Act.12 真昼の吸血鬼

 

 リュディガーが、とぼとぼと暗闇の中を歩いていた。元気なく、足を引きずるようにして。その歩き方だけで、ぼくはリュディガーの『狩り』が上手くいかなかったことを悟った。

 ――早く、戻ってきなよ、リュディガー。
 飛べもしない吸血鬼は、夜の町とはいえ目立ちすぎる。ぼくにはなんにもできないけど……でも、地下室でかくまうことぐらいはできるから。
 少なくともぼくの家の地下室なら、誰にも見つかる心配はないんだから。

 だけどリュディガーは墓場の脇を通り過ぎようとして、そこでぴたりと足を止めた。そして、そのまま暗闇の彼方を見つめる。ぼくには、リュディガーが何を見ようとしているのか、分かっていた。

 隠されていて見えない、共同墓所を見ようとしているんだ。
 いつも強気なリュディガーの、寂しそうな横顔なんて見られたもんじゃなかった。
 よほど共同墓所に気を取られているのか、リュディガーは回りのことに一切、注意を払っていない。いつもならすぐに気がつくはずの、人の足音にさえ気がつかないんだ。

 リュディガーが物音に気づいたのは、それこそすぐ脇の茂みがガサリと大きな音を立てた時だった。
 手が届くほど近くから、長いコート姿の男が飛び出してきた。コートのポケットから、杭が突き出ているのが見える。

 墓守りのガイヤーマイヤーだ!
 いつも陰気なガイヤーマイヤーがその目を不気味に輝かせ、ゾッとする笑いを浮かべてリュディガーに向かっていく。

 リュディガーが慌てて身を翻そうとするけど、いくら身軽なちびっこ吸血鬼でも、こんな近くまできた墓守りから逃げ切れるはずがない。
 ましてや、リュディガーは今、飛べないんだ。

「とうとう見つけたぞ!」

 墓守りが、ポケットから杭を取り出して、手に持っていたハンマーを振り上げた。

「待てぇっ、小僧! 今度はお前の番だぞ!!」

 

 

「やめて! やめてよぉっ!」

 そう叫んだ自分の声で、ぼくは目を覚ました。……体中、汗でびっしょりだ。
 ゆ……夢?

「…夢でよかった……」

 心の底から、ぼくはそう呟いた。
 リュディガーがガイヤーマイヤーに見つかるだなんて――縁起でもない。そんなの絶対にあって欲しくないことだ。

 外を見ると、まだ、真っ暗だった。
 時計は、12時少し過ぎを指している。家の中はシンと静まり返っていて、もうお父さんもお母さんも寝ちゃったみたいだ。
 ぼくは溜め息をついて、ベッドから抜け出た。

 ただの夢なんか、気にすることはない――そうは思っていても、ぼくはどうしてもそれを振り捨てられなかった。まるであれが本当に起こったことみたいで……今、行かなければ二度とリュディガーに会えなくなってしまうような気がする。

 込み上げてくる不安をどうすれば消せるのか……ぼくはほとんど迷わず、隠しておいた吸血鬼のマントを手にとった。
 このまま朝までろくに眠れずに不安がっているよりも、リュディガーに実際にあって無事を確かめた方がいい。

 ほんのちょっと……一目でもリュディガーを見れば、こんな不安は消し飛ぶに決まっている。
 ぼくはマントを羽織って、窓枠を蹴った。

 

 

「リュディガー。リュディガー、いる?」

 小さく声をかけ、地下室の窓から中を除き込んだけど……どうやら、リュディガーはまだ帰っていないみたいだった。窓も開けっ放しだし、棺桶の蓋も開いたままで空っぽだ。
 ……まだ、帰っていないみたいだ。
 それを確かめると、ぼくはもう一度窓枠を蹴って空高く飛び上がった。
 その辺を探してみるつもりだったんだ。

 なにせ今のリュディガーは飛べないんだから、歩くしかない。そう遠くまで行っているはずがないんだから。
 リュディガーと一緒じゃなく、夜中に一人で空を飛ぶのはちょっと怖いような気がしたけど、うちの近所だという安心感があるせいか思ったよりも楽に飛べた。

 もっともドロテー叔母さんやテオに見つかる危険性を考えると、あまり飛んでもいられない。本当にその辺を一回りして、見つからないようなら地下室で待っていようと思ったけど  予想外にあっさりとぼくはリュディガーを見つけた。

 暗い夜道を、リュディガーは恐れる風もなく、一人で歩いていた。まるで、王様のように堂々と。
 時折、誰かを捜すように左右を見回してはいるものの、リュディガーはまったく上を向かなかった。……ぼくには、気付いていないみたいだ。

「リュデ……」

 呼びかけようとして、ぼくは口ごもった。
 リュディガーが、ちょうど共同墓所の隣を通りかかったのが見えたからだ。
 一瞬、夢を思い出してひやりとしたけど、リュディガーは夢の中のリュディガーとは全然違っていた。

