Act. 9 強情っぱりのリュディガー

 

 パーティ会場に戻ったぼく達は、リュディガーを探してあちこち歩き回った。
 アンナはダンスをしたがったけど、フォークダンスとワルツがやっとのぼくに難しい曲はとても無理だ。それにリュディガーに、エリザベスのことを教えておきたかったし。

 だけど人が凄くて、全然見つけられなくって――その内、流れていた音楽が止んだ。
 それと同時に、踊っていた吸血鬼達が次々とテーブルへ戻っていく。

「なに? どーなってるの?」

「ああ、コンテストの時間なのよ」

 と、アンナは事も無げに言った。

「要するに、パーティの余興ね。踊りの上手さを競ったり、衣装を競ったりとか」

 なるほど、人間で言うパーティゲームみたいなものか。
 納得して、ぼく達も他の吸血鬼と同じように、テーブルに戻った。とにかく回りと違う行動をして、注目されるのだけは避けたいもんね。

 他の吸血鬼のいないテーブルに腰を下ろし、ぼくはキョロキョロと辺りを見回した。リュディガーが近くにいないかと思ったんだ。
 だけど吸血鬼がこれだけ多いと、見つかりそうもない。

 諦めて、ぼくはコンテストに注目することにした。
 広間の中央の段に、見覚えのあるおばあさんの吸血鬼が登った。

「甘い物好きのエリザベスよ」

 アンナがそう囁いて教えてくれる。
 きらきら光る指輪をつけた指を指揮者のように動かしながら、エリザベスは甲高い声でしゃべっていた。

「皆様、本日はおいでくださいまして、嬉しく存じます。シュロッターシュタイン一族の名において、皆様を歓迎致しますわ!
 さて、これから『喉自慢コンテスト』を開催致します。どうぞ皆様、ご自慢の喉をふるってくださいませ!」

 そこで大きくお辞儀をすると、エリザベスはまた言葉を続けた。

「この度の審査員は卑劣なエルケ、豹変のエリザベート、それにお人好しのギュンターです。審査員の方々は、席にお着き願います」

 名前を呼ばれた者達が、段の上に登っていった。
 最初に上がったのは、背の高い見栄えのする吸血鬼だった。だけど顔に意地悪そうなしわがよっていて、見た目をぶち壊しにしている。
 あれが卑劣なエルケ――見るからに、名前に相応しい吸血鬼だ。

 次に進んだのは、眼鏡をかけている女吸血鬼だった。高校生ぐらいの年で、やけに短いスカートをはいている。

「エリザベートだわ。あの娘はね、自分は吸血鬼の中で一番きれいな足をしていると自惚れているのよ」

 くすくす笑いながら、アンナが教えてくれる。
 それを聞いて、ぼくも吹き出してしまった。

 だって、エリザベートの足ときたら! こう言っちゃ悪いけど、ぶっとい上にすっごく短いんだもの。
 しゃなりしゃなりと進むエリザベートの後を、痩せっぽちの男が遠慮勝ちに登っていく。


「彼が、お人好しのギュンター?」

「そうよ」

「吸血鬼にしては、変わった二つ名なんだね」

 聞いた限りじゃ吸血鬼って邪悪系が好みっていうのか、なんか怖そうな名前が多いのに。


「あの凄いやせ方に気がつかない?
 ギュンターはあまりお人好しなものだから、いつも他の吸血鬼達にお先にどうぞって食事を譲っちゃうのよ」

「そ、そう……」

 少々、顔が引きつる。
 ………人間であるぼくにとっては『食事』の中身が引っかかるんだけど、アンナは全然意識していないみたいだ。
 こんな時には、吸血鬼と人間の差ってのを思い知らされる。

「コンテストに参加なさりたい方は、皆さんどうかこちらにおいでになって、一列にお並びください!」

 甘い物好きのエリザベスの声に、何人もの吸血鬼が段の方へと動いていった。だいたい十人ぐらい――彼等は行儀よく、段の下で順番待ちをしている。

「それでは最初の方。どうかご来場の皆様に、自己紹介をしてください」

 最初に段に登ったのはつるっぱげで角張った顔の、がっしりとした吸血鬼だった。

「オレは、気短のイエルクだ。ローレライを聞かせよう」

 自信満々に言うと、イエルクは歌い出した――聞くに耐えないようながらがら声で。

「うへえ」

 思わず、ぼくは呻いた。
 吸血鬼はこんなに美男美女が多いのに、どうしてこう、段の上で目立っているのは選り抜いたように不細工な奴らなんだろう?

