Act.4   もう一人のちびっ子吸血鬼

 

 ふわりと屋上に下り立ったのは、黒いマント姿の、リュディガーとほぼ同じ背格好をした男の子だった。
 現代的でぼくと代わりのないジーパン姿なのが意外な気分だ。
 髪だって、リュディガーのように白に近い銀髪じゃない。よく見かける栗色だ。

 リュディガーの従兄弟っていうから似てるかと思ったけど……少なくとも、外見はあまり似ていないみたいだ。
 着地のために一度、しゃがみ込んだ彼は、気取ったしぐさでマントを翻しながら立ち上がった。

「やあ、リュディガー。ひさしぶり……ずいぶんと長く、会わなかったね」

 ぼくが見えていないかのようにリュディガーだけに挨拶したテオの目は、いかにも冷たそうな青だった。
 それにしても  こんな、傲慢で気障な奴なんて見たことがない! 初対面の人にいきなり悪印象を持っちゃ悪いけど、でも、それがぼくの第一印象だった。

「ああ。ずっと会わなくてもかまわなかったけどな」

 ぶっきらぼうに、リュディガーが返事をする。
 その答え方から察するに、リュディガーもテオがあまり好きじゃないみたいだ。

「おやおや、ご挨拶だね。まあ、いかにも君らしい無礼な言い方だけど」

 テオは、リュディガーの憎まれ口なんか気にもしていないとばかりに、格好をつけてマントの埃を払う。
 別に、埃なんかついてもいないのにさ!

「だったら、どっかへ行きゃあいいだろ。オレはおまえになんか、用はないよ」

 つっけんどんにリュディガーが言ったが、テオは皮肉に言い返した。

「ぼくだって、君には用はないよ、リュディガー! でも  そこにいる吸血鬼のマントを着た人間は、是非、紹介してもらいたいね」

 ぼくには関係のないことと思ってぼーっと脇で会話を聞き流してたら、突然、ぼくのことを言われてギョッとした!
 ぼくに見向きもしないと思っていたテオが、いつの間にか目を奇妙に光らせてこっちを横目で見ている……!!

「リュディガー、まさか掟を忘れたわけじゃないだろう?
 吸血鬼は、食糧問題以外で人間とかかわってはいけない……なのに、獲物にマントを貸して連れ歩くなんて、君のドロテー叔母さんが聞いたらなんていうかな?」

 テオの言葉にリュディガーの顔が強張るが、ぼくの顔はきっとその百倍以上は強張ったに違いないっ!!

 吸血鬼にそんな掟があるだなんて初耳だけど、リュディガーの顔つきやテオの言い方で、それがものすごく厳しいものだってことは分かる。
 と、リュディガーを責めていたテオが、一転して口調を柔らげる。

「でもさ、リュディガー。もし、君がただ、その獲物を非常食として連れ歩いているんなら、別に問題はないわけだ。
 君が頼むなら、黙っていてやってもいいよ。――従兄弟だものな。
 ただ、その代わり……ぼくも味見させてもらうけどさ」

 それを聞いた時の恐怖と言ったらなかった!
 本当に、もう少しでぼくは我を忘れて逃げ出すところだった  リュディガーが、こう答えるのを聞かなかったら。

「何、バカ言ってるんだよ。オレが人間なんか、連れ歩くわけないだろう? こいつはれっきとした吸血鬼さ」

「見え透いた言い逃れを言うなよ」

 テオがそういうのは当然だろう。……はっきり言って口からで任せもいいところの、大ウソなんだもん。
 だけど、リュディガーは信じられないくらい堂々と言った。

「オレがウソをつくと思うのか? こいつは吸血鬼だ――つい最近知り合ったんだよ」

 ウソだ、ウソだ、大ウソだ!
 けど、どこからその強気が出てくるのか、ちびっこ吸血鬼は自信満々に言い切る。あまりにもきっぱりとしているせいで、ぼくでさえ一瞬、リュディガーの言うことを信じそうになったぐらいだ。

