Act.5   ぼくの町は、吸血鬼だらけ?!

 

 ぼくは何度も生唾を飲み込んでから、ようやく言った。

「あの……あの、ちょっと、確認したいんだけど……君の家ってのは、つまり、――墓地ってことだよね?」

 そんなの、実は聞かなくったって分かっている。
 でも、人間、時にはどーしてもくだらない質問をしたくなる時があるんだ!
 そこに行きたくないのに行く用事ができちゃった時は、特に。

「そうさ。怖いのか?」

 こう言われちゃ、返す言葉なんて一つしかない!

「まさか!!」

 でも、ちびっこ吸血鬼にはぼくの強がりは、完全に見抜かれているみたいだった。リュディガーはニヤニヤ笑いながらも、教えてくれた。

「心配することはないさ。家の連中もみんな出かけちゃってる」

「あ、そーなの」

 軽く言ったけど、ぼくは心の底からホッとした!

「なら……うん、多分、ぼく、君を送っていけると思うよ。大丈夫、リュディガー? 飛べる?」

 さっき、リュディガーがそうやってくれたように、ぼくは彼の手を掴んで浮かびあがった。とてもさっきのリュディガーみたいにさっそうとはいかないけど、それでもなんとかヨタヨタとぼく達は空に舞いあがる。

 目指すは町外れの墓地――墓地の塀を越えたあたりで、リュディガーはこっそりと囁いた。

「アントン、隠れるんだ!」

 とりあえず、とっさに木の茂みに入り込む。さっきの経験から外見にはみっしり葉が茂っていても、枝の中側にはけっこう空洞があるって分かってるもんね。

「誰かいたの?」

 身を隠してから、ぼくは小さな声でリュディガーに聞いた。
 ぼくには、鼠色でびっしりとコケに覆われている塀と、陰気に立ち並ぶ墓石しか見えない。確か去年の夏、表通りの墓地の塀は白く塗り替えられたはずだけど、ペンキは裏までは及ばなかったみたいだ。

 無理もない、ここは墓地の裏のずぅっと奥まった部分だから。
 でも、昼間でも人がめったにこない場所に、夜、人がいるなんて考えられない。――もちろん、吸血鬼だったら別だけど!

「君の……親戚?」

「違う! あの足音が聞こえないのか?」

 リュディガーに言われてからさらに一歩遅れて、ようやくぼくの耳がコツコツと石畳を歩く足音を捕らえた。
 その姿を見て、ぼくはもう少しで悲鳴を上げてしまうところだった。

 こんな不気味な男、恐怖映画にだってめったに出やしない!
 ごつごつした体付きの大男は、殺し屋のようにしぶいトレンチコートを着ている。それだけならまだおしゃれと言えるかも知れないけど、胸には嘘みたいに大きなロザリオを、手には大きな水筒を下げている。

 顔はよく見えないけど、それでも充分以上に異様でインパクトのある男だった。
 獲物を狙うハンターのように回りに鋭い視線をくれながらゆっくりと歩いていく男を、ぼくは息を飲んで見ていた。
 ホントに、そいつが通り過ぎて足音が聞こえなくなるまで、ぼくは口もきけなかった。
 

「……な、なんなの、あの人?」

「見回り中の墓守りさ。オレ達を探してるんだ」

「オレ達って、君とぼく?」

「違う、吸血鬼のことをだよ」

 リュディガーはこともなげに言ったけど、ぼくはすっかり仰天してしまった。

「な、なんで?!」

「理由なんかは知るかよ、あっちが勝手にこっちを狙ってるんだから。
 知っているか、あの水筒の中身? あれ、聖水なんだぜ。おまけに、コートのポケットには香木の杭とハンマーも入っている!」

「ええっ?! ウソだろーっ」

「それが、ホントなんだ」

 ぶすっとした顔で、リュディガーが言う。

「でも……どうして、そんなことを君が知っているの?」

「どうしてもこうしてもあるかよ」

 元々青白いリュディガーの顔が、一段と青ざめたように見えた。

「オレがこの目で見たからさ……。あいつが、テオドール叔父さんの胸に杭を打ち込むところをな」

「…………!」

 ぼくは自分でも意外なくらい、ショックを受けた。
 吸血鬼が杭を打たれるシーンなんて映画や本で何百回と見たけど――やっぱり現実の話として聞くと、全然迫力が違う……!