 コンテストって言うから期待したけど、あんまり期待し過ぎない方が利口かもしれない。 ぼくはこっそり、溜め息をついた――。

 

 

 次々と段の上に登る吸血鬼達は、どいつもこいつもロクな歌い手じゃなかった。
 だけど、それでもまあ、全然おもしろくないわけじゃない。
 その内、知っている顔も現れた。

「あ、テオだ」

 気取って、段の上に登ったのは紛れもなくテオだった。

「アントン、彼を知ってたの?」

 と、アンナが不思議そうに聞く。

「うん、ちょっとね。君達の従兄弟なんだろ?」

 ぼくがそう答えた時、テオは両手を広間に向かって広げ大きな声で叫んだ。

「ぼくは、シュロッターシュタイン一族のテオ。せっかちのテオです。このパーティの主催者、エリザベス大叔母とは血縁にあたります」

 自慢ったらしい自己紹介に、観客の吸血鬼達からまばらな拍手が上がる。

「テオって、歌が上手いの?」

 そう聞くと、アンナは両手を口に当てて言った。

「全然。自惚れもいいところだわ」

 外国語の気取った歌を歌うテオを、アンナは不満そうに見ている。どうやらリュディガーだけじゃなくって、アンナもテオが気に入らないみたいだ。
 何度も舞台から観客に手を振り、大袈裟な身振りをつけくわえたテオの熱唱は、今まで段の上で歌った吸血鬼達と同じ程度のおざなりな拍手で終わった。

 これで全員終りかなと思ったけど、甘い物好きのエリザベスが手を叩いて皆の注意を引きつけた。

「さて、最後に、スペシャルゲストをご紹介しましょう!」

 そう言って、エリザベスは腕全体で誰かを招く素振りをした。
 それに応じて、大きな吸血鬼が壇上に上がる。――いや、誰かを引っ張って、無理やり上げようとしているんだ。

「やだ、あれ、ルンピよ」

 アンナの言う通り、大きい方の吸血鬼はルンピだ。じゃ、無理やり壇上に追いやられたのは――。

「リュディガーだ!」

 ふて腐れた顔をしたちびっこ吸血鬼は、ほとんどそっぽをむいている。自己紹介なんてしそうもない態度を見兼ねたのか、変わってエリザベスがリュディガーを紹介した。

「皆様、ご紹介致します。この子が我がシュロッターシュタイン一族の誉れ、リュディガー  リュディガー=フォン=シュロッターシュタインですわ」

 それを聞いた会場の吸血鬼達は、一瞬、どよめいた。
 それから、盛大な拍手が一斉にたてられた。あんまり熱烈な拍手に、ぼくは少なからず戸惑った。
 これじゃあ、まるでスターか何かみたいだ。

「アンナ――リュディガーってひょっとして、吸血鬼の間じゃ有名人なの?」

「まあね。でも、リュディガー自身が有名って言うより、オリジン一族の名前のせいよ」


 くすくす、アンナがおかしそうに笑う。
 何がなんだかよく分からないけど壇上でリュディガーが口を開いたので、とりあえずそっちに注目した。

「それじゃ、青き美しきドナウを」

 ごくありふれた曲を選曲し、リュディガーは2、3度咳払いしてから歌い出した。

「へえー……」

 いつものしゃがれ声じゃなくて、伸びのあるボーイソプラノが会場一杯に響き渡る。予想以上に上手い歌に、ぼくは感心した。

 ここに来る時リュディガーが自分で歌は得意だって言ってたけど、それってかけねなしのホントだったみたいだ。
 歌い終わった後に送られた拍手も、他の吸血鬼とは比べ物にならない。

「でも、リュディガー、なんだってあんなことを……?」

 不満そうな顔や態度は、どう見たって進んでやってるようには見えない。

「逃げ損なってつかまったんでしょ」

 あっさり、アンナが決めつけた。――反論の余地はないな。

「……うん、そうみたいだね」

 他の出演者と一緒に段の上で一列に並んでいるリュディガーを見て、ぼくは近寄るのは諦めた。
 いくらなんでも、すぐ側にテオやルンピがいるのに近づく気にはなれない!

