Act.7  墓地と野バラと死の守り人

 

 日曜日のお昼の12時から3時。
 ぼくに言わせりゃ、一週間でこんなに退屈な時間ってない。だって12時からはどこの家にも、日曜のご馳走を作る匂いが立ち込める。

 そりゃご馳走を食べれるのは嬉しいけどさ、ご馳走ってのは作るのも後片付けも手間がかかるもんなんだ。そして、やっとそれが終わったらお昼寝。
 ――こんなの、子供の喜ぶスケジュールだと思う?

 そりゃそうしたい大人はいくらでも、そうすりゃいいさ。そんなの、ぼくだって止めやしない。
 ただ問題なのは、大人達が子供もそうすべきだと思い込んでいることだ!!

 ぼくの住んでいるマンションの回りには特にそんな保守的な人達が多いのか、子供が道路でサッカーをしたり自転車を乗り回したりしようものなら、大目玉だ!
 だから日曜の午後はエレベーターはいつだってガラガラで、順番待ちをしなくってすむ。 道にも人影はないし、車でさえ通っていない。

 誰もいない道路を、ぼくは縁石沿いに歩いていった。……手にしたマントいりの袋の、邪魔くさいことったら。でも、上からお父さんとお母さんが見ているかと思うと、置いていくわけにもいかない。
 二人が、ぼくに手を振るためにバルコニーに立っているのは、知っていた。

 でも、ぼくは意地になって振り返らなかった。
 待ちたければ、いつまでも待っていればいい! お茶会の招待をしようなんてしたせいで、ぼくはもう二度と生きて帰れないかもしれないんだぞっ。

 昨日は……もう少しでドロテー叔母さんに見つかるところだったんだっけ。今日は――どうなるっていうんだろう?
 ぼくは歩くペースを落として、考え始めた。

 真っ昼間に、どうやってマントを共同墓所に持ち込めばいいんだろう? それに、どうやってリュディガーを招待したらいいんだ?
 念のため、メモ帳とえんぴつは持ってきたけど……共同墓所には郵便受けなんてありっこない。

 もし、共同墓所に入って手紙をリュディガーの棺桶に届けられたとしても、万一、他の吸血鬼達に見つかったら……?
 ぼくの足は、どんどん遅くなった。

 ついに墓地にたどり着いた時――ぼくの足はぴたりと止まった。ど……どぉしよお?
 さんざんためらったあげく、ぼくは勇気をかき集めて墓地へと踏み込んだ。何も、ぼくは吸血鬼を退治しようとか胸に杭を打ち込もうだなんて、大それたことを考えているんじゃないんだ。

 ただ、ちょっとマントを返してメモを渡して――それだけだ、怖がる必要なんてない! そう自分に言い聞かせながら、ぼくは墓地の入り口をくぐった。
 墓地の入り口ら辺は、昨日、リュディガーと来た墓地の奥とは全然違っていた。

 垣根が刈り込まれ、綺麗に手入れされた墓が並んでいる。それに、土と花の匂いもする。静かで、がらんとしていて……落ち着いた公園みたいな雰囲気だ。
 …まあ、公園には『安らかに眠れ』とか『永久に我の胸に』なんてかかれた十字架や墓石なんてのはないけど、とにかく、不気味な感じがしない。

 その代わり、人もさっぱりいなかった。
 日曜の昼というのは、墓参りにはもってこいだと思うんだけどな。でも、人がいない方が気楽なのは確かだ。
 誰にも邪魔されずに、ぼくは礼拝堂の近くまで行くことができた。 今は行かないけど、お母さんが家のお墓の掃除をする時に何度かここに来たことがあるから、ぼくはまだ覚えていた。
 この礼拝堂の裏からは、墓地が荒れているんだ。

 礼拝堂は普通の家ぐらいの大きさなのに窓が一つもなく、ものすごく大きな鉄の扉がついている。建物がひどく古くてボロボロなのが、見るからに怖い。
 小さな頃は、ぼくはこの礼拝堂の地下にこそ吸血鬼がいると信じていたんだっけ。

 真実を知った今でさえ、礼拝堂の不気味さは少しも変わらない。それを見ているだけで、背筋がぞくぞくしてくる。
 早く、用をすませちゃおう!

