Act.1  土曜の晩に、窓の外から

  

 それはお父さんとお母さんの『外出日』の土曜日の夜のことだった。

「お父さん逹は今日も遅くなるから、いつものように先に休んでいなさい」

「あまり夜更かししないのよ。深夜映画なんか、見ちゃダメだからね」

 二人のお決まりの注意を右から左へと聞き流し、ぼくは二人に向かって手だけを振った。


「分かってるよ、じゃ、いってらっしゃい」

 


 いつものことだけど、うちのお父さんとお母さんは土曜日の夜になると、一緒にお食事だのダンスだの映画だのに行ってしまう。
 そして、ぼくはいつも一人っきりでお留守番。

 夜遅くまで一人っきりで留守番するのは、ぼくみたいな子供には寂しいんじゃないかってよく言われるけど、その度にぼくは、たまには一人でいるのって気軽でいいんだって答えるんだ。

 普段は『趣味が悪い』って眉をひそめられる、大好きな吸血鬼の本や怪奇物をなんの遠慮もなしに読めるし、ベッドの中におやつを持ち込んだって叱られることもない!
 それに、今晩みたいなスリラー映画がある日には本気で助かる。
 だってお母さんが家にいたら、夜の11時からはじまる映画なんて絶対に見せてくれないもの。

 だから、その晩もぼくはいつものようにお母さん達が出ていった後、自分の部屋で毛布にしっかりくるまり込んで、ゾクゾクするようなフランケンシュタインのお話を読んだ後、電気を消して映画を見ることにしたんだ。

 月明りだけの部屋はすっごく怖くて、まるで全然知らない部屋にいるみたいな気分にさせられる。
 まだスポーツニュースなんかやっているテレビを見ている時、ぼくはふと、喉が渇いていたことを思い出した。

 おかしはたっぷりと用意しておいたんだけど、ジュースは……冷蔵庫の中のりんごジュースが、突然、飲みたくなった。
 ――でも、そこに行くには、暗い廊下をずぅっと歩いていかなくっちゃなんない。

 正直、さっき読んだばかりのフランケンシュタインの顔が頭にこびりついて、安全で安心感のあるベッドの中から出るのは嫌だったんだけど  どうしてもジュースが飲みたくなって、ぼくは仕方なく起きあがった。

 なにも、怖いことなんてない。
 ここは生まれた時からずっと住んでるぼくの家だし、今までお化けも幽霊も一度だって出てきたことないんだから  そう自分に言い聞かせても、やっぱり、怖いもんは怖いっ!
 

 電灯が壊れっぱなしの暗い廊下が、まず怖い。
 洋服かけにかかっているコートが、首吊り死体みたいに見える。今は、お母さんの仕事部屋の剥製のウサギまで怖かった。……いつもは、それで他の子供達を脅かして遊んでいるのに。

 ほとんど走るように台所にたどりつくと、ぼくはまずジュースを一杯飲んだ。
 その間も、耳はちゃんとそばだてておく。
 なんせせっかく楽しみにしていたスリラー映画だ、見逃したりしちゃもったいない。女の人の声――たぶん、映画の始まりを告げるアナウンスだ。

 ジュースの瓶を横に抱えて、ぼくは台所を飛び出した。
 でも、廊下の途中で、ぼくは『それ』に気づいた。
 ――音が、ふっつりと途絶えた?

 誰かがぼくの部屋に忍び込んできて、テレビを消したんだろうか……恐ろしい予感に体が震える。

 夜、留守の家に空き巣に入って、邪魔をする奴は皆殺しにしてしまう、ナイフやピストルを持った、ストッキングで覆面をした男達……。
 そう言えば、窓をあけっぱなしにしといたんだっけ――。

 ――ガタン!!
 突然、すぐ近くでおっきな音がして、ぼくは飛び上がるほど驚いた! いつの間にか手から滑り落ちたりんごジュースの瓶が、落っこちてコロコロと転がっていく――ぼくは、息を殺して立ちすくんだ。

