Act.13 白い腕の吸血鬼

 

 目を覚ました時、家の中は変に静まり返っていた。
 ハッとして時計を見ると、6時ちょっと前。ということは、3時間以上も眠っていたってことだ。それもよりによって、1分でも惜しいという今日という日に!
 自分で自分に腹を立てながら、ぼくはベッドを飛び出して廊下に出た。

 この時間ならお母さんは大抵、台所で夕食の支度をしている。お父さんはそれを手伝っているか今でテレビを見ているか、どっちかだ。
 でも、今日は何もかも静かだった。
 食器がガチャガチャいう音もしなければ、テレビやラジオの音もしない。

 ――二人とも、出かけているのかな?
 ぼくはとりあえず、台所に行った。
 シンとした台所では、テーブルの上に一枚のメモが乗っていた。

 

  アントンへ
  車で、お父さんの会社に出かけます。会社で今日、ちょっとした会があるの。
  夕食は自分で作って下さい。
  遅くとも7時半には家に帰っていてね。8時に電話します。
                         お母さんより

 

 呆然として、ぼくはそのメモを取り落とした。
 ――奇跡だ!
 この分じゃ、お父さん達は一晩中出かけていないだろう。それなら、リュディガーの問題が片付くまで外にいられる。

 嬉しくって、ぼくはとんぼ返りしたいぐらいだった。
 すぐにでも出かけようと思い、ぼくは夕ご飯のことを思い出した。今、食べておかないと、暇がなくなるかもしれない。

 ぼくは手っ取り早く、パンを一切れ取ってたっぷりバターをぬった。それと、大きなチーズを一つ。
 それを食べながら、一生懸命考えた。

 もう一度、地下室のリュディガーのところに行った方がいいかな? 今だったら、リュディガーも話を分かってくれるかもしれない。
 ……分かってくれない上、あくびをしながらまたおなかが空いたって、文句を言う可能性も充分にあるけど。

 じゃ、アンナだったら?
 必死になって思いついたのは、それだった。
 アンナだったらこの悩みを分かってくれて、一緒に解決策を考えてくれるかもしれない!
 そう考えると、一気に気分が明るくなった。


 ――ただ一つの致命的欠点を除けば。
 確実にアンナに会いたいなら、共同墓所に行くしかないってことだ。つまり、入り口の近くに隠れていて、アンナが出てくるのを待つしかない。

 同じ様にその穴から他の吸血鬼が出てくることを思うと、身震いがする。けど、リュディガーが協力してくれれば、うまくいくかもしれない。他の家族と会わずに、アンナだけと会えるような場所を教えてくれるかも。
 リュディガーが一緒に来てくれれば、もっといいんだけど!

 要は、リュディガーの気分しだいって訳だ。昨夜、リュディガーが人間以外の適当な獲物でおなかを一杯にして機嫌がよくなってくれているように、ぼくは密かに祈った。

 

 

「リュディガー、もう起きた?」

 ぼくは地下室に降りていってリュディガーに声をかけた。誰かに見つかるとまずいので、すばやく地下室の中に入り込んでから、もう一度呼びかけてみる。

「ぼくだよ……アントンだ。起きてるんだろ、リュディガー」

 棺桶の蓋は閉まったままだ。でも、リュディガーの寝起きの悪さも根に持つ性格もよく知っているから、ぼくはコンコン棺桶を叩きながら、もう少し大きな声で呼んだ。

「リュディガー……怒っているの? なら、それでもいいから顔だけだして、話を聞いてよ。ぼく、急ぐんだ、共同墓所に行くんだから。
 起きてよ、リュディガー」

 おかしいな、と思ったのはその時だった。
 なんだかんだ言ってリュディガーが、自分の家である共同墓所に無関心でいられるはずがない。それにリュディガーは寝起き自体は悪いけど、眠る時間そのものは決して長くはない。

 目を覚ましても、棺桶の中でダラダラとしていることが多いんだって、アンナから前に聞いたことがある。
 現にここ数日リュディガーはぼくが来る前から、たいていは起きていたのに……。

「リュディガー? リュディガー! 聞こえている? ……いいかい、開けるよ?!」

 もしぼくの勘違いで、リュディガーを早く起こしちゃうだけならそれでいい。リュディガーがまだ怒っていて、ぼくと口もききたくないって拗ねてるんでもまだいい。
 この不安がただの勘違いですむなら、リュディガーの癇癪をまともにぶつけられるぐらい安いもんだ。

