Act. 6 狼男の伝説 |
マントを力強くはためかせ、リュディガーはぐんぐん上昇していく。それを追うために、ぼくは今までにないほど必死に腕を動かしたけど、とてもリュディガーの早さにはかなわない。 「待って。そんなに早く、飛べないよ」 声をかけると、リュディガーはスピードを緩めた。 「リュディガー、ずいぶん高くまで飛ぶんだね」 そう言って、ぼくはちらっと下を見た。 「まさか、眩暈がするんじゃないんだろうな?」 月の光の下で、リュディガーの表情がはっきりと分かる。小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを見て、ぼくは慌てて言い返した。 「まさか! 違うよ」 ぼくの答えに、リュディガーは満足そうに頷いた。 「それならいい。なんせ、オレ達は後50キロも飛ばなきゃいけないんだから」 「ごっ、50キロォ?! そんなに遠いの」 ぼくの驚きを、リュディガーは楽しんでいるみたいだった。 「百人もの吸血鬼が、町のド真ん中で祭りをやれると思うのかい?」 「百人って……吸血鬼ってそんなにたくさんいるの?」 予想よりもずっと多い数に、ぼくは驚かずにはいられなかった。それと同時に、ちょっとした恐怖が忍び寄る。 とりあえず真相は聞きたくなかったので、ぼくは質問を変えた。これからも夜、ぐっすりと眠りたかったら、知らない方がいいこともあるんだ! 「それで、吸血鬼達はどこに集まるの?」 「ヤンマー谷だ」 その名前には聞き覚えがあった。 「だけど、あそこって狼男がうろついているんじゃないの?」 少なくとも、ぼくはそう聞いていた。 まあ、そんなに遠くまでいかなくても、ぼくの町には少なくとも二つの家族分の吸血鬼達がいたわけだけど! 「なんだ、アントン。そんなおとぎ話なんか、信じているのか?」 吸血鬼であるリュディガーが、狼男をそう言うのはなんか変な気分だった。 「うん、まぁね。ぼくは、吸血鬼だって信じているし」 そう言った途端、リュディガーが不機嫌そうな顔をした。 「おい! 吸血鬼と狼男を、いっしょくたにするなよ。あんな作り話なんかとさ」 「作り話?」 ぼくは聞き返した。 「そうさ、でっちあげの作り話さ。狼男なんて、いないに決まっているじゃないか。あれは、吸血鬼が考え出したものなんだ」 「へ? なんだって?」 意外すぎる言葉に、ぼくはあっけにとられた。 「あれはずっと昔……ヤンマー谷にまだ多くの吸血鬼が住んでいた頃の話さ。その頃は祭りの度に、必ず人間が除きにきてたんだ。
「信じられない……昔の人間って、吸血鬼が怖くなかったのかな?」 その途端、リュディガーがおかしそうに笑った。 「何言ってるんだよ、アントン。おまえだって、これから吸血鬼の祭りに参加しに行くくせに!」 そう言われればそうだけど。 「でも、ぼくはリュディガーに誘われたから、行く気になったんだよ。一人だったらとても行く気になんかならないよ。もし、見つかったりしたら、どうなるかと思うと……」 考えるだけでゾッとしたけど、リュディガーは何を馬鹿なことを言っているんだとばかりに言った。 「どうにもなりっこないさ。吸血鬼は、祭りの時は食事は絶対にしないもん」 「はあ?」 今度の驚きは、さっきよりも強かった。
「しない。せいぜい、術をかけて記憶を消すぐらいだよ。吸血鬼は、祭りの時は何も口にしない。そういったことは、あらかじめ済ませておくんだ」 ぼくは感心して、本心から言った。 「へえー、変わってるね。人間の祭りやパーティなんかでは、食べたり飲んだりするのが一番大切なのに」 正直、食事抜きのパーティなんて味気無いと思ったけど、でも、これで疑問が解けたぞ。
「そうさ。知れ渡っていた。だから普段はともかく、祭りの日にはこそこそと様子を伺いに人間達が押しかけてきたのさ」 リュディガーがうんざりしたようにいったけど、ぼくにはその人達の気持ちがよく分かった。 「それじゃあ、今夜もそうなの? ヤンマー谷に集まる吸血鬼達も、もう、腹拵えしてきているの?」 念のため聞いてみると、リュディガーは頷いた。 「ああ、当たり前だろ」 「……そっか。そうなんだ」 我ながら現金だと思ったけど、それを知った途端、ぼくは倍も祭りが楽しみになった。そりゃあ多少の危険は覚悟してたけど、危険なんてものは少なければ少ないほどいいんだ。 「それでさ、リュディガー。狼男の話をもっと聞かせてよ。吸血鬼達は、どんな風に話を作ったの?」 「簡単さ。その頃は、狼がうじゃうじゃいた……谷の回りをうろついている狼は、本当は、日が暮れたら凶悪な猛獣に変身する特別な人間だ――そういう噂を広めさえすればよかった。 「へえー、そうだったんだ」 まさか、狼男の発端がそんなことだったとは。 「それで、今も狼はそこにいるの?」 「いや、いない。ここ何十年かの間に、すっかりいなくなっちゃったんだ。前はあんなにたくさんいたのにな」 そう言ったリュディガーは、ちょっぴり寂しそうだった。 別にぼくが直接やったわけじゃないんだけど、でも、こんな話を聞くと自分が自然破壊をする人間の一員だってことが、なんか後ろめたく思えてしまう。 