Act.9 ニセ吸血鬼狩りの夜 |
「よお」 土曜日の夜――窓の向こうからちびっこ吸血鬼が手を振った。 「待ってたよ、リュディガー」 窓を開けたけどリュディガーは窓台に座ったまま、中に入ろうとしなかった。 「どうしたのさ、入らないの?」 「それよりおまえが出てこいよ、行こうぜ」 「行くって……どこへ?」 「なんだ、忘れたのかよ」 不満そうに、リュディガーが言う。 「ニセ吸血鬼を探しに行こうって言っただろ」 「ああ、あれか……」 正直な話、ぼくは忘れてたわけじゃない。ただ ただ、もぉのっすごぉーく気がすすまなかっただけだっ。 「……待ってて、今、支度するから」 せめてもの抵抗に、ぼくはゆっくりとマントを羽織る。 「早くしろよ」 気短なリュディガーに急かされて、ぼくは夜空へと飛び出した。二回目なせいかそれともマントがいいせいか、この前よりはずっと飛びやすい。 「それでどこへ行くのさ、リュディガー?」 「奴が現れそうな所だ」 きっぱりと、リュディガーが返事をする。単純明快なお答えだけど、それだけじゃさっぱりどこか分からない。 「……それっていったいどこなの?」 重ねて聞くと、リュディガーは苛々したように言い返した。 「だから、奴が現れそうな所だって言ってんだろ!!」 ――ここにいたって、ぼくはとんでもない可能性に気がついたっ。 「リュディガー……君、犯人の正体が分かったって言ってたよね? それって本当なの?」
「なんだよ、てめえ?! オレが嘘をついたとでも思ってんのか?!」 「思ってない、思ってないよ」 本心を言えば十分以上に思ってるけど、まずはリュディガーをなだめなくっちゃ話が始まらない。 「ただ、ぼくは……そう、まだ君から犯人の話を聞いてないから。だから、それを先に聞きたいと思っただけだよ」 「ふぅん?」 まだ納得できないような顔をしながらも、それでもリュディガーは一応犯人についての『見当』を語った。 「犯人は、人間だよ。間違いない」 「…………………」 あまりにも大雑把で広すぎる『見当』に、ぼくはすんでのところで空から落下するとこだった。 「現場の気配で分かったんだ。吸血鬼が血を吸ったなら、その場所にはしばらくその気配が残る。それがまったくなかったんだ、犯人は人間に間違いない!」 自信たっぷりにしかも得意げに言い切るリュディガーに、ぼくは何をどーいっていいやら、しばし考え込んだ。 「……? なんだよ、アントン。おまえ、疑ってるのか?」 ぼくの沈黙をどう誤解したのやらリュディガーがツッコんでくるが、これって『疑う』とかそーゆー段階の問題じゃないぞ。 「い……いや、そーじゃないけどさー」 犯人は人間と断定するなんて警察だってやってるけど、大勢で捜査しててもまだ犯人を捕まえていないっていうのに、ぼく達二人でどう探すつもりなんだろう?
……誰も、そんな心配をしてるわけじゃないってば。 「…………でも、相手が人間だとしても今日中に見つかるかなぁ?」 今日中どころか一生かかっても無理だとは思ったけど、全部を口に出すほどぼくもバカじゃない。 「そんなの、探してみなきゃ分かるかよ。さぁ、手を貸せよ。そんなにノロノロ飛んでたら、見つける前に逃げられちまうぜ」 手を延ばしてきたリュディガーの手をつかむ前に、ぼくはもう一度だけ聞いてみた。 「リュディガーは、なんでそんなにニセ吸血鬼を捕まえたいのさ?」 「なんで、だって?」 なぜそんなことを聞くんだとばかりに、リュディガーはきょとんと目を見張った。 「だって、そうしないとおまえ、安心できないだろ」 今度はぼくが目を見張る番だった。 「え? ぼくが?」 「吸血鬼は人の血は吸うけど、殺しはしない。でもおまえ、そう言っても信じてないじゃないか。だったら、ニセ物と本物の違いを証明するしかないだろ」 当たり前のように言うリュディガーに、ぼくはしばらくぽかんとしてしまった。 「それに……吸血鬼の名を語って人殺しをするような奴を、野放しにしておけるもんか。あんなのをほっといたら、本物の名折れだ!! 「あ……うん」 今度はぼくも、素直にリュディガーの手を取った。手を握ったとたん、リュディガーはぐんぐんと空高くへ上昇していく。ぼくがそれに逆らわなかったのは――なんだか……なんだか、嬉しくなっちゃったからだ。 自分勝手なおこりんぼに見えたリュディガーが、ぼくの怯えに気がついて、しかも気をつかってくれていただなんて思いもしなかったのに。 見つかるはずないと思う気持ちは変わらないけど、それでもしばらくはリュディガーに付き合ってもいいって気分になったんだ。 「それでリュディガー、どこまで行くんだい?」 「上空! 高い所から、下のマンションなんかを見張るんだ」 ずいぶん高い位置まで来てから、やっとリュディガーはぼくの手を放した。 「この前、屋上の手すりを調べて分かったんだ。ニセ者は屋上からロープか何かを垂らして、マンションの上の方の部屋に入ったに違いない」 自慢そうに言うリュディガーに免じて、ぼくは今朝の新聞にそれと同じよーな意見が出ていたことは黙っておいた。 「ふぅん。じゃあ、マンションを中心に見張るんだね?」 「そうだ。しっかり見張れよ!!」 目を輝かせて熱心にキョロキョロするリュディガーの隣で、ぼくはちびっこ吸血鬼にバレない程度に手を抜いて、辺りを見渡した――。
「ねえ、リュディガー。もしかすると……ぼくの勘違いかもしれないけどさ、今日はニセ者は事件を起こす気はないんじゃないかなぁ? あれからざっと2時間あまり いくら探偵ごっこに夢中になっていても、普通の子供なら諦める時間だ。 「いやだ! まだ、見つけてないじゃないか!!」 まったく、リュディガーときたら! いくら春先とは言え、夜はそこそこ冷えるし。 「でも、ぼく、もう寒くてガマンできないよ!」 同じ条件なはずなのに、ガタガタ震えているぼくに比べリュディガーはまるで平気な顔をしている。 「ああ、そう言えば、風がけっこう強いかもな。アントン、おまえ、そんなに寒かったのか?」 「『寒かったのか』じゃないよ!! リュディガーは寒くないの?!」 「あんまり。吸血鬼って、人間に比べると寒さとか暑さを感じにくいんだ」 真冬とか真夏なら話は別だけどなと、リュディガーは肩を竦めてみせる。 「だから、寒いなら寒いって言えよ。言わなきゃ、分かんないだろ」 言わなかったぼくが悪いとでも言わんばかりに、リュディガーが言う。……でも、ぼくだってそんなこと初耳だぞ!!
