Act.6 ふたりっきりの逃亡 |
俺達はアトラス山脈を黙々と歩いていった。 こんな調子で、ホントにマキトの奴を国外脱出させられるのかよ。不安を感じながらちらっとマキトを見ると……なんと、夜明けなんかに見とれてやがる! 「俺達には朝焼けを楽しむ贅沢はないんだ。今の俺達にとって、朝はきてほしくないものだ。敵を見つけやすくなるが、敵も俺達を見つけやすくなる」 まったくマキトの奴、自分の立場を自覚してんのかよ? 水を見るなりマキトは顔を流れにつけて、ガブガブ飲んだ。 ここらで少し休むか? 「いずれにしろ、一息つく必要があるな。バテたヒヨコを背負い込み、政府軍とツラを合わせたくないからな」 休憩を告げたのに、マキトは嬉しそうな素振りも見せない。 「ラアイさん達、大丈夫かな?」 「答えられない質問を俺にするな!」 そんなことより、今は休む所を見つけなきゃ。 「あそこで休もう」 二人して這い上がった。突きでた岩の後ろは、窪んでいた。 「ここならいい。見つかっても、岩に隠れ、上に登りやすい」 ほっとして溜め息をつくと、すぐにリュックをひっくり返した。 とにかく、マキトと一緒に少しずつ食べた。 「寒くないの?」 そんな、ヤワじゃないぜ。俺は笑った。 目が覚めても、まるっきりいい考えなんかでなかった。 それだって、政府軍の邪魔がなけりゃ、の話だし。俺だってアトラス山脈に詳しいってわけじゃないしな。 政府軍はきっと山ほどいるだろうし、そんな中を俺一人でどうやってマキトをアトラスに連れて行けっていうんだ。しかも、こんな時なのにぐっすり眠っているヒヨコをさ! いーかげん起きろ。 嫌みを交えて、俺は起きるまでしつこくつついてやった。寝起きの悪い奴だ、ホントに。何十回目につついて、ようやく目を覚ましやがった。 「喉をかき切られても、眼が覚めないぜ!」 こいつ、いつ死んでもおかしくないな。 「モロッコは近いの?」 「いや、遠くなった。政府軍がいるから、昨日のルートは使えなくなったからな」 俺は顔をしかめて、谷の向こうを見た。あっちにまっすぐに行けばすぐにモロッコなのに、行けないなんてさ。 「他の道はないの?」 「おまえじゃ無理だ。せいぜい崖から落っこちて、ぐちゃぐちゃさ」 実は俺でも無理な話だが、それは黙っておく。 「じゃ、どうするの?」 「いい質問だよ」 俺は唾を吐いて、ナイフを抜いた。マキトは驚いて、後ずさる。 「たいして役にたたないが、やらないよりましだろう」 俺は呟きながらマキトの髪を掴んだ。 「びくつくなよ、殺しゃしない」 俺は長めの坊っちゃん頭を、乱暴にナイフで切り始めた。時々、マキトは痛そうに呻いたけど、まあ、なんとかうまく刈れた(と、俺は思う) 頭の真ん中だけ長く、回りは短い髪。 「見かけはベルベル人の子供になったな。その髪はな、死んだ時、アッラーの神が天国に引き上げるのに、掴みやすいようにするんだ」 「じゃ、君はどうなんだ?」 マキトは俺の坊主頭を見ながら言った。その目が何となく文句を言いたげなのは、もちろん無視する。 「はん、俺は天国なんか行きたかないや」 「地獄がお似合いだよ」 「そうさ。サソリが地獄に落ちたら、何度だって俺も地獄に行ってやるんだ」 俺は眼を据えて、サソリの幻を見つめる。 「これからどうするの?」 「歩くのさ。歩いて、アトラスに潜り込む」 岩でナイフを研ぎながら答えた。ずいぶん手入れをしていなかったんだ。 「危険だよ」 マキトがうなった。 「今でもじゅうぶん危険だぜ」 一ヵ所に何時間もいるんだもんな。 「岩にへばりつけ!」 叫ぶと同時に、リュックと自分の身体を岩によせた。マキトも岩にぴたりとついた。 軽い爆音が響き、軽飛行機が低空で谷に降りてきて、飛びさった。 「見つからなかったね」 空を見つめながら、答えた。 「分からない」 「でも、ぼく達を見つけりゃ戻ってくるはずだろ?」 「そして、おまえ達を見つけたぞと、知らせるのか?」 いったい、奴らは俺達を見つけたのか? 「じゃ、どうする」 マキトはみっともないぐらいうろたえた。