Act.3 ファティマのサソリ 
 

 サソリ。
 サソリって言っても、砂漠にいる虫の方じゃない。サソリっていうのは、モローリア秘密警察長官、アラムートの仇名だ。

 モローリアのナンバー2。正確と根性の悪さでは、文句なしにモローリア1の男だ。
 俺にとっちゃいわくつきの人物だが、まあ、そんなことはどうでもいい。
 問題なのは、ドクターがいうあの『モローリア一危険な男』が、日曜日の密会のことをかぎつけちまったことだ。

 サソリはもちろんミスター・モリを放っておかず、手をうってきた。それがとんでもないといおうか、なんともサソリらしい抜け目のない卑怯な方法だった。 
 だが、俺がそれを知ったのは、あの日本人親子が帰国するはずだった月曜日の夜遅くだった――。






「アル。ドクターが呼んでるぞ。なんか大事な用らしいぜ」

「分かった。今行くよ」
 
 せっかく眠ろうとしてたとこだったけど、ドクターのお呼びじゃな。俺は眠い目をこすりながら、ドクターの部屋に向かった。
 今、俺がいるのはファティマの隠れ家の一つ。ここにはしょっちゅうくるから、ほとんど我が家って感じの場所だ。

「ドクター、お呼びですか」

「やあ、アル。大変なことになってね」

 ドクターは渋い顔をして、椅子に座っていた。おまけに、ドクターの片腕っていわれているラアイまでいた。
 昨日までは、確かいなかったはずなのに。

「ラアイ。いつ、ここに?」

「ついさっきだ。アル、よく聞いてくれ。昨日の密会がバレた」

「なんだって?!」

 こんなに早く? 信じられない。

「サソリだ。ファティマのサソリにしてやられたよ」

 ラアイが落ち着き払って言う。こっちはそれどころじゃないや。
 サソリだって!

「今日、モリ一家は日本に帰るために空港に行った。ところが、そこにサソリが待ち構えていたんだ」

「なんだってサソリがそんなトコ、いるんだよ!」

「昨日のことで、なにかカンづいたらしいな」

「でも、はっきりしたことは分かっていないはずだろ? そうそう外国人にヘタな真似なんかできないはずだ」

「その通りだ、アル。だが……」

 ラアイはちょっと口ごもった。

「だが、なんだって言うんだよ、ラアイ。それにミスター・モリって、ちょっとしたオドシなんかきくようなタイプじゃないぜ。まして、とうてい密告るタイプじゃないよ」

 急にドクターが笑いだし、口をだしてきた。

「アル、なかなかいい眼をしてるな。その通りだ。さすがにサソリも、ミスター・モリには何もしなかった。
 ラアイ、アルに説明してくれ」

 ラアイはちらっと俺を見て、言いにくそうに言い出した。

「アル、サソリは息子のマキトから情報を聞き出したんだ」

「……!」

「そして、マキトは今、サソリの館にいる。表向きは、マキトのパスポートのピザが破けているので再発行するまで預かるって名目でな。
 もちろん、実質的には人質だ。

 モリ夫妻逹も息子と一緒にモローリアに残るとがんばったんだが、サソリはモリ夫妻のパスポートには、はやばやと出国スタンプを押したものでね、モローリアをでないわけにはいかなかったんだ。

 これでミスター・モリは我々の条件を飲めば、大事な一人息子が『事故』にでもあうという立場にたったわけだ。サソリのことだから、ミスター・モリの態度がはっきりするまで、なんだかんだ理由をつけてマキトを国内に置いておく気だろう」

「……」

 ラアイの言葉が終わっても、俺は黙りこくっていた。少し、間を置いてドクターが話しだした。

「サソリが動きだした以上、早急に作戦を立て直す必要がある。ミスター・モリの出方にもよるが、私達がマキトを助けだすのが最上の方法になるだろう。その時は、アル=アサービア」

