Act.13 白い腕の吸血鬼 |
目を覚ました時、家の中は変に静まり返っていた。 この時間ならお母さんは大抵、台所で夕食の支度をしている。お父さんはそれを手伝っているか今でテレビを見ているか、どっちかだ。 ――二人とも、出かけているのかな?
アントンへ
呆然として、ぼくはそのメモを取り落とした。 嬉しくって、ぼくはとんぼ返りしたいぐらいだった。 ぼくは手っ取り早く、パンを一切れ取ってたっぷりバターをぬった。それと、大きなチーズを一つ。 もう一度、地下室のリュディガーのところに行った方がいいかな? 今だったら、リュディガーも話を分かってくれるかもしれない。 じゃ、アンナだったら?
同じ様にその穴から他の吸血鬼が出てくることを思うと、身震いがする。けど、リュディガーが協力してくれれば、うまくいくかもしれない。他の家族と会わずに、アンナだけと会えるような場所を教えてくれるかも。 要は、リュディガーの気分しだいって訳だ。昨夜、リュディガーが人間以外の適当な獲物でおなかを一杯にして機嫌がよくなってくれているように、ぼくは密かに祈った。
「リュディガー、もう起きた?」 ぼくは地下室に降りていってリュディガーに声をかけた。誰かに見つかるとまずいので、すばやく地下室の中に入り込んでから、もう一度呼びかけてみる。 「ぼくだよ……アントンだ。起きてるんだろ、リュディガー」 棺桶の蓋は閉まったままだ。でも、リュディガーの寝起きの悪さも根に持つ性格もよく知っているから、ぼくはコンコン棺桶を叩きながら、もう少し大きな声で呼んだ。 「リュディガー……怒っているの? なら、それでもいいから顔だけだして、話を聞いてよ。ぼく、急ぐんだ、共同墓所に行くんだから。 おかしいな、と思ったのはその時だった。 目を覚ましても、棺桶の中でダラダラとしていることが多いんだって、アンナから前に聞いたことがある。 「リュディガー? リュディガー! 聞こえている? ……いいかい、開けるよ?!」 もしぼくの勘違いで、リュディガーを早く起こしちゃうだけならそれでいい。リュディガーがまだ怒っていて、ぼくと口もききたくないって拗ねてるんでもまだいい。 そう思って、ぼくは一気に蓋を開けた。 でも、どこかおかしい。 「リュディガー、起きてよ! もう夜なんだよ、どうして起きないんだよ?! 起きてったらっ」 強くリュディガーを揺さぶったけど、リュディガーは揺さぶられるままで一向に目を覚ましはしない。体の冷たさはいつものことだけど、ぐったりとした体はまるで死体そのものだ……。 「……あ…」 まさか、あれが原因で? リュディガーが、本当に死んじゃったなんて――ぼくは首を強く振って、その可能性を打ち消そうとした。 リュディガーはもう100年も吸血鬼をやっている、強力な力を持った特別な吸血鬼なんだから。それに、小説や映画では吸血鬼が死んだ時、決してこうはならない。 リュディガーは今、目を瞑って動かないでいるだけだ。ただ、それだけなんだ。 「リュディガー……待ってて。すぐ…戻ってくるよ」 これが吸血鬼の病気かなにかなら、アンナに聞けば直す方法が分かるかもしれない。それが希望だった。 リュディガーが目を覚まさないってことは……ぼくは一人でアンナに会いに行かなきゃなんないんだ!! ……効かないのは分かっているけど、せめてお母さんの銀の十字架とにんにくを2、3個持っていこう。
日暮れ直後の薄暗がりの中を、ぼくは急いで墓地に向かった。 『アルフレッド あなたは、いつまでも私達と共に生きている』 死んでしまったのに、一緒に生きていられるなんて、吸血鬼ぐらいだ。 心臓が急に、ドキドキしだした。思わずぼくは、ネックレスの十字架をつかんでいた。 先に行こうか引き返そうか、ぼくがまだ考えているうちに、礼拝堂から男の人が出て来てドアを閉め、大きな鍵をかけた。 一目でピンときて逃げようと思ったけど、ガイヤーマイヤーもまたぼくに気づいたみたいだった。 夢の中で、リュディガーがガイヤーマイヤーに襲われた時にそっくりだ……! 「こんなに遅くに、子供が墓場で何をしてるんだ?」 「ぼ、ぼくは墓参りにきたんだ」 早口にいって、ぼくは身も知らぬアレフレッドさんのお墓の方を向いた。 「だが、子供はもう帰る時間だぞ」 ガイヤーマイヤーは面倒臭そうに言い、コートの内ポケットに手を伸ばした。一瞬、木の杭が見えてぼくはゾッとしたけど ガイヤーマイヤーは大きな鍵束を取り出しただけだった。 あれで、門の鍵を閉めるんだろうか? 「……おまえとは、前にも会ったような気がするな」 言われて、ぼくは心臓発作を起こすかと思った。 「ぼく……ぼく、もう帰るよ」 ぼくはくるっと向きを変えて、一目散に走り去った。 それにはホッとしたけど……別の恐怖が、ぼくを待っていた。 あまりいい予感はしなかった。 ぼくは墓地の外側を半周して、ネズミ色のぼろぼろになった塀まで走った。 なんせ今日は吸血鬼のマントは持ってこなかったから、自力で塀を上らなければいけない。苦労してぼくの背よりも高い塀にしがみつき、あちこちのでっぱりに足をかけてよじ登る。 