 綺麗に慣らされた道が無くなり草が膝の辺りまで伸びている中を、ぼくは草や茂みをかきわけつつ進んだ。
 この辺が、一番、手入れがされていない場所だ。

 同じ礼拝堂の裏側でも、もう少し西の方はそれなりにきちんと整えられている。……どーせなら、あっち側に共同墓所があればよかったのになあ。
 風に乗って漂ってくる野バラの匂いをかぎながらぼくはマントいりの袋を振り回して、無理やり奥へと進んでいった。

 あそこに見える墓地の塀、そして、大きなもみの木が目印だ。共同墓所はあの近くにあるに違いない。あの近くをたんねんに探せば、入り口だって見つけられるだろう。
 急ごうとしたぼくは、危うく転びそうになった。草にうずもれていた何かにつまづいたんだ。

「いったぁ、なんだよ、もう」

 石かと思ったけど、それはよく見ると墓石だった。それも、すっごく古い。ハートの形をした古い墓石には、ほとんど読み取れない飾り文字でこう書いてあった。

『ルートヴィッヒ=フォン=シュロッターシュタイン1810〜1850 』

 ぼくは驚いた。
 シュロッターシュタイン――それは、リュディガーの名字だ。しかも、この日付が本当だとしたら……もう150年以上も前に死んでいる人の墓だ!

 リュディガーは家族全部が、吸血鬼だと言った。
 ぼくは震えながら、生年月日をもう一度確かめた。……40歳の男性だ。じゃあ、これは……リュディガーのお父さん?
 2、3歩先に、二つ目の、同じようにハート型をした墓石が見つかった。

『ヒルデガルト=フォン=シュロッターシュタイン1815〜1851 』

 この女性は……ひょっとして、リュディガーのお母さん? 年齢は…36歳か。

『ルンピ=フォン=シュロッターシュタイン1836〜1852 』

 ルンピ……彼は16歳で死んだんだ。そう言えば、リュディガーは兄貴がいるって言ってたっけ。
 そして――ぼくは吸い寄せられるように、一番古い墓を見つけた。

『ドロテー=フォン=シュロッターシュタイン 1812〜1834 』

 ぼくは何度も生唾を飲み込んだ。
 その墓を見つけた時のショックが、一番大きかったのかもしれない。だって他の人は、『もしかしたらリュディガーと同じ名字の人かもしれない』と思えた。だけど、彼女は違う。

 リュディガーが一番多く口にし、ぼくも実際に――棺桶越しとはいえ、声を聞いた吸血鬼だ。
 彼女は22歳。……思ってたより、ずっと若いみたいだ。
 そして、その隣りに比較的新しい墓が並んでいる。

『永遠の愛をこめて……。
 テオドール=フォン=シュロッターシュタイン 1834〜1875 』

 そして、彼女の夫であるテオドール叔父さんは……41歳。
 だけど――年月日を細かく見て、ぼくはぞくりとした。テオドール叔父さんは、ドロテー叔母さんが死んだ年に生まれているんだ……!
 思わず2、3歩後ずさったぼくは、また、シュローターシュタイン家の墓を見つけた。


『わが生涯でたった一人の妻
 ザビーネ=フォン=シュロッターシュタイン 1788〜1848 』

 リュディガーのおばあさん……60歳。この墓碑銘は……おじいさんが書いたものなのかな?
 その隣に並んでいるのが、おじいさんらしい。

『ウィルヘルム=フォン=シュロッターシュタイン 1787〜1849 』

 62歳だ。
 どの墓も、みんな同じハート型をしていた。こんな形の墓は、他にはない。これには、なにか意味があるのかな?
 ハートと言えば、まず愛――だけど、吸血鬼にはちょっと相応しくないな。

 それとも心臓? それだったら、これ以上吸血鬼に相応しい墓もないだろう。
 何度となく墓石を見比べて、ぼくはあることに気づいた。
 ドロテーとテオドールを除いて、みんな、1年おきに死んでいる。まず、ザビーネ、ウィルヘルム、ルートヴィッヒ、ヒルデガルト、ルンピ。

 普通だったら家族がこんな風に数年で、しかも順番に全員死ぬなんてありえない。
 でもこの順番は……昨夜、リュディガーに聞いた通りだ。

 あいつは言っていた。
 まずドロテーが吸血鬼になって、娘が吸血鬼になったことを知ったザビーネが、続いて吸血鬼になったんだと……。
 それじゃあ他の人……とりわけリュディガーは、どうして吸血鬼になったんだろう?

