Act.8  かわいい女吸血鬼、アンナ  

 

「あら、アントン。また、マントを持ってきちゃったの?」

 家に帰るなり、言われたセリフがそれだった。

「うん、あいつには会えなかったんだ。多分、土曜日にならなきゃ会えないと思う」

 言い訳する気力もなくぼくはそう言って部屋に戻ろうとしたけど、お母さんは顔をしかめてマントを取りあげた。

「いやだ、どこかで落としたの? 泥だらけになってるじゃない。洗濯しなきゃだめね」
 

 そう言って持っていこうとしたので、ぼくは焦った!

「ええっ、ちょっと待ってよ、いいよ、洗濯なんか!!」

 そんなことしたら、すぐには乾かない。もし、今夜にでもリュディガーがきたらなんて言えばいいんだ?

「あら、土曜日まで会えないならそれまでには乾くわよ。大丈夫、綺麗に洗ってアイロンをかけておいてあげるから」

 アイロン……吸血鬼のマントにアイロンだって?
 あきれはてたぼくが絶句したスキに、お母さんはさっさとマントを持っていってしまった。――ええい、もう勝手にしたらいいんだ!

 

 


 その夜、とんとん、と窓を叩く音が聞こえた。
 読みかけていた本から窓に目を移すと、カーテン越しに小さな人影が見えた。今日は土曜日じゃないけどこんな時間に6階のぼくの部屋の窓からノックする知り合いなんて、一人しか知らない。

「どうぞ、開いてるよ」

 カーテンも窓も閉まっているけど、別に鍵はかけていないし端は開けてある。
 だからリュディガーは勝手に入ってくると思ったのに、今日は不思議にもたついていた。 遠慮がちにとんとん、とノックを繰り返すだけで、自分で窓を開けようとしないんだ。珍しいなと思いながら、ぼくは窓に近よっていってカーテンを引きあけた。

「え……?」

 その瞬間、ぼくは目を見張った。
 窓の外にいたのは黒いマントを羽織った赤い目、白い髪の子供の吸血鬼――だけど、リュディガーじゃない。

 背格好から整った顔まで。確かにリュディガーと双生児のようによく似ているけど――でも、違う。
 だって、リュディガーはこんなに髪が長くはない。

 その吸血鬼の髪はリュディガーよりもっと長くて、背の半ばまでも覆っている。もしゃもしゃの髪が、ゆらゆらと海草みたいに揺らめいていた。

「リュディガー……じゃない……?」

 混乱して思わずそう呟いたぼくに、その吸血鬼はにっこり笑いかけてきた。

「やっぱり。あなた、リュディガーを知っているのね」

 高くて澄んだ声  それを聞いてやっと、ぼくはこの子が女の子だって気がついたんだ。


「…君は……何で…ぼくの所に……?」

 問いかける声が、掠れてとぎれる。
 たとえ女の子でも、いくらリュディガーに似ていても、この子は人間じゃない――吸血鬼だ!!

「怖がらないで! わたし、あなたを驚かせるつもりはないの」

 そんなこと言ったって、すでに充分すぎるほど驚いている!

「だって……君は、リュディガーじゃない……っ」

 リュディガーなら、怖くない。
 ぼくを気に入ったと言った、あのおこりんぼのくせに怖がりなところのあるちびっこ吸血鬼なら。
 でもいくらリュディガーに似ていたとしても、他の吸血鬼はやっぱり怖い……っ。