 ドクターが、俺を真正面から見つめた。

「アル、君がマキトを国外に脱出させるんだ」

「え?」

「もちろん、アル一人にまかせるわけではないがね。今度の作戦では、最初から最後まで活躍してもらうよ。
 引き受けてくれるね、アル」

「は…い」

 俺はどぎまぎしながらうなずいた。
 サソリの館に捕まっているマキトを助けだす。

 サソリの館へ……サソリ…。
 ドクターは俺の考えていることを見透かすように、厳しく言った。

「アル=アサービア。今回の任務は、大変重要なんだ。決して、私情に走らないと、信じていいんだろうね」

 ドクターの言葉は、ずっしりと重かった。俺が黙っていると、ラアイがとりなすように声をかけてくれた。

「とにかく、今日、すぐって話ではないんだ。ただ、先に話だけはしておこうと思ってね。詳しい話は後だ。
 とりあえず、今日はもう寝なさい」

 俺はラアイに促されるまま部屋に戻ったけど、とっても寝るどころじゃない。眠気が嘘みたいにぶっとんじまった。

 マキトの話。
 サソリの館に行くってこと。
  頭がゴチャゴチャになりそうだよ。俺の目的──サソリの暗殺──のチャンスが、こんな風に舞い込んでくるなんて。

 サソリを殺したいってのは、俺の個人的願望だ。ゲリラの一員になったのだって元々はそれが目的だったんだ。
 正直、俺はゲリラ活動や思想なんてのには、たいして興味はない。

 俺が興味を持っているのは、サソリを殺すことと、ドクターのボディーガードをすること――この二つだけだ。

 もちろん、俺だって今までに色々なテロ活動に参加してきたが、それはドクターの命令だからであり、進んでやりたいと思ったわけじゃない。ドクターは俺の命の恩人だから……いや、それだけじゃなく心の底から尊敬してる人だから、俺はドクターの命令には必ず従った。
  でも……サソリのことだけは───。

「とにかく、俺、返事はしなかったからな」
 
 自分に言い訳するように、俺は呟く。
 ドクターにはっきりと約束したのなら、それは破れない。だが、頷かなかった約束ならば、それは破ったうちには入らない……と、思いたい。

 ラアイがとりなしてくれたおかげで、約束はしないですんだものの、礼を言う気にはなかった。あいつが変に気をつかってくれたおかげで、嫌なことを思い出しちまった。

 息子のおかげで困った立場に追い込まれる男の話。
 似たような話は、いくらでも転がってる。サソリのせいで、そんな話全部が悲惨な現実になっている。

 それを思えば思うほど、焦りが生まれる。
 俺の他にだって、サソリを殺したいと思ってる奴は五万といる。そんな奴らに、いつ先をこされるか分からない。

 けど  サソリは絶対、俺がやる。
 俺のこの手で、殺してみせる。

 死んじまうのと、殺すのじゃ大違いなんだ。こんなチャンス、二度とこないかもしれない。ドクターはいつも細かいデータもしっかり集めてから、作戦を立てて、行動する。

 そのデータさえあれば、俺一人でもサソリを殺せる――そう考えてから、俺は強く首を横に振った。

 確かに、サソリは殺したい。
 だけど――ドクターを裏切るような真似だけは、できない。二つの正反対の望みに、俺はどうしたらいいのか、分からない。
 その夜、俺はあれこれ悩んで、ずいぶん遅くまで眠れなかった。






 結局、マキトの救出作戦が実行に移されたのは、10日ぐらいも経ってからだった。情報集めやなんやかんやで、ずいぶん手間取っちまったらしい。
 一応ラアイをリーダーにして、小人数でサソリの館に侵入し、マキトをこっそり救出するっていう作戦に決まった。

 他にも色々案があった。同時爆発事件を起こし、どさくさ紛れに殴り込みをかけるとか。俺としては、これやりたかった。

 けど、ミスター・モリがなあ。
 まったく、あの根性には頭を下げるっきゃない。
 モローリアにはカサブランカからのフレンドシップが日に一度(たいていガラガラ)がくるだけで、もちろん国外へ行く時はいったんカサブランカに行かなきゃいけない。

 ミスター・モリはカサブランカについたとたん、真っ先に日本人大使館に走っていって、マキトのことを訴えにいったんだ。おまけにモローリアと関係のあるモロッコの実業家や、アメリカ、フランスの外交官と、ありとあらゆるツテを辿って息子を助けようと必死になっている。