「ではこれでコンテストは終わりました。審査が終わるまで、ご歓談をお楽しみ下さい」


 エリザベスの言葉に、楽団が再び静かな曲を演奏し始めた。どうやら、話のBGMのためらしい。
 それと同時にみんながしゃべり始めたので、大広間はちょっと騒がしくなる。
 その騒ぎに紛れて、ぼくは聞いてみた。

「ねえ、アンナ。さっきの話だけどさ……オリジン一族って?」

 そう聞くと、アンナはあきれた顔でシッと口止めした。

「まあ、アントン、駄目よ、こんな所でそんなことを言っちゃ! 吸血鬼じゃないって、自分からバラしてるようなものよ!」

 厳しく言ってから、アンナは慌てて声を落とした。

「オリジン一族はね、わたし達吸血鬼全ての生みの親――元となった一族よ。あのドラキュラ伯爵を長にした、最も歴史の古い一族なんだから!」

 まるで自分のことのように誇らしげに、アンナは目を輝かせた。
 でも、その気持ちはぼくも分かる。
 ドラキュラ伯爵と聞いただけで、ぼくも自分で自分の目の色が変わったのを自覚したもの。

「なんだって? ドラキャラ伯爵って、あのドラキュラ伯爵のこと? 実在していたの?!」
 

「もちろんよ」

 アンナは、うっとりと手を組んだ。

「吸血鬼なら、あの一族に憧れない者はいないわ。昔からの力を受け継ぐ一族で、どんな一族にも優って強い力を持っているの。特に、ドラキュラ伯爵は別格よ! あの方に、一目でいいからお目にかかりたいわ……」

 熱っぽくそう言ってから、アンナはちょっと自慢そうにつけくわえた。

「それで――リュディガーはドラキュラ伯爵から直接、吸血鬼になる儀式を受けたのよ。これってすごい名誉なの。オリジン一族はね、吸血鬼としての才能を強く持った人しか仲間にしないんだから。
 ましてや、相手がドラキュラ伯爵じゃ――望んだってなかなか叶えられるものじゃないのよ!」

 力強くアンナは力説したけど――ぼくには、あまりそうも思えなかった。だって、どっちみち吸血鬼にはなりたくないし。

 でもまあ、これでリュディガーのことは納得がいった。
 前に学校で演劇コンクールかなにかで1等を取って、有名な俳優と握手して有名になった子がいたけど  だいたいそんな感じだと思えばいいんだろう、きっと。
 みんなが、その子を特別な子だと思っていた。

 実際、演劇の才能はあるんだろうけど。でも、その子を有名にしていたのは、何よりも『あの俳優が認めた子だから』って理由だった。事情を聞く限りじゃ、リュディガーもそんな風なんだろう。

 だけどそうやって一つの疑問が解決すると同時に、ぼくはふともう一つ気になっていたことを思い出した。

「そう言えばさ、アンナ。リュディガーはなんで強情っぱりのリュディガーって呼ばれるようになったんだい?」

「あら。その二つ名、リュディガーから聞いたの?」

 と、アンナは不思議そうな顔をした。

「うん……まぁね」

 そう言うと、アンナはますます驚いた。

「珍しいのね。リュディガーは自分の二つ名はめったに言わないのに。他人に言われるのも嫌がるぐらいなのよ」

 確かにルンピやテオ、アンナだって始めて会った時に二つ名を名乗っていたのに、リュディガーはそうしなかった。
 それどころか、二つ名を聞いたら怒っていたもんね。吸血鬼は人と会うと、必ず自分の二つ名を名乗るのが礼儀らしいのに。

「どうしてだか、知ってる?」

 聞くと、アンナは何から話したらいいのか迷うように、ちょっと小首を傾げた。

「えっとね……アントン、うちのお母さんは  吸いたがり屋のヒルデガルトが吸血鬼になったのは、結婚した後だったの」

「うん、それならリュディガーから、前にちょっと聞いたことがあるよ」

 シュロッターシュタイン家で最初の吸血鬼になったのは、ドロテー。後に貪欲なドロテーと呼ばれるようになった彼女は、結果的にはシュロッターシュタイン一族を全員吸血鬼にした張本人だ。
 そして、娘が吸血鬼になったと知ったザビーネは、自ら吸血鬼になる決心をした。

