Act. 3 居候はわがまま吸血鬼

  

 家に戻ってみると、時間は8時ちょっと前だった。
 お父さんとお母さんはあいかわらずテレビの前に座っていて、それを眺めている。

「おや、お帰り。ゲームはどうだった?」

「よかったよ、おやすみなさい」

 お父さんにそう返事を返して、ぼくは居間によらずに自分の部屋に行こうとした。もうくたくただもん、とにかくゆっくりと休みたい。
 だけど、お父さんはぼくを呼び止めた。

「あ、アントン、ちょっとこっちにおいで」

 そう言われた瞬間から、やだなと思った。
 こんな時にこんなタイミングで呼ばれたりすると……まさかリュディガーのことがバレたんじゃと、ギクッとせずにはいられない。

「な……なぁに?」

 ビクビクしながら返事をすると、お父さんは上機嫌で話しかけてきた。

「さっき、おじいちゃんとおばあちゃんから電話があった。二人とも、今度の日曜日にうちに遊びにくるんだってさ」

 ……なんだ、そんなことか!
 緊張しまくった分、ぼくは心の底からホッとした。

「だから、日曜は外に遊びに行っちゃ駄目だぞ。家にいるんだ」

「うん、もちろんだよ」

 ぼくは元気よく請け合った。
 なんたって、今はリュディガーが地下室にいるんだ。どこかに遊びに行く気分なんか、まるっきりない!
 でも、お父さんは疑っているみたいだった。

「本当かい? だいたいおまえはこの間も念を押しておいたのに、都合よくうっかりと忘れて、遊びに行ったりして――」

 お父さんがそこまで言った時、ちょうどニュースが始まった。
 その途端お父さんの顔が引き締まり、TVへ向けられた。そして、いかにも面倒臭そうに手をヒラヒラさせて、『中止』の合図をぼくに送る。

 これって、『今は口を噤め』って意味だ。
 あんまりな態度にムカッ腹が立ったけど、ぼくはどうにかこうにか怒りを押さえた。

「……お父さん、ぼくもう行っていい?」


 皮肉を込めて聞いたけどお父さんはすでにTVのニュースに釘付けで、ぼくの方に見向きもしやしない。代わりに、お母さんが立ち上がってぼくの肩を抱いた。

「いいわよ。アントン、お母さんも一緒に行くわ」

 廊下に出てから、お母さんは優しくぼくに言った。

「よく分かっているでしょ、ニュースの時のお父さんは」

「分かってるよ! ったく、お父さんたら、いつもこうなんだから!」

 お父さんときたらたとえぼくにお説教をしている最中だって、ニュースが始まればニュース以外はどうだって構わないって態度を取るんだから。ぼくに言わせれば、ニュースなんかのどこがそんなにおもしろいのか、まるで分かんない。

「お父さんは、世の中の出来事を知りたいのよ」

「あーあ、そんなもん、毎日同じだよ。いつもどこかで戦争してて、政治家たちの話し合いはちっとも捗らない。そんなのよりもお父さんはもっと、自分の身の回りのことに気を配った方がいいんだ」

 文句を並べ立てるぼくに、お母さんは優しく話しかけてきた。

「それじゃあ、あなたの意見によればお父さんはどんなことに気を配らないといけないわけ?」

「例えば、ぼくが今、お父さんに怒っていることとか、ぼく達よりもニュースの方に関心があることとかさ」

「だけど、お父さんはいつもそうとは限らないわ。この週末には、お台所に板を張って下さるのよ」

 その言葉を聞いて、ぼくは一気につかれも眠気もふっとんだ。
 な、なんだってっ?!

「板を?! それ、休暇にやるんじゃなかったの?」

「本当はね。でも、お父さんは週末に始めるつもりよ」

 うわぁ、最悪……っ!
 よりにもよって、地下室にリュディガーがやってきた日に限って、お父さんがそんなことを言い出すだなんて!

「ぼく……ぼく、それじゃあ、お父さんを手伝うよ」

 急いで、ぼくは返事をした。うまく立ち回れば、お父さんを地下室から遠ざけておけるだろう……多分。

「まぁ、いい子ね。それじゃあよくおやすみなさい、ね?」

「おやすみなさい」

 お母さんに上の空で答えながら、ぼくは土曜日のことで頭がいっぱいだった。
 土曜日……土曜日……。
 と、とにかく、今日はまだ火曜日だ。――とすると、土曜日までまだ4日ある。

 明日、ともかくリュディガーと相談しよう。一緒に考えたら、何かいい考えが浮かぶかもしれない。
 それを慰めに、ぼくはベッドに潜り込んだ。

 

 