 テオもそう思ったのか、迷うようにぼくとリュディガーを見比べだした。
 ああ、どうかこのまま納得してくれますように!! ――ぼくは頭が痛くなるほど必死にそう願ったけど、さすがにそんなに甘くなかった。

「本当か? ……リュディガー、それなら確かめさせろよ」

 ぎらぎら目を光らせながら、テオは喉をごくりとならす。
   ぼくはなんとか、テオから目をそらした。
 テオの青い目には、リュディガーみたいに催眠術をかけるような不思議な力はないみたいだ。

 だけど……ぼくは震え上がらずにはいられない。
 テオはともかくとして、リュディガーの赤い目にはぼくは逆らえない。はじめて会った時にそうだったから、分かっている。
 逃げようにも、二人の吸血鬼から逃げ切れるとは思えない……!

 恐怖に凍りつきながらも、ぼくはリュディガーから目を離せなかった。
 いったい、リュディガーは何て答えるつもりだろう……?
 ぼくとテオを見比べて――リュディガーは静かに、ぼくに向かって言った。

「こっちに来いよ。そんなに離れてちゃ、手も届かない」

 恐怖より先に感じたのは、諦めだった。
 吸血鬼と友達になれるだなんて、ぼくはどうして考えたりしたんだろう?
 結局、吸血鬼にとっては人間なんて獲物にすぎないのに…!

「何をしている? 来いったら!!」

 苛立った声で呼ばれて、ぼくはおずおずと歩き出した。
 逆らったところでリュディガーが本気になれば、また催眠術をかけられてしまうことは分かっていたから。
 なら、まだ自分の意思で動いた方がまだましだ。

 目を輝かせているテオをできるだけ見ないようにして、ぼくは柵の上に立っているリュディガーの側へのろのろと歩いていった。
 ――ああ、できるだけ痛くなきゃいいんだけど!
 ぼくが近づくと、リュディガーはようやく柵から飛び下りた。

「こいつの正体を確かめたきゃ、追ってきな、テオ!」

 叫ぶなりリュディガーは一瞬でぼくの腕を掴むと、ジェット機みたいにすごい勢いで空を飛び出した!

「わっ……わわわっ!?」

 ぼく自身はまったく飛んでないのに。文字通り、荷物としてリュディガーに引っ張られているだけなのにも関わらず、すごいスピードだった。
 後ろからテオが叫ぶ声が聞こえた気がするけど、それさえかきけすような猛スピードだった。

「わ……わ、な、何っ?!」

 息が詰まりそうな早さと何かにぶつかるかもしれない恐怖に、ぼくは思わずもがいた。と、すぐにリュディガーに怒鳴られる。

「動くな! バランスが狂う!! しっかりオレにしがみついてろ!!」

「う、うん!」

 逆らうことすら思いつかず、ぼくは目をギュッと閉じてリュディガーの腕にしがみついた。
 どうやらリュディガーはかなり低いところを飛んでいるらしく、時々、木の枝や葉っぱに当たる感触がしたけど、今はそんなのにかまってられる状況じゃない!

 だって、後ろから誰かが追ってくる気配がするんだもんっ。それが誰かなんて、聞かなくっても分かる。
 もし、追いつかれたらどうしよう  ?

 だけど、そんなのは余計な心配だった。
 猛スピードでどのくらい飛んでいたのかよく分からないけど、聞こえるテオの声はどんどん遠ざかり、後ろの気配もどんどん薄れ……気がつくと、ぼくはいつの間にか堅いコンクリートの上に降ろされていた。

「ほら、もう手を離せよ!」

「あ……う、うん……」

 リュディガーにいわれるまで、ぼくは彼の腕にしっかりとしがみついていたことすら、自覚していなかった。

「……ここ、どこ?」

「知るかよ。多分、さっきの町から2つ3つ離れた町だろ」

 そっけなく答えるリュディガーは、疲れたのかコンクリートの上にごろんと横になって、目を閉じる。
 あたりを見回すと、どうやらここはどこかのマンションか、ビルかの屋上らしい。空をどんなに見回しても、さっきのテオの姿は見えない。

