伍章 復活、ベビーキョンシー! |
そのベビキョンは、幼かった。 くりくりした目で周囲をゆっくりと見回したベビキョンは、自分のすぐ側にいるポンを見て、大声で言った。 「バーバ! バーバ、バーバ!」 嬉しそうにそう言いながら、ベビキョンはポンに向かって飛び跳ね、抱きついた。 「あの子、何言ってんの?」 ちらっと振り返ると、いつの間に追いついてきたのやら、そこには高虎がいた。ええいっ、なにをノコノコとこんな危険なところまで来ているんだ、この日本人はっ。 「バーバってのは、中国語で『父さん』って意味だよ」 「えっ、あいつとあの子、親子だったの!?」 と、高虎は素直に驚いているが、んなわけあるかいっ! ポンがどんな素性のキョンシーかは知らないが、ベビキョンは間違いなく数百年は前のキョンシーのはずだ。年代が合うわけがない。 なのに、あのベビキョンときたら卵から孵ったばかりの雛が初めて見たものを親だと思い込むように、あの無骨キョンシーを親だと思っちまったらしい。 ポンの方は別にベビキョンを撫でるでも抱きしめてやるでもなく、少し迷惑そうな感じで突っ立っているだけだっていうのに、ベビキョンときたらこの上なく嬉しそうにバーバと呼びながら、ちょこまかと跳ね回っている。 小さいくせに、両手を伸ばしたいっちょ前のキョンシーポーズで跳ねているのはご愛敬だが、見た目と違って油断は禁物だ。片言とは言えしっかりとしゃべることのできるベビキョンは、間違いなくポンやカンよりもキョンシーとしての階級が上だ。 第三級……いや、第四級ぐらいはあると思った方がいい。 ポンやチーのことを放置しておくのもなんだが、幸いと言うべきか跳ね回るベビキョンが邪魔になっているせいか、ほとんど動かなくなっている。まずは、とにかくベビキョンを眠らせた方がいい。 そう思った時、目についたのは床に落ちたお札だった。ついさっき、ポンが引っぺがしたばかりのお札は、頼りなげに床に転がっている。いかにも古めかしいそのお札は、破けてもいないしまだ使えるっぽい。 手持ちのお札もあるとは言え、極力それらは節約しておきたい、この先何があるか分からないんだし。まあ、問題はその札がポンのすぐ足下に落ちている点だが――。 「あっ、あれはなんだっ!?」 天上を指さし、おいらは大声で叫ぶ。 サッと屈んでお札を拾ったが、その瞬間、黒い影が襲いかかってきた。とっさにそれを避けてから、そいつがポンだと気がついた。ちっ、頭は悪くても反射神経はいいっぽい。 だが、もう無事にお札は回収しているんだ、後はベビキョンを眠らせるだけだ! 「ウーっ、ウー、ウーっ!!」 嫌だと言わんばかりに、ベビキョンはおいらから逃げ回り始めた。それが、意外なぐらいに早いのなんの! んもーっ、しょうがねぇなぁ。 「ほらっ、ベビキョンッ、逃げるんじゃないっ!」 だが、ベビキョンはちょこまか逃げまくるばかりだ。しかも、ベビキョンはなにか勘違いしているのか、このおっかけっこを明らかに楽しんでいた。 「アーっ、アー♪」 時折、おいらの動きを確かめるように後ろを振り返っては、速度に緩急をつけながら楽しげに跳ね回り続ける。くそっ、こっちは遊びじゃないんだって! 一向に走る速度は衰えないし、いつまでも元気に逃げ回り続ける。まあ、逆に言えば死んでいるからこそ疲れを知らないんだろうけど、追っかけているおいらはヘトヘト。 「ナムッ!? 大丈夫!?」 落ちていた展示品の燭台につまづき、すっ転んでしまったおいらに高虎が気遣うような声をかけるが、それに返答する余裕もなかった。怪我こそしなかったが、あまりのなさけなさに思わずへたり込む。 「アー?」 不思議そうに、きょとんとした表情でベビキョンがおいらを覗き込む。八つ当たりだと分かっていても、愛らしいつぶらな瞳がかえっておいらの怒りに油を注ぐ。 「こんちくしょーォ!」 不意を突いてベビキョンに抱きつくと、小さな身体はすっぽりとおいらの腕の中に収まった。 「ビェ――――――――――!!」 ベビキョンがけたたましく泣き出すと同時に、周囲からも一斉に悲鳴が上がった。 「うわっ、じ、地震かっ!?」 「ひ、ひぃえええっ!?」 慌てふためく警備員達の周囲で、部屋中の展示品がめちゃくちゃに暴れ狂う。これは――ベビキョンの念動力か!? 「うわぁあああっ、350万の壺がぁああっ、ああっ、そっちの仏像は400万もするのにぃいっ!」 支配人の物らしい情けない叫びが聞こえるが、とてもそっちに目をやるどころじゃない。 冗談じゃない、さっさとベビキョンを眠らせないとマジでとんでもないことになるぞ! その棺と、壁の間にいるのは高虎だった。このままじゃ、高虎が棺と壁に押しつぶされてぺっちゃんこだ! 「危ないっ!!」 考えるよりも早く、おいらは棺に向かった。さすがにあれほど大きくて、勢いよく倒れる物は止められないが、跳び蹴りで動きをそらすぐらいは出来る。 