「ええ、わたしはリュディガーじゃないわ。わたしはリュディガーの妹なの」

 女吸血鬼は優しく、物柔らかに話しかけてくる。開いている窓に手も振れず、ガラス越しにぼくを見つめる慎重さに、ぼくは少しだけ冷静さを取り戻した。

「リュディガーの……妹?」

 記憶を探ってみれば、……確かにリュディガーは妹もいると言っていた。こんなにリュディガーにそっくりだなんてのは、聞いていないけど。

「……そ、そのリュディガーの妹が、どうしてぼくの所に……? リュディガーに言われてきたの?」

 それに答えたのは、聞き覚えのあるしゃがれ声だった。

「違うね! オレはこいつに、ここのことなんか一言も話してない!」

 女吸血鬼が、びっくりしたようにあたりを見回す。

「リュディガー?! どこにいるの?」

「ここだよ」

 ひらひらと窓の前に舞い降りてきたコウモリが、ふいに大きく膨れ上がった。それは見る間に人の姿になり  空中で胡座をかいた姿勢のリュディガーになった。
 あっけにとられたぼくよりも、女吸血鬼の方が立ち直りが早かった。

「おにいちゃん! わたしの後、こっそり尾けてきたのねっ?!」

「よく言うぜ、おまえだってオレの後を尾けたんだろ? そうじゃなきゃ、この場所が分かるはずないからな!」

 窓の外で空中に浮かんだまま怒鳴りあう吸血鬼を、ぼくは焦ってなだめた。

「ちょっと二人とも落ちついてよ! あんまり大きな声を出すと、他の人に聞こえるよ!」


 こんなとこお父さんとお母さんに見られたら、どう言い訳しろってえの? それに、窓の外で浮かんでいるんだから、道を歩く人にも丸見えなのに。

「とにかく、中に入りなよ。話はそれからゆっくりすればいいだろ?」

 そう言うと、さすがの吸血鬼達も自分達の兄妹ケンカが恥ずかしくなったのか、顔を見合わせておとなしく窓からすべりこんできた。

 

 

「ま、来ちゃったもんはしょうがねえよな。改めて紹介するよ、こいつはオレの妹の『歯なしのアンナ』だ」

 と、リュディガーは乱暴に女吸血鬼――アンナを指した。
 こうして二人並んでいると、さすがに男女差が分かった。
 二人とも双生児といってもいいぐらいに似ているし、どっちもハッとするぐらいの美形だけど、リュディガーの方が目付きが鋭いしアンナの方がやや線が細い感じがする。

 やっぱりリュディガーは男の子っぽい顔をしているし、アンナは女の子に見えるんだ(あたりまえか)
 小さめでふっくら柔らかそうな唇辺りがいかにも女の子らしくて、なんか見ててどきどきする。

 こんな幽霊みたいに青白くなかったら、もっと可愛く見えるだろうな……なんて考えてぼくは一人で赤くなった。
 ぼくってば、いったい何考えてんだろ?! 相手は吸血鬼の女の子なのにさ!!

 電灯の光の下でちょっと眩しそうにしているアンナは、ぼくににっこりと微笑みかけてくる。それから、アンナは顔を赤らめてリュディガーに言った。

「もおっ、おにいちゃんったら! いつもいつもわたしを『歯なしのアンナ』って言うのはやめて! 歯は直に生えてくるわ」

「ハン、どうだか。おまえなんか、いつまでたっても一人前の吸血鬼になれるもんか」

 妹をからかってから、リュディガーはぼくの方を向いていった。

「ミルクを飲んで生きてるのは、うちの一族じゃこいつだけなんだ」

「ミ、ミルクゥ?」

 吸血鬼がミルク、ねえ? ……なんか、イメージが狂うよなぁ。でも、安心って言や、安心か。

「よ……よろしく、アンナ。ぼくはアントン=ボーンザックって言うんだ」

 挨拶するとアンナは嬉しそうに笑って、膝を折った古風なお辞儀をした。

「よろしく、アントン! わたしはアンナ=イルムガルド=フォン=シュロッターシュタインよ」

「こいつ、オレがおまえと一緒にいるのをどこかで見たらしいんだ。それ以来、あの金髪の男の子は誰ってうるさくってさ。
 ぜひ、おまえと知り合いになりたいってきかないんだ」

 リュディガーがめんどくさそうに説明するのを、ぼくはぽかんとして聞いていた。
 ぼくと、知り合いになりたいって……?
 思わずアンナの顔を見ると、彼女はパッと顔を赤くした。

