伍章 復活、ベビーキョンシー!
 

 

 そのベビキョンは、幼かった。
 正確な年齢はよく分からないけれど、多分、3つか4つぐらいか。普通のキョンシーと同様に清時代の服装をしているのは同じだが、子供用のそれはずいぶんと可愛らしく見える。

 くりくりした目で周囲をゆっくりと見回したベビキョンは、自分のすぐ側にいるポンを見て、大声で言った。

「バーバ! バーバ、バーバ!」

 嬉しそうにそう言いながら、ベビキョンはポンに向かって飛び跳ね、抱きついた。
 それを見て、不思議そうに言ったのは聞き覚えのある声だった。

「あの子、何言ってんの?」

 ちらっと振り返ると、いつの間に追いついてきたのやら、そこには高虎がいた。ええいっ、なにをノコノコとこんな危険なところまで来ているんだ、この日本人はっ。
 そう思いつつも、おいらはとりあえず早口に説明してやる。

「バーバってのは、中国語で『父さん』って意味だよ」

「えっ、あいつとあの子、親子だったの!?」

 と、高虎は素直に驚いているが、んなわけあるかいっ!
「違うって、あいつらは赤の他人! けど、問題なのはあのベビキョンがポンの奴を親だと思い込んじまったってことだよ!」

 ポンがどんな素性のキョンシーかは知らないが、ベビキョンは間違いなく数百年は前のキョンシーのはずだ。年代が合うわけがない。

 なのに、あのベビキョンときたら卵から孵ったばかりの雛が初めて見たものを親だと思い込むように、あの無骨キョンシーを親だと思っちまったらしい。
 のっぽのチーではなく、ポンの方に懐いた理由は分からないが、親にでも似ていたのだろうか。

 ポンの方は別にベビキョンを撫でるでも抱きしめてやるでもなく、少し迷惑そうな感じで突っ立っているだけだっていうのに、ベビキョンときたらこの上なく嬉しそうにバーバと呼びながら、ちょこまかと跳ね回っている。
 こりゃダメだ、早くなんとかしないと。

 小さいくせに、両手を伸ばしたいっちょ前のキョンシーポーズで跳ねているのはご愛敬だが、見た目と違って油断は禁物だ。片言とは言えしっかりとしゃべることのできるベビキョンは、間違いなくポンやカンよりもキョンシーとしての階級が上だ。

 第三級……いや、第四級ぐらいはあると思った方がいい。
 はっきり言って、ポンなんかよりもベビキョンの方が怖い。もし、本当に第四級キョンシーだとしたら、初歩の法力や特殊能力を持っているはずだ。敵の手に渡ったら、手に負えなくなってしまう。

 ポンやチーのことを放置しておくのもなんだが、幸いと言うべきか跳ね回るベビキョンが邪魔になっているせいか、ほとんど動かなくなっている。まずは、とにかくベビキョンを眠らせた方がいい。

 そう思った時、目についたのは床に落ちたお札だった。ついさっき、ポンが引っぺがしたばかりのお札は、頼りなげに床に転がっている。いかにも古めかしいそのお札は、破けてもいないしまだ使えるっぽい。

 手持ちのお札もあるとは言え、極力それらは節約しておきたい、この先何があるか分からないんだし。まあ、問題はその札がポンのすぐ足下に落ちている点だが――。

「あっ、あれはなんだっ!?」

 天上を指さし、おいらは大声で叫ぶ。
 それにつられて、ポンはそっちをみやった。単純な奴め。ついでに言うならチーとなぜか高虎までそっちを見ていたが、それは無視!

 サッと屈んでお札を拾ったが、その瞬間、黒い影が襲いかかってきた。とっさにそれを避けてから、そいつがポンだと気がついた。ちっ、頭は悪くても反射神経はいいっぽい。

 だが、もう無事にお札は回収しているんだ、後はベビキョンを眠らせるだけだ!
 手を伸ばし、ベビキョンの額にそれを貼り付けようとする――が、その手は見事にからぶってしまった。

「ウーっ、ウー、ウーっ!!」

 嫌だと言わんばかりに、ベビキョンはおいらから逃げ回り始めた。それが、意外なぐらいに早いのなんの! んもーっ、しょうがねぇなぁ。

「ほらっ、ベビキョンッ、逃げるんじゃないっ!」

 だが、ベビキョンはちょこまか逃げまくるばかりだ。しかも、ベビキョンはなにか勘違いしているのか、このおっかけっこを明らかに楽しんでいた。

「アーっ、アー♪」

 時折、おいらの動きを確かめるように後ろを振り返っては、速度に緩急をつけながら楽しげに跳ね回り続ける。くそっ、こっちは遊びじゃないんだって!
 並の子供ならすぐに疲れてスピードも落ちるだろうが、相手はなんと言ってもキョンシー。