 吸血鬼になり恐怖のザビーネとなった彼女は、まず、夫のウィルヘルムの  リュディガーのおじいちゃんだ  血を吸って吸血鬼にした。すぐに吸血鬼に馴染んだウィルヘルムには、荒くれ者という二つ名がついたんだ。

 リュディガーのお父さんのルートヴィヒは、ザビーネとウィルヘルムの最初の子供で、凄腕と呼ばれる吸血鬼だ。

 そして、ウィルヘルムの結婚した相手が吸いたがり屋のヒルデガルト。ただ、ヒルデガルトは知らなかったんだ。
 自分の婚約者が吸血鬼だったと――彼女は結婚した後で気がついたんだ。

「そう……それで、わたしやリュディガー、それにルンピが生まれたのは、お母さんがまだ人間だった頃のことなの」

「そうだったんだ……」

 それは初耳だった。
 でも、充分に納得できる話だ。
 吸血鬼同士の間には、決して子供は生まれない――なぜなら、吸血鬼は死んでいるんだから。

「それじゃあ、君達ってダンピールだったわけ?」

 前に、本で読んだことがある。
 吸血鬼と人間の間に生まれた子には、普通の人間とは違う力だ備わるって。吸血鬼に近い体質なのに、吸血鬼を退治する能力があるって書いてあった。

 まあ、細かくは知らないけど……でも、リュディガーやアンナ達がそうだったなんて驚きだ。

「そうよ。でも、半分だけ吸血鬼の血を引いていても、わたし逹は普通の人間だったの。ちゃんと……儀式を受けるまでは」

 アンナの口ごもり方に、ぼくはその『儀式』がどんな物か思い当たって、ゾクッとした。


「うちはお父さんもお母さんも一族みんなが吸血鬼だったから、わたし達はある程度成長したら吸血鬼になるつもりでいたの。どうせ、人間としてはそう長くは生きていられない体だったから。
 ……でも、リュディガーはそれが嫌だったのね」

 それも初耳だった。

「リュディガーは……嫌がったの?」

「そうよ。どうしても吸血鬼になりたくないって言い張って。リュディガーは生まれつき病弱で、そのままだったら12、3歳までもつかどうかと言われていたのに、吸血鬼になるくらいなら病気で死んだ方がましだって意地を張り通したのよ」

 ぼくは目を丸くしてそれを聞いていた。
 すごく、リュディガーらしい――ような、リュディガーらしくないような。
 リュディガーがまだ吸血鬼じゃなくて人間だった時の話を聞くのは、なんだか変な気分だった。

 だって、ぼくが出会った時はすでにリュディガーは吸血鬼で……ぼくには吸血鬼じゃないリュディガーなんて、想像もつかないもの。

「でも……リュディガーは、今、吸血鬼だよね? 途中で、考えを変えたの?」

 ううん、とアンナが首を振った。

「変えなかったの。色々な吸血鬼がリュディガーを吸血鬼になるようにとあの手この手で誘惑したけど、リュディガーはとうとう死ぬまで意思を変えなかったわ。
 リュディガーが死んだ後で、ドラキュラ伯爵が――オリジン一族の長様が直々に、彼を吸血鬼に変えたの」

 だから、リュディガーには『強情っぱりのリュディガー』の二つ名がついたのだと、アンナは言った。
 話が終わってからしばらく、ぼくは黙っていた。

 なんだかすごく長い映画を見た後のように圧倒されてしまって、すぐには言葉が出なかったんだ。
 やっと、言うべき言葉を思いついたのは、ずいぶんたってからだった。

「リュディガー……どんな気分だったんだろ……」


 人間として一度死んで……。目が覚めた時は、もう吸血鬼になっていただなんて。
 しかも、本人は吸血鬼にはなりたくなかったんだ。

 ぼくは思い出した――初めてリュディガーに会った時、言われた言葉を。
 吸血鬼になりたくはないのか、とリュディガーは念を押したっけ。

 ――吸血鬼にならなければ、殺されるって言われてもか?  