 水曜日は朝から曇っていて、雨模様だった。日暮れがすごく早い日で、6時頃にはもう日が暮れ始めていた。
 これはチャンスかもしれないって、ぼくは思った。

 なんせ、ぼくのお父さんは6時半前に家に戻ってきた試しがない。お母さんはもう帰っているけど、今は自分の部屋で生徒の提出した作文を読んでいる。学校の先生をやっているお母さんは、宿剤やテストの採点の時はいつも一人で部屋にこもるんだ。

 そういう時って、お母さんの言葉を借りて言えば『絶対に邪魔されたくない時間』なんだ。
 だから、今なら誰にも気付かれずに地下室のリュディガーに行ける。
 ぼくはできるだけそっと廊下を通り、地下室の鍵を取って、静かに玄関のドアを閉めた。
 

 運よく、エレベーターでも地下室の廊下でも誰にも会わなかった。
 地下の廊下は静まり返っていて、しぃんとしている。ぼくは『ボーンザック』と名札のついた地下室の前に立ち止まって、耳を澄ませた。

「リュディガー?」

 そっと声をかけてから、木のドアを叩く。

「ぼくだよ。アントンだ」

 応答はなかった。
 ――リュディガー、もう出かけちゃったのかな? でも、それにはまだ明るすぎる。日が完全に沈まない限り、吸血鬼達は棺桶から出られないはずなんだ。

「リュディガー?」

 今度は、もっと大きな声で呼んでみた。
 やっぱり静まり返ったままだった。
 ――ひょっとしたらリュディガーは、地下室に戻らずどこか他のところで泊まったのかな?

「いや……まさか」

 ぼくは自分で自分の疑問を打ち消した。
 リュディガーは、自分の棺桶で眠らなくちゃならないはずだ。
 もう一度ドアを叩いてから、ぼくは勝手に鍵を開けて、地下室の中に入った。
 薄明りの中で、窓がきちんと閉じられているのが見えた。

 うん、リュディガーはここにいるらしい。
 地下室の中を見回すと、リュディガーの棺桶がやけに目立って見えた。……やっぱ、どう考えたって異様だもんね。

 でも、どうしよう?
 いくら太陽が出ていないと言っても、この時間に棺桶を開けちゃって平気なのかどうか……ぼくが迷っていると、棺桶の中からこもった呻き声が聞こえてきた。
 ガタガタ、ミシミシと棺桶がきしんだかと思うと、ゆっくりと蓋が開いた。

 中から、リュディガーの血の気のない顔が現れた。
 目をまだつむったままで、口だけがふぁっと大きなあくびをする。そのあくびで、リュディガーのがっしりとした牙が見えた。

「リュディガー?」

 そっと、ぼくは声をかけてみた。
 途端、リュディガーはカッと目を見開いて険しい顔をぼくに向ける。だけどすぐ、ぼくに気がついたのか表情を緩めた。

「なんだ、アントンか」

 大きく伸びをして、リュディガーは棺桶から起き上がってきた。

「どうかしたのか?」

「うん……っていうほどでもないんだけど。あのさあ、うちのお父さんが板を使うんだ」


 ぼくの言葉を、リュディガーはどことなくぼやーっとした顔で聞いている。いかにも寝起きといった感じで、まだ眠そうだ。

「ふーん」

「ふーんって……。お父さんは、大工道具も使うって言ってるんだよ?」

「使えばいいじゃないか」

 まるっきり他人事の口調で言いながら、リュディガーは棺桶の縁に腰掛けた。
 寝ぼけているせいか、いつになく勘が鈍い!

「君、分かんないの?! もし、お父さんが板や大工道具を取りにここにきたら、君は見つかっちゃうんだよ!」

 思わず怒鳴りつけると、リュディガーはやっと納得したらしかった。

「その前に、なにか考えなくちゃ。リュディガー、いいアイデアはない?」

 藁にもすがる思いでそう聞いたのに、リュディガーはぼくじゃなくて窓の外の方をじぃっと見ていた。

「リュディガー! どこ見てるんだよ?」

 ぼくが怒っても、リュディガーはびくともしない。

「騒ぐなよ。  その話って、今すぐってわけじゃないんだろ?」

「え……うん、そうだけど」

 それはその通りなので、ぼくは頷いた。
 ――リュディガーってば、ようやく目が覚めてきたみたいだ。ぼくの口調や態度から、事態が切迫していないと見切っている。
 でも、こーゆー時にだけ、持ち前の勘の良さを使ってもらってちゃ困る!

