Act. 3 居候はわがまま吸血鬼 |
家に戻ってみると、時間は8時ちょっと前だった。 「おや、お帰り。ゲームはどうだった?」 「よかったよ、おやすみなさい」 お父さんにそう返事を返して、ぼくは居間によらずに自分の部屋に行こうとした。もうくたくただもん、とにかくゆっくりと休みたい。 「あ、アントン、ちょっとこっちにおいで」 そう言われた瞬間から、やだなと思った。 「な……なぁに?」 ビクビクしながら返事をすると、お父さんは上機嫌で話しかけてきた。 「さっき、おじいちゃんとおばあちゃんから電話があった。二人とも、今度の日曜日にうちに遊びにくるんだってさ」 ……なんだ、そんなことか! 「だから、日曜は外に遊びに行っちゃ駄目だぞ。家にいるんだ」 「うん、もちろんだよ」 ぼくは元気よく請け合った。 「本当かい? だいたいおまえはこの間も念を押しておいたのに、都合よくうっかりと忘れて、遊びに行ったりして――」 お父さんがそこまで言った時、ちょうどニュースが始まった。 これって、『今は口を噤め』って意味だ。 「……お父さん、ぼくもう行っていい?」
「いいわよ。アントン、お母さんも一緒に行くわ」 廊下に出てから、お母さんは優しくぼくに言った。 「よく分かっているでしょ、ニュースの時のお父さんは」 「分かってるよ! ったく、お父さんたら、いつもこうなんだから!」 お父さんときたらたとえぼくにお説教をしている最中だって、ニュースが始まればニュース以外はどうだって構わないって態度を取るんだから。ぼくに言わせれば、ニュースなんかのどこがそんなにおもしろいのか、まるで分かんない。 「お父さんは、世の中の出来事を知りたいのよ」 「あーあ、そんなもん、毎日同じだよ。いつもどこかで戦争してて、政治家たちの話し合いはちっとも捗らない。そんなのよりもお父さんはもっと、自分の身の回りのことに気を配った方がいいんだ」 文句を並べ立てるぼくに、お母さんは優しく話しかけてきた。 「それじゃあ、あなたの意見によればお父さんはどんなことに気を配らないといけないわけ?」 「例えば、ぼくが今、お父さんに怒っていることとか、ぼく達よりもニュースの方に関心があることとかさ」 「だけど、お父さんはいつもそうとは限らないわ。この週末には、お台所に板を張って下さるのよ」 その言葉を聞いて、ぼくは一気につかれも眠気もふっとんだ。 「板を?! それ、休暇にやるんじゃなかったの?」 「本当はね。でも、お父さんは週末に始めるつもりよ」 うわぁ、最悪……っ! 「ぼく……ぼく、それじゃあ、お父さんを手伝うよ」 急いで、ぼくは返事をした。うまく立ち回れば、お父さんを地下室から遠ざけておけるだろう……多分。 「まぁ、いい子ね。それじゃあよくおやすみなさい、ね?」 「おやすみなさい」 お母さんに上の空で答えながら、ぼくは土曜日のことで頭がいっぱいだった。 明日、ともかくリュディガーと相談しよう。一緒に考えたら、何かいい考えが浮かぶかもしれない。
水曜日は朝から曇っていて、雨模様だった。日暮れがすごく早い日で、6時頃にはもう日が暮れ始めていた。 なんせ、ぼくのお父さんは6時半前に家に戻ってきた試しがない。お母さんはもう帰っているけど、今は自分の部屋で生徒の提出した作文を読んでいる。学校の先生をやっているお母さんは、宿剤やテストの採点の時はいつも一人で部屋にこもるんだ。 そういう時って、お母さんの言葉を借りて言えば『絶対に邪魔されたくない時間』なんだ。 運よく、エレベーターでも地下室の廊下でも誰にも会わなかった。 「リュディガー?」 そっと声をかけてから、木のドアを叩く。 「ぼくだよ。アントンだ」 応答はなかった。 「リュディガー?」 今度は、もっと大きな声で呼んでみた。 「いや……まさか」 ぼくは自分で自分の疑問を打ち消した。 うん、リュディガーはここにいるらしい。 でも、どうしよう? 中から、リュディガーの血の気のない顔が現れた。 「リュディガー?」 そっと、ぼくは声をかけてみた。 「なんだ、アントンか」 大きく伸びをして、リュディガーは棺桶から起き上がってきた。 「どうかしたのか?」 「うん……っていうほどでもないんだけど。あのさあ、うちのお父さんが板を使うんだ」