 リュディガーはそう言った。
 ぼくがそれでも嫌だと答えたら、嬉しそうに笑ったんだ……。

 ぼくはそっと、リュディガーの様子を窺った。
 他の吸血鬼達が、話し合っている審査員を気にしている中で、オレには関係ないとばかりに、一人だけそっぽを向いているリュディガーが見える。


 そんなちびっこ吸血鬼の姿を見ながら、ぼくはなんとなく――なんとなく、リュディガーに悪いことをしちゃったな、と後ろめたく思った。

 まるで、本人が内緒にしたがっている成績表を、こっそり覗き見したみたいで後味が悪い。
 罪悪感じみた後悔を抱え込んでいるぼくを、アンナが優しく揺さぶった。

「結果が発表されるわ」

 壇上に目をやると、甘い物好きのエリザベスが手を上げるのが見えた。それに合わせて、音楽がぴたりと止む。

「皆さん!」

 エリザベスは厳かな声で叫んだ。

「今日のコンテストの優勝者、一番の歌い手は――」

 ここでエリザベスはちょっと言葉を切って、立候補者達を全部もう一度順番に見た。

「強情っぱりのリュディガーです!」

 嵐のような拍手が起こった。
 もちろん、ぼくもアンナも拍手を惜しまなかった。リュディガーの優勝を喜んでいないのは、当のリュディガーとそれからテオぐらいのものだ。

 リュディガーは不機嫌そうだし、テオはそんなリュディガーを思いっきり睨みつけている。

「そして、商品は悪魔のロウソク立てです!」

 エリザベスはリボンに包まれた箱を、リュディガーに手渡した。それを無造作に受け取り、リュディガーはさっさと壇上から降りた。
 その途端、たくさんの吸血鬼達がリュディガーを取り囲む。
 どうやら、口々にお祝いだのなんだのを言っているらしい。

「あーあ。テオ、怒るわよ」

 アンナがおかしそうに囁く。

「でも、これは当然の結果だよ。リュディガーが、一番上手だったもの」

 ぼくとしてはしごく真っ当な意見を言ったつもりだけど、アンナはなおもいっそう、くすくす笑っただけだった。

「テオは競争で負けると、いつもズルをされたって感じるの。そういう時に、テオにかかわらない方がいいのよ。さあ、わたし達は帰りましょう」

 そう言って、アンナは腰を上げた。

「でも、リュディガーは?」

「おにいちゃんなら、一人で帰れるわよ。それにあの様子じゃ、当分近づけもしないわ」
 

 ……確かにアンナの言う通りだ。
 それに、もうずいぶん遅くなった。リュディガーが人波から解放されるのを待っていたら、お父さん達が帰ってくるまでに家に戻れそうもない。
 悪い気がしたけど、ぼくはアンナと一緒に一足先に帰ることにした。

 

 


「素敵な夜ね!」

 広い空を飛びながら、アンナはやけにはしゃいでいた。

「もっと、もっと飛んでいたいぐらい――ねえ、本当に、もう家に帰るの?」

 と、アンナはきらきらする目でぼくを見つめた。

「うん。どうしてだい?」

「だって、なにか一緒に楽しいことをやれるじゃない? たとえばね、わたし、もうずっと前から一度ディスコに行きたいと思っていたの」

「ディスコ! あんなの、くだらないよ」

「そうかしら?」

「あったりまえさ。みんな、金儲け主義のあくどい商売さ」

 まあ、ぼくもディスコなんて行ったことはないんだけど、お父さんはいつもそんな風に言っている。

「それじゃあ、泳ぎに行かない? 月夜に泳ぐなんて……ロマンチックだわあ」


 アンナはさも素晴らしい案のように言ったけど  ぼくはとてもそうは思えなかった。この季節に、しかも、夜に泳ぐだなんて!

「ぼく……ぼく、水泳パンツ、持ってないよ」

 控え目に反対してみたけど、アンナは笑っただけだった。

「だからどうしたって言うの? わたしだって、持ってないわ」

 あまりにも大胆な言葉に、ぼくは一瞬絶句し……慌てて別のいいわけをした。

「ぼく、風邪気味なんだ!」

 デマカセをホントらしく見せようと、ぼくは必死にくしゃみをしてみせた。だけど、自分でもすっごくわざとらしく聞こえる。

「……あなたって、リュディガーとだったら吸血鬼の集会にでも行くのに、わたしとじゃ、どこにも行きたくないのね」

 アンナの声は、やたらと冷たくなる。
 ううっ、別にそんなつもりじゃないんだけど。

「ち、違うよ。ただ、今日はもう遅いから……もうすぐ、うちのお父さんやお母さんも帰って来るし」

「もう、いいわ」

 アンナはそうは言ったけど、とてもそうは聞こえなかった。
 ぷりぷりに怒っているよ――、完全に。
 ぼく達はしばらく、黙ったまま飛んだ。だけど、気詰まりで息苦しくって……ぼくは、自分自身に腹が立った。

