Act.6  お茶会の誘い

 

 ……いい匂いがする。
 ぼくが目を覚ました時、もう、お昼ごはんの匂いが漂っていた。ベッドの中で鼻をひくひくさせ、ぼくはその匂いの正体を当てようとした。

 ――うん、オーブンで焼いたラザニアの匂いだ!
 それを確認してから、ぼくはようやく目を開けた。日は、もうとっくに高い。……ぼくは今日、思いっきり朝寝坊しちゃったらしい。
 でも、どうしてだろう――そう考えた途端、昨夜の出来事がまざまざと蘇ってきた。

 ちびっこ吸血鬼がきたこと、夜空を飛んだこと、テオのこと、墓地のこと、ドロテー叔母さんのこと――そう言えば帰りに着てきたマント、あの時は怖いなんて思う余裕もなかったけど……ひょっとしてあれはテオドール叔父さんのマントじゃなかったのかな?

 杭で打たれて……いなくなっちゃったっていうテオドール叔父さん。
 そのマントを着てきたかと思うとゾッとしたけど、日が高く上った今は恐怖よりもホラー映画でも見ているかのようなスリル感の方が強かった。
 もう一度それを確かめようと、ぼくは何気なくイスへ目をやった。

 脱いだ服はイスの背に、着替えはイスの上に置くのがぼくん家の習慣で、昨日も確かマントはあそこにかけておいたはずだった。
 だけど、ないっ!

 昨日着ていた服もなくなっていて、代わりに新しい服がイスに乗せてある。それを見た途端、眠気がふっ飛んだ!
 ――そう言えばさっきから聞こえるこの音、これは洗濯機の音だ。

 ぼくは慌ててベッドから飛び出し、服を着替えて台所にすっとんでいった。
 台所ではお父さんがテーブルに座って、リンゴをむいていた。

「おはよう、アントン」

 お父さんは上機嫌に言ったけど、ぼくはとても今日はご機嫌気分じゃない。

「おはよう」

 口の中でもごもごと返事を返すと、お父さんはニヤリと笑った。

「まだ疲れがとれないのかい?」

「ううん」

 答えながらぼくはできるだけさりげなく、横目で洗濯機をうかがった。
 洗濯機は回っている  けど、泡以外は見分けがつかない。もっとよく除き込もうかと思ったけど、お父さんがおもしろそうにぼくを見ているの気がついた。

「何か、捜し物かい?」

「ううん、別に」

 軽く受け流してぼくは洗濯機を離れ、冷蔵庫を開けた。中をざっと見てから、たいして欲しくもないミルクを手に取る。

「今、何か洗っているの?」

 慎重に、ぼくは聞いた。秘密を悟られないように、ミルクをコップに注ぎ込むことに集中しながら。

「なんで、そんなことを聞くんだい?」

 お父さんの声は、笑いが今にもはみ出しそうなものだった。  大人が子供の隠しているウソを見透かして、わざとそれにあわせてやっている時の声だ!
 それに腹を立てて、ぼくは遠回しな探りはやめてずばりと聞くことにした。どうせ秘密にしようとしても、もう手遅れになってるんだ。

「ぼくの部屋にあったのも、洗っちゃったの?」

「それはお母さんに聞いてごらん」

「お母さんはどこにいるの?」

「居間だ。繕い物をしているよ」

「繕い物?」

 完全に予想外の答えに、ぼくはびっくりした。

「そう。お母さんは大きな黒い布を見つけたらしいな」

 お父さんの言葉を最後まで聞かず、ぼくは居間へと走っていった! お母さんは窓べにすわって、針をちくちく動かしているところだった。その膝に広がっているのは――リュディガーから借りたマントだ!

「お母さんっ! その、そのマント、ぼくの友達のなんだよ!!」

 勢い込んだあまり、つっかえながら言うと、お母さんは笑った。

「分かっているわよ、あなたのじゃないことは」

 そう言いながらも、お母さんの手は止まらない。

「見て、ここにこんなに大きなかささぎができているわ! 人から借りた物を乱暴にあつかったりしちゃ、駄目じゃない」

「それはぼくがやったんじゃないよ。元々、開いてたんだ」

 確かめわけじゃないけど、昨日帰ってくる時、ぼくはマントを破るようなことはしなかったもんね。

「それなのに、勝手に穴を繕ったりしたら……あいつ、嫌がるんじゃないのかなぁ?」

 リュディガーは、マントは織り姫の作った特製だと言ってた。そんなのを普通の針と糸で繕ったりして、いいんだろうか?

