを感じたが、だからと言ってオレには何もできない。転びそうになった彼女が、せめて怪我でもしない様にと祈るしかできなかった。
 幸いにもその祈りが聞いたのか、彼女はよろめいたものの何とか転ばずに踏み止どまる。 だが、その弾みに髪を覆っていたベールが取れてしまい、長い髪がフワリと広がった。
 

「……っ?!」

 いきなり目の前に広がった、癖のない見事な赤毛。
 それを見て、ようやくオレは思い当たりが浮かぶ。だが、オレは即座にそれを否定した。


(いや……有り得ないって!)

 強く自分で自分の考えを否定したが、一度浮かんだ疑惑が胸を疼かせる。だからと言って、目を逸らすなんてできなかった。
 アドルにどこか似た、だが奴に比べるとずっと女性らしいその顔を見つめながら、オレはその行動を見守る。

 神殿の外は、夜だった。
 月もない真っ暗な闇。普通なら、明かりがほしいところだ。だが、過去を見物しているオレにはなぜかその闇にも関わらず問題なくよく見える。

 しかし、彼女の方はそうはいかないだろうに、それでも彼女は足を止めなかった。暗闇を恐れることなく、明かりもないまま一心に駆けていく。
 神殿から森を抜けて駆け続けていた彼女は、川辺まできてやっと足を止めた。橋のたもとに来てから、彼女は肩で息をしながら胸に抱えていた物を抱え直す。

 しっかりと布で覆われた『それ』が開かれると、中から見えたのは赤ん坊だった。半ば予測していただけにオレは驚きはしなかったが、彼女が愛しむような目でその赤ん坊を抱き締めたのには驚いた。

 子供が可愛くて可愛くて堪らないとばかりに自然に浮かんだ微笑みのままで、彼女はあやす様に子供の頬を撫でる。
 もっとも、赤ん坊はそれにほとんど反応しなかった。

 妙にグニャグニャと頼りない感じの赤ん坊は、おそらく生まれてからそう間も経っていないのだろう。
 外に連れ出すのもまだまだ早すぎるんじゃないかと危ぶまれる程に小さな赤ん坊は、目が見えているかどうかも怪しい。

 母親のあやしにさえろくに反応できない小さな赤ん坊を、それでも若い彼女は幸せそうに抱き締めている。
 だが、その笑顔が見る見るうちに消え、目から涙が溢れだした。

「ごめんね……っ、ごめんなさいね……っ、でも、これしかないの……!」

 泣きながらそう言い、彼女は赤ん坊を抱き締めながら何かの呪文を呟く。その途端、眩い光が赤ん坊と彼女の身体に同時に浮かび上がるのが、服の上からでも見えた。
 それは一瞬で消えたものの、その場所がどこだったのかはオレの目に焼き付いた。丁度、胸元当たりに浮かんだ、小さな赤い魔法陣。

 光が見えたのは一瞬だが、それがどんな形をしているのかはオレは嫌という程よく知っている。
 思わず、オレは自分で自分の胸元を押さえていた。

 不思議なことに、彼女に触れることもできないのにオレはオレの身体には触ることができる。その皮肉に苦笑しながら、オレは確かめる様に自分の胸元に目を落とした。
 今まで何度となく入れ墨と間違えられた、小さな魔法陣を。

「ごめんなさい……っ!! 許して、とは言わないわ……恨んでくれても構わない。でも……生きて。
 お願い、どうか、元気で……っ」

 うわ言のように赤ん坊にそう語りかけながら、彼女はひどく辛そうに小船に赤ん坊を乗せた。
 そして、濡れるのも厭わずに川に入り込み、小船をそっと押しやる。

 船が転覆せずにきちんと流れるかどうか不安なのか、しっかりと支えながら船を押す彼女は大変そうだった。
 明らかに肉体労働に向いていない格好な上に、そんな経験もないのだろう、彼女の動作はひどく不慣れそうだ。

 いくら小さいとは言え、船は船だ。女性の華奢の手にはあまる。
 だが、それにも関わらず彼女はまるで揺籠を揺らす様な丁寧さで船を支え、中にいる赤ん坊を愛の籠った目で見つめている。

 オレはその光景を、呆然として眺めていた。
   この世界に干渉できないオレには、気温を感じることはできない。だが、枯れた木々を見れば晩秋か冬に近いのは一目で分かる。

 その時期の川なら、身を切るような冷たさだろう。
 でも、その冷たさや辛さを彼女から感じ取ることはできなかった。子供のためならばどんな苦労をも厭わない母親の顔が、そこにはあった。

 我が子を守るために、彼女は必要ならいつまででもそうして冷水に身を晒して子供の乗った舟を庇っているのではないか……そう思えた。

 だが、背後の森から人の名前を呼びながらやってくる人々の気配と、多数の明かりが感じられる様になると、彼女は毅然とした表情でそちらを見た。
 それから、最後にそっと赤ん坊に触れる。

「さようなら、ランディ――!!」

 その言葉と同時に、彼女は船から手を放した。支えを失った船は見る見るうちに速度を上げ、川を下っていく。
 夜陰が、それを隠していた。

 しばらくそれを見送っていた彼女は、やがて溜め息をついて川から上がる。と、それを待ち兼ねていていたように、大勢の人間が彼女をやってきた。
 神官風の衣装を見にまとった男や、物々しい格好をした兵士達は、武器を手に彼女を取り囲む。