慌てて後を追いかけるぼくに、リュディガーは振り向きもせずに言う。 「おまえ、寒いんだろ? 帰りたくないのか?」 ぼくはちょっとの間あっけに取られ――それから、リュディガーに気づかれないように吹き出した。 まったく、このちびっこ吸血鬼ときたら! 「何、ぐずぐずしてんだよ、アントン! おまえ、帰らない気か?!」 短気なリュディガーが怒鳴るけど、もうちっとも怖くはない。ぼくは飛ぶ速度を上げてリュディガーに並んだ。 「もちろん、帰るよ」 そう言ってから、ぼくはずっと言おう言おうと思っていながら言えなかったことを、一気に口にした。 「ところでさ、リュディガー。話は変わるけど、うちの両親が君に会いたいって言ってるんだ。お茶に招待したいんだって。 「お茶ぁ?」 リュディガーがすっとんきょうな声を上げて、ぼくを見る。 「あ、二人とも君が吸血鬼だって、信じてないんだ。でも、ぼくの新しい友達とお近付きになりたいって言って、きかないんだよ。 反対される前にと、一気にぼくがしゃべる間、リュディガーは呆れたよーな顔でぼくを見ていた。 「お茶会ねえ……。でも、オレ、お茶なんか飲めないぞ」 「飲まなくってもいいよ。どっちにしろお父さんとお母さんは、君と話がしたいだけだもん」 「でもなぁ…… ん?」 気乗りなさげにしていたリュディガーは急に空中にぴたっと停止し、ぼくのマントをつかんだ。 「ど、どーしたのさ、リュディガー?」 とーぜんのことながら、マントをつかまれちゃ飛べやしない。 「あれ……見てみろよ」 リュディガーの声は弾んでいる。 「おまえのマンションの、屋上だよ」 細かく指摘されて、ぼくはようやくリュディガーの言う『あれ』に気がついた。 「え……えーっ、うそだろーっ?!」 さんざん探したのに見つからない犯人が、まさか家に戻ってみたらいただなんて そんなの、そんなの信じられない。 「うん、やっぱりあいつは人間だ。ほらみろ、アントン、オレの言った通りだろ?」 得意げにリュディガーが勝ち誇るけど、……そんなことしてるばあいじゃないってば!
まさか見つかるとは思わなかっただけにぼくは思いっきり動揺したが、必ず犯人を見つけると決め込んでいたちびっこ吸血鬼は、ちっとも動じない。 「決まってるだろ。ニセ物と本物の違いを、見せつけてやるよ」 不敵に笑うリュディガーの口元に、するどい牙が除いている。いかにも不死身の吸血鬼に相応しい表情に、ぼくは一瞬見とれたけど ここですべてをリュディガーに任せるわけにはいかないっ。 「ちょっ、ちょっと待ってよ、リュディガー! 何をする気なんだよ?!」 「なにって、ニセ物退治に決まってるだろ」 リュディガーは事も無げに答えるけど、…そんなの、すぐには納得できないぞっ。 「でもっ、あいつがまだ犯人だと決まったわけじゃないだよ?」 もし、万一 本当に、万一だけど――この人が犯人でもなんでもなくて、何かものすごく特殊な事情でこんなことをしてるとしたら……そう思うと、いきなり襲うのだけは反対しておきたかった。 なんせリュディガーは本物の吸血鬼なんだ、バレたらとんでもないことになっちゃう。 だけど、ぼくの心配も知らず、リュディガーは決めつける。 「おまえ、どこを見て言ってるんだよ? あんな怪しい真似してる奴の、どこが犯人じゃないっていうんだ?」 それは確かに反論しがたい説得力があるけど、でも万一ってことがある! 「とにかく、確かめてからにしようよ、リュディガー!」 食い下がると、リュディガーはしぶしぶながらうなずいた。 「……ああ、分かった」 それを聞いて、ぼくは心の底からホッとした。――ちびっこ吸血鬼が、ニヤリと笑って次のセリフを言うまでは。 「じゃ、確かめるのは君がやれよ」 「………………えぇっ?!」 絶対にできないと叫ぼうとしたぼくより、ニヤニヤ笑っているリュディガーの方が早かった。 「あいつが犯人だったら、後はオレが引き受けるよ。だから、君は確かめるだけでいいんだ。簡単だろ、アントン?」 なっ、なにが簡単なものかっ!! それは、まずい。すごく、問題がある……。 「…分かった。ぼくが確かめるよ」 |