Act.12 リュディガーのお見舞い |
もう、遠くの方に、墓地の塀が見えてきた。 それとも、ここにくるのがもう三度目だから、いくらか慣れたのかな? 「ここが入り口よ。でも、まずあたりが静かかどうか、様子を伺わなくちゃ」 アンナの囁きに、ぼくは黙って頷いた。 背の高い草にほとんど覆われている、ひっくり返った墓石や、しげみと暗いもみの木の間の、古い錆びた十字架が見えた。そのもみの木の影に、共同墓所の入り口があった。 「……大丈夫よ」 じっと耳を済ませていたアンナは、そう言って立ち上がった。リュディガーもそうだけど、吸血鬼って人間より耳がいいみたいだ。 「こっちよ」 軽々と、アンナは入り口の石をずらす。ぽっかりと開いた暗い穴を見ていると、急に勇気がなくなっていくみたいだった。 「ひ、一つ、聞いておきたいんだけど、下にはリュディガー以外、誰もいないんだよね?」 不思議そうに、アンナが聞き返す。 「なんでもないよ。さあ、行こう」 なかば自棄になって、ぼくはすとんと縦穴を降りた。……は、いいけど、暗くて見えにくい。ましてや、アンナがちゃんと入り口の石を閉めたから、辺りは真っ暗になった。 「さあ、行きましょう」 アンナは先に立って、とんとん歩きだす ――って、ぼくはどーすればいいんだっ!? 「ま、待ってよ。こう暗くっちゃ、見えないよ」 「え?」 意外そうな声が、返ってきた。 「見えないの?」 不思議そうに問いかける声は聞こえるけど、アンナの姿は見事に闇に紛れていた。白っぽい髪がかすかに見える気がするだけで、それも気のせいか、幽霊に見えちゃうぐらいの曖昧さだ。 「うん。君は暗くても、目が見えるの?」 「ええ」 少し、誇らしげにアンナは言った。 「吸血鬼は、闇の中の方が落ち着くの。暗いのが嫌いだなんて言うのは、リュディガーぐらいだわ!」 くすくす笑っているアンナの目は、どんなに目を凝らしても見えない。闇に光る目を持つリュディガーの方が、よっぽど暗闇に強そうなのに、アンナの方が暗闇に強いだなんておかしな感じだ。 「いいわ、ちょっと待って」 アンナが闇の中をごそごそ動いたかと思うと、ポッと小さな火が点った。ロウソクをつけてくれたんだ。 「ありがとう、アンナ」 やっぱり、明りがあると気分が違う。 「リュディガー!」 広間に出るなり、ぼくは叫んだ。 「……!」 顔を上げたリュディガーが、驚いたのが分かった。が、リュディガーは声を出さず、口に指を当てた。 「?」 戸惑うぼく達を、リュディガーは手招きする。近寄っていくと、リュディガーはごく小声で囁いた。 「兄さんが、眠ってるんだ」 兄さん――って、そう言えば、リュディガーには兄貴がいるって言ってた。お墓で見た名は、ルンピだった。 「えー、なんでルンピ兄ちゃんがいるのよ? 出かけたんじゃないの?」 不満そうに言うアンナに、リュディガーはまず、自分の棺桶の縁を叩いてみせた。座れって言ってるらしい。 「忘れたのか、アンナ。兄さんは2、3日前から調子が悪いって言ってただろ」 「そうだったっけ?」 小首を傾げたアンナは、まるで心当たりがないような気楽な調子だ。……アンナは吸血鬼の親が子供を構ってくれないと言ったけど、吸血鬼の子供だって自分の兄弟を構わないのかも。 「あ、あの、もし、ルンピが、ぼくが来たのを知ったら…」 早くも腰を浮かしかけたぼくを、アンナが引き止めた。 「まさか。そんなこと考えるの、やめて。吸血鬼の子供達の気持ちはみんな一緒よ」 「じゃあ、ルンピは、ぼくに何もしない?」 「ええ、お友達には何もしないわ」 と、アンナは笑ったけど――ぼくには、賛成できないとばかりに腕を組んでいるリュディガーの姿の方が気になった! 「ル……ルンピはどうしたの?」 思い切って聞いてみると、リュディガーは少し離れた場所にある、大きな飾り気のない棺桶を指した。 「流感だ。夜しかでかけないんだから、それも不思議じゃないよな」 吸血鬼も風邪を引くなんてぼくにはすごく不思議だけど、そんなものなのかな。