 でも、何も起こらなかった。
 ――なんでもないことなのかもしれない。
 ぼくは、少し緊張を解いた。テレビの故障か停電か――そんな、あっさりと説明のつくことなのかもしれない。ぼくは瓶を拾って、自分の部屋のドアをそっと開けた。

 ミシッ……。
 聞き慣れない、妙な音がした。どうやら、窓の方から聞こえてくるようだ。
 カーテンに、月の光を浴びてくっきりとした人影が映った――ような気がした。恐怖心と、怖いもの見たさの好奇心と……その板挟みになって、ぼくはそろりそろりと窓に近づいていった。

 ミシリ……ッ。
 再び聞こえた音に、ぼくは立ちすくんだ。
 風に揺れているカーテンの向こうの窓台の上に何者かが座って、じぃっとこっちを見ていた。

 ――なんて、恐ろしい姿!!
 ぼくは今まで一回も気絶したことはないけど、今日はその初めての日になるかと思った。
 血のように赤い、猫のように底光りのする眼が、青白い顔の中に浮かび上がっている……!

 もじゃもじゃの髪は、まるでたてがみのように黒いマントにまで垂れ下がっていた。
 大きな口ががばっと開いて、また閉じる。
 その拍子に、真っ白に光るナイフのように鋭い歯が、ガチッと恐ろしい音を立てた。

「……っ?!」

 あまりに恐ろしさに、心臓が止まりそうだった。
 今、目の前にしているものが、信じられない――でも、本当のことなんだ。今までに見た、どんな恐怖映画よりも恐ろしい。
 こんなに恐ろしいものを、ぼくはまだ見たことがなかった……。

 そいつが、ニヤリと笑う。
 ぼくが死ぬほど怖がって震えているのを、おもしろがっているように。
 笑う口元から鋭く尖った長い牙が、ニュッと現れた。

「きゅっ……吸血鬼…?!」

 思わず叫んだ時、そいつが初めて口をきいた。

「そうさ、吸血鬼だ!」

 地獄の底から響いてくるような、不気味な声――。
 言うが早いか、そいつはさっと飛び込んできて、ドアの前に立ちはだかった。逃げ場をふさがれたんだと気づいた時にはもう、どこにも逃げられなくなっていた。
 互いの位置が入れ替わったせいで、月明りを受けたそいつの顔がよく見えた。

 黒いマントに、映画でしかお目にかかれない古めかしい服装  子供の姿をしているとはいえ、そいつはまさしく映画の中から抜け出してきた吸血鬼そのものだった。

「怖いのか?」

 そう聞かれても、ぼくは返事ができなかった。恐怖にすくみ上がって、喉がカラカラに乾いてしまっている。

「弱虫だな。そんなにビクビクするなよ」

 吸血鬼がジロジロとぼくを眺め回し、ちらっと後ろのドアに目をやる。

「おまえ、……一人か? 両親は?」

 答える勇気がなく、ぼくはただ震えていた。
 ああ、お父さんも、お母さんも、どうして、よりによってこんな晩に映画に出かけてしまったんだろう?!

「どうやら、おまえは一人でお留守番をしてるみたいだな。こっちには、都合がいいや」


 ぼくの表情から答えを読み取ったのか、吸血鬼はうれしそうにくすくす笑った。
 牙が、月の光を浴びて、キラリと光る。

「分かっているだろうが、オレ逹は血を吸って生きてるんだ」

「ぼ……ぼくのは、……ものすごく、わ、悪い血なんだ……。ぼくは、いつも……く、薬を飲まなくちゃいけないんだ……っ」

 やっとのことで絞りだした言い訳を、吸血鬼は鼻先で笑い飛ばした。

「哀れな奴だな。それ、本当か?」

 吸血鬼が、一歩、ぼくの方につめよった。

「ぼくに近づかないで!」

 悲鳴を上げ、ぼくは窓枠ぎりぎりまで後ずさった。
 だが、吸血鬼は、特に動こうとはしない。そして、かえって恐怖をかきたてる優しさで話しかけてきた。

「ああ、近づきゃしないさ。近づくのは、おまえだ」

「え……?」

「――さあ、オレの目を見るんだ」

 抗うことは、できなかった。
 何か、ものすごく強い磁力に引きつけられるように、ぼくは光る赤い目を見ていた。
 頭のどこかで、見ちゃいけないと警告する声が聞こえる。