 それにぼくを芯からゾッとさせたのは、そんな危険な墓守りがいる場所でリュディガーが暮らしているっていう事実だった。

「そ、そんなっ……そんな、危険な墓守りがいる所でなんて、どうして君達は暮らしているのっ? やられっぱなしでいるなんて……っ、やり返すとか、ほかに方法があるんじゃないのかい?!」

 ショックのままに、思わずぼくはそんなことを口走ってしまった。

「落ち着けよ、あんまり大声を出すと見つかるぜ」

 静かにぼくをたしなめてから、リュディガーは小さく首を振る。

「それに――あいつには手を出せないよ。なんせあいつときたら、一日三回のお祈りとニンニクの食事をかかさないんだから! あーあ、まったく前の墓守りが懐かしいなあ」

 と、リュディガーは夢見るように暗い夜空を見上げた。

「あいつは、オレ達のことなんかまるっきり信じちゃいなかった。それに、足も悪かったし。あいつは、ただの一度も墓地の奥になんかこなかった。オレ達も、墓守りのことなんか忘れてたもんな。
 ――うん、あいつはいいヤツだったなあ」

 ……そーゆーのって、『いい人』というものなんだろうか?
 ぼくが悩んでいると、リュディガーはひょいっと木から飛び下りた。

「リュディガー?!」

 慌てて呼ぶと、リュディガーは下から返事をした。

「もう、墓守りは行っちまった。マントを取ってくるから、そこで待ってろよ」

「え、やだよ、ぼくも行くよっ」

 考えるより早く、ぼくは返事をしていた。
 吸血鬼の家に行くのも怖かったけど、吸血鬼を殺す墓守りのうろつく所に一人でいるなんてもっと怖いっ!

「――まあ、おまえならいいか。じゃあ、降りてこいよ」

 少し考えてから、リュディガーがそう言った。

「うん」

 ホッとしてぼくは、木の下に降りる。
 リュディガーのようにひょいと飛び下りるなんてできず木の幹を伝って普通に降りたぼくを、先に行ったちびっこ吸血鬼は手をくいっと捻って招いた。
 墓地の奥に当たるこの辺は、古い墓地ばかりですごく不気味だった。ひっくり返った墓石や腐った十字架、ぼうぼうと生い茂った藪とか…そんな物ばかりがある。

 シンと静まり返って、月の光に照らされた墓地には独特の雰囲気があって、まるで――まるで、この世のものとは思えない所だ。ぼくとリュディガーがいるのに、まったく人の気配が感じられない。
 息さえ潜めて辺りを見回していると、リュディガーが笑った。

「うまく、隠れているだろう?
 おまえは共同墓所の近くに立ってるのに、それがどこだか分からないんだもん」

「共同墓所?」

 びっくりして、ぼくは思わず聞き返した。

「みんなが、それぞれ自分の墓を持っているんじゃないの?」

「持っているさ。でも、オレ達は家族共用の大きな地下堂を作って、そこに棺桶を移したんだ。そこにはたった一つ、上手く隠した入り口があるだけ――もちろん、非常口も用意してあるけどね」

 説明しながら、リュディガーは大きなモミの木の裏側へと手招きした。そこには平たい、コケで覆われた石があった。でも、茂みや木についているコケに上手くカモフラージュされていてぼくはリュディガーがそれを持ち上げるまで、石があることに気づかなかった。


「ここが入り口だ」

 と、リュディガーが囁いた。
 石を持ち上げると、その下に狭い縦穴が見える。

「まず、オレが行く。おまえは後からこい。石をまた、穴の上に戻しておくのを忘れるなよ」

 足を下ろし、リュディガーがすばやく縦穴を滑り降りた。
 一瞬、ぼくは迷った。本当にちびっこ吸血鬼の後を追っていっていいものかどうか――。
 もしかしたら、これは罠じゃないのか?
 リュディガーがぼくに正直だったとは限らないんじゃないかって……どうしてもそう考えずにはいられなかったんだ。

 でも、すぐにぼくはそれを打ち消した。
 一緒に行きたいって言い出したのは、ぼくの方だ。リュディガーは、さっきぼくを助けてくれた――それなのにまだ彼を疑うなんて、どうかしている!