俺は唇を噛んで、考え込んだ。 だったら、見つかってないなんて甘い考えに賭けてないで、思いきってここを動いた方がいい。どうせこうなったら、どこにいたって危険は同じなんだ。 「よし、ここを動こう」 それを聞くなり、マキトは下に降りようとした。 「バカ! 下に降りるのは危険だ。この谷にも政府軍は来ているはずだ。今来ていなくても、来るに決まっている。この上に登るんだ」 俺はマキトを登らせ、すぐ後に続いた。 いらいらするな。 それでもどうやらてっぺんのすぐ下まできたが、3mぐらいつるつるした滑らかな岩があった。手がかりはまるでないし、肩車しても届きゃしない。 俺は鼻を鳴らして、おおいに軽蔑した。 俺は崖の反対側を登ろうとしていたマキトのジェラバを引き下ろし、顎で谷をしゃくった。 「政府軍なの?」 マキトの声はうわずっていた。 「飛行機が俺達を見つけてませんようにと、アッラーに頼むんだな」 俺は沈みながら答えた。 それから、念のために祈ってみる。 豆粒は大きくなり、12ヶのうち将校らしい1ヶが立ち止まり、双眼鏡でこっちを見た! 「くるぜ!」 俺は頬を歪めた。こうなったら、やるしかない。 「おまえはそこにへばりついてろ! 弾に当たりゃ、パパとママに会えなくなるぜ!」 リュックを掴み、手榴弾を取りだして膝の上に置く。 「たった一人で12人の兵士とやりあうの?」 マキトは悲鳴を上げ、叫ぶように言った。 「無茶だよ、殺されちゃうよ。ほんとに見つかったなら、降参しようよ」 気のせいか、マキトは自分のことより、俺を心配して言ってるようにも聞こえた。 「おまえと違ってな」 今にも泣きそうに顔を強張らせたマキトに、俺は怒鳴った。 「俺はどっちみち、掴まりゃ秘密警察に渡されて、拷問され、殺されるんだ。一人でも多く、道連れにしてやる!」 「子供までも殺しゃしないよ」 「ゲリラは子供でであろうと、おんなであろうと、掴まりゃ拷問され、殺されるんだ。ごちゃごちゃ言わず、すっこんでろ!」 吐き捨てるように言うと、俺は気持ちを切り替え政府軍を睨んだ。 上等じゃないか。 兵士達が近づくのを待ち、口でピンを引き抜く。1、2、3……俺は手首を利かせ、て思いっきり投げ下ろした。 そして、奴らは銃を撃った。鋭い唸りが響き、岩のあちこちに弾が弾ける。 下からは多数撃ってきた。岩に当たった弾が跳ね返り、岩の粉が舞い落ちる。俺も撃ち続けていた。 兵士達は崖を滑り下り、逃げ始めた。 数人の兵士達がふっとんだ。鳴き声のような悲鳴とわめき声で吠えた。人間とは思えないような声で。 カチ! 「ざまあみろ、マキト」 もっと元気よく言いたかったのに、すすり泣きのような笑い声しかでなかった。マキトに向かっての『さまあみろ』か、奴らにむかってのか、自分でも分からなかった。 「奴らは尻尾をまいたぜ」 発砲しながら、奴らは逃げていく。 俺は――マキトを見た。 「7人やったぜ」 「7人も殺して、よく平気でいられるね」 弱々しくマキトが言った。 「だからおまえはヒヨコだと言うんだ」 俺はマキトを力任せに引き起こした。アッラーが掴むはずだった髪を掴み、怒鳴った。 「見ろ、あの死体を、泣き叫んでいる奴を、眼を開けて見るんだ!」 「やだ! やだ!」 マキトは固く眼を閉じ、溺れているようにもがいた。 「これが闘いだ。殺すか、殺されるか、どっちかだ。 俺はマキトを突き飛ばした。 「ここは日本じゃない、モローリアだ。モローリアの現実だ。そんなに現実が怖けりゃ、日本にいてママのおっぱいから離れるな!」 マキトは唇を震わせ、座り込んだままだった。吐きかけられた唾さえ、拭おうとしなかった。 「くるんだ、ヒヨコ。今は泣く暇がないぜ」 マキトは操り人形のように立ち上がった。 無数の涸れ谷を、玄武石の山棚を、大岩を、時々は水を含んだ土の上を、俺達は逃げまくった。 アトラス山脈の地理をろくに知らない俺達なのに、ここまで逃げて続けられるなんて、よっぽど悪運がついてんのかな。 そうとしか思えないや。 