「そんなはずないわ。穴が開いたマントを着て歩くのが好きな人、いやしないわよ。繕ってくれる人がいないだけじゃない?」

 そう決めつけて、お母さんはためらわずにまた針をマントに刺す。

「きっと感謝してくれるわ。ところでアントン、このマントの持ち主はいったい誰なの?」


「リュディガーだよ」

 しぶしぶ、ぼくは答えたけど――本当は泣きわめきたい気分だった!
 まったく、お母さんときたら! それにお父さんまで、示し合わせてしらばっくれて!
 腹が立ったぼくはそれ以上なんにも言わずに自分の部屋に戻り、ベッドに寝っ転がった。
 

 でも、考えれば考えるほど腹が立ってくる。
 ひどいや! あんまりだ! 人のマントを勝手に持っていって、しかも勝手に繕うなんて!! そればかりかこっちが文句を言ってるのにやめようともしないなんて、人をバカにしている!!

 心の中で不満をいっぱいにぶちまけた後、今度は猛烈に自分自身にも腹が立った。
 だいたいぼくは、両親が毎朝まだぼくが寝ているかどうか見にくるって知っていたくせに、どうして吸血鬼のマントをほうっておくなんてできたんだろう?

 これで、リュディガーのことがバレちゃった。次はお父さんもお母さんも、リュディガーがどんな子か聞きたがるに決まっている!

「アントン、ごはんができたぞ!」

 ドアをノックして、お父さんがぼくを呼んだ。

「ぼく、おなか全然すいてないんだ」

 おなかがグウグウなっているのを無視してぼくはそう返事をしたけど、お父さんは納得してくれなかった。

「何を言っているんだ。アントンは朝ごはんも食べてないんだぞ!」

 これ以上食べないと意地を張れば、話はこじれるばっかりだ。

「うん、じゃあ食べるよ」

 ラザニアは大好物だけど食卓でリュディガーのことを聞かれるかと思うと、食欲なんてふっとんでいた。いったい、なんて説明すりゃあいいんだろう?
 寝起きと怒りでよく回らない頭を必死で回転させつつ、ぼくは機械的にラザニアを口につっこむ。――全然おいしく感じられなかった。

「ねえ、アントン。リュディガーの名字は何ていうの?」

 その上、お母さんの攻撃はだしぬけにきた!

「な、なんで、そんなこと聞くの?」

「なんでって、興味があるからよ。その子、転校生なの? 聞かない名だけど」

 一瞬、そうだと言ってしまおうかと思ったけど、このアパートにはぼくの同級生がいっぱいいる。
 ウソをついてバレたら、二度とリュディガーと遊んじゃいけないって言われかねない。 うちの両親ときたら、そのへんはすっごく厳しいんだから。

「違うよ。同じ学校の子じゃないんだ。最近、友達になったんだよ」

 どこで友達になったかを聞かれる前に、ぼくは続けてリュディガーの名字を言った。

「それで名字はシュロッターシュタイン」

「なんですって?」

 お母さんは、もう一歩で笑う直前の顔で踏みとどまった。

「シュロッターシュタイン? その子、リュディガー=シュロッターシュタインっていうの?」

「フォン=シュロッターシュタインだよ。正式には、リュディガー=フォン=シュロッターシュタインっていうんだ」

「そいつは、ますますいただけないね」

 お父さんは、声を立てて笑う。
 リュディガーを笑われて、ぼくは意味もなくカッとなった。

「アントン=ボーンザックだってよくないよ!」

「はてな、お父さんもお母さんもボーンザックという名のはずだが?」

 ぼくの皮肉も気にせず、お父さんはニヤニヤしている。
 そりゃ、お父さん達は大人だから誰も笑ったりしないからいいよ。でも、学校でぼくがこの名前で何回からかわれたことか!!

 その上、家でまでからかわれるなんて、あんまりだ!
 しつこく、まだぼくをからかおうとするお父さんを、お母さんは軽く目で制して言った。


「それより、お母さんはリュディガーをうちにご招待したいわ。どんな子なの?」

 ……前言撤回。
 こんなこと言われるぐらいなら、まだお父さんにからかわれてた方がましだっ!

「ど、どんな子って……あいつ、ちょっと変わってて……」

 言いながら、ぼくは口ごもる。吸血鬼であることを『ちょっと変わっている』ですませていい物なのだろうか?