なんとか上までたどり着き、顔だけ塀の上にのぞかせた時……もみの木の影からしなやかに現れた人影があった。 「え……?」 一度も会ったことがなかったけど、ぼくには一目で分かった。 彼女は人間じゃない。100年以上も前に、若く、美しいままでいたいと望んだ末に自ら吸血鬼となり、一族全員を吸血鬼へと変えた張本人だ……。 「あら、可愛いぼうやね」 彼女は優しく微笑んだ。 血が繋がっているからあたりまえかもしれないけど でも、こんなに似ているとは思わなかった。 「ぼうや、こんな所で何をしているの?」 ドロテー叔母さんはあくまで優しく、ぼくに話しかけてくる。もし、彼女が吸血鬼だと知らなかったら、思わず気を許してしまうぐらいの魅力的な声で。 強張り、口も聞けないでいるぼくに、ドロテー叔母さんはゆっくりと近づいてきた。 「どうしたの? 迷子かしら?」 そう言いながら彼女はその白いたおやかな腕を、ぼくに差し延べてくる。 「うわぁああっ?!」 悲鳴と共に、ぼくは塀の外側の道路に叩きつけられた。 ヤバい、他の吸血鬼達も来たんだろうか? 「………っ?!」 恐怖のあまり声もでないぼくの前に、立ちはだかったのはぼくよりも小柄な女の子の吸血鬼――アンナだった。 「ア……?」 呼びかけようとしたぼくを、アンナは軽く手で制して止めた。そして、塀ごしに向かって、明るい声で呼びかける。 「大丈夫よ、叔母さん。この子、気絶しちゃったみたい。きっと頭を打ったのね」 「そう、それはよかったわ。じゃあアンナ、私がそこにいくまで見張っていて。逃がすんじゃないわよ」 「ええ。でも、急いだ方がいいわよ。この子、すぐ目を覚ましそうだもの」 「分かってるわよ。いい、そいつに指一本触れるんじゃないわよ」 脅すような声がしたけど、そんなの無用な心配じゃないだろうか。だって、アンナはまだ吸血鬼の歯も生えてないし、ミルクしか飲めないんだもん。 「さあ、逃げるの! 急いで」 ぼくを引っ張り、アンナは小走りに走りだす。 「叔母さんが、正門からこっちに回って来る前に……早く!」 「ど、どこへ?」 「どこか、安全な所へよ、隠れないと。……いい場所を知らない?」 言われて、ぼくは考え込んだ。 「じゃあ、学校へ行こう」 「鍵がかかっていないの?」 「かかってるよ。でも、うちのマンションの鍵とぴったりあうんだ」 ずっと前に気づいた偶然だったけど、まさか、こんな所で役に立つなんて思ってもみなかった! 管理人が住んでいる、学校の校庭にある小さな家には、明りが点っているけど、他はどこもかしこも真っ暗だった。 「ぼくが先に行く」 囁いて、ぼくは垣根を乗り越えて校庭を横切った。夜の校庭や校舎は不気味だったけど、そんなのドロテー叔母さんの恐怖の前にはかすんでしまう。 鍵を探すまではやけに長く感じたけど、実際にはそんなにかからなかったみたいだ。ようやくドアを開け、中に入ると、ぼくは急いで扉を閉めた。 「ふぅ……っ」
「ありがとう、アンナ、助かったよ。君がいなかったら、どうなっていたか……」 そんなの、考えただけでゾッとする。 「どうしたしまして。でも、びっくりしたわ、叔母さんが、金髪の男の子が墓地に来てたって言うんですもの」 アンナの話では、ドロテー叔母さんは今日はディスコへ行く予定で出かけたらしい。だけどすぐ外で誰かと話す声が聞こえたので、気になったアンナが様子を見にいった。 叔母さんはすぐにぼくを掴まえるつもりだったけど、マント無しでタイトスカートじゃ、塀を乗り越えられるわけがない。それで、アンナが代わりに様子を見る役を引き受けたって事情だったんだ。 「まさかと思ったけど、やっぱりあなただったのね。大丈夫? 叔母さんになにかされなかった?」 そうに聞くアンナに、ぼくは首を横に振った。 「ううん、平気だよ。ちょっと話をしただけで……」 いかにも心配そうに聞くアンナに、ぼくはドロテー叔母さんの白い手を思い出した。もう少しで触られそうになったけど、でもその前に塀から落ちたからなぁ。 「ううん」 「よかった」 心からホッとしたように、アンナが胸を撫でおろす。 「でも、どうして……? 触られたら、なにか、あったの?」 「叔母さんには、手で触れた相手に催眠術をかける力があるの。もし叔母さんに触られていたら、あなたは叔母さんの思い通りになっていたのよ!」 「うげ…っ」 ゾゾッと背中の初毛が逆立つのが分かった。 ぼくが考えていた以上に、さっきは危ない状況だったみたいだ。 「本当にありがとう……もう一度、お礼を言わせてくれない? なにもかも、君のおかげだよ」 心を込めて、ぼくはアンナに礼を言った。 確かに顔だちは似ているけど、それだけだ。ドロテー叔母さんはどこか冷たい感じのする美人って感じで、アンナのように明るい可愛さとは違う。 「そんなに言わなくてもいいわ、たいしたことじゃないもの」 そう言ってアンナは、まさにアンナだけの持つ明るい笑顔で優しく微笑んだ――。
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