「それがどうしたの? いけないことなの?」

 お兄さんのリュディガーをぐっと睨み、アンナは照れ隠しにかそれとも物珍しいのか、部屋の中をキョロキョロと見回す。

「わあ、すごくたくさん本を持っているのね。それも、吸血鬼の本ばかり!」

「あ、よかったら何か貸そうか?」

 何のきなしに言ったのに、アンナはホントに嬉しそうな顔をした。

「いいの? わあっ、嬉しい」

「うん、どれでも好きなのを選んでいいよ」

 それを聞いてアンナは嬉しそうに、本棚の前で背表紙を目で追っていく。その間リュディガーはニヤニヤしながら、ぼくの机の上でゆったりとくつろいでいた。
 そのリュディガーに、ぼくは話しかけてみた。

「リュディガー、君ってコウモリに化けられるの?」

「ああ。普通の吸血鬼はできないけどね。できるのは、オレみたいに力のある吸血鬼だけなんだ」

 いかにも得意げに、リュディガーが威張る。まあ、確かにすごい芸当だもんね。
 それに感心しつつ、ぼくはもう一つ気になってたことを聞いた。

「リュディガーとアンナって、双生児なの?」

 聞くと、リュディガーは大袈裟に首を振った。

「まさかぁ! オレとアンナは2歳も違うんだ、双生児なんかじゃないよ」

「へえー、とてもそうは見えないや」

 実際、リュディガーとアンナは体の大きさや背の高さもほとんど同じで、とても2歳も離れているようには見えない。
 二人を見比べていると、アンナはくすくすと声を立てて笑った。

「それはあたりまえよ。だって、わたしもリュディガーも同じ12歳ですもの!」

 2歳離れている兄妹なのに、同じく12歳同士?
 ぼくは一瞬混乱したけど、すぐに謎が解けた。そういえば、吸血鬼は年齢をとらないんだ。

 まず、リュディガーが12歳の年に吸血鬼になって、その2年後、同じく12歳に成長したアンナが吸血鬼に……ってことなのか。
 ぼくがそんなことを考えていると、リュディガーはキョロキョロと部屋を見回した。……アンナはともかく、リュディガーにはもう、ぼくの部屋は珍しくないだろうに。

「どうしたのさ、リュディガー?」

「貸したマントはどこへやったんだ?」

 ぎ、ぎくっ!