 そう思って、ぼくは一気に蓋を開けた。
 でも、リュディガーは怒らなかった。
 昼間見た時のまんま、棺桶にじっと横たわっている。

 でも、どこかおかしい。
 どこが違うのかぼくは何度も見返して、やっと見つけた。目を閉じているんだ――昼間は、確かに目を開けたまま眠っていたのに。

「リュディガー、起きてよ! もう夜なんだよ、どうして起きないんだよ?! 起きてったらっ」

 強くリュディガーを揺さぶったけど、リュディガーは揺さぶられるままで一向に目を覚ましはしない。体の冷たさはいつものことだけど、ぐったりとした体はまるで死体そのものだ……。
 瞬間、昼間に棺桶の蓋を開けたことを思い出して、ぼくは身震いした。

「……あ…」

 まさか、あれが原因で? リュディガーが、本当に死んじゃったなんて――ぼくは首を強く振って、その可能性を打ち消そうとした。
 リュディガーが、死んだりするはずない。

 リュディガーはもう100年も吸血鬼をやっている、強力な力を持った特別な吸血鬼なんだから。それに、小説や映画では吸血鬼が死んだ時、決してこうはならない。
 どの話でも決まって、吸血鬼は死ぬと塵になって消えてしまう……。

 リュディガーは今、目を瞑って動かないでいるだけだ。ただ、それだけなんだ。
 自分で自分にそう言い聞かせ、ぼくは落ちつこうとした。
 動かないリュディガーの体をもう一度横たえさせる。できるだけ、丁寧に。

「リュディガー……待ってて。すぐ…戻ってくるよ」

 これが吸血鬼の病気かなにかなら、アンナに聞けば直す方法が分かるかもしれない。それが希望だった。
 でも、同時にぼくは恐ろしい事実に気づいた。

 リュディガーが目を覚まさないってことは……ぼくは一人でアンナに会いに行かなきゃなんないんだ!!
 恐怖に立ちすくんだけど  それでも、行かないわけにはいかなかった。

 ……効かないのは分かっているけど、せめてお母さんの銀の十字架とにんにくを2、3個持っていこう。
 せめてもの気休めにはなるだろうと、ぼくは自分をなぐさめた。

 

 

 日暮れ直後の薄暗がりの中を、ぼくは急いで墓地に向かった。
 墓地は静かで、人影がなかった。
 幾分ホッとして、ぼくは真ん中の道を歩いて行った。ここは垣根が刈り込まれ、お墓もキチンと手入れされている区域だ。吸血鬼達の共同墓所のあたりとは、まるで違っている。
 道端の新しいお墓には、花と花輪が山のように積まれていた。なんとなくその墓碑銘を見てみると、こう書いてあった。

『アルフレッド あなたは、いつまでも私達と共に生きている』

 死んでしまったのに、一緒に生きていられるなんて、吸血鬼ぐらいだ。
 すぐに何の関係もないアレフレッドへの興味を無くして、ぼくは先に進もうとした。
 だけど道の突き当たりの礼拝堂を見て、ぼくは立ちすくんだ。大きな、鉄の金具のついたドアが開いている。

 心臓が急に、ドキドキしだした。思わずぼくは、ネックレスの十字架をつかんでいた。 先に行こうか引き返そうか、ぼくがまだ考えているうちに、礼拝堂から男の人が出て来てドアを閉め、大きな鍵をかけた。
 墓守りのガイヤーマイヤーだ。

 一目でピンときて逃げようと思ったけど、ガイヤーマイヤーもまたぼくに気づいたみたいだった。
 ガイヤーマイヤーがゆっくりぼくに近付いてくるのが見えて、心臓の動悸が激しくなった。

 夢の中で、リュディガーがガイヤーマイヤーに襲われた時にそっくりだ……!
 だけど、ガイヤーマイヤーは杭を取り出しもしなかった。
 その代わり彼はぼくをうさん臭そうに眺めて、しゃがれた声で聞いた。

「こんなに遅くに、子供が墓場で何をしてるんだ?」

「ぼ、ぼくは墓参りにきたんだ」

 早口にいって、ぼくは身も知らぬアレフレッドさんのお墓の方を向いた。

「だが、子供はもう帰る時間だぞ」

 ガイヤーマイヤーは面倒臭そうに言い、コートの内ポケットに手を伸ばした。一瞬、木の杭が見えてぼくはゾッとしたけど  ガイヤーマイヤーは大きな鍵束を取り出しただけだった。

 あれで、門の鍵を閉めるんだろうか?
 ぼくがそう考えた時、ガイヤーマイヤーは不思議そうに首をひねった。

「……おまえとは、前にも会ったような気がするな」

 言われて、ぼくは心臓発作を起こすかと思った。
 そりゃあそうだろう  実際、ぼくとガイヤーマイヤーは前に会っている。それもよりによって吸血鬼の墓の前で、ぼくが吸血鬼のマントを落とした時に!

