拾参章 混戦模様の大難問!

 

 

「チー! あの霊幻道士の小僧を血祭りにあげるのじゃっ!」

 ウー・ロンが命令した途端、チーの雰囲気が変わった。ぼうっと突っ立っているだけに見えたキョンシーの身体に、芯が通ったように見える。ただでさえ背が高いチーが、さらに一回りも大きくなったように見えた。

 そして、チーは高らかにジャンプする。それにもしてもこの店、無駄に天井が高いな!? 普通の住宅や家なら、奴のジャンプ力なら天井に頭をぶつけて不利になるだろうが、二階まで吹き抜けとなっている店内ではジャンプし放題だった。

 通常のキョンシーよりも高いジャンプが特徴的なチーは、勢いよく跳ねながらおいらへと向かってきた。

「かわいそうだけど、どうやらここで永遠の眠りにつかせてあげなきゃならないみたいだな! よしっ、こい!」

 おいらは向かってくるチーに対し、自己流の構えを取った。
 普通のクンフーでは、これだけのジャンプ力を持つ相手と戦うことがないから、あまり効果的な構えがない。

 だが、幸いにもおいらには兄弟子との戦闘訓練の経験がある。
 霊幻道士としてよりもクンフーに重きを置いている兄弟子ときたら、あらゆる戦闘に対応してこその武術だと言い、おいらにも変則的な特訓を強要した。

 異種格闘線だけじゃ飽き足らず、三次元的な敵襲への対応訓練だとか言って、ドローンを使っての強襲訓練なんてのも行った。わざわざ、日本製の最新式のドローンを取り寄せたと言うから恐れ入る。

 あれ、よく考えるとおかしくないか!?
 だいたい師匠も師匠だよっ、霊幻道士には相応しくないからと弟子達に携帯電話すら使用禁止にしているくせに、兄弟子の近代兵器使用についてはほぼ野放しじゃないか!

 師匠の尻馬に乗って、スマホなんてもっての外だとえらそうに説教している兄弟子が、実はこっそり持っているパソコンでネット通販し放題なの、師匠は知っているんだろうか?

 前々から思っていた不満が脳内で炸裂したが、おいらはとりあえずそれは抑える。
 まずは、この戦いが先決だ!

 前後左右、そしてジャンプの全ての動きに素早く対応するため、足は前後左右ともあまり開かない。腰を少しだけ落として、高いジャンプに備える。
 右手は拳を軽く握って、下に自然に垂らしておく。ジャンプするだけの力を残して、全身の力を右の拳にため込むのだ。

 防御は左手で行うのを前提に、ボクシングのブロックのように顔の前に構えておく。

 クンフーとは少し違うが、ボクシングによる近代拳闘の有効性がお気に入りの兄弟子のおかげで、おいらも多少はそちらの心得がある。普段はクンフーの基本に従い、手を痛めないように掌底を使った攻撃をするが、一撃の攻撃力を考えれば拳を握り込み、打点を絞った方が効率的だ。

 痛みを感じないキョンシーは、防御は皆無と言っていい。相手の身体の柔らかい部分を狙えば拳へのダメージは最低限に抑えられる。

 後は、タイミングを図るまでだ。
 ジャンプを繰り返す物体を狙うのなら、狙い目は最高点に達する時――即ち、動きを停止した時に限る。チーの身体が最高点に達するタイミングを見計らって、おいらもジャンプした。

 そのまま、ジャンプの勢いに加え、右拳にため込んだエネルギーを一気に吐き出すように、フック気味のパンチを放った。
 チーの腹を突き破らんばかりのパンチは、ヤツをさらに上にと吹っ飛ばした。天上に見事にぶち当たったヤツが、そのまま落下する。

 計算通り、とおいらは密かにほくそ笑む。
 後はあいつが地べたに叩きつけられるのを待ってから、追加攻撃を叩き込んで息の根を止めるまでだ! ――と、思ったのだが計算外があった。