「ふーん」 「ふーんって……。お父さんは、大工道具も使うって言ってるんだよ?」 「使えばいいじゃないか」 まるっきり他人事の口調で言いながら、リュディガーは棺桶の縁に腰掛けた。 「君、分かんないの?! もし、お父さんが板や大工道具を取りにここにきたら、君は見つかっちゃうんだよ!」 思わず怒鳴りつけると、リュディガーはやっと納得したらしかった。 「その前に、なにか考えなくちゃ。リュディガー、いいアイデアはない?」 藁にもすがる思いでそう聞いたのに、リュディガーはぼくじゃなくて窓の外の方をじぃっと見ていた。 「リュディガー! どこ見てるんだよ?」 ぼくが怒っても、リュディガーはびくともしない。 「騒ぐなよ。 その話って、今すぐってわけじゃないんだろ?」 「え……うん、そうだけど」 それはその通りなので、ぼくは頷いた。 「でも、土曜日まで後2日しかないんだよ」 念を押すと、リュディガーは軽く肩を竦めた。 「腹ペコだってのに、やれやれ。――こうも腹が減ってちゃ、なんにもいい考えが浮かばないよ」 面倒そうにそう言うと、リュディガーはまた棺桶に横たわった。 「リュディガー!」 ボクが叫んだぐらいで、気にするようなリュディガーじゃない。まるっきりぼくを無視して、リュディガーは再び目を閉じて大きくあくびをした。 「まだ、いつもなら寝てる時間だ……」 「だからっ、寝てる場合じゃないってば! 土曜日のこと、どうする気さ?!」 「いいよ、アントン、オレは構わないぜ。君の考えに賛成するから」 あっさりそう言って、寝ているリュディガーをぼくは呆然と見つめていた。 それじゃああんまり虫がよすぎるってもんだ。自分は具合のいい地下室で横になっていて、面倒ごとは全部、ぼくに押しつけようだなんて。 「いくら友達だからってあんまりだ!」 カンカンになってそう怒鳴ると、リュディガーはぱちっと目を開けてニヤッと笑った。 ぼくはリュディガーはできるだけ視界にいれないようにして、地下室の中をぐるりと見渡した。 本当にうちの地下室ときたら、なんでまた、こんなに忌ま忌ましいほど片付いているんだ?! たとえば大きな布切れをかぶせたら……いや、駄目だ。そんな物が地下室にあったら、お父さんは絶対にその下を除くだろう。 「ぼく、もう行くよ」 ぼくの言葉に、リュディガーは目さえ開けずに答えた。 「もう、こんなに早く起こすなよ。オレは、寝起きが悪いんだ」 「よく言うよ!」 腹立ち紛れに、ぼくは勢いをつけてドアをピシャリと閉めた――。
木曜日は、いい天気……だったみたいだ。 あれこれ考えては見たけど、どうも今一つ成功しそうもない。 夕ご飯を食べた後も、部屋にこもってあれこれ考え続け――ぼくは窓を叩く音に気がついた。 まだカーテンを閉めてなかったから、外がよく見える。 「早くしてくれ!」 このしゃがれ声は、リュディガーだ。 「ど、どうしたの?」 問いかけるぼくに、リュディガーは『静かにしろ!』とばかりに指を口に当てた。そして、かがみ込んだ姿勢のままで、用心深く窓の外を伺う。 その緊張した雰囲気に、ぼくはどうしていいか分からずにおろおろするばかりだったけど――幸いにも、そんな緊迫した時間は長くは続かなかった。 「……もう、大丈夫みたいだ」 「ふぅ……もうちょいで掴まるとこだった!」 なんだか物騒なセリフが気に掛かって、ぼくはリュディガーに対して感じていた不満を一時、忘れることにして聞いていた。 「掴まるって、誰に?!」 「ドロテー叔母さんだ。叔母さんが、ここいらを飛び回っていたんだよ」
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