 仕事なんかそっちのけで奥さんと一緒に、あちこちのツテに頼みこんでんだもんな。まったく頭が下がっちまうよ。ま、おかげでマキトの安全第一っていう計画になったんだ。

 そのおかげで、今、俺がどこにいると思う?
 アラムート長官の館へ、ラアイ達とトラックで向かっている最中なんだ。ったく、たまんねえよ。

 これが、サソリの暗殺に行くんなら喜びいさんで行くんだけどよ。
 そんなことを思っていたら、トラックが静かに止まった。俺達は無言のまま荷台から降りる。全員が降りると、トラックはそのまま走っていった。

 長いこと幌の中にいたから、外はハレバレする。けど、落ち着いてもいられないな。
 俺達はすぐに井戸に入り、そのまま地下水道の中へと入る。

 予想以上に水は冷たかった!
 ほんとになんでこんな苦労しなきゃなんないんだよ。全員で、黙りこくって歩いていくと、ほどなくお目当ての枝別れした地下水道の真ん前についた。えらく小さくて、子供が這って動くのがやっとって大きさ。

「じゃ、アル、頼むぞ」

 黙ってうなずき地下水道に入ろうとしたら、ラアイがさらに声をかけてきた。

「アル=アサービア。くれぐれもドクターの命令を忘れないでくれよ」

「分かってら!」

 素早く唾を吐き捨て、地下水道に飛び込む。
 ラアイめ!
 それにしても、こんな一世一代の大チャンスを逃すなんて。こんなチャンス、二度とこないかもしれないのに。

 今なら俺一人だって、サソリを殺れるのに。なんせ、サソリの館の見張りは、全部分かってるもんな。

「――いや。だめだ」

 冷静に、冷静に。
 これはドクターの、モローリア自由戦線代表者の命令だ。今回の任務はマキト・モリを無事国外脱出させること。
 それだけを考えていればいい。

 サソリのことを考えてると、だんだん気が変わっていきそうだっだが、俺はなんとかそれに耐えた。サソリの館に行くって考えをやめればいいんだ。サソリに絡めて考えるのがまずい!

 それにしてもストレスがたまるよ、こんな狭っ苦しい地下水道で、水に漬かりながら亀みたいに這ってるなんてさ。
 クソッ、これがサソリを殺りに行くんならなあ!

「ん?」

 不意に、真っ暗闇の中にぼおっと仄明るいものが見えた。

「あそこか」

 俺は静かに、急いで這っていく。水の流れる音も変わっている。
 出口だ。
 俺は貯水層からはい上がり、思いっきり息を吸い込む。

 途端に感じるのは、甘い匂い。
 眼をよっく見開いてみると、すごいのなんの!
 まず、噴水だろ。ナツメヤシ、シュロ、糸杉、オリーブ、オレンジ、アーモンド、おまけにバラのアーケードまで!

 大統領の家だって、こんなに立派じゃないぜ。館の方だって日干しレンガの、石灰が塗ってある長方形のヤツ。おまけに、テラス屋根。
 王宮顔負けだな。

 砂漠では水と緑は最高の富。
 しばらく、俺はぽけっと見ていたかった。生まれて初めてだよ、こんな立派な庭。 

 だけど、高い土塀には(今は暗くてよく分かんないけど)鉄条網が張ってるわ、門には大砲つきの装甲車があるわ、武装した秘密警察がうじゃうじゃいるわ、まったく油断できないトコだからな。

  俺は王宮のような──サソリが眠っている──館に背を向け、庭の外れにある小さな離れに神経を集中させる。
 任務は、マキトを脱出させること。それだけを考えていればいい。

 大きく一息つくと、俺は水を滴らせながら小走りに走り出した。服が濡れて、体にへばりついて走りにくい。
 とにかく、塀沿いに目立たないように、音を立てないで。

 うまく見回りを避け、俺は離れの近くの木の影に隠れた。
 そしてモーゼルを抜く。びしょしょだよ……。
 ったく、命から二番目に大切なモーゼルなのに、誰かのせいで惨めなことになったな。後で分解して、よく手入れしなきゃ。

 とりあえず、今は……弾OK、消音装置もOK。
 俺はモーゼルをしっかりと握り、じりじりドアに近寄る。声を立てらんないように、一発でしとめないと…。

 離れにいる見張りは一人。ドアに手をかける。
  一気に開けて不意をつくか、それともそっとやったものか───。

「グーォー、グーォー」

 ……なん、なんだ、ここの見張りはっ!
 サソリの奴、こんなでかい家に住んでいながら満足な見張り一人飼ってねえのかよ。
 俺としちゃありがたいけど、いまいち割り切れないような……。