 一向に走る速度は衰えないし、いつまでも元気に逃げ回り続ける。まあ、逆に言えば死んでいるからこそ疲れを知らないんだろうけど、追っかけているおいらはヘトヘト。
 思わず足がもつれた。

「ナムッ!? 大丈夫!?」

 落ちていた展示品の燭台につまづき、すっ転んでしまったおいらに高虎が気遣うような声をかけるが、それに返答する余裕もなかった。怪我こそしなかったが、あまりのなさけなさに思わずへたり込む。
 ぜいぜいと息絶え絶えのおいらに、ベビキョンがなぜか近づいてきた。

「アー?」

 不思議そうに、きょとんとした表情でベビキョンがおいらを覗き込む。八つ当たりだと分かっていても、愛らしいつぶらな瞳がかえっておいらの怒りに油を注ぐ。

「こんちくしょーォ!」

 不意を突いてベビキョンに抱きつくと、小さな身体はすっぽりとおいらの腕の中に収まった。
 が、その瞬間、凄まじい声が上がった!

「ビェ――――――――――!!」

 ベビキョンがけたたましく泣き出すと同時に、周囲からも一斉に悲鳴が上がった。

「うわっ、じ、地震かっ!?」

「ひ、ひぃえええっ!?」

 慌てふためく警備員達の周囲で、部屋中の展示品がめちゃくちゃに暴れ狂う。これは――ベビキョンの念動力か!?

「うわぁあああっ、350万の壺がぁああっ、ああっ、そっちの仏像は400万もするのにぃいっ!」

 支配人の物らしい情けない叫びが聞こえるが、とてもそっちに目をやるどころじゃない。
 ガラスが割れ、仏像が飛行し、お棺がダンスを踊り出す。

 冗談じゃない、さっさとベビキョンを眠らせないとマジでとんでもないことになるぞ!
 そう思って、おいらは泣きわめくベビキョンの額にお札を貼ろうとした――が、その時、一際大きな棺が跳ねるのが見えた。

 その棺と、壁の間にいるのは高虎だった。このままじゃ、高虎が棺と壁に押しつぶされてぺっちゃんこだ!

「危ないっ!!」

 考えるよりも早く、おいらは棺に向かった。さすがにあれほど大きくて、勢いよく倒れる物は止められないが、跳び蹴りで動きをそらすぐらいは出来る。
 ベビキョンを小脇に抱えたまま、おいらは目一杯蹴りを食らわせる。

 高虎を直撃するはずだった棺は、彼をそれてその隣にあったやたらと大きくて派手な壺を粉砕した。

「ぉおおおおぅああああっ、380万の壺がぁああっ!?」

 な、なにやら悲痛な悲鳴が聞こえたが、息子の命には代えられないだろうが、諦めてくれよっ。
 抱え込んだベビキョンを持ち直そうとした時、鋭い痛みが手を掠める。

「つぅうっ!?」

 見れば、いつの間に近づいてきたのか、ポンがおいらに攻撃を仕掛けていた。いや、正確に言うのなら、おいらの腕に対して。
 強く手を弾かれたせいで、思わず腕の力が緩んでしまったらしい。
 その途端、ベビキョンが弾かれたようにそこから飛び出していった。

「バーバッ、バーバ!」

 いじめられた子供が親に駆け寄るように、ベビキョンは泣きながらポンへと飛びついていく。ベビキョンがポンに抱きついた瞬間、連中はふいっと消えてしまった。

「え……!?」

 呆然とするおいらの目の前で、騒ぎがピタリと止まる。
 まるで生き物のように跳ね回った展示品は、魂が抜けたように床に落下し、それっきり動かなくなった。

 そして、ベビキョンと二体のキョンシーは忽然と姿を消していた。
 ……って、これ――もしかして、いや、もしかしなくても瞬間移動か!? あのベビキョン、第四級なんでもんじゃないっ、第五級レベルだっ。

 まさか、ベビキョンの超能力がこれほどのものとは……。おいらは自分の甘さを悔いた。

「あぁああ……まさかこんなことに……保険で賄えるのか、これ? 一体、保険会社になんて報告すれば……!? いや、それよりも問題は楼蘭玉っ、あれにもしものことがあったら……」