 天井に当たった際、そのまま真下に落ちるかと思っていたのに、ぶつかった角度が悪かったのか落下方向がズレてしまったのだ。ウー・ロン達が座っていたテーブルの上へと落ちていく。

 それを見て、リー・ロンはすっと後ろに下がって避難したが、ウー・ロンは微動だにしなかった。というか、動けなかったという方が正しそうだ。術はすごくても、クンフーの達人ってわけじゃないみたいだし。

「うげええっ!?」

 テーブルの上に落っこちたチーに驚くだけならまだしも、チーがそのはずみでテーブルから転がり落ちるのさえ避けられず、下敷きになる。直接の落下に巻き込まれる場合よりもずっと軽微なダメージに過ぎないだろうに、小柄なウー・ロンには堪えたのかチーの長い手足の下でジタバタともがく。

「このこのっ、なにをしておるかっ、さっさと霊幻道士を攻撃しろっ!」

 腹を立てたのか、手をバンバン振り回してチーを叩きまくるウー・ロンは早口に命じる。怒りとチーの重みに目がくらんでいたウー・ロンは、自分の命令の失敗におそらく気づいていなかったのだろう。

 意思を持たない低階級のキョンシーは、命令に盲目的に従うってことを完全に忘れていたに違いない。
 その攻撃命令だと、自分自身も攻撃対象に入ってしまうってことに――。

「な、なにを……ぐぎゃああっ!?」

 命令通り、一番近くにいた霊幻道士――リー・ロンにチーが噛みついたのが見えた。

「やばいっ!」

「うげっ!?」

 おいらとリー・ロンが、同時に声を上げる。
 あれじゃ、バンバンシーになっちまう!

 だが、それを心配している余裕は無かった。『命令通り』に一体目の霊幻道士を倒したチーは、ウー・ロンに駆け寄るリー・ロンを無視しておいらへと跳びかかってくる。
 ええいっ、この忙しい時にっ!

「くそっ」

 高く跳び上がったチーを前に、おいらは銭剣を取り出した。
 剣と名前はついてはいるが、これは古銭を赤紐で結んで繋げているだけの代物だ。もちろん刃もないし、武器として役に立つようには見えないだろう。

 しかし、この道具はまさに霊幻道士としての最高の武器となり得るのだ。
 霊幻道士とは、辛く苦しい修行に耐え、やっとなることができるものだ。その修行の中にはクンフーなどの実技も多いのだが、それ以上に精神鍛錬の修行が含まれている。

 精神鍛錬の修行では、キョンシーの苦手とする物に念を込め、強力な武器へと変換させる力を磨くのが基本だ。
 訓練通り、おいらは銭剣の銭の部分を額に当てて念を込めた。

 まぶしさを感じるのは、銭がおいらの念を受けて光り出したせいだろう。銭が当たっている額も、熱が出たように熱く感じる……久々で心配だったけど、どうやらきちんと念を込められたようだ。

 それを確信して、おいらは大きく後ろに下がり、すぐ目の前まで迫ってきたチーに向け銭剣を投げつけた。

 床に降り立ったチーは、意外なぐらいの素早さでそれを交わす。
 が、銭剣はまるで意識を持っているかのように弧を描いて飛び、チーを襲う。その動きに、チーは慌てたようにそれを避けようとした。

 しかし、その動きに合わせて銭剣はまたも進路を変えた。生き物のようにチーを追尾する銭剣に、さすがのキョンシーも怯えを感じたのか表情を変える。
 だが、追撃はそこまでだった。

 銭剣の追尾能力には限界がある。というか、念を込める霊幻道士の能力には、というべきか。おいらの力では、そこまで急激に進路を変えるほどの力は無い。

 チーを捉えようとした銭剣は、ヤツの方を掠めるだけで精一杯だった。そして、一度標的に接触することで力を使い果たした銭剣はそのまま床に落ちる。与えた傷はせいぜいかすり傷程度だったが、それで十分だ!