 とにかく、気を取り直し、音を立てずぎりぎり通れるぐらいの隙間を開け、中を除き込む。思った通り、見張りは机にもたれて気持ちよさそうに眠っていた。それでも一応モーゼルを持ったまま入り込み、ドアを閉める。

「グオー、グー、グーオ」

 ごくつぶしめが。
 俺は見張りの後ろをすり抜け、階段を上る。マキトの部屋は二階だっけ。そっとドアを開けて、中を伺う。

 ここだ。
 ガランとした部屋で、マキトはしっかりベッドに眠っている。ホント今日はスムーズにことが運ぶな。俺はモーゼルをいったんしまい、マキトに近づいた。

 ところが、マキトの奴、実に、実に幸せそーな面して眠っていやがる!
 俺の苦労も知らないで!

 ああ、どうせならサソリの所へ忍び込みたかったぜ。
 サソリのことを思い出したとたん、なんだか急にむかっぱらが足ってきて、妙にマキトの平和な寝顔がいらつく。俺は黙ってマキトの肩を掴み、乱暴に揺さぶった。少し揺すったら、マキトが眼を覚ました。

「なにするんだ?!」

 マキトは腹を立てて、俺の手を払いのけようとした。

「静かにしろ!」

 このバカが!
 俺は囁くのと同時に、マキトの手をふさぐ。マキトのボケはなおもうなり、もがいた。

「バカ! 静かにしろ!」

 俺はいらついて、マキトをベッドに押しつけた。マキトはぼんやり俺の顔を見てたが、ようやく驚いて声をあげた。
 この反応の鈍さと言ったら!

「なにしてるんだ?」

「シッ!」

 ったく、このドアホ!
 俺は舌打ちしてマキトを睨む。腹が立つほど鈍い奴だが、それでもマキトの奴は俺のことを一応は覚えていたらしい。
 余計な説明をしないですむのはありがたいが、いちいちわめかれちゃたまんないよ。

「でかい口を閉じろ!」

 押し殺した声で命令すると、マキトは素直にうなずいた。

「おまえを助けにきたんだ」

 マキトはぽかんと口を開けた。

「まのぬけたツラだ」

「助けにきたって?」

 マキトは俺の言葉などまるっきり聞いていないみたいに、夢心地でぼんやり呟く。

「ピクニックにでもきたと思ってんのか?」

 ふん、見回りはまだみたいだ。
 俺は鎧戸越しに庭を見た。その間、マキトはボーッとベッドの上に座り込んでやがる。

「早く着替えるんだ!」

 俺の声で、ようやくマキトは服に着替えた。それが早いのなんの!
 どうも極端だな、こいつは。

「でも、見回りがくるよ」

 ふと、思いついたようにマキトが言う。

「二時間に一度だろ?」

「でも今は、朝七時まで、真夜中に一回来るだけさ」

 なら、わざわざ言うことはないだろーが!
 それにしても、ここの見張りはなまけもんぞろいだな。ま、おかげで、これで時間がかなり稼げるか。俺はマキトのパジャマや服をまとめ、ベッドに人が寝ているように細工する。

 マキトはと言うと、体をがたがた震わせて歯の根さえあってない。
 ヘッ、ブルってやがる。俺は大いに軽蔑した。

「怖いのか?」

「違うよ!」

 と、言う割には声が震えているぞ。
 マキトは腕を抱え、息を弾ませて甲高い声で、とてもうれしそうに聞いてきた。

「どうやって入れたの? それにその泥は?」

 この…!
 ぐいっと奴の胸ぐらをつかみ、耳を口の側に寄せる。

「家中の秘密警察を起こす気か? 今度口を聞いてみろ、総入歯にしてやる!」

 とんでもない奴だ!
 ビビッてないのはいいが、これじゃあ倍も質が悪い! できるんなら、ぶんなぐってやりたいよ。

 この脅しにマキトはさすがに黙り、息を飲んでうなずいた。
 俺は手を離した。

「いいか、音を立てるな! 息もするな!」

 俺はドアを開け、くいっと手招きする。ドアを抜けたところで階段の下をうかがい、一応モーゼルを抜く。
 まだ、いびきが聞こえら。

 少し、安心して下へ降りていく。マキトも俺に続く。さっきと同じように、真針が眠っていた。俺は壁にくっつきながら進み、ドアを音を立てないように開け、外をうかがった。

 よし。
 俺はドアをすり抜け、マキトを待った。と、いびきが止まる。
 あのマヌケ、なんかヘマでもしたんじゃないだろうな?
 少しシンとしてみたが、すぐ男はいびきをかき始めた。