 ぼくは思い切って、足を穴へと突っ込んだ。でも、穴から出ているのが頭と腕だけになると、ぼくの勇気はまたしぼんできた。
 ……て、手を離すのって、怖いっ。

 もし、この縦穴が深かったら……ぼくは、ちゃんとまた地上に戻れるんだろうか?
 でも、下からリュディガーの声が聞こえた。

「アントン、一気に降りろ!」

 その声に背中を押されたように、ぼくは反射的に滑り降りていた。思ったよりも早くに、足が平らな地面を踏みしめる。上を見上げると、ぼくの頭より二つぐらい上に入り口の穴が見える。ちょうど、大人の人が手を伸ばしたら届くぐらいの高さだ。

 石を戻せって言ったって、ぼくにはとても届かないや――そう悩んでから、今は吸血鬼のマントを身につけていることを思いだした。
 そっか、飛べばいいんじゃないか、バッカみたい。

 空を飛ぶのが初心者のぼくにはちょっとだけ身体を浮かすなんてのは難しく、頭をぶつけちゃったけど、とにかくぼくはきちんと蓋をした。
 とたんにあたりが真っ暗になる。ぼくは、突然怖じ気づいた。

「リュ……リュディガー? いる、の?」

 呼びかける声が、つい震えて、か細くなるのはしょうがない。

「ああ、ここにいる。ちょっと、待ってろよ」

 とんとんと、リュディガーが遠ざかっていく足音が聞こえた。だんだんあたりの暗さになれてきた目にも、遠ざかっていく  いや、下へ下へと降りていくちびっこ吸血鬼の真っ白な頭がぼうっと見えた。

「ま、まってよ」

 地に深く潜っていく階段がどこに続くのか不気味だけど、こんなところに一人取り残されるのはもっと怖いっ!
 ぼくは土壁に手を当て用心深く足元を探りながら、そろそろと階段を降り始めた。

 階段は、けっこう長かった。一面の暗闇のせいで特にそう思ったのかもしれないけど、でも、普通の家にある地下室よりもずっと深い。
 降り始めたのを後悔し始めた頃、闇の中にぽうっと明るい光がともった。

 ちょっとぎょっとしたけど、ゆらゆらとゆらめく蝋燭を手に階段を逆に登ってくるのはリュディガーだった。
 どうやら、明りを取ってきてくれたらしい。

「さ、こっちだ。来いよ」

 今度は明りもあるので、気楽に歩くことができる。
 余裕のできたぼくは辺りを見回して、階段やら壁やらにあちこち材木で補強されているのに気づいた。もちろん、大本は土を掘ったものだけど、人の手が加えられているのには間違いがない。

 これって、やっぱり吸血鬼達がやったんだろうか?
 そう考えた時、ぼく達はふいに洞窟の中に出た。

「……うわぁ」

 ぼくは驚いて辺りを見回した。
 床や壁こそは土のままだけど、これはもう洞窟なんてもんじゃない。
 そこは、驚くほど華麗な空間だった。

 正直、広さ自体はびっくりするほど広いわけじゃないんだけど、壁の部分に重々しい雰囲気を放つカーテンやタペストリー、床には古めかしく細かな模様の絨毯が敷いてある!
 その豪華な雰囲気に、ぼくは一瞬、お城に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。

 よくみると家具が一個もなく、代わりに棺桶が幾つもあるのが不気味なんだけど、でも、ここが吸血鬼の共同墓所だと聞いていなかったらぼくはそれが棺桶だと気がつかなかったかもしれない。