 ……助かったんだという実感は、ゆっくりと沸きあがってきた。
 そして、ぼくはさっき考えたことが恥ずかしくなる。ぼくってばリュディガーに助けてもらったくせに、とんでもなく恩知らずなこと考えてたんだ。

 それどころか、ぼくは疑っていた。
 ひょっとしたら、リュディガーは最初からぼくを『非常食』にするつもりだったんじゃないかって……。

「…………ごめんね、リュディガー」

 謝ると、リュディガーはぱちりと目を開けた。人間離れしたはずの赤い目が、テオの青い目よりもずっと暖かく見える。
 そして、リュディガーは威張りくさった口調で言った。

「何を謝ってるんだよ、おまえは。普通は、こーゆー時は謝るんじゃなくて、礼を言うものじゃないのか?」

 思いもかけないリュディガーの指摘に  ぼくは、つい、笑ってしまった。

「そうだね  ありがとう、リュディガー! 本当に、どうもありがとうね」

 笑いながらお礼を言うと、リュディガーは照れたようにそっぽを向いてしまう。

「でもさ。大丈夫なの、リュディガー? 吸血鬼に掟があるなんて、ぼく知らなかったけど……」

「あたりまえだろ、吸血鬼だけしか知らない、吸血鬼の掟だ」

 そう言って、リュディガーはひょいっと起き上がった。サーカスの軽業師みたいに、身軽な動きだ。

「けど、あんなの時代遅れさ! 本気で守っているのは、叔母さんとか大叔母さんとか、そんなのばっかりさ」

「でも……テオが言ってたじゃないか、なんとか言う叔母さんに言いつけるとかって。リュディガー、叱られない?」

 恐る恐る聞くと、リュディガーはむしろおかしそうな顔をする。

「叱られないかって? ――とんでもない、これがバレたら殺されかねないぜ! 吸血鬼の掟を破る者には、死の制裁が待っているんだ」

 脅すように、リュディガーは声を低める。
 死の制裁!! ……ホントだろうか?

 いかにも吸血鬼に相応しい恐ろしい掟  大袈裟だと笑い飛ばすことができないのは、『死の制裁』を口にした時のリュディガーが、ひどく真面目で、真剣な顔をしていたからだ。
 だけど、リュディガーのそんな表情は長続きはしなかった。

「けどよ、テオにこの件を告げ口できるわけがないぜ! おまえが人間か吸血鬼か、あれじゃ区別できなかっただろうしな」

 これは、ぼくにとっては嬉しい話だった。

「ホント? でも、テオはぼくが吸血鬼のマントを着た人間だって、言い当てたじゃないか?」

「あんなの、あてずっぽうさ。本当におまえが人間だと確信していたなら、あいつはとっくにおまえに襲いかかってる」

 そこで一息つくと、リュディガーはかちっと牙を鳴らした。

「それに、この件を一族に報告するつもりなら、オレが突然逃げたってことも言わなきゃいけない。
 そうしたら、なぜオレを追わなかったかと突っ込まれる。
 親族会議の場で、オレとの追いかけっこで惨敗したなんてあいつには口が裂けても言えるもんか!」

 ざまあみろと、リュディガーは声を立てて笑う。……従兄弟とはいえ、つくづく仲が悪いみたいだ。
 ひとしきり笑うと、リュディガーはぼくに向かって手を伸ばしてきた。

「さ、そろそろ帰ろうぜ、アントン。オレ、もう疲れちまった」

「でも……平気かな? もし、……まだ、テオがどこかで待っていたら……」

 さっきの恐怖が、まだ肌にこびりついている。あんなの、忘れようって言ったって、忘れられるもんじゃない。
 だけど、リュディガーは確信ありげに言い切った。

「あいつはもう、とっくに棺桶に戻ってる! 力を使い果たせば、吸血鬼は眠るしかないからな。
 あんなスピードで長時間飛ぶなんて、力のある吸血鬼にしかできやしないんだ」