「あ、あれは、そのお………………今、洗濯中なんだ」

「洗濯?」

 リュディガーが驚いた顔をする。

「いろいろ事情があって……まあ、ぶっちゃけうちの親があれを見つけてさ、ほころびを繕ったり、洗ったりしちゃって」

 気を悪くしないか心配だったけど、リュディガーはただ呆れた顔をしただけだった。

「別に、ほっときゃいいのに。吸血鬼のマントは織り姫の特製だから、汚れたり傷ついたりしても、ほうっておけば勝手にきれいになるんだ。時間はちょっとかかるけどさ」

「あ……そうなの?」

 そんなに便利な物とは知らなかった。

「それより、おまえ、両親にオレ達のことを話したのか?」

 リュディガーの目が鋭くなって、声も探るような響きが混じる。

「君と友達になったってことだけだよ! 共同墓所のこととかはしゃべってない。第一、うちのお父さんもお母さんも、吸血鬼を信じていないんだ」

 慌てて弁解すると、リュディガーは安心したらしかった。

「でも、アントンは吸血鬼のことを信じている!」

 突然、アンナが歌うようにいって、嬉しそうに手を叩いた。本を選んでいるかと思えば、ちゃんとぼくらの会話も聞いていたらしい。

「しぃっ! 静かにしろよ」

 ドアの方を気にして、リュディガーが妹をたしなめる。アンナは恥ずかしそうに目を伏せてから、こそこそとリュディガーの側によって耳打ちをした。

「文句ばかり言わないでよ、リュディガー! アントンになんて女の子だって思われちゃうじゃない!」

 ……あのー、まる聞こえなんですけどぉ。

「アントンにはちゃんとお見通しさ。おまえが惚れっぽい、おバカさんな女の子だってことは」

 からかうようなリュディガーの返事は当然と言うべきか、いたくアンナの機嫌を損ねた。


「わたしがなぁーんですって?! もう一度言ってごらんなさい!!」

 叫ばんばかりに言い、アンナは小さな両手を握り締めて肩を震わせる。
 うっ、こんなところで兄妹ケンカをやられたら、空中でケンカされるよりまだ始末に負えないっ。

「リュ……、リュディガー」

 すがる想いでリュディガーをつつくと、ちびっこ吸血鬼は肩を竦めた。

「……分かった、あやまりゃいいんだろ。ゴメン」

 ちっとも誠意を感じない謝罪だけど、それでアンナの気はすんだらしい。アンナの顔に、満足そうな笑いが浮かぶ。そして、ぼくに優しい眼差しを投げかけると、彼女はまた本選びに戻った。

「わたし、これを読みたいの。いいかしら?」

 アンナが手にとったのは、ぼくが小さな頃に読んでいたおとぎ話の本だった。お姫様とか、王子様がでてくるようなお話だ。吸血鬼がこんな本を読みたがるなんて、ちょっと意外だ。

「うん、もちろん」

「ありがとう!」

 アンナはホントに嬉しそうに笑って、マントの下に丁寧の本をしまいこんだ。それを見て、リュディガーは言った。

「おい、もう、帰るぞ」

「もう?」

 言ったのはアンナだけど、ぼくもまったく同感だった。

「そうさ。それとも夜が明けるまでここにいる気か?」

 急かされ、アンナはしぶしぶと窓台の上に乗る。でも、そこで飛び立つ代わりに振り返った。

「また、そのうち、ここに来てもいい?」

 ほとんど懇願するような瞳に、ぼくはどうしてもダメとは言えなかった。

「うーんと……いいよ」

「わぁい、やったー♪」

 歓声を上げアンナは一気に窓を飛び出して、窓の外でぱたぱたと飛び回る。その様子を見て、ぼくはチョウチョを連想してしまった。

「それで、マントは土曜日までには乾くのか?」

 窓枠に足をかけたリュディガーが、念を押すように聞く。

「う、うん、多分ね」

「よし。土曜日に」

 と言ってから、リュディガーは急に声を潜めて付け加えた。

「おい、隣町のマンションに現れたニセ吸血鬼、また何か事件を起こしたか?」

 突然聞かれて、ぼくは戸惑った。

「え……いいや、聞いてないけど」

「そうか。じゃ、次の土曜日はそいつを探しに行こうぜ――見当はついてるんだ」

 そう言うと、リュディガーは窓枠を蹴って飛び出した。

「あっ、ちょっと待ってよ、見当って……?!」

 けど、もうリュディガーはぼくの声が聞こえない距離まで飛んでいた。小さくなっていく影を見つめながら、ぼくは今さらながら思い出した。
 ――リュディガーを、お茶に誘うのを忘れてたっ。

 まったく突然やってきて、アッという間に行っちゃうんだもん、吸血鬼ってのは。心の準備ぐらい、させてほしいもんだ。
 二人並んで飛ぶ吸血鬼の姿が完全に見えなくなってから、ぼくはきちんと窓を閉めた。いくらなんでも、もうこれ以上は窓からの客は来ないだろう。

「ふわぁ……」

 気が抜けたら急に眠気が込みあげてきて、ぼくはベッドに潜り込んだ。
 まだ、いろいろと気になることはあるんだけど…。
 それにしても、ニセ吸血鬼の見当がついたって、本当なんだろうか? それに、昼間、ぼくガイヤーマイヤーにマント、見られちゃったけど平気かな……?

 眠いせいで、いろいろな考えがとりとめもなく浮かんでは消えていく。
 とにかく、肝心なのは今度の土曜日に、リュディガーをお茶に誘うのを忘れないようにすることだ――ぼくは最後にそう思って、眠りに落ちていった……。
                                   《続く》

 

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