 どこかうつろな目で支配人がブツブツと呟いているのが、今はそんなことで落ち込んでもらっていちゃ困る。おいらは支配人の肩を掴んで、揺さぶった。

「しっかりしてください! まずは、落ち着いて」

 ここまで小心者だとは思わなかったが、支配人のミスター藤堂はこの場の責任者だ。ここは、立ち直ってもらわないと困る。
 おいらは、懐から楼蘭玉を取り出した。

「これをどうぞ。ウー・ロン達から取り戻したものです」

「お、おおおーーっ!」

 途端に、支配人の目が輝く。

「おおっ、これさえ無事なら……っ、後は保険でなんとかなるだろうしな、よかったよかった」

 一気に元気になったのはいいが、そんなに安心してもらっても困る。むしろ、問題はこれからだ。

「それよりもまず、被害を抑えないと! キョンシー達をなんとかしないと、被害が広がる一方です!!」

「え……、でも連中はもういなくなったんじゃ……」

 目眩がするほど暢気なことを言っている支配人に、おいらは怒鳴りつけたい気持ちを抑えるだけでも必死だった。

「あれは、単にここからいなくなっただけです! 遠くに逃げたとは限りません、と言うか、デパートの外に逃げたっていうなら最悪なんですよ!?」

 冷静にならなきゃいけないと分かっていても、ついつい声が高ぶってしまう。

「いいですか! このまま放っておけば、横浜が壊滅……いや、それどころか日本まるごとが壊滅する危険すらあるんですよ!」

 その意味を、きちんと分かってくれた人がいたかどうか。
 支配人が何か言おうと口を開きかけた時、絶叫が外から聞こえてきた。

「きゃああああーーっ!?」

 その声を聞いて、おいらはすぐに展示場を飛び出していった。
 そこで目に入ったのは、女の人を襲おうとする男の姿だった。多分大学生ぐらいの若い男は、血の気の引いた顔で両手を前に伸ばし、不器用に跳ねようとしている。

 おいらはまだ手に持ったままのお札を握り直し、そいつに向かって一直線に走って行った。動きの鈍いそいつの額に、ベビキョンから奪ったお札を貼り付ける。

 すると、面白いほどぴたりと若い男は動きを止めた。
 それにホッとしてから、おいらはあらためてその男を調べた。真っ先に首に手を当てて脈を測り、ちゃんと動いていることに安心する。よかった、死んではいない。

 だが、肌の色が早くも変わり、魂の抜けたような目をしている姿は、どう見ても異様だった。

「その人……どうしたの? 大丈夫?」

 恐る恐る近寄ってきたのは、支配人以下警備員全員だったが、一番近くまでやってきたのは高虎だった。
 おいらは声を張り上げ、全員に聞こえるように言った。

「大丈夫、生きているよ。でも、絶対にこのお札を外してはダメだ! 彼は、キョンシーに襲われたせいでバンバンシーになっているんだ」

 その説明に、絶望的なうめき声がいくつか聞こえてくる。それが一番ひどいのは、バンバンシーに襲われていた女の人だった。彼女はガクガクと震えながら、左腕を押さえている。
 気の毒にも大きく服が裂け、無残な傷跡がはっきりと見えた。

「わ……わたし、も、……そんな化け物になっちゃうの……?」

 今にも泣き出しそうな女の人に、おいらは安心させるように笑いかけた。

「あなたは、大丈夫ですよ。だって、意識があるじゃないですか。怪我をさせられただけでは、バンバンシーにはなりません。
 バンバンシーになるのは、血と魂を吸われた人間だけです。意識があって、しゃべれるバンバンシーなんていませんよ」

 おいらは出来るだけ落ち着いた声で、説明した。

「今の人を見たでしょう? キョンシーに血と魂を吸われた人間は、バンバンシーになるけど――この男の人だって、まだ生きています。霊幻道士のおいらならばバンバンシーの動きを止めることが出来るし、後で治すこともできます」

 これは、本当に不幸中の幸いだった。
 キョンシーに殺され、バンバンシーになってしまったのなら――それを助けられる術士なんて、いない。

 だが、運のいいことに、ポンもチーも人間を襲えという命令は受けていなかった。つまり、積極的に人間を殺そうとはしないはずだ。キョンシーの本能として人間を襲うとはいえ、とどめまでは刺さない可能性が高い。

 一次的に魂が抜けただけで肉体が滅びていないのなら、それは擬似的なバンバンシーにすぎないし、元に戻せる。今はバンバンシー化したとしても、彼らが完全に死亡する前に正式な術を施せば、治すことができる。

「お、おお……っ、おお……っ! では、死亡保険の心配はないんですね!?」

 いや、なんの心配してるんだよ、支配人。
 まあ、事態に衝撃を受けているせいだろうと好意的に考え、おいらは話を続けた。どっちにしろ、今はそんなことに構っている暇はない。

「ですが、楽観はしないでください。
 キョンシーだけでなくバンバンシーに襲われた人間も、バンバンシーになる。そんな風に増えていったら、手に負えなくなってしまう。
 だからこそ、これ以上被害者を出すわけにはいかないんだ! 今!! このデパート内で事件を解決しなければ、いけないんです!」
《続く》 

6に続く→ 
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