 大きくて個々に装飾の施された棺桶は、風変わりな衣装箱と言われたらそれで納得したかもしれない。
 それぐらい、棺桶は豪華な物が多かった。

「棺桶は、全部で9つなんだね」

 大きいのが7つに、小さいが2つ。

「……テオも、ここで暮らしているの?」

「まさか!」

 とんでもないと言わんばかりに、リュディガーは首を振った。

「あいつは、あいつの家族と一緒に他で暮らしているよ」

「じゃ、君の家族は9人もいるの?」

 こ、この町にそんなに吸血鬼がいただなんて、ちっとも気づかなかったぞ。

「前はね。今は8人だ  テオドール叔父さんがいなくなっちゃったから」

 そう言ってリュディガーは一番奥の立派な棺桶の隣、それに寄り添うように置いてある地味な棺桶を指差した。

「あれがテオドール叔父さんの棺桶さ……、もう使う奴もいないんだけど、叔母さんが絶対、どかさないんだよ」

「ふぅん。じゃあ、この派手な棺桶が叔母さんのなの?」

 言いながら、ぼくはさっきテオがちらっと言っていたセリフを思い出した。確か、ドロテー叔母さんに言いつけるぞって言ってたんだ。

「えっと。ドロテー叔母さん、だっけ?」

「そうさ。叔母さんは吸血鬼仲間からは『貪欲なドロテー』って呼ばれているんだ。オレの父さんの妹で――シュロッターシュタイン一族で一番最初に吸血鬼になったんだよ」

 貪欲なドロテー!
 ううっ、聞くだけで寒気がしそうな恐ろしい名前だ。

「シュロッターシュタイン(ガタガタ石)? 君も、シュロッターシュタインっていう名前なの?」

「もちろん。オレはリュディガー=フォン=シュロッターシュタインだ」

 古い貴族みたいに立派な名乗りに、ぼくは目を丸くした。少なくともぼくの知り合いに『フォン』なんて称号の入った名前のついてる人なんて、一人もいやしない。

「君の家って、貴族かなんかだったの?」

「さあ? おばあちゃんはそう言ってるけど、オレはよくは知らないんだ」

 ほとんど興味なさそうに言い、リュディガーは彫り模様のいっぱい入った棺桶の上に無造作に腰をかける。

「これがおばあちゃん……恐怖のザビーネの棺桶だよ。おばあちゃんは娘のドロテーが吸血鬼になったと知って、自分も吸血鬼になると決めたんだってさ」

 ぼくはその飾りのついた棺桶を見ながら、どうしてもその中身を考えずにはいられなかった。
 今はいい、いないって知っているから――でも、昼間はいったい、この中は……?!

「……棺桶の中って、どうなっているのかな……?」

「見たいなら、見せてやる。こっちにこいよ」

 あっさりと承知すると、リュディガーは小さな棺桶の前にきた。そして、飾りっけのない棺桶をさす。

「これはオレの棺桶だ。開けてもいいぜ」

 リュディガーの許可を得て、ぼくは小さな棺桶の蓋に手をかけた。
 中がからっぽと分かっていても吸血鬼映画で何度となく見てきたシーンみたいで、なんだかどきどきする。

 蓋は、思ったよりも重かった。
 棺桶の中は、黒いビロードが張ってある。さわるとふかふかしていて、気持ちがいい。頭の方に黒い小さな枕があって、ぼくが貸した本が伏せられたまま入っていた。

 棺桶の中は見た目よりもずっと広くて、リュディガーぐらいの体格なら2人か3人は入りそうだった。
 ……なんか、思ったよりもあっさりとしてると言うか、なんにも入ってないんだな。

「えーと、なんていうか……ずいぶんさっぱりしてるね」


 さすがに、すごく空っぽだねとは言いにくかった。

「オレ、物をごちゃごちゃ置いとくのは嫌いなんだ。ほかの連中は、嫌になるほどぎっしりと、いろいろ詰め込んでおくけどさ」

「へえ。何を入れているの?」

「そりゃ、そいつ次第さ。妹なんかはリボンだとか小物とかをいろいろ入れているしさ、叔母さんやおばあちゃんなんかはシュタインシュロッター家に伝わる宝石だのなんだので、寝るスペースもないぐらいだ!」

 大袈裟に肩を竦め、リュディガーはうんざりしたように飾り立てのしてあるもう一つの小さな棺桶に目をやった。
 リュディガーのに比べれば段違い、まるで宝石箱かなんかみたいにきれいな飾りのついた棺桶なんかはどうやら妹のものらしい。