 マキトが出てくる。
 俺はドアを閉め、マキトを睨みつけた。ったく、心臓が悪くなっちまうぜ。二人してシュロの間に滑り込み、塀沿いに走りだす。
 ドタッドスッとマキトの足音が……。

「おまえは偏平足か?」

 がまんできずに、俺はいらいらと文句をつける。

「象だって眼を覚ますぜ!」

 マキトに文句をつけている最中に、かすかに足音が聞こえた。とっさに地面に伏せる。
 マキトは二回目だってのにまごついて、キョトキョトしてる。

 進歩がない!
 俺はマキトを引きたおした。思った通り、見回りの秘密警察がやってきた。ダラリと機関銃を下げ、眠そうにあくびしている。

 気がつくなよ!
 そんまま、いっちまえ!

 用心のため、モーゼルを向け、トリガーに指をかける。幸いにも、そいつはオレ達に気づかずに通り過ぎていく。俺はトリガーから指をはずし、力を抜いた。

 その時、マキトがいきなり立ち上がろうとした!
 間髪いれず、マキトの襟をひっつかみ、地面に押しつける。くそっ、何がスムーズにいくんだってんだ。

 こんな奴と一緒にいるよか、地雷原にでもいた方がましだ!
 運よく、寝ぼけていた見張りは、そのまま行ってしまった。俺は行ってしまったのを確かめると、手を離してマキトをなじった。

「このヒヨコめ!」

 さっきからヒヤヒヤさせやがって!

「俺を殺す気か?」

 縮こまったマキトは、申し訳なさそうにボソボソしゃべりだした。

「ごめんよ、ぼく大丈夫だと思ったんだ」

「それを決めるのは俺だ! このでしゃばりヒヨコめ! これから俺が許さない限り、息も吐くな!」

 マキトはまたうなずいた。
 まだまだ文句は言いたりなかったけど、こんなとこにいたら命が5、6個はいりそーだからやめておいた(特にマキトといたら、2、30個はいる)

 そこで、俺達は塀沿いに走りだした。
 貯水池の少し手前のナツメヤシの所でいったん止まり、幹を体につけて辺りをうかがう。

 OKだ。
 黙ってマキトの肩をこずき、ゆっくりかがみながら貯水池へ向かう。石造りの井戸のような貯水池の回りには、さっきは気づかなかったアネモネが咲き乱れていた。

 水の音とオリーブの強い香りが溶け合っていて、一瞬、いつまでもここにいたいと思った。
 けど、俺はすぐ貯水池を除き込み、マキトに声をかけた。

「石にかじりついても落っこちるなよ!」

 うなずくマキトを見て、俺はすいすい下に降りて、水が流れ落ちる道水路口で止まった。

「いいか、これに潜るんだ」

 俺はさっきは使わなかった懐中電灯を取り出し、水路の奥を照らした。こうして見ると、意外に穴が小さかったんだな。
 これなら大人が追ってきても絶対に追ってはこれない、最高の逃げ道だ。

 なのに、マキトはそれを見て急に怖じ気づきだした。

「冗談だろ!? 中で詰まったら死んじゃうぜ!」

 うろたえたマキトが、低い声で反論する。

「俺は通ってきたんだ」

 俺とマキトは、体格はほぼ変わりはない。俺が通れる穴がマキトに通れない訳はないのに、マキトの奴は本気でビビっていやがる。
 マキトは本気で震えていた。

「ぼく逹の体が水をせきとめ、きっと窒息するよ!」

「だと思うなら、おまえは残ってサソリのペットにでもなるんだな!」

 腹を立て、俺はそう言い捨てて用水路へ入ろうとした。これ以上ごねるようなら、置いていってやると半ば本気で思った。
 が、その心配はどうやら要らなかったようだ。

「いくよ、いくよ!」

 ヤケになったように、マキトが叫ぶ。それを聞いてから奴に懐中電灯を押しつけ、俺は水路へと先に飛び込んだ。                                         《続く》

4に続く→ 
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