 でも、どうしても赤く光る目から目を反らせなかった。頭がボーッとなって、体の力が抜けていく――こんなことって……。
 ぼくの手から再びりんごジュースの瓶が落ちて、コロコロと転がっていった。

「そう、こっちにこい。心配するな、殺したりはしない。……それに、痛くだってないさ」


 ぼくの意思に反して、足が一歩前に出た。続いて、また一歩。操られたようにぎくしゃくと、ぼくの体は勝手に動いていく。
 吸血鬼が待ちかまえている所へと……!

 もうダメだ!! 
 そう思って目を閉じた時、ザシャッという音と同時に、足に何かひっかかった感触があった。目を開けると、床一面に色とりどりの丸い球が広がっているのが見えた。

 一瞬、何がなんだか分からなかったけど、すぐにそれがベッドの脇に置いておいたボールガムだと気づいた。おばあちゃんにたくさんもらったんだけど、そんなに好きじゃないし、困ってその辺に投げ出しておいたんだった。

 ぼく同様、目をぱちくりさせていた吸血鬼が突然笑い出した。普通の子供みたいな、明るい笑い声だった。

「うわっ、ボールガムだ! きれいだなあ」

 声も口調も、ずっと優しくなる。
 ぼくのことなんか忘れたみたいに、吸血鬼はその辺のボールガムを拾い上げて、手の上で転がした。

「ずっと前、オレもこんなのをおばあちゃんからもらって、持っていたっけ」

 懐かしそうに呟き、パクンとその一つを口にほうり込んだ。――と、思うや、ガムをぴゅっと吐きだし、ゼイゼイ言いながらものすごい勢いで咳き込みだした。
 恐ろしい呪いや罵り言葉が、吸血鬼の口を突いてでる。

 いつの間にか体が自由に動くようになったので、ぼくはこれ幸いと机の後ろに隠れた。 そんなところじゃ隠れたって丸見えだし、吸血鬼にまた睨まれたら意味がないと分かっていたけど、少しでも身を隠さずにはいられなかったんだ。

 でも、吸血鬼は咳の発作ですっかり弱って、ベッドの上に座り込んで、しばらくは身動きもしなかった。
 ずいぶん時間を置いてから大きなハンカチをマントの下から引っ張りだし、長いこと丁寧に鼻を拭いた。

「また、やっちゃった。よ−く言われていたのにさ」

 うめきながら、吸血鬼がぼやく。
 それを聞いて、ぼくはもう好奇心を押さえていられなかった。とにかく、今は机の後ろに隠れているから、さっきよりはずっと怖くなくなっていたし。

「言われてたって、どうして?」

 吸血鬼が、ジロリとこっちを見た。でも、さっきみたいな不思議な目の光も、声もでないほどぼくを脅かした表情も、きれいさっぱり消え失せている。

「吸血鬼の胃は敏感さだからさ、おばかさん。甘い物は、オレ逹には毒なんだ」

 甘い物が毒だなんて――ぼくは、その瞬間、吸血鬼にすっかり同情してしまった。

「りんごジュースもダメかな?」

 聞いた途端、吸血鬼は恐ろしい声で怒鳴った。

「オレを毒殺する気かっ?!」

「ごめん、ちょっと思っただけなんだ」

 慌てて謝ると、吸血鬼は溜め息をついた。

「もう、いいよ。……やれやれ、すっかり気が抜けちまったぜ」

 どうやら、血を吸う気はもうなくしてしまったらしい。それに、ぼくのことを悪く思ってもいないみたいだ。――怖くは見えるけど、ホントはとってもいい吸血鬼なのかもしれない。
 吸血鬼って、もっとずっと恐ろしいものだと思っていたけど。