兄弟なのに、リュディガーやアンナには全然似ていないや。 「大丈夫なの? なんだか、すごく具合が悪いみたいだけど」 「うん、完全に貧血なんだ、かわいそうに」 そう言うリュディガーは、本当に心配しているみたいだ。兄弟を気遣うその様子にホッとしたけど、考えてみればリュディガーだって、具合が悪いんだった。 「あ、リュディガーは平気なの? ぼく、ホントは君のお見舞いに来たんだよ」 「オレの?」 きょとんと、リュディガーは目を見張る。 「うん、アンナから君が病気だって聞いたから……。でも、割と元気そうで安心した」 うん、確かに心配が一つ無くなった。 ぼくは、今にも起きそうな感じで寝返りを打ち、低い声でうなっているルンピを見ながら、小声で言った。 「君が、もう元気なんだったら、ぼく、悪いけど――」 「そんなにすぐ、帰っちゃだめ!」 ぼくがいい終わるより早く、アンナが叫んだ。その甲高い声で、ルンピが起きるんじゃないかと思うと、ぼくは冷や冷やした。 「で、でも、ぼく、早く帰らないと。お父さん達が散歩から戻っちゃうよ、それに……」 小さく呟いていた言い訳は、途中でとぎれた。 せめて、ルンピがものすごいド近眼で、ぼくに気がつかきませんように! ルンピの目も、赤かった。 ――ああ、ルンピは何もしないと言ったアンナの言葉が、どうか本当でありますように! 二度目の願いは、一度目よりもっと切実だった。 「こいつは、誰だ?!」 ルンピは、われ金のような声で叫んだ。 「ルンピったら! この子はアントンじゃない。ほら、話しておいたでしょ、わたしの新しいお友達よ」 なだめるように、アンナがいう。 「……ああ、そうか。あのアントンか」 ルンピは簡単に納得したけど……、いったいぼく、どーゆー風に話されたんだっ?! 「……いつ、話したんだよ? アンナのおしゃべりめ!」 リュディガーはリュディガーで、そんな独り言を言ってるし。どうやら、リュディガーはルンピには何も言ってなかったみたいだ。 「それにしても、オレは腹が減った! うわーぁう!」 ルンピが、大きなあくびをした。 すぐにでも、共同墓所から出たい! けど、もちろん、ルンピを怖がっていることをルンピに悟られちゃまずい。 「よお、アントン、こっちに来いよ!」 薄笑いを浮かべながら、ルンピが誘う。 「ぼっ……、ぼく、もう、帰るところだから……」 つっかえ、つっかえ、やっとの思いでそう言うと、ぎろりとルンピが目をむいた。 「なんだよ、おまえ? オレの側によるのが嫌だって言うのか?!」 怒鳴られ、ぼくは身が竦んだ。 「ち、違うよ、そうじゃないんだ。ただ……ただ、流感が移ったら大変だと思って」 「いいから来いよ、アントン!」 強く怒鳴られ、ぼくはしぶしぶルンピの近くへよった。アンナが不安そうにこっちを見ているのが、なおいっそうの恐怖をかきたてる。 「うん、来たな」 そう言った声は、あんがい機嫌がよさそうだった。 「……な、なに?」 緊張に耐え切れず、恐る恐る聞いた瞬間だった。ルンピは意外なくらい素早く、手を伸ばしてきた! 「うわっ?!」 冷たく、がっちりとした手は、しっかりとぼくの手を握っていた。振りほどくとか、そんなレベルの力じゃない。まるで骨が折れそうな痛みに、ぼくは顔をしかめずにはいられなかった。 「へえ! まさかとは思ったけど、おまえ、ホントに人間なんだな!」 ざらついた声が、うれしそうに笑う。 「アントン!」 リュディガーとアンナの悲鳴が、見事に重なる。 「おまえ、吸血鬼が大好きなんだってな! オレが今、おまえを吸血鬼にしてやろうか?」 悲鳴は声にならなかった。 「ルンピ、やめて!! いやよ、アントンはそんなつもりで連れてきたんじゃないわ!」 泣き出してしまいそうなアンナの説得に、ルンピはまったく心を動かしたようすはなかった。 「ルンピ、ルンピおにいちゃん、やめて!!」 アンナがルンピの太い腕にしがみついたが、ルンピは少し眉をしかめただけだ。きっと、彼にとっては子猫にじゃれつかれたほどにも邪魔にならないんだ。 「いいじゃないか、アンナ。おまえだって、ボーイフレンドが吸血鬼になったら嬉しいって言ってただろう?」 ルンピが乱暴に腕を引く。――もう駄目だ! 「ルンピ!」 激しい声に、その場にいたみんなが動きを止めた。 「…リ………ディガー」 かすれた声が、ぼくの口から漏れる。 真っ赤な、まさに燃え立つような目――その目に、乱暴そうに見えたルンピでさえも怯えたみたいだ。 「な、なんだよ、リュディガー。何、そんな怒ってんだよ?」 「手を離せよ」 棺桶から飛び出したリュディガーは、ルンピの手を軽く叩く。それだけで、ルンピは手を緩めた。手が緩んだスキに、ぼくは慌ててリュディガーの背中へと逃げ込んだ。 「アントンは、オレが呼んだんだ。オレの客に手をだすなよ、こいつは オレの友達なんだ」 リュディガーの言葉に、ルンピは戸惑ったようにアンナとリュディガーを見比べる。 「え? でも、アンナはそんなことは言ってなかったぞ。それに、正気かよ、リュディガー、掟では人間と吸血鬼は……」 「掟なんか、くそくらえだ」 怒ったように、リュディガーが吐き捨てる。 「どうしてもって言うんなら、……兄さんだって容赦しないぞ」 ザワリとリュディガーの髪が逆立った! 「あ…っ?!」 