Act.3 ファティマのサソリ |
サソリ。 モローリアのナンバー2。正確と根性の悪さでは、文句なしにモローリア1の男だ。 サソリはもちろんミスター・モリを放っておかず、手をうってきた。それがとんでもないといおうか、なんともサソリらしい抜け目のない卑怯な方法だった。 「アル。ドクターが呼んでるぞ。なんか大事な用らしいぜ」 「分かった。今行くよ」 「ドクター、お呼びですか」 「やあ、アル。大変なことになってね」 ドクターは渋い顔をして、椅子に座っていた。おまけに、ドクターの片腕っていわれているラアイまでいた。 「ラアイ。いつ、ここに?」 「ついさっきだ。アル、よく聞いてくれ。昨日の密会がバレた」 「なんだって?!」 こんなに早く? 信じられない。 「サソリだ。ファティマのサソリにしてやられたよ」 ラアイが落ち着き払って言う。こっちはそれどころじゃないや。 「今日、モリ一家は日本に帰るために空港に行った。ところが、そこにサソリが待ち構えていたんだ」 「なんだってサソリがそんなトコ、いるんだよ!」 「昨日のことで、なにかカンづいたらしいな」 「でも、はっきりしたことは分かっていないはずだろ? そうそう外国人にヘタな真似なんかできないはずだ」 「その通りだ、アル。だが……」 ラアイはちょっと口ごもった。 「だが、なんだって言うんだよ、ラアイ。それにミスター・モリって、ちょっとしたオドシなんかきくようなタイプじゃないぜ。まして、とうてい密告るタイプじゃないよ」 急にドクターが笑いだし、口をだしてきた。 「アル、なかなかいい眼をしてるな。その通りだ。さすがにサソリも、ミスター・モリには何もしなかった。 ラアイはちらっと俺を見て、言いにくそうに言い出した。 「アル、サソリは息子のマキトから情報を聞き出したんだ」 「……!」 「そして、マキトは今、サソリの館にいる。表向きは、マキトのパスポートのピザが破けているので再発行するまで預かるって名目でな。 モリ夫妻逹も息子と一緒にモローリアに残るとがんばったんだが、サソリはモリ夫妻のパスポートには、はやばやと出国スタンプを押したものでね、モローリアをでないわけにはいかなかったんだ。 これでミスター・モリは我々の条件を飲めば、大事な一人息子が『事故』にでもあうという立場にたったわけだ。サソリのことだから、ミスター・モリの態度がはっきりするまで、なんだかんだ理由をつけてマキトを国内に置いておく気だろう」 「……」 ラアイの言葉が終わっても、俺は黙りこくっていた。少し、間を置いてドクターが話しだした。 「サソリが動きだした以上、早急に作戦を立て直す必要がある。ミスター・モリの出方にもよるが、私達がマキトを助けだすのが最上の方法になるだろう。その時は、アル=アサービア」 ドクターが、俺を真正面から見つめた。 「アル、君がマキトを国外に脱出させるんだ」 「え?」 「もちろん、アル一人にまかせるわけではないがね。今度の作戦では、最初から最後まで活躍してもらうよ。 「は…い」 俺はどぎまぎしながらうなずいた。 サソリの館へ……サソリ…。 「アル=アサービア。今回の任務は、大変重要なんだ。決して、私情に走らないと、信じていいんだろうね」 ドクターの言葉は、ずっしりと重かった。俺が黙っていると、ラアイがとりなすように声をかけてくれた。 「とにかく、今日、すぐって話ではないんだ。ただ、先に話だけはしておこうと思ってね。詳しい話は後だ。 俺はラアイに促されるまま部屋に戻ったけど、とっても寝るどころじゃない。眠気が嘘みたいにぶっとんじまった。 マキトの話。 サソリを殺したいってのは、俺の個人的願望だ。ゲリラの一員になったのだって元々はそれが目的だったんだ。 俺が興味を持っているのは、サソリを殺すことと、ドクターのボディーガードをすること――この二つだけだ。 もちろん、俺だって今までに色々なテロ活動に参加してきたが、それはドクターの命令だからであり、進んでやりたいと思ったわけじゃない。