「そんなにいろいろ入ってるの?」

 なんとなく興味を引かれたけど、リュディガーはぼくの心を先読みした。

「言っとくけど、他の奴の棺桶は見せないぞ。後でバレたら面倒なことになるからな」

「あ、うん、分かってる。ただ、ちょっと思っただけだよ」

 慌ててそう答えた時、リュディガーがハッとしたように顔をあげた。

「え? どうかしたの?」

 「誰か、帰ってきた」

 それを聞いて、心臓が止まっちゃうぐらいに驚いたっ!
 リュディガーがウソをついていたのか――真っ先に頭をかすめたのは、そんな恐ろしい疑いだった。

 でも、リュディガーの顔にも驚きの表情が浮かんでいた。ぼくだけじゃなくて、リュディガーにとっても家族の急な帰還は意外だったんだ。
 耳をすまし――ぼくには聞こえないかすかな物音から、リュディガーは誰が帰ってきたのか悟ったらしい。

「ドロテー叔母さんだっ!」

 リュディガーがびっくりしたように叫んだ。リュディガーの顔が、突然、一際青白くなったように見えた。
 そして、悪寒に襲われたようにリュディガーの歯ががちがちとなった。

「君は隠れろ! 早く、オレの棺桶の中に! ここで叔母さんに見つかったら、おまえはおしまいだっ!!」

 ぼくはあまりの恐怖に体が硬直して、一歩も動けずにいた。
 今まで恐怖映画を見る度に、自分からわざわざ危険の中に飛び込んでおきながらいざとなると恐怖に硬直する主人公達をバカにしてきたけど、ぼく、この先は絶対にそんなこと思わないぞっ!

 だって  ホントに、本当に怖いと、まるっきり体も頭も動かないんだっ!

「こいったら!!」

 リュディガーは乱暴にぼくの腕を引っ張って、ほとんど押し込むように棺桶にいれた。
 蓋を閉めながら、ぴしりと言い捨てる。

「身動きするなよ!」

 言われるまでもなく、動けない。
 突然、真っ暗な狭い箱の中に押し込められて、ぼくはぎゅうっと目を瞑って、ただ、ただ、ひたすら震えていた。

 ぎしっと音がしたのは、多分、リュディガーが棺桶の上に乗った音だ。それから――それからずいぶんたったと思える頃、別の音が聞こえてきた。
 カツカツと床を叩く小さな音は、ハイヒールのものだ。

「そこにいるのは、リュディガーなの?」

 甲高い、女の人の声  それは、びっくりするぐらいに若い声だった。叔母さんというより、お姉さんの声に聞こえる。

「そうだよ」

 リュディガーの返事は、落ち着き払って聞こえる。とても、さっきまで青ざめて震えていたとは思えない声だ。

「あなた、こんなところで何をしているの? 出かけたんじゃなかったのかしら」

「疲れたから、今日は早く戻ってきたんだよ。叔母さんこそ、こんな時間にどうしたのさ」
 

「わたしは忘れ物を取りにきただけよ。嫌になっちゃう、お店の入り口まで行ってから、お財布を忘れたことに気がつくなんて」

 若い女性の声に相応しいぼやきと、棺桶の蓋を開く重い音が重なる。

「でも、あなたがいるならちょうどいいわ、一緒に来ない? 美味しそうな獲物を見つけたの! 得意の催眠術で誘い出してちょうだい」

 『獲物』って……やっぱり人間のことなんだろうか?

「やだよ。だいたい、今は催眠術なんてかけられないね、エナジーが足りないもん」

「ホント、あなたって子は困った子ね。力が足りなければ、血を吸いにいけばいいことでしょう? そうやって吸血を嫌がっていたって、なんの意味もないのに」

「そんなの、オレの勝手だろ? とにかく、オレは今日は休みたいんだよ」

「なら、勝手に休んでいなさい……あら?」

 突然、ドロテー叔母さんの声ががらりと変わった。

「これは……人間の匂い!」

 心臓がどきんと跳ねあがる。――もし、ここにいるのが見つかったら!