「……君、もう、年をとってるの?」

 思い切って聞いてみると、吸血鬼はあっさりと答えた。

「ああ、ものすごく」

「でも、ぼくと……おんなじぐらいに見える」

 背比べしたわけじゃないからはっきりとは言えないけど、吸血鬼はぼくよりちょっと高い程度の背丈しかないみたいだ。

「それがどうした? オレは小さいガキの時、死んだんだ」

「ふうん、そうかあ。じゃあ、君はもう死んでる……んじゃなくて、お墓を持っているんだね?」

 ぼくの言い方の何がおかしかったのか、吸血鬼はクックッと笑った。

「来たかったら、来てもいいぜ。日が暮れてからじゃないとダメだけど。昼間はオレ逹、眠ってるんだ」

「ぼく、全部知ってるよ」

 吸血鬼の気安さにホッとしたぼくは、今まで冬眠前のリスみたいにせっせとため込んできた吸血鬼の知識を披露できるのがうれしくて、自慢げに話しだした。

「吸血鬼は陽の光に当たると死んじゃうんだろ。だから、夜があける前にお墓の中に戻れるように、吸血鬼はいつも夜はささっと行動しなくちゃならないんだ」

「頭いいじゃないか」

 吸血鬼が、意地悪く口端を歪める。再び、彼の表情が険しくなったことに、ぼくはうかつにもその時はまるで気がつかなかったんだ。

「そして、人間に居場所がバレると心臓に杭を突き立てられるんだ」

 調子に乗ったぼくは、つい口を滑らしすぎたらしい。
 吸血鬼が腹立たしげにうなりながら、こっちを睨んだ。その瞬間、恐怖が復活してぼくは机の下から飛び出してドアの方へと走り出した!
 でも、吸血鬼の動きは素早かった。

 あいつの方がドアから離れていたにも拘らず、ぼくがドアのノブを握った時はもう、その手首を掴まれていた。
 唖然としているぼくのすぐ目の前に、吸血鬼はいた。

「あ……」

 ものすごい力だった。
 ぼくよりもずっと細い手なのに、片手で軽く掴まれているだけなのに、骨が折れるかと思うぐらいに手が痛む。

「吸血鬼に詳しいのがご自慢なら、ついでに吸血鬼が杭のことを言われると頭に血が昇るってことも知っているよな?」

 低い、ドスのきいた声にぼくは震え上がった。今度こそ、血を吸われてしまう――。

「わ、分かったよ。……ぼ……ぼくは、君を怒らせるつもりなんか、なかったんだ」

 つっかえながら、ぼくは必死に言い訳した。
 吸血鬼はぼくと部屋の中をジロジロ見比べてから、聞いてきた。

「……変な質問ばかりすると思ったら、この部屋、吸血鬼だらけだな」

「う……ん。ぼく、吸血鬼にすごく興味があるから……」

「へえ?」

 吸血鬼の目が、キラっと光った。
 牙がかちっと音をならし、真っ赤な舌がものほしげに唇をなめる。

「――おまえ、吸血鬼になりたいの……?」

 優しげな声――でも、答え方を間違えたらそのまま襲いかかってくるような雰囲気が、確かにあった。
 それだけに、ぼくは激しく混乱して必死になって思考を巡らせる。

 機嫌を取るためになりたいって言おうか?
 いや、やっぱり嫌だ! 吸血鬼は好きでも、自分でなりたいなんて一回だって思ったことはないっ!!

