Act.4 もう一人のちびっ子吸血鬼 |
ふわりと屋上に下り立ったのは、黒いマント姿の、リュディガーとほぼ同じ背格好をした男の子だった。 リュディガーの従兄弟っていうから似てるかと思ったけど……少なくとも、外見はあまり似ていないみたいだ。 「やあ、リュディガー。ひさしぶり……ずいぶんと長く、会わなかったね」 ぼくが見えていないかのようにリュディガーだけに挨拶したテオの目は、いかにも冷たそうな青だった。 「ああ。ずっと会わなくてもかまわなかったけどな」 ぶっきらぼうに、リュディガーが返事をする。 「おやおや、ご挨拶だね。まあ、いかにも君らしい無礼な言い方だけど」 テオは、リュディガーの憎まれ口なんか気にもしていないとばかりに、格好をつけてマントの埃を払う。 「だったら、どっかへ行きゃあいいだろ。オレはおまえになんか、用はないよ」 つっけんどんにリュディガーが言ったが、テオは皮肉に言い返した。 「ぼくだって、君には用はないよ、リュディガー! でも そこにいる吸血鬼のマントを着た人間は、是非、紹介してもらいたいね」 ぼくには関係のないことと思ってぼーっと脇で会話を聞き流してたら、突然、ぼくのことを言われてギョッとした! 「リュディガー、まさか掟を忘れたわけじゃないだろう? テオの言葉にリュディガーの顔が強張るが、ぼくの顔はきっとその百倍以上は強張ったに違いないっ!! 吸血鬼にそんな掟があるだなんて初耳だけど、リュディガーの顔つきやテオの言い方で、それがものすごく厳しいものだってことは分かる。 「でもさ、リュディガー。もし、君がただ、その獲物を非常食として連れ歩いているんなら、別に問題はないわけだ。 それを聞いた時の恐怖と言ったらなかった! 「何、バカ言ってるんだよ。オレが人間なんか、連れ歩くわけないだろう? こいつはれっきとした吸血鬼さ」 「見え透いた言い逃れを言うなよ」 テオがそういうのは当然だろう。……はっきり言って口からで任せもいいところの、大ウソなんだもん。 「オレがウソをつくと思うのか? こいつは吸血鬼だ――つい最近知り合ったんだよ」 ウソだ、ウソだ、大ウソだ! テオもそう思ったのか、迷うようにぼくとリュディガーを見比べだした。 「本当か? ……リュディガー、それなら確かめさせろよ」 ぎらぎら目を光らせながら、テオは喉をごくりとならす。 だけど……ぼくは震え上がらずにはいられない。 恐怖に凍りつきながらも、ぼくはリュディガーから目を離せなかった。 「こっちに来いよ。そんなに離れてちゃ、手も届かない」 恐怖より先に感じたのは、諦めだった。 「何をしている? 来いったら!!」 苛立った声で呼ばれて、ぼくはおずおずと歩き出した。 目を輝かせているテオをできるだけ見ないようにして、ぼくは柵の上に立っているリュディガーの側へのろのろと歩いていった。 「こいつの正体を確かめたきゃ、追ってきな、テオ!」 叫ぶなりリュディガーは一瞬でぼくの腕を掴むと、ジェット機みたいにすごい勢いで空を飛び出した! 「わっ……わわわっ!?」 ぼく自身はまったく飛んでないのに。文字通り、荷物としてリュディガーに引っ張られているだけなのにも関わらず、すごいスピードだった。 「わ……わ、な、何っ?!」 息が詰まりそうな早さと何かにぶつかるかもしれない恐怖に、ぼくは思わずもがいた。と、すぐにリュディガーに怒鳴られる。 「動くな! バランスが狂う!! しっかりオレにしがみついてろ!!」 「う、うん!」 逆らうことすら思いつかず、ぼくは目をギュッと閉じてリュディガーの腕にしがみついた。 だって、後ろから誰かが追ってくる気配がするんだもんっ。それが誰かなんて、聞かなくっても分かる。 だけど、そんなのは余計な心配だった。 「ほら、もう手を離せよ!」 「あ……う、うん……」 リュディガーにいわれるまで、ぼくは彼の腕にしっかりとしがみついていたことすら、自覚していなかった。 「……ここ、どこ?」 「知るかよ。多分、さっきの町から2つ3つ離れた町だろ」 そっけなく答えるリュディガーは、疲れたのかコンクリートの上にごろんと横になって、目を閉じる。 ……助かったんだという実感は、ゆっくりと沸きあがってきた。 それどころか、ぼくは疑っていた。 「…………ごめんね、リュディガー」 謝ると、リュディガーはぱちりと目を開けた。人間離れしたはずの赤い目が、テオの青い目よりもずっと暖かく見える。 「何を謝ってるんだよ、おまえは。普通は、こーゆー時は謝るんじゃなくて、礼を言うものじゃないのか?」 思いもかけないリュディガーの指摘に ぼくは、つい、笑ってしまった。 「そうだね ありがとう、リュディガー! 本当に、どうもありがとうね」 笑いながらお礼を言うと、リュディガーは照れたようにそっぽを向いてしまう。 「でもさ。大丈夫なの、リュディガー? 吸血鬼に掟があるなんて、ぼく知らなかったけど……」 「あたりまえだろ、吸血鬼だけしか知らない、吸血鬼の掟だ」 そう言って、リュディガーはひょいっと起き上がった。