 墓場になんか目もくれず、リュディガーはすたすたとそこを通り抜けた。
 やっぱり、堂々とした恐れげもない足取りのままで。
 その足音が小さくなっていくのを聞きながら、ぼくはちょっと拍子抜けしたような、それでいてすごくホッとしたような気分を味わっていた。

 ――結局、夢は夢、リュディガーはリュディガーなんだ。
 そう思うと根拠もない夢なんかを気にしてこんな所までのこのこやってきた自分が、バカみたいに思えてきた。

 ぼくはリュディガーに声をかけるのはやめて、引き返すことにした。どうせぼくにはリュディガーの『狩り』の手伝いはできないんだもの、わざわざ邪魔をしちゃかえって気の毒ってものだ。
 ぼくは急いで自分の部屋に戻り、今度こそ夢も見ないでぐっすりと眠った――。

 

 

 次の日――水曜日は、眠かった。もう、今日しかないっていうのに。あれから悪夢は見なかったけど、夜更かししたせいか眠いのなんの……お昼ご飯を食べる時も、ぼくは何度もあくびをした。
 そんなぼくを、お母さんはしげしげと見つめていた。

「アントン、あなたはこの頃、あまりよく眠っていないみたいね。夜もうなされていることが多いし」

 内心ぎくっとしたけど、ぼくはなんでもないふりをして答えた。

「へえ、本当?」

「そうよ。あなた、よく寝言を言っているわ。とってもおかしな名前を叫んでいるわよ。ドロテー叔母さんだとか、ルンピだとか、卑劣なエリケだとか」

 うわっ、そんなの気づかなかった!
 でも、リュディガーやアンナの名前じゃなくてよかったと思いつつ、ぼくはとぼけて答えた。

「あ、それ、この前読んだ本の主人公達だ。でも、そんな夢はみなかったけどなぁ」

 できるだけ本当っぽく聞こえるように言ったつもりだったけど、お母さんはあまり信用していないみたいだ。

「そうなの? だけど、あなたがこんなにうなされるのは……あのおかしな本のせいじゃなくて、夜遊びのせいじゃないのかしら?」

 ぎっくん。
 昨日、外に出たのがバレたのかと思って凍りついたけど、お母さんは幸いにも冷蔵庫の方を向いて牛乳をカップに注いでいるところで、ぼくを見ていなかった。

「ともかくこの頃あなたはおかしいぐらい長く、外にいるわ。いつかなんか、8時近くまで帰らなかったし」

「わざとじゃなかったんだ」

「だけど外で、本当に何をしてたの?」

「何って……かくれんぼだよ」

 とっさにそう答えたけど、お母さんはまるでそれを信じたようには見えなかった。
 そりゃそうだろう  かくれんぼなんて、ぼくくらいの年の子供の遊びじゃない。もっと小さな子がすることだもん!
 お母さんはじっとぼくを見つめ、ゆっくりと聞いた。

「アントン、地下室の秘密ってなに?」

「それは……まだ、だめだよ。秘密だよ、木曜日までは」

 慌ててそう答えると、お母さんはいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「まだ秘密? じゃあ、お母さん、今から地下室へ行ってみてもいいかしら?」

「…………っ!」

 口いっぱいに、パンを頬張っていたのはぼくにとっては幸いだった。そうじゃなきゃぼくは危うく、声の限りにだめだと叫ぶところだった。
 パンを飲み込み、ちょっと気を落ち着けてからぼくはできるだけさりげなく聞いてみた。


「な、なんでさ?」

「ちょっと、雑誌の記事を探したいからよ」

 ぼくの動揺に気づいているだろうに、お母さんはすました顔で言う。本気でその記事が必要なのか、それともぼくの反応を伺っているだけなのか  どっちか見極めようとぼくは用心深く聞いてみた。

「明後日じゃだめなの?」

「明日、その記事が授業にいるの」

 授業……お母さんがそういう時は、絶対に必要な時だ。
 ぼくは、よぅく考えた末に言った。

「ぼ、ぼく、その雑誌、取ってきてあげる!」

「でもね、それがどの雑誌に載っているのか、分からないのよ」

「それじゃあ、ぼく、全部持ってくる!」

 半ばヤケになって言うと、お母さんは驚いた顔をした。

「本当? あの山のような雑誌を、全部?」

「うん、もちろんだよ。それで、いつ?」

「今すぐが、一番いいんだけど」

 と、まあ、そんなわけで、ぼくは3分後にはエレベーターで下に降りていた。
 お母さんの前では、こんなことはまったくなんでもないふりをしてたけど――でも、ホントは小っちゃい子みたいに泣きわめきたい気分だった!