「それはそうでしょうね、よその家にマントを忘れていくような子じゃ。でも、そんなの気にすることないわ。変わった人って、おもしろいじゃない?
 いったい、その子、いつもどんな格好をしているの。まさか、吸血鬼みたいな格好をしているんじゃないでしょうね?」

 まさかどころか本物の吸血鬼だと言ったら、お父さんやお母さんはどれほど驚くだろう?


「……だいたい、そんな格好だよ」

「ほう? リュディガー君はカーニバルの衣装が好きなのかな?」

 お父さんがおもしろくもないジョークを言いながら、笑いを堪えている。それには耐えられたけど、お母さんはいっそうとんでもないことを言い出した。

「あら、それなら余計に会ってみたいわ。それにしても、この真夏にカーニバルとはね」
 

「そ、それがいけない?!」

 やけくそになって、ぼくは声を大きくしていった。

「それにあいつ起きるのがすごく遅いし、それにお茶とかケーキってあんまり好きじゃないんだ」

 本当のことを言ったのに、お父さんは笑いだした。

「まったく、おまえの友達ときたら!」

「それに、ちゃんとお行儀良くもできないし……」

「アントンったら。そんなことより、もっと大切なことがあるんじゃなくって?」

 お母さんに言われて、ぼくは顔から血の気が引くのを感じた。

「そ、それ、どういう意味?」

 ――まさかとは思うけど、お母さんは何か気づいているんじゃ?
 でも、それにしてはお母さんの表情はとても楽しげだ。

「大切なのはあなたがその子を信頼できるかっていうこと、あなた達がどちらが困っている時に見捨てないかってことじゃない?」

「あ、そういう意味……」

 なんだ、別に気づいたわけじゃないんだ。ぼくはホッとして、ちょっと考えた。
 ――うん、ぼくはリュディガーを信用できる。昨夜なんか、リュディガーは二回もぼくを助けてくれた、命の恩人だ。……まあ、危険な目にあった元凶もあいつにあるんだけど、でも、助けてくれたのは事実だ。

「うん、リュディガーはいい奴だよ」

 自信を持ってうなずくと、お母さんは嬉しそうに笑った。

「ね、そうでしょ、それが肝心なの。あなたの気にいる子だったら、お父さんやお母さんも気に入るわよ」

「そうかなぁ……?」

 それは怪しいものがあると、ぼくは思った。

「……お父さん達、吸血鬼は好き?」

「ほら、また、おまえの吸血鬼好きが始まった!」

 真面目に聞いたのに、お父さんは笑い出した。――ふんだ、バカにして。

「わたしは――変だとは思わないわ」

 お母さんは怒ったのを我慢した顔で、そう答える。それを見て、お父さんはますます大きな声で笑った。
 ……お母さん、普段はぼくの吸血鬼好きを趣味悪いって言うくせに。

「おまえの新しい友達は、どうやら趣味の点で気があったらしいね。
 それでわたし達はいつ、かの有名な吸血鬼のリュディガー君にお目にかからせて頂けるのかな?」

「そ……それは……。まず、リュディガーに聞いてみなきゃ」

 そう言いながら、ぼくは眩暈がしそうだった。昨日、確かにリュディガーは『また来る』と言っていた。
 でも、『いつ』来るかは聞いてないっ。

「今種の水曜日なら都合がいいわ。その日なら、お母さんケーキを焼けるもの」

「だっ、だめだよっ!」

 とっさにぼくは大きく首を振った。リュディガーといつ会えるかどうかさえ分からないのに、水曜日に約束なんかできるわけない!

「あら、それならいつがいいの?」

「え、えーと、来週か、再来週か……とにかく、聞いてみなくちゃ。これから、外に行ってもいい?」

 無意識に腰を浮かせたのはとにかくこの場から逃げたかっただけだったんだけど、お父さんもお母さんも別の解釈をした。

「いいとも。リュディガー君に、お茶会のことを話してくるんだな」

 お父さんにそう言われ、お母さんからきれいに折り畳んで紙袋にいれられたマントを手渡され、ぼくはひきつり笑いを浮かべるのがやっとだった。

 ――リュディガーの家に行くだって?
 昨夜、あんな怖い思いをした所に行って、リュディガーをお茶に招待する? そんなの、絶対に、ぜぇっっったいに不可能だ!

 そう心の中で絶叫しながら、ぼくは絶望的な気分で家を出た。その途端、大きなため息がでてしまう。
 あ〜、もう、いったいどうしろっていうんだよぉ?!
                                   《続く》

 

7に続く→ 
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