「そんなことありえないよ。ここをどこだと思っているのさ?」

「いいえ、これは確かに人間の匂いよ。わたしの鼻の良さは知っているでしょう? 近くに人間がいる……間違いないわ」

 コツコツとせわしくなく歩く音を聞きながら、ぼくは失神寸前だった。

「外から匂ってくるのかしら? こんな時間に、人の匂いを感じたのなんて初めてだわ」


「ひょっとしたら、人間が犬を連れて散歩でもしてんじゃないの? だとしたら急いだ方がいいね、逃げられちゃうよ」

 けしかけるようなリュディガーの声が聞こえる。

「あんたのいう通りね、急がなくっちゃ!」

 興奮した声に、ぎしっと棺桶がきしむ音が続く。リュディガーが、棺桶の上から降りたんだ。続いて、階段を駆け上がる音が重なって聞こえる。
 それから、しぃんと静まり返った。

 だけど、ぼくは少しも動けずに、息を殺して耳をすませていた。
 ……リュディガーも一緒に行っちゃったのかな?
 でも、そう思った時、軽い足音が階段を下りてきた。そして、それからすぐに棺桶の蓋が開いた。

「やあ」

 ぼくを見下ろし、ニヤリと笑ってるのはリュディガーだった。ぼくは頭をあげて、そっと聞いてみた。

「叔母……さんは?」

「大丈夫、もう行っちゃったさ。今頃は犬を連れた幻の男を捜しているよ」

 リュディガーはおかしそうに笑うけど、ぼくはそれどころじゃないかった。
 ……寿命が、十年は縮んだ気がするぞ。

「どうした? あんまり、元気ないな」

 リュディガーが不思議そうに聞くけど  元気なんかでるものかっ! 一歩間違えば吸血鬼に襲われるところだったんだ、それも二回も!
 ぼくはもう、身体も心もくたくたに疲れてしまった。

「ぼく……うちに帰りたい……」

 ほとんど無意識に、ぼくは呟いていた。


「うちに? まだ、夜は始まったばかりだぜ」

 不満そうにリュディガーが言ったが、ぼくは黙って首を振るのがやっとだった。それでちびっこ吸血鬼の気を悪くしないだろうかなんて心配をするには、ぼくは疲れ過ぎていた。


「じゃ、いいよ。約束通り、おまえを送っていってやる。ちょっと待ってろ」

 そう言って、リュディガーは部屋の一番隅に置いてある大きな棺桶に手をかけた。蓋がかなり重いらしく、リュディガーは苦労しながらそれを開ける。

 あれは……さっき、テオドール叔父さんの棺桶だと言ってたっけ。

「あ、あった」

 リュディガーは大きなマントを取り出すと、また、元通り蓋を閉めた。

「さあ、これを着ろよ」

 リュディガーが肩にかけてくれたマントを、ぼくは言われるままに羽織る。

「それはオレのマントより浮きやすいはずだけど……どうだ?」

 聞かれて、ぼくはちょっと地面を蹴ってためしてみた。思ったより簡単に、ふわりと体が浮く。確かに、このマントはリュディガーのマントよりも、ずっと飛びやすいみたいだ。

「うん。楽に飛べるよ」

「そうか。じゃ、行こう」

 

 

 それから十分も経たないうちにぼくは自分の部屋の、自分のベッドにもぐりこんでいた。
 ――本当に、なんて一日だったんだろう!
 ちびっこ吸血鬼に会っただけでも信じられないのに、ちびっこ吸血鬼に、従兄弟に、叔母さんに……それから、吸血鬼を狙っていると言う墓守り!

 そうそう、殺人事件のあった部屋にも入っちゃったんだっ……。
 あんまりいろんなことがありすぎて、ぼくはもう、何が一番怖かったかすら分からない。
 ――ぼくはもう一度、閉めた窓の方を見た。

 夜空が冷たく、黒々と広がっているのが見える。あまりのことにぼーっとしてしまって帰りはろくな話もしなかったけど、リュディガーは気を悪くしなかったかな?

 でも、リュディガーは『また来る』って言ってた。
 それだけは確かなことだ!
 ぼくはもう一度しっかりとそれを思い出してから、目を閉じて眠った――。
                                     《続く》

 

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