サーカスの軽業師みたいに、身軽な動きだ。 「けど、あんなの時代遅れさ! 本気で守っているのは、叔母さんとか大叔母さんとか、そんなのばっかりさ」 「でも……テオが言ってたじゃないか、なんとか言う叔母さんに言いつけるとかって。リュディガー、叱られない?」 恐る恐る聞くと、リュディガーはむしろおかしそうな顔をする。 「叱られないかって? ――とんでもない、これがバレたら殺されかねないぜ! 吸血鬼の掟を破る者には、死の制裁が待っているんだ」 脅すように、リュディガーは声を低める。 いかにも吸血鬼に相応しい恐ろしい掟 大袈裟だと笑い飛ばすことができないのは、『死の制裁』を口にした時のリュディガーが、ひどく真面目で、真剣な顔をしていたからだ。 「けどよ、テオにこの件を告げ口できるわけがないぜ! おまえが人間か吸血鬼か、あれじゃ区別できなかっただろうしな」 これは、ぼくにとっては嬉しい話だった。 「ホント? でも、テオはぼくが吸血鬼のマントを着た人間だって、言い当てたじゃないか?」 「あんなの、あてずっぽうさ。本当におまえが人間だと確信していたなら、あいつはとっくにおまえに襲いかかってる」 そこで一息つくと、リュディガーはかちっと牙を鳴らした。 「それに、この件を一族に報告するつもりなら、オレが突然逃げたってことも言わなきゃいけない。 ざまあみろと、リュディガーは声を立てて笑う。……従兄弟とはいえ、つくづく仲が悪いみたいだ。 「さ、そろそろ帰ろうぜ、アントン。オレ、もう疲れちまった」 「でも……平気かな? もし、……まだ、テオがどこかで待っていたら……」 さっきの恐怖が、まだ肌にこびりついている。あんなの、忘れようって言ったって、忘れられるもんじゃない。 「あいつはもう、とっくに棺桶に戻ってる! 力を使い果たせば、吸血鬼は眠るしかないからな。 「そうなの?」 はっきり言って、それは初耳だった。 「てっきり、ぼく、力を使い果たした時は人間を……」 疑問のままに言いかけて、ぼくは慌てて口を閉ざした。――こんなこと言ったら、今すぐ襲ってくださいって言ってるようなもんじゃないか?! 「もちろん、食事も必要だ。でも、疲れきったらまず睡眠が一番、疲れが抜けてから食事――それが順番さ。本当に疲れ切った吸血鬼は、そこがどこであろうとその場で寝入っちゃうぐらいだぜ」 「へえー」 ぼくもありとあらゆる吸血鬼の本を読んで、いっぱしの吸血鬼研究家になったつもりでいたけど、やっぱり本物にはかなわない。 「でもさ、それって危険じゃないかな?」 だいたい、吸血鬼って極端に太陽に弱いのに……もし、道端で眠り込んで朝になったりしたら、どうするんだろ? 「だから、早く帰ろうって言ってんだろ。ほら、いくぞ」 ぼくの腕を掴んで、リュディガーがまたぼくを引っ張るように飛び出した。でも、さっき追いかけられた時と違って、飛び方も手の引っ張り方もずっと穏やかだ。 自転車の初心者にあわせてゆっくりと走るより、そいつを荷台に乗せて走る方がまだ楽なように、リュディガーにしてみればぼくを引っ張って飛ぶ方が、飛ぶのが下手なぼくにあわせてゆっくり飛ぶのよりまだ楽なのかもしれない。 あんなスピードで飛んで帰り道が分かるかどうか心配だったけど、リュディガーはほとんど迷いもしないでちゃんと元の町へと戻っていく。 そんなことを考えていたら――突然、ぼくの手を引いているリュディガーが、がくんと高度を落とした。 「わっ?!」 「うあっ?」 ぼくとリュディガーの悲鳴が見事に重なり、ぼく逹は木の茂みの上にと落っこった! 「ど、どうしたの、リュディガー?! 気分でも悪いの?」 違う、とリュディガーが首を振る。 「力の限界がきちまった……くそっ、エナジーがほとんどないのに、さっき無茶な飛び方したからな……」 独り言のように呟きながらリュディガーは浮こうとするが、それはなかなかうまくいかないらしい。 「大丈夫?! 眠いの?」 こんな所でリュディガーが眠ってしまったら、朝には日の光がさんさんと当たってしまう! 「平気だ。でも、もうマント無しじゃ飛べない」 困ったような顔をして、リュディガーが言う。 「なら、マントを返そうか?」 と、言ってから、ぼくはマント無しじゃマンションに帰れないことに気がついたっ。それどころか、リュディガーがいなければ、マンションへちゃんと帰れるかどうか……。 そりゃあエレベーターで玄関から帰るって手もあるけど……万一それが見つかったら、お父さん達にどう言い訳すればいいんだ?! 「そうだ! アントン、まずおまえがオレを、オレん家まで送ってくれよ。家には、予備のマントがある。それを貸してやるよ。 思いもかけないリュディガーの提案に、ぼくは思わず息を飲んでしまった――。
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