「……な、なりたく……ない。ぼく、絶対に……吸血鬼に、なりたくないんだ!」

 それで、吸血鬼をよけいに怒らせることになるのは覚悟の上だ。
 だが、吸血鬼は別に怒ったりはしなかった。
 少しだけぼくの手首を握りしめる力を緩め、吸血鬼は意外にも穏やかな口調で聞いてきた。

「なりたくない? ――仲間になんなきゃ、ここで殺されるって言われてもか?」

 それを聞いた時のぼくの恐怖ったら!!
 吸血鬼になるか、死ぬか――究極の選択とは、まさにこのことだ。どっちもいやだけど、どちらか一つと言ったら――。

「……そ……それでも、嫌だ……。ぼくは……人間のままでいたい……!」

「そうか」

 吸血鬼は初めてニッコリ笑って、ぼくの手を離した。

「おまえ、おもしろい奴だな……気にいった!」

 笑いながらそう言う吸血鬼は、もう、あんまり怖くは見えなかった。

「それはそうと、おまえ、なんて名前なんだい?」

「ぼく? ぼくは、アントン。君は?」

「リュディガーだ」

 ――リュディガー? ……変な名前!
 あやうく吹き出しそうになったが、ぼくはぐっとこらえた。ともかく、吸血鬼を怒らせるのはもうこりごりだ。

「いい名だね」

「そうかなあ?」

「そうだよ。君にぴったりだ」

 褒めると、吸血鬼――リュディガーはすっかり気をよくしたみたいだった。

「アントンってのも、いい名だな」

「そんなことないよ。学校じゃ、いつも笑われてるんだ。でも、うちのお父さんもアントンっていうんだよ」

「ふうん」

「そして、うちのおじいちゃんもアントンっていうんだ。こんなの、イカさないよね」


「ホントはオレも、これまでずっとリュディガーなんてイカさない名前だって思ってたんだ。でも、慣れるもんさ」

 慰めるような口調で、リュディガーが言う。

「そうなんだ、慣れちゃうんだよね」

 互いの名前を愚痴りあいながら、ぼくは背筋がゾクゾクするような、ジェットコースターが動き出す直前のようなワクワク感を味わっていた。
 普通なら、おもしろくもおかしくもない会話――でも、それを話している相手は本物の吸血鬼なんだ!

 ぼくの部屋を物珍しげに眺め回しているリュディガーは、特に本棚に興味があるみたいだった。吸血鬼が、吸血鬼の本に関心を持つだなんて、ウソみたいだ。

「これ、おもしろそうだな、借りてもいいか」

 それは『ドラキュラ』の本だった。ぼくがなんにも言わないうちから手にとって眺めている。

「ああ、いいよ。でも、返してよ、分かった?」

「分かってるさ」

 うれしそうに、リュディガーはマントの下に本をつっこんだ。

「ところで、おまえはしょっちゅう、こんな風に一人で留守番をしているのかい?」

「土曜日はいつもさ」

「それで、おまえ全然怖くないの?」

 吸血鬼がそんなことを聞いてくるなんて、なんだか変な気分だった。
 今まで大人や子供、いろんな人に同じ質問をされたけど、まさか吸血鬼にそんなことを聞かれるなんて!

 いつもなら気楽でせいせいすると強がりを言うところだけど、さっきさんざん怖い目にあった今は、そんな強がりを言う余裕はなかった。
 だからぼくは、ちょっとだけ本音をこぼす。