ドクターは俺の命の恩人だから……いや、それだけじゃなく心の底から尊敬してる人だから、俺はドクターの命令には必ず従った。 「とにかく、俺、返事はしなかったからな」 ラアイがとりなしてくれたおかげで、約束はしないですんだものの、礼を言う気にはなかった。あいつが変に気をつかってくれたおかげで、嫌なことを思い出しちまった。 息子のおかげで困った立場に追い込まれる男の話。 それを思えば思うほど、焦りが生まれる。 けど サソリは絶対、俺がやる。 死んじまうのと、殺すのじゃ大違いなんだ。こんなチャンス、二度とこないかもしれない。ドクターはいつも細かいデータもしっかり集めてから、作戦を立てて、行動する。 そのデータさえあれば、俺一人でもサソリを殺せる――そう考えてから、俺は強く首を横に振った。 確かに、サソリは殺したい。 結局、マキトの救出作戦が実行に移されたのは、10日ぐらいも経ってからだった。情報集めやなんやかんやで、ずいぶん手間取っちまったらしい。 他にも色々案があった。同時爆発事件を起こし、どさくさ紛れに殴り込みをかけるとか。俺としては、これやりたかった。 けど、ミスター・モリがなあ。 ミスター・モリはカサブランカについたとたん、真っ先に日本人大使館に走っていって、マキトのことを訴えにいったんだ。おまけにモローリアと関係のあるモロッコの実業家や、アメリカ、フランスの外交官と、ありとあらゆるツテを辿って息子を助けようと必死になっている。 仕事なんかそっちのけで奥さんと一緒に、あちこちのツテに頼みこんでんだもんな。まったく頭が下がっちまうよ。ま、おかげでマキトの安全第一っていう計画になったんだ。 そのおかげで、今、俺がどこにいると思う? これが、サソリの暗殺に行くんなら喜びいさんで行くんだけどよ。 長いこと幌の中にいたから、外はハレバレする。けど、落ち着いてもいられないな。 予想以上に水は冷たかった! 「じゃ、アル、頼むぞ」 黙ってうなずき地下水道に入ろうとしたら、ラアイがさらに声をかけてきた。 「アル=アサービア。くれぐれもドクターの命令を忘れないでくれよ」 「分かってら!」 素早く唾を吐き捨て、地下水道に飛び込む。 今なら俺一人だって、サソリを殺れるのに。なんせ、サソリの館の見張りは、全部分かってるもんな。 「――いや。だめだ」 冷静に、冷静に。 サソリのことを考えてると、だんだん気が変わっていきそうだっだが、俺はなんとかそれに耐えた。サソリの館に行くって考えをやめればいいんだ。サソリに絡めて考えるのがまずい! それにしてもストレスがたまるよ、こんな狭っ苦しい地下水道で、水に漬かりながら亀みたいに這ってるなんてさ。 「ん?」 不意に、真っ暗闇の中にぼおっと仄明るいものが見えた。 「あそこか」 俺は静かに、急いで這っていく。水の流れる音も変わっている。 途端に感じるのは、甘い匂い。 大統領の家だって、こんなに立派じゃないぜ。館の方だって日干しレンガの、石灰が塗ってある長方形のヤツ。おまけに、テラス屋根。 砂漠では水と緑は最高の富。 だけど、高い土塀には(今は暗くてよく分かんないけど)鉄条網が張ってるわ、門には大砲つきの装甲車があるわ、武装した秘密警察がうじゃうじゃいるわ、まったく油断できないトコだからな。 俺は王宮のような──サソリが眠っている──館に背を向け、庭の外れにある小さな離れに神経を集中させる。 大きく一息つくと、俺は水を滴らせながら小走りに走り出した。服が濡れて、体にへばりついて走りにくい。 うまく見回りを避け、俺は離れの近くの木の影に隠れた。 とりあえず、今は……弾OK、消音装置もOK。 離れにいる見張りは一人。ドアに手をかける。 「グーォー、グーォー」 ……なん、なんだ、ここの見張りはっ! とにかく、気を取り直し、音を立てずぎりぎり通れるぐらいの隙間を開け、中を除き込む。思った通り、見張りは机にもたれて気持ちよさそうに眠っていた。それでも一応モーゼルを持ったまま入り込み、ドアを閉める。 「グオー、グー、グーオ」 ごくつぶしめが。 ここだ。 