「でも、土曜日まで後2日しかないんだよ」

 念を押すと、リュディガーは軽く肩を竦めた。

「腹ペコだってのに、やれやれ。――こうも腹が減ってちゃ、なんにもいい考えが浮かばないよ」

 面倒そうにそう言うと、リュディガーはまた棺桶に横たわった。

「リュディガー!」

 ボクが叫んだぐらいで、気にするようなリュディガーじゃない。まるっきりぼくを無視して、リュディガーは再び目を閉じて大きくあくびをした。

「まだ、いつもなら寝てる時間だ……」

「だからっ、寝てる場合じゃないってば! 土曜日のこと、どうする気さ?!」

「いいよ、アントン、オレは構わないぜ。君の考えに賛成するから」

 あっさりそう言って、寝ているリュディガーをぼくは呆然と見つめていた。
 つまり――つまりは、リュディガーってば、ぼくになにもかも押しつけようって魂胆なのか?

 それじゃああんまり虫がよすぎるってもんだ。自分は具合のいい地下室で横になっていて、面倒ごとは全部、ぼくに押しつけようだなんて。

「いくら友達だからってあんまりだ!」

 カンカンになってそう怒鳴ると、リュディガーはぱちっと目を開けてニヤッと笑った。
「しぃっ。眠っているのを邪魔されると、オレは怖いんだぞぅ」
 
 からかうようにそう言うと、リュディガーはまた目を閉じてしまった。
 むちゃくちゃ腹が立ったけど、ぼくはなんとかそれを押し殺した。――今は、こんなことでケンカしてる場合じゃない。お父さんが戻ってくる前には、部屋に戻らないといけないんだから!

 ぼくはリュディガーはできるだけ視界にいれないようにして、地下室の中をぐるりと見渡した。
 だけど、目を逸らそうとしても飛び込んでくるこの棺桶を、どうやって隠せばいいんだろう?

 本当にうちの地下室ときたら、なんでまた、こんなに忌ま忌ましいほど片付いているんだ?!
 他の家の地下室だったら、リュディガーの小さな棺桶ぐらい簡単に隠せるようながらくたが、1ダースは軽くあるっていうのに。

 たとえば大きな布切れをかぶせたら……いや、駄目だ。そんな物が地下室にあったら、お父さんは絶対にその下を除くだろう。
 結局のところ、お父さんを地下室に来させないようにする  それしかなさそうだ。
 結論を出したところで、ぼくは一応、リュディガーに言った。

「ぼく、もう行くよ」

 ぼくの言葉に、リュディガーは目さえ開けずに答えた。

「もう、こんなに早く起こすなよ。オレは、寝起きが悪いんだ」

「よく言うよ!」

 腹立ち紛れに、ぼくは勢いをつけてドアをピシャリと閉めた――。

 

 

 木曜日は、いい天気……だったみたいだ。
 でも、ぼくには空を見上げている余裕なんかまるっきりなかった。なんたって、土曜日が一歩一歩近付いているっていうのに、まだお父さんを地下室に行かせないアイデアが浮かばないんだもん!

 あれこれ考えては見たけど、どうも今一つ成功しそうもない。
 あんまり考え込んでいたので、ぼくはリュディガーの様子を見に行くのも忘れてしまったぐらいだ。でもまあ、昨日のリュディガーを思い出せば、あんまり様子を見に行きたくはないからいいか。

 夕ご飯を食べた後も、部屋にこもってあれこれ考え続け――ぼくは窓を叩く音に気がついた。
 ドキッとして、ぼくは窓に目をやった。

 まだカーテンを閉めてなかったから、外がよく見える。
 だけど窓の向こうに見える人影  慌てたようにやたらと動き回っているからリュディガーかアンナか、とっさには区別がつかなかった。二人とも、双生児みたいによく似てるんだもん。

「早くしてくれ!」

 このしゃがれ声は、リュディガーだ。
 駆けよって窓を開けると、一気にリュディガーが部屋に飛び込んできた。入るなり、リュディガーは姿勢を低くして身を隠す。

「ど、どうしたの?」

 問いかけるぼくに、リュディガーは『静かにしろ!』とばかりに指を口に当てた。そして、かがみ込んだ姿勢のままで、用心深く窓の外を伺う。
 目を閉じて、耳をすませているリュディガーに釣られて、ぼくまで息を詰めてじっとしていた。

 その緊張した雰囲気に、ぼくはどうしていいか分からずにおろおろするばかりだったけど――幸いにも、そんな緊迫した時間は長くは続かなかった。

「……もう、大丈夫みたいだ」
 一つ息をつき、リュディガーは大袈裟なしぐさで胸を撫で下ろした。

「ふぅ……もうちょいで掴まるとこだった!」

 なんだか物騒なセリフが気に掛かって、ぼくはリュディガーに対して感じていた不満を一時、忘れることにして聞いていた。

「掴まるって、誰に?!」

「ドロテー叔母さんだ。叔母さんが、ここいらを飛び回っていたんだよ」
                                    《続く》

 

4に続く→ 
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