 悪気はなくても、ぼくって必ず、相手を不機嫌にさせちゃうんだ。
 なんとかアンナの機嫌を直す方法はないかと、ぼくはさんっざん頭を悩ませ――そのあげく、どうしても聞いておきたい問題を思い出した。

 それを聞いたら、ますますアンナの機嫌が悪くなりそうだけど……でも、聞かずにはすませられない。
 ぼくは覚悟を決めて、アンナに声をかけた。

「ねえ、アンナ」

「なあに?」

 氷よりも冷たく、アンナが言う。  相当、怒っているみたいだ。

「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」

「あなたが聞きたいなら」

 まっすぐ前を見たまま、アンナは素っ気なく答えた。ぼくの方に、見向きもしないや。


「実は、リュディガーの勘当のことなんだけど。後、どれぐらい、共同墓所を締め出されるのかな?」

 ぼくを振り返りもしないアンナが、小さく肩を竦めるのが見えた。

「2ヶ月か、3ヶ月。それは、家族会議の決議次第よ」

「な……なんだって?!」

 冗談じゃない!
 ぼくは思わずわめき散らしていた。

「そんなのって、あんまりだよっ! 長すぎる……っ、とても無理だっ!」

 ホントに冗談じゃない  そんなに長く、両親を地下室から遠ざけておけるはずがないっ! なんせ二人とも、2週間置きに地下室を大掃除してるぐらいなんだから!

「そんなに大きな声を立てると、人に見つかるわよ」

 取り乱したぼくを見兼ねたのか、アンナが話しかけてきた。ぼくの方を振り向いているし、気のせいか声にもいつもの優しさが戻ったみたいだ。

「あ、ごめん。――でも、ひどいや、あんまりだよ。とてもそんなに長く、リュディガーの面倒をみてられないよ!」

 ぼくが愚痴ると、アンナがまじまじとぼくを見つめた。

「わたし……。あなたは、リュディガーが自分の家に来て、喜んでいるかと思ったわ」

「とんでもない!」

 ぼくは即刻否定した。

「リュディガーってばなにもかもぼくに押しつけて、自分は棺桶の中にのんびり転がって、吸血鬼の本なんか読んでいるんだ。厄介ごとは、ぼくがなんとかしてくれるって思っているんだから!」

 ここぞとばかりに今までの不満をぶちまけると――アンナはなぜか、くすくす笑い出した。

「リュディガーらしいわ」

 ひとしきり笑った後、アンナは真顔で忠告した。

「でも、リュディガーに利用されるのは、あなたが悪いからよ」

「だけど……それじゃ、ぼくはいったいどうすればいいのさ? うちのお父さんが、リュディガーを見つけるのを黙って見ていろって言うのかい?」

「まさか。でも、あなたはリュディガーに、リュディガーがいつまでもあなたの家の地下室にいれないんだ、ってことをはっきりと示さなくちゃ」

 はきはきとそう言って、アンナは少し首を傾げた。

「来週、また家族会議が開かれるわ。ひょっとしたら……その時、共同墓所の勘当が解かれるかもしれない。ともかくわたし、リュディガーのために口添えしてみるわ」

「え? 君が、家族会議に出るの?」

 びっくりして聞くと、アンナは得意そうな顔をした。

「もちろんよ。わたしも、シュロッターシュタインの一族だもの」

 ひらひらと蝶のようにマントをはためかせているアンナが、急に頼もしく見えるっ。
 ぼくはその家族会議の成功を祈った。

 2ヶ月か3ヶ月なんて不可能でも、1週間かそこらならなんとかなる。………かもしんない。
 とにかく少しでも明るくなった見通しに元気づけられ、ぼくは力一杯羽ばたいた。

「もう、あなたの家よ」

 見下ろすと、ぼくの部屋は、あいかわらず机のスタンドがついていた。ということはお父さんやお母さんがまだ帰ってきてないってことだ。
 ぼくは窓台の上に降りて、軽く閉めておいただけの観音開きの窓を開けた。

「おやすみ、アンナ」

「おやすみなさい、アントン。お化粧を落とすのを忘れないでね」

 アンナは微笑み、――そして、ふわりと飛んでいった。
                                  《続く》

 

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