ACT.2 吸血鬼のいる地下室 |
「…………!」 驚きが強すぎると、かえって声を上げることなんかできなくなる。ぼくがやっと言われたことを理解して、言葉を口にするまでちょっとばかり時間がかかった。 「か…えれないって?」 「そうなんだ。追放されたってわけだ」 沈んだ口調で、リュディガーが言う。 「ど、どうしてさ? なんで、君が勘当されなきゃいけないんだよ?」 ぼくにとっては、勘当とか追放なんて全く実感の湧かない言葉だ。お母さん達に怒られるとかおしおきを受けるのなんかとは、まったくレベルが違う。 もし、ぼくがそんなことを言われて家を追い出されたりしたら、どうしていいのかなんて分からなくて途方にくれるだろう。 「それは、オレが人間と仲良くなったからさ。前に言ったろ、吸血鬼が食糧以外のことで人間と関わるのは、掟で禁じられてるって」 それは知っていた。 「どうして、バレたんだよ?」 「テオのせいだよ!」 忌ま忌ましそうに、リュディガーが毒つく。 「テオの奴、オレの後を何週間もつけまわしていやがったんだ。オレが定期的にこのマンションにやってきてることや、人間に電話をかけたことなんかを、一族会議で全部バラしてさ。共同墓所に隠してあった電話帳も見つかっちまったし。 「ひどいよ……!! そんなのって!」 怖さよりも怒りが先立ってぼくは思わず大声を出してしまい、慌てて声を押さえた。こんなところを誰かに見つかったら、今度はぼくの方がただじゃすまなくなる。 「でも、リュディガー、電話をかけたのは――」 面倒臭がりやなところのあるリュディガーは、ぼくに連絡を取るのにわざわざ電話なんか使わない。 電話帳を調べてぼくの家に電話をかけてきたのはリュディガーじゃなくて、アンナだった。 「ああ、一度っきりだけだよな、オレが電話をかけたのは!」 『オレが』と言う時にだけ、腕に力を込めるリュディガーの表情は薄暗すぎてよくは見えない。だけど、どこか焦りを含んだ声に、ぼくはリュディガーが何を気にしているのかを悟った。 リュディガーは多分、後ろにいる吸血鬼に本当のことを知られたくはないのだろう。吸血鬼の子供と人間の子供が付き合ってはいけないルールなら、罰を受けるのはリュディガーだけじゃなくてアンナも同じはずだ。 「それじゃ……これから、どうするのさ?」 話を反らそうと思って言っただけの言葉だったけど、リュディガーは2、3度、わざとらしく咳払いした。 「うん、それが、さあ……」 「住む所はあるの?」 「考えては……いるけどよ」 らしくもなく、もじもじと、気まずそうに口にする煮え切らなさは、少しもリュディガーらしくない。 「オレは、おまえんところがいい」 「お、おいっ、正気かい、リュディガー! うちには両親がいるんだよっ?!」 驚いて叫ぶぼくを、リュディガーがとんでもないとばかりに早口に遮った。 「違う、おまえの家の中ってわけじゃねえよ!! もちろん、地下室の中さ!」 リュディガーにしてみれば譲歩しているつもりっぽいけど、その言葉だってぼくにとっては驚愕すぎだっ。 「でも、ここには誰でも入ってこれる! マンションの住民はもちろん、君達みたいな部外者まで!! ここには、誰だって自転車を置いていいことになっているんだってば!」 よく吸血鬼の本や映画に出てくるような、人里離れた森の奥にぽつんとある閉ざされた古城の、またその奥にある地下室 そんな場所なら、吸血鬼には相応しいだろう。だが、ここはごく普通の町中の、ごく普通のマンションの地下にある自転車置き場だ。 壁にずらりと並んだ自転車をさして、ぼくは叫んでいた。こんな所に棺桶が突然置いてあったら、誰だって不思議に思って中を除くに決まってるっ! 「ここじゃないってば!!」 