 霊幻道士の攻撃により、チーの動きは一瞬とは言え止まる。その隙を突いて、おいらは懐から小瓶を取り出し、指先につける。

 そして、そのまま指を突き出してチーの額を抑えた。
 それと同時に、ピタリとヤツの動きが止まった。次いで、ぽっかりと開きっぱなしだったチーの瞼が閉じられる。

「ふぅ……っ」

 思わず、ため息がこぼれる。
 鶏の血を額に塗りつける――これも、キョンシーやバンバンシーの動きを封じるための方法の一つだ。古来から伝わる方法で、こうやって指で押さえつけている限り死者の動きを封じられると言われている。

 ミンミンから鶏ガラをもらった残りを取っておいて、本当に助かった。効き目が薄いんじゃないかと思ったけど、なんとかなったみたいだ。

 ただ、やり方は習っていたけど実践はこれが初めてだったので心配だったが、どうやらうまくいったようだ。……よかった、もうお札も品切れだったし、これで利かなかったらどうしようかと思ったよ。

 ただし、この方法は緊急避難用だと言われているやり方だ。
 あくまで一時しのぎであり、指を離せば死者はまた動き出すと言われている。昔話でも、こうやって死者と向き合っている内に人間が根負けしてやられるパターンが多い。

 が、それはあくまで普通の人間の場合……おいらは、霊幻道士だ。
 おいらは気をつけて、指の血を全てこすりつけるようにし、慎重にヤツの額から指を離していく。

 すると、チーが再び目を開けた。
 だが、その目はほとんど半開きで、いかにも眠そうだった。指を完全に離したことでヤツは再び動き始めたが、その動きは明らかに鈍っていた。目が見えなくなった人間がそうするように、おろおろと頼りなげにその場を探っている。

 どうやら、目くらましが程よく利いているようだ。
 普通の人間と違って、霊幻道士ならば指を離しても鶏の血の威力を持続させることが可能だ。優れた術士ならば、指を離したとしても相手が微動だにできないと言うが、おいらの場合はとてもそこまでいかない。

 動きを鈍らせるだけで精一杯だ。だが、少なくともキョンシーの五感を封じ込め、獲物を見つけられなくすることぐらいはできる。これでしばらくは、チーは放置しておいても大丈夫だろう。

 おいらはウー・ロン達の方に向き直った。
 てっきりチートやり合っている間に逃げるかと思ったのだが、意外にもウー・ロンもリー・ロンも逃げてはいなかった。

「父さん!? 父さんっ、おいっ、しっかりしろっ!!」

 焦ったように呼びかけているのは、リー・ロンだった。倒れたままのウー・ロンを必死で揺さぶり、呼びかけている。
 が、そんなリー・ロンに対して、ウー・ロンはいきなり手刀を突き出した。

「うわっ!?」

 リー・ロンが大きく後ろへと飛ぶ。
 寝たままの姿勢からの不意打ちだったのに、とっさに交わしたのはさすがと言うべきか。

「と、父さん!? 何をするんだよ!?」

 強く呼びかけるリー・ロンの目の前で、小柄なじいさんがひょこっと起き上がる。仰向けに寝たままの姿勢から、まるで起き上がり人形のように不自然に跳ね上がり、両手を前に突き出した姿勢で直立する……って、おいおい、ちょっと待てっ!? 