ところが、マキトの奴、実に、実に幸せそーな面して眠っていやがる! ああ、どうせならサソリの所へ忍び込みたかったぜ。 「なにするんだ?!」 マキトは腹を立てて、俺の手を払いのけようとした。 「静かにしろ!」 このバカが! 「バカ! 静かにしろ!」 俺はいらついて、マキトをベッドに押しつけた。マキトはぼんやり俺の顔を見てたが、ようやく驚いて声をあげた。 「なにしてるんだ?」 「シッ!」 ったく、このドアホ! 「でかい口を閉じろ!」 押し殺した声で命令すると、マキトは素直にうなずいた。 「おまえを助けにきたんだ」 マキトはぽかんと口を開けた。 「まのぬけたツラだ」 「助けにきたって?」 マキトは俺の言葉などまるっきり聞いていないみたいに、夢心地でぼんやり呟く。 「ピクニックにでもきたと思ってんのか?」 ふん、見回りはまだみたいだ。 「早く着替えるんだ!」 俺の声で、ようやくマキトは服に着替えた。それが早いのなんの! 「でも、見回りがくるよ」 ふと、思いついたようにマキトが言う。 「二時間に一度だろ?」 「でも今は、朝七時まで、真夜中に一回来るだけさ」 なら、わざわざ言うことはないだろーが! マキトはと言うと、体をがたがた震わせて歯の根さえあってない。 「怖いのか?」 「違うよ!」 と、言う割には声が震えているぞ。 「どうやって入れたの? それにその泥は?」 この…! 「家中の秘密警察を起こす気か? 今度口を聞いてみろ、総入歯にしてやる!」 とんでもない奴だ! この脅しにマキトはさすがに黙り、息を飲んでうなずいた。 「いいか、音を立てるな! 息もするな!」 俺はドアを開け、くいっと手招きする。ドアを抜けたところで階段の下をうかがい、一応モーゼルを抜く。 少し、安心して下へ降りていく。マキトも俺に続く。さっきと同じように、真針が眠っていた。俺は壁にくっつきながら進み、ドアを音を立てないように開け、外をうかがった。 よし。 マキトが出てくる。 「おまえは偏平足か?」 がまんできずに、俺はいらいらと文句をつける。 「象だって眼を覚ますぜ!」 マキトに文句をつけている最中に、かすかに足音が聞こえた。とっさに地面に伏せる。 進歩がない! 気がつくなよ! 用心のため、モーゼルを向け、トリガーに指をかける。幸いにも、そいつはオレ達に気づかずに通り過ぎていく。俺はトリガーから指をはずし、力を抜いた。 その時、マキトがいきなり立ち上がろうとした! こんな奴と一緒にいるよか、地雷原にでもいた方がましだ! 「このヒヨコめ!」 さっきからヒヤヒヤさせやがって! 「俺を殺す気か?」 縮こまったマキトは、申し訳なさそうにボソボソしゃべりだした。 「ごめんよ、ぼく大丈夫だと思ったんだ」 「それを決めるのは俺だ! このでしゃばりヒヨコめ! これから俺が許さない限り、息も吐くな!」 マキトはまたうなずいた。 そこで、俺達は塀沿いに走りだした。 OKだ。 水の音とオリーブの強い香りが溶け合っていて、一瞬、いつまでもここにいたいと思った。 「石にかじりついても落っこちるなよ!」 うなずくマキトを見て、俺はすいすい下に降りて、水が流れ落ちる道水路口で止まった。 「いいか、これに潜るんだ」 俺はさっきは使わなかった懐中電灯を取り出し、水路の奥を照らした。こうして見ると、意外に穴が小さかったんだな。 なのに、マキトはそれを見て急に怖じ気づきだした。 「冗談だろ!? 中で詰まったら死んじゃうぜ!」 うろたえたマキトが、低い声で反論する。 「俺は通ってきたんだ」 俺とマキトは、体格はほぼ変わりはない。俺が通れる穴がマキトに通れない訳はないのに、マキトの奴は本気でビビっていやがる。 「ぼく逹の体が水をせきとめ、きっと窒息するよ!」 「だと思うなら、おまえは残ってサソリのペットにでもなるんだな!」 腹を立て、俺はそう言い捨てて用水路へ入ろうとした。これ以上ごねるようなら、置いていってやると半ば本気で思った。 「いくよ、いくよ!」 ヤケになったように、マキトが叫ぶ。それを聞いてから奴に懐中電灯を押しつけ、俺は水路へと先に飛び込んだ。 《続く》 |