「ぼく……ぼく、もう帰るよ」

 ぼくはくるっと向きを変えて、一目散に走り去った。
 入り口の門を一気にくぐり抜けたところでちらっと後ろを見たけど、別にガイヤーマイヤーは追ってはこなかった。

 それにはホッとしたけど……別の恐怖が、ぼくを待っていた。
 墓地を抜ける道を遮られたなら、残る方法はただ一つ――墓地の奥の壁を這い上るしかない!

 あまりいい予感はしなかった。
 だって、そのルートは吸血鬼達も使っているルートなんだから。
 もし、共同墓所の入り口近くの墓石に隠れないうちに吸血鬼達にばったり会ったらと思うと、足も竦むけど……それでも、やってみるしかない。

 ぼくは墓地の外側を半周して、ネズミ色のぼろぼろになった塀まで走った。
 そして、用心深く辺りを伺う。
 人影も吸血鬼の気配もないことを確認してから、ぼくは塀に手をかけた。

 なんせ今日は吸血鬼のマントは持ってこなかったから、自力で塀を上らなければいけない。苦労してぼくの背よりも高い塀にしがみつき、あちこちのでっぱりに足をかけてよじ登る。

 なんとか上までたどり着き、顔だけ塀の上にのぞかせた時……もみの木の影からしなやかに現れた人影があった。
 こんな墓場にいるのが、場違いなくらいきれいな女の人だ。おしゃれな服を着た若い女性は、長い銀髪をなびかせていた。

「え……?」

 一度も会ったことがなかったけど、ぼくには一目で分かった。
 ドロテー叔母さんだ――シュロッターシュタイン一族の中で、もっとも貪欲な吸血鬼!! 彼女の名は、ドロテー=フォン=シュロッターシュタイン。

 彼女は人間じゃない。100年以上も前に、若く、美しいままでいたいと望んだ末に自ら吸血鬼となり、一族全員を吸血鬼へと変えた張本人だ……。
 ぼくは無意識に生唾を飲み込んでいた。

「あら、可愛いぼうやね」

 彼女は優しく微笑んだ。
 その笑みが、ぼくをさらに愕然とさせた。
 だって、似ているんだ……ドロテー叔母さんは、アンナやリュディガーに。

 血が繋がっているからあたりまえかもしれないけど  でも、こんなに似ているとは思わなかった。
 大人になったアンナを見ているような錯覚に一瞬捕らわれたけど、でも、そんなことを言ってる場合じゃない!

「ぼうや、こんな所で何をしているの?」

 ドロテー叔母さんはあくまで優しく、ぼくに話しかけてくる。もし、彼女が吸血鬼だと知らなかったら、思わず気を許してしまうぐらいの魅力的な声で。
 だけどぼくにとっては恐怖以外、何物でもない!

 強張り、口も聞けないでいるぼくに、ドロテー叔母さんはゆっくりと近づいてきた。
 アンナをずっと大人びさせたような、整った顔がよく見える。ぬけるように白い肌と、それとは対照的な赤い唇がいやに目についた。

「どうしたの? 迷子かしら?」

 そう言いながら彼女はその白いたおやかな腕を、ぼくに差し延べてくる。
 身動きもできないまま、ぼくはその手が自分に近づいてくるのをじっと見つめていた……。
 その手がぼくの顔に振れる直前  唐突な落下感が、ぼくを襲った。

「うわぁああっ?!」

 悲鳴と共に、ぼくは塀の外側の道路に叩きつけられた。
 どうやら足元の石が崩れて、ぼくは下に落っこちゃったらしい。痛みに呻いていると、塀の内側で、何やらごちゃごちゃと小声で騒ぐ声が聞こえた。

 ヤバい、他の吸血鬼達も来たんだろうか?
 とにかく、逃げないと。痛みを堪えて、なんとか立ち上がった時、黒い小柄な影が塀を飛び越えてきた!

「………っ?!」

 恐怖のあまり声もでないぼくの前に、立ちはだかったのはぼくよりも小柄な女の子の吸血鬼――アンナだった。

「ア……?」

 呼びかけようとしたぼくを、アンナは軽く手で制して止めた。そして、塀ごしに向かって、明るい声で呼びかける。

「大丈夫よ、叔母さん。この子、気絶しちゃったみたい。きっと頭を打ったのね」

「そう、それはよかったわ。じゃあアンナ、私がそこにいくまで見張っていて。逃がすんじゃないわよ」

「ええ。でも、急いだ方がいいわよ。この子、すぐ目を覚ましそうだもの」

「分かってるわよ。いい、そいつに指一本触れるんじゃないわよ」

 脅すような声がしたけど、そんなの無用な心配じゃないだろうか。だって、アンナはまだ吸血鬼の歯も生えてないし、ミルクしか飲めないんだもん。
 そんな場違いな感想がちらっと頭に浮かんだけど、アンナが突然ぼくの腕を引いて小声で言った。