高虎を直撃するはずだった棺は、彼をそれてその隣にあったやたらと大きくて派手な壺を粉砕した。 「ぉおおおおぅああああっ、380万の壺がぁああっ!?」 な、なにやら悲痛な悲鳴が聞こえたが、息子の命には代えられないだろうが、諦めてくれよっ。 「つぅうっ!?」 見れば、いつの間に近づいてきたのか、ポンがおいらに攻撃を仕掛けていた。いや、正確に言うのなら、おいらの腕に対して。 「バーバッ、バーバ!」 いじめられた子供が親に駆け寄るように、ベビキョンは泣きながらポンへと飛びついていく。ベビキョンがポンに抱きついた瞬間、連中はふいっと消えてしまった。 「え……!?」 呆然とするおいらの目の前で、騒ぎがピタリと止まる。 そして、ベビキョンと二体のキョンシーは忽然と姿を消していた。 まさか、ベビキョンの超能力がこれほどのものとは……。おいらは自分の甘さを悔いた。 「あぁああ……まさかこんなことに……保険で賄えるのか、これ? 一体、保険会社になんて報告すれば……!? いや、それよりも問題は楼蘭玉っ、あれにもしものことがあったら……」 どこかうつろな目で支配人がブツブツと呟いているのが、今はそんなことで落ち込んでもらっていちゃ困る。おいらは支配人の肩を掴んで、揺さぶった。 「しっかりしてください! まずは、落ち着いて」 ここまで小心者だとは思わなかったが、支配人のミスター藤堂はこの場の責任者だ。ここは、立ち直ってもらわないと困る。 「これをどうぞ。ウー・ロン達から取り戻したものです」 「お、おおおーーっ!」 途端に、支配人の目が輝く。 「おおっ、これさえ無事なら……っ、後は保険でなんとかなるだろうしな、よかったよかった」 一気に元気になったのはいいが、そんなに安心してもらっても困る。むしろ、問題はこれからだ。 「それよりもまず、被害を抑えないと! キョンシー達をなんとかしないと、被害が広がる一方です!!」 「え……、でも連中はもういなくなったんじゃ……」 目眩がするほど暢気なことを言っている支配人に、おいらは怒鳴りつけたい気持ちを抑えるだけでも必死だった。 「あれは、単にここからいなくなっただけです! 遠くに逃げたとは限りません、と言うか、デパートの外に逃げたっていうなら最悪なんですよ!?」 冷静にならなきゃいけないと分かっていても、ついつい声が高ぶってしまう。 「いいですか! このまま放っておけば、横浜が壊滅……いや、それどころか日本まるごとが壊滅する危険すらあるんですよ!」 その意味を、きちんと分かってくれた人がいたかどうか。 「きゃああああーーっ!?」 その声を聞いて、おいらはすぐに展示場を飛び出していった。 おいらはまだ手に持ったままのお札を握り直し、そいつに向かって一直線に走って行った。動きの鈍いそいつの額に、ベビキョンから奪ったお札を貼り付ける。 すると、面白いほどぴたりと若い男は動きを止めた。 だが、肌の色が早くも変わり、魂の抜けたような目をしている姿は、どう見ても異様だった。 「その人……どうしたの? 大丈夫?」 恐る恐る近寄ってきたのは、支配人以下警備員全員だったが、一番近くまでやってきたのは高虎だった。 「大丈夫、生きているよ。でも、絶対にこのお札を外してはダメだ! 彼は、キョンシーに襲われたせいでバンバンシーになっているんだ」 その説明に、絶望的なうめき声がいくつか聞こえてくる。それが一番ひどいのは、バンバンシーに襲われていた女の人だった。彼女はガクガクと震えながら、左腕を押さえている。 「わ……わたし、も、……そんな化け物になっちゃうの……?」 今にも泣き出しそうな女の人に、おいらは安心させるように笑いかけた。 「あなたは、大丈夫ですよ。だって、意識があるじゃないですか。怪我をさせられただけでは、バンバンシーにはなりません。 おいらは出来るだけ落ち着いた声で、説明した。 「今の人を見たでしょう? キョンシーに血と魂を吸われた人間は、バンバンシーになるけど――この男の人だって、まだ生きています。霊幻道士のおいらならばバンバンシーの動きを止めることが出来るし、後で治すこともできます」 これは、本当に不幸中の幸いだった。 だが、運のいいことに、ポンもチーも人間を襲えという命令は受けていなかった。つまり、積極的に人間を殺そうとはしないはずだ。キョンシーの本能として人間を襲うとはいえ、とどめまでは刺さない可能性が高い。 一次的に魂が抜けただけで肉体が滅びていないのなら、それは擬似的なバンバンシーにすぎないし、元に戻せる。今はバンバンシー化したとしても、彼らが完全に死亡する前に正式な術を施せば、治すことができる。 「お、おお……っ、おお……っ! では、死亡保険の心配はないんですね!?」 いや、なんの心配してるんだよ、支配人。 「ですが、楽観はしないでください。 |