「狼男はいなくても、狼ぐらいはいてもよかったのにね」 慰めるつもりでそう言ったら、リュディガーはしみじみと呟いた。 「まったくだ。非常食にはちょうどよかったのになぁ……」 ――危うく、ぼくは空中から真っ逆様に落ちるところだった。 「ひ、非常食って……」 言いかけてから、ぼくは言葉を飲み込んだ。 「ん? なんだ?」 幸いにも、ぼくのさっきの言葉はリュディガーには聞こえなかったらしい。 「なんでもないよ、ただ、祭りってどんなことやるのかと思って、さ」 「今日、やるのは舞踏会さ。あんまりおもしろくないけど、集まる人数が多いからバレにくいし、おまえ向きだろ」 そう言われて、ぼくは少し考え込んだ。 「場所は? ヤンマー谷のどこ?」 「谷の奥の方。今は廃墟になっている城だよ。エリザベス叔母さんのの別荘で開かれるんだ」 リュディガーの家族の名前は知っているけど、そんな名前は聞いたことがない。 「その人、誰?」 「オレの……うーんと、正式には大叔母さんにあたる人かな? とにかく、親戚の一人だよ。 説明するリュディガーの声音には、うんざりしたような響きが混じっている。どうやら、リュディガーにとってはあんまり会いたい人じゃないみたいだ。 「ヤンマー谷の城は今は廃墟になっているけど、こじんまりとした住み心地のいい城だよ。 「へえ。でも、そこって、エリザベス大叔母さんの別荘じゃないの?」 「そうさ。オレ、生きていた頃は体が弱かったから、大叔母さんの別荘を借りて静養してたんだ。家にいるよりも、あそこにいた時間の方が長かったぜ」 リュディガーが病弱? ……な、なんか、イメージが違うな。 ――生きていた時のリュディガーって、今とは違ってたんだろうか? もっとその話を聞きたかったけど、リュディガーはちらっと月を見上げて顔をしかめた。 「ところで、のんびり話なんかしてる場合じゃないな。とばさなきゃ間に合わないぜ。 互いの手首を掴む形でしっかりとリュディガーの手を握ると、ちびっこ吸血鬼はいきなりぐんとスピードを上げだした。
「ついたぜ。ここだ」 リュディガーがそう言ったのは、廃墟の真上についた時だった。 「明りが……ついているや」 城の真ん中辺りの部屋だけ、窓から弱い光が漏れている。木々に邪魔をされているせいか、近くまできてやっと分かる程度の明かりだった。その光以外の部分は、真っ暗だった。
リュディガーはそう説明してから、ぼくの手を離した。 「降りるぞ、アントン」 言うなり、リュディガーは一足先に下へと降りていく。
ぼくも身体の力を抜き、自然に下に落ちるに任せた。ふんわりと着地するのってけっこう難しいんだけど、ぼくも最近できるようになったんだ♪ 「入り口から入らないの?」 上から見た感じじゃ、城の正面玄関は空いていた。だから、ぼくはどうしてそこから入らないか不思議だったんだ。 「こっちの方が近道なんだ。言ったろ、オレはここに住んでたって。抜け道には詳しいぜ」 得意げに言い、リュディガーはぼくを手招きする。 さすがに古びていて石なんかはさわるとボロボロ細かい砂が散るけど、でもまだまだ芯はしっかりしているみたいだ。 「何やってんだよ。こっちだってば」 気の短いリュディガーが、ぼくを急かす。 ガタガタの階段を、ぼくは月明りに頼りながら気をつけて降りた。だけど最初のカーブを曲がると、月の光も届かない。辺りは急に真っ暗になった。 「リュ……リュディガー? どこにいるの?」 弱気になって助けを求めると、下のほうからこもった声が聞こえてきた。 「ここだよ。下の踊り場だ。壁ぞいにくればいい」 その声を頼りに、ぼくは壁に手を当てて足元を探りながら慎重に階段を降りていった。転びそうになって壁に何度かしがみついたけど、それでもまぁなんとか、ぼくは無事に階段を下りることができたらしい。 階段の踊り場らしき場所に、かすかな光が差していた。 白い髪が、月の光を受けてぼうっと輝いているようにみえる。白と黒の際立ったコントラストの中で、赤い目だけが鮮烈な光をたたえているのがことさら印象的だった。 普段は見慣れているからたいして気にもしてないけど、こうして見てみるとリュディガーは本当に……きれいだ。男に向かっていう言葉にしてはちょっと変だけど、でも本当にそう思う。 伝説に伝わる吸血鬼は、男も女も際立った美貌を持つと言われているけど――大広間にいる吸血鬼も、みんなそうなんだろうか? 「どうしたんだよ、アントン?」 黙って自分を見ているぼくを不審に思ったのか、リュディガーが不思議そうに聞く。 「あ……いや、なんでもないよ」 まさか、正直に『見とれていた』なんて言えるはずないっ! 「ただ――ただ、見ててだけだよ。ずいぶん古い城だなって思ってさ」 まんざらごまかしばかりでもなく、本心からそう思う。 そして何より恐ろしかったのは、廃墟の母屋へと通じる廊下だった。 「さあ、こいよ。行こう」 リュディガーがぼくの腕を取った。
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