「そうなの?」

 はっきり言って、それは初耳だった。

「てっきり、ぼく、力を使い果たした時は人間を……」

 疑問のままに言いかけて、ぼくは慌てて口を閉ざした。――こんなこと言ったら、今すぐ襲ってくださいって言ってるようなもんじゃないか?!
 でも、幸いなことにリュディガーはぼくの焦りに気がつかなかったみたいだ。

「もちろん、食事も必要だ。でも、疲れきったらまず睡眠が一番、疲れが抜けてから食事――それが順番さ。本当に疲れ切った吸血鬼は、そこがどこであろうとその場で寝入っちゃうぐらいだぜ」

「へえー」

 ぼくもありとあらゆる吸血鬼の本を読んで、いっぱしの吸血鬼研究家になったつもりでいたけど、やっぱり本物にはかなわない。

「でもさ、それって危険じゃないかな?」

 だいたい、吸血鬼って極端に太陽に弱いのに……もし、道端で眠り込んで朝になったりしたら、どうするんだろ?

「だから、早く帰ろうって言ってんだろ。ほら、いくぞ」

 ぼくの腕を掴んで、リュディガーがまたぼくを引っ張るように飛び出した。でも、さっき追いかけられた時と違って、飛び方も手の引っ張り方もずっと穏やかだ。
 それでも、ぼく一人で飛ぶより、はるかにスピードが速い。

 自転車の初心者にあわせてゆっくりと走るより、そいつを荷台に乗せて走る方がまだ楽なように、リュディガーにしてみればぼくを引っ張って飛ぶ方が、飛ぶのが下手なぼくにあわせてゆっくり飛ぶのよりまだ楽なのかもしれない。

 あんなスピードで飛んで帰り道が分かるかどうか心配だったけど、リュディガーはほとんど迷いもしないでちゃんと元の町へと戻っていく。
 吸血鬼には、優れた方向感覚も備わっているのかもしれない。

 そんなことを考えていたら――突然、ぼくの手を引いているリュディガーが、がくんと高度を落とした。

「わっ?!」

「うあっ?」

 ぼくとリュディガーの悲鳴が見事に重なり、ぼく逹は木の茂みの上にと落っこった!
 意外に柔らかな茂みが、ショックを吸収してくれたけど  ああ、びっくりしたっ。
 文句を言おうとリュディガーの方を見て、ぼくは再びびっくりすることになった。だってリュディガーは、さっきまで元気だったのに急にぐったりとしちゃってたんだもん!

「ど、どうしたの、リュディガー?! 気分でも悪いの?」

 違う、とリュディガーが首を振る。

「力の限界がきちまった……くそっ、エナジーがほとんどないのに、さっき無茶な飛び方したからな……」

 独り言のように呟きながらリュディガーは浮こうとするが、それはなかなかうまくいかないらしい。

「大丈夫?! 眠いの?」

 こんな所でリュディガーが眠ってしまったら、朝には日の光がさんさんと当たってしまう!

「平気だ。でも、もうマント無しじゃ飛べない」

 困ったような顔をして、リュディガーが言う。
 ――なるほど、さっきリュディガーが急に飛べなくなると困るって言ってたのって、こーゆーことなのか。

「なら、マントを返そうか?」

 と、言ってから、ぼくはマント無しじゃマンションに帰れないことに気がついたっ。それどころか、リュディガーがいなければ、マンションへちゃんと帰れるかどうか……。
 道はともかくとして、マントがあったって一人で6階の高さまで飛び上がれるかどうかは、すっごく疑問だっ。

 そりゃあエレベーターで玄関から帰るって手もあるけど……万一それが見つかったら、お父さん達にどう言い訳すればいいんだ?!
 あたふたしているぼくの表情から、リュディガーもそれを悟ったらしい。ちびっこ吸血鬼はしばらく考え込んで  それから、パッと顔を輝かせた。

「そうだ! アントン、まずおまえがオレを、オレん家まで送ってくれよ。家には、予備のマントがある。それを貸してやるよ。
 そうしたら、今度はオレがおまえを送ってやる」

 思いもかけないリュディガーの提案に、ぼくは思わず息を飲んでしまった――。
                                    《続く》

 

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