「さあ、逃げるの! 急いで」

 ぼくを引っ張り、アンナは小走りに走りだす。

「叔母さんが、正門からこっちに回って来る前に……早く!」

「ど、どこへ?」

「どこか、安全な所へよ、隠れないと。……いい場所を知らない?」

 言われて、ぼくは考え込んだ。
 家に帰ろうかと思ったけど遠すぎるし、リュディガーのこともある。この近くなら……学校の方がいい。

「じゃあ、学校へ行こう」

「鍵がかかっていないの?」

「かかってるよ。でも、うちのマンションの鍵とぴったりあうんだ」

 ずっと前に気づいた偶然だったけど、まさか、こんな所で役に立つなんて思ってもみなかった!
 ぼく達は急いで墓地から離れ、学校へと向かった。

 管理人が住んでいる、学校の校庭にある小さな家には、明りが点っているけど、他はどこもかしこも真っ暗だった。

「ぼくが先に行く」

 囁いて、ぼくは垣根を乗り越えて校庭を横切った。夜の校庭や校舎は不気味だったけど、そんなのドロテー叔母さんの恐怖の前にはかすんでしまう。
 ぼくが鍵を探している間、アンナは叔母さんがこないかどうか見張っていた。

 鍵を探すまではやけに長く感じたけど、実際にはそんなにかからなかったみたいだ。ようやくドアを開け、中に入ると、ぼくは急いで扉を閉めた。

「ふぅ……っ」


 こうやってしっかり鍵のかかる場所に隠れると、なんだかホッとする。
 校舎の中に入ってしまえば、たとえドロテー叔母さんが追ってきたってそう簡単には見つからないだろう。
 落ち着いてから、ぼくはようやくアンナに言った。

「ありがとう、アンナ、助かったよ。君がいなかったら、どうなっていたか……」

 そんなの、考えただけでゾッとする。

「どうしたしまして。でも、びっくりしたわ、叔母さんが、金髪の男の子が墓地に来てたって言うんですもの」

 アンナの話では、ドロテー叔母さんは今日はディスコへ行く予定で出かけたらしい。だけどすぐ外で誰かと話す声が聞こえたので、気になったアンナが様子を見にいった。
 ちょうどぼくが塀から落ちた時、アンナが下から出てきたんだ。

 叔母さんはすぐにぼくを掴まえるつもりだったけど、マント無しでタイトスカートじゃ、塀を乗り越えられるわけがない。それで、アンナが代わりに様子を見る役を引き受けたって事情だったんだ。

「まさかと思ったけど、やっぱりあなただったのね。大丈夫? 叔母さんになにかされなかった?」

 そうに聞くアンナに、ぼくは首を横に振った。

「ううん、平気だよ。ちょっと話をしただけで……」
「叔母さんに触られなかった?」

 いかにも心配そうに聞くアンナに、ぼくはドロテー叔母さんの白い手を思い出した。もう少しで触られそうになったけど、でもその前に塀から落ちたからなぁ。

「ううん」

「よかった」

 心からホッとしたように、アンナが胸を撫でおろす。
 その様子があんまり大袈裟だったから、ぼくは不思議になって聞いてみた。

「でも、どうして……? 触られたら、なにか、あったの?」

「叔母さんには、手で触れた相手に催眠術をかける力があるの。もし叔母さんに触られていたら、あなたは叔母さんの思い通りになっていたのよ!」

「うげ…っ」

 ゾゾッと背中の初毛が逆立つのが分かった。
 下手したらリュディガーの目に催眠術をかけられた時みたいに、催眠術にかけられてたってわけか。そしてリュディガーと違って、ドロテー叔母さんは手加減なんかしてくれなかっただろう。

 ぼくが考えていた以上に、さっきは危ない状況だったみたいだ。
 そう考えれば本当にアンナにはいくら感謝しても、したりない。彼女こそ、命の恩人だ。
 

「本当にありがとう……もう一度、お礼を言わせてくれない? なにもかも、君のおかげだよ」

 心を込めて、ぼくはアンナに礼を言った。
 あらためてアンナを見返して――さっきドロテー叔母さんはアンナに似てると思ったけど……改めて見返すとそうでもないなと思った。

 確かに顔だちは似ているけど、それだけだ。ドロテー叔母さんはどこか冷たい感じのする美人って感じで、アンナのように明るい可愛さとは違う。
 うん、やっぱり、そんなに似てないや。
 安心したぼくに、アンナは軽く首を振って見せる。

「そんなに言わなくてもいいわ、たいしたことじゃないもの」

 そう言ってアンナは、まさにアンナだけの持つ明るい笑顔で優しく微笑んだ――。
                                    《続く》

 

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