だけど、リュディガーも焦れったそうに言い返してくる。 「ここじゃなくって、おまえの家の地下室さ!! そこなら、鍵もかかるんだろ」 ぼくの家の地下室 確かに、個人ごとの地下室は各自が鍵をかけて使っているから、他の人が入ってくる心配はない。……でも、この提案には、すっごく根本的な問題があるぞっ。 「それじゃあ、うちのお父さんやお母さんにすぐバレちゃうよ!?」 「バカめ。もっと、頭を使えよ」 今までずっと黙っていた大きな吸血鬼が、突然ボソッと割り込んできた。 「だって、うちの地下室には食料やワインが置いてあるんだ。お母さんがもし、それを取りにきたら?」 「そういう時は、おまえさんがくりゃいいんだ」 大きな吸血鬼が、あっさりと言う。 そんなの――一発で不審がられるに決まっている! 「でも! もし、お父さんが大工仕事をする気になったら? 大工道具は重いもの、ぼくには絶対に運べないよ」 それも考えるだけでゾッとする想像だった。 「バカだな、そういう時はだな……」 こともなげに言いかけた吸血鬼は、そこで詰まった。 「えーと、……そういう時はだな、そうそう、おまえさんが気を反らせばいいんだ。テレビをつけるとか、スポーツ新聞を持っていくとかして」 ……悩んだあげくでたアイデアにしては、すっごくしょぼい。 「うちのお父さん、スポーツ新聞は読まないよ」 その言葉に大きな吸血鬼は明かにうろたえたが、すぐにそれをごまかすように大声で怒鳴った。 「まったく、嫌になるほど血の巡りの悪い小僧だな! そうしたら、何か別の物を持っていけばいいだろうがっ。おまえはそんなに間抜けなのか?!」 その声と、赤というよりは焦げ茶に近い濁った目の光で、ぼくはようやく大きな吸血鬼の正体が分かった。 ルンピ=フォン=シュロッターシュタイン。 リュディガーに言わせれば機嫌がよければそこそこつきあえる吸血鬼だけど、怒っているルンピははっきりいって半径1キロ以内に近づきたくない相手だ。前に会った時のことを考えて、ぼくは用心のためこれ以上ルンピに逆らわないことに決めた。 「よしよし、ようやくおまえの間抜けな頭も飲み込んだらしいな。じゃ、さっさと地下室へこの棺桶を運ぶぞ」 「え? は、運ぶって?」 いつ、決まったんだ、そんなこと? 「決まっているじゃないか、もちろん、おまえの家の地下室にだ! さあ、さっさと案内しろよ」 「冗談じゃ……」 震えながらも、ぼくは断ろうとした。 だから、どう文句を言われようときっぱりと断るつもりで――ぼくはふと気がついた。 そのとたん、喉元まで込み上げていた怒りが、すぅっと消えていく。 普段のリュディガーだったらぼくやルンピの言い争いに口を出さないはずがないのに、さっきから全然口を聞いていない。 ――ぼくがリュディガーだったら、どう思うだろうと、ぼくは考えてみた。 「なんで黙ってんだよ、おまえ、耳がないのか?」 苛々とルンピが文句を言うのを聞いて、ぼくはやっとリュディガーから目を反らすことができた。 「――いいよ、案内するよ」 これは、ルンピに脅されたからじゃない。 「アントン……」 リュディガーが、驚いたように顔を上げた。ぼくの方を見ているみたいだけど、この暗がりじゃ多分、リュディガーの目にはぼくの顔なんか見えやしないだろう。他の吸血鬼と違って、リュディガーの暗いところでの視力はほとんど人間並なんだから。 「でも、ちょっとだけ待って。ぼく、地下室の鍵を持ってないんだ。まさか、こんなことだとは知らなかったもんだから」 「ぐずめ。じゃ、さっさと鍵を取ってこいよ。だけど急げよな」 この、ルンピの横柄な態度ときたら! もし、これがリュディガーじゃなくてルンピが勘当されたのだとしたら、それこそ誰が何と言おうとぼくはルンピを匿ったりしないぞ、絶対に!
