Act.10 次々続く、大問題 |
日曜の朝――ぼくは妙な頭痛を覚えながら、目が覚めた。 ぼくはゆっくり、昨日のことを思い返してみた。 だけど、時計を見ると、なんと11時だった。 他に思い当たることと言えば……長く飛びすぎて疲れたとか、吸血鬼だらけの場所に行ってストレスがたまったとか。 「アントン、起きてる?」 お母さんの声だ。 「ううん!」 叫んで、ぼくは布団の中に潜り込んだ。だけどドアが開く音が聞こえ、続いて二本の手が布団の下に潜り込んできて、ぼくをくすぐった。 「やめて! やめてったら!」 「目が覚めた?」 済まして、お母さんが聞く。 「まあ、なんて顔をしているの?」 「どうして?」 「目は真っ黒けだし、顔はひどい縞模様よ!」 「ホント?」 自分の顔を触ってみると、粘るような、嫌な感触がした。 「早く顔を洗っていらっしゃい。12時におじいちゃんとおばあちゃんが、お食事にいらっしゃるのよ」 「あ、そうだった」 すっかり忘れてた。ぼくは慌てて洗面所に向かった。
「今日のお昼は、何?」 念入りに顔を洗い着替えを済ませてから、ぼくは台所のテーブルに座っているお父さんに聞いた。 「おまえの大好物、ひな鳥の料理さ」 「じゃあ、デザートは?」 「手作りのバニラアイスだよ」 うん、ラッキー♪ 「アントン、そんな服じゃ失礼でしょ。どうしてリンネルの黒いズボンにしないの?」 「そんなの、いやだよ」 「分かっているでしょ、おばあさんはジーンズがお嫌いなのよ」 もちろん、それは知っている。 「やあ、いらっしゃい」 さっそく、皆そろって玄関にお出迎えした。 おじいちゃんは、そんなに背が高くない。普段の日はコール天のズボンに格子縞のシャツを着ているけど、今日はぱりっとした服を来ていた。 おじいちゃんはチューリップの花束をお母さんに、そしてうすべったい小さな包みをぼくに渡してくれた。
いつものように、お母さんが同じ注意を繰り返す。そんなの、言われなくたって分かっているのにさ。 「アントン、今日はとってもいい顔色だこと」 「そう? おばあちゃん?」 おかしくって、ぼくは笑いを噛み殺すのに苦労した。顔色がいいっていうより、顔をごしごし洗ったから赤いだけなのに。 「でも、相変わらずジーンズなのね。せめて日曜ぐらい、別のズボンをはけないものかしら」 「おばあちゃんったら。みんな、ジーンズをはいているよ」 いつものやり取りを繰り返し、ぼくもテーブルについた。 「取り分けてもいいかい?」 お父さんが、肉切りナイフを構えて立っている。 お父さん達が近頃の景気だの、政党がどうしただの、今日のレシピだのしゃべっているのを適当に聞き流しながら、ぼくはせっせと肉を食べていた。 「ところでおまえのとこの台所は、もう板を張ったのかい?」 ふと思い出したように、おじいちゃんがそう言った。 「いいや、それどころじゃなくってね。アントンが、地下室の鍵をなくしちゃったんだ」
「なんだって? そんなに簡単になくしてしまったのかい?」 とがめるように、おじいちゃんがぼくを見る。 「また、見つかったよ」 急いで答えたら、今度はおばあちゃんからクレームがついた。 「口に頬張ったまま、しゃべるのはおよし」 やれやれ、礼儀にうるさいんだから。 「それで? 今度は何時、台所をやるのかね?」 「来週の週末は、金曜から日曜まで会議があるんだ。それにその次の週末には、ちょっと息抜きしなくちゃ」 お父さんの返事に、ぼくは目の前がパアァッと明るく輝いた気がした。思わず叫びだしそうになったぐらいだ――おじいちゃんが、次の一言を言うまでは。 「あのなあ、いい考えがあるんだが。来週中に一日休みを取れよ。そうしたら、わしが手伝ってやる。どうだい?」 お父さんは驚いた顔をしたけど――ぼくの驚きはそれ以上だっ。 「悪くない考えだ。なんといっても、アントンはたいして役に立たないからな」 乗り気になっているお父さんに対して、今度こそぼくは声に出して叫んでいた。 「今、なんていったの? ぼくは地下室から、板や道具を運ぶつもりでいたんだよ!」 実際、それでも構わない。 「そんなことは、お父さんが自分でやるよ。じゃなかったら、おじいちゃんと一緒に。どうせアントンには重すぎる。 「ああ」 「じゃあ、これでよし、と。いい具合に話が運んだな」 お父さんを初めとして、みんな、満足そうに笑った。……ただ一人、ぼくをのぞいて。 木曜日だって? 「どうしたの、ぼうや。お食べ、力がつくよ」 おばあちゃんがぼくの顔色に気がついたのか、優しく進めてくれた。 「うん……」 ぼくは再びフォークとナイフを手にとったけど、全然食べる気になれなかった。あれほど大好物なひな鳥なのに、すっごくおなかが空いていたのに、ぼくの食欲はすっかりなくなってしまったんだ。