「モローリア中の政府軍が集まったみたいだ」 気がついた時は、俺は笑っていた。 「おまえはアヒルの金の卵だぜ、まったく」 「鶏だろ?」 揚げ足取りしやがって。 「どっちでも同じだ。でかい方がいいに決まってる!」 それに、アヒルの卵だってうまいんだから。 「これだけ政府軍がここに集められると、他が手薄になって、俺の仲間はいっそう動きやすくなった」 うん、仲間は楽だろう。一応、そこだけは満足しとこう。 「うまく逃げのびられるかな?」 マキトはいくらか不安げだった。 「逃げのびられるさ。そして、できるだけ奴らをここに張りつけるのが、俺の役割でもある」 ただし、本当ならばマキトを脱出させた後のお役目だったけど。それに、仲間と一緒にやるはずだったっけ――。 「俺達だろ?」 俺はマキトの顔を見た。 おまけにあんだけマキトを馬鹿にし、怒鳴りつけている俺に対して、仲間意識を持ってるなんて、ほんとおもしろい奴だよ。 「そうとも言えるな。なにしろ、今度は奴らも手加減しないだろうぜ。おまえを殺したって、自由戦線のテロの犠牲者だって、俺達に責任をなすりつける方法があるしな」 俺の言葉を聞くまで、マキトはそんなことを考えてもいなかったのだろう。いきなりひっぱたかれたような顔をして、呟いた。 「サソリも必死だな」 「サソリはもちろん必死だがな、モローリア軍部とサソリは仲が悪いんだ。時には俺達以上に敵対することだってある」 「おもしろいな」 「大統領はクーデターを起こし、モローリアを握ったから、軍隊の恐ろしさが身に染みている。そこで、その軍隊と国民を締めつけるため、秘密警察を作った」 「そこでサソリが登場したわけか」 「物分かりが早いな」 ヒヨコのくせに、マキトの奴、分かってるじゃないか。 「サソリはたちまち軍部を抜き、ナンバー2になった。サソリは軍からも憎まれ、おまけに軍から女のように嫉妬されている」 あれがサソリの弱点さ。どう役に立ってくれるか、分かんないけどよ。 「しかし、サソリは軍に命令はできない。できるのは大統領と、実際に指揮を取ってる司令官のマリクシャークさ」 「サソリとマリクシャークは仲が悪いんだな」 確認でもするように、マキトが言う。確認したって、なんにもならないけどさ。 「ナンバー2とナンバー3は、お互いに蹴り落とそうと必死さ。フランスの士官学校出と、ラクダ飼いのケンカだよ。二人をうまく操っているのが、大統領の屑さ」 「じゃ、今度は二人が手を組んだわけか」 なかなかの意見だけど、まだまだ甘いぜ。 「たぶん違うな」 あいつらが手を組んだ日にゃ、サハラ砂漠に雪が降らぁ。 「マリクシャーフはおまえを手に入れたいのさ」 マキトは岩の上に組んでいた掌から顔を上げて、俺の顔を伺った。その視線を感じたまま俺は頬杖をつき、わざとマキトを見ないようにして兵士を見下ろした。 「手に入れて、サソリの鼻をあかしたいのさ。ひょっとしたら、蹴り落とせるかもしれないからな」 マキトは地面に沈み込みそうなぐらい、しょぼくれた。 「しょぼくれなさんな」 あんまりマキトがしょぼくれたので、俺は慰めてやった。たいして役に立つとは思えんけど。 「ヒヨコがモローリアの明日を握ってるんだ」 「ひどい褒め方だな」 マキトは口の中の砂を、ペッと吐いた。 「けなされるよりましさ」 俺も負けずに砂を吐いた。 「さて、ねぐらを探そう。おまえに一流ホテルにも負けない、ベッドを見つけてやるよ」 俺は注意深く後ずさった。 俺達はその後もうまく逃げ回ったが、二日後にとうとう食料が尽きた。 いつまでも隠れていても飢え死にしてしまうし、思いきって町へ出るか。やるんだったら、元気なうちがいいだろうな、やっぱり。 「明日、一か八かやってみるぜ」 マキトは黙ってうなずいた。ヒヨコは今にも飢え死にしそうなツラをしていた。 「そんな情けない顔をするな、1日や2日食わなくったっても、死にやしないよ」 「死にやしないけど、死にそうだよ」 マキトの反論は、実感がこもっていた。ごもっともだよ。 |