「は、早過ぎるだろっ!」

 思わずツッコんでしまったが、ウー・ロンはおいらの声に全く反応を見せなかった。あれほど感情的になり、ムキになりやすかった男が、無表情のまま突っ立っている。
 その姿勢と言い、顔色といい、バンバンシーそのものだ。

「マジかよ……」

 あまりにも急すぎる変化に、唖然とせずにはいられない。人間がバンバンシーになるまでには時間がかかるものだが、個人差はある。

 デパートで怪我を負ってまもなくバンバンシー化した人達がいたように、どういう理由でか馴染みやすい人間もいるのだ。どうやらウー・ロンもそういうタイプだったらしい。というか、めちゃくちゃ馴染みやすいタイプだ。

 霊幻道士としてそれはどうよと思うのだが、実際にそうなっているんだから仕方がない。 
 恐ろしいほどの速さでバンバンシー化したウー・ロンは、近くにいたリー・ロンに襲いかかる。

「父さんッ!? や、やめろっ」

 妙に甲高い、悲鳴じみた声をあげるリー・ロン。だが、どんなに呼びかけたところで無駄なことだ。

 バンバンシーとなった人間は、自我を失う。自分が人間だったことも忘れているし、キョンシーと違って術者に支配されていない分、ずっと動物的な反応しかとれない。

 キョンシーならば生前の意識を残していたり、高階級になればしゃべれるようにもなるが、バンバンシーはそうもいかない。生きている人間に盲目的に襲いかかるだけだ。
 ある意味ではキョンシーよりもよほど厄介な存在だ。

 いくら親子でも、バンバンシーとなってしまったらそんなことは関係が無い。今のウー・ロンには、リー・ロンは攻撃対象としか見えないはずだ。

 しかも、見たところリー・ロンには対抗手段はなさそうだ。
 あいつはたいしたクンフー使いではあるが、どうやら霊幻道士としての力は無いらしい。うろたえて父親に呼びかけるだけで、何もしようとはしない。

 ウー・ロンの攻撃を身軽な動きで避け続けているのは見事な物だが、攻撃するほど思い切れないようだ。防戦一方で、逃げに徹しているだけのリー・ロンを見ながら、おいらは少しばかり迷った。

 この対決では、ウー・ロンが有利だ。
 間抜けすぎて武術の心得があるようには見えなかったが、ウー・ロンの動きは思った以上に素早く、的確だった。反撃しないとは言え、あのリー・ロンを追い詰める程度には。

 正直、おいらにとっては都合の良い展開だ。
 ウー・ロンとリー・ロンが手を組んで襲ってきたら、厄介なことこの上ない。それよりはこのままウー・ロンがリー・ロンを倒すのを待ってから、ウー・ロンを封じた方が効率的だ。
 けど、そうは分かっていても……。

「父さんッ、正気に戻ってくれよっ! 父さん!!」

 必死で呼びかけるリー・ロンの声が、妙に耳に刺さる。
 あれだけのクンフーの腕を持っているリー・ロンが防戦一方で逃げ回っているのを見ると、なんだか困っている人を見て見ぬ振りをしているかのような、嫌な感じの罪悪感がこみ上げてくる。

(いや、あいつも敵! ……な、はずなんだけど……)

 あいつを助けるべきか、それともこのまま様子を見るべきか。
 迷っているおいらの目の前で、リー・ロンの姿勢が崩れるのが見えた。ウロウロと地味にその辺をうろついていたチーにぶつかったせいで、リー・ロンの動きが一瞬とは言え止まる。

 その隙を見逃すウー・ロンではない。奴が大きく口を開け、実の息子へと襲いかかるのが見えた――!

「……ッ!」

 次の瞬間、ウー・ロンの小柄な身体が吹っ飛ぶ。
 それを、リー・ロンは信じられないような目でポカンと見ていた。もっとも、信じられないのはおいらも同じだったけど。

「お、おまえ……なんで、俺を助けた?」

 気が抜けたような声でリー・ロンが尋ねてきたが、そんなのおいらの方が知りたいよっ。助ける義理もつもりもないのに、つい手を出してしまったんだから。いや、手というよりは蹴りだけど。

 でもまあ、やってしまった物は仕方が無い。おいらは、腹をくくって叫んだ。

「助太刀してやるから、おまえも戦え! こうなったら呉越同舟だ!!」
 
 《続く》

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