真後ろにいたぼくでさえ、身が竦む。 ニセ吸血鬼を相手にした時のように、リュディガーの怒りが見えない力となって、ルンピにむけられていた。 「わ、分かった! 分かったから、リュディガー! 落ち着けよ!!」 大きく手を振って、ルンピが後ずさる。 「そうまで言うなら、別に、そいつに手出しはしねえ、ホントだ。何も、そこまで怒ることないだろう、別に、今だって本気だったわけじゃないさ」 調子よく言い訳するルンピに少し呆れたけど、とにかく襲われないと保証されて、ホッとした。 それでもルンピはやけにもったいぶった様子で、自分の棺桶に戻り、目を閉じた。まるで、リュディガーなんか怖くもなんともない、と言わんばかりに。 多分、寝た振りだろうけど、それで共同墓所の雰囲気はずっとよくなった。ぼくも、アンナもホッとして顔を見合わせた。 「……おまえ、何しにきたんだよ? かえって、疲れちゃったじゃないか」 振り返って、リュディガーは笑ってみせる。 「ごめん。ぼく、もう帰るよ」 今度は、アンナもぼくを引き止めなかった。 「じゃあ、わたし、送るわ」 女の子に送ってもらうのは照れくさいけど、こんなに怖い目に遭った直後に一人で暗闇の中を帰るのはさすがに嫌だ。それにリュディガーもそれがいいと言わんばかりに、頷いているし。 「じゃあ、またね、リュディガー。早く、元気になってね」
「……あの……、アントン、怒っている?」 ひらひらとマントをはためかせながら、アンナが控え目に聞いてきた。
アンナと並んで飛びながら、ぼくはそう答えた。 「ごめんね、ルンピおにいちゃんは怒りっぽいの。ちょうど、思春期だから」 そう言われて、ぼくはルンピの声を思い出した。 「それじゃ、声変わり中なんだね」 「その通りよ。だから、そのせいでとっても気難しいし、怒りっぽいの。でも、一番困ったことは、なんだか知っている?」 「ううん、何?」 「ルンピおにいちゃんが、絶対に思春期から抜け出せないことよ。だって、ルンピは思春期に死んだから」 それは、ものすごく大変そうだ! 「気紛れだし、短気だし。アントンを今すぐ吸血鬼にしようだなんて、せっかちすぎるわ」 それだけは、早いうちにはっきりさせとかないと。 「あのね……アンナ。リュディガーにも言ったけど、ぼくは吸血鬼になる気はないんだ」
「なぜ? どうして?」 いや、どうしてって言われても。 「ぼくは吸血鬼になりたくないんだ」 はっきりとそう告げると、アンナもぼくが本気だと分かったらしい。 「あなたは、わたしと同じ吸血鬼になりたくないの? わたしと一緒に暮らすのは嫌なの?」 い、いきなりそんなこと言われたって! 「吸血鬼になるのは怖くはないわ、大丈夫よ。それに、たいしたことじゃないの。吸血鬼になる時は……」 そこまで言って、アンナはちょっと迷いを見せた。でも、すぐに優しく、言葉を続ける。 「つまり、わたしの歯が生えたら、すぐわたしがあなたを――」 冗談じゃないっ。 「でも、ぼくにはそんな気は全然、ないんだ! ぼく、吸血鬼には絶対にならないよ!」 思いっきり叫んで、ぼくはスピードを上げた。アンナもぼくを追おうとするけど、こうして本気で飛んでみると、アンナはぼくよりもまだ、飛ぶのが遅いって分かった。 「あなたは……あなたは、わたしのこと、好きじゃないのね。あなたには、ほかに仲良しの女の子がいるのね」 即座に、ぼくは言った。 「違うよ!」 そう思われるのは、嫌だ。 「絶対に、違うよ」 「本当に違う?」 「違うとも」 ぼくが保証すると、アンナはホッとして手で目をこすった。 「それなら、いいの。――そうね、あなたが吸血鬼じゃなくても、いいわよね。大切なのは、わたし達がお互いに好きだっていうことですもの」 そう言って、アンナはなんとか笑いを浮かべる。……元気をだしてくれたのはいいけど、どうしてそこまで話が飛躍するんだっ?! 「ぼく達……ぼく達、もうすぐ、つくよ」
「急がないと、お父さん達が散歩から帰ってきちゃうから」 と、ぼくは叫んで、よりスピードを上げた。 アンナが、また、どんな厄介な質問をするか、分かったもんじゃない。 「あなたの窓は、開いているわよ」 ぼくが確かめるよりも早く、アンナがそう言った。暗闇では、アンナはぼくよりずっと目が効く。 「じゃあ、アンナ、送ってくれてありがとう。リュディガーによろしくね」 そう言うと、アンナはとても悲しそうな顔をした。……うっ、今の言い方、少し冷たすぎたかな?
小声でそう囁くと、アンナは一度も振り返らずに闇の中へ消えていった。
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