夕方、ぼくは宿題がたくさんあるからと嘘をつき、早めに夕食を終えて部屋にこもった。 じりじりしながらチャンスを待ち、なんとかぼくはバレないようにこっそりと部屋を出るのに成功した。 リュディガーの服を一式抱えていたので、目立たないようにエレベーターじゃなくて階段を降りることにした。 プーフォーゲルさんは4階にすんでいて、この住宅地の子供達の間では『おしゃべりおばさん』って呼ばれている。
馴々しく声をかけてきながら、プーフォーゲルさんはとってつけたような愛想笑いを浮かべている。だけど、この顔が曲者なんだ。 「怖くないよ。じゃ、ぼく、急ぐから」 急いで、ぼくは脇を通り過ぎようとした。だけど、プーフォーゲルさんはしっかりとぼくの腕をつかんで、まくし立てた。 「アントン、最近、地下室がおかしいのに気づいている? 変なのよね、最近、うちのスージーが――あ、あなたも知っているわね、わたしの飼っている可愛いダックスフンドよ――とにかく、あの子が地下室に不思議なくらい怯えるの! 地下室の方へ行こうとすると、嫌がってほえ立てるのよ、今までこんなことなかったわ! そこまで一気にしゃべり立て、プーフォーゲルさんはズルそうに目を光らせた。 「こんなことが続くなら……みんなに自分の地下室の扉を開けてもらって、騒ぎの原因を突き止めるしかないわ!」 じょ……っ、冗談じゃないっ! 「ねえ、アントン、あなたはそう思わない? 異常があるなら、みんなで地下室を調べるべきよね?」 ねちっこく食い下がってくるプーフォーゲルさんに、ぼくはできる限りさりげなさをよそおって答えた。 「さあ……ぼくは別に気づかないけど。それより悪いけど、ぼく、急ぐんです」 「ああ、そうなの?」 プーフォーゲルさんがようやく腕を話してくれたので、ぼくはさっさとおばさんから離れた。 「まったく困ったものね、そうよ、これは放っておけないわ」 聞こえよがしなプーフォーゲルさんの声を聞きながら、ぼくは下へと向かった。
地下室 誰もいないのを確認してから、ぼくはそっとノックした。 ぼくは頭を軽く振って、もう一度ノックした。 「リュディガー、いる? 君の物、持ってきたよ」 返事はない。 「明り……つけるからね」 電気をつけると、棺桶の縁に腰かけて腕組みしているリュディガーが目に入った。……なんだ、とっくに起きていたんだ。 でも、リュディガーはぼくにまるで気づいてないみたいにそっぽを向いてて、むすっとした顔をしている。 「これ。返すよ。ありがとうね」 スポーツバックから取りだしたマントや服をリュディガーの隣にかけても、リュディガーはぼくにも、ぼくが置いた荷物にもまるで目をくれない。強情にそっぽを向いたっきりだ。 「怒ってるのかい?」 こくん、とリュディガーは頷いた。 「昨日のことで?」 またも、リュディガーは頷く。 「なんで怒っているのさ、リュディガー」 「分かんないのか?」 ぶっきらぼうながら、リュディガーがようやく口を開いた。 「分からないよ。……ぼくがアンナと踊ったから?」 「違うっ!」 いつもはとても用心深いのに、リュディガーは声を張り上げて怒鳴った。 「おまえらがエリザベス叔母さんに余計なことを言ったせいで、オレはあいつに見つかったんだぞ!! せっかく目立たないように隠れてたのに……大叔母さんめ、わざわざルンピまで呼んでオレをつかまえやがった!」 そこまで言ってから、リュディガーはギョロッとぼくを睨んだ。 「おかげで、やりたくもないのに歌わされたぜ。ったく……人を見せ物にしやがって!」 フォローのつもりでそう言ったのに、リュディガーの機嫌は良くなるどころかいっそう悪くなった。 「冗談じゃない! おかげで逃げそこなうわ、テオにはさんっざん嫌味を言われるわ、おまけに歌の後、ドロテー叔母さんまでオレのとこでやってきたよ」 「うわあっ!」 リュディガーの気持ちが、よく分かるっ! さぞ驚いてビビっただろう、ドロテー叔母さん相手じゃ。 「そ、それで?」 「あのドロテー叔母さんが、オレを歓迎でもしてくれたと思ってんのかよ?」 皮肉に、リュディガーが言い返す。 「叔母さんはもう、カンカンさ。共同墓所を勘当されているのに、吸血鬼の集会に出るなんて、もってのほかだって言って。それだけならまだしも、エリザベス叔母さんのせいで、もっと大騒ぎになったんだ」 「でも、彼女は君の勘当を解くことに口添えしてくれるって……」 言ったとたん、リュディガーが物凄い目つきでぼくを睨みつけた。 「ああ、勘当を解くことには口添えはしてくれたさ! だけどな、エリザベスは勘当を解く代わりに、オレがもっと吸血鬼らしくなるようにオリジン一族に預けたらどうかって言いだしたんだっ!」 