 昨日、変な夢を見たのも夜更かししたのもこんなことになったのも、ぜーんぶ、あの、ちびっこ吸血鬼のせいだっ!
 昼でもなんとなく薄暗い地下室につくと、ぼくは真っ先に電気をつけた。

 どうせ今は、リュディガーは寝ているに決まってるんだから!
 ぼくはいやいやながら雑誌を探して、あたりを見回した。その気がなくても目に飛び込んでくる棺桶は、できるだけ見ないふりして。


 大工道具の棚の横にきちんと積まれている雑誌は、うんざりするほどたくさんあった。
 50冊……まさか100冊まではないと思うけど!
 取り合えず、一番上の10冊を取った。……うっ、思ったよりも重いっ!

「リュディガー! 起きて、手伝ったらどうなんだよ?!」

 癪に触って、ぼくは思わず棺桶に向かって文句を言った。本当なら引きずり起こして、強く揺すって、面と向かってありったけの怒りをぶつけてやりたかった。
 その気持ちがあんまり強くって、ぼくはリュディガーの棺桶の前で足を止めた。
 だけど棺桶を目の前にして……不意に、怒りとはまったく違った感情が込み上げてきた。
 

 昼間の吸血鬼を覗き見する――ぼくはこの誘惑に勝てなかった。
 小説や映画で何度となく見た棺桶で眠る吸血鬼の姿が真実か……今しか確かめられる時はない。
 こんなチャンスは、二度とないだろう。

 せめて一度ぐらい、じっくり見ておこうか?
 ぼくは、運びかけていた雑誌を床に下ろした。
 万一の事態に備えて、鎧戸や窓をきっちりしめ、日が入り込まないようにする。吸血鬼が太陽に弱いのは知っている。……でも、電気なら大丈夫なはず。

 特に、リュディガーは暗いのよりも明るい方が好きだから。
 ぼくは慎重に棺桶に手をかけた。

 リュディガーは、気づくだろうか? そして、怒る?
 ――でも、本では吸血鬼は死んだように眠っている、と書いてあった。それなら、リュディガーは自分の身にどんなことが起こったか、ちっとも気づかないだろう。

 今までに現実の吸血鬼と本で書かれていた話が、いくつか食い違っていたことはあえて無視して、ぼくは腕に力を込めて蓋をずらした。
 吸血鬼の肩が見える。続いて、顔が。

「――!!」

 思わず、全身が震えた。
 こんな土気色をした吸血鬼を見たのは、初めてだった。そりゃリュディガーはたいていは顔色が悪い。――でも、こんな死人のような色はしていない。
 開けたままの目は、まっすぐに前を見つめていた。

 だけど、その目には光がない。
 まるでガラス玉のように虚ろで、人形かなにかのようだ。

 実際、今のリュディガーはまるっきり生きているようには見えない。整った外見のせいも手伝って、今のリュディガーは大きな人形を思わせた。
 おそるおそる手を口にかざしたけど……息をしている気配すらなかった。

「リュ……リュディガー?」

 そっと呼んでみた。  答えは、ない。

「リュディガー?」

 もう一度呼んでみたけど、ちびっこ吸血鬼は身動き一つしない。吸血鬼だと知らなかったら、死んでしまったと思える程に――。
 ぼくは、すっかり恐ろしくなってしまった。リュディガーが、じゃなくて、吸血鬼のあまりにも無防備な眠りが、だ。

 真昼の吸血鬼がこんなにも弱々しいものだなんて、思いもしなかった。これじゃあ胸に杭を打ち込まれるのを、防げるはずがない。
 ぼくは急いで蓋を閉めた。

 これ以上、こんなリュディガーを見ていたくなかったんだ。
 ぼくは本を抱えあげて、逃げるように地下室を飛び出した。

 

 

「最初の十冊だよ」

 家に帰ると、お母さんが玄関のドアを開けて待っていてくれた。

「まあ、アントンったら。頑張り過ぎて顔が真っ赤じゃないの。お母さんが一緒に行かなくても大丈夫?」

 ぼくは反射的に、首を振った。

「これは、いいトレーニングになるよ。大丈夫!」

 それから6回も行ったり来たりして、ようやくぼくは全部の本を上に運びあげた。
 用事が片づいた途端、ぼくはぐったりとベッドに倒れ込んだ。
 もう、腕がクタクタだ。

 まるでバーベルあげを一時間もやったみたいに腕の筋肉が強張っているし、膝だって笑っている。
 もう、なんにもしたくない!

 ホントは木曜日のことを考えなけりゃいけないことは分かっていたけど、ぼくは本棚から『共同墓所からの大きな笑い声』を手に取った。
 せめて、この疲れが取れるまでは、本を読みながら休んでいるつもりだったんだ。

 だけど、ぼくは自分が思っていたよりも、ずっと疲れていたらしい。
 寝っころがって本のページをめくっていたら……数ページも読まないうちに、ぼくは眠りに落ちていた――。

                          《続く》

 

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