一気に地下室の廊下を走り抜けてエレベーターに駆けこんだぼくは、ボタンを押す前に考え込んでしまった。 お父さん達にバレないようにこっそり鍵だけ取ってきて、ここに戻ってこようか。 そんなことになったら、すっごくヤバい。ここはなんとしても、いい言い訳を考えておかないと……。 「アントンなの?」 家のドアを開けるなり、お母さんが声をかけてきた。うっ、かなりの危険信号。でも、まだ、ドアの中で待たれているよりはましか。 「うん、そうだよ」 こんな時は、なにはともあれとびっきり愛想のいい声で答えておくにかぎる。 「リュディガーを送っていったにしては、ずいぶんと遅かったわね」 居間に行くと、お母さんが『感心できないわ』と顔に浮かべつつ、そう言った。 「あいつとはめったに会えないから、ちょっと長話しちゃったんだ。それに帰りがけに、学校の友達に会っちゃって」 「あら、誰と?」 「アンドレアスだよ」 ぼくは迷わずに、元クラスメートでこのマンションに住んでいる子の名を上げた。 「アンドレアス? あなた、あの子のこと、好きじゃなかったんじゃないの?」 お母さんが不思議そうに言うのも無理はない。実際、ぼくはアンドレアスとは仲が悪いし、どうにも気が合わないんだから! 「そんなこともないよ、あいつ、ぼくを誘ってくれたんだ。一緒にモノポリーをしないかって。今から、あいつの家に行っていい?」 「今から?」 呆れたように、お母さんが声を張り上げる。 「まだ、7時ちょっとすぎだよ。ね、いいでしょ?」 ねだりながら、ぼくは時計の針を見つめていた。……ううっ、あんまり待たせると、吸血鬼達が焦れてるぞ、きっと。 「それで、アンドレアスの家はどこだったかしら?」 「えーと、2階、だよ」 お母さんは一瞬探るような目でぼくを見て、それから言った。 「いいわ。でも、8時までには戻っていらっしゃいね」 やたっ! 許可が出たっ。 「分かってるよ、じゃあ、行ってきます」 ぼくはトイレに行くふりをして、こっそりと台所の鍵板のフックから地下室の鍵を取り、ポケットにすべりこませた。玄関の鍵と違って地下室の鍵はレプリカを作っていないから、これ一つっきり。 「いいこと、8時までよ!」 お母さんの声を背に、ぼくはもう一度外に出た。 「やれ、やれ、やっとかよ。えらく遅かったじゃないか!」 そんなに遅くはないよと言い返したいのをこらえて、ぼくは説明した。 「行き先を、両親に話さなきゃならなかったんだ」 ルンピはぼくの言い訳に耳も貸さなかったけど、リュディガーは過剰なぐらいに反応した。 「なんて話したんだ?!」 その激しさに戸惑ってから、すぐに理由に思い当たった。リュディガーは、自分の隠れ家を知られるのを恐れているんだ。 「君のことは言ってないよ、リュディガー。ただ、友達の所に行ってくるって言っただけ」
ルンピが不満いっぱいに、そう言った。……別に、あんたが友達とは言ってない。というか、言う気もないけど。 「まあいいや。それより、こいつを運ぶのを手伝ってくれ!」 乱暴に、ルンピが棺桶をがこんと蹴る。 「ルンピ! オレの棺桶を壊すなよ」 「おお、それは悪かったな、リュディガー。じゃ、大事な棺桶に万一のことがないように、おまえ達で棺桶を運べよ。 ルンピの指図に従いたくはなかったけど、ぼくはしぶしぶそれに従った。リュディガーもやっぱり同じ気持ちらしく、動きがのろのろしている。 「君は、何をするんだよ?」 思わず聞くと、ルンピはそっくり返って答えた。 「オレは、ドアを開けておいてやろう」 ――もはや、何も言う気がないや。 おまけにリュディガーもとびきりの力持ちってわけでもないことを、ぼくは発見した。……あんまりうれしくない発見だけど。 「はぁー、痛ぁ」