「オリジン一族?」 「おまえが会いたがってた、織り姫やら吸血鬼の親分なんかがそろっている一族だよっ! やつらは冷酷で、おっかなくって……オレ、近よりたくもねえのにさっ」 カンカンに腹を立てているリュディガーは、普段なら口にしないようなことまで口走っている。それに、普段ならぼくより鋭い聴覚さえ失っているみたいだ。 「――リュディガー、誰か来る!」 ぼくの声にリュディガーはやっと足音に気づいたのか、黙り込んだ。やけに大きく聞こえる足音が通り過ぎるのを、ぼくもリュディガーも息を飲んで待った。 「……それで……まだ、勘当は解かれていないんだね?」 怖くて、オリジン一族についてのことなんか聞けなかった。 「それどころじゃなかったよ。一族を代わるかどうかは今度の家族会議で決めるってさ。 オレは出れないけどさ。オレは罰として、飛行禁止までくらっちまった」 「飛行禁止?」 訳が分からなくて聞くと、リュディガーは袖をまくって細い手首をむき出しにしてみせた。ちょうど脈を取るところに、逆さ十字の形の痣ができている。 「なに、これ? どうしたの?」 「この痣が出ている間は、オレは飛ぶことができないんだ。だから、オレは……えっと」 「つまり、食べ物を歩いて手に入れなくっちゃならないんだ」 いつもならリュディガーと言えど吸血鬼が食べ物の話をするとゾッとするのに、今日ばかりは怒りの方が先にわき上がってきた。 「なんでもかんでも禁止するなんて、ひどいや! 人間との付き合いを禁止、共同墓所禁止、祭り禁止、飛行禁止 これじゃあ、まったく独裁だよっ」 だけどぼくが怒っているのに、リュディガーは悲しそうに肩をすくめただけだ。 「だからって、オレに何ができる?」 「戦うんだよ」 励ましてみたけど、リュディガーはしょんぼり首をふるばかりだ。 「人間のとこじゃ、それもできるかもしれない。でも吸血鬼のとこじゃ、一族の決定に逆らった者は恐ろしいことになるんだ」 「いったいどんな?」 つい好奇心にかられて聞いてみると、リュディガーは謎めいた視線を投げて、囁いた。
「吸血鬼狩り? まさか、吸血鬼が同族を……?」 「同族だからこそ、だよ。みんな、絶対に見逃してくれやしない。――ことに、オレみたいに力の強い吸血鬼は」 いつもだったら自惚れているように聞こえるセリフも、今日ばかりはそうは聞こえなかった。 「吸血鬼一族からは、絶対逃げられっこない。オレは掴まって、そして 全てを禁じられる」 「全てを?」 「そう、吸血もなにもかも。そして、飢え死にさ」 リュディガーが暗い声で言った。 でも、リュディガーは……。 「……ぼくにできること、ないかな」 「おまえに?」 リュディガーの目が、きらきらと光りはじめた。 「オレのために、おまえが犠牲になってくれるのかい?」 興奮して舌なめずりし始めるリュディガーは、今までになく恐ろしく見えた。 「そ、そうじゃないんだ。ぼくが言ったのは――違うんだ」 何がどう違うんだ、と突っ込まれたらひじょぉお〜に困るけど、でも、それは違うっ。
ふさぎ込みながらも、リュディガーはぼくに背を向けた。 「だけど、それは我慢できても……このオレの……問題がいつになったら片づくか、分かるもんか」 リュディガーが電気の明りを消した。ふっと地下室が暗くなり、窓から入る明りだけが全てになった。 突然、リュディガーが気の毒でたまらなくなった。だって、ぼくは食べたければ今すぐにでも上に行って、なんでもおいしい物をを食べることもできるんだ。 「うまくやってくれよ」 リュディガーが何をしにいくのか、忘れたわけじゃない。それを成功することを祈るのは、なんか気が咎めたけど、でもそう言わずにはいられなかった。 「ありがとう、がんばるよ」 乱暴に言い、リュディガーはいつもに比べればひどく鈍い動きで地下室の窓を乗りこえた。ほとんど聞こえないちびっこ吸血鬼の足音が完全に聞こえなくなるまで見送り、ぼくは明りをつけて地下室を見回した。 あんまり片づけ好きとはいえないリュディガーだけど、地下室はほとんど散らかってはいなかった。……あれでも、一応気を遣っているのかな? 最後に地下室をもう一度見渡してから、ぼくは地下室の扉を閉めた。 でも、あんなにしょげているリュディガーに、もう一つショックを与えずにすんだのは、よかったかもしれない。そう、多分、リュディガーのためには喜んだ方がいいんだ。 とにかく木曜日までには、まだ日がある。その前に、なにか、考えつくかも知れない。
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