「……ホントは、怖いんだ。夜に一人っきりでいるのってさ」

「オレもさ」

 思いもかけず、リュディガーがうなずいた。ぼくが驚いてリュディガーを見返すと、あいつは照れたように笑った。

「特に、暗いとな。オレ、あんまり夜目が効かないんだ」

 猫のように光る目を瞬かせて、リュディガーは言った。

「うちの父さんはいつもぼやいてるぜ。『リュディガー、おまえは吸血鬼じゃない、おまえはおくびょうもんだ!』って」

 大袈裟に嘆いてみせる吸血鬼と、ぼくは目を見合わせて笑った。

「君のお父さんも吸血鬼なの?」

「あったりまえさ! いったい、何考えてんだい」

「じゃ、君のお母さんも?」

「もっちろん。それにうちの妹も、兄貴も、おばあちゃんも、おじいちゃんも、叔母さんも、叔父さんも、従兄弟も」

「ひゃあっ、じゃ君の家族、全部?」

 思わず大声を出してしまう。

「そうさ、うちはみ〜んな、吸血鬼一族だ!」

 リュディガーが威張って答える。
 ぼくはすっかり羨ましくなってしまった――吸血鬼だってことじゃなくって、とびっきり珍しい家族がたくさんいるってことが。

「うちの家族は、普通なんだ」

 ぼくは溜め息まじりに、訴えた。

「お父さんは会社で働いていて、お母さんは学校の先生でさ。兄妹はいないんだ。分かるだろ、うちがどんなに退屈か」

 リュディガーが、同情的にぼくを見る。

「うちなんか、いつもてんやわんやだ。家族が多いし、それに吸血鬼ってのはいつもごたごたに巻き込まれるんだから!」

「どんな? ちょっと、話して聞かせてよ」

 これで、ついに、本当の吸血鬼の話が聞けるぞ!
 ぼくはこれ以上ない程ワクワクしたけど、リュディガーは突然そう言われて、戸惑っているみたいだ。

「何を話せっていうんだよ?」

「なんでもいいよ。ぼく、怖い話って好きなんだ」

「怖い、ねえ? オレが今まで体験したことで、一番怖い出来事は……あの墓守りの事件かな。その話、聞きたいか?」

「もちろん!」

「それじゃ、話してやるよ。あれは、ある――」

 言いかけて、リュディガーはふと口をつぐんだ。

「何か、聞こえないか?」

 と、言われても、ぼくはすぐには気がつかなかった。よぅく耳をすませて、やっと車の近づいてくる音に気づいた。

「聞こえる」

 窓から見下ろすと、マンションの駐車場に見覚えのある車が止まるのが見えた。

「お父さん達だ!」

 ぼくがそう叫んだ途端、リュディガーがぴょんと窓台に飛び乗った。

「あ…」

 せっかく知り合いになれた吸血鬼が、飛んでいってしまいそうなのを見て、ぼくは焦った。

「待ってよ、また……来るんだろ? ぼくの本、いつ返してくれる?」

「来週にな!」

 一言叫んで、リュディガーは空に身を踊らせた。
 マントを広げて飛び去る姿が、明るい三日月をさえぎる黒い影となって遠ざかっていく。
 人が――正確に言えば吸血鬼だけど――飛んでいくのを見るのは初めてで、ぼくはその不思議な、でもなんとなく心惹かれる姿を見送っていた。

 けど、玄関からガチャガチャいう音が聞こえてぼくはやっと正気に返った。こうしちゃいられないっ!
 慌てて窓とカーテンを閉め、ベッドの中に潜り込み、眠ったふりをする。

 お父さんとお母さんが、廊下を歩いている足音が聞こえた、それがぼくの部屋の前で立ち止まり、ドアがそっと開かれた。

「アントンは眠っているみたいね」

「そらごらん、考え過ぎだよ、ヘルガ。うちの窓から人影が飛び出した、なんて。窓もちゃんと閉まっているじゃないか」

 ――あ、危ないところだった!
 ぼくは内心冷や汗をかきながら、目を閉じて寝たフリを続けた。
 お父さんとお母さんが立ち去り、一息ついてから、ぼくはようやく今夜起こった、信じられない出来事を思い返してみた。

 死ぬほど怖かった、暗闇の侵入者。
 でもそれはどことなく親しみを感じさせる、人間と同じように闇を怖がるちびっこ吸血鬼だった。

 ボールガムなんかに気を取られたり、自分も吸血鬼のくせに吸血鬼の本を読みたがったり!
 ――ぼくは思いだし笑いを、必死に噛み殺した。

 リュディガーは、来週と言った。――また、来週の土曜日にはあのちびっこ吸血鬼と会えるんだ!
 一週間も先なのに、今からワクワクしてしまう。

 いつもはちょっぴり憂鬱な土曜日が、今は待ち遠しくてたまらない。すっかり興奮してしまって、ぼくはなかなか眠れなかった――。                                         《続く》

 

2に続く→ 
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