「ティナ様!! お探ししましたぞ!」

「さあ、神殿にお戻りを!! あなたはただでさえ巫女にあるべからざる不祥事を起こした身なのですぞ、もっとご自重していただかねば……!」

「いや、それより……お子は?! ランドルフ様はどちらにいらっしゃるのですか?!」

 頭ごなしに怒鳴りつける追っ手に向かって、彼女  ティナと呼ばれた女は、静かに言い返した。

「遅かったわね……あの子は、もうここにはいないわ」

 ティナの言葉に、男達が一斉に怒号をあげる。見苦しいぐらいに血相を変えて、自分の娘ぐらいの年の若い女に詰め寄った。

「なんということを! あの子は、いまとなっては六神官の……いや、世界の唯一の希望なのですぞっ。六神官の末裔として、いずれ世界を救うためにイースの本をそろえる使命をお持ちだというのに!」

「すでに魔王の出現は予知されているのです、こちらも勇者を育成して脅威に備えなければならぬというのに!」

「ランドルフ様はどこにっ?! お答えくださいっ、さもなくば多少強引にでも聞き出すことになりますよっ!!」

 脅しつけるかのような彼らの言葉に、ティナは怯えさえ見せなかった。

「どうぞ、ご随意に。
 私にもあの子の行方は、もう分からない。もう、誰もあの子を探せないわ。たとえトバ家の読心の力を持ってしても、分かりっこない。
 だって、私自身も知らないのだから」

 淡々と、突き放した様に言う若い娘の姿は、男達を説得するどころか激昂を誘うだけだった。

「なんということを……っ!!」

「ティナ殿はご自分のなさったことを理解しておいでか?! リィブ家の血を引く子を生んだ功績があるからこそ、あなたは巫女でありながら懐妊した不祥事を不問にされていたのですぞ!」

「これがどんな重罪に当たるのか……ティナ様はご承知されているのでしょうなっ?!」

 今にも彼女に掴みかかり、そのままリンチにしてしまいかねない迫力で怒鳴りまくる男達をティナは毅然と睨み返した。

「私は、咎など恐れないわ!」

 突然、声を荒げたティナに、男達は気を呑まれた様に一瞬静まり返る。
 その中で、彼女の声だけが響き渡った。

「リィブ家なんか、知らない! あの子は、私とあの人の間に生まれた子なの!
 元々、私は巫女の座を降りて、一人であの子を生むつもりだった。別に六神官の使命に関係なく、親子二人で静かに暮らせればそれでよかったの!!」

 血を吐く様な叫びが、夜の川に響き渡る。

「あの子に、使命を押しつけないで! だいたいあなた達も知っているくせに!! 六神官の末裔とはいえ、リィブ家は防御魔法に長けた家系……っ、戦いに向く血ではないわ!
 わたしは……、あの子には自由に生きてほしいのっ!!」

 その叫びを最後に世界は暗転する。周囲に帳が下りた様に黒く染まり、それから再び真っ白な光に包まれる。

 その眩しさに思わず目を閉じたオレが再び目を開けた時には、見慣れた灰色の小部屋にいた。
 そこには、レアとアドルが並んで立っていた。

「もう、分かっただろ?
 あれがおまえの母親……ティナだ。
 彼女はリィブ家の末裔と恋に落ち、巫女の座を降りて結婚するはずだった。だけど……不幸なことに、その前におまえの父親が亡くなったんだ。

 その後でティナの妊娠が発覚して、見ての通りに大騒ぎになった。
 結局、巫女の身でありながら子を生んだ罪で処罰を受けて姓も身分も剥奪されたが――オレにとっては母親の姉……伯母に当たる人だ」

 静かなアドルの説明を、オレは半ば呆然としながら聞いていた。あまりにも唐突に知ってしまった真実に、感情が追いついてこない。
 なのに、アドルはそんなオレに対してさらに驚くべきことを言ってのける。

「なあ、ユーロ。
 おまえ、5才の時に大怪我をしただろ」

「えっ?!」

 なぜ、それを知っているのか――オレの驚きはそのまま、顔に出ていたらしい。アドルはどこか面白がっている様な調子で、さらに言葉を続ける。

「溺れて死にかけたのは、7才の秋の時。8才の冬には、凍死しそうになったはずだな。 10才はトラブル続きだったはずだ。死にかけたのは、4、5回はあったよな。
 それからは少し落ち着いてたけど……13才の時に、悪性の肺炎を起こしただろ」

「な、何で知ってるんだよっ?! しかも、そんな詳しくっ?!」

 アドルの言ったことは、見事なまでに当たっている。
 だが、そんなことが分かるはずがないのに。
 孤児の記録なんて、結構残っているようでいい加減なものだ。

 典型的なお役所仕事という奴で、今現在孤児院にいる子の記録は残すが、余所に行った子の記録や、その孤児院に入る前の記録などはおざなりなものだ。
 その結果、孤児院を移動してしまうと、その孤児の行方や経歴は掴みにくくなる。

 子供をいずれ引き取るつもりで孤児院に置き去りにし、何年か後に親が迎えに来たのに擦れ違うなんて事故はしょっちゅうだ。
 移動を繰り返す程、孤児の病歴や怪我の記録などは失われていくものだ。

 まったく身よりのなかったオレは、孤児院側の都合によってあちこちの孤児院を転々として生きてきた。
 嫌気が差して孤児院を飛び出した後も、チンピラとして適当に裏通りで生きてきた。

 今となっては、オレの病歴など育ての親だったシスターや神父にも分かりっこない。
 自分自身でさえ忘れかけていた過去を指摘されて驚くオレの目の前で、アドルは不敵に笑う。

「なんでかって? 今度は、オレの記憶を見せてやるよ」
                                    《続く》

 

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