「ここまで、この棺桶をどうやって持ってきたの?」 「ルンピが運んできたんだ」 あっさりと、リュディガーが答える。 「そう、それもたった一人でな。リュディガーはこーゆー力仕事となると、あんまり向かないからよ」 自慢そうにルンピが高笑う。 「あ、そう」 軽く受け流したものの、ぼくは内心ゾッとするのを感じていた。 こんなに重い棺桶を一人で、共同墓地からここまで軽々と運べるのだとしたら、ルンピは相当な力持ちだ。 「いい加減に、鍵を開けたらどうだよ」 「ん、すぐに開けるよ」 ルンピにせっつかれて、ぼくはポケットに手を突っ込んだ。 「明り……つけようか?」 「明り? 別にいらないだろ」 つっけんどんに、ルンピが言う。そりゃあ、暗闇でも辺りを見渡せる吸血鬼にはいらないかもしれないけどね。 「でも、ぼくにはなんにも見えないもの」 「オレには見えるさ! ふん、ずいぶんと狭っ苦しい所だな」 キョロキョロしながら、ルンピが文句をつける。でも、リュディガーがまったく文句を言わないところを見ると、やっぱりちびっこ吸血鬼にはこの暗がりが見透かせないらしい。 ついでに言うとリュディガーもやっぱりぼくと同じで、暗闇が嫌みたいだ。 「アントン、明りのスイッチはこれか?」 リュディガーの声と同時に、地下室にパッと明りがついた。 髪は逆立ち、顔色は青白く、大きな、血のように赤い唇。その口から、犬歯がまるで猛獣の牙のように除いている。 リュディガーとアンナのお兄さんなのに、ホント、二人にはちっとも似ていないや。二人の方は、とっても整った顔をしてるっていうのにさ。 「うっ、まぶしいな!」 苛々とルンピが文句をつける。 「仕方ないだろ、暗いとオレにはなんにも見えないんだから」 そう言ってからリュディガーはゆっくりと地下室を見回し、困ったような顔をした。 「なんていうか……ずいぶんとさっぱりした所だな」 「うん。うちの地下室はいつもきちんと片付けてあるんだ。お父さんが月に一度、地下室の整理をしているから」 「なんだって?! 今更、そんなこと言われたって……」 ギョッとしたようにリュディガーが怒鳴る。 「そういう時にもしオレが見つかったら、どうすんだよ?!」 『もし』じゃなく確実に見つかるに決まっていると思ったけど、ぼくはあえて口には出さなかった。 「なあに、そんなことにならないように、アントンがうまくやってくれるだろうさ、な?」
「…………精一杯の努力はするよ」 それ以上、ぼくに何が言えるっていうんだ? 「オレは、あの箱の後ろがいい」 そう言ってリュディガーが指したのは、一際大きな木箱だった。 「それは無理だよ。あれはジャガ芋の箱で、壁にくっついてるんだ」 「じゃあ、箱の隣だ」 リュディガーがそう決めつけると、ルンピはめんどくさそうに壁に棺桶を押しやった。 「この木の板、邪魔だな」 壁に立てかけてある木の板は、お父さんが台所の床を張り変えるために買った物だけど、もう何ヶ月も置きっ放しにしてあるやつだ。ルンピが邪魔だからとその板を壊さないうちに、ぼくは慌ててそれを取りまとめて隅の方に置き換えた。 「うん、これで万事カタがついたじゃねえか! これもオレが手を貸してやったからだぞ、感謝しろよ、リュディガー!!」 押しつけがましくルンピがリュディガーの肩を叩くけど ぼくにはこれが『カタ』がついたようには、ちっとも見えないぞっ! 「さあ、これで頼まれた用事は全部カタをつけたんだから、約束を果たしてもらうぞ、リュディガー! すぐに腹ごしらえだ!!」 ぎろっと歯をむき出しにするルンピに、ぼくは思いっきりビビッた。 「……分かったよ、行くよ」 気がなさそうに、リュディガーが応じる。 「リュディガー、約束って……?」 ルンピに聞こえないように小声で聞くと、リュディガーもやはり小声で返してきた。 「棺桶を運ぶのを手伝ってくれたら、一度だけルンピのために催眠術を使うって約束したんだよ。好みの獲物を、誘い出すためにな」 うっ……リュディガーの言う獲物って――いや、考えまい。深く考えない方が、互いのシアワセとゆーもんだ。 「何してんだよ、行くぞ!」 ぐーんと一気にルンピが飛び上がって、窓を乗り越えて外に出た。リュディガーもそれに続こうとして、振り返った。 「窓、開けといてくれよ!」 「もちろん。でも、ドアは鍵をかけておくからね」 こくんとうなずいて、リュディガーが窓枠を蹴る。マントのはためく音が聞こえ、それから地下室はしぃんと静まり返った。今さっき、吸血鬼が怒鳴っていたことが夢だったみたいに。 「…………いっそ、これが夢だったらよかったんだけど……」 熱烈にそう願ったけど――でも、やっぱり棺桶はしっかりとぼくの目の前にあるし、棺桶を運んだ手は痛む。 ぼくはしょんぼりしてドアへと歩いていき、明りを消して鍵をかけた。そして、ため息を立て続けに二つ。
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