 だけど、いくら熱心に探しても、リュディガーの墓は見当たらなかった。
 ひょっとしたら、ちびっこ吸血鬼は墓石を作ってもらえなかったんじゃないだろうか?
 もし、リュディガーの家族が次々と吸血鬼となって死んでいったのだとしたら……シュロッターシュタイン家は彼を最後に死に絶えたのかもしれない。


 リュディガーにはきちんとお墓を作ってくれる者が、誰もいなかったのかもしれない。 あれこれ考えていると、突然、ガサッと草を掻きわける音がした。

「うわっ?!」

 びっくりしてそっちに目をやると  男の人がこっちに歩いてくるのが見えた。
 ぎくん、と心臓がもう一度、跳ねあがる。
 昨日ちらっと見ただけど、見間違いようもない。彼は、墓守りのガイヤーマイヤーだ。
 

 だけど――こうやって昼間見ると、ガイヤーマイヤーは吸血鬼以上におっかないっ!
 大きな鼻に、抜け目なさげに光る小さな目、ごつい眉毛……素顔のままでもフランケンシュタイン役ができちゃいそうだ。

 あまりに怖い顔つきに、ぼくは目をそらせなかった。
 この人が――リュディガーの叔父さんのテオドールに、杭を打ちこんだんだ……!
 ガイヤーマイヤーはゆっくりとぼくに近づいてくると、しゃがれた声で聞いた。

「何をしている?」

「な……何って、は、墓参りに……」

 つっかえながら、そう言うのがやっとだった。でも、自分でもものすごくまずい言い訳をしてるのは知っていた。……こんな、百年以上も前の墓しかない場所で、墓参りもへったくれもないっ!

「ほんとかね?」

 ガイヤーマイヤーが歯をむき出すようにして笑う。たいていの人は、笑顔になると感じがよくなるものだけど、この墓守りときたら不気味さがアップしただけだった。

「う、うん、でも、ぼく、もう帰るんだ」

 とても耐えられなくて、ぼくはガイヤーマイヤーの脇を通り抜けて元きた道へ戻ろうとした。一刻も早く、ここから逃げ出したかったんだ。
 だけど、ちょうどぼくがガイヤーマイヤーの真横を通りかかった時、草に当たった紙袋が大きな音を立てて裂けた。

「あっ?!」

 止めるまもなく、マントが下に落ちた。それももっのすごく間の悪いことに、ぱぁっと広がりながら。
 足元に広がる黒いマントに、ぼくは凍りついたように動けなくなった!

「それは……?」

 ガイヤーマイヤーが驚いたようにマントを見、ふいに目をギロリと光らせてぼくにぐっと顔を近づけた。

「それは、おまえの物か?」

 顔が間近に迫ると、息が詰まりそうなほど強いにんにくの臭いがする。ぼくには吸血鬼と違ってにんにくなんか何の効き目もないはずなのに、それでも目眩がしてクラクラしてきた。

「ええ? それは、おまえの物か、と聞いているんだよ?」

 脅すようなガイヤーマイヤーの言葉が、どんなに恐ろしく聞こえたか……どう説明したら分かってもらえるだろう?!
 恐怖のあまり、ぼくはガタガタ震えながら、もう少しですべてを白状してしまうところだった。

 けど、すんでのところで踏みとどまれたのは、ガイヤーマイヤーのコートの内側に、ちらっと杭が見えたからだった。
 杭――吸血鬼にとどめを刺すための道具!!

 ぼくがここで白状したら、リュディガーに杭が打ち込まれることになるんだ。それを考えたら、おちおちビビッてなんかいられない!
 ぼくはにんにくの臭いをかがないように、小さく深呼吸する。そして、墓守りの後ろの方を見て、ふいに声を張りあげた。

「あ、お父さん、こっち、こっち!」

 それを聞いて、ガイヤーマイヤーは思惑通りそっちに目をやった。だけど、ぼくのお父さんがこんな場所にいるわけないっ!
 ぼくはマントをわしずかみにして、勢いよく走り出したっ。
     
「あっ?! おい、待て!!」

 と、言われて、待つ奴はいないっ。
 ぼくは全速力で墓地を走り抜け、大通りの人込みの多い所まで走って、やっと足を止めた。

 そこでようやく振り返ってみたけど、ガイヤーマイヤーはぼくを追ってはこなかったみたいだ。ホッとしてから、ぼくは手にしたマントをくるくると丸めて持ち直した。
 しばらくどうしようか考えたけど、とても、もう一度あの墓守りのいるところに戻る度胸はなかった。

 ……今日は、このまま帰ることにしよう。
 お父さんやお母さんには、リュディガーには今日は会えなかったと言えばいい。これって、ホントなんだから!

 のろのろと歩きながら、ぼくはため息をついた。
 こうなったら、リュディガーの方がぼくん家に来てくれるのを祈るしかないみたいだ。
 どうか、それができるだけ早くでありますように! ぼくは心の底からそう祈った。

                                  《続く》

 

8に続く→ 
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